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続神誥記





1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜1999年12月13日〜

二〇〇一年五月十三日 『神から人へ』の広め方

神から人へ。人から神へ。互いの感謝と貢献が、いつか人類地球を救いて、

やがては神の楽園へと、この世の天国、神の世なるらん。
さにて本日、久々の通信にて、先ずは問いたきことを問えよ。その後新(のちあらた)たなみ役のことと、これより後のこ
とを命じん。

(「神から人へ』が無事に出版され、神様に心より感謝申し上げます。売れるかどうかは神様にお任せ致します。
また、この書を広めることが、次なるみ役と思っておりますが、どのように実行していけばよいのでしょうか。
お教え下さい)
さにてそなたの問いなれど、そもまた神の仕組みなれ、預け任せて、安らかなれよ。
神も急がず、慌てることなく、じっくり時間を、熟成を待ち、人の心の成長を、
次なる段階、次元を待ちて、新たな仕組みを起こさんとさる。
今は現界、生業学業、なすべきことのみ心を遣い、余計な煩(わずら)い、心配捨てて、
任せ委ねる心を持てよ。
神の仕組みは狂いなく、一つの完成、終わりを迎えん。
そは終わりにて、終わりにあらず。これから新たな旅立ちの、真(まこと)の生の始まりなれば、人は恐れずためらわず、
勇気を持ちて、準備整え、神の審判、裁きを待てよ。
なれどそもまた、恐るることなし。人の宗教、神話にあらず。神の審判、裁きというは。
神は任せて 遠くより、人にみ役を与えて導き、後は人へと託すのみなれ、神自らに裁くにあらず。
人は神の子、愛しき宝。多くを残し、救いたし。
なれば人も気付きを急ぎ、一人も多くの救いを叶え、神の願いに応えるべけれ。

さなくば人は多くは消えて、次なる世界に残るは少なし。
幸いなるかな。救われし者。救いを求め、素直なる者。
神の存在、実在を、素直に感じ、尊ぶ者よ。
神のことばを心に聞きて、神の心に適う努力を、惜しまず捧げる神の子なれば、
神もさらなる幸を授けて、さらなる昇華を賜り与えん。
神の心の聞こえぬならば、なぜに神を恨み得るのか。
神の恩恵慈愛を受けしを、なぜに気付かず、神から離るや。
神の悲しみ、苦しみを、人は気付きて、助け手伝え。
神の奥悩(おうのう)、苦悩の心を、軽くに思うな、侮(あなど)るなかれよ。
幾たび越えなん、悲しみの時。
時代の変わり、時は過ぎれど、苦難の歴史は消えることなし。
なれば人も悟るべきなれ、過去の過ち、己の罪を。
繰り返しつつ、失敗重ねて、幾多の犠牲の上に成り立つ、今の繁栄、文明は、
果たして真の繁栄なるか。
必ずそこには多くの悲しみ、恨み、苦しみ、隠さるるもの。
なれば気付きて、さらに謙虚に、富の儚(はかな)き幻追わず、確かな富を、宝を求めよ。
心の富に、犠牲は要らず。
豊かな心の基盤となるは、人の感謝と喜び笑い。
集(つど)える人の心の和み、広がる感謝と、生きる楽しさ。

さなれば地球も救われて、次を迎える星とならん。
豊かに潤う、安らぎの星。
さなれば神も喜びて、この世に降り立ち、共に住み、人と神との調和を築き、さらに豊かな星とならん。
夢にはあらず、幻想ならず。必ず実現、現実化せん。
人の心に曇りも晴れて、汚れも浄まり、透明となり、無垢の心に高まりて、
神の心に共に鳴り、高き波動の広がりゆかん。清き波動に覆(おお)われゆかん。
次なる御世への思いを高め、さらに強めよ、奉仕の心を。
必ず救われ、お役に立ちて、再び神の手伝いなして、共に明るき世を創らん。
神の尊き思いを受けよ。神の切なる願いを聞けよ。
神の心の奥にある、真の祈りを、受け取れよ。
さにて受け取り、意を高め、些末な屈折 挫折に負けず、小さな失敗積み重ねて、
さらに大きな礎(いしずえ)となれ。
人類平和は、一夜にならず。幾多の年月、時代を越えて、過ち失敗繰り返しし後、
真の気付きを得し後にこそ、初めて実現、達成されなん。
なれど禊がれ、浄めらるべし。過去の戦争、殺戮、暴虐。
溜(た)まりし汚れのさらなれば、容易に神も許す能わず。
先ずは己の罪を詫び、過去に深めし汚れを詫びて、心の奥より改心すべし。
さならずば、人は過ち繰り返さんを。
人の犯せし罪科(つみとが)は、一人の罪人、悪人ならず。人の汚れの蓄積が、ついには溢れて、

罪(積み)と表れ。
なれば人の全てが罪なり。生きる全てが罪なれば、一人に罪を着すなかれ。
一人の罪を全てが悲しみ、自ら省(かえり)み、悔やむべし。
さにて一人は許されて、人類全ても昇華せんを。
なれど今の現界は、裁判、判決、懲役、刑罰。
さらに罪を広げるばかりよ。
罪の源、原因悟れよ。一人を罰せど、何も変わらず。
憂い悲しむ心のあらば、罪を犯せし人こそ救えよ。
最も神から離れし者を、神に結びて、気付かせよ。
神を離れてさまよえる、哀れな御霊を慰めよ。
責める心は、神から遠し。憎む心は、地獄を作らん。
邪心と同じ波長なれ、よくよく戒め、低めるなかれ。
罪を憎みて、人を憎むな。憐れみいたわる慈愛の心で、心の傷を癒してやれよ。
そのとき人は神に近付き、神の心を手に入れなんを。
難(かた)きことなれ、行い難(がた)し。なれど近付く努力を惜しむな。

真の精進望む者、真の富を願う者。神の手伝い 求める者よ。
己の心に打ち勝てよ。俗なる同情、信仰要らぬ。
己の道を迷うことなく、ただに素直に、正直に、身近な人と助け合い、困りし友に

手を差し延べよ。
蔑(さげす)み、無視し、卑(いや)しめて、つまらぬ悪口、時間を費やし、
己を低め 貶(おとし)むなかれ。
人は容易に落ち行く者なれ、厳しく律し、慎むべし。
人は自ら身を写す、心の鏡を磨くべし。
そこに写りし魂を、常に眩(まぶ)しく輝かせ、光を放つ魂とせよ。

さにて本日、そなたのみ役、これから後のことを伝えし。
迷いは要らず。道は一筋。そなたの願う生き方をせよ。
さにて必ず仕組みは働き、自ずとなすべきことも明らか。
神に常に心を向けるべし。神から離れず、神を求めよ。日々に祈れよ。神に問え。
さなれば神も見守りて、導き、誘(いざな)い、案内せんを。
よくよく励みて、怠けるなかれ。
さにて。


二〇〇一年五月二十七日 宇宙・天則・スバル

神から人へ、人から神へ。互いの通信交信は、宇宙の真理も伝えゆくべし。この世の仕組みも明かしゆくべし。
人類、地球、宇宙のための、この世の生きとし生けるもの、この世に生を賜りしもの、全ての知るべき真理なれ、
早くに人も知るべき定めよ。
さにて本日何を問いたし。

(一つは宇宙の創造の初めは、どのような世界であったのでしょうか。何もない状態というのはどのような状
態なのでしょうか。
二つめは、宇宙の真理、天則は、最初にあったのでしょうか、後から徐々に作られていったのでしょうか。
三つめは、スバル[またはプレアデス]とは、実存するのでしょうか。また、そこに行ったという人間が何人
もいるようですが、それは、肉体から離脱した意識のみが行くのでしょうか。また、もし実在するなら、そこ
はどのような世界なのでしょうか。自然・生活・文明など、できるだけ詳しくお教え頂けないでしょうか。
以上、お答え頂きたくお願い申しあげます)
さても難解、困難な問い。人の理解に適うよう、人の人知に添うように、この世の眼前、現象に、即(そく)すは難(かた)く、
さらにも不可能。なれど答えん。可能な限り。人の理解に能(あた)うよう。

先ずは宇宙の始まりのとき、この世というも あの世というも、全ては混沌、カオスの状態。一つの形も、こ
ともなく、教えも思いもさらになく、ただに秩序のなき世界。
なれど一つの力の表れ、一つの意志と、意識となりて、一つの力を集めゆき、そこから形の現れて、そこから
幾つの意志に分かれて、さらに枝葉(えだは)の伸びゆく如くに、意志なる力の発達しゆく。
なれどまだまだ分明ならず、神なる偉大な存在も、いまだ生まれぬ始めのときなり。
そのとき宇宙の一点に、一つの奇跡の起こり現れ。

小さな爆発、噴火の如く、それまでなきほど力は集まり、意志も芽生えて強まりて、己の自覚を持ち始めぬ。
そこから偉大な意志の表れ、さらに大なる意志となり、己と他との区別の表れ、力の役割、働きを決め、全体
一つの働きとなり、一つ一つの働きと、全体一つの働きとなる。
人の生まれぬその前の、何千、何万、何億も前、宇宙の星々、銀河も有らず、ただに意志のみ、エネルギーのみ。
さても長きの時を経て、今の地球の生まれ表れ、そこに自然と生を下ろしめ、そこから生の出発を、始めの意
志を託されしとき。
この世に最初に現れぬるは、さても小さな、儚(はかな)き命よ。なれどそこから全ては始まり、幾多の試練を、苦悩を
越えて、ついには文明文化を生みて、今のこの世と至れる道筋。
ひとかたならず。易からず。ただに多くの犠牲もありき。空しく死にて、朽ちぬる生よ。
なれどそこから生まれしは、尊き命と、祝いとならん。
神の恵みをさらにも受けて、神のご意志を顕(あらわ)すべきを。
宇宙の始めの神のご意図は、ただなる物質文明になし。
人の心の、意志の栄える、精神世界の発達なれば。
なれど今の世、趨勢(すうせい)は、逆なる繁栄、意志と違(たが)いぬ。
なれば今は、折り返し、立て替え直しの好機ならん。
全てに無駄も、無意味もあらず。全てが次なる一歩のためなれ、憂い悔いるは必要なし。
なればこの世の始めのことは、今の答に現れざるや。
人の思いはやがては表れ、形となりて、実現せん。

なれば始めの神のご意図も、必ず起こり、この世を動かす。
かつてのいにしえ、昔のときを、この世に見るは難しきこと。
なれど無なるも誤りならん。ただの混沌、秩序もなかりし、光の元も、音もなき、想像さえも及ばぬ世界よ。

さにて二つめ、宇宙の真理、そもまた、徐々に定められ、この世の表れ、形作られ、そに従いて、法則となる。
なれど真理は神の意図。神のご意図に適うよう、法則となり、この世を作らる。この世を作りし神のご意図が
そのまま宇宙の真理となれり。
なれば始めに神ありて、この世を作る進度に合わせて、法則規則を定められぬる。
神は真理の元なれば、真理は神の意図を顕(あらわ)す。
なれど真理は物質に、この世の自然に働きかけて、この世を動かす元なれば、真理を壊すは神への意図の、最
も大きな反逆ならん。
神の真理はことばに表れ、数字 数式 記号に現れ、そを見つけぬる人類は、物質文明 発達させり。
なれど最も肝心なるを、神のご意図を知らざれば、真理は廃(すた)り、働かず。
数式のみにてこの世を変えんと、ことばの意味のみ利用せり。
かくなる過ち、人の間違い。そを正さずば、やがては消滅。全ては始めに戻さるるのみ。
なれば今は見守らるるのみ。人の気付くをひたすら待たん。 この世を動かす真理の発動、神のご意図の発現を、遅らせ、伸ばして、待ちわびるのみ。
なれば人は努力して、少しも気付きを深めてくれよ。そを手伝いて、救ってくれよ。
消されず残す魂を、一つも多く、導きゆけよ。

さにて本日、最後の問いなり。スバルの実在、スバルの様子、スバルに旅せし人のこと。
先ず始めに、スバルというは実在なり。宇宙の星の一つにて、地球と似る星、天体なり。
なれどそこには生もなく、人の世界の自然もあらず。人の肉眼、目には写らず。
ただの荒野の如き星。
なれどまことはさにあらず。さらに高次の文明文化の、発達せし星、栄える星なり。
なればそこに行きし人も、意識のみにて、何も見えず、ただに心の、意識の交流、意識に映る世界を見るのみ。
高次の交信交流なれば、色や形は見えねども、人は見たりと錯覚せり。
なれどそこから真の力を、神の力を近くに感じ、偉大な神を、力を信じぬ。
なればスバルは神を知る、最初の機会を与える星なり。
なれどまことは、多くの星が、神の力を体現し、神の力を賜りて、神のご意志を顕(あらわ)して、神の世界を実現せり。
地球も早くにさなる星へと、発達昇華し、成長するべし。
今は過渡期の、混迷のとき。宇宙の片隅、小さき星の、上にて起こる、微かな変革。
なれどやがては、そも越えて、次なる星へと、進化せん。
なれば人々、人類も、神へと近づき、神に応えて、神の望まる魂なれよ。

さにて、本日、これまでになく高次の問答となれり。
己の分からぬ質問にても、先ずは神に問うてみるべし。
いたずらな悩みや相談ならずば、神は喜び、問いを待たん。

人の心の進歩に合わせて、分かることばで教えてゆかん。
さにて。よくよく読みて、さらに励めよ。さにて。


二〇〇一年六月十七日 土星

神から人へ。人から神へ。人の力は及ばぬながらも、必ず高まり届くものなり。
なれば安らぎ、穏やかにあれ。神に任せる勇気を持てよ。
さにて、本日何を問うや。

(土星の輪の中に、最近葉巻のようなものが発見され、それが時に見えたり見えなかったりするそうです。
それは何か宇宙船のようなものなのでしょうか。また、その働きとはどのようなものなのでしょうか)
では答えん。人の科学の進歩発達、そは人類を不幸にも、幸福にもする厄介なもの。
人の誤り操(あやつ)るは、ときに多くの災いを、難をもたらす困りものなり。
なれど今度(こたび)の発見は、人の世界に幸せを、目覚めを促す素ともなるらん。
なぜというに、人の世界の想像を超え、宇宙の奥には神秘なるもの、不可思議なるものまだまだありて、人の
見出すその前に、多くの奇跡を、仕組みを起こさん。
なれば人も進化して、その奇跡にこそ追いつくべけれ。
土星の周りのカプセルは、土星の命の非難の場所にて、土星の中に異変あるとき、緊急の時の非難の場なり。
なればそこから宇宙へ移動し、しばしの待機の場ともなるもの。

なれば宇宙の生命生体、多くの生活生態あらん。
地球の上の自然体系、そもまた他(ほか)の星々と、多くの違い、異なるものあり。
地球の上にて想像し得ぬ、不可思議なるを知るもよからん。
宇宙の内なる神の仕組みし、体系一つを壊すことなく、乱すことなく、進化せよ。
さにて本日、土星の周りのことに答えり。
宇宙は未来の地球を映す、明日の地球の姿なり。
早くに次元も上昇し、さなる星へと昇華すべし。

(どうすればそのような星に近付くことができるのでしょうか)
一つは人の精進努力、祈りの波長を神に合わせて、一人一人が神へと返り、神の導く方へと進み、神の祈りを
素直に表し、己一人に拘(こだわ)ることなく、囚われなくして、生きるを学び、全ての人類生命の、進歩向上、昇華を
願い、真の感謝で生くこと、それのみ。
既に幾度も教えしように、神は多くを望みもせぬもの。唯に一つの祈りのみなれ。
単純なるかな、神の祈りは。 素朴なるかな、神の願いは。
易く行い、現実化せん。
欲張り求める心を廃せよ。与えることを喜べよ。
一つの真を手に入れなば、全ては丸く循環始めん。
初めに戻りて繰り返し、初めに帰りてまた始まる。その循環を繰り返しなば、必ず御魂(みたま)は浄化して、次なる巡りを自ら求めん。
さにて幾つの段階を経て、やがては元の無垢なる御霊(みたま)に、汚れを落として、戻り来ん。
人の真の魂は、光り輝く尊き魂。まばゆき光の発光体。
さなる御霊に磨き高めて、元なる宇宙に戻り来よ。
さなれば神も喜びて、救い拾いて、導かん。
次なる世界は異なる世界。宇宙の進化の進みゆく、別なる星へと生まれ変わりて、さらなる働き、行い始めん。
永遠なるが宇宙の循環。始めも終わりもなき世界。
なれど巡りて次元を上げて、宇宙全てが進化を要す。

さにて本日、宇宙の世界と、人との関わり 役割解きたり。
この後さらにも問うてゆけよ。疑問を持つは進化の徴(しるし)。
疑い持たずに止まりぬるとき、循環途絶(とだ)えて、倒壊せんを。
さにて、次なる問いを待たん。さにて。


二〇〇一年六月十七日 神社の役割

神から人へ、人から神へ。幾つの疑問を、悩みを問えよ。
神に分からぬことはなければ。
さにて本日そなたの問いは。

(日本の神社の役割についてお尋ね申し上げます。神職の方々は、これからどのように人々をお導きしてゆけ
ばよいのでしょうか。新しい使命や役割があるのではないでしょうか。また、神社の在り方も、今のままでよ
いのでしょうか)
では答えん。人間世界の神社の在り方、そもまた人の世界のことなれ、神には何も望むものなし。
人の世界の物質信仰、まずはそこから変えゆくべし。
次には恩恵利益を求める さもしき心を諌めゆくこと。
神職なるとも、普通の人間。神の心に代わるになければ、普通の人と変わることなし。
できるも少なく、多くは望まぬ。
なれど神の手伝い望み、自ら神に捧げるならば、人の気付きを手伝いて、神社に参る人に説くべし。神の求め
る人の昇華と、心の浄化の大切なるを。
人の心の迷い悩みを、暗き心を覚ましてやれよ。
真の神の存在を、神の求める心の浄化と、ことばを正すことの意味を、生きる生き方、生まれし意味を。何故(なにゆえ)
この世に生まれしかを。
この世に終わる生になし。必ず再び再生し、禊がれ正され、生を高めて、神の心に適うまで、終わることなき
繰り返し。
なれば人は愚かにあれど、禊ぎ浄めを繰り返しゆき、やがては心の高き人、ことばの清き正しき人へと、いつ
かは変わりて、高まりゆかん。
偽り多きこの世にあれど、一人一人が変わりゆかば、いつかは地球の次元も上がりて、必ず浄土の世となるらん。
さなる神の手伝いを、神は人の一人一人に、多くは求めず。なれど求めん。小さな一つの手伝いを。
見えないほどの手伝いなるとも、そこから生まれし小さな光は 必ず世界を照らしゆかん。
恐れも、不安も、諦めも、なくしてゆけよ。委ねてゆけよ。
人の見えない精進努力は、宇宙を変える始めの一歩。
一歩のなからば何も進まず。どこにも行けず、留まるのみなれ。
なしうることの小さきを、憂え案じて、何も変わらず。
小さかるとも小さくあらず。神の目からは大きな一歩。
神の測りに測りなば、偉大な一歩の始めならずや。

さにて本日、神職への思いと、人のなすべき神の手伝い、神の願いを教えたり。
一人一人が始めなり。
神職なれども特別ならず。神の前には全てが神の子。神の教えを体現す 尊き光の子供なれ。さにて。


二〇〇一年六月二十七日 日々の霊行

神から人へ。人から神へ。
人から人へのつながりも、神から人へのお伝えも、滞(とどこお)り無く、淀みなく、迷うことなく下ろされて、伝え残さ
れ、広がりゆくべし。

そなたの思いも、神の祈りも、天へと通じて、叶えられなん。
人の世界に迷いも多く、悩みも尽きせぬことのみ多し。
なれど始めの心に帰り、元の清らな魂にて、神の心に適うものなら、必ず御霊は救われゆくべし。
今一度(いまひとたび)の辛抱努力。焦らず気持ちにゆとりを持ちて、神に仕える心を持ちて、神に使われ働くことを、何より 喜び、尊ぶべけれ。
人の救いは難しけれど、神の教えしことのみ守り、己のなすべき最低限の、最も基本を行えよ。
人のことばに惑わさるなく、己の信ずる神に従い、素直に付きて従えよ。
道の過ち、はぐれし時には、元から始めてやり直すべし。
遅すぎるなく、早すぎるなく、一歩一歩に思いを込めて、神の示さる道を進めよ。
神の世界に向かう道のり。遠くに見えども遠くにあらず。
己の心の内なる神は、常にそばにて見守り助けん。
遠く遥かに見えるは幻。己の作りし幻影なれば。
確かなものを、真実を、神の示さる真(まこと)を信じよ。
目に見えるとて、真実になし。手に触れるとて実在になし。
心に映る神こそが、真の存在、真理なり。
惑わさるるなよ。だまさるなかれ。心の曇りに光を失い、道を外れることなかれ。
神から離れて遠ざかるほど、神の心も光も弱まり、ますます落ち行く執着汚れ。
煩悩苦悩(ぼんのうくのう)に心を乱し、正しき声さえ耳に入らず。
正しき心の基準を壊し、勝手な尺度に心を奪われ、そこそを真と我(が)をば強めん。

哀れな末路を辿るなかれよ。自分の求めし苦難にまみれて、た易き道をなぜ離るるや。
親の教える教えに背き、導くみ手を自ら捨てて、自ら選びし葛藤の道。
人はか弱く、儚き存在。少しの苦痛も困難も、たちまち人を衰えさせなん。
かかるときこそ神を求めよ。すがる頼ると異なれば、素直に神に導かれ、救いを求め、従えよ。
神の示さる生き方を、再び見つけて、立ち戻るべし。
神の み声に耳傾けて、神の光を身に受けて、この世にあるを尊びて、感謝の思いに浸りなば、道は平らに安
らかなるらん。
自ら険しき道を求むな。そこには必ず落とし穴あり。思いもかけぬ誘惑もあり。
人の力に抗し得ぬ、邪(じゃ)なる汚れの誘いもあるらん。
人の心に魔の差して、弱き心をくじかれて、神の教えを遠ざかり、いつか己も罪を積まん。
己の作りし罪汚れ、浄め禊ぐはさらにも辛し。神を恨むが多くの衆生。
神にも救えぬ、不信の衆徒よ。自ら腐りて汚辱を深め、救う術(すべ)なき 縁なき民よ。
神の み声に立ち返り、心に神を甦らせよ。それしかあらず、末世の世なり。
聞こえぬ耳にも聞かせてゆくべし。それのみ急げよ。打ち込めよ。
神のことばを伝えゆくべし。人の心の解釈要らぬ。聞いても判らず理解せずとも、内なる御霊に届けられん。
さなりて心の神は目覚めて、人の行い心を変えて、必ず神へと結ばれゆかん。
神の奇跡は人知の及ばぬ、宇宙を創りし偉大な力。
人間一人の生なれど、宇宙の神秘に包まれ覆(おお)われ。
唯に一つの真理の貫き、科学に測れぬ無数の法則。

さなるこの世の事象現象。読み解く術は、神への信のみ。
祈りの力も神の表れ。神の示さる奇跡の一つよ。
人の祈りの実現を、決めるは神なり。許すも神なり。
人の力に可能にあるは、神の心に委ねることのみ。
諦め投げ出すことにはあらず。神に任せる潔(いさぎよ)き、執着捨てし心なり。
全てを行い、力を出しきり、後は神へと預ける心よ。神も喜び、受け取れば、奇跡は起こされ、人へと示さん。
人へと与えん、神の恵みよ。
神も感謝し、ねぎらわん。いたわり、いとしみ、慈(いつく)しまん。
神の慈愛の一つも逃さず、全てを受けて輝けよ。
神の慈愛を受けるに能(あた)う、清き御霊に磨き浄めよ。
光を映し、さらに輝き、内まで光を溢れさせん。
光をとどめて、さらに輝き、人にも与えて、いよよ栄えん。
光を賜る器を浄めて、残すことなく与えてゆけよ。さなれば光は強まりて、ますます富みて与えられん。
神の光は尽きることなし。惜しみて隠さば、失われん。
人に与える喜びは、神の慈愛の心に近し。神の心に近づけよ。感謝の思いをさらに高めよ。
神の心は与えることのみ。人に望むは精進のみ。感謝の心を育みて、自ら浄めて高まることのみ。
神の祈りをこの世に起こせよ。祈りに適う願いにあらば、祈願は成就し、現実化せん。
この世の次なる次元の到来。準備を始めよ。整えよ。
残されゆくも、消されゆくも、日々に決まりて、時近し。

残りの時を浪費せず、さらに高める思いを保てよ。
さにて本日、久々の伝えなり。そなたの活躍、奮闘祈らん。
神の心を忘るなかれよ。神の願いを疎かにせず、己の願いと一つにするべし。
さにて、本日、伝えはこれまで。何か聞きたきことありや。

(日々の霊行として、今何をすべきでしょうか。人への祈りとして、心に浮かぶ方々のお名前を書いて、あり
がとうございます、と祈っているのですが、それは神様の御心に適う霊行でしょうか。まだまだ努力不足でしょうか)

さにても愚かな考えなれど、一途(いちず)に行う姿は尊し。
神の願いは形にあらず。祈りもときに無駄なれど、思いを高める一つの方途(ほうと)。
それのみなせばよきにはあらず。一つ一つが霊行なり。
人の救いを祈りても、まだまだ神には届かざる、ただの慰め、暇つぶし。
神の心を顕(あらわ)したくば、神の教えを行いに、ことばに表し、伝えるべし。
いくら祈りて、念ずれど、人の目に見ゆ行いなくば、人への伝えも広がらず。
神の名前を呼ばずとも、人の人たる根本を、由縁を知らせて、導けよ。
心の糧を与えてやれよ。貧しき心に養いを、潤い与えて、耕してやれ。
ひからび腐りし小さき種も、再び命を吹き返さん。
ことばの力を注いでやれよ。心の糧にはことばが第一。
傷つき荒(すさ)みし荒野なれども、ことばの温(ぬく)もり 光にて、肥えし沃野(よくや)と復活しなん。

神の心を表すことばを、惜しむことなくかけてやれ。
誰とも差別区別せず、己の見返り求めることなく、結果を恐れず、身を捧げよ。
戻りし応えを受け取りて、謙虚に読みて、そこから学べよ。
己の望む応えになくとも、全ては鏡の裏表。そなたを映す鏡と認めて、さらに慈愛を深めゆくべし。
人を裁くは人になし。人を責めるは心の退廃。そこには神の光とてなし。
光り輝く慈愛の心は、裁くことなく、責めることなし。
悔やむことなく、全てを受け入れ、人の奇跡に希望を求めん。
さなることこそ、困難ならん。一人の努力は容易なり。
人との関わり、人との交わり、避ける道には、霊行なし。
人に対峙(たいじ)し逃げるなく、己の信を枉(ま)げるなく、力まず静かに穏やかに、心の平穏保ちつつ、口には神の祈りを
伝える、真の強さを養えよ。
人の修行に終わりなし。登れど登れど頂上なし。
生きて果たせる全てを果たせよ。
神から借りしみ恵みを、全て使いて、使い切れ。さにて汚れも落とされなん。
さにて本日、霊行の心得、教えたり。神の期待に応えゆけよ。神の祈りを汲み取れよ。さにて。


二〇〇一年七月一日 神と仏との違い

神から人へ、人から神へ。神の願いの一部なりとも、人の叶えてゆく年月を、いつしか必ず日は満ちて、神の願いも実現せんを。
さにて本日そなたの問いは。

(神様に感謝し仏様に感謝せよとのおことばがありますが、仏様とはどのようなお役の方なのでしょうか。そして、神様とはどのように違うのでしょうか。
また、仏教における仏様とは、神様とは相容れないものなので しょうか。また、もし並べてお呼びするとき、どのようにお呼びすればよいのでしょうか)
さても一度に多くの問いかな。なれば分けて、それぞれ答えん。
先ず一つ、神も仏も、元は一つよ。人の世界の現象にて、事象に示し表すときの、表れ方の違いなり。
神は一つの大なる意志なり。そこに幾多の役割を込め、一つ一つを現象として、この世に写す必要あり。な
れば仏も、神の願いを、人に写すための働き。この世に始めに表れて、神の教えを説きぬれど、人は誤解し、
神と隔てて、異なるものと誤解せり。なれど教えの根本には、互いに同じきことを教えし。
仏は人の姿となりて、人の世界に生きて死に、人の化身と考えぬれど、神のご意志をそのまま説きて、神の世
界を広げんとせり。
人の世界に広まりて、仏教となる宗教なれど、教えは変わらず。人の昇華と、人の生くべき根本教えし。
なれば宗教宗派は誤り。人の違いや区別を作りて、かえりて争い、いさかいの素。
よくよく学ばば奥にある、教えの真理は普遍ならずや。
なれば仏もお役は同じ。神のご意志を物質として、現象として表して、人の目に見え、耳に聞き、理解に易き
形とせること。
なれど人は過ちて、どちらが上でどちらが下かを、飽くこともなく繰り返す。

現象により測りなば、人の尺度は間違いばかり。普遍の尺度もなきものを。
仏の呼び名も、人の世のこと。人が決めなば、それにてよからん。
呼ばれる元の実相は、同じ一つの聖なる神なり。
仏を呼ぶも、神を唱うも、一つに通じ、届きてゆくなり。
仏教信徒、そも可なり。キリスト教徒も同門なり。
全ては神につながりて、正しき道へと通じゆかん。
仏の生前ありし時には、仏も神を敬いて、神の存在実在を、人へと伝え、広げしものなり。
形は変わり、姿は違えど、伝えし元は神なれば。
人の解釈、理解は変わりて、人の世界に合うように、人の尺度に合わされしもの。
なれば仏を信ずる者は、神を信ずも同一なれど、信ずる者は気付かぬのみ。
宗教宗派に囚わるなかれ。人の生まれて死ぬまでに、なすべきことは一つのみ。
道からはずれ 道に迷い、混迷多き世にあれば、人はますます混乱せしを。
一つの道に戻しなば、人は迷わず、安らぎを得ん。
多くに見えて、惑乱し、正しき道を見失い、心の苦しみ悩みを増やし、さらに惑いの底へと落ちなん。
真実なるは一つのみ。なれど現象事象は多岐(たき)なり。それぞれの時、所に応じて、真理は表れ人に示さん。
仏の呼び名にこだわるなかれ。仏を真に信じなば、自ずと神へと通じゆくなり。
神の世界にこだわるなかれ。神の表れ、起こりなば、仏も神も同じこと。
人を差別し、隔てるなかれ。人は神の子、平等なれば。
気付き悟りし者のみが、誠の幸に恵まれん。

気付かず悩む哀れな者を、救い導く手伝いをせよ。
そもまた神への縁を深めて、人との絆もさらに強まり、教えの光は早くに広がり、ますます栄えて豊かならん。

さにて本日、教えの奥義を答えしを。
教えの奥の神のご意図を、見抜く目を持ち、養えよ。
表面のみに目を奪われ、心を失うことを恐れよ。
さにて、本日、答を終えん。よくよく精進、努力を続けよ。さにて。


二〇〇一年七月七日 講演会で話す内容

神から人へ。人から神へ。神の伝える教えを残し、さらに広げて、広めてゆけよ。
神の世界のことばにならぬ、ことばの前の普遍真理を、ことばに直し、文字に変え、
人の心に伝わるよう、ことばの響きの響くよう、ことばの力を働かすよう、
心とことばの交わりて、ことばの奥の言霊の、直(じき)に心に鳴り響くよう。

さにて本日、そなたの問いは、今日の岡山、話すことなり。
そなたに教え、伝えてこしは、既に他(ほか)の人々にも、多くが伝わり、広まりており。
なればそなたも教えの通りの、心の奥に浮かぶことばを、言霊のままに、波動のままに、
祈りに表し、声に出し、この世の波動を変えゆくがよし。

難しきこと、難きこと、さなる己を越えし業(わざ)は、神も望まぬ、人の世界に。
神の一途に祈る祈りを、多くの人に、縁ある者に、さらに広がり、強まりて、
新しき世の担い手となり、神の仕組みに働けよ。
人に話すも、そのことでよし。他(ほか)に何を語るべきかは。
神のことばは常に変わらず。特別なるは一つもなければ。

さにて、本日、よき日となるべし。
神とのご縁を常に求めよ。さにて。