二〇〇〇年五月七日 「あわのうた」・サニワ
神から人へ。人から神へ。神は教えを終えなんとする。なればそなたも準備せよ。
心浄めて、高めて待てよ。そのとき近し。訪れなんを。神への感謝と誠をもちて、神に捧げよ。己の帰依を。
神への献身、誠の奉仕、さにて心も高められ、神へのお役に立つこと適(かな)わん。さにて本日、何を問うや。
(「あわのうた」は「いろは」「ひふみ」と同じ言霊の力を持つのですか。それを謳(うた)うと、何が適(かな)うのですか)
では教えん。「あわのうた」とは、昔の祈り。人の唱えし神への祈り。
音の全てを組み合わせ、神へ捧げし、祈りのことなり。なれば言霊、音霊(おとだま)にて、心を高め、感謝を深め、
心の浄化を適えるなれば、神は喜び、そを受け取りて、人への恵みを下ろされぬるを。
なれば祈りも交流ならん。神と人との心の交流。
命の捧げと恵みの交換。さにて人は神に感謝し、さらに己の身を粛然(しゅくぜん)と、正し浄めてさらに精進。
神と人との交信交流。さなる意味なり。力なり。
「あわうた」そもまた言霊強き、浄めの力を持つなれば、日々に唱える、そもよからん。
なれど最も強き言霊、霊力持つは「いろは」と「ひふみ」。その二つこそ、神に捧げる 全ての大本、根本なれば。
「あわうた」そもまた正しく唱え、心を高める言霊なれど、「いろは」「ひふみ」に及ぶものなし。
なれば人の間に広く、伝えるべきは「いろは」なり。或(ある)はまた「ひふみ祝詞」そを伝えゆけ。
易しき音なり、文字なれば、一度覚えて唱えなば、忘れ難きも、その二つなり。
さにて本日「いろは」「ひふみ」と、別なる歌を解き示せしを。この後伝えて残しゆけよ。
「いろは」と「ひふみ」を忘るるなかれ。神と交信せんための、最も易しき祈りなれば。
(次の質問です。サニワをする人とは、どのような方でしょうか。またその数やお名前を教えて頂けますか)
では答えん。サニワとは、神のことばを試し確かめ質(ただ)すことなり。なれば自(おの)ずと神と交信交流可能の者なるらん。
なれど真のサニワとは、正しく行うことは難し。時にあやまち、誤りあるらん。時にだまされ、迷いもあらん。
なれば全てを信ずるは、なかなか危うきことなるらん。
真の神との交信は、人には見えぬことなれば、いずれが正しく、間違いなきかは、人の人知にわからぬことなり。
なればこの世に何人いるか。そもまた容易に答え得ぬこと。
神との交信通信も、人の魂、清さ高さに、応じて変わるものなれば、いずれもそれぞれ導く神や、
霊の異なるものなれば、その神霊を貶(おとし)める、疑う無礼は慎むべけれ。
真実真理を知りたくば、先ずは己の魂磨き、内なる神に問い尋ねるべし。
たとえ自ら聞こえぬようでも、卑しき霊のことばなれば、自ずとわかり、悟れるものなり。
神のことばを理解せぬ者、さなる者にもサニワは可なり。なれど導く神霊の、邪なるもあれば注意すべし。
信じることも大切なれど、全てを信じる油断は慎み、よくよく考え、問いてみるべし。
真の神を知る者ならば、サニワせずとも答は明らか。神の教えにあやまりなければ、正しき方へと導かれなん。
なれど己の心の奥に、邪心邪欲のある者は、自ずと低き方へと堕ちて、あやまち罪を繰り返しなん。
サニワに頼ることもやむなし。なれど己の心高めて、己の奥の神に問えよ。
なればこの世のサニワする者、そは己なり。全ての者なり。特別なる者、特殊にあらず。
全ての者に可能のことなれ、己の奥の神を信じよ。己の神こそ答なるらん。人の神に頼ることなく、己の神を信じ、高めよ。
さすれば答は明らかならん。人のサニワに頼ることなく、先ずは己の神を頼れよ。
(もう一つお尋ねさせて下さい。相撲は神の姿を映し、表四十八手、裏四十八手があり、それは秘文(ひふみ)、
即ち神道の縮図だそうですが、今からどのように、それを世に具現していくべきなのでしょうか)
そもまた人の浅き考え。相撲というは、神に捧げる神への奉納演武ならずや。
この世に神の姿を映す、多くの芸術文化の一つ。なればこの世に顕すことは、神への感謝と帰依の心を、
神に捧げて納むるものなり。
なれど技の一つ一つは、神への感謝を顕すものなれ、この世に具現すというも、演武の内にて顕され、
神にも届きて、伝わりゆかん。
相撲は一つの神事なれば、元の心を大切に。
ただの娯楽や勝負にあらねば、神への感謝と祈りをこめて、演ずることが、答ならずや。
いずれの芸術、文化も同じ。元には神への感謝と祈り。それこそあらば、神に通じん。
さにて神の心を顕し、伝える価値のあるものならずや。
人間心の低き関心、欲望満たすためならば、いずれは廃(すた)れ、衰えゆくべし。
今世にあるも、多くはさなり。勝ち負け、結果に拘(こだわ)りて、相手を倒すことのみ重んず。
勝ち負け、儲け、名誉名声。さなる低次の空騒ぎなり。なれば神への感謝も薄れ、心も腐敗し、荒れてゆきなん。
神への感謝を捧げる文化。そを残しゆけ。伝えゆけ。
他にもあるらん、日本の文化。神への感謝を捧げる芸術。作りし者の、心が高く、尊くあらば、自ずと残らん。
さにて本日、多くの問いに、答えて教えき。さにて終わらん。
これから後にも問いは続かん。なれど早くに準備せよ。次なるみ役を心し待てよ。さにて。
二〇〇〇年五月八日 優しさ
神から人へ。人から神へ。教えて残し、伝えて広げ、ただ忠実に働けよ。
己の誠心、忠心見せよ。さにて使われ、仕えてゆけよ。さにて本日、何を知りたき。
(神様は、人の病気や不幸に同情することはよくない、禊ぎのお邪魔になるとおっしゃいますが、人の不幸に対し何もしないのが、
一番よいのでしょうか。人への優しさとは、神様へのご縁を結ぶような声をかけることだけで、後は何もしないのがよいのでしょうか)
さにあらず。神の望まる優しさとは、人の不幸を己も苦しみ、共に悲しみ、分け合うことなり。
なれば見守り、なにもせで、不幸を見過ごすことにはあらず。
苦しみ悩む人の苦悩を、苦痛を共に苦しみて、さらに高めよ、感謝と祈りを。
ただ遠くから、何も感じず、我(われ)関せずと、見離すになし。側(そば)にて付き添い、いたわりて、その苦しみを等しく
感じ、そを伝えつつ、慰めてやれ。さにて人を恨むことなく、神への感謝を説いてやるべし。
神の手伝い、そも然り。なれば邪魔せず手伝うことは、神への存在身近に気付かせ、不幸の意味を教え説くこと。
なればあやまち、誤るなかれよ。人の不幸を遠巻きに、己の幸を喜ぶになく、人の苦痛や苦悩病苦を、
己の鏡と受け止めて、己の苦痛を肩代わりする、尊き禊ぎと感謝するべし。
冷たく静かに見守るもよし。なれど神は喜ばれず。神の手伝い、せぬも同じよ。
神の喜ぶ優しさは、人の心を素直に感じ、共に悲しみ、共に苦しみ、共に喜ぶ豊かな心。
己一人の幸運喜び、人の不運に巻き込まれぬよう、災い己に降りかからぬよう、己の安泰、そのみを念じる、
さなる貧しき心はなくせよ。
豊かさ、優しさ養いてゆけ。そも修行なり。心行なり。さなる心の潤(うるお)いなくば、神のお役は果たす能(あた)わず。
空の念仏、お題目。魂入らぬ仏像ならずや。なれば忘れず、心せよ。人の優しさ、神の手伝い、
そはゆとりある心を要す。人への誠の同情なくば、人を神へと結ぶは適わず。ただ慢心の、自己満足。
心の入らぬ導きは、神の手伝いするは能わず。
人と神とのご縁を結ぶは、人の心を衷心(ちゅうしん)から、神に向けゆく難しき業(わざ)。
ただおざなりの慰めや、励ましのみなら、意味もなし。さなる安易な行いならば、神も任せず、期待せず。
よくよく噛みしめ、心に刻めよ。神の手伝い、尊きみ役。神への真の帰依なくば、神の手伝い果たし得ず。
人の禊ぎは己の禊ぎ。人の痛みを感ずればこそ、真の救いの有り難さ知る。
人の不幸を遠目(とおめ)に眺め、不幸を憐れむ傲慢(ごうまん)は、諌め正して謙虚になるべし。
禊ぎのなきを喜びて、神の恵みと誤るなかれ。真の恵み、慈愛とは、困難不幸のなきにはあらず。
己の精進努力の機会を、与える神の意図を読むべし。
なれば、本日、神の慈愛と、人への優しさ教えたり。
これから後も、忘るなかれよ。人への優しさ、人の救いを。我がことの如(ごと)、共にせよ。人の苦しみ、悲しみを。
人の痛みを理解すること。それの欠けたる行いは、傲慢、騎(おご)りに他ならず。
神の優しさ、厳しさは、元は一つの愛なれば、人も神に近づけよ。易(やす)き同情、憐憫(れんびん)は、人間心の慢心なり。
誠の愛を手に入れよ。心養う行なれば、人の最も神に近き、尊き高みに近付く一歩。
低き優しさ、施(ほどこ)し要らぬ。己に不要の物を与えど、誠の行とは高まり得ぬもの。
己の心の奥底からの、神への祈りを捧げよ、人よ。日々に祈りて叶わぬは、まだまだ足らぬ証(あか)しならずや。
祈りも行の一つなり。
神に祈りを届けよ、人よ。神の心に適う祈りは、必ず人をも動かしゆかん。
神への帰依は、人への帰依なり。人への献身、そもまた同じ。
神に捧げる心のあらば、人への奉仕も虚(うつ)ろにあらず。
神に捧げる心のあらば、必ず人への救いも適わん。
人は神なり。神の子なれば。神と人とを分けるなかれよ。
人に仕える心も同じ。神の前にて素直とならば、人への優しさ自ずと芽生えん。
さにて、本日、懇切(こんせつ)に、教えを示し、明らかにせり。
この後問いも深めてゆけよ。御霊(みたま)の昇華を、自ら進めよ。
さにて。
二〇〇〇年五月九日 音霊
神から人へ。人から人へ。教えも終わり、次なるみ役を。神の手伝い、続けてゆけよ。
教えの全てを知らせてゆけよ。己一人の精進になく、全ての人の救いとなれよ。
そのため神は下ろしぬれば、そなた一人の精進になく、全ての人の救いを示せよ。
さにて本日、何を問うや。
(音霊についてお教え下さい。言霊とはどのように違うのでしょうか。それはどのような力を持つのでしょうか)
そもまた、根本、始めの問いなれ。
音霊、始めにことばのありき。なれば言霊、そもまた同じ。
音の魂、秘めし力は、この世を浄め動かすことなれ、この世の生きとし生ける全てを、さらに浄めてゆく力なり。
なれどこの世に今溢(あふ)るるは、乱れしことばの音なれば、この世の乱れを進め増やして、却(かえ)りて乱れを広げゆくなり。
なればことばの清き音にて、この世を浄めて高めぬるよう、先ずは正せよ、発音、発声。
いかに乱れしことばなれども、音の一つも直してゆかば、必ず浄まり澄みゆきなんを。
汚きことばと発音ならば、心の汚れも増やし増すのみ。全てのことばの持つ音を、正しく唱えよ。発すべし。
(ことばがこの世を浄めるとは、どのようなことでしょうか)
そはまた基本の、基礎なる問いなり。なれど重要、根本なれば、今再びに答えて教えん。
ことばがこの世を浄めるとは、ことばそのもの、元に潜(ひそ)めし、ことばの霊力、そを意味するものなり。
なれど霊力、神の力は、昔の古代のことばのみなれ。今の人の世、流通するは、かつての力は備えておらず。
なれど今にも残りてあるが、ことばの浄めの霊力なり。
人の心の奥の汚れや、魂の奥底、内に忍ぶ、邪欲邪心を洗い出すなり。
汚れや曇りを祓うものなれ、目に見え清らにならずとも、必ず心の暗さも照らされ、明るく直き心となるらん。
なればことばは、先ずは人へ。人の心を浄めゆくもの。
さなりて心は浄められ、狂いを正され、高まりて、やがては現象、事物に及び、広がりゆくなり。伝わりゆかん。
心の浄めは目に見えずとも、神の目からは全て明らか。手に取るように、表るものなれ、
人はごまかし、繕(つくろ)うなかれ。さにて姑息(こそく)な虚飾(きょしょく)、虚栄を、祓い浄めよ。敬虔(けいけん)なれよ。
神の み業に近づきぬるも、己の目には映ることなし。
先ずは人との交流により、魂磨かれ、高まりゆかん。そを取り持つもことばなり。
清きことばの使い手は、自ずと集まり、力合わせん。なれどことばの卑しき者も、自ずと集まり出会わされん。
さにて悪しきことばは広がり、人心(じんしん)荒れて、荒(すさ)みゆくなり。この世の荒廃、心の退廃、全て悲しきこの世の定めか。
神も諦(あきら)め、嘆かれぬれど、今再びの、最期の機会。人の再生、ことばの復活。命の洗濯、心の浄化を。
魂芽生えて気付きぬれば、後は自ずと仕組みが働き、浄めを進めて、神を助けん。
人の心の意志に適(かな)わぬ、神のご意志は絶対なれば。
さにて本日、音霊と、ことばの違いを教えたり。なれど二つは同じもの。
ことばの始めは音なれば、清き音こそ、浄めの始まり。音の汚き発音は、聞くに苦しく、耐え難きもの。
文字の力も同じなり。元なる心の高からば、著(あらわ)す文字も自(おの)ずと高まり、光を発して周囲を浄めん。
神の慈愛を受けし恵みよ。ことばも文字も、音霊も。音の発声、一つ一つを、心し、感謝し、発すればよし。
神への思いを高めることも、自ずとことばに表れゆかん。ことばの意味の違いによらず、伝える真理は一つなり。
普遍真理を体現する者、これから神を伝える者は、必ず浄めよ、神の恵みを。
神の恵みの最も尊き、ありがたきもの、そがことば。
幾多の恵みのその中で、最も人の感謝すべきは、ことばと文字と、光なり。
神の慈愛に触れたくば、神の与えしことばに触れよ。
神の恵みの明らかなれば、人は自ずと感謝も高めて、命の波動も高まりゆかん。
さにて声の音(ね)、発音も、清き力を周囲に広げて、人と人との間の拘(こだわ)り、境もなくなり、和してゆきなん。
音の魂、神の祈りを、素直に映せよ。顕せよ。
さにて本日、音霊の、基本の働き教えたり。後にも問えよ。今日のこと。音の魂、祈りのことを。
さにて。
二〇〇〇年五月十日 罪の償い
神から人へ。人から神へ。
教え伝えて、残してゆけよ。救い広げて、助けてゆけよ。
神の手伝い、続けてゆけよ。全ての人の精進を、心の浄めを手伝いてやれ。さにて本日、何を問いたき。
(罪の償(つぐな)いを、どうすべきでしょうか。例えば、人を殺した人は、現世では何を以て償うべきでしょうか。
また、死刑を始めとする、人が人を罰することを、神はお許しになるでしょうか)
では、答えん。人の世界のいさかい、争い、いつの世にても なくならぬもの。
なれどさりとて、人の常、人の本能、本性ならず。人とは本来 神に近く、尊き霊性持ちしもの。
なれど雲りて、汚れぬれば、禊ぎも苦難も必要となる。
人の犯せし罪科(つみとが)は、本来ならば人の世にて、人の力で償うべきもの。
なれど適わず、償い切れぬは、あの世の行とし、残し持ち来る。
なれば人の世、現世での、なすべき償い、贖(あがな)いとは、罪を犯して傷つけし、被害者のために、祈ること。
謝り、 悔い、詫び、悟ること。
なれど帰らぬ人ならば、残され苦しむ家族に詫びて、罪の重さと、何故(なにゆえ)なせしか、そを省(かえり)みて、謙虚に見つめ、
さらなる精進、誓うこと。
なれどさにては報われぬ。残りし家族の悲嘆、愁嘆(しゅうたん)。
何故殺され、傷つけられ、かくなる憎き犯人を、許し生かして、受け入れるのか。
家族の苦悩懊悩(おうのう)こそが、神の与えし禊ぎなり。なれど気付かず。悟り得ず。
己の被害の悔しさのみにて、執着苦悶(くもん)、憎悪怨恨(ぞうおえんこん)。かくなる地獄に落とされぬること。
その意味読み解く救いのなくば、加害者よりも被害者こそが、あの世に戻りて地獄に堕(お)ちなん。
神の仕組みし罪にはあらず。その被害者の招きし罪なり。加害者とても同じこと。
双方共に欠けたる者なれ、罪は互いの結果なり。なれど人が人を罰する、そもまた神のご意図に反する。
神は許さず、死刑極刑。暴力、体罰、そもまた同じ。人の体も神の授けし、慈愛の表れ、恵みなり。
そを傷めるは神への冒涜、反逆、不遜(ふそん)の行いならずや。神の許せし人への罰は、罪を贖(あがな)うことにはあらず。
犯せし罪の原因なるを、よく振り返り、正してゆくこと。
結果の罪が、全てにあらず。さらに大きな基盤から、直せ正せの意図なれば。
(被害者にも原因があるから、双方共に反省し、相手を恨んではいけないということですか)
さなり。なれど誤り、あやまつなかれ。双方共に原因なれど、その罪許しし神のご意図を。
神の禊ぎは、禊がれし者の、独りの禊ぎにあらざれば。なれば人が人を犯し、罪を作るは、神の警告。
なれば当事者のみになく、周囲の者もそこから学べよ。全てが一つの調和にあれば、ただ独りのみを禊ぐにあらず。
(人から恨まれることなどしたこともない善人が、ときに殺されたり、病気になったり、事故に遭ったりします。
それも、禊ぎであり、その当事者に原因があり、被害者当人の招いた結果なのでしょうか)
さなり。なれどそもまた誤解されなん。独りの禊ぎにあらざれば、全ての者への禊ぎなり。
いかなる善人聖人とても、必ず日々に罪を積み、人を傷つけ、生きてゆくもの。
なれば日々に神に謝り、神への帰依と感謝を高めよ。なれば善人、悪人とても、同じ神の子、光を与えん。
(実際には、罪を犯すまでの経緯(けいい)は複雑で、個人により様々です。犯罪の原因も昔とずいぶん変わってきました。
中には、時代の流れの中で、罪を犯す人もいると思います。そうした人たちは、時代の中の犠牲者なのではないでしょうか。
また、犯罪を防ぎ、減らしてゆくにはどうすればよいでしょうか。
或いは、犯罪も神の御心、禊ぎなのだから、減らす必要はなく、減らすこと自体不可能ということでしょうか)
さにあらず。人一人一人の努力は尊く、神の望まる営みならん。
神の嫌わる現代の、地球を覆(おお)う風潮は、己中心、自己中心。その最たるものが戦争なり。
さにて今の世、一つ一つの、犯罪、そもまた戦争ならずや。
人の作りし原因の、結果を受けるも人間なれば、そを忘れずに問い直し、謙虚に立て替え直しを進めよ。
神は望むぞ、人の全ての、改心悔悟と感謝の高まり。人が心を取り戻すとき、犯罪もまたなくなり絶えなん。
なれど今の世、このままにては、人の心に悟りもあらず。繰り返しなん、罪と冒涜。
神は人へと望むなり。人の救いと、精進を。なればこその禊ぎなり。
罪の中から、気付きてくれよ。何が原因、足らざるかを。人の償い、そもまた同じ。罰金牢獄、人には要らぬ。
誠の改悛(かいしゅん)、そがなくば、人を処刑し、懲役(ちょうえき)課すとも、何の意味なし、変化なし。
まして死刑は罪を深めん。人の驕(おご)りと不遜なり。
償うことは非を認むこと。素直に悔いて、下座する心。
人や時代に責を求むな。己の心の欠陥なれば、早くに気付きて、神に近づけ。
さにて己の罪の深さを、謙虚に恥じて畏(おそ)るるとき、自ずと神を求めてゆかん。
神の許しを、心の救いを、魂(たま)の底より、求めてゆかん。
さなる心の目覚めしときこそ、被害者、加害者、共に救われ、罪の神意を悟りなん。
償い、贖(あがな)い、本来あり得ず。
あるは神への誠の帰依と、精進望む、それのみなり。
さにて、本日、罪の意味と、償いの法を教えたり。
心の葛藤(かっとう)、煩悶(はんもん)越えよ。生きる尊さ、意味を見つけよ。そこにて神は待ちておられん。解脱(げだつ)の心を、無我の境を。
さにて。
二〇〇〇年五月十一日 夢
神から人へ。人から神へ。次なるみ役を授けんために、今から備えよ。準備せよ。神への感謝をさらに高めよ。
さにて、本日、何を問うや。
(夢の意味についてお教え下さい)
では教えん。夢にも意味あるものもあり。未来の予兆を教えるものあり。この世の危険や災難伝えて、
人に警告するものもあり。
なれど多くの人の見る夢、夜中の眠りに現る夢は、多くは生活、雑事を顕(あらわ)す、その者の内を映すもの。
なれば心の疲れし者は、疲れし情景 夢に見ん。なれど心の嬉しきときには、嬉しく明るき夢を見るもの。
なれば眠りを大切にせよ。己の心の状態を、夢にて問わば、明らかなるらん。
よき夢見るは健やかなり。苦しく辛き夢見る者は、心に翳(かげ)りのある者ならん。
夢にて占う風習もあり。なれど多くは誤りなれば、真(ま)に受け、騒ぎて慌てるなかれ。神は夢には現れぬもの。
教え、伝えは夢にてなさず。急ぎのときには別なれど、必ず現(うつつ)の状態のとき、意識のあるとき、なすものなれば。
(夢の中では別の次元になるといいますが)
そもまた人の誤りなり。夢は人の想念なれば、異次元世界に行くにはあらず。なれど人は眠りの中にて、
己の疲れを癒しつつ、明日の力を養うものなり。なれば心を高めることも、眠りの大事な働きならん。
さにて本日易しき問いなり。さらに聞きたきことのあらば、次にも問えよ。答示さん。
(この書記の広め方についてお教え下さい)
では答えん。この書記神のことばなれば、先ずは儲(もう)けを期待すな。
さにて真の奉仕の心で、人の救いを手伝う想いで、神を手伝う気持ち高めて、神に任せる心となれよ。
(出版するのはいかがでしょうか)
そもまたよからん。早くになせよ。神は急ぎておらるるなれば、ためらい迷いは捨て去れよ。
新たなみ役はその後なれば、先ずは急げよ。み役果たせよ。
(では六月にも出版の計画を進めてまいりたいと存じます。どうかご加護、ご守護、お導きをお願い致します)
可なり。めでたき仕組みの働き進まん。神の恵みに感謝捧げよ。全て任せよ、神仕組み。
人と人との和を広げ、人の結びを強めてゆけよ。神に使われ、仕える者を、増やしてゆけよ。高めてゆけよ。
さにて本日、伝えを終えん。
一日一日(ひとひひとひ)が修行ならん。生は短し。霊行遠し。たゆまず歩めよ。永き道のり。
さにて。
二〇〇〇年五月十二日 少年犯罪
神から人へ。人から神へ。
そなたのみ役もようやくに終え、次なるみ役を迎えんとする。さなるときこそ、戒めよ。
心の汚れと欲望と、卑しき願いを遠ざけよ。先ずは祈れよ、人の幸福。
己独りの利益を求めず、広き願いを、祈りを捧げよ。さにて本日何を問うや。
(少年犯罪の増加は何を表しているのでしょうか。私たちは何をすべきでしょうか)
そは根本の問いかけなり。そもそも子とは清きもの。汚れなきもの。澄みしもの。
なれど今の世、現界は、汚れを増させること多し。大人の欲望、勝手都合の、己中心、言い訳ばかり。
己の欲さえ満たされば、後は構わず。省(かえり)みず。さなる大人の罪汚れ、子どもは映す鏡なり。
なれば心の闇は深く、暗き淵にて、見失い、何を信じて、生きるべきや。何を支えと、頼むべきや。
惑える子らの苦悩困惑。大人は悟れよ。読み取れよ。大人の迷いが子に現れん。大人の我欲が子に継(つ)がれん。
子は犠牲なり。あらがいもせず。ただに大人の罪汚れ、無力のその身に負わさるるのみ。
大人の卑しさ、計算も、子には計れず、操(あやつ)れず。大人の我執(がしゅう)、妄執(もうしゅう)に、あそばるるのみ、漂(ただよ)うのみ。
さなる現状、今の世は、既にこの世の終末ならずや。最も弱き子らに写るが、この世の終わりを示すものなり。
大人は悟れよ。省みよ。己のなせし誤りを。物質のみを奉(たてまつ)り、崇(あが)め 来(き)ぬる来(こ)し方(かた)を。
この先未来を憂いなば、まずは大人の改心進めよ。今の結果を憂うるになく、大人の堕落を、腐敗を正せよ。
悲しく哀れな犠牲者を、責め苛(さいな)めど改善ならず。さらに深めん、混乱、迷妄。
いかなるときにも原因を、元から正せよ、見直せよ。いかなる罪とて、原因のあり。なればそこより正してゆけよ。
大人の原因、悪の種。蒔(ま)かれて、実るは子どもの暴走。子の苦しみを、悲しみを、癒せぬ世なり。見過ごす世なり。
病める心の奥底に、沈める魂に、光を当てよ。心に光を、温(ぬく)もりを、甦らせよ。救いを与えよ。
最も悲しき哀れな子らよ。大人の歪(ゆが)みが子に現れて、何も悟らぬ愚かな大人よ。
今この時に急ぐべきは、子らの救いもさることながら、先ずは急げよ、大人の諌め。
上から正して直さざらば、下には乱れが強まるばかり。川の上から流す汚濁(おだく)は、川の下にて腐臭(ふしゅう)を放たん。
魚を殺し、汚染を広げん。
最も正し、諌めるべきは、政治家、資産家、権力者。いかなるときにも、腐敗の根源、悪の源、そが政治。
その次諌めて問うべきは、政治を動かす権力や財力握る資産家たちなり。
なれどそこにも宗教あるらん。宗教思想の乱れ狂いが、上の心を迷わせなん。
宗教信仰思想の支え。そが正しくば、恐るることなし。なれど元から崩れし故に、神は急ぎて、仕組みを示さる。
(宗教や信仰を正せば、政治もよくなり、犯罪もなくなるのでしょうか)
さなり。なれどそもまた誤解ならん。宗教、政治、どちらも、同じ。元は一つの人の営み。
神との交信断たれしときより、宗教乱れ、政治もなくなり、人の我欲を中心に、神の存在忘れられ、
己の利益を優先の、最たるものが宗教政治。人間心の欲望が、さらに深まり、極まれり。
神とのつながり切れしときより、この世の荒廃(こうはい)、退廃(たいはい)始まり。なれば元は一つのことなり。
全ての者を神とつなげよ。さなれば人の心も正され、自(おの)ずと罪を忌(い)み遠ざけん。
神の戻りし心にあらば、必ず人は自(みずか)ら正さん。
(政治は宗教と切り離すべきだという考えが普通ですが、それは神様の教えに反するということでしょうか。
また、宗教信仰の自由が、政治に犯され、或いは利用されることはないでしょうか)
さなる恐れも当然ならん。今のこの世に残れる宗教、全てが政治に、汚され、乱され、利用され。
なれど真の宗教とは、人を神へとつなぐもの。さなる役目を果たせざらば、その宗教は宗教ならず。
かえりて神の邪魔をするもの。人の間に上下を作り、上の者のみ得をする、さなる構造仕掛けを作る、
そが宗教の成れの果て。さなる宗教滅びてゆかん。人の不幸を悪用せしもの。
なれば政治も宗教も、犯罪つくる元凶(げんきょう)ならずや。子の犯罪も、その表れ。最も悲しき現実ならん。
子の犯罪を救うためには、先ずは大本、政治を正し、神とご縁を結びてゆくこと。
(政治家一人一人に、どうやって神とご縁を結ばせてゆけばよいのでしょうか)
そは困難なり。苦難なり。道の遠かる旅ならん。なれど政治家選ぶも人なり。政治家選ぶ人の心を、
一人一人を正してゆけよ。全ては循環、統一なれば。全ては連鎖の、円環なれば。
焦らず、急がず、一つ一つを、地道に気長に続けるべけれ。怠けることなく続けなば、必ず道は拓かれゆかん。
さにて。
二〇〇〇年五月十三日 輪廻転生
神から人へ。人から神へ。神は教えを下ろしたり。教えを伝えて終わらんとせり。なれど最後の問いあらば、
よくよく考え、問うてみるべし。いかなるときにも神に問え。神の心に照らし知るべし。
神の心に適うるように、神の願いに添うように、心高めて、浄めるべけれ。さにて本日何を問うや。
(輪廻転生(りんねてんせい)についてお教え下さい)
では教えん。仏教世界のことばなれど、その元、根源、神仕組みなり。
神の定める法則は、人の魂浄めんために、さらに高めて昇華(しょうげ)のために、幾多の困難禊ぎを与えて、
さらなる高き魂にすること。なればこの世に魂浄め、十二分にもみ役を果たし、よくよく神に仕えし者は、
次なる世には昇華許され、さらにみ役を高め課せらる。なれど至(いた)らず間違い犯し、多くの罪を浄め得ぬ者、
さなる魂汚せし者は、次なる世には、落とされて、きつき禊ぎを課せられん。
なれど人の魂は、本来神の分け御霊(みたま)。
なれば再生、転生も、人の命に生まれ変わり、動物植物、昆虫に、変わりて生まるることはなし。
なれど多くの罪残し、人の命に贖(あがな)いきれぬは、人の魂備えしままにて、動物植物、転生させん。
さにて元より動植物なると、異なる魂、み役なれば、神は厳しく鍛えられ、魂磨きを命じられん。
本来神は、人は人、異なる魂 み役を与えて、作り育てしものなれば、輪廻といえども、動植物に
生まれ変わるは誤りならん。なれど時にはあり得ることなれ、人は戒め、慎み生きよ。
人の最も大切なるは、魂磨く そのこと一つ。なれば人間繰り返し、残せし霊行 再び課せられ、
魂浄めることを望まる。
動植物には動植物の、み役もあらん。役目もあらん。なれどそれらの魂は、神とは異なる魂なれば、
本来汚れることなき魂(たま)なり。なれば禊ぎも課せられず、ただに命を全うするのみ。さにてそれらは十二分に、
神に愛でられ、祝われなんを。
人間のみが魂汚し、己を貶(おとし)め、逆らうもあり。神への感謝を忘るるもあり。
なれどそもまた人生ならん。禊ぎと霊行繰り返しつつ、あやまちあらば正されて、禊ぎを賜り、救わる魂(たま)よ。
ありがたからずや、神仕組み。自ら禊げぬ魂さえも、救い浄めて、高めんとさる。
神の前にて素直になれよ。神の前には赤子と同じ。何もなし得ず。生きられず。
なれば神には感謝それのみ。なれば人は再生すとも、必ず祝われ、高められ、尊き生を生かさるらん。
(人間の目にいかにも幸せそうな人、何不自由なく、恵まれている人は、禊ぎも軽いということでしょうか。
禊ぎが軽いということは、神様の愛をあまり受けていないということなのでしょうか。
不幸な人、禊ぎのきつい人ほど、愛されているということでしょうか)
さにあらず。恵まれ苦労なきに見えども、それぞれ労あり、悩みあり。おのおの見合いし霊行あらん。
禊ぎの軽く少なかるとも、そは愛されぬことにはあらず。
自ら禊ぎて、高める者は、神は恵みを賜らん。なれど逃れて、易(やす)く生きるは、きつき禊ぎを課せられん。
(禊ぎには、魂を磨くためと、何かを悟らせるためと、二種類あるのでしょうか)
さなり。なれど根本、意味は同じよ。その魂に汚れが深く、容易に浄めて高め得ぬとき、神は禊ぎて、苦難を
与え、人の精進努力を課すなり。なれば人は己の不足、欠けたることを気付き悟らん。
禊ぎの意味を深く知り、努力を感謝し喜ぶ心。さなるときこそ、禊ぎは軽く、神は導き、光で愛でなん。
神への感謝を目覚ませよ。生あることを尊べよ。
さなりて人は昇華して、神本来の魂(たま)へと返り、真の み役を賜りなんを。
そのときまでの精進努力。人の魂 充分浄めて、神の み役を果たし得るまで、よくよく浄め高めるべけれ。
神の み役は容易にあらず。魂汚れて曇りし者は、神の手伝い 果たし得ぬなり。神の御心適(かな)う能(あた)わず。
なれば禊ぎを自ら求めよ。恵まれし今に留まるなかれ。なれば再生、復活せしとき、神はさらなるみ役を与え、
神の手伝いさせんため、この世に下ろして使われんとす。
現界のみの幸不幸。神への感謝にあふるる者は、虚飾の富や名声に、惑うことなし。だまさるるなし。
人の根本、真の富を、豊かな心に培(つちか)い育てん。神への感謝を胸に育(はぐく)み、自ら禊ぎを求むる者には、
神はさらなる幸を与えん。さにて人は輪廻すとも、再び人と生まれ変わらん。
人の御霊(みたま)は神の御霊よ。他の生物、異なれば。生まれ変わるも、人間ならん。
さにて本日、輪廻転生、人の禊ぎを教えたり。明日には別なることを問えよ。さにて。
二〇〇〇年五月十四日 歴史を正す
神から人へ。人から神へ。
教えておかん、後のこと、これより何をなしゆくべきか。これより後に起こり来ること、そに備うべし。心得(こころう)べし。
今明らかに、神は示さん。神より下ろす人への教え、導き、全てを胸に刻めよ。漏らすことなく、肚(はら)に納めよ。
さにて本日、何を問うや。
(歴史を正すとは、どういうことであり、どういう意味を持つのでしょうか。また、そのためには、どうして ゆけばよいのでしょうか)
そは重き意味持つ問いならん。今の乱れし政治、宗教、元を正せば、そこに戻らん。
教えの根本、そこにも神あり。神の教えしことばの由来、人の根源、そを知るべし。
ことばの由来を知らずして、何も語れず、表せず。なれば人は、歴史を正し、後に残して、語り継ぐべし。
今の残りし歴史には、多くのあやまちあるなれば、人は己の生の意味、先人古人の苦労を知らず、
ただ今のみを享受(きょうじゅ)せん。なれば歴史を正すには、神のことばをよく聞きて、人に伝えてゆくが第一。
なれどそにては十分ならず。人は今こそ大切なれば、過去の歴史もさること乍(なが)ら、先ずは今このときを浄め高めよ。
さなりし後に知るもよからん。正しき由来を知ることにより、人は知るらん、己の み役を。生賜りし命の意味を。
神のご意図を、願いを、祈りを。なれどそもまた難しきこと。
正しき歴史を知る者は、残りておらず。伝えておらず。
なれど幾つか残りし文献、書物をひもとき、そこから読めよ。神のご意図は明らかならん。
ことばの意味の奥底の、言霊知らば、自ずとわからん。なれば神世の昔から、人が作られ、育てられ、慈(いつく)しまれし、
人の歴史と、神の慈愛を汲み取り、知るべし。
(何故、歴史の乱れが、宗教や政治の乱れとなったのですか。ことばの由来を知るとは、どのようなことですか)
そもまた難し、難題ならん。一つ一つを教えるためには、その元、昔に遡(さかのぼ)るべし。なれど今には、そもまたな
らず。今このときを軸として、今を始点に考えるべし。今の乱れし政治の始まり、その始めこそ、歴史の始まり。
昔古代の権力者たち、己の支配を強めんために、己の権力保たんために、神の力を借りなんとせり。なれど適(かな)
わず、借り得ざれば、彼らの頼りし一つの策が、神から与えられしことを、後世までも伝えることなり。
己の権利の正統性を、神に頼りて、示すため。なれば古代の覇者(はしゃ)たちは、歴史を枉(ま)げて書き換えて、彼らを讃(たた)
える歴史となせり。
歴史の始めにあやまちありき。歴史に残らぬ真実こそが、埋もれ、忘られ、葬られ。
なれど狂いはそれのみならず。その後政治はますます乱れ、権力持つ者、財力ある者、そのみが力を強めんた
めに、この世を治める構造つくり、強き者はますます強く、弱き者はさらに弱く、栄え衰え、繰り返すなり。
政治の乱れは歴史となりて、語り継がれて伝わりぬれど、知られず果てし真実多し。
(歴史を正しく知ることが、現在の地球上の汚れや、あやまりを正すのに、どう役立つのでしょうか)
そもまた難し。答える能(あた)わず。今のこの世の乱れの根源、そを今正すは不可能ならん。
なれど真の粛正(しゅくせい)は、元より正すことなれば、今の乱れの原因を、人が知ること、そは意義あれど、
そが今の世を正すにあらず。なれど誤りありしこと、そを知るは、意味あらん。
宗教とても、あやまちに、満ちてあふるる欺瞞(ぎまん)の歴史。そのときどきの権力者、政治家と共に勢力伸ばし、
政治に使われ、繁栄せしを。なれば宗教、汚れし歩みを、今を生きる子孫こそ、戒め諌めて、志すべし。
正しき元の教えを知れよ。神の御心、原点を。神の始めのことばを知れよ。
人の書き換え、解釈入らぬ、元の始めをこそ知るべけれ。
なれば宗教、政治とは、人へ与える神の道、最も正しく行うべけれど、そが果たされず、叶えられず。
神のことばを悪用し、ただに己の権力伸ばす、その道具とし、貶(おとし)めし過去。
なればことばの由来というも、神の始めの教えを知ること。さらにはことばの原点を、言霊こそを明らめゆくこと。
(言霊を知ることが、なぜ、今の現代の様々な誤り、汚れを正し直すことになるのでしょうか)
答は難し。時間もかからん。なれど教えん、後のため。
言霊知るとは、ことばを正し、今の乱れしことばを正す、始めになすべきことなれば。
言霊知らば、人はことばを、大切にして、身を慎まん。
ことばを正しく清く使い、ことばに敬意を持つ者に、悪人おらず、犯罪あらず。
全てはことばを乱すが始め。ことばの恩恵省みず、ことばを用いて、罪をなす。
ことばのなくば、罪もなし。なれど栄えも発展もなし。言霊正しく、音霊清く、汚れぬ心を保つべし。
ことばは魂(たま)なり。命なり。現界のみの恵みなり。死にて戻りしあの世には、ことばの幸は望めぬ宝。
あの世にあるは想念のみにて、ことばは奪われ、失われなん。
今のこの世にあることの、最も尊き恵みがことば。なればこの世にあるうちに、ことばを正して浄めて帰れよ。
魂禊ぎ、浄めるも、ことばを正しく使うにしくなし。
歴史書き換え、宗教貶(おとし)め、政治乱せしことの罪も、ことばの働き、汚すが始め。
神の望みし人の務めを、果たす始めが、ことばにあらん。なれば歴史を正すとは、先ずはことばの働き知ること。
この後ときを要すれど、時間をかけて、肚(はら)に納めよ。
さにて。
二〇〇〇年五月十五日 最もよい職業
神から人へ。人から神へ。何を教えゆくべきか、この日、このとき、永き年月。
人から神へ。神から人へ。互いの交信、通信なれど、今のこの日に、ようやく終えん。
さにて本日、何を問うや。もうすぐ終わりぬ通信なれば、よくよく問いて、悔い残すなよ。
(人間にとって、最も大切な仕事、生業とは何でしょうか)
そは容易なる問いなるかな。人の生きて死ぬことと最も深く関わる仕事。
それをば考え、悟るべし。人の命を預かる仕事。人に幸せもたらす仕事。それらは全て大切ならずや。
いずれも欠かせぬ仕事なり。いずれも尊き生業ならん。人の仕事に上下なし。貴賎(きせん)なければ、いずれも可ならん。
全てが補い、助け合うべし。互いが支えて、与え合うこと。さなる仕事は全て尊し。
なればいずれも、神の御心、適う業なり、仕事なり。なれど最も根本の、人のなすべき行のあり。
そが霊行なり。心行なり。体行なり。いずれも怠(おこた)り怠(なま)けるべからず。
神の与えし行なれば、感謝し、喜び、励めよ、日々に。神の与えし行の一つを、日々たゆまなく行じゆけよ。
さにて生業、学業も、心行ならん。体行ならずや。分けて考え、あやまつなかれ。人の一生、短き瞬間。
なして残せることは少なし。なれば時間を無駄にせで、ただに励めよ。務め果たせよ。
余らせ残すはなきまでに、己の力を捧げ尽くせよ。生を賜り、預かりて、この世に下ろされ、許されし恩。
神の慈愛に、応え尽くせよ。神の恩愛、大愛(たいあい)こそを、忘れ、葬(ほうむ)ることなかれ。
さにて行う生業ならば、迷いあやまつこともなからん。神の光に導かれ、自ずと歩まん。拓かれゆかん。
許されし時の瞬間を、疎(おろそ)かにせで、慈(いつく)しむべし。
生きて、物質、肉体を、十二分にも楽しむもよし。なれど忘れず、思い出せよ。神の慈愛の、誠の深さを。
独りの力でなせるにあらず。神の力を賜らばこそ、この世に生まれ、喜びを得ん。
己の命を全うさせよ。なれど独りの幸せになく、必ず人へも広げてゆけよ。
神に許され、賜りし、恵みの一つも、返してゆけよ。与えてゆけよ。増やしてゆけよ。
ただ使い果たして帰るになく、少しも高めて、浄めて帰れよ。後の世のため。人のため。神の慈愛に応えんために。
神の恵みの真のご意図は、人がこの世に繁栄し、快楽、享楽(きょうらく)、愉楽(ゆらく)にあらず。
一人一人が輪となりて、神との縁(円)を中心に、己のみ役を果たし仕えて、さらなる昇華に努めゆくこと。
独り外れて、遠ざかり、自己中心の身勝手は、神のご意図を裏切る傲慢。
よく戒めて、省みるべし。己の過去の生き方を。人の幸せ、向上を、少しも手伝い、助けとなりしか。
神の喜ぶ行いせしか。
これより後にも、まだ時はあり。残されし時の全てを懸けよ。いかなる生業、職業にても、必ずみ役はあるなれば。
神のご意図に外れざらば、いかなる職にも、祝福あらん。全ては支え、助け合うもの。
なれば、一つの欠けたるも、循環止まり、調和は崩れん。己の業の意味と意義を、広き視野から、捉えるべけれ。
人の害なる職ならば、必ず神は禊がれて、自ずと滅び、消えてゆきなん。
(人にとって有害無益な職業とは、どのような職業でしょうか)
益する者が、己独りの、人の繁栄妨ぐるもの。人を愚昧(ぐまい)に留めおき、迷妄深め、狂わすものなり。
さにて神への縁を遠ざけ、神への感謝を打ち捨てて、己の我(が)のみを伸ばすもの。
(たとえ軍事産業であっても、科学は進歩し、人類の繁栄に役立つ一面はあるのではないでしょうか)
もっともならん。当然ならん。なれどそこそが人知の浅さよ。人の目先の繁栄のみの、調和忘れし、愚考なり。
物質のみの豊かさもたらし、そを繁栄と、進化とあやまつ。
心の高めを問うことなくば、いかなる進歩も、進歩にあらず。精神忘れし学問は、神の許さぬ学問なれば。
神の光を失いて、電気の光を慕う愚かよ。迷い雲りし魂ならば、ますます強めん、あやまちを。
自然の恵みを壊してまでも、人工化学を追い求めなん。さなる職業、生業は、いつか滅びん。滅ぼされん。
互いに損ない、自滅して、何も残らぬ荒廃の世よ。
なれば銘々、一人一人が、神との対話を行いて、己の生き方 在り方を、神に問うべし。質(ただ)すべし。
さなれば必ず世も正されん。狂い乱れも、改められん。
この先、時は、さらに早めん。滅亡のときを、迎えなん。急ぎ、手伝え。救いてゆけよ。人類存亡(そんぼう)、危急(ききゅう)の境。
一人一人の心を合わせ、神のお役に立ちてゆけよ。
さにて。これより後のさらなるみ役を。神の手となれ、足となれよ。さにて。
二〇〇〇年五月十六日 神との縁の結び方
神から人へ。人から神へ。
この世に下ろせし多くの恵みを、残さず頂き、使いてゆけよ。
これまでの恩を、大愛(たいあい)を、返してゆけよ。応えてゆけよ。さにて本日何を問うや。
(宗教以外で人が神様とご縁を結ぶには、どうすればよいでしょうか。また、祈りの仕方もお教え下さい)
では教えん。神との縁の結び方。縁をつなぎて続ける方を。
先ずは心を浄めゆくこと。神に感謝を捧げゆくこと。そのみを日々に繰り返せよ。怠(おこた)ることなく、怠(なま)けるなく。
日々の感謝は己を浄め、心を高めて、保ちおきなん。なれば特別 難(かた)きこと、するを要さず。するも意味なし。
神への感謝は特別ならず。人の務めよ。当然のこと。なれば神への奉納も、神との縁を結ぶにあれど、
さなる供物(くもつ)や献上よりも、神は喜び、受け取られん。神への感謝の高き祈りを。
なれば祈りは感謝から。神への感謝と生の喜び。そのみを伝えよ。届けよ、神に。
人の祈りは、魂浄め、心を高めてこそ行えよ。なれど祈りの力をもちて、魂浄める、そもまた可なり。
二つは車の両輪の如(ごと)。魂浄めて祈りを高めよ。祈りを高めて、魂浄めよ。
魂浄める、そは易きこと。人への感謝と、幸(さち)願う、素直な誠の心のみあれ。なれば心は浄まらん。
自(おの)ずと謙虚に清浄に、保たれゆかん。高まりゆかん。なれば神への祈りも同じ。神のお役に立つことを、
神に願いて、捧げる心。なればことばは平易にあれよ。難(むずか)しき語句、ことばは要らぬ。
ただに素直な音を選べよ。澄みし音にて清らかに。無心の心で、委(ゆだ)ねる心で。
「いろは」「ひふみ」も、祈りなれば、神に伝えて捧げんときには、さらに心を込めて唱えよ。
神に最も近付く祈り。なれば感謝し、言霊思えよ。意味は知らずに、音のみにても、祈りは届かん。叶えられん。
なれどあやまち、間違うなかれ。神へ祈りを捧げることを。真の祈りは感謝なれば、日々に欠かさず唱えるがよし。
なれど心に苦しみや、悩みあるとき、そもまたよからん。
神と祈りを唱和せよ。心は自ずと晴れ渡らんを。神との通信交信なれば、心は自(おの)ずと澄みてゆきなん。
なれば言霊、霊の力よ。人知に解き得ぬ力にあれば、人は神と相和せばよし。他には要らぬ。無心にあれよ。
己が自(みずか)らなすにはあらず。神の力を信ずればよし。神との唱和を楽しめばよし。
なれば「いろは」も「ひふみ祝詞」も、どちらも神世のことばにあれば、意味より大切。音の力よ。
神と相和し交流せん。無欲に、無邪気に、赤子の心で。
神は愛でなん。愛(いと)しまん。人との唱和を。交流を。
「いろは」を唱えよ。響かせよ。真空間にこだませよ。
「ひふみ」を謳(うた)えよ。宣(の)り上げよ。天のかなたに届かせよ。
高天原(たかあまはら)の神の界にも、声は届きて、共鳴せん。
人と神との交流適わん。祈りは交じり、溶けあわん。人と神との縁はつながり、神は結びて、離すことなし。
なれば人も、誠を見せよ。神を信じぬ心は捨てて、素直に祈れよ。我を捨てよ。
神に近付く無我の心は、必ず人の昇華を進めん。
なれば祈りはいずれも可なれど、最も強き音霊なるは、「いろは」「ひふみ」を先ず大切に。
(順序はどのように祈るべきでしょうか)
いずれが先にも、同じこと。神との交信交流は、いずれか一つに十分なれば。
なれど順番知りたくば、人が祈りを届けたきとき、神への願いを伝えたきとき、そのとき「ひふみ」を唱えるべし。
祈りのことばの後にても、先にてもよし。違いはなからん。なれど順番意味もなし。神への心は伝わるなれば。
「いろは」の祈りも、同じなり。神への感謝を込めて唱えよ。日頃の平穏(へいおん)、健康に、無事なることに、感謝棒げよ。
なれば「いろは」は清浄なれよ。穏やかなれよ。緩(ゆる)やかなれよ。強き思いを込めることなく、
ただ安らかに、平らかに。強く激しき祈りの声は、言霊汚さん。音を濁(にご)さん。澄みて聖なる、声もて唱えよ。
神との唱和を楽しめよ。喜び溢れよ。輝けよ。命の光を賜れよ。
さにて本日祈りのことと、神との縁を教えたり。宗教無くとも、神は滅びず。
人の心の魂に、永久(とわ)に栄えて、あまねく照らさん。
なれば神を信じぬ者は、神の目覚めぬ者なれば、手伝え、神の復活を。
神とご縁を結べぬ者は、曇りの強き魂(たま)なれば、先ずは曇りを取りてやるべし。
なれどそもまた宿命ならずや。神との縁を結べぬ定めよ。なれど手伝え、人救い。己の御霊(みたま)を磨くためなれ。
さらに向上昇華のために。さにて。
二〇〇〇年五月十七日 人は神になれるのか
神から人へ。人から神へ。今広がらん、神の声。神の祈りと、願いと想い。
全てを神に預くればよし。神は導き、誘(いざな)いゆかん。
さにて本日、何を問うや。問いも終わりに近づきなば、何にてもよし。問いてみられよ。
(昇華(しょうげ)することで、人は最終的には神になるのでしょうか)
さにあらず。人は昇華し、高まれど、人の御霊(みたま)は神ならず。いかに清まり、高まれど、人の昇華に終わりなければ。
そも定めなり。仕組みなり。人の魂、霊魂は、必ず汚れを繰り返しなん。
いかに近づき、清らかなるとも、汚れはつかん。曇りて濁らん。
神の御心、適(かな)うよう、浄め高めて修行積み、神の心に適いなば、その魂は昇華して、人の御霊(みたま)を導くみ役。
なれど、神とは異なりて、その導きの御霊となりても、同じく修行は続きゆくなり。
人の御霊は分かたれし、神の御霊の一部なり。なれど神から離れし後には、汚れをつけて、罪を積む。
なれば修行は終わらぬ定め。いかに尊き御霊といえど、生きて生ある命の限り、人には執着、欲望あらん。
この世に生まれて、肉体持ちて、生の喜び知りぬる者なら、少しの我欲もなきことあらず。
必ず己の我(が)が芽生え、人と比べる虚栄の心、人より勝(まさ)らん支配せんとの、名誉や権力望むもの。
なれば人は、限りなき命の中に、無限の我執(がしゅう)、迷妄(めいもう)深めて生きるもの。
なれば死にても、執着消えず、あの世の修行を苦しみ耐えなん。
さにて許され、肉体持ちて、この世に下りて、自由とならば、再び我執を強め、深めん。
さなる生死の繰り返しなれば、修行も終わらず。昇華も果たせず。生きて肉体ある故に、人は執着、我欲に迷わん。
なれど死にても、執着は、消すに消し得ぬ、強きもの。なれば人は永遠に、神とはなれず。適わざる。
人の願いは、生きること。生きて執着深めつつ、己の精進(しょうじん)努力にて、汚れを浄め、高めゆくこと。
なれば神とは異なるものなれ、謙虚に生きて感謝すべし。
神とは本来、我もなくて、ただに人の幸せのみを、願うものなり。喜ぶものなり。
なれど一度(ひとたび)権力持ちて、他の神々との争いあらば、神といえども我も生まれ、この世の勢力伸ばさんと、
互いに戦い、いがみ合い。なれどそもまた治まりて、今は平穏、安泰(あんたい)なり。
さなる神世のもめ事も、神の世界に生じぬれど、多くの神々神霊たちは、我もなき尊き方々なれば、人も倣(なら)いて、
精進すべし。神の心に近づかんとせよ。
(人は肉体あるが故に執着を持つのでしょうか。想念だけであれば、執着や我は生じないのでしょうか)
さにあらず。肉体持たぬ霊魂のみにも、想念それぞれ、執着あらん。
見えぬ世界の次元の中にも、それぞれ執着、汚れはあらん。肉体なくとも魂のみの、いさかい 争い、闘いあらん。
それは人には分かり得ぬもの。肉体なき世の執着は。
なれど次元は異なりても、低次の闘い、高次の争い。執着迷妄、限りなし。なれば人は、慢心すなよ。
己一人は異なると、思う心に、強き我潜(ひそ)まん。いずれも同じ。異ならず。神の目からは、全てが同じ。
肉体持ちて、この世を生きる、短き生涯、大差なからん。
なれば人は比べることなく、ただに感謝を捧げるべけれ。人それぞれに賜りし、境遇、運命、神のご意図に。
人間心に解き得ぬほどの、神の匠(たくみ)に、敬虔(けいけん)なれよ。
ただに感謝し、高みを目指せよ。
いくら禊ぎて、高めんとても、永久(とわ)に届かず。たどり着かず。なれどそもまた 幸いならずや。
喜びあるも、苦あればなり。
幸せ想うも、困難なれば。
なれば人は、神になり得ず。
永久(とわ)に己の執着と、闘う定めの魂なれど、そこそに神の慈愛を見よや。
この世に下ろされ、生を生き、神の導き、ことばに従う。そにて喜び、悲しみを、人の心を、賜りし恩。
ただの動物植物には、知り得ぬ高き、幸いならずや。
さにて終わる。ただに感謝を。それのみ行え。己の生に、感謝を活かせよ。
さにて。