一九九九年九月七日
来(きた)るべき日、そなたたちは神に仕え、神の声に従い、神に使われる魂の者たちなり。
この書記を読み、神を信じ、神を求める者たちは、皆等しく神の子なり。
神の御心に求め、神の御心に適わんと求める心を持てば、
即ち神は神の子としてその者たちを迎え、受け入れ、神の御用を お命じくださる。
それ故、神の子は、この書記を読み、神の声を聞き、 神のことばを知る者は、
ただちに心を浄め、体を浄め、魂を浄めて、神の授けられるみ役を待て。
人の心に眠りし神を、今こそ人は目覚めさせん。人は、人の心に 眠らせし神を今こそ目覚めさせんとするであろう。
人よ、神の子よ、神の声に耳傾け、神のことばを 聞きし者よ、神は喜び、そなたを使うぞ。
信じよ。神のお仕組み、神のみ力、神のお導きを。
そして働き、語り、神の声に従い、神のことばを人に広めよ。
よいな、二度は申さぬぞ、これからは。
二度申す間に、一つ行え。
二度告げる前に、一つ信じよ。
一つ一つが 神の望まれし霊行たることを想うならば、迷うことなく 神の子たれ。
神の子として働き、起こせ、神のお仕組みを。
人は 人の中に長く眠らせしし神を、今目覚めさせよ。
人は 人の中に汚されしし魂を今 浄め、光を取り戻し、神に向かえ。
人の人たりし時の、神のみ光を今再び 魂に照らし、再び神の子として、
神のために、そして、人のためにこの世を立て替え、立て直せよ。
人は、人の中に眠らせし神に詫び、神を敬い、慕い、神に従ってゆけ。
神は、これから起こす事ごとを、人にも告げ、神の子となりし魂にも聞かさん。
人は、人たるための心を取り戻し、神の元に自らを問い自らのみ役を知らんとせよ。
神は、求める者には惜しみなく与えられん。
しかし、求めぬ者には、神から与える何物もなし。
神は人のために かように多くのもの、ことをお与えなさってきた。
今、その一つ一つを、汚しし一つ一つを、甦らせ、汚れを祓い、曇りを消し、新たに光を取り戻さねばならぬ時が来たり。
さあ、目覚めし者、そなた一人一人が 神のお役に立つ お役をになえ。
神の命ぜしことを一つ一つ行じてゆけ。
神の望まれし一つ一つを 目の前に手をもちて 心を使い、魂を用いて現わせよ。
幸多き 人の心を取り戻し、人の心をさらに高め、栄(は)えある神の心に近づけゆけよ。
人は忘れぬものなり。一度聞きし神の声は、その魂を照らし続ける。
故に、人よ、この声を、ことばを、書記を、目にせし者は、二度と神から離れることはなし。
一人一人を呼び起こせ。
一人一人を 目覚めさせよ。
一人一人に語り伝えよ。
一人一人、心の神を、心の中に眠らされし神を、今目覚めさせん。
筆を執りて書を書き、声をもちて語り、文字をもちて伝え、手にて光を照らし、心にて魂の高まりを念じ行ぜよ。
さあ、迷うなよ、遅れるなよ。
神は急いでおられる。
人が、神の子が、己れのみ役を、授かりしみ役を、一人一人が行じてゆくことを、待っておられる。
そなたに申す、そなたに告げよう、これは一人、そなたへのお伝えなり。
よいか、ひふみともこよ、そなたは既に気付きしとおり、既に幾度も伝えられしとおり、そなたは神の子なり。
人として生まれ、人として生き、人として今を迎えしが、神の子なり。忘るなよ。
今 そなたのなすべきことを、怠るなよ。そなたは神の声を聞きて、書き、人に伝える み役なり。
心を浄め、魂を浄め高めて、神のみ役に心を高め、神の御心に適う魂をもちて、神の声を聞け。
その日は遠いことではないぞ。よいな、耳を傾け、ふたぐでないぞ。
信じて疑わぬ心を望むぞ。
従い、働き、 神に仕えよ。
一人 そなたのためでなく、神のためなり。神の子として神に仕え、神の子として神に従い、神の声を人に多く広めゆけよ。
ひふみともこよ、疑うな。このことばを そなたに告げん。そなたが魂をさらに高め、
神との直接の交信を行う日を、その日の来んことを、我々は心から待ち望む。
よいな、ひふみともこよ、忘るることなきよう、怠ることなきよう、全てを胸に、しかと納め、行に励め。
よいな、このこと今 そなたにしかと申し伝えしぞ。
さても畏(かしこ)き 神のみ言葉を、ありがたくも聞くことのできる魂は そなたなり。
よいな、信じ行ぜよ。
よいな、迷わず行ぜよ。
よいな、一つ一つを、伝えしことの一つ一つを、漏らさず書きとめ、人に伝え、広めよ。
時は 僅(わず)かなり。残されし時は 僅かなり。
人の再起を、再生を、神の許されし、残されし、時は僅(わず)かなり。
さあ、今日のお伝えは終わる。
いま一度申すぞ。ひふみよ、ひふみともこよ。
神のために、神の子として、神の声を、伝え広めよ。そなたのみ役、そなたに授けられしみ役を、必ずや行ぜよ。
よいな、二度も三度も申さぬぞ。明日は申さぬぞ。
今日、この日、この時、そなたに伝えしことを二度は繰り返さぬ故、しかと刻めよ、そなたの胸に、肚(はら)に、魂に。
心の奥で眠らされし神は、既に、そなたに呼びかけ始めておられる。
神の声は、そなたに語りかけておられる。
その声を、ことばを、ないがしろにしてはならぬ。
我々は、伝えしぞ。 忘るな、迷うな、疑うな。
ただ一途に信じ、行ぜよ。
さあ、明日も伝えることがある故、明日もこのノートを開き、ペンを持てよ。
今日のお伝えは終わる。ペンを置き、今日の残されし行を積め。
一九九九年九月八日
これから伝えることの意味を、よくよく理解し、人にも伝え、そして神に祈れよ。
これから伝えんことは、神のご意図、ご経綸(けいりん)に関わることなり。
されば、聞き漏らすことなく、しかと耳に入れ、そして深く理解せよ。
では、伝えよう。神の望まれし、神の御心に適う霊行について、伝えよう。
よいな、人は人としてこの世に生まれ、皆それぞれに見合った霊行を課されて生まれしものなり。
それ故、人はすべからく霊行を修めねばあの世に戻れぬのだ。たとえ戻ったとしても、
もし し残した霊行があるなら、さらに辛い行が課されて苦しむこととなる。
たとえこの世でいくらかのよいことをなしし者も、
もし霊行を、或いはそのことが神の御心に適わぬもの、神の御心を映さぬもの、そのようなものであれば、
それは功徳にも、その人の魂の昇華にもならぬ。
それ故、人は先ず霊行を積まねばならぬ。そのように仕組まれておるのだ。
神は人に望まれた。
この世で人が、神の楽園を、神の御心を喜ばせうる楽園を、この世に築き、
人として人一人一人が、神の御心に適う霊行を重ねていくことを、
神は望まれて、人を、地球を、自然を、物質を創られたもうた。
しかし、人は神の御心にそぐわぬ、人の欲望につかれて、欲望、金銭、物質の奴隷と化し、
人の心、体、魂を汚すものばかりを作り、使い、そしてこの世を汚すばかりとなった。
人よ、
神の怒りを鎮め、
神の御心を取り戻し、
神の御心を喜ばし、
神の御心を映した楽園を、この世に、地上に顕すための、神の御心に適いし人の集う地上の楽園を、再びこの世に現せよ。
神の願いなり、神の望みなり。
神の御心を心に深く想うなら、人よ、神に問うて、神に答えを賜り、神の御心に適う人となれ。
神はいまや、最後の時の訪れを、地上の人間たちに伝えるために、
多くの事象をもって人に示し、見せ、聞かせ、そして気付かせんと されておられる。
その事から気付きを得し者たちが、神の御心を想い、神へのお役を果たさんとして、神の心を取り戻さんとして、ようやく集い始めた。
神が、この地上に、神の御心を伝えんために下ろされし神の子たちが、今ようやく、気付き、悟り、動き始めた。
それが、そなたであり、Y氏であり、H氏であり、そなたの周りにおられる 神の声を聞かされし、人々なり。
神は、人を使い、人に託し、人に自らを高めるよう、求めておられる。
人がこのまま、神の怒りに触れ、神の嘆きに自らを滅ぼすことを、神は決して望んでおられぬ。
よいか、再度伝えん。
神のみ声を、神の祈りを、神の最後の望まれしことを、地上に人々に、聞かせ 気付かせよ。
そなた一人ではないぞ、神のお役を命ぜられし者、神のみ声を聞かされし者、他にも多くおろされた、そうした人々、
魂と、多く出会い、力を合わせてこの世を立て替え、立て直すのだ。
その日は近い。決して遠き日のことではない。
急げよ、急いで集い、集まり、力を合わせ、多くの人に神のみ声を、御心を、神の望まれし、神の願われし、ことを行え。
一人、神の御心に適わんとしさえすれば、それは百人の人を動かす、千人の者を動かす力とならん。
なぜなら、それは神の御心に適うことなればなり。神がお力をお貸しくださるからなり。
勇気をもて、広め伝えよ。
たとえ一人でも、一人から始めよ。始めから多くの人を目指すことではなく、先ずは一人、一人から動かせ。
そしてそれが一人を動かし、それが二人を動かし、やがては百人、千人を動かす力となるのだ。
よいな、ひふみよ、ひふみともこよ、今日もそなたに直接伝えん。
そなたの課されし霊行を、いま一度心に繰り返し、自らを高めて、神の御心に適う行を積まんと、心に念じよ。
人は一人で生まれ、一人で死にゆく。
されど、人はこの世の行を一人行うものではないのだ。
神の課されし霊行も同じことなり。人が一人で行えることは、限られしものなり。それは小さく、人一人さえ 救うこともできまい。
されど、霊行は、一人を助け、やがては百人を救うほどの力を賜る ありがたい行なのだ。
しかし、それは、人間心で行ってはならぬ。我や利欲で行えば、それは必ず、人を汚し、己れを汚し、神の御心を汚しゆく。
よいな、二度も三度も繰り返し伝えしことを、忘るなよ。
人がこの世に現れ、再びあの世に帰る日までに、し残すことなく、神に賜りし霊行に励めよ。
神のみ力をお借りし、神のみことばをお借りし、神のご意図をこの世に映せよ。
神は、そなたと、そなたと共に下ろされし人たちを、使われ、働かせて、
神のお仕組みを 共に起こさんとせし人たちを、いままさに集めんとされておるのだ。
神仕組み、神経綸、神のご意志、ご意図、神は多くの人を使って、この世の立て替え、立て直しを始められんとされて おられる。
人よ、神に頼まず、神に祈れよ。
神に頼らず、神に求めよ。
神の子一人一人が、神仕組みの助けとなれよ。
さあ、今日も明日も、そなたも働け、神のご意志、ご意図を書きとめよ。
神のみことばを、書きとめよ。
神はいま、語らん、人類の救われる道を。いかにすれば、免れるかを。
一人一人、何をすべきかを。
さあ、今日のお伝えは終わろう。
明日も聞けよ、神の伝えんとされている おことばを。
神の望まれ、求められておられることを。
一九九九年九月九日
これから神は、人に神の子たちに、一つ一つ、告げてゆかれる。
神のお仕組み、神のご意図、神のご意志なるものを人に伝えてゆかんとされている。
それを聞き、それを人に伝え、それを人と共に、一つ一つ行ってゆくこと、それを望まれておられる。
本日そなたに伝えることは、既に神が人に伝えしこと、既に多くの神の子たちが、聞き、知っていることなり。
なれど、聞いておろそかにすることはならぬぞ。
たとえ既に知られしことといえども、それが実際の行として行じられているかどうかは別のことなり。
よいか、神はこの、人類にとって、最大の危機に及び、何人かの人間を地上に降ろされた。
それは、人が人たることをやめ、人の心を失い、人の行を怠り、
神を畏れる心をなくし、ただ、欲や金、物のみに心を奪われ始めた、そのときからのことである。
人が、いつかは気付き、自らの過ちを悔い、神に詫び、自らの浄めを進めていくことを、神は望まれていた。
しかし、人は改心することなく、ますますその堕落を極めていった。
そのころから、神は、何人もの人を、神の子として、神の御用をするお使いとして、地上に降ろされたのである。
それが、そなたも知りし、幾人かの先達であった。そして、Y氏、H氏の両人は、そなたも出会い、既に知己となっていよう。
そうした人たち、それは神の選ばれし、神の御用をするために神が選び、み役を与えし魂の方たちなのである。
しかし、そなたは 人とまた違ったみ役を担わされているのだ。
よいか、ひふみよ、信ずるなら、そなたも一つ さらに高いお役を担えるのだぞ、よいか、信ずるか。
信じよ、信じねばならぬ時なり。
そのことを考えよ。
今、何故そなたがこうして毎日 我々の伝えることを書かされているかを、とくと考えてみよ。
そなたは、何一つ、神のお仕組みを知らぬ者であった。何一つ神を知らず、霊行を知らず、神のみ役を考えしこともなかったはず。
そのそなたが、今、今日に至り、何故こうして日々 神のことばと聞かされしことばを、書きとめ、残させられているのか。
不思議なご因縁、不思議な現象、ただそれだけのことであろうか。
ひふみよ、ひふみともこよ、さあ、 ひふみよ、今そなたは一人考えしか、とくと考えしか?
ひふみよ、告げられたことを、一つ一つ、信じ、行ずる心は固きか?
ひふみよ、それは確かにそなたの衷心、真の魂の心から発せられたものなるか?
ひふみよ、答えてみよ。我々の問いに、そなたの心で答えてみよ。
ひふみよ。これは、そなたの心が生み出すことばなるか?
それとも、誰かがそなたに送ることばのような、意味ある想念を、そなたが紙に写していることなのか、
それとも、確かなことばとして、確かにそなたの心の中で、何かが湧き出すように、ことばが湧き出してくるのであるか?
いずれか、考え、答えてみよ。
ひふみよ、ひふみよ、
答えは一つなり、神は、そなたにことばを送り、想念を送り、そしてそなたに ことばとして書き留めさせて おられるのだ。
神は、湧きいづることばを、次々そなたの百会(ひゃくえ)に送り、想念を流し、
そして そなたの魂を通過させて、文字として、人のことばで、人の頭で理解できる形として、そなたに書き留めさせておられるのだ。
ひふみよ、神のことばを人の言葉に、変化させる、それが そなたのみ役なり。
神の伝える想念を、人の使うことば、文字、そうした形に変化させ、
そなたの指で、そなたの体で、人にわかるように、書き起こさせておられるのだ。
なれば、ひふみよ、
そなたは神と、人と、その間で、御用をせん者なり。
忘るな、ひふみよ、
神はそなたに、想念を送り、想念をことばに変えさせ、人に理解できることばとして、人に伝えさせんとお考えなのだ。
ひふみよ、既に告げしように、時は近づきつつあるのだ。
神の言葉を、広く人に伝え、広めてゆかねばならぬ時は、いよいよ近づいてきたのだ。
遅れることなく、神の御用を果たせよ。遅れてはならぬのだ。迷っていてはならぬのだ。
神は急いでおられる。
人一人一人が、一人でも多くの人間が、気付き、迷いから醒め、
神仏を敬う心を取り戻し、人間心でなく、真(まこと)の衷心から、神に仕えんと動き始めてくれることを、心より望んでおられるのだ。
よいか、ひふみよ。そなた一人では何ほどのこともできぬ。
しかし、そうした魂が、集まり、知恵を出し、
そして神に、神の御心に適う行いをせんと 心を高め、神に問い、神に救いを求めるならば、
神はすぐにでも、神ご自身の力をもって、人をお救いくださろうとしておられるぞ。
それ故、ひふみよ、神の子よ、神の使いを命ぜられし者よ、遅れるな、人に働き、人に向かい、一人一人に語ってゆけ。
臆することなき、勇気をもちて、神の御用を、果たしてくれよ。
日々の行、そして、来るべき日の訪れる前に、一人でも多くの魂を、神の心に返すまで、たゆむことなく、行じてゆけ。
よいな、今日、我々は、そなたの果たすべき、神のみ役について、
これまで以上に強く、そなたの気持ちを高めんとし、神への心を高めんとした。
故あって、そなたを導き、故あって、そなたの心に語りかけ、
そなたの中に眠りし神を、神のご存在を、そなたに気付かせんとしてまいり、そして今日、ようやく、そなたが
我々の命ずるままに、神の言葉を書き留める心を持ち、神への霊行をせんと、心を高めしことを、何より嬉しく、ありがたきことに感じておる。
よいな、ひふみよ。
我々のみ役はこれまで。明日からは、また別の方がそなたに語りかけよう。
恐れるな。そなたの霊行は、ようやく始まって、まだ日が経たぬ。これからが、誠の霊行の始まりとなろう。
よくよく理解し、神に仕えよ。自らのみ役を、確実に行い、神に愛でられる魂となれよ。
神は、人一人一人を、等しく愛でておいでだが、その中で、とりわけ、神がお好きな魂は、素直で優しい、魂なるよ。
そのような魂となって、ますます神に愛でられ、神にお仕えし、神の御心に適う人として、この世を生きよ。
ひふみ、ひふみよ、ひふみともこよ、またの日に。
(最後に、私自身に語りかけてくださったおことば。人にお見せするようなものではないが、見せることも可、とのこと)
一九九九年九月十日
これから伝える、そなたに、そなたと共に、神の御心を伝えてゆくぞ、心して、よくよく理解して、神の御心に適う行を積むよう、心せよ。よいな。
神は人に一つ一つ行を課されていく。それは神が人に積ませんとして、人に、人の魂を高めさせんとして、神が仕組まれた、ありがたい行なのだ。
しかし人は、自らの我欲で、自らへの自己愛で、行を忘れ、心を失い、神への思いをすりへらして、神を汚してきた。
人は己れの罪、過ちに気付かず 今日まできてしまった。
それは一つ、物質欲、金銭欲、名誉欲、その他の極くつまらぬ欲のためなり。
つまらぬ、下らぬ卑しい気持ちを持ちて、神への思いは失い、人は行を自ら打ち捨て顧みず、
神との接点をなくし、ついには神から完全に離れてしまいし。
今、神は人に目覚めを、神への思いの復活を切に望んでおられる。
人が人として、神の子として、再びこの世での、与えられし行を積み、少しでも魂を高め、心を浄め、
神との出会いを求め、望む、人の心の再生を、復活を、切に切にお望みだ。
人よ、その気持ちが取り戻せるなら、神はいつでもご自身の み力をもって、この世を再度 浄め、
人々の幸せに暮らせる、美しい自然、地球、生命をたまわんとしておられる。
人よ、耳傾けよ。心澄ませれば、自ずと聞こえてくるはずじゃ。
神のお声は、人一人一人に等しく向けられているのだから。
一人心を高く持ち、心を澄ませ、神を求めるなら、神はその人に、その人に向けられた、特別なことばをお聞かせくださるのだ。
神は人に望んでおられる。
神の子が昔、神を慕い、神を身近に感じ、神のために生きることこそを
至高の喜びとしていた頃の、清い優しい、素直な魂に戻りゆくことを。
神の愛は、褪(あ)せることなく、人を包まん。
神の愛は、衰えることなく、人を抱かん。
神は、人を、自ら作り、自らの魂を分け与え、自ら行を課してまで 自らお作りになった人類を、かくも愛しくお思いなのだ。
神の愛に応えんとせよ。人よ。
神の愛に心からの感謝を捧げよ。
人よ。神の子よ。そなたたち皆等しく神の愛を、神の誠を、神の慈愛と慈(いつく)しみを、等しく受けておるのだ。
そうしながら、そなたたち、勝手な欲と損得の計算ばかりに明け暮れ、心汚し、神から離れてしまい、挙げ句に神を汚すのか。
神を恨むのか。
今日のこの地球上のあらゆる出来事、事件、災害、不幸現象、全てそなたたちへの、神からそなたたちへの警告なり。
よいか、決して徒(あだ)やおろそかに考えるなかれよ。
よいか、時は迫っているのだぞ。時はいやでも訪れる。
人を裁き、立て分け、永遠に消滅させられる魂と、残され、再びの生命を与えられ、再度人間としての魂を授けられて、
この世の立て替え、立て直しに共に励むことを許される魂と、神はおわけになるのだ。
その時、地獄に堕ちて、地獄の火に焼かれることを望むなら、神はそなたを、もう求めはすまい。呼びかけることも もうなかろう。
神は、神としての真心からの呼びかけを諦め、心を捨てし その者の魂を取り上げ、地獄の主神にそなたを引き渡すであろう。
人よ、思い出せよ、思い起こせよ、去りし日、遠くさかのぼりて、神と共にありし日を、心に甦らせよ。
美しい自然に囲まれ、優しく清い魂で、人と人とが平和に暮らし、この世はあたかも楽園であった。
人の作りし神の国、神の望まれし、神の世界を、そのままこの世に移してきたかのような、
この世の浄土を、そなたたち人間は、かの昔には実現しえたのだ。人よ、呼びかけに素直に耳傾けよ。
神のお声を素直に受け取れ。神からの、最後の最後に与え給う、神からの手紙を受け取れ。
そして、心の目で、その手紙を読んでみよ。心が澄んでおれば、それは自ずとそなたに読める文字となり、声として聞こえもしよう。
しかし、そなたが神を求めず、ただ物質のみを信じる亡者なら、神からの呼びかけは、何一つそなたに届くことはない。
人よ、ただただ素直になれよかし。
ただただ神を慕い、神を求めよ。
昔そなたが母親を無心に求めしときのように、神を、神の御心を、神の慈しみを、赤子の心で慕い求めよ。
神はそなたを、そなたたちの素直な無垢な、一点の汚れもない魂を、ひたすら長い間、待ってこられた。
今、神は待つことを諦めんとされておる。
神を待たすな。神を悲しませるな。神を求めよ。神を崇め、神を慕えよ。
神から人へ。これが最後の最後、二度と繰り返さぬ手紙となるぞ。
人よ、素直に、親の心を、親の気持ちを、受け取れよ。
親の気持ちは、子を思う気持ちでいっぱいであろう。
何も見返りを求めぬ、無償の愛であろう。信じよ。神を信じ、神に従え。
繰り返さん、神を信じよ。心の中に眠らされし、時の流れの中で眠らされし、神を今、一人一人が目覚めさせよ。
繰り返さん、神を求めよ。神を求め、神に従い、神が望まれる魂となれ。
神は待ちかねて、待ちわびて、今、待つことをやめんとしておられる。
人よ、
今このとき、今このときに、心を諌(いさ)め、心を改め、
神に詫び、神に下座し、許しを乞い、神からの愛を求める、素直な全き魂となれよ。
さあ、人よ、気付きし人よ。先ずは始めよ。
始めというは、心の洗濯、魂の洗濯、神への思いを浄め高めし魂で、さらに高めよということなり。
みそぎ祓われた、最初の魂を取り戻しし後、神はそなたにみ役を授けん。
与えられしみ役を、充分に果たしゆくなら、
神はそなたの魂を救い、あの世に魂が戻りしとき、そなたの魂の昇華をお許しくださらん。
昇華しし魂は、次の世、さらに高いみ役を賜らん。そして ますますの昇華が図られん。
人よ、魂を汚すな。金銭、物質、名誉、その他の欲にとらわれ、自らの行を見失うな。
神と共に在りし頃の、曇りなき魂を、取り戻せ。よいな。
さあ、今日はそなたに最初のお告げを伝えし日なり。
そなたのみ役は、これまでも何度も伝えしように、神の声を人に伝え広めゆくことなり。
されば、ひふみよ、そなたも心汚さず、神に素直に、神のために、神を喜ばすことを念じ、神のみ役を行ってゆけ。ひふみよ、
神は、そなたの果たすべきみ役をそなたが果たしうるまでに心高めしことを、既にあの世からご覧になり、喜んでおられるのだ。
神は一つ一つをご存知なのだ。故に、ひふみよ、怠らず、日々神の声を聞かんとせよ。
これからが行の始まり、真の霊行の始まりなり。
共に歩まん、神の道。
共に励まん、神のみ役。
共に行じん、神の霊行。
神に感謝を、日々神に感謝を。
一九九九年九月十一日
神は、人を、神の子として作られし。
そのご意図は、神の国をこの世に移し世として、この地上に創らんがためなり。
しかるに、神は人を神の似姿とし、人に神の魂を与えたもうた。
それ故 人は美しく、清く、そして神への感謝を常にもって日々を送り、神と共にこの地上に神の国を現出せしめた。
しかし、いつの日からか、人は神への感謝、神に捧げる霊行、神に送る感謝の念を忘れ、神を汚し、この世を汚し、己れを汚した。
神は人に、神の子として神の御霊(みたま)を分け与えられし、神の子たちに、
一人でも多く、一日でも早く、神に対する尊敬の気持ち、神に対する感謝の気持ちを取り戻させ、魂を浄め、心を高め、
霊行を行い、人として生きるべき生き方を取り戻させんとされた。
人は、人として生きねばならぬ。そして人は霊行を行わねばならぬ。
霊行とは、人一人一人異なりしが、いずれも全て、神のお役に立つという一点で結ばれ、共通している。
人が自己愛で、或いは利己心で行うこの世の行は、霊行とはなり得ない。何よりも先ず
神を思い、神を敬い、神に感謝し、神に求め、神に出会わんとして、自らを浄め高めてゆく、それのみが霊行となりうる。
しかるに人は、いつか、己れのため、家族のため、自分を取りまく人のため、全て人中心、己れの欲中心に動き始めた。
人が、己れの家族、己れの隣人、己れの友人知己たちを大事にし、幸せを願う、それは当然のことであり、誤りではあるまい。
しかし、そこに神への思いが欠け、単なる自己中心の自己愛に留まるならば、
それは家族にとっても、友人知己にとっても、何一つ その幸せに、役には立たぬ。
神が求める霊行とは、決して自分たちだけが幸せになるため、救われるためにのみ行うものではない。
しかし、それがもし、少しでも神のお役に立たん、
と願う気持ちがあるならば、それは自ずと高まり、利他愛へと高まりゆこう。
よいな、これは簡単なようでいて、決して容易なことではないのだ。
人は己れが可愛いものなり、家族が可愛いものなり。
そして、知らず知らず、欲望と葛藤しつつ葛藤に身を委ね、この世の醜い争いに身を任せ、
いつしか自己中心の金銭地獄、物質地獄、名誉地獄に落ちていくのだ。
人よ、恥じよ、そうした己れの姿を自らの心の中にある鏡に照らして、己れを凝視してみよ。
今、己れの姿がいかに醜く、汚らわしい姿に落ちているかを、改めて見てみよ。見直し、考え直してみよ。
人は己れの姿は見えにくいものなり。なれば、人の姿はよく見えよう。
人は美しいか。今の人の世にある人間たちは美しいか。
神の子としてふさわしい姿をしていようか。上辺のみを飾りたて、上辺のみを着飾って、魂はどこかに置き忘れては おらぬだろうか。
魂の浄化、魂の昇華、魂のさらなる昇華、
神が望まれる霊行の実行、それのみが己れの魂を清く直く、高く、正してくれるものなるぞ。
忘るなよ、人よ。
神の魂を分け与えられし尊き魂の持ち主たちよ、今のままではもう直らぬ。今のままでは堕ちゆくばかりなり。
今こそ問い正さねばならぬのだ。
今こそ神に乞い、許しと救いを求めねばならぬのだ。
人よ、神は今なお人を愛し、求めてやまぬ御心をお持ちだ。なぜなら、神は、自らがお作りになった魂の元親であらせられるからだ。
人よ、次に来る世は、美しき魂、清き魂、高き魂の者たちだけが生きることを許される 世になるのだぞ。
そこに生きる魂たちは、皆等しく神の霊行を行じ、神への感謝に満ちて生くる者たちだけとなろう。
その中で許される生き方は、一つ 神に従い、神を信じ、神を求め、
神を敬う者たちだけの世となり、そうした生き方のみが許される世となるのだ。
今からでも遅くはないのだ。人よ、今からでも神はお許しくださろう。
信じよ、神のみ力、神の教え、神の愛、神の誠のおことばを、全て信じよ。
そこに一点の曇りも疑いもあってはならぬ。全てを信じよ、さもなくば死を、永遠の死を、自ら選ぶことになろう。
人がこの世に生まれし時から、既に何十、何百億もの魂が、生まれ変わり、死に変わりして地上に現れた。
しかし今の世ほど、醜く汚れし魂であふれしことはかつてなかった。
神はもはや、時は来たりと、心を定められた。
厳しく辛いことではあろうが、それが神のご意志、ご意図である以上、何物もそれを変えることはできぬ。
できることは、人一人一人が、心を改め、次の世での再生を許されるような魂に、己れの魂を浄め高めていくこと のみなり。
神は人をもって神のご意図、ご意志をこの世の人間たちに伝えんとなさり、
こうして 幾人かの人に、神のことばを書かせ、伝えさせておられる。
神の御心を伝え広めゆくは、人の行なり、神にたまわりし神からの霊行なり、
そこにいささかの人の意志も、願いも欲望も入れてはならぬ。
神のことばを、神の御心を、そのまま人に伝え広めて、信じせしめ、改めせしめねばならぬ。
人よ、神の手助けを、神の手伝いを望むなら、さらに魂を高めよ、神に使われる魂に自らを高めよ。
神は、求めん、自らを高め浄め、神のお役に立たんと欲する 清き、汚れなき魂を。
一人でも多くの人の魂が、浄められ、気付き、悟りて、神のおそば近くに従い、
神の手となり足となり、声となりことばとなりて、神のお役に立たんと求めよ。
ひふみよ、今日もそなたに語りかけよう。そなたの魂を高めんことを。そなたの魂を浄めんことを。
神はお望みだ、人のため、神のため、神の子として、神の使いとして、
これからの世の厳しき時を、共に助け合いつつ 神の手伝いをする魂が、一人でも多く現れ、高まっていくことを。
神は望まれている、
そなた一人ではなく、一人でも多くの魂が 神の元に集まり、神のお役に立とうと自らを浄め高めてくれることを。
ひふみよ、そなたに呼びかけ、語りかけ、そなたの心を神に向けさせ、さらに神への心を高めてくれよ。
それが我々の賜りし、神のみ役なり。それ故、そなたは 我々と共に行じておるのだ。
我々と共に、我々の導きによりて、そなたが高まり、浄まりて、
神のみ役を賜らんと願う気持ちを高めていくことで、我々もまた魂が浄め高められてゆかん。
ひふみよ、そなたの霊行は、そなた一人の行ではない。
我々と共に、我々と組み、我々と助け合って始めて、行として、神のお役に立つことができるのだ。
それ故 ひふみよ、毎日伝え聞かせる我々のことばを、よくよく聞いて理解し、自らの魂の昇華を願い、念じよ。
よいな、一人そなたのためでなく、我々のためでもなく、それによって人が救われ、魂が救われ、
それがゆくゆくは神の御心を喜ばせすることとなるのだ。
人よ、素直になりしとき、人は自ずと神を喜ばせしむ。
神の喜びは、人の幸せとなって、人に返ってこよう。
それ故 人よ、行を行じ、魂を高め浄めて、神に近づけ、神に従え。神の元に集まれ。
神の喜びを、共に喜び、神の幸せを己れの幸せと感じるとき、
人は既に神に近き頃の、初めの魂の、神の御霊を分けられし時の、元の魂となりゆかん。
今日はこれにて伝えを終えん。明日も聞かせん、神の言葉を。
一九九九年九月十二日
これから伝えんとすることは、みな神からそなたに、そして そなたから人々に伝えん ためのものなり。
故に漏らさず書き、漏らさず残せよ。よいな。
神は人に多くの物を分け与えられ、そして人に神の魂を分け与えられ、神の心を人に与え、
神の姿を人に与え、神のことばを人に送り、神の行いを地上で行わせ、神の国をこの世に移し、
神と人が楽しく、美しく、清く、平和に暮らすことを望まれた。
人が人として、神の心を持ちつつ、神のご意図ご意志を尊重し、神の国をこの世に立てて、神と人が一体となって、
神の国をこの世に移さんことを望まれた。
しかるに今、神の御心(みこころ)は忘れられ、神の御心は打ち捨てられ、神の御心は汚され、雲らされ、
ついには 人は神をはるか彼方(かなた)に追いやってしまった。
神は嘆いておられるぞ。神は怒っておられるぞ。
神のことばを聞きし者よ、今すぐにでも 立ち上がり、神のお役に立つことを望めよ。
神は人に人としての行と、神の子としての行を課され、どちらも共に行じることを望まれる。人はどちらも共に行じねばならぬ。
しかし、神が最も望まれることは、神の子として、人の姿を、神からお借りした、神の姿を汚すことなく、
神にそのままお返しし、神に再びの復活を願い、神の再生を望む人の心を人が取り戻すことなり。
そのことをおいて他に何も望まれることはなし。
よいな、人よ、神の子よ、神の姿を頂き、神のことばを頂き、神の心を頂き、神の声を聞かされし、神の子よ、
思いだし、甦らせよ、与えられし全てのものを、神からお借りした全ての恩を、今、神にお返しせよ。
神の求めることを行わぬなら、神は全てを取り上げられよう。
神は全てを戻されよう、元の姿形、元の心、元の状態、全てを初めの元に返されよう。
人よ。時と共に変わり、汚れ、雲りし心を、再度浄め、神に返せよ。
元の汚れぬ魂を、神に返せよ。元に戻せよ。神はもう待ちはされぬぞ、
時は短し。許される時は短し。今、今、今すぐ神に返せよ。
神に詫びよ。神は待ちはされぬぞ、もはや時は近いぞ。
人の一人一人が変わらねばならぬのだ。そなた一人でもだめ、そなた一人でも神は喜ばれぬぞ。
全ての人が、神の子が、神の元に集まり、神を求め、神の心を取り戻し、神復活を祈り念じよ、そのための手助けをせよ。
神人一体、神人合一、神人共に生き、共に歩み、共にこの世を変えねばならぬ。
神は既に始められようとしておられる。神に従い、遅れるな、神はすでに歩み始められておる。
待ちはせぬぞ、遅れし者を待ちはせぬのだ。遅れることなく神に従い、神を求めよ。
神は何もかもを捨て、初めの心になりて、初めに戻りて、初めに返して、そうして始める者のみを救われる。
神は人を浄め、心を高め、心を浄め、さらに神を求める心を持ちし者のみを救わんとされている。
人よ、理解せよ、理解し、感謝し、神に詫び、神の心を取り戻せよ。 神は待ちて、人の心を戻せし者は待ちて救わん。
人よ、つまらぬ人間心で動くなよ、つまらぬ欲に囚(とら)われるなよ。
人は初め、神の心を持ちしものなり。その心を汚し、雲らせしものは欲、物、金に対するつまらぬ欲なり。
欲を取り、雲りを消し、汚れを浄め、できる限りの初めの姿を取り戻せ。
人よ、再び告げん。神のことば、神の望まれしこと、神の祈りを、最後に伝え、最後に聞かさん。
神は二度も三度も申されぬ、神は二度も三度も聞かされぬ。
ただ一度、人に告げ、人に伝えられん。なれど、神は、神の望みは、深く、強く、激しく。
それ故人よ、忘るなよ。深く深く胸に刻まれよ。神の心からのお言葉を。
深く深く肚(はら)に入れよ、肚に納めよ、神の届けられし心の手紙を。神の送られし、神の御心を、ご想念を、心で聞けよ、
心で読めよ。 人間心で読んでも、何一つわからぬぞ、何一つ読めぬぞ、何一つ聞こえぬぞ。
そこに人間の欲や汚れがある限り、神のことばは、声は、手紙は、人に見えぬ、聞こえぬ、届かぬのだ。
それ故人よ、汚れなき心で、曇りなき心で、手垢で汚れぬ御霊(みたま)を持ちて、
神にいただきし、ことば、声、手紙を、受け取れよ。
人よ、神は二度は申されぬよ。一度、ただの一度きりなるよ。神が人に送るのは。
ただ一度なるから、一度で読めよ、分かれよ、理解せよ。肚に入れ、肚に納め、心に刻め、神の声を
ことばを 御心(みこころ)を。
神の願いを、望みを、祈りを、受けて、入れて、忘れるな、漏らするな。
さあ、今日告げしことの一つ一つ、毎日そなたの書き取りしことの一つ一つを、人に伝え、広めゆけよ。
神は永久(とわ)に望まれる、人と人とが豊かに、この世を浄め、この世を美しく、清らかに住み、暮らすことを、望まれる。
それ故人よ、自らの浄化を進め、己れ一人のみでなく、多くの友人、隣人、家族、全ての人を浄め高めよ、
それが望み、それが 神の祈りなり。 忘るなよ。神と約せし、神との約束、忘ることなく果たされよ。忘ることなく行じられよ。
よいな、二度も三度も伝えしように、神は人に、一人一人に行を課しておられる。
その行を、己れのわがまま、欲望、勝手な思惑で、ねじ曲げ行うことなかれよ。
よいな、行じ、念じよ、祈りを捧げよ、神の求める心に高めよ。
よいな、ひふみよ、神を忘れ、人の心を忘れし人々に、この書記を読ませ、心を浄めるように
そなたも働け、そなたも動け、そなたも歩め。
神は人一人一人に求めておられる、望んでおられる。
神の行を、神の課されし神の行を、人が怠りなく行じてゆくことを、
神は早(は)や、始められんとしておいでだ。
なれば、人よ、今、このときにも始められよ。動かれよ。歩み出されよ。
神と共に、神の元へ。神のおはする心の中の、魂を、浄め高められよ。
ひふみよ、よいな、今日は今日のお伝えが、明日は明日のお伝えがある。
そしてそれは毎日行じよ。怠るなかれよ。日々告げしことを漏らさず書けよ。漏らさず伝えよ。
神のことばなるものを、そなたの心に下ろされる、神のご意図、ご意志、ご想念を、
ことばに変え、文字に表し、紙に残して、人に伝えよ。
神のみ役なり、よいな。励み行じよ。
自ら磨け、心の中に光りし玉を。神にもらいし神の光で、神にもらいし魂を、浄め高めて、光らせん。輝かせん。
神に返さん、初めの元の、汚れぬ玉に戻して返さん。人の勤めなり。それが人の務めなるよ。
さあ、今日は終わらん、今日の伝えを。明日も必ず、行じられよ。
紙に向かい、神に向かい、神を迎えよ。
神はことばを下されん、神はことばを賜れん。
神に捧げよ、感謝の念。
神に捧げよ、素直な霊(たま)を。
神は救わん、人の魂を、汚れの取れし清き魂を。
一九九九年九月十三日
この世で、神が人に求めるは、神の子としての神の行なり、霊行なり。
人が自らの心で、人のため、友のため、家族のために行うは、なかなかに霊行となりにくい。
しかし、人よ、神の行は人のためを思い、同時に神のためなることを思いさえすれば、それは神の行に一つ近づくなり。近寄るなり。
なぜなら、それは神の御心を映すものなればなり。
人よ、恐るるな、来たるべき日を。来たるべくして来たる日を、ただ恐れ畏(かしこ)みて待つだけではならぬ。
そうではなく、今このとき、自ら求める気持ちを高め、高め浄める気持ちを持ちて、
神に向かい、心の底から、誠の魂から、神を求め、おろがめよ。
神は慈愛なり。愛なり。慈(いつく)しみなり。神は、人一人一人をこよなく愛するなり。慈しむなるよ。
しかれど、神は人に厳しくもあられる。人に厳しく求められる、神の子としての行を。
神の子として、それにふさわしき行を積み、浄め高めんとする気持ちのありようを、強く、厳しく求めておられるのじゃ。
神は人を、神に似せし姿に作られ、人に、神の心を持つような、高き魂を供わせた。それ故人は、本来 神の移し絵なのだ。
神の生き写しでなければならぬのだ。なれど何故 人はかくも 魂を姿を形を、かくも汚し、よごし、卑しきものにおとしめしか。
神はお嘆きじゃ。古き昔を顧みよ。遠き昔、神世のときを思い起こせよ。
忘れられ、打ち捨てられし、昔のときを。心に、もしまだ心が残りし者は、考えてみられよ。
神はどれほど多くの恵みを人に与えしか。どれほど多くの恵みを、愛を、慈しみを、人にお授けなさりしか。
人よ、答えられようか、先の問いに、しかと答えを出せようか。出さずばならぬぞ。
神の声を聞く者は、必ずやお答えせねば、ならぬぞよ。
目を閉じ、耳をふたぎ、心を閉ざし、魂に覆いをかけて、我(われ)は知らぬで済まされようか。
人よ、心を持ちて、神に従わんと望むなら、神の問いに答えてみよ。
神に向かいて、膝を正して、神の問いに答えを出してみよ。
己れの誠を持ちて、神に、神の心にま直ぐに向かい、そらすことなく、神に向き合ってみられよ。
人よ、恐れは禁物じゃ。恐れは神を知らぬ者なり。恐れる気持ちは、神を慕う気持ちに反するぞ。
神は恐れる気持ちを望んでおられるではない。神は恐れ、震える魂は望まれぬ。
ただ素直に、姿勢を正し、神に向かい、手を合わせ、神に委ねる直き心、直ぐなる心をお望みじゃ。
理解せよ。たとえ今 よくのみこめずとも、いつかわからん。いつか届かん。
神の御心、神のおことば、神の深き、高きご意図、ご意志を。
いつかそなたも人も、今 心低く汚れし者も、いつの日か、わかり、見え、聞こえる日は来るらん。
人よ、日々 神に心を向けてみよ。自らの魂の奥に眠られし、神に向かいて問いかけてみよ。
神は必ず答えてくれよう。神はそなたと共に、そなたの魂と共に、
来たる日を待ち、おとなうことを、起こるべきことを そなたと共に迎えんとされておられるのじゃ。
神は決してそなたを捨て、そなたを置いてゆかれはせぬ。
そなたを見守り、そなたの心を見つめ、そなたの魂を、そなたの魂の奥に眠りながらも、絶えず見ておられるのじゃ。
神は心をなくさぬ。神は魂をなくさぬ。
ただ、自ら捨て、自ら汚し、自ら離れる魂は、たとえ神はご自分から離れずとも、いやがうえにも離れざるを得ぬのじゃ。
わかりしか、人よ。神のご意図、ご意志、お仕組みの尊さ、高さ、ありがたさ。
ただ素直になりて見れば、全ては見えん。全ては聞こえん。全ては明らかならざらぬか。
人よ、この世に出(いで)て何年、何十年。人は人として、人の行いを行い、今に至り、今日を迎えおろう。
しかし、そなたたち一人一人、そなたたち一人一人に今、問わん。
そなたたちのうちで、神に出会い、神の声を聞き、神の御心に触れんとして触れ、神の御心を理解せし
尊き魂の持ち主は、一体何人おろうか。 恐らく一人もおるまいよ。
なぜなら神は、神ご自身を人には見せぬものなるから。
神ご自身の姿、形、声、ことば、そうした全てを人に見せ、聞かせ 問いかけることはせぬものなるから。
なれど、幾人かの人間は、神を知り、神を信じ、神の望まれる行を担いて神に仕えんとし、自らを神と共にあろうと望み、
神に願う心を甦らせて、神と共に行を積んでいる者が、幾人かはおるのじゃ。
そうした幾人かの人間は、そのままでは 神のお役に充分立つものではないが、
互いが出会い、互いが求め、与え、高めあうことにより、神のみ役に耐えうる魂となりて、神の行を行じているのじゃ。
既に、幾人かの者は既に神と共に歩き出しておるのじゃ。
人よ、神のご意志、ご意図を見たく、神のご意志、ご意図を知りたくば、神に祈れ、神に近づけ、神に寄り添い、神から離るるな。
神が人に最後に伝えんとすることは、この世の大立て替え、大立て直し、そのことなり。
そのことをおいて、何もなし。
神は人を信じ、慈しみ、最後まで待ってくだされよう。
最後のその時まで、最後のその日まで、神は長く待ってくだされよう。
それ故、人よ、
神に従い、神と共にこの世の大立て替え、大立て直しに共に加わりたくば、行を行じよ。行を積まれよ。神の御心に 適う行を。
そのことのみなり。
神は宣(のたま)われん、神の元に 人よ集えと。神の元に 人よ戻れと。
神は人に、繰り返し求められん。最後までには必ず戻れと。必ず戻り、必ず戻し、必ず答えておみせしろ。
真の汚れなき魂を、誠の汚れなき神の心を、取り戻し、浄め祓(はら)いて、お返しせよと。
神は求めん。神の道、人の道、神と人とが、共に手を組み携(たずさ)えて、真の行を積む道を。
なれば、人よ、臆せず歩め。たゆまず進め。辛きことあろうと、神に付き従う魂は、いつか救われ引き上げられる。
もし従わねば、その魂は汚れ、落とされ、神のみ手から離れ、神の国に戻るは難し。
よいな、今日このとき、この書記を、このことばを読みて知らされ、読みて悟りし者は、すぐにも魂を磨かれよ。浄められよ。
明日では遅いぞ。明日では間に合わぬ。
今のこのとき、今このときから、始めよ、始めて歩め。始めて動け。動かねば 何も変わらぬ。
動かねば、何も動かぬ。そなた一人が変わりても、それはこの世の霊行となりては現れぬ。
霊行とは、人を、魂を、心を、浄め高めて変えゆくものなり、浄め高めて、元の元に返し戻し奉ることなり。
人よ、その日までに、変えてみよ。戻してみせよ。 神に魂を、浄め直しし心の玉を、磨き高めし 魂の光を。
変わらぬ者は、変えてみせなん。
神の み力、神の み光り、神の みことば、神の慈愛で、神に頼み、神にお借りし、変えてみせよ。
真の霊行、真の道を、神人一つになりて、行じゆけ。神人共に進みゆけ。
時は既に訪れん。時は既に始まらん。時は既に神の最後の一振り、神の最後の一太刀(ひとたち)を待っている。
人よ、恐れず進め。恐れず歩め。人の道を進みゆくとき、必ず人は神に出会わん。
神に出会いて、霊行を知る、霊行を知りて己れを知り、神を知り、霊行を始める。
それ故、人よ、その道を自ら始めよ。自ら修めよ。自ら行じよ。
神は待たぬ、しかし、自ら求める魂は、決して捨てることなし。
自ら求め、救いを乞う魂は、必ず許さる。
人よ、神のみ光りと共に、暗い闇を、心の翳りを照らしゆけよ。
神の み力をもちて、人と共に、行を積め。
神に近づき、神に求むれば、神は人に示されよう。
神が人に、求むることを。人一人一人にそれぞれ見合いし行と、道の全てを。
ひふみよ、疲れし魂は癒(いや)してゆけよ。汚れし魂は浄めてゆけよ。
今すべきは霊行なるぞ。心行体行、いずれも大事。
なれど今一番にそなたのすべきは霊行なり。そのための今までの年月と思えよ。そのためのこれまでの修行と心得よ。
よいな、そなたのすべき霊行は、今ようやく始まりしばかりなり。なれば、先ずは霊行に親しめ。霊行を怠るなかれ。
そなたの御霊の奥の魂と、奥の神を、呼び覚ませ。目覚めさせよ。
ひふみよ、理解せしか、我等のことばを真に理解せしか。
我等は何度も そなたに告げん。そなたに語らん。
神の望まれし霊行を、そなたに伝え、語り、論(さと)して、
そなたが立派に霊行を果たせる魂に高まるまでは、我等は毎日そなたに語り続けん。
ひふみよ、神の子よ、恐れ、ためらうことなかれよ。
今そなたが歩みを止めれば、今そなたが行をやめれば、それはそなたの罪汚れともなるものぞ。
し残しし行となりて、決して終わることはないのだぞ。
よいな、ひふみよ、魂を浄め高めたければ、日々に行を行じられよ。
よいな、ひふみよ、神の声を聞きし魂よ。神を思い、神を求めて、心を魂を高め浄めゆけよ。
よいな、しかと己の肚(はら)に命じよ。肚に 胸に 魂に、しかと刻み、しかと納めよ。
我等と共に、我等と共に、道を進め、道を歩め、道を行じよ。