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神誥記





1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜

二〇〇〇年四月六日 日本の神と世界の神

神から人へ。
神から人へ。常に聞きたきことあるならば、そのとき問えよ、聞きたきことを。
なれば本日、何を問うや。

(日本の神と世界の神とについてお教え下さい)
日本の神は、最も始めの、原初の神なり、始まりなり。
その次多くの神々が、作られ生まれて、世界にわたり、その地を治める神となりぬる。
なれば日本の神々が、世界を作り、地上を治め、宇宙の星の一つとして、最も早くに、栄え始めぬ。
なれどいつの日、いつの世か、神の世界に乱れ生じぬ。さにて地上も乱れを来たし、混乱起こりて、地上に及びぬ。
今地上世界に現れたるは、全て神世のできごとなれば、いつか再び治まりて、平和と富の世界となるらん。
なれど、その前、厳しき世なり。厳しき立て替え直しを要す。
乱れを元に戻すためには、厳しき禊ぎを経てこそ始めて、残す価値あるもののみ残らん。
なれば今しばらくの辛抱なるよ。しばらくというも、短くあらず。 あと何十、何百年、この世の乱れを生じしために、かかりし年月、それだけかからん。
なれど、神は急がれおるなり。今早急に立て替えを、あと何十、何百年、そはかからずに、終えなんとさる。
早くに浄めて、早くに高め、次なる世界を作りたし。

今人類の急ぐべきは、心を高めて、神に仕え、そののち神に引き上げられて、次なる世界に生まるることなり。
なれば本日、世界の神と、日本の神とは元一つ、神世の根源 同じなるを、易しく教え、知らせたり。
神の違いはさまざまに、役割、行い、考え異なる。
日本の神も、昔と変わり、多くの新しき神も現れたり。なれど、大本、宇宙の始めの、原初の神は、今も変わらず。

(神の国はもう平和に治まっているのですか)
さなり。何も治まり、憂うることなし。全て安らか、平穏なり。

(日本におられる神々が最も古いのですか)
さなり。元の始めの神なれば。なれどその後新たに生まれ、作られし神も多くあり。

(いわゆる悪い神、邪神というものはどのような神なのでしょうか。また、人間はそのような神とどのように 向き合えばよいのでしょうか)
そもまた当然、もっともなり。邪神悪神、多くあり。
元に作られ、生まれしときには、悪にはあらず、邪にあらず。
なれどこの世を治めるために、いつか邪なる心が生まれ、この世を我がもの、手中にせんと、勝手な理屈で、
真理を乱し、神の経綸、狂わせんとす。
なれどそもまた、神のご意図よ。
邪神も使われ、役割果たさん。全てが平和で、穏やかならば、この世は伸びず、進歩もなからん。

(なぜ、適度な悪のみ許されなかったのでしょうか)
悪に程度はあらざらん。悪というは、限りなく、限度も程度も元よりなし。
とどまることなし、分別なければ。

(これから後にも邪神は残され続けるのでしょうか。今も邪神は多くおられるのでしょうか)
さなり。邪神は、人の心の中に、巣くいて広がり、育つもの。
神の国にはおらねども、残るは人の心の奥なり。
次なる世にも、生まれ現れ、人の心に巣くい はびこる。
完全消滅、そはあらず。人の心に忍び寄り、心の隙を狙うものなれ、次なる世にも生まれて来なん。
なれど勢い衰えさせて、その繁栄を抑えることも、人の行なり、責ならざるや。
悪をなくすは容易なこと。なれどさにては、生も意味なし。
神の救いを求めつつ、闘い禊ぎに耐えつつも、悪を抑える、そが行ならん。さにて。


二〇〇〇年四月七日 日本のことばと文字

神から人へ。
神から人へ。人から神へ。互いに捧げて、尽くし合うこと。互いに仕えて、助け合うこと。
今そのれみが急がるる。
つまらぬ計算、打算に負けず、心豊かに、尊くあれよ。
さにて本日、何を問うや。

(日本のことば、文字、についてお教え下さい)
そもまた、深く、重き意味なり。一つ二つを教えども、全ては広大、甚大(じんだい)なれば。
ことばといえども時代と共に、変わり進みて、元のことばは、少しも残らぬものもあれば、
残りて使わるものも多し。
今人の世に残さるるは、古代の神のことばにあらず。なれど言霊、奥の神意は、変わらず残され、こめられたり。
神のことばに戻すためには、その先駆(さきが)けが必要なるらん。
古代のことばの研究者、言霊研究、そも然(しか)り。
なれど、言霊、全てを知るには、深き教養それのみならず、古代の魂、必要なり。
学問、人知、そのみに解け得ぬ、深き神意は、学びて分からず。
なれど学問、研究にても、言霊解釈可能なり。なれば怠(なま)けず怠(おこた)らず、学問勤(いそ)しみ、学びてゆけよ。
日本のことばは神に近く、神のことばを多く残しぬ。なれば言霊 働きなば、必ず、浄めも進むものなり。
言霊働くそのためには、言霊使う心が大切。
心とことばと、魂と、全てを浄めて磨きゆけよ。それのみなれば、言霊活かすは。
言霊知るには、先ず浄めよ。心の曇りを取りゆけよ。
心の濁れることばには、自ずと濁りし言霊なるらん。
ことばの汚き発音にも、汚きことばの使い方にも、いつしか邪神がこもり潜みて、心を蝕(むしば)み、巣くいてゆきなん。
真の言霊甦らせよ。人類努力し、力合わせよ。なれど今の乱世にては、目先の利益を追う者ばかり。
ことばを汚して、省(かえり)みもせず、さらに利益を増やさんとする。
さなる人間、さもしき魂、低き心に、人は救えず。この世を浄める、そもまた不可なり。
今は残され、選ばれし、者のみ告げなん、示して教えん。
次なる世のため、人のため、ことばの大事さ、尊さ、知らせん。
素直に受けて、感謝する者、それのみ、残され、導かれなん。

さにて、本日、次なる問いの、日本の文字をも易しく教えん。
日本の文字も神世と異なる。人間世界に広がりたるは、多くは人の作りしものなり。
古代の中国、王朝に、日本の文字の伝わりて、漢字となりて復活せしを、再び日本に伝えられ、 漢字は日本に広がりゆきぬる。
なれど大本、文字の原型、そは日本なり、大和なり。
大和の民の用いし文字は、古代神世に使われし文字。簡潔明瞭。幾何学文様(きかがくもんよう)。
なればひらがな、カタカナは、そこより発達、進化せしもの。
なれば漢字も、カタカナ、ひらがなも、元は古代の神世文字なり。
漢字の中にも呪力(じゅりょく)あり。神のご意図を顕すもあり。
ひらがなのみが、文字にあらねば、カタカナ、漢字も大切にせよ。

なれど大和の魂伝え、古代の神世の心を写すは、優美に優しきひらがななれば。
文字にも秘められ、込められなん。
神の祈りを、願いを、思いを。神の慈愛を感じ取れよ。神の想いを汲み、受け取れよ。
神の文字なれ、疎(おろそ)かにせず、大事に書けよ、尊べよ。
世界に残る文字にもあるらん。神のご意図の込められし文字。
今残るもの、使わるるもの、神に教わり、習いしものあり。
ことばも文字も、神の恵みよ。なれば人は、敬いて、さらに高めよ、そを使うとき。

さにて、本日、文字とことばの、神とのご縁を教えたり。
さらに問いたきことあらば、明日にも問えよ。さらに深めて。
さにて。


二〇〇〇年四月八日 あて字

神から人へ。
神から人へ、教えて残して心高めて、さらに多くの魂救い、さらに多くの命を助けて、
神のお役に立たんと勇めよ。さらに手伝い、励んでゆけよ。
さにて本日、何を問うや。

(昨日の続きで、漢字の当て字、外来語に漢字を当てることについて、どのような意味があるか、お教え下さい)
では、教えん。神の世界に文字はなし。本来文字は、人のため。
人の記憶を残すため、人の間に広げるための、神の与えし、道具なれば。
なれば本来文字そのものには、それそのものの意味あれど、その組み合わせ、音の並びは、全て人の自由に任せき。
なれど西洋、東洋問わず、己の考え 時空を越えて、人に伝えて、人に残し、人を結ぶが文字ならん。
神には意味なき文字なれど、人に与えて有効に、用い使われ、価値あるものなら、たとえ当て字に使われようとも、文字の意味には、損傷なからん。
なれど、ひらがな、カタカナには、それぞれ意味も込められて、神の祈りも直接顕(あらわ)し、
神のご意図を写すものなれ、容易に汚すは許されず。
もし人の世に作られて、使われ始めし文字ならば、人の世界の事物概念、何もて表す、そも人のまま。
なれど神の与えし文字には、神の想いの込められたれば、用いる前の心を高めよ。

(漢字は人の作った文字だから、自由に使ってもよいが、ひらがな、カタカナは心せよということでしょうか)
さなり。漢字は人の作りし文字なれば、使うは自由に使うがよからん。
なれど古代の神世の文字は、使うときには細心の、注意と尊敬、献身大切。
神世の文字には、それ相応の、身分の者と役割の者、そのみが使うを許されたれば、それぞれ勝手の利便のた
めに、使うは許さず、認められず。

(ひらがな、カタカナを使うときの心構え、注意点をお教え下さい。また古代にはどのように使われていたのでしょうか)
古代に使うを許されしは、神官、宮司、政治家などなり。
そは神のため、通信のため、神のご意図を占い知るため。なればそのため用いられ、神の与えて授けし恵み。
そを使うときには、身も浄め、心も浄めて、禊がれし後、神との通信許されしもの。
なれど今のひらがなカタカナ、下らぬ音やことばを表す、さなる道具となり果てぬるを。
今再びに使うのならば、よくよく諌めて、心せよ。
心を高く、音も清らに、声朗々と清々(すがすが)しくも、澄み渡りたる気持ちにて、声を発して読み上げるべし。

(ひらがな、カタカナを書くときには、どのようにすべきでしょうか)
最も大切、心がけるは、文字の形と、勢いと、神の込めらる意図を読むこと。

(ひらがな、カタカナの形から、今の私たちは、どのように、神様のご意図を知ればよいでしょうか)
そはまた難(むずか)し、難(かた)きこと。
ひらがな、線なり。流れなり。線の流れと、流れの方向、回転、旋回、自由無得(むげ)。
神のご意図を知るは難(かた)く、さらなる精進、修行を要さん。今の人の世、人知のみには、神の心に相和す、難(かた)し。
なれど、「いろは」「ひふみ」を書くそのときの、無心の者なら、自ずと和さん。
神のご意図と、調和し、高まり、残りし筆跡、線の流れに、神の光は自ずと宿らん。

(漢字には、そのような光はないのでしょうか)
さなり。漢字の文字には、本来の、神世の文字は残らざれば、神の光も少なくなりぬる。
なれど、少しの面影残す、古代の文字に近きものなら、少しの光も発しなんを。

(ひらがなやカタカナだけでは、今の日本人は生活できず、ひらがなカタカナのみを発音することはないと思うのですが、
先ほどの発声の仕方に関してさらに詳しくお教え下さい)
可なり。先に教えし発声は、全てのことばの基本を教えき。
ことばの全てはひらがなにても、カタカナにても表し得るもの。なれば、発声全ての基本。
なればこそ、ことばの全てを発音するは、ひらがなカタカナ、発することなり。
今の日本に漢字は不可欠。なれどその元、大和ことばは、もともとひらがなカタカナのみにて、生まれ使われ、
栄えしものなり。なれば今の世、乱れ生じぬ。漢字に頼りて、本来の言霊音霊、忘れぬれば。
文字本来の命を戻せよ。漢字の意味に惑わさるるなよ。意味のみ使うは、ことばにあらず。
ことばは音なり、形なり。形を用いて音を表す、音こそことばの元ならざるや。
音にて意味を表して、意味に音が与えられ、そのとき神は魂与えき。
ことばの音に、魂宿し、ことばに力を備わせて、言霊与えて、育てぬるを。
なれば音なきことばはあらず。音を表す神名(かな)こそは、神の魂、そのものならずや。
意味のみ伝える文字ならば、いつか魂消えてゆき、光も持たぬ形のみ。
線と点との、組み合わせのみ。人の遊びに使われて、繁栄衰退、繰り返しなん。
意味に音を与えるになし。
音に意味を与えるなれば、先にあるのが、音ならん。音を発して、音に力を、意味を与えて ことばとなしぬ。
意味を備えし音は集まり、別の音にて生まれ変わり、別なる意味を与えられき。
さにて音は無限に組まれて、無限の意味を与えられき。

(音から先に作られ、その音に、意味が与えられたり、物が作られたのでしょうか)
さなり。「やま」という、ことばが先なり、山は後なり。
ことばを作りて、その後に、神は音に合う意味与えて、意味を持つ物、物質作られ。
なれば、音には魂あるなり。魂なきが今のことばよ。なぜとなれば、物が先なり、ことばは後なり。
なれば魂抜けしことばの溢れる世界が今の地上よ。
神の作りしことばは消えて、人の都合に合わされぬれば、ことばは意味のみ、形のみ、魂宿らぬ空音ばかり。
なれど、音にも波動のあれば、空音なれども波動を発す。低き波動の満ちぬれば、世は乱れゆき、衰えゆきなん。
なればこそ、高き波動のことばを戻せよ。
高き波動のことばを発せよ。
清き形の文字を戻せよ。漢字ばかりに頼りて、ことばを、勝手に作りて広げるなかれよ。
無意味の物質、概念増やして、真の魂こもらぬことばよ。
神世ことばを思い出せよ。人の御霊(みたま)に眠れる魂。そを取り戻せよ、ことばの力で。

(言霊のこもることばと、そうでないことばとを、どう区別していけばよいでしょうか)
一つ一つが、神の心を、多少なりとも、宿すことばよ。
なれば一音一音を、心をこめて発し、浄めよ。区別は難し。意味もなし。

(漢字のみのことばを使わないようになると、生活もできず、混乱するばかりではないでしょうか)
さなり。なれば今の世、そは不可能なれど、次なる世には、適うらん。
漢字の便利さ、価値もあり。人の文明 発達促し、この世に物質繁栄もたらす。
なれば使うも大切なれど、それのみにては、退廃(たいはい)招かん。
漢字の役割、そもまた大事。なれどひらがなカタカナは、漢字の元なる音なれば、音を乱すな、汚すなかれよ。

さにて本日、教えを終わらん。これから後にもよく考えて、ことばの起源を大切にせよ。
さにて。


二〇〇〇年四月九日 四方の神

神から人へ。
神から人へ、教えておきたきこと多く、知らせて広めて、救いを広げよ。
さにて本日、問いを問いて、さなる後にも教えてゆかん。さにて、問いは何なるや。

(先日、二月にお教えいただいた、四方の神々様についてお教え下さい。また、心の神様とは、どのような神
様で、我々はどのように対すればよろしいのでしょうか。また、守護神様との違いも、お教え下さい)
では、答えん。まずは四方の神々のこと。
四方の神とは方角ならず。この世の次元とあの世の次元、そこには次元の境界あるなり。
四次元なるが最も低き、あの世の次元の始まりなり。
そこに神がおわされて、そこを守りて、治めらる。
そこの四人の神々とは、先日答えて教えしように、死の神、地の神、火(日)の神、水(み)の神。
四人はそれぞれ補い合いて、互いを助けて共に働き、共に仕えてこの世を動かす、最も重要、大切の神。
なれど、さらにも高き次元に、さらに高次の神のあり。
そが心の神と、ことばの神。そは一人の神にあらざりて、四十八(よとや)の神とも呼ばるる神々。
四十八(よとや)とは、数の表すとおりにあらず、「よとや」といえば、全てを合わせて、そこを治める尊き意味なり。
よの音霊は、この世のよなり。
との音霊は、ときと常永久(とことわ)。
やの音霊は、やすらぎ、やすらか、やさしさ、やわらぎ。
さなる音の組み合わせなれば、この世を永久(とわ)に、守るの意味あり。
なれば四十八人ならず。さらに多くの神も仕えて、千も万もの働きなさるる。
四十八(よとや)とは、この世を治める意味なれば、四十八(よとや)の神を祭れとは、この世を治める神々様へ、
感謝の想いを届けよの意味。
なれば一人スの神様に、感謝捧げて届けるもよし。

スの神様は万能なれば、自ずと四十八(よとや)の神々様にも、想いは伝わり、届けられん。
四十八(よとや)の神はスの神囲み、四方八方、広がるの意味。
その真ん中に、神はおわして、十字を組みて、全てを治め、神自らの光を放ちて、四方に届くを祈りておらるる。
その祈りなり、「いろは」「ひふみ」は。それぞれの音が祈りなり。
「いろは」の一音、「ひふみ」の一音、全ては四十八(よとや)につながりゆかん。
スの神様は、祈りを送り、四十八(よとや)の神に届けらる。
そを叶えるは神々なりて、その下方(しもかた)にも、神はあり、四十八(よとや)の神を助ける神なり。
四十八(よとや)の神はそれぞれに、守護神なりて、人を守り、霊を使いて、この世を守り、さらに導き、高めんとされ。
なれば四十八(よとや)の神々こそは、全ての守護神の元神様なり。
その下にいて働くが、一人一人の守護霊なれば、神と霊とは、異なれど、心の願いは同じもの。
なれど人と神との直接の、通信、交信、伝言、伝えは、霊を通して行わる。
神自らに交信するは、特別なるとき、特別なる者。
なれど今の世、現界の、多くの魂、人間は、神との交信適わざれば、幾人かの者、使われて、
神の伝えを人へと伝える。
心の神とは、守護神のこと。心の奥にて、眠りて待ちて、その魂の目覚めしときに、その魂が迷わぬように、
導きゆきて、気付きを与えん。

(四方の神様と四十八(よとや)の神様とは違うのですか。また、先日は「光の神」「ことばの神」でいらっしゃいましたが)
神の教えし神々とは、死の神、地の神、火の神、水(み)の神。
なれど、光は、火の神ならん。ことばも全ての神なれば、水の神とて、ことばの一つ。
ことばがありて、物質作られ、物質全てが、働きあるなり。人との関わり深き神なれ、いずれも尊き神々さまなり。
ことにも死の神、地の神は、この世の生死に関わる神なり。死は生の終わりなり。
この世に生まるは、土の中から、土もて、生は養われん。
火(日)もまた、生の勢い表し、土は日を浴び、光を浴びて、さらに肥沃(ひよく)に、恵みを宿さん。
水も体の基本にあれば、水なき肉体、即ち死なり。
死とは全ての生命と、肉体持ちし全ての生物、そと切り離せぬ、縁深きもの。なれば死さえも、恐るるなかれ。
死とは、水の枯れしとき、否応(いやおう)なしに訪れん。
大地も水が失われしとき、その生命を終えてゆかん。
火もまた然(しか)り、水なくば、燃えることさえ適わぬ力。
なれば死とは全てと関わり、全ての生の終わりにあるもの。
なれば、地の神、火の神、水(み)の神、全てが死の神、裏表なり。
ことばの神とて、同じこと。ことばの神こそ、全ての神なり。
ことばは生の神ならん。全てのものの始めにありき。ことばのなきもの、生もなし。
さにて本日、多くを伝え、教えしことをよく考えよ。

(四方の神について、先日の私のお聞きしたことは、私の聞き間違いとして訂正し、皆さまにご報告した方がよいでしょうか)
さなり。なれど間違いならず。
神の伝えは、解釈次第。水の神とて、間違いならず。ことばの神と申ししことも、誤りならず。正しき伝え。
四方の神とは、この世の原理を表す神の意味なれば、ことばの神にて、全ては表れ、現実世界は治まるものなれ。
水の神とて、一つの例え。現実世界を治める根本。
そを表すなれば、よく考えて、何故、四方の神なるかを、おのおの考え、汲み取ればよし。
全ては元は、同じなれば、そのときどきの小さき差異に、神経使わず、広く捉えよ。
次元の違いは致し方なし。この世の次元で、捉えんとして、かえりてあやまち、つまずくなかれ。
さにて。


二〇〇〇年四月十日 肉食

神から人へ。
神から人へ、教えて残せしことも少なく、今早やようやく、終わりに近づく。
そなたの問いも なくなりぬれば、次なるみ役と変わりゆきなん。さにて本日何を問うや。

(食事の仕方についてお教え下さい。食べてよい物、よくない物、肉食などについては、どのようにすればよいでしょうか)
では答えん。肉を食べるも、野菜を食すも、全ては人の体の素なれ、何を摂りても、全て可なり。
なれど心し、気を使うべきは、それその物を頂くときの、食への感謝と、動植物への、感謝といたわり、
そを持ち食せよ。
さなくば毒なり、腐りとなりて、体内汚して、病となるらん。
何故とあらば、全ては神の作りしものなれ、神への感謝を先ず第一に、その次忘れず、心すべきは、
その身(実)を捧げる生命たちへの、同情、優しさ、そが大切なり。
さなる心で頂くならば、全ては体の滋養となるらん。
なれど食欲、そもまた汚れ。ただ徒(いたずら)に食べるは非なり。
ただ食欲と執着にて、己の嗜好(しこう)を喜ばすだけの、暴飲暴食、そは慎めよ。
最も体を汚すものは、食への執着、強すぎること。
体の自然の欲求と、心の底より感謝せんとき、食は体の養分なるらん。
なれど、ただ徒(いたずら)に食を漁(あさ)るは、体の毒なり。汚れとなるのみ。
体の汚れを浄めるためには、心の汚れを取るが始めよ。
さならずば、何をいただかんとも、体を養う素とはならざる。
食を食べるは、己の体を、さらに浄めて強めるためなり。
何を食べても、何を飲みても、そに拘(こだわ)るは、汚れの素なり。
肉を食すが害にはあらず。肉には肉の、力あるなり。
なれど肉の力に耐える、己の体の体力なくば、肉は汚れを体に残し、体を蝕(むしば)むものとなるらん。

(自分の体に合った食べ物、とはどのような物なのでしょうか)
そもまたそれぞれ。普遍はあらず。なれど、世間の常識にある、体の衰え、強さに応じて、
真に欲する物にあるなら、そがその者に適する食なり。

(味覚に囚われてはいけないのでしょうか。偏食はよくないのでしょうか)
全ては陰陽。人によるもの。
味覚というも、囚われならずや。己の味覚や嗜好というは、心の表れ、囚われなれば、そに侵されて負けぬる者は、
先ずはそに克ち、目覚めるべけれ。
偏食なるも、同じこと。ただそれのみを好むというは、心のどこかに狂いがあるらん。

(心の狂いを正せば、自ずと体に合った食事になるでしょうか)
さなり。心のどこかに病持つ者、心の虚(むな)しく、満たされぬ者、そは肉体も衰えゆかん。
体の衰え、衰弱は、巡りて心をさらに淋しく、侘(わ)びしき思いと引き下げゆかん。
なれば気を付け、心強めよ。心高めて、喜び溢るる、さなる健やか、健康なるは、無駄な暴食偏食もなく、
ただ少量を感謝をこめて、頂き、満たされ、汚れも溜まらず。
よく心せよ、体の健康。体ばかりに目を向けるなよ。
先に正して高めゆけよ。心と体と、魂と。
全てが一体、不可分なれば、その一部のみを高める能(あた)わず。

(体の陰陽、食の陰陽について、お教え下さい)
そはまた長き答となるらん。明日にも答えん、教えてゆかん。
今日には今日の一つの問いにて、よく考えて納めてゆけよ。己の肚(はら)に、心に、体に。
一度に欲張り、多くを知りても、消化不良となるばかりなり。
己の身丈に合う量を、知ればそれにて、満足するべし。
腹八分目、六分目。古人の知恵にも学ぶべし。
さにて。


二○○○年四月十一日 食の陰陽・体の陰陽

神から人へ。
神から人へ、教えておきたきことも少なく、そろそろ次なるみ役を与えん。
次なるみ役は、神から人へ、人から人へと伝えゆく、さらに厳しき行となるらん。
それ故早くに、この問い終えて、次なるみ役の準備始めよ。
準備というは、現世の、多くの細かい瑣事(さじ)雑事、心置きなく準備終えなば、神はみ役を授けられん。
さにて本日、そなたの問いは。

(食の陰陽、体の陰陽について、お教え下さい)
陰陽なるは人の心の、翳(かげ)りと光、そをいうものなり。
心の曇りは陰陽にては、陰に当たりて、汚れ表す。
陽というは、心の光、心の明るさ、救い表す。
なれば人には陽のみが、あらばそれこそ最も尊く、ありがたきものと思うなれども、真の真理はさにあらず。
心も体も陰陽ありて、始めて全き働きをなす。
陰のみにても、よくあらざれど、陽のみにても治まらず。
二つで一つの働きなれば、陰のみ、陽のみ、そは病なり。
陰なる者は陽を求め、陽なる者は陰を求めよ。さにて陰陽兼ね備えてこそ、全き働き、行いなるらん。
陰陽二つが合わさりてこそ、二つの循環始まりて、行い進みて、はかどりゆかん。
陰のみ、陽のみ、動きは止まり、働き止(や)みて、無為となり。
陰陽、それらは循環表す。この世を動かす根本原理。なれば宇宙も陰陽により、循環回転、進歩発展。
動きの止まりし宇宙には、生も命も光もなければ、全てが無なる闇黒(あんこく)世界。
なれど陰陽現れなば、必ず補う力が働き、互いを動かし進ませんとす。
宇宙の原理は陰陽なれば、人の体も同じ原理よ。
体の陰陽、そは古来より、中国医術に研究進み、陰陽極めて発達しぬるを。
なれば人は肉体の陰なる者は、陽を食せよ。陽なる者は、陰を摂れよ。全ては働き回り始めん。

(陰の食物とはどのようなものですか)
陰なるものとは、植物野菜、木になる果実や穀物雑穀。
陽なるものとは、肉類、魚類、体に力を与えるものなり。
陰なるものは、若きときこそ、多くを要して摂るべきなり。
陽なるものも、年齢問わず、体の衰え、疲れに応じて、適度に摂るべし、食すべし。
なれど体の弱りし者は、陽は控えて陰を食せよ。

(病気の肉体は陰なのではないですか)
さにあらず。病、衰え、疲れ、弱りは、陽の汚れの溜まりし表れ。
なればさなる病気の者は、陽は控えて陰を摂るべし。

(陽の肉体とは、どのような肉体でしょうか)
陽なる者とは、体も強く、体力溢れし若き肉体。この先まだまだ働き動く、力を欲する肉体なり。
なれど陽なる肉体なれば、陽を摂るにも、程度わきまえ、陰にて補い、汚れを浄めよ。

(陰の食には汚れはないのですか)
さにあらず。陰にも汚れはあるものなり。なれど陰の働きは、陽の汚れを浄める働き。
陽の汚れは溜まるに易く、肉体汚れを強めるものなれ、陰にて汚れを落とすが大事。

(陰ばかり食すのは誤りでしょうか)
さなり。陰のみにては、力が不足。体の汚れは溜まりにくけれ、力を得るには陽も必要。

(肉食でも菜食でも、体の陰陽に合わせることが大事と考えればよいのでしょうか)
さなり。なれど己の肉体の真の陰陽、状態は、知るは難(むずか)し、測るは難(かた)し。
なれば心の奥底からの、魂浄めて、悟るを要す。
心の汚れは執着なれば、嗜好に頼りて、食すは危うし。
よく澄まし聞け、体の要求、求むる食物、必ず分からん。さにて。


二〇〇〇年四月十二日 真 理

神から人へ。
人から神へ。願いと祈りを交換させよ。命高めよ、心磨けよ。
さにて本日何を問いたき。

(陰陽についてお教え下さい)
陰陽なるは既に教えて、大方の意味は既に知りなん。なれば今このときに教えるべきは、他なる問いを用意すべし。

(宇宙の真理とはどのようなものでしょうか)
そもまた広く、曖昧なり。少し狭めて深めて問えよ。

(宇宙を動かす真理、生命に関する真理、この世とあの世とを支配している真理、などについてお願い致します)
では答えん。そもまた広大、深遠なるが、その一部にても、全ては語らん。
よいな、心し、高めて聞けよ。
この世を動かす真理なるも、あの世を支配し回す真理も、全ては一つ、神の御心。
神の心に外るるものは、全てが衰え消滅しゆく。
神の心を知りたくば、自然運行、地上を見よや。改め聞くも おかしきことなり。自ら悟れよ、宇宙の真理を
神の望まる真理とは、互いが互いを活かすこと、互いが互いを高めることなり、
なれば昨日の陰陽も、宇宙の真理に他ならず。
互いが補い、助け合い、支え合うよう作られし、全ての物質、生命、肉体。そを読み解けよ、悟り計れよ。
全ては神の心のままに、神の心は平等に、欠けたるものには、そを補うよう、余りしものを備えしものを、
作りて与え、働き授ける。 さなる真理を悟らざれば、そは衰退と消滅の、兆しを表し、禊がれぬるを。
神の心に適うとは、神の心を素直に読み取り、人間心の自己中心、我欲 執着 捨てることなり。
己可愛し、ありがたし、己よからば全てよし。さなる我執は、誤りのもと。
神の真理と最も遠く、最も忌むべき、ありかたなれば。
よく戒めよ、慮(おもんばか)れよ。神の心に適うるように。そが修行なり、霊行なり、全ての行の意味ならざるや。
人間心の小さき行い、そは己の利益を増やすのみなり。
神の真理に添いて生きるは、己の利得、富ならず、全ての繁栄望むこと。

欠けたる相手の不足を補い、相手の栄えを手伝いつつも、神への感謝と帰依のみの、濁らぬ喜び、手に入れること。
神への感謝は全ての始まり。祈りの始めのことばなり。
神への感謝、それなくば、何を祈るも徒(あだ)となるらん。
神へ捧げて委ねる心、善なることさえ、神に任せよ。
己の正義や信念押しつけ、相手を変えるは我執なり。
神に任せて、委ねきれよ。無欲無心の行いこそが、神の望まる人の行なり。
神の手伝い望む者なら、必ず神は禊ぎ試さる。己の信の強さ高さを。
そのとき我執の強き者、独善偽善の汚れは正され、神に素直に従いゆかん。
さなくば、神は使う能わず。神の御心素直に写す、心となるまで、再び禊がる。
人間心の独善は、まだまだ及ばぬ、近づき得ぬを。
神の心に、真理に遠く、神と相和す行いなし得ぬ。
人間心と神の御心。まだまだ適わず、届き得ず。なれど努力と精進を。
神の禊ぎに無心に耐えよ。耐えて忍べよ、困難苦難。
宇宙真理に近づきたくば、無欲無心に、我を取れよ。
無駄なる関心、好奇心。心の低き卑しき者には、神の心は正しく見えぬ。
分かるも無用、知りても無意味。かえりて無心無関心、我(われ)関せずが望ましかるらん。
神への感謝、それのみあらば、神に素直に使われなん。さにて自ずと真理を顕す、神の手伝いなし得るものなり。

神の真理は単純明快。陰陽思いて忘るなかれよ。
神のご意図は陰陽にあり。この世の働き、原理の全て。
さにて本日、これにて終わらん。


二〇〇〇年四月十三日 ミロクの世

神から人へ。
神から人へ。教えておきたきことも少なく、早くにみ役を変わり、次に移れよ。さにて本日何を問うや。

(ミロクの世とはどのような世であり、そこで人はどのようなみ役を果たすべきなのでしょうか)
ミロクというは、次なる世なり。この世の立て替え直しを終えて、次なる次元に高まりし後、神を迎える準備 整い、人の全てが昇華許され、心の高き者の溢るる、現世浄土の始まりなり。
なればそこにて生まれ変わるは、神の子のみなり。分け御霊のみ。
さなる世界に生まるる人は、必ず心も一段高く、清き者のみ許さるるなれ、神の み役もさらに尊く、
神の経綸完成なれば、人の み役も異なるらめど、今我々の知りうることは、ただそれのみにて、答うる能(あた)わず。
もし知りたくば、後に問えよ。別なるみ役の霊に尋ねよ。後の日、時を改めて、再び問えよ、心高めて。
さにてミロクを先ずは迎えよ。そのため今は手伝えよ。神の御心適うようなる、
人の魂、救いてゆけよ。 残る魂、許さるる魂、一人も多く縁を結びて神の御心喜ばせなん。
神の煩(わずら)い、悲しみは、次なる世界の到来に、適うる魂少なくて、再び始めに戻すことなり。

この世の始めの文明もなき、始めの人類、生命の元、そこまで戻りて返すことなり。
神の心配、懊悩(おうのう)を、少しも安らげ、和らげ申せよ。
神の み役に不平抱かず、ただひたすらに一つのことを、十二分にも果たしゆけよ。
さなれば必ず昇華は適い、ミロクの世にも生まれ変わらん。
ミロクの世とは次元の高く、今の次元の魂は、自ずと禊がれ、試されなんを。
そのとき神の御心に、適うが大切、肝心なれば。次なる世にも生まれ変わらん、この書記読みて、肚に納めよ。
よくよく読みて、魂浄めよ。御霊磨きが大切なれば、神との縁を自ら求めよ。
神に背を向け、遠ざからんと、自ら離るる魂を、神は悲しみ、見捨てゆきなん。
さなる悲しみ、神に詫び、神の辛かる思いを救えよ。神を救うは、己を救い、人の救いを、手伝うことなり。
己の心に光灯(とも)せよ。神自(みずか)らに、力を授けん。神の真の使いとなれよ。神のお役に立つことをのみ。
今のこの世に急がるるは、先ずはそのこと、それのみなれば。御霊磨きと、人救い、神への感謝、それのみ急げよ。
もうじき来るらん、近づきなんを。この世の立て替え直しは近し。
残さるる時を、神に捧げよ。神に全てを委ねきれよ。神に任せて、無となれよ。
人間心で慌(あわ)てるなかれ。次には次にみ役賜り、神の仕組みも働きゆかん。
神の心を素直に写せよ。人間心のあやまち、誤解、よく戒めて、空(くう)となれ。
無といい、空(くう)も、同じこと。心の空(くう)は、裸の心。
神の御心 よく通し、よく働きて、無心なり。無心となれよ、そが修行。無欲無心に、空なれよ。
余計の概念、構えは取れよ。努力は大切、忍耐辛抱。なれど邪魔なる我の強さ。頑固頑迷(がんこがんめい)、固陋迷妄(ころうめいもう)。

神の心をさえ疑いて、科学数式、そに頼らんとする。真の真理を知らぬ者なら、次なる世には、生きるに難(かた)し。
ただ徒(いたずら)に見えるもののみ、信じる愚昧(ぐまい)は、今世限りよ。
次なる世にて この世を動かす、神の真理を信ずる者のみ、生まれ変わるを許されなん。
神を信じぬことを誇り、神を汚すの過ちは、すぐにも改め、戒めるべし。
神を信じて委ねる心、素直に清き心のみ、今を生き抜く心得なるらん。
そもまた今に急がる修行。人を救うも、そのことなれば、神との縁をさらに広げよ。
今人に、与えしこと、もの、現象、全て、そを悟らすための神の仕組みよ。ミロクの世には全てが自然に、
何の不思議もなきことなれど、今の次元のままの者には、何もわからず何も見えず、ただ苦しみの世となるなれば、
たとえ生まれて現るるとも、そこは地獄の世界と映らん。
今のこの世で高めてゆけよ。浄めてゆけよ。取りてゆけよ。我欲我執と、神への疑い。学問、人知、物質信仰。
かえりて邪魔なり、重荷となるのみ。
ミロクの世には、次元の高き、尊き精神、そのみが生きて、真の浄土を作り上げなん。
そこにも修行はあるらめど、次元の低き魂には、辛く苦しきことのみ増さん。
物質のみしか見えぬ心に、ミロクは辛く耐え難かるらん。
今のこの世に生まれし幸を、感謝せぬ者、魂には、ミロクの世界は、遥かに高く、魂の汚れを取ることすらも、
適わず、能わず、滅びる仕組み。
素直に清く、無心の心。無欲の心を培(つちか)えよ。神の望まる心の高さへ、日々の努力を怠(おこた)るなかれ。
さにて、本日、ミロクの世界の、魂、心のありかた教えき。さらにも浄めて、高めてゆかれよ。さにて。


二〇〇〇年四月十四日 心を高める

神から人へ。
神から人へ。神から人への最期の祈りとお伝えなれば、残すことなく記してくれよ。
漏らすことなく、広めてくれよ。
神から人へ、神から人へ。日々に祈りを届けゆく神の御心、くみ取りてくれよ。さにて本日何を問うや。

(心を高めるということについてお教え下さい)
神は人に、日々に伝えを、伝え届けておられずや。
そを聞き、信じて、委ねゆき、神のお役に立つを喜び、神に仕えることを尊ぶ。
その真なる心情、真心、そを持つことが心の高め。
そを測るには、己に問えよ。己の心の偽りなきかを、人に尋ねず、神に頼らず、先ずは己が向き合えよ。
神の御心 知る者ならば、必ず心は清まりゆき、高まりゆきなん、ゆっくり静かに。
なれば焦らず、安らかに、鷹揚(おうよう)なるまま、泰然(たいぜん)と、神の心に任せる気持ちで、自ら急ぎて失することなく、
無心の心をつかまばよけれ。
神は求めず、性急(せいきゅう)さ。人間心の時間の流れに、人の進歩を測るを好まず。
時の流れに測るになく、無限と対して、永久(とわ)を求めよ。
人の時間の一年、二年、神の前には一瞬なれば。
時も相対、絶対ならず。神の世界に相対はなし。今この瞬間が永遠なれば、過去も未来も全ては続く。

始まりもなく、終わりもなければ、先の成果を追い求め、今を失う愚かさ諌めよ。
神の時間に調和せんとは、囚われなくして生きることなり。取り越し苦労や、後悔は、時間の空費、浪費なり。
今を生きるは永遠を、真の時間を手に入れること。囚われ外し、足枷(あしかせ)取れよ。己の自由を、無心を信じよ。
つまらぬ拘(こだわ)り、わだかまり、心の澱(おり)なり、汚れなり。
人間心に難しくとも、そを取り行くが修行なり。謙虚に励めよ、一つ一つを。
焦るは最も意味なき行い。諦め、悟らば、自(おの)ずと至らん。無欲無心の、澄みたる境地に。
心の静寂、そに入(い)るときこそ、心は高く、解き放たれん。自由に、無碍(むげ)に、奔放(ほんぽう)に。
そを信じしときこそ、心は昇華し、真の心の高みへ昇らん。
人の心の成長は、時間を要し、かかるものなれ、日々に変わりて進歩せずとも、穏やかにても進みゆくなり。
先ずは励みて、続けてゆけよ。人間時間の一年二年で、進歩を測るな、求むるなかれ。先に急ぎて、何の得なし。効率、計算、神は望まぬ。最も愛(いと)しく思わるは、心の成長怠(おこた)ることなく、地道に努力し、辛抱耐えて、
尚諦めぬ、強さと優しさ。素直に神に委ね任せて、疑うことなき、無垢(むく)なる笑顔。
世事や俗事に奔走(ほんそう)し、目先の利のみを追い求むるは、神の好まぬ人の性(さが)なり。
これにてそなたも悟りゆかれん。神の望みの魂を。人に求むる生き方を。
人に与えし生の生き方、神のご意図をあやまつなかれよ。
神の愛する生き方 貫(つらぬ)き、神に応えて、生を終えよ。さなる願いを伝えてくれよ。さらに多くの魂たちに。
今このときにも迷える魂、悩める魂、多くあるらん。
今このときにも、神を求めて、苦しむ魂、救いてやれよ。必ず神は仕組みを起こして、真の霊行、後押しされなん。

疑いならず。迷いはならぬ。少しの怠(なま)けも怠(おこた)りもなく、ただひたすらに続けてくれよ。
今能うることを残すことなく、休む暇なく働きゆけよ。
時間は限られ、時近し。残されし時は短し。ためらうなかれ。
早くにこの書記、広まるように、最善努力を神に捧げよ。人間努力の、真の奉仕を、純なる思いを尽くしてくれよ。

(出版をするべきでしょうか。猶予は後どれぐらいでしょうか)
出版もよし。配るもよからん。ただ今のみでは、不足なり。
猶予は先のことなれど、徐々に進みし立て替え直しを、遅らすことも可能なれば、さらに精進努力せよ。

(人間の努力で、遅らせること、被害を小さく軽くすることもできるのですか)
さなり。人間一人の救いが大事。一人を救わば、一年延びん。一人を救うは一人にあらず。
さなる尊き、高き思いは、必ず全ての人へと通じん。なればたゆまず、励んでくれよ。
一人のみにも、人類全てが、助かる道は拓(ひら)かれゆきなん。

さにて、本日、人の心を高めるための、易しき教えを伝えたり。焦り、欲張り、我を出すなかれよ。
神に委ねて霊行励まば、いつか自ずと高まりゆかん。さにて。


二〇〇〇年四月十五日  心行・体行

神から人へ。
神から人へ、教えておきたし。伝えておきたし。残しておきたし。
全ての者に、広めてくれよ。救いてくれよ。手伝いてくれよ。助けてくれよ。
神の願いの全てを託して、人の努力を、奉仕を待つぞ。神への献身、帰依と感謝で、日々の行い、高めてゆけよ。
さにて本日何を聞きたし。

(心行、体行として、何をすればよいでしょうか。また、合気道以外にはどのようなものがあるでしょうか)
さてもいかにも、何にもよからん。心行体行、全てが行なり。行とならぬは金儲(もう)け、下らぬ算段、人の悪口 。
さなる卑しき行い以外は、全てが行と高まりゆかん。
心行なるは心の行なり。心を高める行いならば、何にてもよし。全てが可なり。
なれど心を高めることとは、自ずと神への感謝とつながり、日々の喜び深めるものなれ、
さなる感謝と高まらざれば、何を続けど同じこと。
先ずは気付けよ、己の心に。己の真の願いを問えよ。己が神に近付きたくば、先ずは取り去れ、邪心邪欲を。
さにて無心に行に取り組み、日々の進歩を信じ委ねよ。
結果ばかりに囚(とら)わるなかれ。結果は後からついてくるもの。
たとえ人には失敗なれど、神の目からは愛(いと)しき奮闘(ふんとう)。努力の姿をこそ愛(め)でなんを。
人の無償の努力と奉仕。そは人のため、神のため。そしてやがては己のためへと、巡りくるなり、戻るなり。

人への奉仕も焦らず急がず、先ずは己の身の回りから。家族親戚 友人から。
人への奉仕も、構えずに、ことば一つも救いとなるらん。
ただ気を付けよ、奉仕の意味を。人の苦しみ悲しみにも、神の意図あり、禊ぎあり。
なればただ同情と偽善の心で、人の心を救わんとすな。
神の心に委ねる心で、優しき思いのこもりしことばで、神との縁を深むるような、ことば一つをかければよからん。
神への奉仕を第一とせよ。人への奉仕は後からなされん。
神への感謝の思い高めて、先ずは己の心高めよ。さなる日々の行いなれば、全てが心行、心浄めん。
次なる体行、そも同じこと。心を強めることの意味が、ただ心を傷つけ、傷(いた)めるになく、感謝と喜び、光にあれば、
体の行とて同じなり。ただきつく、苦しく辛(つら)き鍛(きた)えは毒なり。体に軽く、心地よく、日々に行い続けるものなれ。
人の体力、好みはさまざま。なれば己の好きなこと、好きな体行 選ばばよけれ。
神への感謝は日々への感謝。肉体、そもまた神の恵みよ。
神の恵みをさらに活かして、体を浄め、高める思いで、神に感謝を返す思いで、日々の普通の行いなせよ。
体をいじめ、傷つけること、そは行ならず、苦痛のみなれ。
体鍛えて、十二分にも、神への感謝を捧げばよし。日々に行うものなれば、楽しみ伴うこともよからん。
難しくなし。苦しくあらず。
人と人とが出会い交わり、自ずと交流始まるように、神と人とも出会いを始めて、神と人との交信始まる。
そもまた体行、神意なり。体行なるも、神との交信。体の奥に眠れる神と、体を通して交信すること。

交信というも、ことばにあらず。魂の奥の古代のことばで、ことばとならぬ想念で、神との交信つながりゆかん。
体を動かす、その中で、神との交信なしうる者は、真の神への感謝も深まり、自ずと清まり、高まりゆかん。
体動かし、汗流し、心の拘(こだわ)り消え去りしとき、心の汚れは浄められん。
さなる清浄、無心のときこそ、神は自ら現れて、無垢なる心に呼び掛けられん。
体の行とて、心行ならん。体を動かす、それのみならず。神への交信、感謝捧げよ。

(体を動かしつつ、感謝をすることが大事なのですか。そうすれば、神様との交信は可能なのでしょうか)
さなり。なれど勝負や賭け事は、心の汚れを増すものなれば、勝ち負け、結果に拘るなかれ。
体を動かす根本は、己と神との交信なり。
神との交信、最も易きは、体を動かし、無心となりて、欲得離れて、無欲となること。
なれば勝ち負けあるものは、神との交信、遠ざかりなん。
相手を負かすは、好ましからず。相手を負かして喜ぶは、神の心と遠きもの。
なれどそもまた必要ならん。己の向上。相手と競う。そもまた進歩の素ならん。
なれば勝負も、また意味あるらめど、ただに己の支配欲、闘争心の闘いは、心の汚れを残しゆくなり。
体の奥にも神ありて、神との交信し易き状態。そが無欲無心のときなれば、さなる境地に入り得るように、
祈りをこめて体鍛えよ。

さにて、本日、心行、体行、その心得を伝えたり。

日々の精進、神の願いよ。なれど間違いあやまつなかれ。神は望まず、難行苦行。苦しく思うは、心の汚れ。
ただ平静に、常態にて、結果を求める心を捨てて、感謝の思いで行うべけれ。
さにて、明日にも再び問えよ。わからぬことをさらに深めよ。
さにて。