<その1>
東京ナイフについてお断り
その1(スチレットファースト・19丁他)
その2(彫金2丁、オールド、山卯?、べっ甲八丁、19丁他)
その3(コイン、シルバー他)
その4(大きさの比較)
その5(5丁、紙タグ、輸出シール他)
その6(鹿山赤堀、鹿山No1、鹿山久山、電工他)
その7(モアディープ)
考察1(ペーパーナイフ、ドル挟み、他)
戻る  (得物)

  
 
<左>
 1987年10月号(vol.6)のナイフマガジンで今はなき、
いとう屋さんの広告に「ブーツSマイカルタ、青紙2号
 ¥38,000」と出ている。しんかい刃物は、
「電工ナイフ 青紙2号」となっていた。
恐らく、アメリカのカスタムナイフとの邂逅前後のモデルでは
ないだろうか。
 ハンドルは、マイカルタにしてあり、ロックバーとブレードも
一直線になっており、ブレードには、「Y.fujimoto」と入る。
ただし、カスタムを強く意識し、長期間の使用を考慮した為か、
ブレードピン、ロックピン、ハンドル最後部ノピンは、頭を叩いて
再調整出来る様になっている。ボルスターの角は、落しておらず、
無骨な作りである。ブレードは、恐ろしいくらいのフラットで、
自重で紙が切れていく。
当時の藤本氏の実用主義のベストがここにある。
 肥後の守を考えると違和感は無いのだが、ガーバーやバックが
ある意味に置いて全盛期だった当時、錆びる和鋼で作られた
フォールディング(フォルダーとは言わなかった)は、
違和感があった。

<右>
 今から、20年前。藤本氏が、亡くなった直後。
松井の会長のコレクションだった物らしい。
ブレードピンが、僅かに出ている。ボルスター等の角も
全く落していない。更に、ポイントが、ギリギリの収まりで怖くて、
ポッケットには入れられない。刃打ちもし放題。
当時は、カスタムと言えばハンドルは、マイカルタか
サンバースタッグの通りがよく、ラブレスのキャンバスマイカルタ、
ホーンのペーパーマイカルタ、に続くメーカーは多かった。
スタッグは、貴重品扱いだった。
 多分スチレットの全モデル中の記念すべき第1作目。

    
<左>
 初期のホーンタイプ。他のメーカーは、このバネ受けのパーツ
自体を、マイカルタや、デルリンで作る。藤本氏のこのモデルは、
刃の当たる部分にのみ、エッジを痛めない様にマイカルタのチップを
インレイ(オンレイでは無い)した凝った作りになっている。
因みに私自信もこの1本しか見た事が無い。
<右>
 マイカルタハンドルのスリップジョイント。バリバリのミラー。
刃渡り6,6センチ。

  
 
<左>
 上右の写真のアップ。
 筆記体で「y.fujimoto」と入る。他では、見たことが無い。
刻印制作前か?
ボルスターは直線なので、多分古い。ホーン以前か?

<右>
 その裏は、「Y」と刻印されている。
19丁のメインブレードにも入っていた。
YASUHIROの「Y」か?




      
<左>
 初期の頃は、タング部に刻印が入る。刻印は、古い順に
漢字→筆記体→タング部→ブレードに大文字→
ネイルマーク横の順か?
 ブレードに大文字の成立時期が、今一つ掴めない。ほとんどが、
Wネームになっている。
<右>
 向かって左の大きいほうが、11丁。右側は、8丁。
どちらの出来も極上。
何故なら、鹿山製だからである。






恐るべし藤本!