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神誥記





1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜

二〇〇〇年三月十五日 先祖の供養

神から人へ。
神から人へ、伝えて残せよ、人のため。後の世のため。人のため。
それのみ思いて今は励めよ。そなたの霊行、真の行は、これから始まり、さらに進まん。
さにて本日いかなる問いか。

(先祖のご供養について、さらに詳しくお教え下さい)
では答えん。
先祖というは今ある祖先と、そのまた前世、前々世、遥かに上らば、己が作られ、御霊(みたま)授けし親神様まで、
元まで返りて含まるるなり。
なれど今の世、今世にては、知ること適わぬ親神なれば、今の世のみの先祖を供養し、ご縁を尊び、祀(まつ)らばよし。
なれど、忘るな、大本の、最も尊ぶ己の祖先は、己を作りし、親神なれば、心の奥にも眠らるる、
己の本神、そを敬えよ。
さにて先祖も、供養され、恵みも守護も、授け下ろさん。

(親神様は、皆同じですか)
さなり。元に戻らば、全ては同じ。なれど、異なる神々が、それぞれ作りし者もあるらん。
神々作りし神は一つの、宇宙の根幹、大本なれば、ス神それのみ、全ての中心。

(では、ス神お一人をお祭りすれば、それでもよいのでしょうか)
さなり。なれど、心の貧しき者は、それさえなせぬ、無礼の者なり。
なれど、さらにも、ゆとりを持たば、他の神々、先祖も祀れよ。

(今の自分の直接の先祖を供養することにはどのような意味がありましょうか)
そもまた大事な供養なり。己の生まれし直接の親、この世に結ばれ作られし縁。
そもまた希有(けう)の縁なれば、感謝し祀りて、尊べよ。
なれどそれのみ、先祖のみでは、不足を忘るな、充分ならず。

(自分を作られた親神様は、守護神様のことでしょうか)
さなり。なれど変わりて移るものなれ、多くの神々、関わりて、今のこの世は、作られ、保たれ。
一つに限りて、それのみにては、感謝も祈りも、充分ならず。
全ての神への感謝とは、今ある生を感謝して、真面目に生きるが、最も大切。
なれどそれにて終わりなば、感謝も足らず、届かざる。まして己の精進昇華は、低く留まり、供養とならず。
神とのご縁を得し後には、霊行行い、神に役立ち、神に従い、行を積むべし。
さなれば先祖の修行も進みて、不幸も病も、治まるらん。

(先祖にとって、子孫の供養とは、どのような意味を持つのでしょうか)
最も簡単、容易な供養は、供物(くもつ)供えて祈りを捧げ、折々墓に参ること。
なれどそれにて安んじなば、子孫の感謝は届き得ず。
先祖のあの世の修行には、執着迷妄取れぬ間は、苦しみ悲しみ、煩悩(ぼんのう)ばかり。
幽界にてもこの世を思い、この世に戻るを諦め得ねば、この世の子孫に頼らんと、飢えと病の苦しみを、
伝えて、訴え、救いを求むる。
なれば子孫は執着解きて、己の肉体滅びしことを、よくよく悟らせ、知らせるべけれ。
さにてようやく迷いも取れて、幽界離れて、浄化せん。
霊界入らば、子孫も忘れ、ただひたすらに行を積むらん。
さなりて先祖と子孫の縁も、ようやく終わりて、務めも終わる。
なれば子孫は、先祖の苦しみ、訴え聞きて、修行を助け、早くに霊界、入れるように、手伝い助けて、救うべし。
さなりて子孫も、己の死には、迷わず幽界、霊界へと、執着離れて修行を積み得ん。
先祖の苦しみ、悲しみは、取れずば、必ず、子孫に表れ、執着凝りて、不幸もたらす。

(先祖の供養で、先祖の執着も取れてゆくのでしょうか)
さなり。最も尊きご供養は、神への霊行、励むこと。
さなれば神とのご縁も深まり、先祖に光も、強まり当たらん。
さにて、明日にも、また答えん。しかと納めよ、己の肚(はら)に。


二〇〇〇年三月十六日 守護神のことばを聞くには

神から人へ。
神から人へ、伝え残すも終わりなれば、今は問いもて、答えてゆかん。
さにて本日、何を問うや。

(守護神様の声を聞こえぬ者は、どうすればよろしいでしょうか)
さても疎(おろ)かに考えるなよ。なれど真の道は一つに示され、見せられ、誘(いざな)われん。
人のなすべき霊行も、生業学業定められ、そに従わば、全てよからん。

他になすべきことあらば、仕組み起こりて、神は示さん。
多くを求めて、考え過ぎなば、無駄な骨折り、気苦労ばかり。
神は望まぬ、愚かな徒労は。最も大切、必要なるは、必ず起こりて、知るに至らん。
神の仕組みはそのためなれば、素直に生きなば、必ず従う。大方迷わず、進みゆくもの。
なれば焦らず、素直に従え。己の願望、欲望強めて、能力越えしことは望むな。
神の自然の理(ことわり)ならば、幾つの困難 挫折はありても、必ず高まり、さらに進まん。
迷える道なれ、踏みとどまりて、悩み、ためらい、惑えども、進む勇気と辛抱 忍耐。
先ずは続けて、進歩を計れよ。
なれど諦(あきら)め、観念大事。よからぬ執着、執念は、かえりて徒(あだ)となるらめば、ときには離れて、問い直せ。
必ず見えなん、己の霊行。生業続けて、己を養え。
最も身近にあることさえ、なせぬものなら、何もなし得ぬ。
謙虚に臨みて、己鍛えて、その後求めよ、さらなる昇華を。
なれど自ら望めども、神の許しのなきことならば、ことは進まず、困難ばかり。
神のご意図を誤らば、禊ぎもきつかれ、気付くも大事。

(耐え抜くことと、諦めと、どちらが大切でしょうか)
どちらも大切、見極めよ。なれど、難(かた)きが、正しき判断。
神のご意図に背きなば、ことは進まぬ理なれど、ときには耐えて、精進せよと、そを求めるも神の意図。

(目標を捨てず、挫折を繰り返しても努力するべきなのか、それとも、その目標は誤っているからやめよというご意図なのか、判断が難しいと思うのですが)
然(しか)らば問えよ、神のご意図を。
なれど聞こえぬ声なれば、先ずは辛抱、諦めるなよ。
やめることより、続けよ、一途(いちず)に。他になすべきことあらば、必ず仕組まれ、示されん。
さなくば耐えて、諦めるなとの、神のご意図を解せばよからん。
神のご意図を気にするよりも、全てを委(ゆだ)ねて人事を尽くし、その後結果に読み取れよ。己の精進、昇華の 証(あかし)を。
人間心の独断、専断(せんだん)、必ず禊がれ、妨げ多し。
先ずは素直に、流されて、多くを望まず、目の前の、なすべきことを徴(しるし)と読みて、己の最善尽くすに如(し)かず。
それにて尚も、禊がれなば、そこにも神のご意図あれ。あやまち、正せよ。よく省みよ。
多少の苦労や努力に忍耐、先ずは求めよ、己の修行。 楽のみ追わば、修行とならず。良薬求めば、苦さも尊し。
楽のみ多かる生ならば、神の恵みも ありがたからず。
光のまぶしさ、明るさは、暗き道のり歩きし者のみ、目に滲み、心に滲みいらん。
神の恩愛、身に受けて、忘れ易きが、多くの衆生よ。
日々に感謝し、祈り捧げて、高める努力も、行のうち。

本日、守護神、行のありかた、教えしことを、よく振り返り、己の行の標(しるべ)とされよ。
全ては同じ、一筋の道。裏から聞きても、表からでも、神の神意に変わりなければ。

全ての問いは、一つの真理に、通じてゆくなり、つながるなり。
さにて。


二〇〇〇年三月十七日 神社の鳥居・注連縄(しめなわ)

神から人へ。
神から人へ、与えたき教えも伝えもあるなれば、ただ忠実に聞き取り、書き取れ。
さにて本日何を問うらん。

(神道では鳥居は呪詛(じゅそ)の筈ですが、今も神社が用いるのは正しいのでしょうか)
さにても不思議な風習なれど、昔の古人の知恵にて始まり、いつしか神社に定着せしを。
神社というは神の降り立ち、そこにて宿る仮の住みかよ。なれば浄めて、汚れぬようにと、汚れを祓う意味なれば、鳥居も縄も、そこに意味あり。
なれど不浄の汚れし者なら、そこに入るに手を洗い、水にて禊ぎて、入(い)るを許さる。
なれば今には、不要のものなれ、残しておくこと、真の意味なし。

(呪詛の徴(しるし)ということですが)
呪詛というもの、神にはあらぬ。
汚れし邪霊を寄せつけぬため、人の考え、作りしものなれ、なくとも汚れは入れぬものなり。
神の降り立つ場所なれば、人も浄めて入(い)るを許さる。

(では、神社が用いても、無意味だが、間違いではないと考えてよろしいでしょうか)
さなり。意味なきことなれ、間違いならず。

(次に、注連縄(しめなわ)はほどくということについてお聞かせください)
注連縄なりとも意味なき徴(しるし)。神を閉じこめ、出さぬようにと、人の考え、作りし迷い。
神の居場所は清かれば、邪神の入るを防ぐためなり。
なれどそもまた愚かな慣行。なくてもよきもの、意味なき徴よ。
神とは汚れし土地には降りず。清く汚れぬ土地に降り、さらにその土地守るため、その地の人や霊魂を鎮めるための、場所なれば、
注連縄そもそも 逆さまのこと。

(では、ほどくのが正しいのですね)
さなり。ほどくが正しき教えなり。なれどしめても害にはあらず。
多少の無礼も許されなんを。

(注連縄の右ひねりと左ひねりは、どのように違うのでしょうか)
右も左も旋回するを、いずれも神には意味なき結び。
右にひねらば、正しく動き、左にひねるは間違い正す。
いずれも正しきひねりなれ、どちらをとりても、神には意味なし。
人の始めし行いなれば、神の教えしことにはあらず。
注連縄しめれど、邪神はあふれ、注連縄逃れて、外にいでなん。
閉じこむべきは、汚れなれ、先ずは浄めて、その後とけよ。

(右も左も同じなのですね)
さなり。左に巻くも、右に回すも、全ては巡りて元に返らん。
左に動かす過ちならず。右に回すも、誤りならぬ。

(日月神示に「三千年の教え、間違っていたと気付けば、すべてありやかぞ」とありますが、今の教えの有効 時間はどのような単位でしょうか)
日月神示の元の教えは、三千世界の意味なれば、真の長さを示すにあらず。
三千世界の真の示しは、無限宇宙の意味なれば、時間空間超越し、時の隔(へだ)てを越えしもの。
今の教えも、過去の教えも、真理は一つの意味なれば、間違い気付くは人の解釈、直し正せの意味なれば、
今の教えに間違いあらず。
しからば有効時間も無縁。
さにてもわからぬことあらば、再び問いて、質(ただ)すを待たん。

さにて。明日にも問えよ、人への伝え。残して価値あることを教えん。


二〇〇〇年三月十八日 心の自由

神から人へ。
神から人へ、教えて伝えて、残しておけよと、そなたを使い、人を動かし、今に始まる立て替え直し。
さにて本日、何を知りたき。

(心の自由さについて)
では教えん。
神から人へ、最も望むは、人の自由な、心と体。囚(とら)われのない、わだかまりない、素直で明るき心のありよう。
神にも近づき高まるための、心のありかた、大切なれば、囚われ拘(こだわ)る、そを改めよ。
さにても難(むずか)し、人間心は。必ず迷いや、疑いが、心の自由を妨げん。
欲望、嫉妬、疑い、惑い。人の心の曇りの全てが、心に不自由、負担を与えん。
最も尊き心にあれば、神との交信、可能にするは、心の自由なときのみならん。
いかにも難し、苦しく思えど、一度(ひとたび)自由を手にせし者は、後には容易に行いなせん。
苦しく思いて力を入れるな。心に固く決意固めど、かえりて徒(あだ)なり、邪魔となり。
無邪気に笑う赤子のように、無心に帰れよ、思い出せ。汚れぬ頃の、子どもの心よ。
邪心も邪執(じゃしゅう)もなかりし頃よ。
神との無邪気な交流は、人間心のせわしき者には、不可能なれば、我を出すなかれ。
我を持ち、我欲を強めし者には、無邪気な交流、戯(たわむ)れ得(え)せぬ。

人間心と欲望願望、遥かな理想と高き心は、似ても異なる別のこと。
量れぬ高さと尊さなれば、考え悩めど、つかみ得ぬもの。
神に委(ゆだ)ねて諦(あきら)めしとき、束縛離れん、執着取れん。
任せてなおかつ、努力も惜しまず、無欲無心の境地、境涯(きょうがい)。
神に近づき、高まるほどに、神の心に歩み寄り、俗念離れて、汚れも浄まり。
無理に離れて、逃れんと、力(りき)む心に翳(かげ)りも生じん。
先ずは重ねよ、霊行を。深く刻めよ、人の幸せ。
己のことのみ第一とせば、心は曇らん、翳(かげ)り強めん。
理想の遠き境涯(きょうがい)なれど、己のかけ得るものあらば、それに一途(いちず)に己を打ち込め。
なれど、我欲の行いならば、神の心は最も遠し。
ただひたすらの努力と辛抱。そをも厭(いと)わず感謝捧げて、素直になりて気付きしときには、心の垢(あか)も浄められ、
真白き雪のまばゆさなるらん。

さにて心の自由を伝え、励みとされよ。支えとされよ。
人は必ず昇華(しょうげ)するもの。そを信じなば、迷いも晴れん。


二〇〇〇年三月十九日 立て替え直し

神から人へ。
神から人へ、人を介して教えしことは、全て神の御心なれば、先ずは伝えて、世に広めゆけ。
今を逃さば後には遅く、全て終わりて、取り返せぬを。
さにて本日何を問う。

(立て替え立て直しについて、お教え下さい)
さにては教えん、この世の終わり。神のご意図を、経綸を。
この世の終わりは、この世の始め。全ては循環、巡りにあれば、たとえ終わりて滅びし後にも、必ず神は次のもの、新しき命を準備され、次の世界へ、続けて残す。
なれば恐れず、身をもちて、この世の浄めを手伝えよ。必ず神は救いて助け、次なる世にも、残されん。

(魂は滅びて、何も残されないのでしょうか)
さなり。滅びし後には、別なるものへと、再生転生繰り返し、残され禊がるものもあり。
なれど消されて何も残らぬ、真の消滅、滅びもあるらん。

(立て替え直しをどう迎えればよいのでしょうか)
そもまた、下らぬ、詰まらぬ問いよ。何度も伝え、教えしを。なれど再び伝えて教えん。

先ずは浄めよ、ことばの音を。音を浄めば、地上清まり、さらに心も癒されん。
音の力と光の力は、この世を浄めて、高めゆきなん。
その後人は、自らの、あやまち気付きて、神に詫び、帰依の心を取り戻すべし。
なれど預けて任せしのみでは、神のお役に立ちはせぬ。
神のお役に立つための、最善努力を捧げるべけれ。
そがみ役なり、霊行なれば、神のお役に立つことのみを、信じ、働き、動け、休まず。
み役は人によりて異なる。己の御霊に適いしことを、先ずは誠心誠意をこめて、神のお役に立つことを、
歓び、感謝し、尽くせばよけれ。
全ては仕組まれ、準備され、定めは働き、目覚まされ。
なれば素直の者のみが、気付き働き、悟りて動く。
神の仕組みは始まりぬれば、遅れて動けど、役には立たぬぞ。
今このときを、逃すな、人よ。
神の御心、素直に受けよ。神に誤り、しくじりはなし。全てを神に、委ねてゆけよ。心高めて、清らに保て。
神の願いも今ようやくの、成就(じょうじゅ)のときなり、完成待たるる。
なればこの世の立て替え直し、先ずは恐れず、素直に磨け。今の生業、学業、霊行。
それのみ行い、心安らげ、つまらぬ執着取りてゆけ。
さなれば必ず、神はみ役を、示し教えん、人それぞれに。
そを歓びて働かば、世の立て替え直しも、留まらず、無事に過ぎなん、何事もなく。

(その中でも滅ぼされる魂があるのですから、そうした魂を一人でも多く気付かせることが必要ということで しょうか)
さなり。まさにそのこと、今急がるるも。今のままでは、大方の魂滅ぼし、捨てねばならず。
残せる魂、役立つ魂、殆どなければ、神も憂いぬ。
なれど、そもまた、運命なれば、己の生を変え得ぬ者は、諦めゆかん。神にもなせぬ。
さにて、本日、これまでの、繰り返しなれども、再び納めよ。肚(はら)に、心に、魂に。
浄めてゆくが第一なれば、先ずはそれのみ、努力せよ。

(自分の魂の清まりを、どのように知ればよいのでしょうか)
そもまた、愚かな人間心。神の定めに従わば、必ず清まり、高まるらん。
己の精進昇華(しょうじんしょうげ)の程を、知りて何せん、何になる。下らぬことに心使わず、迷いを捨てるも修行なり。
心静かに預けゆけよ。心を寂(じゃく)なる境涯(きょうがい)に、澄まして、端然(たんぜん)、動じず無欲に。
そのみを願いて、無心となれよ。
それのみ神も願うものなれ。
さにて。


二〇〇〇年三月二十日 再生・転生

神から人へ。
神から人へ、教えて残せよ、後のため。残して伝えよ、広げよ、宇宙に。
さにて本日、そなたの問いは。

(再生、転生についてお教え下さい)
では、教えん。
再生、転生、全ては魂、昇華のための、神の計らい。
再生なるは、前世の過ちあやまり、正すため、前世と同じ境遇を、与えて、再び、禊がせん。
転生なるは、前世の、大きなあやまちお詫びして、さらなる低き境遇落として、きつき禊ぎに耐えねばならぬ。
なれば、動物、植物のうち、過酷な労働強いられたり、厳しき自然に耐えねばならぬ。
なれどその後よく改心し、神の心に気付きなば、神は救いて、一段昇華、許し人間、元へと返さる。

(では、この世の罪をあの世で償(つぐな)い、再び現世にても償うのですか)
さなり。前世、現世、続いておれば、前世残せし霊行や、人の完成、修行のために、現世再び生きねばならぬ。
なれど足らねば、一段落として、動物植物 繰り返させなん。
動物植物 全てがかつて、人間ならねど、
大方はその元 始めに作られしとき、動物植物、昆虫なれど、
必ずその役全うせしが、さらに繁栄許されなん。
なれど、植物動物霊も、全ては神のお役のために、一途に生きて、生を終え、再び栄えて幸(さき)わうなり。

(転生させられた魂は、何回も転生を繰り返して、ようやく人間になれるのですか)
さなり。一度の転生、そもあるらんが、多くは転生繰り返させて、十二分にも禊ぎ上げ、浄めて後に、戻されなん。

(人間の魂が一番尊いのでしょうか)
さにあらず。全ては平等、同等なれど、人の魂、霊魂のみが、神から与えて分けられなば、それ相応の み役あり。霊行あるなり。務めあり。
そを果たさねば、神の御霊(みたま)は、汚され落とされ、衰えぬれば、禊ぎ与えて浄めざらば、やがては消滅、滅びてゆきなん。
なればこそ、神は救いて助けんために、禊ぎも病も、与えて、恵む。
神の恩愛 感じとれ。汲み取れ、優しき神の大愛。
さにてこそ、神の御霊も浄められ、さらなる繁栄、栄えてゆかん。
この世の禊ぎも、あの世の行も、全ては己の魂の、豊かな輝き取り戻すため。命の輝き、磨くため。
光り輝く神の光を、頂き歓ぶ魂ならば、さらに繁りて、栄えゆきなん。
さならずば、魂衰え、朽ち果てて、闇に消えなん、消滅のみ。
神の御霊を分かたれし、最も希有(けう)の幸いを、感謝し、尊ぶ、心を養え。
神への不平は最も低き、卑しき心の表れなれば、よくよく諫めて戒めよ。

さにて、本日、再生転生、基本となるを教えしを。
神の心はあまねく亘(わた)り、全てを動かす元の元。なればそを知り、悟るも必要。

さにてようやく、人として、まともの生を終え得なん。
知らずに生きて果てる不幸よ。
憐れみ、救えよ、全てを賭(と)して。
神の願いを実現させよ。微力の努力を、惜しむな、人よ。
さにて。
明日にも問いて、高めてゆけよ。


二〇〇〇年三月二十一日 この世の始めと終わり

神から人へ。
神から人へ、瞬間の、短き間の通信交信。捉えて写せよ、文字にて紙に。
さにて本日、何を問うらん。

(この世の始めと終わりについて)
さにても答は難しき。
何故とあらば、そもまた遥か彼方の昔、この世の始めというその前の、あの世この世の境もなき頃、
人も命も生命全てが、現る前のことなれば、語るに難く、ことばもなければ。
この世の始めに地上が作られ、先ずは人とてなき頃なれば、神は動物植物と、生命生かせる自然を作り、
そこにて生の繁栄祈らる。

なれどいずれも進歩の遅く、変化もなくて過ぎぬれば、神もこの世を楽園と、神の世界となさんとされて、
遂に人間、魂作らる。
神の願いはこの世に文明、文化栄えて平和な世界。
人は神の代わりとなりて、この世を治めて司(つかさど)り、さらなる繁栄進化の世界を、地上に移して栄えを増すこと。
なれどいずれも失敗し、遂にこの世の堕落せり。人の心も荒廃せるを、立て替え直しの機会と定めて、
この世の汚れを浄めし後に、新たな地上の楽園作らん、元の始めに戻しなんと、神は経綸進めて来らる。
なればこの世の始めに始まり、再び戻りて、輪の始まる如し。
始めと終わりは裏表。終わりは始まり、始めは終わり。
この世の始めというものも、ある一定の時代の終わり。さにて戻りて引き返せども、やがては今と変わらぬ世界よ。
神の心に終わりなく、止(や)みぬることのなき如く、この世は続かん、次元を越えて。
その都度(つど)次元を高めてゆかん。神の世界は遥かに高き、無限の次元と聞きしもの。
なれど許され、知ること適(かな)うは、遥かに尊き神のみなれば、我等神人、霊人にては、入る能わず、許されぬ。
無限の上昇、昇華の後に、いつか許され適うなれ、今のままには入れぬ仕組み。
全知全能の神なれば、次元も操(あやつ)り、不可能なし。
我等神人、霊人は、ただ使われて、禊がれて、ただに一つの魂を、浄め高める、そが務め。
神に感謝の、気持ち高めて、神の心に近づけん。
雲り祓いて、翳りをなくし、歓び、感動、充足、平穏。
豊かな心の安らぎを、神に捧げて、禊ぎ求めよ。

この世の始めを知りたくば、先ずは己の生を思えよ。
始めの赤子の頃と同じく、無邪気な心で満ち溢れしを。
親のことばに素直に応じ、何の心配、憂いもなかりき。
今のこの世は末世、終末。
なれど未来に希望を秘める、明るき夜明けの前の暗さよ。
十二分にも発達し、円熟、豊熟(ほうじゅく)、爛熟(らんじゅく)せしを、ただに腐りて、落ちなんばかり。
なれど落ちなば、種は散り、さらなる繁栄、実りを広げん。
さなる今の世、末世なれば、心正しく死を迎えなば、正しくあの世に戻るも可なり。
さなる魂、心の者は、何を恐れん、ためらわん。
神に従い、全てを任せ、次なる世界に生まるを待てよ。
全ては一つの教えなれ、何を問えども、答は一つ。
ただに伝えん、行の尊さ。心の行の必要なること。
今のこの世の人に不足の、心の行と ことばの浄め。それのみ果たせよ、残りは短し。
残されし時の寸刻を、惜しみて働け、ことばの浄化に。

さにて終わる。
問いは続かん、この後も。人にも聞かせる伝えなれ、さらに高めよ、問いの中身も。
さにて。


二〇〇〇年三月二十二日 医学・医者・薬

神から人へ。
神から人へ、伝えて教え、教えて残し、何千、何万、何億年。
この世に地球と太陽と、宇宙の続くその限り、人には教えて伝えてゆかん。
残しゆかねばならぬ真理を、残して広めて、次元を上げて、次なる世界に、生き得る魂、生命のみを残してゆかん。
さにて本日何を問うなり。

(医学、医者、薬などについてお教え下さい)
さにても神の御心は、全ての人の、生命を、高く健康、健やかに、保てるように作りしを、
人の想念、悪行が、己の体を傷つけ、貶(おとし)め、ついには汚れを貯めさせて、病となりて、表れなん。
なれど医学は、その病、神の禊ぎを妨げて、肉体のみに治療を加え、心の病や汚れ曇りを、
少しの改善、向上させねば、
人の病は繰り返されて、己の肉体のみならず、あらゆる不幸の源(みなもと)断たねば、不幸災い、終わりもせぬを。
人の不幸の表面に、囚われ、忘れし心の病。
執着、迷妄、嫉妬に憎悪。心の全ての汚れを禊がば、必ず病は癒えるもの。
癒えぬは足らざる霊行の、証となれば、先ずは諌めよ。
己一人の病にあらば、いずれは終わりて治(なお)りもせんを、

時に先祖や他人の霊の、訴え頼るもあるなれば、そもまた禊ぎて悟らすべけれ。
己一人の責にあらねば、一族郎党、心改め、お詫びし、供養し、祀(まつ)るも必要。
己一人の罪科(つみとが)ならば、己一人の病に終わらん。
なれど病はその者一人の、一代限りのものにあらねば、さらに供養し、許しを得るべし。
最も深き罪科は、人の命を縮めて殺し、その者、霊行、み役を果たせず、あの世に帰れず、迷わせし罪。
その者、霊は、必ずかかりて、訴え、恨みて、呪い、苦しむ。
さてもいみじき恨みの念は、消すに消し得ぬ深きものなれ、この世にありて詫びぬれど、容易に許さず、さらに恨まん。
末世末代、子孫にかかり、救い求めて、さまよわん。
救うも、捨てるも、神の御心。許され救わる魂ならば、必ず神も光を与え、導きゆかん、あの世まで。
許され救われ、拾わるるまで、魂迷いて、恨み続けん。
なれば病も癒えることなく、己の苦しみ、痛みを伝え、やがては衰え、死に至らしめ。
なれど医学に癒せぬ病。霊を鎮めて、慰め得ねば、病は続きて、さらに苦しめ。
今の医学はさらに曇りを、深めてゆくのみ、増させるのみ。
真の気付きを、悔いて詫びなん。その後病も自(おの)ずと癒えて、霊の執着、消えてゆきなん。
真の気付きを得し者は、必ず詫びと感謝と帰依(きえ)を、神に捧げて、尽くさんとする。
そもなし得ねば、魂は、救いを得られず、さまよい漂(ただよ)う。
根を失いて流されて、行き着く先は、煩悩(ぼんのう)地獄。そこにて再び、責められて、己の罪科償うまでは、
繰り返されなん、詫びと悔い。

(医学は神様の目からは、悪でしょうか)
さなり。神の目からも、宇宙からも、真理原理は、許さぬ医学。
この世を汚して、魂汚し、肉体さえも、汚しゆきなん。

(それは何故でしょうか)
愚かな者ほど医学に頼り、己の反省、悔いを忘れて、少しも改め向上せねば、神の霊行、最も嫌い、
避けてなさぬが常なれば。
科学万能、医学万能、物質のみに目を奪われし、今の世の中、罪ばかりなり。
そを気付かせるも霊行なれば、真の医学を志(こころざ)す者、神への信を高める大事。
医学になし得ることのわずかよ。肉体いじりて、切り刻む。薬与えて毒貯める。
肉体本来、病なければ、神へのご無礼、冒涜(ぼうとく)極めん。
神の与えし肉体を、たかが物質、なれど尊き、神の恵みを汚すは許さぬ。
医学の迷妄、罪の深さよ。なれどそもまた宿命なるらん。神の光に気付かぬ者の、哀(かな)しさ、哀(あわ)れさ、切なさよ。
さにて。


二〇〇〇年三月二十三日 祭り

神から人へ。
神から人へ、教え伝えて幾千年。幾万、幾億、幾兆年よ。

永き年月、経(へ)て来(こ)しを、少しの成長、進歩もなかれど、幾つの困難、風雪を経て、今に至りぬ、辿(たど)り着きぬる。
さにて本日、何を問うらん。

(祭りについてお教え下さい)
では、教えん。祭りの意味と、そのやり方を。
祭りというも幾つかのあり。神を祭るも祭りなり。人を祝うも祀(まつ)りなる。
なれど、正しき祭りとは、神に捧げる感謝報恩、先祖に供える供物(くもつ)奉納。
いずれも今ある生を歓び、そを伝えんと、するが始まり。
なれどあやまち、誤るもあり。
一つは先祖の魂のみを、高く祀りて崇(あが)めんばかりの、本末転倒、誤りなり。
先祖も大切、ご縁にあれど、最も敬い、尊ぶべきは、先ずは己の守護神、守護霊。
そに守らるるを感謝すべし。先祖も守護神守護霊に、守られおるなり、導かるるなり。
なれば己の守護神に、感謝を捧げて 後に祀れよ、己の先祖や親族は。
最も大事な守護神なれど、そもまたス神に導かれ、守護することを許さるなれば、
全ての感謝の大本は、全てがス神に続くべきなり。
なれど本神、己の先祖も、ス神のご守護を賜ることを、よく知り、わきまえおるならば、
先祖の祀りも、あやまちならず。

(守護神様を知ることはできないとうかがいましたが、どうお祭りすればよいでしょうか)
そはまた、もっとも。当然なり。なれど、己の氏神、あるらん。そを祭るのも、祭りとなるらん。

(氏神様とは、自分の家の近くの神社の神様ですか)
さなり。そが最も近き、神にあるなり。

(守護神様と、守護霊様とは別々にお祭りするべきでしょうか)
さなり。霊と神とは異なるものなり
神は祭りて、捧げるべきなれ、霊を祀るは必要なければ、先祖祀りで事足るらん。

(守護神様の祭壇を作ることは必要でしょうか。或いはどのように守護神様を祭ればよいでしょうか)
そもまた、難(かた)き問いなるかな。神を祭るに祭壇要らぬ。神社参詣(さんけい)、そにて充分。
己の家に祭壇作るは、古き風習、人知の行い。そにて祀るも意味なき行い。
神はそこには降り立たぬなり。
神への感謝と奉納は、神社の参詣怠らぬべし。

(一年に何回くらい参詣すればよいでしょうか)
いずれのときにも、欠かさぬべきは、新年始めの挨拶と、己の祈願の成就の際の、感謝御礼、節目の挨拶。
なれば一年、折々に、家内の安全、健康なれば、回を定めず、詣(まい)るがよけれ。
下らぬ囚われ。義務にあらねば、己の心の表れなり。無理に詣るも、神は歓ばず。

なれど忘れて、日々の雑事に、追われることを言い訳にすな。
何も打ち捨て、はせ参じるを、神は愛でなん、喜ばん。
人の真の行いなれば、日がな一日、働きし後、眠りにつく前、神に向かい、感謝唱うも、祭りとなるらん。
立派な祭壇、高額ご供養、そもまた、意味なし、無駄なこと。
真の想いのこもらぬ供物は、かえりて徒(あだ)なり、汚れなり。
身にふさわしき奉納を、捧げて楽しく祭るが正し。
神と共にて生きるを喜び、共に行積む心も新たに、さらなる感謝と帰依の心で、ただひたすらに、真摯(しんし)に生きよ。
その想いさえ保てるならば、祭りと等しき尊き行い。
月に一度の祭りも大事。なれど毎日、一年全てが、本来祭りの日となるべし。

さにて、祭りの意味と方法、心得おくべし、忘るべからず。
さにて。


二〇〇〇年三月二十四日 禊ぎ

神から人へ。
神から人へ、教えたきこと、伝えたきこと、ようよう人にも知れ始め、いつか仕組みも働きなば、必ず広まり、 広がりゆかん。
その日を待てよ。待ちて、備えよ。

さにて、本日何を問うや。

(禊ぎについてお教え下さい)
ならば教えん。禊ぎというもの。そのための心の備(そな)えを、心構えを。
禊ぎとは、神の恵みの一つなり。人に与えて知らせんための、神の仕組みの表れなれば、
禊ぎの訪れ、出会いなば、必ず感謝を第一とせよ。
禊ぎにも、病、貧困、挫折あり。事故もあるらん、禊ぎとならん。
己の関わる不幸全てに、神のご意図の込められたれば、先ずは感謝と悟りを開けよ。
最も尊き恩愛なれば、神の禊ぎに間違いなければ、不幸恨まず、身を正し、粛然(しゅくぜん)受け止め、心諌めよ。
神の慈愛の一つと思わば、感謝感動、歓喜となるらん。
最も辛き病の内にも、必ず光と安らぎあらん。
心の汚れを取るためなれば、最も尊き機会ならずや。
人の肉体、目に見えど、心の汚れは目に見えぬもの。なれば肉体、侵(おか)しても、心の汚れを取らせんためなり。
心の汚れの取れゆかば、必ず癒えて、清浄化。 神への信を高めゆけよ。

(心の汚れのない人でも、病弱な人もいるのは何故ですか)
そは人それぞれの禊ぎなれば。
心に汚れを持たなくも、神への感謝足らぬ者、人への優しさ欠ける者、それらも一つの汚れと等しき。

(充分信仰も高い方でも、病気に苦しむ人もいるのは何故ですか)
充分なれども、神のご意図は、さらなる信仰高めるための、神の鍛えの一つなれ。
神の慈愛を信じなば、いつか救われ、高められんを。

(耐えられないほどの苦しい病の中で感謝することは、肉体を持つ人間には真に辛い行だと思われます)
然(しか)り。なれども、病を得しことにて、見えぬ世界の見えて来ぬや。
人の優しさ、人への感謝、健康なるのありがたさ。生の喜び、感動を、さらに改め、感ぜぬや。

(何の禊ぎもないことは、悲しむべきことでしょうか)
神の慈愛は等しく亘(わた)りぬ。禊ぎのなき者、一人もあらず。
なきに見えるは、人間心。不幸ばかりが禊ぎにあらず。
平穏無事なる人生にても、神への感謝を捧げつつ、己の役をよく行いて、人への優しさ養いなば、 神は与えず、無駄な苦労を。
人の心は弱きもの。苦境に耐えねばならぬときほど、心は衰え、恨みがましく、今ある生を呪うも多し。
なれどその中、逆境にても、光の一筋見出(みいだ)しなば、一つの悟り、昇華を得ん。
神の慈愛は深きもの。目に見え、測れる物質ならず。
あまねく広がる神の慈愛を、褪(あ)せることなき感謝をもちて、日々に祈りを続ける者なら、神は苦しき禊ぎ与えぬ。

信仰深い者にても、信仰浅き者にても、信仰持たぬ者にても、神の慈愛は変わることなし。
禊ぎは苦しく耐え難きもの。なれど光をいかに見つけて、感謝の想いへ高め得るか。
それのみ神の願いなり。
苦境にあらねど、そもまた禊ぎの、一つと思えよ。悟りを得よ。
神への感謝を失わず、神への帰依を素直に高めて、日々に嬉しく楽しく生きよ。
最も望まる神の神意よ。
さにて。


二〇〇〇年三月二十五日 霊行と生業

神から人へ。
神から人へ、多くの伝えと教えを残し、この困難と苦難のときを、乗り越え、生き延び、長らえて、人を救いて、手伝いし、
この世の立て替え直しのための、役立つ種人、育てゆけ。
さにて本日、問いを問えよ。

(霊行と生業についてお教え下さい)
霊行、生業、いずれも大切。この世の人の修行にあれば、どちらも一途(いちず)に励むが第一。
どちらのためにいずれか怠(なま)け、そを口実に怠(おこた)るは、神への裏切り、言い訳ばかりの、不実(ふじつ)の民なり、不遜(ふそん)なり。
神との約束幾つもあれど、この世に生まれて生きるためには、人のなすべき最低限の、業もあるらん、行もあり。

人の生活支えることは、人に限らず動植物さえ、休むは許さず。務(つと)めならずや。
なれば人とて同じこと。人の務めを怠らば、死をも選ぶか、厭(いと)わぬか。
親の財産、遺産に迷いて、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)、放蕩無頼(ほうとうぶらい)。
さなる貧しき生活は、神の望まぬ生き方なれど、そこにて尚かつ修行を見出し、励むも行なり、禊ぎなり。
神は人へと平等に、困難苦難を与えて試(ため)さる。
何の苦労もなき者には、さらに高みを目指すよう、高き試練も与えらる。
そこに留まり、進歩求めぬ、そもまたその者、限界なり。
なれど、高きに目標定めて、努力し励むは尊き行なり。神の望まる人の行なり。
なればひがみや嫉妬ねたみは、無用の心のありかたなれば、いずれも努力し向上願い、たゆまぬ努力が、生業 学業。
神の望まる生業なれど、そにては足らぬ、神の手伝い。
その上さらに求むるならば、さらにみ役を賜らん。
己の生のみ 生きるもよからん。なれど望むは、さらなる昇華。
最善努力を尽くすには、人の幸せ、救いのために、心捧げて生きることなり。
己の幸せ、十二分にも、感謝し、満たされ、溢(あふ)れなば、人にも分けて与えよ幸を。
己の幸がそれにて減らず、さらに増し増すことを悟れよ。
なれどあやまち誤るなかれ。人への幸の手伝いを。
己の独善、偽善は離れよ。神の手伝い、謙虚に求めよ。

慈善や施(ほどこ)し、尊からず。己の慢心、その表れなれば、よくよく戒め、心せよ。
人の苦痛を去ることも、ときには罪悪、神の邪魔。
最も正しき霊行は、神に感謝の心論(さと)して、神との縁を結ばせて、心の安寧(あんねい)取り戻させて、死を恐れざる心を教えよ。
その後任せよ、改心昇華は。神の許しを得し者ならば、自ずと気付きて、立ち返るもの。
己の執着、傲慢にて、人の改心促せども、かえりて人は離れゆくなり。
無理せず、強(し)いず、安らかに、霊行勤(いそし)しみ、預けて委ねよ。後は案じず、拘(こだわ)らず、全て任せよ、御心に。

さにて本日、霊行と生業なるを教えしが、二つの違いは、神との縁の、深さにあれば、いずれも大切。
人の魂磨くためには、どちらも励みて、神に仕えよ。なれば心は穏やかに、楽しく安けく、平らかなるらん。
今の己の存在を、感謝し、尊び、輝かせよ。
さにて。


二〇〇〇年三月二十六日 善と悪

神から人へ。
神から人へ、伝えしことの全てのことを、残し広めて、教えてゆけよ。
信じぬ者も、信じる者も。縁なき者も、縁ある者も。
いずれも同じ、神の前には、無力の哀れな、枯れ葉の如く、あらがう術なく風に飛ばされ、

自然の前にて、朽ち果てる、儚(はかな)き衆生(しゅじょう)をいかに救わん。
さにて本日何を問いたき。

(善と悪についてお教え下さい)
さても人の世、善悪分けて、人は善をと求めるなれど、悪なき世にて生まれしことを、先ずは悟れよ、わきまえよ。
悪には悪の働きあれば、悪のなからば善もなし。
善のみならば、いかにして、悪の働き、意味を知らん。
なれど悪との闘いあらば、人は善のありがたさ知り、悪をなくさん、滅ぼさんと、己の修練、鍛錬(たんれん)積みて、己を磨くことも能(あた)わん。
悪なく、我なく、罪なくば、人には修行も必要なからん。
なれどさにてはこの世も要らぬ。ただ平穏と安らぎのみの、静かで穏やか、平らかなるらん。
人の願いも容易に叶い、充たさるらめど、さにあらず。
人は進歩を、変化を求めて、必ず悪や、秩序を壊す、行い始まり、乱れゆきなん。
神の始めの願いとは、悪との闘いなくすにあらず。
悪と闘い、悪を知り、悪を憎みて、善を尊ぶ、表と裏とを読み取る力。
善の尊さ、難しさ知り、さにても、尚かつ善を求めて、一人一人が努力を重ね、困難苦難を乗り越えて、
人との平和を保たんとする。
それこそ真の価値ある平和。豊かに進歩し、変化を続ける、神の願いの世ならずや。

人に善のみ、和のみにあらば、人は迷わず、苦しみもせず、ただ平凡に、生を終え、
生きても死にても、何も生まれず、何も作らず、進歩もなからん。
人はさらなる向上目指し、さらなる昇華を求めるべけれ。
何の障害、妨害なくば、努力もせずに留まりて、日々の安穏(あんのん)貪(むさぼ)るのみなり。
人の貴重な生涯を、さらに輝き磨かすためには、幾多の苦難も必要なるらん。
己の能力全てをかけて、己の限界定めずに、諦(あきら)めるなく、ただ営々(えいえい)と、なれど無欲に無心に歩む、
愚かな努力を 神は愛(め)づ。
愚直(ぐちょく)に、誠意の溢(あふ)るる行い。善も悪も区別なし。なれど善には善のみの、働き、輝き、尊さのあり。
人の幸せ、繁栄祈りて、己の犠牲を捧げて行う。それこそ善なれ、悪にはあらず。
悪とは、人を害するにあらず。人の幸せ犠牲にしても、己の利得を得んとすること。
神への感謝を忘れ果て、己の執着、迷妄に、迷いて失う神の み光。
悪にも悪の意味あらばこそ、人の全てが悪人ならずや。
なれど修行を重ねることにて、己の罪を減らしつつ、神へのご縁を深めゆく。
さにてようやく、汚れも取れて、神の国へと戻るを許さる。
驕(おご)るなかれよ。己一人は、罪人(つみびと)ならずとあやまつなかれ。
全てが罪人(つみびと)、汚れし生よ。悪を備えて生まれれしなれば、御霊(みたま)磨きの行積みて、曇り汚れを禊ぎ浄めよ。
善と悪とを分けるなかれよ。二つは紙の裏表。善もあるらん、悪もあり。
なれば二つを分けんとしても、無駄な努力よ。囚(とら)われよ。
二つを合わせて、さらに高めよ。次元を上げて、昇華せば、二つは同じ。区別なし。

人の行い、人には裁けず。悪を悪とていがみ合い、己一人が正しいと、相手に押しつけ、無理強(むりじ)いせなば、
必ずその者、悪に堕(お)ちん。
己の正義は、人には悪なり。さなる危うき善悪なれば、先ずは悟れよ。違いのなきを。
己に正しく、人にも正しき、そは霊行ならん。神の行い。
人は行え、霊行を。神に近付き、魂(たま)磨くため。それのみ間違い、あやまりなければ。
さにて。