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神誥記





1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜

二〇〇〇年五月三十日 自我と我

神から人へ。人から神へ。
教えて残せしことの多くを、広く遠く未来まで、遥かな宇宙の果てまでも、伝えてゆけよ。広げてくれよ。
人の力に不可能はなし。神の み力、介添(かいぞ)えあらば、必ず全ては実現せんを。
なれど人の我(が)にまみれし、行いならば、何も起こらず。神の力も及ばざりて、いつか困窮困難(こんきゅうこんなん)深めん。
さて本日、何を問うや。

(自我と我(が)とは異なるものでしょうか。また、自我の芽生えとは、否定されるべきなのでしょうか)
さにあらず。自我と我とは異なるものなり。
人の生まれて、自我が芽生え、他と己との区別が始まり、己の存在、他の存在、そを知ることは大切なること。
人の成長発達の、過程の一つ、証しならん。なれば自我のあることは、本来否定すことにはあらず。
なれど自我の強すぎて、己一人の幸願い、他の利を妬(ねた)むは、悪しき自我なり。
自我の正しき成長は、人も己も大切にして、共に栄える幸祈る、共存共栄の姿なり。
なれば人より多くを望まず。人と同じに満足し、人より持たば、人に与え、常に共にあらんと欲す。
さなる尊き自我ならば、なくす必要さらになし。
間違いあやまつ、今の自我よ。他との違いをひけらかし、人より少しの優(すぐ)れたるを、ことさら強調、強要せん。
謙虚の思いは皆無にあれば、己の誤り、不足認めず。かえりて周囲を非難せん。
己の欠けたる自覚のなければ、少しの進歩も向上もなし。さらに堕落し世間を恨み、努力を嫌いて、安逸貪(あんいつむさぼ)る。
感謝の一つも抱くことなく、全てが当然、己中心。やがては嫌われ、疎まれて、生まれしことさえ、呪(のろ)う傲慢。

神も見離す魂なれど、人の温(ぬく)もり、ことばの癒(いや)し、ときには救いて、心に響かん。
神のあること、生の意味、素直に謙虚に悟りなば、我もなくなりて、昇華せん。
自我の正しき導きにより、悪しき我(が)取れて、再生せん。なれば自我も成長し、人の救いと繁栄こそが、
己も救わる道と悟らん。
未熟な自我は害悪なれど、正しき成長成熟により、いずれは他をも導く自我なれ。
今のこの世にある者たちに、他を導き得る魂少なし。いずれも未熟な我ばかりの、謙遜(けんそん)知らぬ、高慢(こうまん)、驕慢(きょうまん)。
いつか地球を滅ぼさん。さなる心の驕(おご)り、高ぶり。
心の素直さ、謙虚さと、感謝のなくば、人の価値なし。
神の恵みを忘れなば、いつか自然を破壊し尽くし、住める地球を自ら壊さん。
危機なることを、緊急なるを、警鐘(けいしょう)鳴らせよ。呼びかけよ。愚かに慢心、惰眠(だみん)に耽(ふけ)る、腐りし自我なら要もなし。
残せる者のみ残らばよからん。気付きて手伝う魂(たま)のみ残し、次なる世をも立て直さん。
なれど最期の機会を許せし、神の寛容、慈愛の深さよ。
急げといえども人には分からず。迫れる壊滅(かいめつ)、崩壊の時。人には遠き明日ならん。
なれど幕は落とされぬれば、予告を示して、気付かせんとす。
少しの遅れも、迷いもならぬ。ただに一途の献身を。それのみ告げるこの日頃(ひごろ)。
馴(な)れし油断を、今戒めよ。引き締め、構えて、真のゆとりを。
慌てるばかりが急ぐにあらず。焦る心で行うは、失敗の素、あやまちの種。

心に余裕のなきときほどに、神の光も教えも忘れ、目先の成果に幻惑(げんわく)されん。
じっくり腰を落ちつけて、平常心にて、進みてゆけよ。
正しき自我を育てども、卑しき我執に迷うなよ。迷妄、眩(くら)みて、さらに深めん。己の愚昧、妄執を。
いずれ気付かん、最期のときに。己の我執に囚われしまま、神から離れし、罪の重さを。
我を取り、放たれ、自由となれよ。さなれば自我も解き放たれん。
己の些末(さまつ)な感情感覚、そに拘(こだわ)りて、沈みゆくなよ。
己の低き想念の沼。我に縛られて溺るなかれよ、 苦しきときこそ、思い出せよ。青き天空、神の世界を。
光溢れし空を見上げよ。自ら飛翔す己を思えよ。

さにて。


二〇〇〇年五月三十一日 うそ

神から人へ。人から神へ。
人に伝えることばも終わり、今残さるるは、広げることのみ。
問いたきこともなくなりぬれば、次なるみ役を果たすがよからん。

(嘘をつくことは、どんなときにも許されないことでしょうか)
さにあらず。人には常に、隠したきこと、言いたくなきこと、あらざるや。
人に知らせることのみが、正しき選択、策になし。
なれば人は、ときに黙(もく)し、ときに真と異なりて、多少の歪曲(わいきょく)、脚色あらん。
なれど常にそを続けなば、人は信用失いて、ついには己を窮地に追い込み、苦しき境に立つも己よ。
なれば心し、嘘をつくなよ。必要なれば仕方なし。
人は真実現実を、直視する者、僅かなり。多くは己の都合のよきよう、己の利になることのみ見聞く。
一つの事実をそれぞれに、己の解釈、注釈入れて、人に語るは、その一部のみ。なれば嘘とは、全てが嘘なり。
人には事実は表せぬもの。再現するは、虚像偶像(きょぞうぐうぞう)。
一つの事象に光を当てなば、影もあるらん、死角もできん。
人の解釈、そも入らん。或(ある)は誤解に基づくもあり。
なれば人の話聞くとき、全てを信ずはあやまち犯さん。
人の噂や井戸端(いどばた)会議、毒にもならぬ陰口悪口。そに耳貸すな。惑わさるるな。そこに真理のいかばかりある。
多くの口を出(い)づるとき、人の心の汚れをまとわん。
人は多くを語るなかれ。語るは言霊正しく表す、清きことばをのみ語るべし。
人の許さる語りとは、人をいたわる慰めと、心和(なご)ますことばのみ。
他は心の汚れを映す、虚飾に満ちし虚言(きょげん)妄言(もうげん)。
神の祝福受けたくば、神への感謝を祈りに表せ。いかなるときにも神を敬い、神への帰依を忘るまじ。
さなる心の正しき者なら、ことばも清く、音(ね)も涼しからん。
嘘偽(うそいつわ)りを咎(とが)むにあらず。人の語るに真実なければ。
神の戒め、諌めらるるは、人の偽善のことばなり。己の嘘に気付きもせずに、己の正義を盲信(もうしん)す。

さなる独善、慢心こそは、ときに罪なり。害を及ぼす。
人の多くの忠言は、なかなか神の心に適わず。真摯(しんし)に人のため思うなら、徒(あだ)に優しきことばに頼らず、
ときに厳しきことばも必要。なれどそこにも我の入らば、そは偽善なり。自己満足のみ。
神の手伝い望みなば、己の考え、判断交(まじ)えず、ただに神に委ねるべし。
神との縁を結ぶのみにて、余計ないたわり、慰め入るるな。そにて十分神を助けん。神のお役に立ちぬるべし。
人の嘘とは、他愛(たあい)なきもの。己をかばうためならば、他を傷つける意図なくば、神も許して、見逃さん。
なれど嘘にて、人を苦しめ、人の不幸を増すものならば、神は許さず、禊ぎを課されん。
嘘とはいずれ暴(あば)かるるもの。必ず露顕(ろけん)し、粛正(しゅくせい)されん。
なれば神は何もせで、自然の摂理に任せ待つのみ。
人の儚(はかな)き虚偽虚構(きょぎきょこう)、神の前には陽炎(かげろう)の如(ごと)。
鏡の像を見紛(みまが)うことなく、真の姿を見極めるべし。
己の弱さを責めるなよ。人とは全て、脆(もろ)きもの。
弱さも脆さもあるがまま、人の全てを許し賜う、神の慈愛に感謝捧げん。
弱さを責めるに意味もなし。弱さを補う強さのあらば、何の不足も不便もなからん。
欠けたるものを嘆くより、今あるものを慈(いつく)しむべし。
自ら非難し、指弾(しだん)するより、あやまち認め、償う努力を。
人への誠の悔いと詫び。己の弱さを見つめる強さ。
そこそが次の一歩とならん。
自足し努力を怠(おこた)ることこそ、人は恐れて戒むべけれ。

さにて、本日、嘘をつく人の弱さについて教えたり。
向上進歩に努めるべし。さにて。


二〇〇〇年六月一日 人を愛すること

神から人へ。人から神へ。
今ようやくに最後の時なり。最後の教えの終わりなり。教えの終わりに最後に伝えん。これから後に起こること。心し準備す幾つかのこと。
そなたの問いも残りあらん。聞いておきたきこともあらん。なれどみ役は変わりゆき、更に高次のことをなすべし。
なれば我等の教えも言葉も、今は終わりて、次を待つべし。さにて本日何を問うや。なれど最後の教えとなさん。
この後聞きたきことあらば、その都度(つど)聞きて残さばよからん。さにて本日、最後の問いと答となさん。

(人を愛するとき、どうしても我というものが入ってしまいます。自分が相手に好かれたいとか、或いは、独占欲のあまり、
その人が自分以外の人間に優しくすると嫉妬するとか、その人物のみの幸せを考えて、他の人は排除するとか......。
そうした愛を神様はお許しくださるでしょうか)
そも単純なるかな、幼稚なるかな。なれど人間、本質には、必ずさなる欲求あらん。
欲望、本能、人の根源。そこに本来 我はなけれども、自己と他者との違いを知りて、己の優越、選良意識、
そが芽生えぬる時、我は強まらん。

人は本来一人で生きる、孤独の生にはあらざれば、他との調和を重んじて、共存共栄 願うものなり。
なればさらにも浄めてゆかば、必ず人は神に近づき、慈愛の心、寛容の愛、そに目覚めゆくもの、気付くもの。
我の曇りにて、気付かざれど、人とは神の愛を持ち、いつでも人を愛せるものなり。なれば人を愛するときに、
我の混じりぬるは、改むべし。己の愛に 我の混じりなば、さなる愛は汚れとなりて、相手も汚し、己も貶(おとし)む。
人を愛すは難しきこと。正しく愛し、正しく尽くせよ。あやまち我欲に迷いなば、かえりて双方、汚れを積まん。
相手の幸せ願うはよからん。なれど幸せ、そをあやまつな。相手に金銭物質与え、物にて顕す愛は汚れよ。
真の愛とは、相手の心、魂満たす、それのみなれば。
なれば最も明らかな愛は、ことばによりて伝えらるべし。愛の深さは音にも表れ、目にも表れ、顔にも見えん。
なれば饒舌(じょうぜつ)、巧言(こうげん)要らぬ。ただに心と心の環流(かんりゅう)、そにて充分伝わりゆかん。
我とは本来、己への愛。自己のみよかれの心ならずや。我の入(い)る愛とは、己のためなり。
相手の真の幸せよりも、己の満足、自己中心。相手の迷惑省(かえり)みず、己の偏愛、強制す。
全ては我のなす仕業(しわざ)なり。なれば人は、人を愛すも、安易に考え、あやまつなかれ。
人を愛すは、神の行い。神の行いなせる者のみ、真の愛を顕せるもの。
神の愛とは公平なり。差別もなくば、偏(かたよ)りもなし。全ての生を等しく愛し、全ての生の救済願う。
なれど愛にも、差異はあり。最も深く強き愛。最も大きく寛き愛。最も高く熱き愛。
愛に違いはなけれども、顕す愛に、違いあり。人それぞれに見合う愛、神は等しく分けて与えり。
なれば人はそに倣(なら)い、神の愛にも近づくべけれ。人は人とし、人の愛を、正しく顕し、行うがよし。
家族の愛もまた然り。親子の愛に兄弟の愛。子弟の愛に恋人の愛。愛にも幾つか違いはあらん。

なれどいずれの愛にても、独善の愛に真実はなし。相手に押しつけ、嫌われて、悲惨な終わりを迎えなん。
独善の愛は厳に戒め、宇宙の心で人を愛せよ。
全ては神の子。汚れぬ魂。その本来の愛に目覚めよ。
幾多の生に出会うも縁なり。その縁を守り、広げてゆけよ。
一人一人の努力と協力。そのみが地球を、宇宙を救わん。
今人に、神は全てを預けたり。人の最期の献身と、努力の姿を、神に示せよ。
必ず宇宙は一人を守り、一人は宇宙を救いてゆかん。一人一人が神と結べよ。
一人が全てを救うにあらず。一人が一人を救うなり。一人一人の帰依の姿が、神の光を強め、高めん。
なれば一人の努力の姿は、千にも万にも価(あたい)せん。一人を侮(あなど)り、軽んずなかれ。一人の重みは
人には量れず。
人の尺度や基準に量れぬ、神の世界の尺度を知れよ。そも適わずば、神を信じよ。ただひたすらに、愚かに信じよ。
無垢なる心の信仰こそが、神にも通じ、人をも変えん。なれば愛とて同じこと。我にて愛する愛は慎み、
一途(いちず)に祈れよ、人の幸せ。陰にて祈る心こそ、尊き愛の始めなり。
なれば相手に露(あらわ)に示し、押しつける愛は、我のみの偽善。よく戒めて、高めてゆけよ。
神の愛とは見返りも、感謝も求めぬ、ひたすらの帰依。さにて相手が喜ぶ姿を、見守ることにて、満たされなん。
さなる愛こそ、抱きて生きよ。儚(はかな)く短き生ならん。神の愛にも昇華させ、あの世に帰らば、神は祝わん。

さにて本日、神に近づく愛を教えたり。

明日にも問いはあるなれど、明日には別の み役を与えん。なれば心し、神に向かえよ。
さにて。


二〇〇〇年六月二日 神様の愛・光

神から人へ。人から神へ。
多くのことを教えて来(こ)しが、全ては終わり、次なるみ役へ、次元を上げて、務めゆくべし。
永年神に仕えてゆかば、神もその功ねぎらわん。
神の慈愛に応えてゆけよ。これから後も、永久(とわ)の年月。
神の使いを終えし後には、彼方の星まで帰り来(こ)よ。父母(ちちはは)の待つ、遠き星まで。
明日にも神は迎えなん、清き魂、尊き魂。なれどみ役を終えぬるときまで、神も見守り、待ちておられん。

さにて本日、そなたの問いも最後とするべし。この後世界は急転し、立て替え直しも厳しき時なり。
なればそのため、身も引き締めて、心正して、端然(たんぜん)と待て。慌(あわ)て乱れて騒ぐことなく、人の救いを祈りつつ、
神のなすこと受け止めよ。そこから読み取れ、神のご意図を。人に伝えて、気付きを与えよ。
さにて本日、最後の問いなり。何を問うや。

(神様の光、愛について、お教え下さい。また、人間、地球に対して望まれることをお教え下さい)
では答えん。神の光と愛について。また神の望む人への希望。

先ず一つ。神は全ての人類を、今日この日まで見守りて、健康幸(さち)を願いてきたり。
なれど人の心の堕落、金銭物質至上主義、人の心の汚濁に迷妄、さなる衰退、退廃に、神の存在、恩愛も、
人の心に跡形(あとかた)もなし。
神の存在忘れし心に、神の光は届かずなりて、人自らが神から離れ、ついに堕(お)ちぬるこの世の地獄よ。
今のこの世に光輝く、安らかなる地は残りしか。人の心の荒廃腐敗(こうはいふはい)は、そのまま地上に具現され。
神の降り立つ地を設けんと、神の光は強まりて、この地を照らし、浄めを急ぐ。
神の光は浄めの力。強くて高き波動なり。目に見る光と異なれど、元は同じの波動にあれば。
光は心も魂も、全てを浄める力を持ちて、汚れを取りて、曇りを祓う。
なれどかくなるみ光さえも、今の地球を浄め尽くせず。人心堕落の極みにあれば。
ことばの乱れもその一つ。ことばを汚せしことこそが、この世の乱れの始めなり。
神の慈愛を問いたくば、この世の自然の恵みを見よや。全てが満ち足り、不足なきよう、神の与えし恵みの全てよ。
調和を崩し、循環狂わせ、まだ凝(こ)りもせず、飽きもせず、神の慈愛の浪費濫用(ろうひらんよう)。
神の慈愛は無限といえど、この世に物質、限界のあり。
人への愛は衰えるなく、一人残さず愛すれど、応える者の少なければ、神の悲しみ、嘆きも深し。
神の慈愛は広大無辺。偏(かたよ)りもなく、例外もなし。大地を照らす陽光の如(ごと)、僅(わず)かの隙にも光は届かん。
土中の虫さえ光を頂き、己の役目を果たして絶えなん。
多くのことばを費やさずとも、心に感じ、魂で見よ。神の慈愛を問う前に、今ある生にて十分ならずや。
生まれて生きる、その幸を、謙虚に祝う心こそ、神への感謝と捧げればよし。

神の慈愛を信じぬ者よ。哀れな生よ。迷える魂(たま)よ。神の導く光も見えず、自(みずか)ら離れて、はぐれし魂(たま)よ。
この世に溢るる人の流れよ。行く先正して、元に戻れよ。
母なる海へと流れ着き、無事にあの世に帰り来(こ)よ。
神から人へ。人から神へ。
神の願いと嘆きと苦悩。人の迷いと、疑い、不信。
神と人との出会いを助けよ。
神の慈愛を、感じ取れぬ者。神のことばを、聞き取れぬ者。それぞれ縁をつないでくれよ。
神の願いは一つなり。
全ての人が救われて、この世を豊かに、安らかに、心の清き人の満つ、光眩しき地上の現出。

なれば本日、最後の問いなり。明日には異なるみ役示さん。明日には朝より、祈りて待てよ。
さにて。


二〇〇〇年六月三日 最後

神から人へ。人から神へ。
互いの信頼、尊敬、愛情、さなる尊き感情と、豊かな心を忘るなよ。
この後己の身を助くのも、全ては己の魂一つ。心の優しさ、豊かさなれば。
さにて本日、そなたに伝えん。これから後のそなたのみ役。これからそなたに起こり来ること。

なれど心配、不安は無用。神の慈愛に変わりなければ。
本日そなたにしかと申さん。これから後には神に問うなよ。
いかなる時にもそなた自身の、心に問いて、神に問うなよ。
神には神の考えもあり、答もあらん、意図もあらん。なれどそなたの修行の一つ、次なる次元の行と思えよ。
そなたの忍耐、努力を見届け、神はそなたにみ役を課さん。
神の心を伝えることと、そなた自身の向上を、神は望みて、預け任さん。
何も迷わず、ためらわず、神のことばを伝えてゆけよ。
神には神の願いあり。地上世界の救済と、次元の上がりし次なる地球。
さなる種人(たねびと)この世に残し、後は立て替え直しとなされん。
なればそなたも、そを手伝いて、ますます神に、仕えてゆけよ。
さにて本日、我等はそなたに告げし後、あの世に戻りて、神に伝えん。そなたにしかと申し渡ししぞ。
迷うなかれ。疑うなかれ。必ず仕組みは起こり来て、そなたのみ役は変わりてゆかん。
今のそなたの精進努力は、必ず次なるみ役に耐えなん。心配要らず。詮索(せんさく)要らぬ。ただに任せよ、泰然と。
さにて本日、そなたの疑問あらば、問うてみよ。なれどこれまで答えしように、我等の答を与えるはなし。
そなた自身の答を書けよ。そなたの心で答えてみるべし。

(なぜ、神様方はもう答えて下さらないのですか)
そも当然の、疑問なり。神の御心、神意には、答えてやりたき思いもあらん。
なれどこれから起こり来る、地球の困難、危難のときに、そなた自身が考えて、行うことも必要ならん。

(でも、人間心で判断したりするのではないでしょうか。何事も神様に委ね、神様のご意図を問うのが人間と
して最もふさわしいのではないでしょうか)
さにあらず。全ては人の決め行くべきこと。神は見守り、仕組むのみ。
この世を動かす原理を定めて、後は自然の原因結果よ。
なればそなたもおのが心に、浮かび来ること信ずればよし。さにてあやまつこともなからん。

(ではもう神様方との通信交信もしてはいけないのですか)
さにあらず。我等は常にことばを伝えん。
なれどこれまで続けしように、紙に残す問答は終え、次なる霊行なせとの命(めい)なり。

(自分で判断しても間違いないほど、十分に昇華したとは思えません。我執も強く、人間心の感情のみの人間です)
さにあらず。己の昇華に気付かずとも、神の目にこそ明らかなれば。

(では、私の毎朝の霊行の代わりに、これから何を致しましょうか)
そは祈りなり。神への祈りと、人への祈り。さらには人への伝えなり。

(具体的にお教え下さい)
では一つ。早くに印刷、流布(るふ)させよ。人の間に広く渡りて、知らぬ者のなきまでに。自ら努力し、示してみせよ。
さにて本日新たに教えん。神への祈りと、人への祈り。人に伝えることばのありかた。
一つは「いろは」と「ひふみ」を唱えよ。日々の霊行、啓示に代わりて、毎朝欠かさず宣(の)り上げよ。
さにて神への祈りとならん。
次に神に唱えるべきは、全ての感謝と人の幸福、地上の平和と浄化を誓えよ。
人の心の救済を、急ぎてなすを、しかと誓えよ。さにて神は聞き届け、立て替え直しを待ちて延ばさん。
さにて本日、神への祈りと人への祈り、神への約束教えたり。
後は人へのことばなれど、これまで教えしことを伝えよ。神のことばを代わりて聞かせよ。
神の存在、神への感謝、ことばを浄める務めのことを。さにて十分、み役となるらん。
なれば本日、伝えを終えん。これから後にも待ちておるぞ。そなたの精進、努力を望むぞ。
いよいよ最後の仕上げとなさん。そなたの教育、昇華の手伝い。
よくこの月日を耐え抜きしかな。半年なれども よく果たしぬるかな。
神の禊ぎもきつくはあらず。この世の地上を浄めてゆけよ。最後の み役を果たして帰れよ。

(心の中で神様に問うことは許して頂けないでしょうか。これまでと同じように)
そは許されん。問いかけられよ。なれど朝の書記は終わらん。
朝の祈りを欠かすなかれよ。

(一回でよろしいでしょうか)
そも自由なり。何回なりとも。心こめなば、一度にてよし。
さにて。

己一人の精進になし。全ての過去のご縁もあらん。今世限りの縁ならば、何故(なにゆえ)かくなる奇(く)しき出会いを、
賜り授かる意味ありや。
神とのご縁を尊べよ。神との出会いを疎(おろそ)かにすな。己一人の努力にあらず。
そなたを導く神霊方の、ありがたき仕組みを、素直に受けよ。理屈は要らぬ。理解も不要。

ただに任せよ。束縛(そくばく)解(と)けよ。なれば自ずと神への奉仕も、自然なままに運ばれ進まん。
人間心の偽善、正義は、ときにはあやまち、お役に立たず。かえりて妨げ、邪魔となるのみ。
なれば素直に従えよ。神の喜ぶことのみなせよ。
人の間の噂、陰口。そを気にすなよ。煩(わずら)うなかれ。なれど人の世、浮き世のしがらみ。強く囚(とら)われ、拘(こだわ)るなかれ。
人の目、耳も、やがては飽きて、忘れてゆかん。過ぎ去りなん。つまらぬことに関わるなかれ。
人の尺度の忠告助言。多くは勝手の、その場限りよ。
なれば己を見失わず、目標遥かに見定めて、今日のこの日をを大切にせよ。
世間の荒波、もまるるなかれ。苦労と努力は別のこと。ただ徒(いたずら)に、苦労を重ねど、心の富は増しもせず。
かえりて光を曇らせなん。執着汚れも貯まり増しなん。人の低次の悩み悲しみ。神にも救えぬ苦悩あり。
自(みずか)ら神を求めぬ限りは、神の光も照らし得ず。

なれば悩める人の心を、神の光に向かせんと、ことばをかけて慰めよ。癒(いや)し、和(なご)ませ、導けよ。
そのみで救われ、目覚ません。神との約束思い出さん。己の み役を、生の意味を。
さなりて人は甦り、己の奥の神と出会い、正しき生を生きるのみ。
それまでのこと、人の救いは。神の手伝い、霊行は。
己の生を懸けるといえど、犠牲となるを、神は望まず。それにて充分、お役に立たん。神の手伝い充分果たさん。
今のこの世の荒れぬれば、容易に神を口には出せぬ。さなる時なり。時代なり。物質文明発達しすぎ、
神を忘れし、愚かな時よ。なれど次には、必ず気付かん。己の愚味(ぐまい)を。浅薄(せんぱく)を。
恥じて悔いなん。神に詫びん。そして許され、救われなん。
人の大なる救いには、厳しき禊ぎも必要なるらん。そを耐え忍べよ。乗り越えよ。
なれど待つのみ、何もせぬは、少しの精進、禊ぎとならず。神の手伝い求めてこそは、神の許しも恵みも得なん。
時代を築き、次の世のため、今ある生を神に捧げよ。さにて神は喜ばれ、新たなみ役も、恵みも与えん。
神のお役に立つ運命を、さらに感謝し、敬虔(けいけん)なれよ。望めど望めぬ、み役ならずや。気付かず果てぬる命も多し。
己の先祖も救われなん。子孫の霊行、精進により。なれば一人の命にあらず。霊行ならず。精進ならず。
今のこの世に生を受け、生かさる者は、責任重し。勝手の欲望、願望のみにて、終わりぬるこそ 恐るべし。

さにて本日、区切りの日ならん。そなたの決めし境の日とせよ。

なれど終わらぬ霊行なれば、明日にも求めよ、霊行を。さらに高めよ。感謝を、祈りを。
明日にも問えよ。生の意味を。質問終わらず。続けてゆけよ。
さにて。




あとがき
『神話記』は、筆者が毎日一問ずつさせて頂いた質問へのお答を記したものです。お答を伺い
ながら逐次ワープロで入力してまいりました。仕事に出かける前の二時間を費やしました。日々 新鮮な驚きでありました。
 私事ですが、前著『神から人へ』及び今回の『神語記』をまとめました時期(一九九九年九月 ~二○○○年六月)は、ちょうど博士論文作成の時期と重なっておりました。不思議に論文作成が滞ることはありませんでした。無事博士号(人文科学)を授与されましたのも、神様のお陰に 違いないと感謝申し上げております。
さて、筆者の生業は教育でありますが、新世紀となり、いよいよ教育も変わっていかなければ ならないと痛感しております。これまでの教育(特に戦後の教育)は破綻を来たしていると感じざるを得ません。町や電車の中で見掛ける若者たちの多くの何と活気のないことか。
振り返れば、自分自身の学生時代も決して希望に燃え、充実していたわけではありません。 茫洋たる前途への不安。どうすれば自分の本当にしたいことが見つかるのか。焦るばかりで、一向 に気力の沸かないもどかしさ。今自分が接している学生たちもかつての自分と同じなのかもしれません。しかし、どこか、もっと冷めている、諦めている、人生を放棄しているような感じが致します。
幸い自分は今日まで、目標を持つことで、何とか生きてくることができました。結果はどうあ
れ、営々と努力し続けることができました。ささやかではありますが、忍耐することの辛さや喜びを味わうこともできました。そして、多くの方に助けられ、支えられて生きることの尊さを実感致しております。
何ともいえず侘しげで精気のない若い人たちに、エネルギーを取り戻してほしい。きらきら輝く目をしてほしい。では、どうすればよいのか。自分に何ができるのか。
先ず思い浮かぶのは、「ことば」を大切にすることです。「ことば」そのものを正しく使うこと。
そして、「ことば」に感謝の思いを持つこと。
筆者は外国人に日本語を教える仕事柄、コミュニケーションに興味があります。コミュニケー ションとは、単に意味のやりとり、情報交換のためにのみ行われるわけではありません。コミュ ニケーションにとって何より重要なのは人間関係の維持・発展だと思えるのです。
しかし、近年、生活スタイルの変化に伴い、人間関係はますます希薄となってきております。
人間関係のないところに「ことば」が使われるはずもありません。使われるとすれば、それは、 必要最低限のことばであり、意味を伝えるだけの音声・記号に過ぎません。このようにして使われることばに、エネルギー、言い換えれば「言霊」が宿るはずもありません。
新世紀における教育において先ず急がれるのは、人間関係の復活であり、エネルギー溢れる 「ことば」の再生ではないでしょうか。本書を通じて、ことばの見直し、そして魂の存在の見直しがなされれば幸いです。
筆者自身、前著を書き始める以前は、神の存在すら信じない人間でした。神仏、霊魂、死後の世界、等々。そうしたものの全てを、非科学的、宗教的なものとして忌避してまいりました。

しかし、今やそうした自分のほうが愚かであり、軽率であったと恥じております。この数年、 医学や科学の世界でも、「神」や「霊魂」の存在が認められつつあることを知り、非常に驚き、 かつ鼓舞されました。もちろん「神」という言い方ではなく、「サムシング・グレート」(筑波大 学名誉教授・医学博士 村上和雄氏)など、それぞれに工夫がなされてはおりますが。
中でも、国際地球環境大学名誉総長・農学博士 小牧久時先生の「絶対平和への四段階」構想 (その最終段階としての「第四段階、この地球のみならず、全次元の全宇宙の全ての知的霊的存在の円滑・迅速なる完全救済」)に触れえたことは、多いなる励みとなりました。また、昨年九十六歳で亡くなられた元電気通信大学教授・工学博士 関英男先生は「宇宙学」即ち、科学と宗教の統合を説かれ、「洗心・瞑想・感謝」を奨励されています。
こうした偉大な学者たちによっても、新世紀の教育・学問の方向性は示唆されているように思えてなりません。新世紀の教育は平和に貢献しないものであってはならないのです。そして、 「見えるもの」だけを学問・研究の対象としてきた時代は終わろうとしています。「見えるもの」 だけに囚われていると、逆に真実を見失うのではないかとさえ思います。
では、真実とは何か。それは、筆者ごときが説明し得るものではありません。が、敢えて自分の感じているままを素直に素朴に表現するならば、それは、自然の摂理、宇宙を貫いている真理そのもの、なのではないでしょうか。本書が、そうした真理に近づくために、さらには地球の平和と人々の幸せに少しでもお役に立てれば幸いです。
今回、光栄なことに、富岡八幡宮 富岡興永宮司さまより、すばらしい推薦文を賜りました。 実に意味深長であり、もったいない限りでございます。本書を公刊することの意義を改めて教えられた思いが致しております。
また、表紙の題字をお書きくださった山本光輝先生にも、この場をお借りし御礼申し上げます。
本書のイメージを、荘重かつ厳粛に表して下さいました。
本書の完成までに様々なお知恵を貸してくださった久米晶文氏(神田外語大学助教授)、今日の話題社の高橋秀和氏にも大変お世話になりました。
最後に、今日、本書が、無事皆様のお手元に届きましたこと、何より嬉しく存じます。誠にありがとうございました。