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神から人へ1





1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜

まえがき

一九九九年九月二日より、「自動書記」は始まりました。自分の中に浮かぶ想念のようなものを、
追いかけるように ことばに直し、ワープロに打ち込んでいく、そんな自動書記でした。
対象としての相手のことばはないけれど、いわば 同時通訳のような感覚ではないかと思います。
初めは、自分の妄想なのではないかという戸惑いから、とりあえず身近の方々に読んで頂いておりました。
そうする うち、多くの人にこの書記を広げていくように求められ、小冊子にしてお渡ししておりました。
今回、このように出版する機会を頂き、本になったものを目に致しますと、まるで初めて読むような気さえ
してまいります。改めて、この書記が自分の意志や思考によるものではないこと、自分自身の創作文章で
ないことを実感させられます。
この書記は、お読み下さる方それぞれに合った読み方ができると思います。書記を行いました自分自身、
読むときの 気分や体調で、読み取れる内容の深さが変化するのを感じとることがあります。
好きなところとそうでないところ、読み返していて照れくさくなってくるところ、さまざまです。
ですから、皆さまも、どうか気楽に、自由に、お読み頂ければと思います。
この書記は文語調で書かれております。そのため読みにくいと思われるかも知れません。出版に当たり、
文体や単語を変えることを、編集部の方々とも検討致しました。しかし、この文語調の中にある壮麗な言霊を
、尊重したいという 結論に至りました。
言霊を感じ取って頂くために、できれば声に出して読んで頂ければ心に深く沈み入るかと思います。
皆さまの魂の波長と、神様との波長が合わされていくためにこの本がお役に立てれば幸いです。

二〇〇一年三月
ひふみともこ


一九九九年九月二日

神は人に神の子として神の光を与え給う。その光を受けし者は神の子として神のみ役を賜る。
神の光を受けし者は神のお役に立つために、神の光を人にお伝えし、
神の代わりに神の心を人々の中に目覚めさせる。
神は人と共にあらせられる。神は人と共に行じておられる。
行は行であり、人は人の行を神は神の行を積んでおられる。神と共に歩む者は 神に近づく行を積む。
神が神として人を救うためには、人は人として心を浄め、魂を浄めていかねばならない。
神の御心に適う者は神の み光によりさらに浄まり高まっていく。
神のために祈り行ずるのではなく、人は人のために人として 人の勤めを果たすことをのみ。
それが人の行であり、神の御心に適う行なのだ。

人は全て神の子でありながら、神の子としての心を忘れ、失い、人としての行を忘れ、怠ってきた。
神の心を失いし者は、永遠の苦しみから逃れられぬ。
しかし、神は人が神を求めるとき、すぐにも人の心に戻ってこられる。
人は人の心の中に 神を取り戻すことができる。そのとき神は神の み恵みにより、人を救う。
人は人の行を積むが、それは、人が人として正しくその道を歩むことである。

神は人と共に正しい道を歩む者のそばでいつも見守り、助け、救おうとしていてくださる。
目に見えぬものは信じようとしない今の世の人々は、目に見える もの、金、物質に心を奪われ、
神を見失い、忘れ、そして自ら神から離れてしまった。
しかし、戻りたいときは、そう望むならいつでも戻ることが許されている。
それが神の御心であり、神の望まれる人の心の救済である。
人よ、目覚めよ。
人よ、立ち上がり、神のもとに戻るがよい。
そして人の心を取り戻し、神の居場所を取り戻し、人と神との出会いを許されることを祈れ。
神は祈りの心をもって念じ、行ずれば、人と共に歩まれる。
人は決して人一人で行を行うのではない。人が一人で行を行うとすれば、それは我に満ちた行でしかない。
神の望まれる行とは、神の心に問いかけ、神に近づかんとして素直になり、心を下座させ、
神の御心にかなう人になりたいと願うときこそ行えることである。
人は人の行を積まねばならぬが、それは断じて我と慢心の行であってはならない。
我と慢心、それは人より偉くなりたい、秀でたい、人に勝ちたい、そうした人と争う心から生ずる心である。
人と共に歩み、人と共に助け合い、人のためにわが身を投げ出し、心を浄めていこうとする、
それが心の行であり、体の行であり、霊行となる。
神は人をして語らしめる。
神は人をして救わしめる。
しかし、全ての大本は神なのだ。神は人を使われる。人を使って自らの救いを行わしめる。
人は人の行を行じ、神に使われ、神の御心に適った生き方をせねばならぬ。

神と共に人はある。人は神の子としてこの世に生きねばならぬ。
人の心は神の心に高められ、人の行は神の行に高められゆく。
人は人の行を自分一人の行と勘違いするが、それは神が人を使って行わせている神の行いなのだ。
人は己の意志をして生(せい)を生(い)きているのではない。
人の心の中に雲りなきほど、神の心に近づき、神の心と一体になれるのだ。
それ故、我と慢心、自分が何かをしようという気持ちが強過ぎるとき、神の御心からは遠くなっていく。
神の御心から遠くなればなるほど、道は険しく行は難(かた)くなる。
行は易しいもの。素直な気持ちで、神の御心に適うことを念じていれば 自ずと道は拓けてゆく。
難行苦行、それは我の世界の行のことである。
易行楽行、神と共にあれば、人の行はかくも易しくかくも楽しい。
人よ、自分の力で何かをしようとするなかれよ。
神の み心に求めよ、自らの道を。
神が示しし一筋の道を、神の み心に近づく一筋の道を歩めよ。
人それぞれ、人の道は異なる。しかし、神の道は一つである。
人の道は異なれど、神の道は一つの道、神の道に必ず通じる。
人が人の道を歩むとき、それが神の道につながり、人はいつしか神と共に歩む。
人には人それぞれみ役がある。今ある目の前の行を行ぜよ、神の心で。
我執(がしゅう)を取り去り、ただ素直で謙虚に歩めばよい。
神は道を示されるであろう。人が迷いに入ったとき。迷い、苦しいときにこそ神に祈れよ。
神は道を示されよう。

神に示されし道を歩めよ。
神から離れず、神と共に歩めよ。
神の御心に自らの心を近づけよ。

そなたは今日、神と共に歩もうと望み、神の声を聞かんと望み、神のことばを記している。
それがこれからのそなたの行の一つとなる。
毎日このノートを開き、ペンを持て。我々はそなたに神の道の一つ一つを伝えてゆこう。
それらを書きとめ、残してゆけよ。そして自らを高め浄めてゆけ。
我々が教える神のことばをいつか霊行に活かし、人を救えよ。

神は神の心で人を求める。
神は神の心で人を救う。
人は人の心で神を求める。しかし、人はやがて神の心で、神を求める。
神の心を自らの心として、我をなくし人の行を積めよ。
人は人としてこの世に生まれしが、人の行を積まねば、行じなければ、あの世には帰れない。
し残した行はあの世で再び課せられる。
この世の行を怠りなく行え。
心を目覚めさせ、神の声を呼び起こせ。
これが神の望まれる人としての行である。


一九九九年九月三日

これから伝えることの一つ一つをノートに記せ。そしてこれから伝えることは全て神の声として深く胸に刻んでゆくように。
神は人の心の中にあり、人の心の目覚めを待っておられる。
神が人と共にあるとき、人は神のお力を得る。
しかしもし人が神から離れるとき 人はその力を失う。そして人の行は辛く苦しく険しくなる。
すでに申したとおり、人は人として生きているのではなく、神の子として生きねばならぬ。
それは人が人として生まれ落ちた時から、人の形をした神の子なのだが、時と共に人は人の心を 神の心から離れさせ、
そして人の行を怠ってゆく。
神が望まれる人の行を充分積みし者は 神とは何か、どこにおられるのか、人はどこから現れ、どこへ消えるのか、
それらを自(おの)ずと知っている。しかし、人の行を怠り、神から離れた行を積みし者は、
人の悩みに悩み、人の苦しみを苦しみ始める。しかし神は、そのような人の心にも光明を射し与え、たとえ神を離れし者をも救う。

人の心に神が取り戻されることを乞い願うならば、人は人の心の中の神を復活せしめうる。
人は人としてこの世に生まれ、数々の行を行じ、やがてまたあの世に帰りゆくが、
この世の行が充分なされねば、あの世で人は行を積む。
長く苦しい行の果てに、人は浄まり、魂は浄まり、再びこの世に現れ、次の新たな行を積む。
さても苦しき行なれど、心の高き者は行に苦しむことなく、その行の中に光と喜びを見出しゆかむ。
心の中に雲りある者は 行を苦しみ、行に悶え、ときに神を恨みさえする。
神の与えしみ役なれど、そなたは神のことばを書き記さねばならぬ。
その行を苦しく思わば、それはそなたの心にまだいささかの曇りあるからなり。
行を楽しむ心であれば、それは神の御心に一つ近づいた証と考えよ。
人が賜る神の行を、人は霊行(れいぎょう)と呼ぶ。しかし、それは己れの力でなされる行ではない。
神の み光り、ご守護、お導きがなければなされぬ。人は己れに賜りし行を通じて神を知る。神を知るお仕組みを得る。
神は近くに共にいて、そなたたちの霊行を見守っておられる。
そなたがこうして神のことばを書きとめようと、神に心を向け続ける限り、神はそなたと共にあらせられる。
しかし、そなたが日々の行を嫌い、神に向きし心を他に移さば、神の声はそなたの耳に聞こえなくなる。
そなたのペンを通じてつづられる神の声を 人にも知らせ、人にも聞かせよ。
神は人をして語らしめる。人の行いをして人に語りかける。
人が神に心を向けるとき、神は既に心の中にあらせられる。
神は神として人の心を求めておられる。

神が人に語りかけ、光を投げかけ、救いのみ手をかざそうとなさるとき、人は神の子でなければならぬ。
神の子とは、神の心を持ちし者なり。
神の心は人の心に通じていく。

一つの大きな光の中で人が神と出会いしとき、人は神の み恵みにより、人から神への道を示される。
示されし道を歩みし者は、かげりなき心に立ち返り、神の手伝いとして神のお役に立とうと望む。
人よ、忘るることなかれ。人が人として留まるなら、神は神の み役からその人の魂を下ろされる。
人の魂は神の み光により、浄まり、高まってゆく。人の魂と神の み光とが共振共鳴を起こすとき、この世に神のお仕組みが発動する。
人よ、人の心に神の光をよみがえらせよ。そして、その光の中で神と出会えよ。
神が待ち望まれる人と神との出会いのときを、神は奇跡をもって示されることもある。
また、こうした書記によって自らの存在をお伝えなさることもある。一つ一つは全て神のみ心により、決まる。
そなたを包む神の み光を 信じ、行ぜよ。神の み光の み恵みを受けよ。
神はそなたにことばを託される。その言葉を記し、書きとめよ。神が託せしことばの意味は自ずと理解できよう。
そのことばを広く世に伝えゆけよ。その時は既に近づきつつある。
一つ一つのことばの中に込められし意味を理解せよ。わからずば人に尋ねよ。高い徳を積まれし人に尋ねよ。
人は人の心の中で神を求め、神に救いを求めん。しかし、己れの救済のみを願うならば、神はお救いくださらない。だが、もし
その人が自らの救いを 己れの利害のためでなく求めるとき、神は救いの手を延べられる。
人よ、人みな同じ神の子なり。
神の子なのに気付かぬ子らよ。
神の子なのに神の心を失いし子らよ。人の心に迷いを生じ、神の心を、神の道を見失いし子らよ。
汝(なんじ)らを救う道はただ一つ。神を心の中に復活させることなり。

神は永遠の時の流れの中で、一瞬たりとも人から心を離されはしない。人が自ら離れしときも 神は人のそばにあらせられる。
人は人の我と迷妄により、神を見失うが、神の光に気付き、神の み力を信じる気持ちを取り戻すならば、
神はすぐにも人の元に戻って来られる。
神に心を開け、神のおはする場所を設けよ。心の中に、心の中の宇宙の中心、そこに神は おはする。
神のおはした宇宙の中心、それが神のおはする場所であり、そこは常に浄められておらねばならぬ。
欲や我で汚(けが)されし心の中の宇宙の中心を光で浄めよ。光で高めよ。そして神の戻られる場所を立て直せよ。
大立て替え、大立て直し、その時の来る前に、人は一人一人、その心に神の復活を念じよ。
魂を浄め磨け。浄め高められし魂の中に、神のおはすための場所を設けよ。

既に時は近づきつつあり、今はその最後の時なり。
文明が栄え、文明と逆に、人は汚(けが)れ腐れて、今の世を迎えた。その声を謙虚に受け止めよ。
神の声を、心を正し聞く者は、やがて神の存在を身近に感じ、神のお役に立つ心をめざめさせ得る。
人は人の心のままで行を進めても、いつか行き詰まるときがくる。
人の心のまま行を進めるうち、やがて人は我と妄執のとりことなる。
それは既に行ではなく、単なる利害のため、自己愛にとりつかれた汚れし行いにすぎぬ。人はその繰り返しで人生を歩む。
しかし、いつかは立ち返り、神の心に立ち返り、神の み役を務めるように定められている。
定めしことを行わずば、魂は救われぬ。人は救われぬ。人は闇に落ちてゆく。
もはや残りし時はわずかなり。わずかの時を無駄にするなかれ。
人として行を積みしこれまでの日を、神に感謝し、次なる行を与えたもうことを祈れ。

そなたの生まれし意味を問うてみよ。
神の御心にかなう人の道を問うてみよ。
神の御心に添う生き方を神に求めてみよ。
神はお教えくださろう。
そなたの み役、霊行は今始まろうとしている。
そなたが神を求め、神に祈り、神に救いを乞うたとき、そなたの心に神の居場所が設けられた、そう思え。
神もまた喜びてそなたのそばに、そなたの心の中に戻られ、そなたと共にこの世の行を行われる。
人は人の心の中に、目に見えぬ光の魂を与えられている。
それは主魂(しゅこん)とも呼ばれる。それが曇り、光を失うとき、人は神の道から外れ、自らの迷いに苦しむのだ。
神の光で道を照らせよ。
神の力で道を歩めよ。

神は救わん。自ら神を求める魂を。
神は照らさん。神の光を探す魂を。
神はみ力をもて、人の行を行わせ、そして共に行じておられる。
そなた一人の行ではない。神が、神々が、そなたの守護霊たちが、共にそなたの行の進むのを助け導こうとしている。
そなた一人の行ではない。それは、神や神々、守護霊たちの救い、導きをもって始めて可能となる行なり。
神の前に道なく、神の後(あと)に道なし。
神が道である。神の示される先が道となる。
その示されし道を人が歩み進むとき、人は神に近づく道を歩む。

決して自ら道を作り、道を進んではならぬ。神の示されし道を進め。心素直に、心清く、心明らかに、道を問え。
神は示されよう、そなたの進む道を。
神はそなたの進む道を示される。
心の中に清い魂が備わりし者は、神の声に耳を傾け、神の教えに素直に従うことができよう。
心の中に強い我があり、心ふさぐ者は神の声を聞くことはできない。
人一人でできることは、神の力を必要としない。
それは霊行ではない。
人の行は、人の役には立つが、神の役は果たせぬ。
人は人のために生まれ、生き、死ぬが、それでは魂は昇華(しょうげ)せぬ。
人が人の道を、神の示されし道を歩むとき、人の行は霊行となり、人を救い、自らを救い、そして神のお役に立つことができる。
人は忘れることなく、神を求めよ。神に祈り、神を求めよ。
辛きことあるは、己の心が至らぬから。 苦しきこと多きは、己の心に 神の み心に添わぬものが多いとき。
すべからく神に従え。
すべからく神に求めよ。
神への思いを高めよ。

そなたは既に神の声を聞く者なり。
神はそなたにこれからも教えられよう。

神と共にこの世を歩め。人間心(にんげんごころ)で行動するなかれ。神の御心に適う人たれ。
明日もノートを開き、ペンを持て。明日もそなたに神の道を、神の行を、そなたのすべき人の行と神の行を伝えん。


一九九九年九月四日

そなたに告げるこの ことばを一つ一つ記し、人に伝えること。
そして神のお役に立つ気持ちを高めていくこと。それが即ち今のそなたの霊行である。
我や私心で書くことなく しかと書きとめ、紙に残せよ、神のことばを。
一つにはそなたのため、そして一つには人のため、そして一つは神のお役に立つための神の子としての行のためなり。

人は霊行を行い、霊行を通じて神に近づくことを得る。
神の み業(わざ)は神として人を救わしめること。しかし人は人の力をもて人を救い、人を助け、人を人に留めおくなり。
それは人の業(わざ)であり、人の行であり、人の力で行われるだけのもの。それは神の行に高まってはゆかない。
人は神のみ力を備えられているが、その神のみ力を発動させるためには、心素直に心清く、心正しくなければならぬ。
人が人の我や欲で、或いは人の魂で、雲りし魂のままで行うとき、それは決して神の御心に添う行とはならぬ。
人の行は人の行、神は神の行を望まれる。人は神にはなれない。
人は人であるが、神のお役を果たすことは可能である。
なぜなら人は神の子なのだから。神が望まれし魂とならば、神はその魂を使って、神の み業をなしたもう。

神の み業は人を救い、人を高め、さらにはその魂を磨かれる。
人は人の心で神に近づくのではなく、神の心に立ち返り、人の心を捨て、人の心を高め、神の心へ近づいてゆく。
人は人の心を浄め、人の魂を浄め、浄まって後、神のお仕組みを得る。
神は人に神の存在を知らしめ、神の力を知らしめ、神のみ光を人に照らし、人の中に眠りし神の心を目覚めさせる。
人は人のまま行をしてはならぬ。
汚れし魂は汚れし行を行う。汚れし魂は汚れし魂をおとしめる。汚れ多き行を繰り返す中で、人は人たることすら忘れ果てる。
忘れられし人の心は既に、神のみ光をもっても浄めて高めていくことは難(かた)い。
そしていつか人は人の心をすら失い、この世を離れ あの世に戻るとき、初めて罪の深さを思い知るのだ。

人の魂よ、目覚めよ。人の心をすら失うことから 己れを諌(いさ)めよ。
己れの中から邪(じゃ)を祓(はら)い、邪を浄め、神の心を戻らせよ。
神が人に望みしことを人に伝えよ。人に行わしめよ。
人は人の行いを神の行、神のみ力をいただく神の行を行えるよう、魂を高めねばならぬ。
人は皆 神の子なり。神の子としてこの世に生まれ落ちたのだ。
人がこの世で自らの魂を汚していくさまを、神は嘆いておられる。
自らお作りになった人、物、文明、全てのものが、
神のみ心から離れ、人の心で、人の我欲で、人の自己愛で汚され、人に使われるようになって、人の心は神の心を失った。
人は人を卑しめおとしめ、神をすら汚そうとしている。
神は遠く、かの天上から人の行いを見守り、そして心に決められた。
もう一度世を、この世を立て替え、立て直そうと。

そしてその日はもうすぐ来る。
今待ち望まれておられることは、人が一人でも多く、神の心を思い出し、自らの心に神を甦らせること。
神は望んでおられる。全ての人の魂が、わずかなりとも神を求め、救いを神に求め、神が取り戻されることを。
地上において残されし、神のみ心を知る者たちは、神のみ役を果たさねばならぬ。
そのために下ろされし魂たちが神の元に集まり、神の御心を知り、神の声を人に伝えてゆくことを。 神は待っておられる。
人が神の声に 心に光に目覚め、人の心を、人の心に神の心を取り戻してくれることを。
人は迷い迷妄から醒め、人の行を行じ、神の行を行じるように仕組まれている。

神が仕組まれたお仕組みに従え。心素直に、心清く、心正しく、神に心を向けよ。
神に心を向け、神を求め、神を思い、神に光を求め見出せ。
人は人の力では、行ほどのこともできぬ。人知で動く者は人知に滅びる。人知に動かされる者は、人知で物を作る。
人知で作られし物質は人の心を亡(ほろ)ぼす。人の心を亡ぼし者は、人の心を失い、やがては人の魂を汚し、失う。
神は人を救うために、人の魂を救うために、数々のお仕組み、数々の現象をもって示されてきた。
人の魂が目覚め、人の魂が気付き、人が人たるための心を取り戻し、
人が人の心の中に神を戻されることを望みつつ、多くのことを地上に起こしてこられた。
それらの中から気づきを得よ。神のご意図を知れ。神に下座し、自らを戒め、自らを浄め高めよ。
神は人一人一人に告げられる。神の御心を、神の願いを、神の望まれる神の行を。

人間心で働くなかれ。
人間心で語るなかれ。
人間心で動くなかれ。
人間は人間の心を神の心に高め、浄めてゆかねばならぬ。
神は、次なる時の訪れを人に知らしめる。神のご意図を人に伝えよ。
神は既に人の中に自らの声を伝えるための魂を多く下ろされた。
それを気付きし者が人の中に 神の心を取り戻す助けを行じていくことを神は望んでおられる。
人よ、人の中の魂よ、気付けよ、目覚めよ、求めよ。
人は人の心の中に、一旦は失い、一旦は汚した神の居場所を再び浄め、心を戻し、
神のおはした場所に神が戻られることを祈らねばならぬ。
そなたの賜りし行を行え。人間心で行じても、神は喜ばれぬ。
神の心に素直に従え。神は神の心を持つ者をお使いになる。神と共に歩もうと願う者をお導きになる。
人が我で、自分の心のままに、自己の利害得失のためにのみ動く限り、神は力をくださらぬ。
しかと命じよ 神のことばを自らの魂に。
魂の曇りを消し、汚れを祓い、神に求めよ、自らの進むべき道を。
そなたが賜る神のことばを人に伝え、人に聞かせよ。おろそかにせず、必ずや人々に伝えゆけよ。
人は神のみ力で生まれ変わる。人が神の御心に適うならば、魂は高められ、さらに高いみ役を賜る。
我と慢心、それらを捨てよ。人から離れ、物から離れ、神の元に立ち返れ。
人から離れるという意味は、そなたの心を、人の心の営みに明け暮らしているのではなく、神の御心に近づけよという ことなり。
神の御心に近づかんと日々の行を行え。
我々がそなたに望む日々の行とは、神の声を聞き、それを書きとめ、人に伝え広めてゆくことなり。

神は人に光を与える。人に力を与える。
力と光で人は行を行じる。
力と光で人が行を行うとき、それは一つの霊行として高まる。
日々の行、人としての行、神としての行、一つ一つを心を込めて行えよ。
神は一つの道を示した。
神の示されし道を歩め。
神の導かれし方に進め。
神の賜りし行を積め。
日々の行を人として、神の子として、いずれも怠ることなく、神と共に行え。


一九九九年九月五日

これから告げしことを人にも聞かせ広めよ。
神のみ光りに汚れを浄め、魂を高め、神のお役に立つ魂となれ。既に伝えしことの一つ一つを人にも告げよ。
人にも語り、そなたの知る人々に伝えてゆけよ。

人は人の心で神の心を求め、人は人の心で神の心を探し、やがては人の心から神の心に高まってゆく。

そなたは今 神の心を探し、神の心なるものを見出した。
そなたの出会いし魂の中の神と、そなたの人の魂の奥に眠る心の中の神と、
そなたが出会い、一つとなり、一つに結ばれ、一つに高まり、神は神のみ光を照らして そなたの魂を高めんとする。
そなたは人の魂の奥に眠らされた神の目覚めを手助けしてゆけ。そのための書でであり、ことばであり、ペンであり、声である。
人は人間心でことを行う。それはいつか神の御心から離れゆく。
神が望まれし神の道と神の教えに適った行を、神と共に進めてゆくこと。
神は共に、人と共におられることを好まれる。
もしたとえ、その者が汚れし魂であろうと、神はご自分を思い出し、ご自分を求める人の心を待っておられる。
人が神を求めるとき、それは人の中の魂の奥に眠られる神が、目覚めよ、醒めよと呼んでおられるからなのだ。
人が目覚め、求め、醒めたとき、神は自らを現し、人に奇跡を、恵みを お仕組みを起こされる。
人が多く自分のためにことをなすとき、人は自己愛の亡者であり、神は悲しまれる。
自らを失い、神を失い、人を失い、心を失いし人の汚れに神は嘆きの涙をこぼされる。
神は人と共に、人のために人を生かし、人を育て、人の成長を待たれ、望まれる。
神の広く深いその愛と光と力とを人が忘れないことを、神は常に望んでおられる。
やむことなき神の愛と光に導かれ、人の行を積む者は 人から神に近づいてゆくことができる。
人が人から神に近づくとき、神はさらに強く大きな力をもってその人に与えしむ。
人は心を開き、神に心を向け、神から離れぬよう、自らを戒め、自らを諌めてゆかねばならぬ。
人が人の心で人を愛すること、それは人の肉身をもちて生まれしことゆえに、人として自然の営みなり。
人が忘れてならぬのは、人もやはり神の心を備えられて生まれきたということ。

人は決して人として のみの行いをするためではなく、神の御心に適う行を行じねばならぬ。
人が気付きを得、神へと心を高めることが、神の心を取り戻す近道なり。
人が人の行を行い、いつか神と行を共にせんと願うならば、人は神の心をもう一度 自らの中に甦らせねばならぬ。
人は人、神は神、その間に一つの光が射し込まれ、人と神とは近づいて、人の心が神の光に照らされ、導かれ、神の心 と高められる。
人は心を開き、神のみ光を受け、神と共にいることを強く胸に甦らせねばならぬ。

さあ、人よ、立ち上がりて神に向かえよ。
神のみ力を信じ、神のみ光を受けんとせよ。
神は遠くにあらせられるのではなく、そなたのそばで、そなたの中で、ずっと待っておられる。
人は人のまま死んではならぬ。いつか神の心に立ち返り、神の心に戻りて死を迎えねばならぬ。
神は人の心が神の心に立ち返ることを望んでおられる。
神、人、共に一つのものなり。元一つのものなり。
神の魂を与えられ、神に光を与えられ、神の み力を備えられし人は、神の子なり。
神は人を神に近づけるための行を課された。それが人の行うべき霊行なり。
人が霊行を通して自らの魂を浄め高めてゆこうとするとき、
その魂は一つ一つ曇りを消し、汚れを落とし、浄まり高まり、やがては神の御心に適った魂となりゆく。
そのとき神は人に奇跡を見せられ、人の魂を自ら浄めてくださる。人は浄められし魂を持ちて、さらなる霊行を積まんとする。
人の奥に眠らされし神を起こせよ。呼び覚ませよ。そして霊行を求めよ。

自らの魂を高めるための霊行を求めよ。神の御心に適う魂となるためのただ一つの道。
人は神と出会い、人は神の道を知る。
神の道と人の道とが結ばれていくことを、霊行を通じ学んでゆけよ。
それが人の霊行であり、この世で積まねばならぬことの一つなり。
人は神の心に立ち返って生を終わらねばならぬ。
神の心を戻し、人の心を捨てて、あの世に戻らねばならぬ。
そして、神に肉身をお返しし、預かりし魂をお返しして、さらにあの世の行を賜る。
魂の行は魂の続く限り続く。そして一つ一つ行を学び、魂の行を高め、神の御心を学んでいく。
人は人であるが、現界(げんかい)は人の行うべき霊行の場である。
霊行を怠ることなかれよ。
人の積むべき霊行を怠るなかれよ。
人が再び神と出会い、神の心を取り戻し、行を積みて神に感謝し、神の心を取り戻すまで、
神を求め続けよ。
神は神の道を人に示されん。人が神の道に自らの道を近づけ、神の道と結ばれることを、神は望んでおられる。
神の道から離るるな。
神の道から遠ざかるな。
迷いなく、人の道を進め、神の道へ近づけよ。
神は人と共に歩まれよう。 神の御心は人を望んでおられる。
人は神に素直に生きよ。

神に素直に、神に親しく神を慕い、神を求めよ。

今日そなたは魂の中で神を求め、神のことばを求めた。
そなたの心に神は応えてくださろう。これからの霊行の日を迷わず積みゆけ。
神はそなたの行きし道を共に歩んでくださろう。
神はそなたに み光と力を与えてくださろう。
神を求め神に祈れ。 神に求め神に近づけ。
さらなる昇華と精進を、そしてさらに己れを高め、神を求めよ。
今日我々の伝えしことを人に伝えよ。身近の方々に、多くの方々に伝え広めよ。身近の方々はまたさらにお伝えくださろう。
明日もペンを持て。今日と同じようにそなたを導かん。


一九九九年九月六日

これから申し伝えることの全てを書き記せ。これは、神から人へ、神から神の子へ、伝え広めるべきことばなり。
人間心ではできぬことを、神の心でなければ 神の声を聞かねば なせぬことを、
これからこの声を、ことばを聞きし者は 行なってゆかねばならぬ。

一つは神の作られしこの地球を、もう一度 神の作られし元の姿に戻すため、
そして神の作られし神の子たちを 元の元、神の作られし初めの姿に立ち戻らすためなり。
恐るるな。神は人を罰せぬ。神は人をその力によりて滅ぼすことはせぬ。
神は人を神の子を、再びこの地上に生かし、復活させたまい、
そして人が人として、神の子として再びその命を 魂を再びこの世に再現せんためなり。

人はその始めに神の子であった。
神が初めてこの世に人類をそなわせ、人類が人間として神の生まれ変わり、神の代わりとしてこの世に下ろされし
その始まりのとき、人は神の姿を持ち、神の心を持ち、神の力と光を備えられて作られた。
しかし 人はいつしか心も魂も汚(けが)し、地上を汚し、人を汚し、神の心を 姿形を汚していった。
神が人に託した 神の子としての行を怠り、その結果として、人は人類の滅亡を招かんとしている。
今、人は気付き、悟らねばならぬ。自らの犯しし過(あやま)ちを、自らのなせし所業を悔い、恐れ、恥じねばならぬ。
しかし 人は恐れるだけでは足りぬ。神を畏れ、終わりを恐れるだけでは足りぬ。
神の御心を信じねばならぬ。
人が人であり、神の子であり、神の命を分け与えられし始めの尊い魂と姿形を再びこの世に復活せしめねばならぬ。
神はそう望まれておられる。
神のみ光でこの世の悪を邪を祓い浄め、心を浄め、体を浄め、魂をみそぎ、浄め、魂の復活を、
神の心の復活を急ぎ行わねばならぬ。神のご経綸を人は気付き、急いで行わねばならぬ。
早や時は訪れんとしておる。人はこのまま人類の消滅を招いてはならぬ。
神のみ手には既にこの世に下ろされんとする雷(いかづち)が握られ、今まさに下ろされんとしている。

人よ、立ち上がり、神に神の元に立ち返れ。
人は人の心のほしいままに、神から与えられし全ての み恵みをもてあそび、そして汚し、今を迎えた。
しかしまだ神は待たれている。神の心の復活を。
永遠の時の流れと共に、人が再びこの世に楽園を、神の望まれし楽園を復活させんことを望まれ、待っておられる。
今すべきは、急ぐべきは、神の心の復活、神の御心に適いし魂の復活である。
人よ、恐れおののくだけでは足りぬ。神の元にひざまずき、神に許しを乞い、神を崇(あが)め、神に祈れよ。
神は望んでおられる。
人が人たりしときの 人の備えし神の心が神を再びこの世に下ろさんと人々が心を甦らせ、
神に祈りを捧げ、神を畏れ、敬ってきたころの人の魂を。
神は人にことばを、力を、光を、神の持たれし尊きもの全てを人に与えられた。
そして 人がそれらことばを 力を 光を神のために神の子として人々が使い、楽しむことを望まれた。
だが人はそれらことば、光、力、全てを自らの欲望で汚し、それを乱し、
そしてこの世の楽園をいつしか汚れ、乱れ、欲にまみれし地となした。
神は怒り、嘆かれ、そしてこの世を再び元の姿に戻さんとしておられる。

人よ、気付けよ。
人よ、悟れよ。
神の本当のご意図を、神の真のお心を、神の高く尊いお仕組みを、人は畏れ、悟り、気付かねばならぬ。
神は人を人に戻さんとして、今、その手に持たれし神の雷(いかづち)を、今、汚れし魂一つ一つに振り下ろさんとされておられる。
しかし、それでも今なお 神は待っておられる。

人よ、汝ら全ての人が、神の心を 魂を 力を 光を 分け与えられし神の子なり。
神の子が 神の元に戻らんと願い、祈り、神に下座すれば、神は再びこの世に神の国を お作りくださろう。

神の 深く広い慈愛とみ恵みを知りし者たちが、神のお役に立たんとするとき、神はその行いに 力を 光をお与えくださろう。
人よ、神に目覚め、気付き、悟れ。
神の御心の奥に込められし人への愛、人へのいたわり、人への慈愛の深さに、
今、気付き、悟れよ。
神は許したまわん。人の心が真(まこと)に目覚め、許しを乞い願はば、神は許されん。
人よ、迷うことなく神を求め、許しを乞へ。
人の中に眠りし神の、人の中に備えし神のみ力の、神の下せしご意志 ご意図の深き尊きお仕組みを、気付け、悟れ。
神は今、人類全てに呼びかけ、望んでおられる。人よ、目覚め、気付き、立ち上がれと。
神の求めし 神の望まれし、尊き魂を、甦らせよ。
人は人としてこの世で神の楽園を地上に現わさねばならぬ。
神は神の力を 力の一部を、人にも物にも 森羅万象にお与えくださった。
神のくだされし尊き力を、人の知で、人の愚かな考えで、雲らせ 汚してはならぬ。
人は本来 神の子なり。神の子として、神の望まれしことの一つ一つをこの世に移し、甦らせ、現わさねばならぬ。
神のご意図を知れ。
神のお仕組みを知れ。
神の望まれし楽園をこの世に現わせ。

神は力を貸したまわん。
神は力を与えたまわん。
神は望まれておられるのだから。何よりも、誰よりも、望まれておられる。
神の子らが再びこの世に神の居場所を設け、そこに神と同じ美しき魂を持ちし者たちが満ちあふれることを。
神は想っておられる。人が愚かな知恵で汚せし全てのもの、人、自然を再び神の光で浄め、復活させんことを。
一人一人が立ち上がり、神の元に返ってくることを、常に待っておられる。

人よ、急げよ。
人よ、立ち上がれ。
人よ、起こせよ、自らの中で眠りし神の心を。
人よ、忘るるなよ。神の作られし元の神の子であったときの神の心を。
思い出せよ。甦らせよ。神の心を、神の魂を、汚れなく美しく尊かりしころの神の魂を。
今まさに時は訪れん。
人よ急げ。人よ求めよ。人よ恐れよ。時の訪れんことを。今まさに訪れんとしている時を恐れよ。
そして立ち上がれよ。神が、人に神の子に告げしことを聞き、求めし行を行じ、そして神の力に求め、神の許しを 乞へ。
神がこれまで待たれて示されてきた神のご意図を、ご意志の現わされしことごとを、もう一度、人よ、思い返してみるがよいぞ。
神の望まれしことを悟らん。
神の嘆かれしことが見えよう。この世に現れし様々の出来事の中から、心ある者のみが悟りしこの世の終わり。

しかし、それが神の望まれしことではなく、そこに秘められし神の嘆きを、望みを、ご意図を読み取れ。
人よ、まだ遅すぎはしないのだ。
人よ、まだ間に合うぞ。しかし遅れてはならぬ。し損じてはならぬ。
今は許されぬ。迷い、ためらい、恐れはならぬ。
迷わず進めよ。神のお仕組みに従い、神の道を求め歩めよ。 恐れず進めよ。
神の示されし神の望まれし、霊行の道を。
人は気付かねばならぬ。己れのせしこと、なしてきた誤ちの一つ一つを。
だが恐れるだけでは足りぬ。心から悔い、詫び、心を浄め、高め、神の心を呼び戻せ。
神は望んでおられる。待っておられる。
人よ、神の声を聞かされし者たちよ。
力を合わせ、人を救う助けとなれよ。人を救う力となれよ。
神を手伝い、人を救い、迷いから目覚めさせる助けとなれよ。
人は人の中で、人の心に汚れ、雲りを生じさせ、自らをおとしめてきた。
それを悔い、悟りなば、神は自ずと声を聞かさん。
神は迎えん。悟り、悔い、心を正した者たちを、再び迎え入れん。
人よ、神の声を聞きし者たちよ。神と共に、神の力となり、手となり足となり、声となり、体となりて 神のお役に立てよ。
神は今まさにその日を迎えんとする人類を、最後の時の前に、再び待っていてくださるのだ。
神の声を聞け。
神の光を見よ。

神の力を知れ。
神の愛を受けよ。
神の下ろせし雷(いかづち)に打たれぬことを。
神の下ろせし火に焼かれぬことを。 神の怒りに触れぬことを。
一人でも多くの者たちが救われんことを。
神は待っておられる。
人々が人として再びこの世に神の楽園を、美しく汚れなき魂の神の子たちが 甦り、この世にあふれてくれることを。
さあ、時は、残されし時は僅かなり。
この声を聞きしそなたも 神の力となれ。
神の助けとして働け。身をもって示せ。神への感謝と、神への恐れを忘るるな。
片時も離れるな。神の光を その額に受けよ。神の光を その体と魂に一心にたまわれ。
神は人を一人一人を救わんとされておられる。
その神の御心を知りしそなたも 神の子として神の助けとなりて 心と体と魂をもって神に仕えよ。
神に使われよ。神のお仕組みに従え。心素直に、心高く、心清らかに、そして魂を高め、自らの神の心を甦らせよ。

そなたは常しえの神の国をこの世に作らんとして 下ろされし魂の一人なり。神の子の一人なり。そのみ役を思い出せよ。
この世に下ろされし前に神に約せしことを今思い出し、それを果たせよ。
人間心はもうならぬぞ。時はないのだ。人間心は捨て去れよ。人間心は脱ぎ捨てよ。
人間心、人の心、魂の汚れ、曇り、気の迷い、一切を捨て去り、神の心に立ち返れ。

そなたに命じん。神の命を。
そなたに伝えん。今、このとき、この日を以て
そなたに伝えん。神の詔(みことのり)を、そなたに伝えん。
よいな、しかと命ぜよ、己れの魂に、神の心に。
我々は伝えを終える。明日からはまた別の者が伝えん。そなたに、神のことばを伝えん。
忘るるな、怠るな、神の行を、神の命ぜし神の行を。