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神から人へ1





1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜

一九九九年九月二十八日

神が人に、この世に生まれしときに与えしもののうち、人にとりて最も重要なるものは、即ちことばなり。
ことばなければ、人は動物と変わらず。草木と変わらず。
ただ己れの生を生くるためにのみ、日々の生を送り、生を終えるのみなり。
なれば、人はことばをもちて、人たることを得、人たる行いを行える。
ことばによりて、人は互いの協力を可とし、ことばによりて、人は、互いの理解を深め、
かつ隣人との絆(きずな)を強めもし、固き友情、愛情に結ばれて、この世を平和で豊かな神の国とすることも可なりし。
なれば、人は神からの大切な み恵みであることばを、よきことに用い、互いの繁栄、互いの共存を図るべきなるを、
己れの欲得の拡大、己れの自己中心的願望の満足、己れの自己愛の充足のためにのみ、ことばを使い始むるをもちて、
神は人から、ことばを取り上げ、おのおの別のことばを与え、国なるものを作らせし。
それぞれの国を作らせしその意味は、人が己れの属する国、民族、人種を越えて、
より高き信念を持ちて、互いが協力を強める努力をさせんがためなり。一つの行なり。
行というは、個人に与えらるるものあり。また、個人の属する人種、民族、国家に課せらるるものあり。
なれば、人は個としての行と、一つの国に生まれしその国の国民、人種、民族として課せられし行と、
二つの種類の行を本来行じる要あり。
日本国国民なれば、日本人としての行あり。イギリス国国民なれば、イギリス人としての行あり。
いずれの国に生まれ、育ちても、行は平等に課せられ、
世界の平和、世界の繁栄、さらには宇宙の平和と、宇宙の規模での繁栄に貢献するが望ましき行なり。
神は、宇宙全体を統一されし、偉大な力を持たれしも、自らの力を用いて、宇宙を統合するのご意図は持たれぬなり。
なぜというに、神にとりて易きことなればなり。人が、困難を乗り越え、人の全てが協力してこそ価値あることなればなり。
今、世界を狂わせ、秩序を乱し、平和を壊せしその素を、人の力、努力によりて、一つ一つ取り除き、神の国を実現させるが本物なり。
神は、人に、ことばを授け、そを、人が、己れの我のためにのみ使い、その結果として、この世を汚し、乱し、雲らせしように、
人は、与えられし神のみ恵みを、ことごとく過ちて使い、過ちて用い、
そがために、神は行を課され、人に、反省と改俊の機会を与えんとされし。
人が、個々の枠に留(とど)まり、個々の発展、魂の浄化、魂の精進昇華を望むうちは、真の魂の行とはならぬ。

己れのみでなく、他に、外に、遠くよそなる国に、目を向けて、始めて、神の御心に適う魂の行となりうるなり。
日本は神の国なり。
元の始めに神により創られ、神により降ろされし、元の初めの国であり、国民であり、
そのことばには言霊(ことたま)が宿る、尊いことばを使う国民なり。
なれば、日本国はさらに努力し、言霊を拡げ、よそなる国に言霊を広め、
よそなる国に、文字を広め、世界の人々を救いゆく手伝いをすべき国民なり。
なれど、哀(かな)しきことは、元神(もとがみ)の国たる日本国は、今、世界のうちでも有数の、ことばの乱れる国となりぬる。
神のことばに最も近き、神秘の言霊宿れることばを、
おのが勝手な私利私欲、おのが唯一の我利我執、それらのための道具とおとしめぬる。
神は、さなる事態を嘆かれぬるを、日本の人民、国民は、何と感じ、何と考え、何と償うか。
人一人にては、ことばは乱れぬ。
人の心、人の魂、人の願いのうちに、知らぬうちにはびこり、染(し)み込み、広がりし、我という概念、そが素なり。
日本国国民たるものは、本来、我を持たぬ国民なりし。
一人が全体、一人が完全な全き姿の一部としてあり、おのが我利、我欲、我執を通さんとすることは少なき民なるを、
文明が変わり、ことばが変じ、西洋思想を受け入れ、そをもちてことばは乱れ、人の心も卑しく低き低みに落ちし。
ことば変われば、心も変わる。その逆もまた真なり。
心とことば、車の両輪。相伴って、互いを乱し、汚し、おとしめるに至るなり。
なれば、今、日本の中で、古来の美しきことばを蘇らせ、文字を復活させ、言霊の再生を早急に進めることが急務なり。
そなたに伝えることありというは、一つは、そなたやそなたの周りにおられる方々と共に

先ずはことばの乱れを正し、人にも注意を促す努力をせんということなり。
今そなたに伝えることの多くは、そなたの周りにおられる方々もよくご存知なることなれば、そなたも行うに難きことなからん。
早急にことばの乱れ、正してゆけよ。悪しきことば使うなかれよ。言霊一つも大事にされよ。
日本のことのは、かくも美しく、かくも深く尊い神秘に満ちしことのはなり。
「いろは」に込められし、ことばの奥義、いまだその神秘は解き明かされぬ。
神のことばをもちて創らるれば、神のことばが、再びこの世に戻るときまで、その神秘は明かされぬ。
神、人、かつて同じことばを用い、同じ文字を用いて、互いの意志を、心を、通わせし。
今、神のことばを解する者なし。神のことばは言霊のみ。言霊なるは、音にあり。
音の一つ一つに波動あり。さなる波動に力あり。力は、人をもちて、浄むるの力あり。
なれば、浄めの言霊大事にせねば、この世に悪しき力も働かんを。
とくと心せられよ。本日そなたに伝えしこと、帰りてからも、よくよく読まれよ。神の子たるための、心構えと受け止められよ。
そして、そなた一人の霊行になく、神の子としての霊行であり、宇宙の中に存する一つの生命としての霊行なること
忘らるるなよ。
そなた一人の行は既に終わるべきの時なり。
今よりは、神の子として、個を超えし行を積むべきの時なるを、しかと心得、行に励めよ。
本日の行はこれにて終わらん。
明日もまた、神(紙)に向かい、神のことばの理解に努めよ。
さらなる努力、さらなる忍耐、さらなる感謝を。


一九九九年九月二十九日

人、みな同じ魂なり。魂、心、肉体、その全て、神から賜り、神から与えられ、いずれは神にお返しするものなり。
なれば、人は、いずれの借り物も汚してならず、汚してならぬが理(ことわり)なるを、
人の中に、与えられし魂、与えられし肉体、与えられし心を、ことごとく汚し、雲らす者あり。
そを、神は、浄めるために、幾度となく、禊(みそ)ぎを与え、曇り祓(はら)いの機会を授け、その者の気付き、悟りを進めんとされし。
なれど、雲りし心に聞こうるは、ただ人の欲得、利害、好悪の感情、憎悪、愛憎、妬みと羨望、
人が互いにおとしめ合い、蔑(さげす)み合うだけのことばなり。
よりて、人はさらに曇り汚れを深め、禊ぎても禊げぬほどに、己れを人を、汚し曇らせしむるなり。
人類万物、みな神の愛を、光を み恵みを、等しく授かり、等しく神に感謝すべきを、
人の中には、生まれきしこと、生命賜りしことまで、神を恨み、不平を抱き、さらに多くの不足を並べ、
その欲望たるや、限りなく、いつ終わるともなき迷妄、妄執、奈落の底に落ち込み、そこにて蠢(うごめ)き、不平不満をつぶやき続くるなり。
そこは神の光届かず、神の声響かず、神の愛輝かぬ、不浄汚わいの世界なり。世の果てなり。
なれば、そこより 脱するに、人のみの力にてはかなわず、ただ神にすがり、許しを乞い、自らを省み、
神の光に己れの姿、照らし見るほか術(すべ)もなし。
神に求むる気持ち持たば、先ず変わるなり。己れの魂、一つ昇華するなり。
神に祈り、神を拝めば、神は人に光与え、手を差し伸べらるるなり。
なれど、人の心、神を求めず、神を拝まず、神に祈らずば、汚れ取れず、時と共に、ますますの曇りを深むるべし。

人の人たる、その由は、神から授かりしことばなり。
ことば、ことのは、ことはじめ、神は人に一つのことばを授けらる。
人、等しくことば用いて、文明作り、物作り、その生活を楽しむこと あたうようになりし。
なれど、ことばは、人の心を浄めることなく、かえりて人の心を汚させることになりにし。
何故なれば、人は己れの我を持ち始め、己れの我をますますに強め、
己れの得になることのためとあらば、人を押しのけ、人騙し、人を傷つけ、人を非難し、己れの欲望満たすためとあらば、
人を欺(あざむ)き、人おとしいれ、人たぶらかし、人を己れの仇(かたき)のように敵のようにも対するなり。手前勝手に扱うなり。
人が人のために利するように、己れの不便を我慢するを利他愛の初めとする。
なれど、そは高まりて、人の利のために行うことを真の喜びとなしうるまでに高まるものなり。
人の喜びを共に喜び、快く受け止め、心底嬉しく、楽しく感じらるることが、利他愛の理想なり。真の姿なり。
多少の偽り、多少の妬み、露ほどもなく、一点の曇りなき晴れ晴れしい気持ちにて、人を受け入れ、受け止め、導きゆけよ。
人の魂救うは、己れの魂浄める、最も近い近道なり。 己れの魂曇りし者は、なかなかに真の利他愛行えぬ。
上面(うわつら)だけの、表向きのみの、仮面を付けし利他愛は、かえりて己れの魂汚す素なれば、
むしろ己れの自我に正直に、我を張り通しし者の方が、まだしも救わるるというものなり。
出会いと別れ、今生の世界で、生まれてから死ぬまでの間に、幾たび訪れ、幾たび経験するものなるか。
なれど、最も大事な人との出会いは、神の道に導かるる出会いなり。
そなたY氏と出会いしも、奇しくも、ありがたきご縁なり。なれど、そもまた天命、宿命、運命なり。
その出会い通じて神と出会い、神の声聞かされ、神の伝え書かされ、人の役に立たんの気持ち高め、かくして日々み役を行う。
これ即ち天命なり。
天命、宿命変えられず。なれど、運命、人生、生き方次第、心次第の決めごとなれば、変えること、変わること度々なり。
なれど、宿命は変えられず。 天の命(めい)にも、背くこと許されず。
もし背きて従わぬことあらば、その命(いのち)は、天に戻され、魂引き上げられ、
その罪、不実を、あがない、改め、詫びること、かくの長きにわたりて続かん。
人みな、天命を持ちて生まれ、宿命に添いて人生を営み、運命を切り拓いてゆかねばならぬ理(ことわり)なり。
なれど、人みな魂曇り、心の目濁り、心の耳ふたぎたれば、己れの天命、理解せず、
おのが勝手な解釈ばかりにて、いよいよ天命に背き、神を裏切り、神を汚し、神を卑しむるに至れるなり。

世直しの初めは、先ずは、おのが魂の汚れを取ること、それぞれの魂が、神とのご縁をいただけるよう導くこと、
そして、浄まりし魂が、おのが天命に気付き、その天命を成就させるの機会を得さすることなり。
そして、その手伝いの全てが、一つ一つ、人の霊行たらん。なれば、先ずは、人の浄めを 進めゆかれよ。
そして、人が、神とのご縁を頂けるよう、論し、語り、教え、広めよ。
そして、一人一人の天命を、迷える魂に示し、伝え、導くこと。
なれば、人は、神のお役に立たんとしつつ、己れの魂の昇華を図るべし。願うべし。祈るべし。
祈り、意乗り、神への祈りは、真の心持ちて、唱えられよ、吟じられよ。
高き天の隅々にまで、志高く、願い切なれば、必ずや神にも届くべし。
なれば、ひふみよ、ひふみともこよ、み役果たせよ。行積めよ。

天命、宿命、己れの意思で変えられぬ。素直に従い、導かれよ。
天(あめ)の浮き橋、神代の世、人知及ばぬ世界知れ。
越えぬ勇気と留まる忍耐(=天命を 越えぬ勇気と、現世での霊行に留まる忍耐)、
全てこの世に生くるの知恵なり。神の知を知り、神に従え。神に求めば、神は与うる。
人の知識は、限り有り。神の英知は限りなし。なれば、人は神によりて、教え乞うべし。
今日はこれにて伝え、終わらん。

一九九九年九月三十日

神と人、そしてこの世の全ての物、即ちこの世の森羅万象は、神の御心(みこころ)から生まれ、
神の御心(みこころ)に適うように創られ、よって神のご経綸(けいりん)、ご神策に添うようにと、様々なみ役、役割が与えられし。
なれば、全てのものは、神のご経綸に添うべく働き、活動し、全てが一つの統一のとれし一個の壮大な生命体なり。
なれど、その一部のみが極端な進化、発達を遂げしとき、その統一が崩れ、生命体の命は危機を向かえる。
なれば、神は、その統一を保たんがために、極度に発達しすぎた一部を修正していかねばならぬ。
そして、その一部が人類なるは、既にそなたも、そなた以外の宗教家も、科学者も、歴史家も、容易に想像の域にあろう。
なれば、その一部の修正が、今 世にいわれる立て替え、立て直しであり、そをもちて神のご意図は、達成される。
その神策(しんさく)成就を迎えるに当たり、人の一部が切り取られ、永遠の闇に葬られようと、
そは歴史の必然なれば、厳しく、残酷なようなれど、さにあらず。

大局からの視点もちて眺むれば、そは、世界、宇宙の統一にとりては極めて当然であり、
全体の調和を取り戻すためには、なくてはならぬことなり。

世の立て替え立て直し、そをもちて、いよいよ神の世界に生き写しの、極楽浄土、神の国がこの世に実現するなり。
心清く、文明栄え、己れなく、魂美しく、人のために己れを抑え、互いが互いを尊重し、尚(なお)かつそを喜びとする。
かかる魂が、次の世には残されるなり。かかる魂の者のみが、次の世を作り、次の世を担う重き使命を務めるなり。
なれば、かかる魂を一人でも多く見付け、気付かせ、悟らせ、神とのご縁をお付けし、
神のお役に立てるような魂と成長し、昇華するを助けるが、今特に重要なり。
神は怒らず。ただ、一人一人全ての魂が、かかる魂に戻りうる可能性を秘めたることをご存知であり、それを望んでおられる。
なれば、我等、人類、霊体、その他諸々の神々は、今、何をおいても、神の御心に適う、
次の世を担う魂を見いだし、神とのご縁を結ばせ、神の御心に適う魂にまで、精進努力させ、
次なる世を共に作らんと、一致団結して、その み役に邁進(まいしん)するを要するなり。
なれば、そなたがこの書記を書かされ、我等の祈り、神々の願いを、人に伝えることは、そなたの想い以上に重きことなるよ。
日々辛いこともあるらんが、今の時を失(しっ)し、ことが遅るれば、神の御心にお応えすることも難(かた)くなるなれば、
切にそなたの精進と忍耐努力を希望するなり。
神の御心はかくも尊く、かくも高く、かくも広き慈愛に満ちしものなれば、我等、なんぞ努力を惜しめようか。
そなたも、日々の行によりて、辛きこともあるらんが、日増しに浄められ、魂を高めさせていただき、
神の御心にお応えできる、尊い魂にして頂けるなれば、不満漏らさず、精進努力してくれよ。

神は、素直な、優しい、可愛い魂が好きなるよ。
心 可愛く、魂清く、神を慕い、神を信じ、神に捧げる奉仕の道を、自ら選び、自ら歩み、神に近づく努力惜しまず、
日々神と共にあること、感謝し続けること、そが、神の愛でられる最善の生き方、最高の魂なるらん。
行といえども、辛きものと思われるなよ。
低き魂、行をいやがる。高き魂、行を楽しむ。
なれば、行を楽しみ、心からの喜びもちて、行を行じ、行に励めよ。
神と人、万事万物、森羅万象(しんらばんしょう)、それら全て、統一体なるを、よく心に留(と)め置きて、
おのが役割怠るなく、全体のために奉仕すること、その意味悟りて、行をとらえよ。
行は一人のためになく、全体に反映されるものなれば、おのが勝手なわがまま、怠惰(たいだ)、 行の放棄は許されぬなり。
さにて、本日は終わらん。明日にも行を。


一九九九年十月一日

神と人、そは昔ながらに、仲良く、また睦(むつ)まじく、
互いが互いを求め、尊重しあい、よく協力してこの世を創り、守り、神の国さながらの世界を現出(げんしゅつ)せしものなり。
なれど、時とともに、神と人とは別のものとして、いつか人は神から離れ、
人類として、神の世界から、人間の世界を、自分たちの勝手な世界を作り始めし。
そして、そこから神を追い出し、人間の欲望のままなる おぞましき世界と変えてしまいし。
神は天に帰りて、そを見し。そして嘆かれ、怒られ、ついにはこの世を立て替え立て直すの決意を固められし。
さても畏(かしこ)き神の御心(みこころ)は、救う魂と、救わず滅ぼす魂とに立て分けることを決意なされし。
そして、この数年、数十年の間に、魂の立て分けが進められ、
奈落(ならく)の底に落とさるる魂は、既に落とさるることを決められしものあり。
救う魂は、既に救わんと決められしもあるなり。
なれば、人は既に立て分けられておるなれども、死を迎うるの前に、何らかの改心、下座の心を甦らすれば、
それによりて 神はまだ、救いの手を差し伸べられんとされておられる。
神は人に、人として、また、神の子として、この世で果たすべき幾つかの行を与えられし。
そは、既にそなたもよく知ってもいようが、心行、体行、霊行なり。
なれど、その中でも一に大切なるは霊行なり。

霊行のうち、最も尊き行いは、人を一人でも多く、神の道に目覚めさせ、神とのご縁を結ぶ、その手伝いをして差し上 げることなり。
他に神のお役に立つためには、
神の心を人に知らしめ、神の光を人にさしかけ、神の声を人に聞かする、などの行あり。
そして、神のお役に立つためには、日々の努力精進、忍耐、感謝、いずれも怠らず、神に捧げるの気持ちを要する。
神人一体の心を忘れず、ともすれば おのが一人で耐えて行うの気持ちにならんが、
そは戒め、常に導き 導かれ、共に行じるの心忘ることのなきよう、胸に置かれよ。

本日、そなたが出会う人々のうち、もし機会あらば、そを機に、神とのご縁を結べるような工夫をされてみられよ。
神のことば出さずとも、神への感謝をことばに表し、人にもそのことを伝えることよからん。
難しきことなれど、神の心それを求むるとならば、神のことば人に知らせよ。
み役は尊く、また、絶対なり。逃れることなく、果たされぬことなし。
そなたのみ役を心に強め、必ずや そのみ役を果たされることを、祈るなり。
神は人に、多くの希望を持っておられる。
人が楽しく日々を暮らすこと、人が互いに助け合い、協力し合って互いの魂を磨き、高め、浄め合うこと、
そして、人が心の底から神を求め、神に感謝し、神との交流を復活させうるようになることを、
神は、この何千年、何万年も待ってこられし。
人に与えしことばをもちて、神とことば交わし、神の心を直接に伝え、
また、人からも神への願い、祈りを神に捧げ、神に感謝の気持ちを捧げくること。
神は人を愛するなれば、人が悪を働こうとも、そが神を悲しますることあれども神は、そをもちて人を罰することなし。

人が気付き、悟り、自らを諌め、神に詫びさえするならば、
神はすぐにもその魂を許され、救う魂と引き上げくださるなり。
人は恐れることなく、神に向き合い、神に対せよ。
神はおのが目には見えずとも、おのおののそばで、そなたたちを見守り、導いておられるなり。
なれば、人も神を忘れず、神を感じ神に祈り、常に神から心離さず、神に近づくの努力大事なり。
一つ一つ、一つは た易きことなれど、全てをなすは難きことなり。
それぞれの行に邁進(まいしん)し他は気にせず、神とのつながりのみにて生きる、そが霊行なり。霊行を行う際の心構えなり。
神の御心、人の心、通じ合うとき、人は神のみ役を賜り、新たな生を、人により異なりし生を生き始むるなり。
神の み役を賜りなば、そをもちて、何より そのみ役を大事に行じ他の行は、たとえ打ち捨てても、行を行じるべきなり。
何故といえば、そのみ役を賜りし時をもちて、
他の行、即ち心行、体行は、行うの必要なきことを、神がお認めになられしことを表すなればなり。
なれど、全てを一度に終わらすのではなく、
行の比重を変えて、おのが生業と両立させつつ、行を行い、中でも霊行は優先されて行われるべきなり。

神は人に霊行なる、最高の行を行わせ、そをもちて、人の魂をさらに浄めんと意図されておられる。
人間心で、み役を投げ出し、霊行を軽んじ、怠るは、最も重き神への裏切りなり。
神への冒涜(ぼうとく)にも値する罪深きことなり。
なれど、そをもちて人を脅かし、無理にも行を強いることは、
神のご意図に反するなれば、神は、その者のみ役を解かれ、別なるみ役を与うることあり。

別なる者に、そのみ役与え、その者の魂、天に引き上ぐることあり。
神のご意図次第なれば、神に全てをお任せし、
人はおのが霊行を、霊行として、信じるならば、一途(いちず)に行い、神に示しゆくこと肝心なり。
迷い生じしときは、神に祈れよ。神を拝めよ。そして、神に感謝の気持ちを捧げよ。
迷いは散じ、元の高き魂に戻るなり。
神を忘れ、神を失い、神から離れし人間さえも、一度心に神を取り戻し、神を知らなば、
死ぬときの日まで、たとえ忘れしように見えようとも、神はその者の心に、共にあらせられる。
そして、その者が神に呼びかけることを待っておられる。
なれば、一度でもよい。人と神とのご縁を結べ。 その手伝いを、命を懸けて行うよう。
そは、命懸けるべきことなり。
その気持ちで、神の命を実行すべし。
命(いのち)は命(いのち)、命(いのち)は命(めい)、神の命(めい)は、人の命(いのち)。
人に与えし命(いのち)は即ち神の御心、神の命(めい)なり。
深き意味を、よくよく考え、明日も霊行行われよ。忸怩(じくじ)たることなきよう。
明るく大きく、高らかに。


一九九九年十月二日

そなたに伝えんことあれば、今日はそなた一人に伝えることなれど、人に見せるは可なり。
しかと聞き、しかと銘じ、しかと行に移されよ。
先ず一つは、そなたの霊行なり。そなたの日々の行に取り組む姿は、神もお喜びであり、また、大変嬉しく、心強くも
思われているご様子、と承(うけたまわ)りし。
されば、ひふみよ、ひふみともこよ、これからの行、ますますに励み行じられよ。
次に、神からのおことばを、今日はまた別の神から賜りし。
そは、そなたをかつて 前世において導かれておられた神からなり。
その神様からのおことばを、そなたに伝えん。
その内容は、そなたの行われし霊行について、
そなたが日々、励み行じておることを、喜ばれると同時に、ご心配もされておられるとのことなり。
そなたが無理をして行に励むあまり、そなたの他の行がおざなりになることなきように、とのことなり。
なれど、霊行は絶対のことなれば、少し行を軽くしてほしいとのお伝えなり。
なれば、我々も、そなたへの伝えを、多少は減らさんかなとも考えておる。
なれど、日々の行が大事なり。
そなたの霊性を高め、魂を磨き、高めて、さらに高度の通信をせんためには、
まだ そなたの現在の霊力にては、心許(こころもと)なければ、今の段階で、さらなる行が必要なり。
なれば、今 多少の負担、多少の無理を押してでも、そなたの霊力を高めんとの意図有り。
なれど、そなたの負担が、あまりにきつく、苦しきことなれば、多少は控えんことも許されよう。

そなたの心次第なるが、いかがなるか。そなたの気持ちはいかがか、答えてみられよ。

(一時間ぐらいで終わりたいこと、心行の完成までは、短めにしていただきたく、また、朝でない時間でもよろしいで
しょうか。 朝を心行の時間に当てて、夕方などでもよろしいでしょうか)

ひふみよ、そなたの考えも もっともなるが、やはり霊行は朝に、先ず第一にすべきことなれば、
たとえ短き時間にせよ、朝に行じるが一番の霊行たるらん。
時間に関しては、そなたの申すとおり、朝一時間程の長さにするもよからん。
なれど、そなたの心行成就の折りには、さらに長き行を課すつもりなれば、心せられよ。
さても本日、そなたに伝えしこと、そなたのみに関することなり。
なれば、人に見すべきものになけれど、もし見たき人、見せたき人あらば、見するも可なり。
では、本日も、新たに一つ伝えんかな。

真の霊行、真の心行、真の体行なるものについて。
先ず、霊行とは、神に最も近き行いなり。
神を信じ、神に祈り、神に感謝し、神と共にあることを喜び、神のお役に立たんと願うとき、
人のために行う利他愛の行いが、己れの内面から自然に湧(わ)き出すが如(ごと)きの喜びとなりて、自ずと行じられるなり。
なれば、霊行とは、人のために、自然な喜びを伴って行われる行なり。辛きにあらず。苦しきにあらず。
もし辛く苦しくあるなれば、そは偽りの霊行なり。返りて、罪の行となるべし。注意せられること。
次に、心行について。

こは、人の現界における、現界の行なり。
体行との差異は、そは、人の体を鍛え、そをもちて、精神をも養い、心をも高め、
人間としての礼節、人間としての倫理、人間としての道徳なるを培うことに、直につながる行なり。
なれど、心行は、人の知性、頭脳、能力、芸能芸術に関する才能を高めるための行なり。
なれど、やはり、行うに当たりては、人間として守るべき約束多し。
そは、一つには、他人と比べて、他人をおとしめたり、蔑(さげす)んだり、他よりも己れが優れしことを誇り、
かさに着て、他を圧することを厳に戒むることが大事なり。
なれば、人は、心行、体行をもちて、充分に人としての行を積むなり。それは、霊行の下地を準備する行なり。
そして、心行体行にて、充分に人として、心も体も知能も養われしの後、真の霊行が訪れるなり。
充分に養われ、培われし、心と体、知性、能力の全てをもちて、 霊行に励む。
なればこそ、神のお役に立てることが可能になるべし。神のみ役に耐えうるべし。
鍛え、試され、人としての礼節を失わず、尚かつ、人への優しさを失わぬ、
真の強さと、厳しさを備え、努力を惜しまぬ、たゆまぬ心、日々の行に不平を漏らさぬ耐える強さ、
そのような、鍛え、試され、それを越えし者のみが、真の霊行を行うに値する魂なり。
なれど、さなくとも、霊行は行うべき行なり。
み役の違い、神のご意図の違いにより、低き魂の者は、低き霊行、高き魂の者は、高き霊行を許さる。
なれば、霊行といえども、人により、魂の高さにより、異なることは、わきまえられよ。
なれど、いずれも、神に直接にお役に立つための行なることには違いなし。
怠らず、真面目の心で行うことなり。

本日、そなたに伝えしこと、一つは、そなた自身に向けての伝え、一つは、人に読んで頂くための伝えなり。
次にそなたに伝えることは、そなたにも、他の方々にも関することなれば、
よくよく聞かれよ。よくよく読まれよ。
では伝えん。
神、その国を創られし初め、人は皆、美しく、清らかで、心正しき者ばかりなりし。
なれど、おのが欲望の奴隷となりて、神を追い出し、自分たちだけのことばをもちて
おのが欲望を満たさんためだけの行いを重ね、ついには、神の怒りに触れることとなりし。
なれど、神は、最後の立て替えをなされる前に、人に機会を与えることを許されし。
最後の判定の前に、自らの非を認め、神に詫(わ)び、神に許しを乞い、
神のお役に立たんの気持ちを取り戻しし者は、救う魂と許されようと。
なれば、今、最後の審判を迎える人たちに、一人でも多く、
神とのご縁を結ばせることが、神の御心に適う、大事な霊行なり。
まだこの世に生きて、神とのご縁なき方々に、臆せず伝えること。
臆せず、辞さず、ためらわず、神の名を口にし、神のご存在を知らしめ、神の御心を感じさするが大事なり。
残されし時は、いよいよ短し。救われる魂を一人でも多く増やし、次なる世を作り直すための魂を増やされよ。
時は短し。そをよくよく胸に刻み、己れのすべきことを忘れず行われよ。神に喜ばれる行を積まれよ。
本日そなたには、神からも伝えられしように、励ましのおことばと、喜びのお気持ちを伝えし。
これからの更なる努力、精進、昇華、一層の奉仕を望んでおられる。
気持ちも新たに、気持ちを引き締め、喜びと感謝の、高き、尊き志をもちて、
行に励まれること、一に大事なことなり。それのみを、切に望み、祈りおるなり。

行を。行を。尊き行を行じられよ。それのみを願うばかりなり。
これにて終わる。明日の行まで。励まれよ。


一九九九年十月三日

人と神、神と人、共に行じ、共に高め合う。
そのために互いが協力し、どちらも共に、互いに感謝し、互いに尽くし 仕え合う。
それが、真の姿なり。あるべき在り方なり。
どちらか一方が他方に、一方的に仕え、尽くし、捧げ尽くすは誤りなり。
なれど、一部の 信仰心 篤(あつ)き者のうちには、信仰心を過ち、取り違えて、
神への奉納さえすれば、それにて許され、救われる、この世での幸が手に入る、と考える者も、少なくなし。
なれど、そは過ちなり。
なぜなら、そこには、神に、神のお役に立ちたいの心なし。
物、金、物質を神に納むれば、神は喜ばんかな、神は己れを愛でてくれんかな、の気持ちのみにて、
自らが労苦を惜しまず、神におのが魂を、心を、肉体をもちて、神のお役に立ちたいの気持ち、露ほどもなし。
なれば、神は、その者の魂を磨き浄め、高めることもならず、
返りて、その者の魂は、低まり、濁り、汚れゆくなり。

神への感謝は、物金にては表せぬ。
神へのご奉仕とは、金銭、物質のご奉納にては代えられぬ。
神に捧げる誠の心は、ただ、行動、行い、ことばと祈り、人への利他愛、己れの悟り、
己れの気付きと己れの下座、それらによりてのみ、神は人の真の向上、真の魂の昇華を認められるなり。
そして、そのときのみ、神はその者の魂を救い、高き位に導き、新たな行を、み役を、授けられ、
さらなる魂の昇華へと、お導きくださるのだ。
なれば、神は共に、人の昇華、精進努力と共に あらせられ、
導く魂と共に、ご自分の昇華、お悟りを進められ、ご努力を重ねておられるなり。
神は、人に、多くの導き、多くの守護、多くの光と多くの繁栄、数え切れぬほどの富と幸、
その他、人に、測り知れぬ程のみ恵みを お与え下さっておられる。
なれど、人の気付く神のご恩は、極(ご)く極(ご)く一部、ほんの微々たるものに過ぎぬ。
なれば、神に感謝しても、感謝しきれることではなし。
よって、人のすべきは、神への感謝を、行いにもことばにも、充分に表し、
そをもちて 神への霊行、神へのご奉納となすべきなり。
口先だけ、小手先だけの行い、ことばは、神はお認め下さらぬ。
返りて不実の表れと、逆にお嘆きなさるも度々(たびたび)なり。
そが度重なれば、神は、ついにはその者を、諌(いさ)め、悟らせんと、
いくつかの困難、苦難を与え、己れの信仰の過ちを気付かせんとなさる。
その時、その者、神を恨まば、その信仰は誤りなるを、その者、おのが信仰の誤りに気付かぬなり。
その者の誤りを、その者に気付かせんためには、真の信仰に導かんためには、

神の真のご意図、神の真のご意思を、その者に知らしめ、神のご存在と、霊行の何たるかを知らしめ、
その者が真の悟り、真の気付きを得るまでに、教え諭(さと)し、導く者が必要なり。
なれば、そは宗教が担うべきなるを、
今その役を担い、正しき神のご意図、ご意思を、過(あやま)たず、曲げることなく伝えるものは、極めて少なし。
初めの教えに間違いなけれど、時と共に、元の教え、元の信仰、元の伝え、ことごとく、
人の考え、解釈、誤解に曲げられ、元のままに伝わる神のことば、殆(ほとん)どなし。
たとえ、そのことば、元の通りに伝えられしも、そを説く者に、信仰の誤りあり。
或(ある)いは、そのことばを聞く者に、何らかの邪念ありて、おのが勝手な信仰におとしめ、おのが利になることのみを願いて、
そを信仰と勘違いし、過ちを繰り返し、さらに罪を重ねゆくなり。
なれば、人が信仰するは、ときに大きな危険をはらむなり。
正しき信仰、正しき信心、正しき神へのご奉納、いずれも、曇りなき魂にて行われるべきを、
雲り、汚れし魂にて、中途半端な祈りにて、不十分なる行いにて、神に仕えん、神に捧げんと願う者あらば、
そは、よくよく戒め、諌め、おのが過ちを 早くに気付き、早くに気付かす必要あり。

本日伝えし我等のことば、早く人に伝えられ、人に読まれること、つとに願うなり。
今 世に行われし、宗教、教団、信仰者、宗教家の殆(ほとん)どは、誤った教えを広めるものなり。
一番の誤りは、人の行を教えぬことなり。
霊行のあり方、霊行の行い方、神への感謝、神への奉納、いずれも、神、人一体の表れなるを、多くの宗教、教団が教えるは、
人が神に、一方的に仕え、神に捧げ、それによりて、己れのみの救いを願う、自己中心の考えなり。

なれど、神への真の信仰は、
他をも己れをも利し、己れが救われるためには、他をも救うが大事なることを知り、
そうすることで、おのが魂の昇華が進み、神と共に、新たなみ役を賜りて、神のお役に立っていくこと。
そして、そを 心からの喜びとし、
ついにはおのが魂、心が、我をなくし、 神の御心に最も近く、近づきゆくこと。
さなることを切に願い、行じゆくこと。
それら全てが、真の信仰なるらん。
なれば、真の信仰は、神を求め、神を願い、己れが神に、神の御心に、最も近くなりゆくまで、
精進努力を重ねることによりて、心が形に、具現していくの理(ことわり)なり。
日々の努力、日々の霊行、日々の心行、日々の体行、欠かさず、怠けず、続けゆくこと。
辛きことあらば、神を想え。神を求めよ。神に祈れよ。
神人一体の、ありがたき真実を、ありがたきお仕組みを、心に忘れず、
神に捧げ、神に感謝し、神に仕えんの気持ち高めよ。
よくよく励め。よくよく努め。よくよく祈れ。そして、よくよく働け、神のみ役を。
ありがたきことなるよ。神に役立つみ役なり。神に望まれし魂なり。
神の求める高き魂。神の喜ぶ 清き魂。
神はその者の魂を使われる。
ご自分のご意思、ご自分のご意図、ご自分のことばを、
人に伝える役を担う、神の御心に適う魂の者を求め、ことばを、光を、栄光を、人にもたらす役を担わせくださるなり。
なれば、行は大事なことなり。
神の御心を理解し、神の御心を素直に受け入れ、曲げることなく、そのままを吸収しゆく。

さなる魂を、育み、育てる営みなり。
怠るなよ。さらに高まり、さらに浄まり、さらに求められる魂となれよ。
辛くとも、一時のこと。永き時の中の、ほんのひとときなり。
耐えて励み、耐えて努めば、必ずや、神のみ光を、さらなるみ光を、賜るお仕組みなるよ。
努め、励み、仕えよ。それのみなり。
何も要らぬ。何も求めぬ。ただ、それのみなり。
賜りしみ役のみを行え。それのみに努め、励み、行え。
今日、そなたを導かれし方は、そなたを いずれ導かれるみ役の方なれば、
今から、そなたに伝えんと、本日お伝えに来られしなり。
時に、伝えは変わり、伝える方も、変わられようが、
そも一つの修行なれば、よく交信し、よく書き留められよ。
これにて本日の行は終わらん。明日に。


一九九九年十月四日

神と人、神と人は、その昔、地球に生命をもたらされしとき、最も初めの出会いを出会い、
そして、この一九九九年という、人類が年月を数え始めて、ようやく二○○○年を迎えんとする、
そのはるか昔より、共に、この地上万物、地上生命、ありとあるもの、生命、自然、森羅万象の

ありとある現象において、共に歩み、共に苦楽を分け合い、地上世界の完成を目指して、
ただ神に導かれ、神に従いて、この幾千年、幾万年の時を、悠久の時の流れを、共に過ぎ越してまいりしものなり。
なれば、今、いよいよの完成を間近に控え、神は最後の仕上げのために、多くの苦難、多くの困難、幾多の悲しみ、苦しみ、
そして、最後に喜びを共に迎える魂を残さんがための、一大試練を人類に与えられんとされておられる。
そが、今年(こんねん)であり、来たる年であり、次に訪れる、新しき世紀の初めなり。

なれば、人は、この困難、試練を忍び耐え、人としての最善の努力を尽くし、
神の御心に 適うまでに、魂を磨き 鍛えねばならぬが理(ことわり)なり。
さなくば、神は、人類の多くを消し去りて、再びの初めから、
別なる生命を、新たなる創造物を、この世に送り、次なる世を、元の初めより、始めさせねばならぬなり。
なれば、人は、一途にその生命を懸けて、神の御心に、神のご意図に応え、
人としての清き魂を、高き魂を、神にお見せし、神の御心を安らげ、神の御心をさらに喜ばせるよう、
一途なる努力を惜しむことなく、ひたすら神に捧げ、祈るべし。拝むべし。奉(たてまつ)るべし。
人は、恐れることを要さず。おのが魂が清きものならば、何一つ恐るることなし。
偏(ひとえ)に神に帰依(きえ)し、神に委ね、全てを任せるべし。
神は、その魂を、必ずや救われ次なる世の立て直しに適う、高き能力、清き魂、強き肉体を授けられよう。
今、病に苦しむ者も、今、貧困に悩む者も、
次なる世には、甦りて、かかるこの世の労苦を忘れ、喜びと栄光に満ちた、光の世界を享受せんかな。
輝く神の光を受けて、輝ける魂、輝ける身体、栄(は)えある永劫(えいごう)の喜びを与えられよう。
さなくば、何故(なにゆえ)、神は人を苦しめよう。人を悲しませよう。

苦しめ、悲しめるが神のご真意にあらず。ただ、残す魂と残さぬ魂を分かつための、神の裁き、神のご審判なり。
耐え難きを堪え忍び、苦難を乗り越え、困難に打ち勝つ、強き心と、固き意思、
そして、おのが苦難の時にも、他を想い、他のために、おのが光を分け与える、心優しく 正しき神の子。
真の霊行、心行体行、怠ることなく積み重ね、神のお役に立たんと勇む、
健気(けなげ)で律儀(りちぎ)な、誠の厚き、神の御心、喜ばせ、神の御心奉る、謙虚で素直な、真の神の子。
さなる魂をこの世に残し、次なる世をば、立て直さん。そが、神のご真意なり。
なれど、神は、救われぬ魂をも 救い、消し去られる魂をも残さんと、日々願い、祈っておられる。
なれば、人は、己れの救いのみを急ぎ、己れの魂のみの昇華を 求むるのではなく、
神を、多少なりとも悲しませぬよう、辛き思いを抱かせぬよう、
同じほどに一途に 他を、救われぬ魂の者をも、救い、導き、神の御心に適う魂に高める、
その手伝いを願うべきなり。
そが、最も尊く、神の御心を喜ばせる行いなり。
なれば、人より優れ、人より秀でし、恵まれし者は、そを神に感謝申し上げるとともに、
そのご恩を感謝に替えるだけでなく、神のお役に立つの気持ちを、さらに高めゆくべき者なり。
なれば、人から神に、返しきれぬ程に授かりしみ恵み、賜りしご恩を、
今、この時、ようやくに、お返しできる、ありがたき時のお仕組みなるを、心より謙虚に受け止め、
感謝報恩、真の霊行を、神に捧げ、神人一体なる気持ちを、さらに高め、さらに強く、
神への思いを捧げるべし。讃えるべし。祈るべし。念じるべし。
神と人。神は、人を慈しみ、人は、神を讃え 崇(あが)める。
人は神に下座し、神は人を救い、高める。
人が神に捧げる誠は、神の御心を満たし、癒して、人の幸へと返されよう。

なれば、人よ、一人一人の努力を重ね、神の御心をさらに喜ばせ、
そが、人への光となりて、さらに強き光となりて、我が人類、我等が魂の全てを照らし、浄め祓(はら)うことを祈らん。
なれば、今日、そなたも、そなたの教えし学生も、神の光を浴びる者なりて、神は、光を与えられしよ。
目には見えねど、神の光は、清き魂、等しく照らす。
音に聞けねど、神のことばは、澄みし心の耳に届かん。
書きて残さば、神のことばは、いつか人の目にも読まれん。
読まれしことばは、光となりて、いつか人の心も浄めん。
浄め、高めて、魂を、神のお役に立ててゆかれん。
神に捧げし魂は、この世の命を絶たれし後も、神栄光の 光 賜る。
神に仕えし魂は、この世を離れ、帰りても、神の恵みを 授けらる。
神に使われ、神に生かさる。
神に生かされ、神に捧ぐる。
全て尊き 神のお仕組み。全て嬉しき、真の行。
神を求め、神に祈れよ。神に救われ、神に捧げよ。
神の賜る霊行を、明日も行じて、魂磨け。
さにて終わらん。


一九九九年十月五日

神と人、そは昔より、
共に仲良く、共に助け合いて、共にこの世を作り、高め、そして今のような高度の文明を栄えさせし。
なれど、幾万年も前のこと、神は、この世から神の国に戻られし。
人の行い、人の振る舞い、人のことば、全てにおいて、神を敬う気持ち薄れ、
おのおの勝手な欲望にて、神を疎(うと)み、神を嫌い、神の み恵みを汚し、
さにてことば汚し、乱し、ことばの言霊大いに損ないしなり。
なれば、神は人に、ことば失わせ、神のことばを取り上げ、
そして、人には人の、人同士にしか分からぬことばを与え、神のことば使うを 禁じられし。
なれば、人はそのときより、ことば失い、言霊失い、ことのは、波動、神の光を失うこととなりゆきぬ。
なれば、今の世にて使われることば 全て、波動なし。言霊なし。光なし。
ことばにこもる霊力なく、
ことばによりて行われる、数々の神事、幾多の癒し、測り知れぬ程のみ恵み、全て、今、ことごとく衰え果てぬる。
なれど、そにても、未だ霊力残すことばあり。
日本の古語にて作らるる、和歌、史記、神事、経の文(もん)、その他、幾つかに、
神のことばと、神の力を秘めしことばあり。
なれば、それら古文書、紐(ひも)ときて、神のことばを見つけ、今のこの世に甦らせよ。
神に賜りしままに、打ち捨てられし、ことのは一つ一つ、一字一字の奥に眠る、神の言霊、甦らせよ。
神の作られし「いろは」と「ひふみ」。その音の奥には、人には解けぬ神秘あり。

神のご意図あり。人の知にては読み解けぬ、深くて重い、真の意味あり。
今、多くの人が、「いろは」「ひふみ」を解き明かさんと、多くの研究するなれど、
最後の意味は、神のみぞ知らるる。なれば、人は、神のことばを、取り戻し、その真の意味を理解せよ。
神のことば、そを知るは難(かた)し。
そを取り戻すは、時の流れを遡(さかのぼ)り、時の流れに沿いて、昔に帰り、
元ありし日の、無垢(むく)な魂を甦らせ、神の御心を取り戻すが必要なり。
なれど、今の世に、そを行える高き魂、清き魂、極めて稀なり。
ことのは、魂、心と体、先ずは浄めよ。浄め、禊(みそ)げよ。
その後、神は授けらる。神のことばと言霊を。
厳しき行は、体に毒。
苦しき行は、心に汚れ。
きつく辛き行ばかりを積み重ぬれば、ついには、己れの魂までをも損(そこ)なうなり。
元の初めに帰りぬるとは、全てから解き放たれ、自由で、楽しき、歓喜の魂となりぬることなり。
いささかも悩むことなく、僅(わず)かなりとも迷うことなく、
全てが自然で、神と共にあり、神と共にあるを感じ、そを喜び、感謝し、感動歓喜に包まるることなり。
神の光に照らされ、包まれ、全てが一切、神の御心、神のご意志のままに動き、
己れなく、我(が)なく、欲なく、自己愛なし。
人と己れが共に生き、神と人とが、共にある。
共にあるを感じ、共に歩むを信じ、共に生き、共に喜び、共に悲しむ。
神に委ね、神に任せ、神の御心による全ての決断を、甘んじて受ける。

さにて、人は、ようやくに、神の御心を知り得、神のご意図を理解し、神のことばを分け与えられるなり。
神のことばは、単純なり。
単純なれど、奥は深し。意味は深し。奥の奥に真意あり。
そを分からずば、人は、神の真意を分からぬなり。分からぬままに、勝手な解釈、曲解、誤解。
ついには人のはかなき、つたなき知恵振り絞り、人の理解を押しつけて、神のことばと伝える者あり。神の教えと広めるあり。
なれど、神は、それを許さる。
なぜなら、そが、人に、必要あれば、なり。間違いあれども、そを求める人あれば、なり。
神は、人に、神のことばを戻されよう。人が、皆、改まり、浄まりし魂を取り戻ししとき。神は、人に、言霊授けられよう。
神の霊力、神の偉大な力を秘めし、人の力を超えし 霊力。
浄め 祓(はら)いの力をもちて、癒し、栄えの恵みを与うる。
なれば、人、一人一人、み役は違えど、同じなり。
神のことばを取り戻す、神の力を取り戻す、清き魂、高き魂。
神に仕える魂は、神の光を強く賜り、ますますの昇華を許されゆくなり。
励めよ。霊行。努めよ。霊行。
神のみ力信じるならば、神のことばも受け入れよ。
神、人共に、次なる世には、共に生きなん。共に歩まん。
なれば、神のことば、人にも与え、人の理解、使用が許されるよう、今の時より、ことば 浄め、魂浄めよ。
辛き霊行 耐えられよ。

辛きこと、今だけなり。仮の辛さなれば、時と共に、魂浄まり、さにて、楽しき霊行に変わりゆくなり。
なれば、一日、一日を、大切に。おろそかにせず、励み行じよ。
さにて、終わらん。