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 私は以前から少々気がかりなことがあった、それに気が付き始めたのはいまから十数年前、恐らく平成10年から12年あたりである。私の半地下にある書斎は何時も秋になるとコオロギ達がやって来て賑やかなオーケストラの大演奏会場と化すのが常なのであった。 ところがいつしか声が少なくなり、コーラスが気がつくとカルテットになり、またデユット、ソロと淋しくなり、遂には声は完全に途絶え、すべては一切無に帰したのである。

 それから、4〜5年後、多分平成15から16年あたりであろう、ふと気がつくと家の回りで秋になるとあたりを憚ることなく、大きな声で楽しそうに鳴いていた鈴虫の音が1段とか細くなっているのに気がついた。そのあたりでは別に予兆サインとは思いもしなかった。

 いま、考えてみると夏にはいつも芝生や畑の雑草の中で飛び跳ねていたバッタやキリギリス等の昆虫の大群も身をひそめ始め、少なくなっていることに気がついた。また秋口にはいつも目にしていた大空を飛び交う無数の赤トンボの大群も殆ど見られなくなっていることも思い出した。庭には蟻の姿も妙にない。

 何か変である、何か起こっている、漠然とした予兆らしきものがかすかに感じたものである。しかし、まだ変な感じであるだけで危機感までにはいたらなかったのである。

 確かその頃である、新聞あたりでミツバチが全国的に姿を消し始めたことが報じられ、農家が困っていると話題になったことを覚えている。しかもそれは日本にとどまらず、アメリカやヨーロッパあたりでも大騒ぎになり、フランスでは農薬をめぐって訴訟騒ぎも起きていた。
 しかし、日本のマスコミの報道はどういう訳かまったく沈黙していた…。

 次に気がついたのは今から2,3年前、平成20年あたりである、何時も庭に餌ををついばみに来ていた5〜6羽の雀の姿がまったく見られないことに気がついた。その時も恐らく雀の事情だろうと笑いながら老妻と話していたのを覚えている。

 さて、問題は今年、平成24年の年頭になってからである。家の付近の真っ赤に熟れた柿の実が何時まで経ってもそのままなのである。例年ならムクドリ、ヒヨドリが大騒ぎしながら実をつついて1週間もしない中に実は丸坊主になるのが通例であったが、それが今年はそのままの状態である。それに気が付き、驚いて山道や近所の森を歩って見たのであるが鳥達の鳴き声がまったく聞こず、山は静寂そのものだけがあった。
 いくら耳を傾けて鳥の声を探っても木々や森はシ−ンと静まり返り鳥のさえずりがまったくないのである。
 慌てて近所の山々を駆け巡ったが、しかし、すべては無駄であった。鳥の声はまったく皆無であり、山々は不気味に静まり返り、何の音も無かった。ただ遠くの方からカラスの鳴き声がかすかに聞こえただけである。まさに天下の一大事が始まろうとしているのである……!?。  一体、全体、今何が起きているのであろうか…??。

 人々は農薬のせいにしたり、ひどい人は原発の放射能のせいにしたりするであろう、しかしそうではないことは確かである。少々身の周りを確かめてみよう、例えば鶏である、鶏の数が減少したなどは今のところ聞かれない、農薬や放射能なら当然他の鳥達と同様に何らかの影響があるはずであるがそれは無い。
 世界の研究者達は携帯電話、テレビなどの超低周波が原因であると推測し始めているが、それなら鶏でも同様に被害が大幅に出て大騒ぎになっているはずである。
 それとも個体の小さい順から被害が起こり始めているのであろうか…?。そうだとするとあと2,3年くらいで鶏も姿を消すはずであり、その後は大型の動物等に何らかの変化が起こるはずである。今のところ、別に大変な減少があったとは聞いてはいない。何よりの証拠に卵の値段はそのままであり、変動はない。まずはひとまず安心と思ってもいいだろう。
 この卵の値段、それは我々庶民にとっては一種の経済信号や危機信号のバロメタ−の役割を果たしてくれるものである。このことは是非知っていてほしい。

 要するに、農薬や放射能の影響は多少あっても今のところ順調であり、鳥類絶滅までに至るような深刻な事態はいまのところないようである。犯人は農薬や放射能ではないということであり、後は模様見ながらこの後の変化の過程を確かめて原因を突き止めていくことが必要であろう。それには皆んなの目と耳が必要である。


 もう一つの猶予のならない心配事がこれと並行して起こっている。しかし、誰も気にしない、誰も言及もしてはいない。単なる私の思い過ごしであればいいのであるが…。 誰も他人事と放っておいている。騒ぎ立てもしない。ひょっとすると私だけが一人でわめきたてているのかも知れない。観衆の前の冴えないピエロのように…!!。

 しかし、どうしても気になる…。やはり天下の一大事として重大な関心をもって事態の推移を見守っていかなければならない。笑われても、卑下されようが一向に構わない…。本当に、本当に気になるのである。

 最近の若者にはシングルが多い、話をしてみると結婚願望があまりないのである。要するに、子孫を残すことに対し余り執着してはいないのである。裏を返せば、パ−トナ−を余り必要としていない、セックス願望が甚だ弱いということである。もう15〜16年前のことであるが、ある専門誌に次のような記事が載っていた。

 「最近の若者の精子の数を調べたら、昔の成人に比べて三分の一に減少している、多分食べ物、飲み物の変化のせいで  あろう」と。
 また「家畜である豚も同じである、ところが豚にある処理をすると普通通りの精子の数に戻った」…と。

 この精子の数の多少が恐らくセックス願望と関係があり、それが現代のパ−トナ−不用に結びついているのではないのか…?。精子だって生きてはいるし、意識もあるはずである。意識があるからこそ相手(卵子)を求めて突進していくのである。その数十億の精子の願望意識が集中して一つになれば我々の意識、すなわち成人の持っている結婚願望意識と言うものに大いに関係を与えることになるはずである。それが人類の発生以ず−っと持ち続けてきた自然的な動物本能の最たるもの、すなわち人間の三大本能の一つと言われているものである。 それが欠け始めたとはまさに由々しき大問題であり、民族滅亡のシグナルの点滅の始まりであろう。これも単なる俗者の思い込みと言われればそれまでではあるが…!。

 もしこれが事実であるとすれば由々しき問題であり、国をも亡ぼしかねない重大な危機の発生と見なければならない。何せ人口が激減する事態になるのであり、国が滅亡の危機にさらされるのである。これらの事実関係を科学者であるならば早急に調査、検証に走るるべきである。なぜなら、この一瞬のためらいが国の滅亡、いや人類の未来を左右することにかかってくるからである。

 自然の悪戯、自然の行為とは考えにくい、なぜなら、何十億年と永らえて来た自然がこのようなミスを犯すとは考えられないからである。自然と我々は調和、秩序をモット−に今まで平穏無事に共存してきているのである。

 そうするとまさに人為的なものであり、人口削減の為の窮余の一策としての何らかの作戦が今功を奏して現実化しているのであろうか、現在の人口増加を阻止するために密かに行っている何らかの秘密裏の作戦であると考えられないことではない。いや、それが最も妥当な線と言うべきであろう、なぜなら人口増加に対する警告はすでに20年以上も前に発せられているからである。学者達が弾きだした結論は現在の地球規模であれば40〜50億人が適正限界となっている。 しかし、今は70億を軽くオ−バ−、限界とされる100億人にはあと一息の20年しかないのである。食糧事情の限界は恐らくあと10年くらいであろう。計算が合わないと言うかも知れない、しかし陰には未登録の人口が5,6億から10億近くが現に存在している事を忘れてはならない。

今や、一刻の猶予もない、すべてはすでに現実化して刻々と破滅は始まっているのであり、時間は止まってはくれないのである。 (完)    つづく   Next → <私の「静電磁場による完全対応編」のすべて>…気が向いた時上載…。

「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)) bQ 






≪A true fact that nobody know in the world !!≫
                    
             (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                     平成24年2月  謹上

  bP〜bQ1 (平成25年月版)で完了…!!。

「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No1

    
 


≪A true fact that nobody know in the world !!≫
                      (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                         平成24年1月  謹上


 現在あちこちで電磁波が話題になり、その被害についていろいろと報道されている。現在のように電気器具と言う文明の利器を用いている限りは電磁波の影響は決して避けられないものである。なぜならば電気と電磁波は常に表と裏の関係であり、電気のあるところには必ず電磁波が存在するからである。それゆえに電気を用いている限り、電磁波は必ずついてまわることは当然なのである。現在、携帯電話の普及が目覚ましく、全国には約27万3千の携帯基地局が建設され、この5年間で2・2倍になったそうである。その設置をめぐって健康上の被害を案じた近隣住民とのトラブルが急増し問題になっているのはご存じであろう。  まさに地上は四方八方からの電磁波で埋め尽くされ避ける術などはまったく無いのである。言わば、我々は知らないうちに電磁波の波に雁字搦めとなっているのである。

 誰でも24時間常に電磁波の攻撃にさらされている現状であり、常時浴びていれば体には何らかの変調をきたすである。 そのあたりを心配するのもこれまた、生きている限り止むを得ないことであろう。

 現在、家庭にあっては蛍光灯をはじめ、テレビ、パソコン、電子レンジ、炊飯ジャー等すべては電磁波を出しているものばかりである。電気を使っている限り、電磁波をシャットアウトすることは出来ない相談なのである。

 そこで一つ考えるのである、何故電磁波が体に害をもたらすのかをしっかり考えるのである。

 もう一度、別な面から見てみよう。よく考えてほしい、我々の体にも常に微弱な電気は流れているのであり、その電磁波とは常に付き合っているのである。いや、それがあるから我々は生きていけるのである。神経細胞同士の信号、脳の働き、心臓の鼓動、すべては微弱電流波により調整され制御されているのである。 また、光だって電気と同じように電磁波を我々の上に注いでいるのであるが、それは育成光線と言われて植物や動物達には必要欠くべからざるものなのである。さて、何かがおかしい、同じ電磁波なのである、しかし何か変だ、何かが違うと感じはしないか…!?。

 そこからまた考えるのである。そこで出た決論は、そうだ、それは動電気と静電気の違いであり、人工と自然の違いであると…!。

 そうなのである、自然界にあるのは静電気と言うものであり、我々の用いている電気は動電気と呼ばれるものなのである。その二つはまったく性質の異なるものであるが我々は同じ電気という言葉で片付けてしまっていたのである。静電気は帯電性、すなわち、溜まる性質であり、動電気は流れる性質を持っているものなのである。

 余りくどくど言うのはよそう、結論は動電気の電磁波は体には有害であり、静電気の電磁波は体には優しく無害と言うことである。なんといっても人間をはじめ生物は発生以来、常に静電気と共存して生きて来たのであり、その恩恵を蒙りながらここまで来ているのである。それは誰も否定できない自然生体の持つ事実なのである。

 例を申し上げよう、静電気の代表には雷がある、雷が落ちてマイナスイオンをあたりにまき散らすと野菜や山々の草木が一段と生育し、あたりにはすがすがしい気配が一杯に漂い、山にはキノコがたくさ生え、川にはしじみが大量に発生すると言われている、また中国の歴代の皇帝は雷が落ちた場所にある水を好んで飲んだと文献にはっきり記されていると聞く。そうである、静電気の持つマイナスイオンは我々の健康維持には欠かせないものなのである。そう言えば最近アメリカの学者が言っていた、「交流電気の電磁波は体に悪影響を与えると言うが、静電気の電磁波はそんなことはない」と…。

 学者でさえ、やっと最近になって気がついたことなのである。今まで誰もこの事実に気が付かなかったとは何という失態であろうか…!!。今まで誰も静電気には注目していないのである。

 20数年前のある時私は考え、自分なりの方法でいろいろと実験して見たことがある。まずは花が咲き終わろうとする鉢植えの安い花(サクラ草)を3鉢買って来て静電気で電磁水を作り花に毎日かけて見た、確か年末ぎりぎりの頃であった。すると本来なら10日くらいしか持たないはずが次々と花をつけ、更には勢いを増して咲き誇り、8月の末になってやっと静かになった。そこであまり動きがないので手でつまんでみた、すると驚いたことに手の中で葉も花も粉々に砕けてしまったのである。

 何と言うことであろうか、葉は青いまま、花の色そのままであり、枯れた色などはまったくない状態で生命を終えていたのである。それは今から二十数年前のこと、恐らくは平成に入ったばかりの頃であったと思う。そのことは今でも忘れはしない、鮮明に覚えている。

 そこで直ちに市販の静電気チャジャ−を買い求め、私の書斎全体に静電気電磁波のネットを張り巡らせたのである。例えば居間(書斎)、浴室、ベット、水道水などである。更にその後、椅子、机、パソコン等にまで静電磁波を与えて常に弱い帯電状態に置いたのである。要するに、何処を触っても検電器はピッピッと音を響かせている状態である。 また、オシログラフは常に一定の左右対称の綺麗な波長(これが我が家の電磁波の波動)を描き、常に静電磁波が流れていることを示すようにしたのである。ちなみに、家庭の電気の電磁波はすべてサイン波であり、左右対称の形とは縁が遠いものである。

 15、6年前、当時の世相は今と違って、水はただのものであり、商売として水を売った場合は詐欺罪とし捕まった時代である。私の知り合いの静電気チャジャ−の販売会社の大阪支店長が詐欺罪でつかまり、週刊誌あたりで水を作って売るとは呆れた詐欺師であり、とんでもないことであると散々叩かれたことがある。ところが、どっこい今では水は買うものであり、いい水を飲みたければ買って飲むが常識である。今では警察官でさえ水道水は飲まない、皆、水は買って飲む、それが常識になっている。要するに、知識、常識などは時代と共に簡単に変わるものであり、はかないものと言うことである。

 要するに、私の言いたいことは電磁波は有害であると慄(おののくよりも、自分でそれに対しての果敢な対応をすべきであると言いたいのである。なあに1ヶか2ヶの静電気チャジャ−(業界では電子チャジャ−と呼ぶ)を買って有害電磁波に備えた方がいいと言うことである。要するに、有害電磁波を静電磁波でブロック、すなわち撥ね返してしまうのである。

 その有効な証拠として私を見てほしい。私は当年76歳、静電磁波と付き合い始めてからもう25年以上になる。今まで一切の病気などの兆候は無い、あるとすれば歯医者くらいである。風邪も引かない、寝込んだことも無い、病気等には一切無縁である。最も最近はよくもの忘れはする、老眼鏡も必要になって来た、しかしこれは止むを得ない、誰にも見られる老化現象と受け止めている。

 私は平均毎日7〜8時間近くパソコンの前に座ってキイ−を叩いている、疲れもしなければ、肩も凝ったことはない。目がしょぼしょぼすることもない、脳の知力も衰えず平均以上であり、人類の未だ知らない「超数学」、「超哲学」、「超物理」等を自分で考えながら学んでいることは皆さんも御承知のはずであろう。数えて見るともうパソコン歴は16年となるが、最初の最初から静電磁場を体に帯びながらキイ−を叩いている。就寝時間は何時も夜中の1時は過ぎている。朝は大体、7時あたりである。毎日床に就くと同時にもう朝である。まことに寝付き、寝起きはいい、あっと言う間である。いまだ、パソコン症候群らしきものや気分が悪いと言うことは一切無い、それは自慢の種である。24時間ベットはもとより、机、パソコンも帯電のままであり静磁場検知器は何時もチカチカと瞬(またた)いている。

 よく考えて見ると1度だけ寝込んだことがある。それも1週間もである。

 その面白い仔細を話そう、今から10年くらい前のことである、我が家に突然、奈良の春日大社の使い姫と称する二人のご婦人が訊ねてきた。一人はやせ過ぎ、一人は太り過ぎの感ある40代から50代のご婦人達である。その方々曰く、あなたは心は6次元界にあるが、肉体はそこまで行っていない、これからその二つをピタリと合わせるので20分くらい座っていてほしい、すぐ終わるからと正座させられ二人は懸命に何かを唱えていた。その後ホテルを用意して送り出したのはいいが、さあ、問題はその後である。その晩から突然高熱が出て体が硬直して全然動かなくなった、そのまま何も食べず、何も飲まず1週間近くベットに横たわっていたままの哀れな状態が続いたのである。
 そのうちある日、突然、鎖の雁字搦めが解けたようになって一気に快方に向かい始め、すべては嘘のように正常に戻ったのである。言い忘れた大事な話がある、要するに、後日談があるのである。それは病が治って病床を片づけた時である。何と白いシ−ツの上に薄い赤色の大の文字がくっきりと描かれていたのである。それは私の体の跡そのままである。しかも、それは白いシ−ツはおろか、その下の厚い綿布団の表から裏まで薄赤く染まっていたのである。そんなことがありえるのであろうか。今でも不可思議なことであると思っているのである。
 その寝具すべては気持ち悪いから処分してほしいとの家人の言いつけで、私がすぐさま近くの焼却炉に運んだのである。
 しかし、考えて見ると、厚い綿布団の表から裏まで滲まずに体液が染み透ることは常識的にはあり得ぬことである、一体どう言うことなのであろうか。今でも不可解である。 これはすべて本当の話であり、私の体験したことである。

 恐らく、春日大社に関係ある御仁ならば、なるほどあの二人の仕業であるとピ−ンと来るであろう、私もその後の二人のご婦人の噂、すなわち、評判が評判を呼び、人々が多数押しかけていると新聞で読んだことがあり、多分彼女達がそうであろうと直感的に思ったのをしっかり覚えている。

 今ではすべてが懐かしい思い出の一コマとなっている。

 子供を持つ親御さんに申し上げたい、パソコンの前に座りきりの子供の体を心配するよりも椅子と机。そしてパソコンに静電電磁場を作って動電電磁波を撥ね返すことである、静電気チャジャ−以外の費用は勉強部屋では数千円で済み、居間(6〜8畳)でも一万円はかからないはずである。電気料金は1ヶ月休みなく流しても恐らく1ヶ月100円もかからないであろう。そんな馬鹿な…!?、と叫んでも、すべては真実そのままであり、そのままを申し上げているのである。

 現に、私と、猫1匹は健在そのものであり、溌溂そのものである、

 これは恐らく、まだ誰もやってはいない驚くべき画期的な方法であり、手のかからぬ簡単な方法である。あなた方が見れば「嘘」と呆れてしまうくらいの簡単なものである。要するに、発想の転換の賜物であり、コロンブスの卵と言った発想がそこにあるのである。私の書斎の対策グッツは早く言えば廃物利用であり、一銭もかかからない簡単なもの、新しいものを用意するとお金がかかるので近くのゴミ置き場から拾ってきたものである。

 学者たちに言わせれば、呆れた話である、そんな馬鹿な話は聞いたことがないとのたまうであろう、愚者の奇行であると罵られ、馬鹿にされるかも知れない。しかし、すべては本当の私の体験記であり、嘘偽りのない真実の話なのである。

 近く、あるいは近県の方ならば私のあばら屋に一回見学に来るがよかろう。まことに簡単なものであり、誰でも2〜3分もあれば作れるものである。ついでに静電磁波風呂(業界では「極楽電子風呂」と呼ばれている)、や磁化水装置(業界では「電子水製造装置」と言う)なども当家にあるのでご案内申し上げよう。すべては古学「カタカムナ」の発見者の楢崎皐月氏に由来するものである。彼こそは静電変性法の有効利用を日本で初めて行い、大きな足跡を残した御仁である。氏の著書「静電三法」は大変有名である。

 ただし、有料である。その代価は大福餅1ヶと決めているのであり。それ以上はお断り申し上げる。なぜなら糖尿病が心配だからである。遠慮はいらぬ、大福1ヶ下げて何人でも、何十人でも来るがよかろう。ただし、素直に信じられる方、考えて納得いく方のみである。

 未来を担う子供のためである、我々の健康を守るためにである。自分でやれることはやって置こうではないか…!!。あと後に悔いの種を残さないために…!!。

  それが親の務めと言うものであろう…!!!。  Next → <「静電磁場」こそ憑依現象を防ぐ最大の武器である!!。
                     「神の数学・佐藤」の案内表記のFAXにてご連絡くだされば最寄りの駅までお迎えるに参上する。



「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No3
         ≪A true fact that nobody know in the world !!≫    電磁波編()                          (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                               平成24年3月  謹上                                

 先回の(1)の中では動電気の電磁波は体に害を与える、すなわち、健康上さまざまな障害をもたらしていると申し上げ、それを防ぐには同じ電気である静電気が大変有効であると伝え置いた。今回は更に歩を進めていろいろな事例を添えてしっかりと申し上げるつもりである。前もって申し上げたいのは静電気は自然の持つ電気であり、本来人間の体には欠かせないものと言うことである。それに対して動電気は人間がつくりだしたもので自然界には一切存在しないものである。ただ、動電気は人間が自在に操れるので便利であり、それに対して静電気は人間の手には負えず、よってあまり利用価値もなかったので、ただ捨て置かれたままであったのである。

要するに、生命とともに歴史の過程を歩んできた周波数帯の電磁波(静電気)は、生物の生命活動にはなくてはならないものとして組み込まれ、生命活動の一端を担っているのである。逆に自然には存在しなかった周波数の電磁波(動電気)は生命体にはなじまず、さまざまな悪影響を及ぼしているのである。
考えて見ると、静電気はまだ未開発分野であり、これから利用面の研究に入るものである。

その方面の第一人者はおそらく「カタカムナ」古伝学の大御所である楢崎皐月氏であろう。氏はその大書である「静電三法」の中で人体における静電気の効用について詳しく述べている。その書の中で「人体は構造において静的位置勢力の重畳電位が、生命の本質的な条件である」と氏は言っている。要するに、静電気の働きこそが命の要であり、最も重要なものであると言っているのである。もっとはっきり言えば、常に静電気を体に帯びていれば、一切の健康上の不都合は起きないと言うことであろう。静電気についてこのような驚くべき発言をした学者は未だかっていないはずである。

楢崎皐月氏は次のようなことも言っている、「人間が気分を良くして栄養を高めるということは、外界から静的位置勢力(電位、その他)という秩序の高い次元によって負のエンロトピーを得たからである。つまり、栄養の真の元となるものは人体構成の物質を含む環境空間における静的位置勢力、即ちポテンシャルエネルギーの代謝現象であり、したがって栄養は環境から電位と電子量を体内に代謝させる現象として観る必要がある。」と…。

 しかし、その後の学者達は誰も氏の説に耳を傾ける者はいなかった、ただ西洋に顔を向け西洋科学のみに耳を貸し、懸命に彼らの説を聞き、模倣に明け暮れているだけであった。いわゆる西洋に続かんとばかりに西洋コピ−の学者の大量生産が続いた時代であり、彼らの言をもって良しとした時代である。

 ところが今では西洋流科学が行き詰まりを見せ、自然に帰り、自然に学ぼうと動き出したところである。しかし、この数年間に起こった様々な西洋文明の行き詰まり現象は我々の意識や価値観をガラリと変え、日常生活さえも変容させてしまうような感じがするものである。

 つくづく考えてみると楢崎氏はこのような時代の到来を予想し、静電気の大切さを人々に説き、教えようとしていたことを今になって察することができる。彼は自然の恵みの大切さを説き、自然の力、その再生力に目をつけ、自然の研究にいそしんだのである。

例えば、農業においては大量散布の人工肥料の害を説き、その代わりに静電磁場で処理をした水や木炭を使用して、自然的に生産効果を上げようとしたことは有名である。また静電磁場をお風呂やベツトに誘導して、農薬中毒による大病や、今で言う生活習慣病を軽減させようと努めてもいたのである。しかし、あまりにも個人の力だけでは如何ともしがたく強大な資本マ−ケットの前にはもろくも崩れ去ったのである。

 今になって私がつらつら考えるに、現在、大勢の老人たちが足が悪い、腰が重い、肩こりがひどい、体が鉛のようであるなどの症状を訴え、懸命にマッサ−ジや病院にかかってなけなしのお金をはたいているようであるが、効果ははかばかしくない。皆、2,3日で元の状態にもどってしまうようである。要するに、イタチごっこと言うやつでる。これらははっきり原因を知り、元を断たなければ駄目である。
 そもそも日本人は電磁波の怖さを誰も認めてはいないのである、だから行政や企業も知らん顔をしているのである。まづは、外国のように国民が声を上げない限り無理であろう。

医者たちは決してその原因を見極めようとはしない、なぜならば、いいお客さんであるからである。誰も知らんふり、何も知らんふりして愛想を振りまいているだけである。

要するに金づるであり、彼らにとっては必要な人達だからである。病人にはそう簡単に治ってもらっては困ると言うのが大方の気持ちであろう。

言い方は悪いが、彼らにとっては電磁波は必要悪であり、救世主的な存在とも言うべき有難いものなのである。 ホイ、つい本当のことを言ってしまつた。前言取り消し……!!!。

 

ところがある1人の正義の味方である医者がインタ−ネット上でこれらの真相を暴露したのである。何と生活習慣病と言うものは動電気の発達普及による大量の電磁波を受けたことによる皮膚、神経の損傷変化であり、それが血流の停滞を引き起こしたことが原因であると…。その上、氏はその原因を引き起こした身近な金属類、すなわち、電磁場を発生させるような電気器具類を身辺から一掃すれば、簡単に症状が消え失せてしまうと発表しているのである。しかも、何百人と言う症例を挙げて実証し、それらの症状を簡単に回復させているのである。

 そこで私はすべてを了解したのである、私が常に静電磁場を身に帯び、飛び交う動電磁波を撥ね返し、一切身に受けないからこそ、そのような生活習慣病や、また国民病と言われる躁鬱病と言う精神障害にも一切無縁なのであることを。これら、すべての生活習慣病や国民病と言われるものは、言葉を変えれば現代文明病と言っても何ら差し支えないものであり、動電気を使用する限り、文明が発達すればするほど大勢が被害をうけるのである。

なぜなら、見るがよい、現在、現代文明が発達するにつれてこれらの症状は正比例するように増えてきているではないか、

特に携帯電話が普及するようになってから、この国民病と言われる鬱病の類が多くなってきているようにも思えるのであるが,如何であろうか…??。

 

ひよっとして、今や3人に1人、いや、近い中に2人に1人とも言われている癌の患者、すなわち、癌を引き起こす犯人は電磁波かも知れない電磁波を浴びることによってメラトニンが減る、ガンを抑える役割をしているメラトニンが減るからガンになると言うことである。まことに由々しい事態であり、時を失すれば国を危うくさせるものである。

今、メラトニンが乳ガン、アルツハイマー、躁うつ病、といった症状と関連しているらしいという研究がたくさん出てきていることを付け加えて置きたい。

WHO(世界保健機構)は「電磁波と健康被害の直接の因果関係は認められないが、関連は否定できず、予防的な対策が必要だ」と結論づけ、各国に対策法の整備などを勧告している。

しかし、日本では誰も動かないし、言いだす者もいない。なぜならば、手立て、防護策などは何もないし、研究資料さえも無いからである。愚かなことに…!!。

とにかく恐ろしい、自分では到底身を守ることが出来ない大変な事態、最悪な事態が今進行しているのである。

 

電磁波による体の異常わが国では生活習慣病と呼ぶそうな…!?)

電磁波過敏症のおもな症状米国のウィリアム・レイ博士による分類

(1)

 目の症状 見にくい、目が痛い、目がうずくなど

(2)

 皮膚の症状 乾燥する、赤くなる、できものなど

(3)

 鼻の症状 鼻づまり、鼻水など

(4)

 顔の痛み 顔がほてる、むくむ、水泡、ヒリヒリする

(5)

 口の症状 口内炎、メタリックな味がする

(6)

 歯や顎 歯や顎の痛み

(7)

 粘膜の症状 乾燥、異常な渇き

(8)

頭痛 単なる頭痛のみならず記憶喪失やうつ症状まで

(9)

疲労 異常な疲れ、集中力の欠如

(10)

めまい 気を失いそうな感覚、吐き気

(11)

関節痛 肩こり、腕や関節の痛み

(12)

呼吸 呼吸困難、動悸

(13)

しびれ 腕や足のしびれ、まひ

 

 何とこれらアメリカで発表された体の異常は、わが国で「生活習慣病」と呼ばれている体の症状そのものではないか…?!。要するに「生活習慣病」=「電磁波による体の障害」であるということがこれで一目瞭然であろう。確かに、生活習慣病国民病等は、文明度が高くなり、生活が豊かになればなるほど羅患者が増えてきている。

 何故なのか…??、その理由は…??。もう一度、しっかり考えるべきである。

 

 普段の生活で、身の回りの電気製品がどれくらいの電磁波を出しているのか、数字を上げて置く。スウェ−デンあたりの大変厳しい規制数値に比べるとまさに日本は野放し状態であり、電化製品の電磁場の値は驚くべきものと言えるのである。

 いろいろな電気器具における磁場発生の様子を知ってほしい。

電場発生量
V/m

磁場発生量
mG

測定距離
cm

 

スウェーデンVDT
電磁波規制ガイドライン

25

2.5

パソコン(デスクトップ)

300

0.4

パソコン(ノート)

800

0.8

電気コタツ(ヒーター部分)

350

50

ホットカーペット

1000

300

電気毛布

300

100

家庭用ゲーム機

280

0.8

テレビ(ブラウン管画面)

800

0.6

テレビ(液晶画面)

11

3.8

テレビ(プラズマ)

9

0.5

ビデオデッキ

200

0.3

電子レンジ

500

80

エアコン

300

3

蛍光灯

90

5

電話機

100

0.3

洗濯機

250

50

冷蔵庫

90

0.5

計測器:Schwingstechnik社製 Fieldmeter FM6T

 これから、あなたは何を感じとろうとするのであろうか……、

 この余りにもすざましい電磁波の垂れ流し的な現実をあなたはどう見るのであろうか…!!?。

 論より証拠、1996年1月から欧州連合(EU)は広範な電気器具を対象に厳しい電磁波規制を実施して、基準をクリア−していることを示すマ−クをつけないと市場には出せない仕組みを作り上げたのである。しかし、日本はどうなのであろうか…??。身近な電気器具を見てもそのようなマ−クは一切見当たらないのであるが…?!。、

 我々国民が声を上げて立ち向かわない限り、何時まで経っても改善はされない、スエ−デンの国民を見習うべきである。
 多くの女性達は一斉に声を上げて立ち向かい、この表にあるように磁場発生量を大きく改善させたのである。その秘密は電気のコンセントをすべて三つ口に換えたことであり、そこからすべて電磁波をア−スするようにしたのである。
 
 日本も学ぶべきではないのか……!!!。

 上記の表の中で特にひどいのは電気コタツやホットカ−ペットである。おそらく日本中では8割以上の所帯が使っているものである。 まさに野放し状態とも言うべき大電磁波が発生していることが判る。しかし誰も問題にはしない、誰も騒がない。
 
 アメリカでは被爆量を数十分の一に減少した電磁波対策品が売り出され、対策のないものはほとんど売れないのである。
 しかし、わが国ではそんな製品は見たことも聞いたこともない、何と言うことであろうか…??!。まったく消費者などは完全無視であり、騙してでももうけようとする姿勢がありありである。これだけなめられ、騙されてもまだ目が覚めないのであろうか…!!?。人のいいのもいい加減にすべきであろう……!!!!!。



   「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No4
          ≪A true fact that nobody know in the world !!≫          電磁波編(3) 

                   (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                      平成24年4月  謹上    

 
 
静電気、それは人類の未だタッチの出来ない「神の力」であり、これから本格的に研究調査して役立てることにより人類は一切の病魔や不幸と言うものはすべて取り去ることが出来る可能性があると考えられる。
 しかし、現代科学は静電気を無用なものと見放し、一向に取り込もうとはしない、まことに損であり、遺憾なことである。
 要するに、現代科学が文明の舵を握っている限り、その正体を探り、その利用価値を見出すのは恐らく、無理であろう。
 なぜなら、それは現代科学は「神」や、「見えない世界」を認めていないことと大いに関係があるからである。

はて?、「静電気」と「神(見えない世界)」、それは一体どのような関係にあるのであろうか。

 

 諸氏は「神?」と「静電気」…?、それらは一体どのような関係があるのであろうといぶかしく思うであろう。それはごもっともである、かく言う私でさえその関係をはっきり口にすることは出来ない。しかし、私の過去の経験、あるいはもろもろの記録からその間には密接な関係があることが直感的に十分感じられるものである。

これから、3回から4回のシリ−ズ形式によりはっきりした記録にあることや私の実際に経験したことをありのままに語り、その是、非の判定は諸氏にすべてをゆだねて見たいと思う。

ただ、一つだけははっきりとさせたい、そこには一切の誇張や嘘など決して無いことを誓っておきたい。それは神にかけてという言葉を添えると同時に、私の名前と名誉(あるのかな…?)にかけてである。

確かに、すべての事態はあまりにも奇妙なことであり、科学的な知などではただうろたえるだけで真実を掴むことは到底不能なものである。また、それらを語れば正規の学者達からは蔑視され、石を投げられ、そしてあざ笑われることは必須である。しかし、敢えてここで真実を述べて置くので一つ真剣に考えてもらいたい。
 なぜなら、現在、すでに取り返しの出来ない出来事が日々起きて大勢の人々を悩ませ苦しめているからである。これは今でなければ報告が出来ない由々しい問題であり、今でなければあるべき真実を提起することが出来ないことなのである。
 なぜならば、私は最早寄る年波に逆らうことも叶わず、ただただ虚無三枚の日々の中で忘却の限りの中にあり、明日に望みを託すことなどはもう到底無理だからである。

 しかし、これらすべてのことは私個人の思考や判断ではどうにもならないまさに由々しいものである。恐らく、諸氏においてもしかり、学者達にしてもご同様であることは間違いないであろう。
 はっきり言えば、それらのすべては今の科学知等ではどうにもならないものであり、如何ともし難いものなのである。しかし、誰かがどこかで狼煙を上げて注意を引かない限り、そのままでただ捨て置かれるだけなのである。それでは余りにも悔いが残るものであり、現代科学歴史上に重大な汚点が残るものと言えるもののである。
 おそらく、数十年後の子孫たちがその真実を解き明かすであろうが、それまでは、しばし棚上げ状態が続き、その間大勢の人々の心や体を蝕み続け、塗炭の苦しみを与える状態が続くことになると言うことである。

まあ、それも愚かな人間の身から出た錆と言えばそれまでであり、仕方がないとことかもしれない。
  しかし、それでは何も知らない者、真面目に生きている者にとっては余りにも哀れすぎると言うものである
。出来る限り気がついた者からただしていくと言うのが筋であろう。たとえ、石を投げつけられることがあるとしても……。


    誰も知らない不思議な話  (その1)

 ここに一つの驚くべき研究結果を綴った書がある、その著者は知る人ぞ知る精神科医のドクタ−であるアメリカのウイックランド博士である。かれは30数年にわたり精神を患った患者や重い病人達、慢性病患者等を劇的に回復させた医者としてアメリカでは有名な存在である。
 これらの博士の記した報告書はまさに人類史に残る驚くべき記録の数々であり、医学上における革命的な真実を物語るものであろう。それは今までの医学の中では、完全に黙視され、無視され続けてきたが、それも最早限界なのである。

 まずはその巻頭にある博士の言葉を紹介しよう。おっとその書の名は「迷える霊との対話」と言う800ぺ−ジ近くの大冊であり、発行社はハ−ト出版である。

原書の本題は「Thirty Years Among The Dead」と題してある。 

この本の巻頭には次のような言葉がある。「この書を出すにあたって、著者の私には主義・主張や信仰上の説を広めようとする意図はさらさらない。三十有余年にわたって正常と異常と言う二つの心理学を実験、研究してきた成果と、そこから引き出される見解を披露するものである。それが、とかくあいまいである死後の生命と、それが現実の生活に関わっている側面に光を当てることになるからであり、良識ある人ならばきっと、その重大性に気がつかれ、認識されるはずと確信する…C・ウイックランド」。

  また添え書きとして「反駁や論駁を目的としたり、逆に頭から信じて無批判に受け入れる態度、あるいは話のタネになるものを探そうといった態度で読むのではなく、その内容をよく吟味し、思考の種とするために読むべきである
……フランシス・べ−コン」とある。 要するに、純粋な科学の報告書、あるいはレポ−トとして扱かってもいいものである。

  ここには明らかに静電気を体に流し、ショックを与えることにより、医者達がお手上げした精神病患者や難病で苦しんでいる病人達が時間もかけずに回復している様子が生々しく描かれ、語られているのである。まさに歴史上の大作と言えよう。しかも、数千人単位という驚くべき多数である。その中ではその経過や体験等がすべて憑依した霊により正確に語られ、しかも、その後にはそれらについての身元確認、時代確認等が再三再四現地まで足をのばして確認されているのである。まさに、すべては正確な証言で裏打ちされているものである。

このあたりから見ると、現在の処法、すなわち、機械による症状検査と大量の薬の投与等による治療法は果たして有効なものであり、万能なものなのであろうか、しばし、考えさせられることになる

 ウイックランド博士は別に我々の知っているような医学的な治療とは別な方法、すなわち、別次元的な手法をもって数多の患者達を病から救いだしているのである。それは患者の体に静電気を流し、ショックを与えると言う甚だ機械的で、かつ簡単な方法によるものである。それにより、生身の人間には特別には感じられないが、憑依している霊(スピリット)達には激しい衝撃となり、身を焼かれるほどの激しい苦痛を感じ、ほうほうのていで体から逃げ出す、それにより、憑依されて精神的に異常をきたしている者達や慢性病で苦しんでいる病人などは次第に回復して平常になると報告しているのである。

まさに、そこにあるのは現代知では考えられない驚くべき事実であり、我々常人には肝をつぶすばかりの驚くべき真実である。しばし、考えさせられるものである。更に詳しく見てみよう。

その方法とは、すなわち、静電気治療を施す際に博士の妻であるアンナを患者と並ばせて座らせるのである。言い忘れたがアンナは素晴らしい霊媒的な素養があり、静電気を流した際に、患者にとりついていた霊(憑依霊)が余りのショツクの大きさゆえに体から飛び出して思わず妻アンナに乗り移ると言うのであるのである。

その上で問われたことに対しすべてをそのまま語ってくれると言うのである。また、その後はそれらの霊を独特な方法で、行くべき所に連れていき、二度と戻っては来くことはないのである。

その際、住んでいた場所、時代、名前、母親、父親の名前等のすべてを聞いて、それを記録し、その都度その場所に行って確かているのである。その結果、すべては真実であり、その通りであると博士は証言している。一切はまさに語られた通りであり、一言一句も狂いがないとドクタ−は証言し、その仔細等のすべてをこの報告書の中で明らかにしているのである。

これらは、すなわち日本で言う霊の取り継ぎ師、あるいは霊媒者(サニワ)の姿と同じものであり、除霊であり、成仏の仕組みそのものの姿と全く同一なのである……!。余りにもすべてが一致して驚きを禁じ得ないものである。もし、あなたが科学と言う言葉を持っているのなら、このあたりをもう一度、探索して真実を見出すべきであろう。まさに心すべきものであり、このまま放置しておくには余りにも心が痛み、終生のしこりとなってやまないものである。

 まさにすべては確かなことであり、見事な一致である。信用のおけるものと考えるべきであろう。

特に私が注目したのはウイックランド博士が静電気を治療に用いて患者達を時間も置かずに劇的に回復させている驚くべき事実である。何と言うことであろうか、博士が考案した静電気装置で電流を流してショックを与えるたびに体に憑依していたいろいろな憑依霊が飛び出して体から離れて、博士の妻の口を借りてその経過等を語りだすのである。 その時感じたショックの様子はまるで雷の直撃を受けたような感じで、いたたまれなくなった憑依霊は思わず体から飛び出してしまうと言うのである。静電気はなんら人体には害はないが、憑依している霊には耐えきれない衝撃と感じ体から飛び出してしまうと言うのである。しかも、数多の霊達が異口同音に同じことを訴えていることからも真実であることが解るであろう。

その有様を少々本文から抜き出して見ることにしよう。

 
 ●「何だかよくわからないが、私の全神経が叩き出されるような感じである。それはまさに、雷と稲妻に襲われたみたいであり、それはそれはすごい音である。もう真っ平ごめんで、2度とあんな目には会いたくはない」。

●「ああ、頭が痛い、あの火の針はいや、頭が焦げる、痛い、痛い、全身が燃えるような感じだ」。

●「やめてくれ、あれをやられるとまるで体に火をつけられたような感じで気が狂いそうになる」。

●「イタイ、イタイ 俺の頭と背中にひどい稲妻を浴びせやがって……」。

要するに、静電気というものは憑依霊にとっては大変脅威であり恐ろしいものであることを如実に物語っているものである。我々にとっては余り痛くもかゆくもなく殆ど無害なものとしか感じないのであるが……?!。

この事実はまことに人類史上大きな発見であり、本来は現代科学界にとっても画期的な一大ニュースとしてとらえるべきものである。しかし、現実には誰も気にも留めない、せせら笑って蔑視し、ただ知らん顔しているだけである。
 しかし、この事実は常日頃静電気磁場に身を置いている私にとっては天地がひっくり返るばかりの重大な真実証言であり、聞き捨てならない言葉である。まさに動電気磁場利用の確かさ、有用さを物語る一大事を語ってやまないものである。 

また、この事実は今後の静電気の利用如何についてのハッキリした指針と、方向を与えてくれるものである。

これらの詳細を改めて知れば、さもあらんと思えることであり、なるほどとうなずけるものである。要するに2重的な意味での重要にして、かつ絶大な効果があることを証言しているものと言えよう。
 その一つ目は電磁波の害を防ぐこととであり、二つ目は「見えない世界」からわが身を守ると言うことである。
 これらのことがこの本を読んだ瞬間に、私の直感というアンテナにピンと響き、今まで抱いていたすべての謎が解けたのである。要するに、これまで我々は何も知らないし、何も知らされていなかったと言うことである。
 しかし、そのことには一般の学者でも気がついてはいないし、誰も問題にもしようとはしない、何と言うことであろうか…!。

なるほど、静電気というものは我々生命体にとってはまさに「神の光」であり、逆に生命を失った「あの世」の住人でありながら、生命体にとりついたものには耐えがたいショックと感じる「悪魔の光」と言うことである。まさに「神」は素晴らしい仕組みを創り上げていたのである。あなたがた、直感の鋭い方にはよくおわかりであろう、静電気の磁場というものが如何に体や精神を自然的な正常状態を保ち、かつ体を無病息災に置くために必要不可欠なものであるかが……。
 日頃我々の体を制御し、動かしているのはすべて弱い静電気の力によるものである。考える力、心臓や内蔵の働き、神経の作用、どれをとっても静電気の働きによるものであり、その力によるものである。

まさに、これは前代未聞の発見であり、「人類救世の法」とも言うべき驚くべき方法ではないのか……!!。
 しかし、すべてはこれからいろいろと考えを巡らし実証して確かめなければならないのである。それにより何時かは、もっと確実性を持ったものとして諸氏にいろいろと報告できる日が来るはずである。
 すべてはこれから始まり、これから綿密な調査を待って結論を出し、それからが勝負どころとなるのである。

幸い、この地区には大勢の楢崎皐月氏の信奉者がいて、お風呂に静電気を流して持病や農薬による中毒症状を治したり、静電気ベットで不眠状態の人々を安らかな安眠に引き入れ正常な睡眠生活を取り戻している人々が結構多い。
 その数は恐らく数百人は下らないであろう。恐らく、全国では数万人〜数十万人という人々がその恩恵に預かっているはずである。ただその方々は何もその道理は知らない、ただ、静電磁場に身を寄せている限り、病知らずで体が楽になり、安眠が出来ると証言しているのであり、ただただ本能と直感のままに静電気を体に誘導し、用いているだけなのである。
 そこには今のところ、詳細な理屈理論等は何も無く、ただ心のままに動いて、病んでいる体を自らの直感でいたわっているだけの姿があるだけである。

 <憑依とは死んだ者が霊となって人に取り憑いて様々な腑に落ちない現象を起こすことである。強い場合には霊によって心が左右されて人格までも完全に変わってしまい、まるで他人の形相にまでなるそうである。>

 この問題については科学者達は決してタッチしようとはしない、完全無視の状態である。何故なら現代科学的な思考ではどうにもならず、完全にお手上げだからである。これらの真実を前にしてこれ以上片意地を張らずにそろそろ真実を明らかにすることに努め、見捨てられた人々を塗炭の苦しみから救うべきであろうに…!!、それが本来の筋であろうに…!、それが本来の科学の意義というものであろう…!!。まずは科学者達がそれらの事実の存在を明らかにし、警告を出すべきであろう。それにより医学もその方向に向かうべくシフトを変えていくのは間違いのないことである。

そう言えば、ある大学の先生が書いた恐るべき実態記がある。彼も在職中には書くことは出来なく、定年になってやっと書くことができたそうである。その内容などはこのウイックランド博士の報告記などはまだ生ぬるいものであり、驚くべき報告と実態記の数々が書かれていることを報告しておきたい。

また、精神病医の書いた本に「精神病はおばけの仕業」と記しているものもある。確かに霊の仕業はお化けの仕業と言ってもいいものであろう。最近では有識者達がこの方面に目を向け始まっていることを報告したい。

とにかく、本気で取り上げるなら、日本においては題材には欠かない。なんせ、事実は無数に存在し、枚挙にはいとまがないくらいである。 ただ、誰も面子にとらわれて無視しょうとしているだけである。心ではさもありなんと思いながらである。
 調べて見て驚いた、まさに証例等はざらにあり、驚くべき数の実例が限りなく存在しているのである。ただ医者達にはどうにもならないので無視、あるいは放りっぱなし、または拘束して人知れず山の中の病院に閉じ込めて監禁状態に置いているだけである。


 今までは確かに、科学では手がつけられず、放りっぱなしではあった、しかし、ここで静電気という「神の道具」があると言うことに今や我々は気がついたのである。今後は是非とも科学的な見地から強力なアプロ−チを試みることが必要であり、それを為し得て初めて人類は進化の糸口を掴め、将来に希望が持てることになるのである。  そうなれば、もはや今までのように学者達が逃げる、無視すると言う態度を見せることは世間が許さないであろう。気が付いたら早速に実験検証を行い、事実関係を明らかにすべきである。最初は戸惑う。ことではあろうが…それが学者魂と言うものである。

   一つ科学的なヒントとなるものを差し上げようではないか…!。

ヒントは静電気には紫外線、X線、ガンマ線などが含まれていることが最近の科学では解って来ている。また、それは霊能者の手、あるいはヒ−ラ−の体から出るハンズ・ライト,通称日本では「ヒカリ」と呼ばれる手の先から出る人体電気の一種と効用内容が一致するということである。まさに、この二つは言葉こそは異なるが、実際的なフォ−ス(エネルギー形態)はまったく同じものと見てもいいであろう。

また、気功の達人の指先から出る目に見えない力も恐らく同じものと考えられる。ただ用いる人により呼び名が変わるだけと言うことである。しかし、そのことにはまだ誰も気がついてはいない、恐らく、私が最初であろう。

これらの由々しき証拠例、まさに驚きを禁じ得ない事例を私は2,3ヶ以上持っている。それらを今後出来る限り提示してすべてを明らかにしていくつもりである。まさに、それらは驚天動地の内容であり、他には決してない奇妙な報告の数々であるとだけは言っておこう。あなた方もそれらを一読した後でぜひ熟慮の上自らの持論を構築して結論を出してもらいたい。この私の経験した事例は今の私にさえもとも信じられないものとしか言いようがないものである。一体、それは……?!!。

どうも何かがありそうである、そこは現代科学では踏み入ることの出来ない別世界であり、ゆえに遠ざけられて進入禁止とされ、立ち入ると村八分にされるような存在である。しかし、今はもうそんなことを言っててはいられないのである。
なぜなら、今でもそれはしかと存在し、知らず知らずに我々はそれと深い相関関係にあり、その影響下にあるからである。

恐らく賢明な学者諸氏はこれらの事実を知っているはずである、しかし、すべがない、手の打ちようがない、だから、口にも出せない、行動も起こせないということであろう。すなわち、村八分になることが怖いのであろう。 違うかな……?!。

 一人でも多くの学者や知識人がここにある報告に目を留めて事実確認に走り、しかるべき方法を見出してくれることをお願いしたい。数十年前ならいざ知らず今のようにエレクトロ二クス的な技術や検査網が発達している現在なら十分に対応可能なはずである。
 もし、それがあなたであれば、あなたは世紀の巨人、人類の救世主と呼ばれることは間違いないであろう。さあ、さあ、挑戦あるのみである……!!!!!。

 * 静電気とは… (宇宙を設計製造した自然創造の神様が作ったものであり、一切はあまりよく分からない、ただ、その中には紫外線、X戦、ガンマ線等のいろいろな不可視光線等が多数含まれていると科学者は発表している)。

見える光も、見えない光もすべて電磁波なのである。虹も見えない光が可視化されたものである。それと同じように人間の体から発生するオ−ラと呼ばれるものも光の虹と同じ色合いを持っているものであり、静電磁波の一種と考えられる。



  
「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版No5
           
             ≪A true fact that nobody know in the world !!≫
     電磁波編()                       
                (すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                                 
平成24年5月  謹上    

 先月のNo4において、電磁場と言う科学最新用語と共に憑依霊とか、除霊。成仏とかの科学では馴染みのない言葉を使っていろいろと説明を企てたのであるが、如何にせん、科学優先の今の世の中では笑われるか、あるいは無視されるのがおちであろう。しかし、事実は事実として厳として存在しているのである。すべては科学の対象外の分野だから誰も語ろうとはせず、無視しているだけなのである。

今回はそれに対し科学の言葉で対抗してみよう。科学的と言う言葉にあなた達が満足するなら……。

 もし、あなた方がこれらの事実を信じて何らかの科学的な手法をもって再検証を行うならば、事実は一気に明確化するであろう、これは簡単な機器とある程度の知識、それに熱意さえあれば誰でも検証が出来るものと考えている。ただし、最後までしっかり読んだ上で綿密な手法を用いて行なうことが出来ればであるが…。

 さあ、これから、記憶を一つ、一つ確かめながら掘り起こし話しを進めていくことにする。すべては実話であり、誇張や虚偽等は一切ないことをあらかじめ申し上げたい、すべてはありのまま、起こったことをそのまま記すつもりである。それらすべては現実に起こったことであり、証人もしっかりいるものである。

 これらの事例は一般常識からすればあり得ないことであり、信じがたい現象でもある。現代の科学的な考えからは余りにもかけ離れ類比思考することも甚だ難しい限りでもあろう。恐らく、科学者たちはあり得ない法螺話として一笑に付すだけであり、顧みることさえもしないであろう。

 しかし、笑われてもいい、蔑まれてもいい、私は滔々とそのまま、ありのままを申し上げていくだけである。せめて、100人に一人でもいい、1000人に一人でもいい、誰かのインスピレションと少しでも交わることがあれば本望であり、満足至極と心得てここに記しておくのである。それでも同調する者がいない場合には世界の場に持ち出してもいい。それでも駄目の場合にはこれらの事実を記して未来の科学者達に託すつもりである。事はそれほど重要な証言であり、人類の科学にとってはまさに急眉の問題と言ってもいいものである。

 

今から、18年まえである、私とT氏はある電子機器のテストのためにある機器の出力を調べ、それをメモしている最中であった。その時、T氏は傍らの機器、作動中のオシログラフの波形を写真に収めたのである。位置を少し変えながらたぶん10枚くらい連続してとったと思われる。

 そのオシログラフの機器には赤いパイロットランプが1ヶ点灯し、作動中であることを示していた。

 さて、2、3日後、現像されてきた写真を見て驚いた、そこには何も写ってはいないのである、あるのはただくっきりした赤い点とそれを結ぶ細い赤い線があるだけである。その赤い点は上下に昇り降りしながら左から右へ、上から下へと少しづつ移動しながら画面に入っている感じで、その光跡が赤い細い線となって写っていたのである。おそらく、一枚の中に明瞭な赤い点は7、8ヶ点在し、それらにはすべて光跡として赤い細い線で結ばれていたのである。それはまるで五線譜の上を上下に移動しているオタマジャクシ?のような形で赤いパイロットランプが自在に空中を踊っていたのである。ただそれだけがくっきりと写っているだけであり、背景には部屋のドア−とか羽目板、それに机や本があるはずであるが、一切それらのものは無く、背景全体はぼんやりとした薄いグレイな色が広がっていただけである。

 多分、シャッタ−速度は1秒の何分の1であろう、その間にオシログラフの機器はそう、高さは約2メ−トル当たりのあたりを上から下へ、下から上へと、そして左から右へと何度も上下を繰り返して(約落差1メ−トル)空中を移動しながら左から右へと動いて、かつ元の場所に戻っていたと言う驚くべき現象を伴った証拠写真である。

 それはまさに同調共鳴状態の中で極めて短時間に機器が何回も空中移動を繰り返したと言うことか、しっかりと見れば、その赤い点の後ろにはかすかな形でグレイな影、すなわち、赤いパイロットランプの本体機器のうすい影が何とか写っているのが見えたのである。それは、気をつけて見ない限り解らないような薄さで写っていたことを覚えてはいる。それも1枚や2枚ではなく、赤い点の位置は異なるがすべてが同じ状態で写ったものであった。

今も、覚えているのはその写真を見ていると不思議にも心が浮き浮きして非常に楽しくなるような感じがしたのである。まるでそれは心地よい音楽を聴いているようなはつらつとしながら、うっとりとする感じであった。

そう感じたのは私だけではない、そこにいた全員が同じように感じ、同じような言葉を発していたのである。「何だろう、この写真は…!、不思議な感じの写真だ…!。面白く心地よく、浮き浮きするような感じだ…!、と皆で言い合ったことははっきり覚えている。要するに、それほど奇妙な写真であり、人の心をひきつける不可思議な写真であったのである。

 よく考えて見ると、その時の状態、なぜ写真に収めようとしたかについてはその時一つのハプニングが起きたことを説明しなければならない。その時どう言う訳か、使用していたオシログラフの光跡が突然光芒を放ちはじめ目にはまばゆく感じたのである。その光は大体今思い起こすと通常の2倍から3倍くらいの明るさであったと思う。そこにいた全員が何だろう、面白い現象であると言いあって騒いでいたのを覚えている。その時、T氏はカメラを持ち出してすかさずそれを写真に収めたのである。

恐らく、そのまばゆい光に満ちた時とは機械本体の波動とオシログラフの波動ヘルツがピタリと一致した状態であったと思われる。要するに、二つが完全な共鳴状態になり、振巾が一致して未知の現象が現われたと言うことであろう。共鳴、 それは離れた物質間はおろか、遠く離れた心にも作用現象として起こっているものであり、未だ科学知ではタッチすることも叶わないものである。共鳴現象が起こった場合、その二つの相乗効果によりより高いエネルギ−の発生が得られると言われている。

 それらの現像写真は全部私が預かり、しばらく保管して置いたのであるが、ある日突然T氏が一人の老紳士を連れて来てそれらの写真を見せたのである、しばし、しげしげと見ていたのであるがその紳士はどうしてもその写真を欲しいと言いだして全部を持ち去った。その紳士は日本でも有名な計測器専門会社の元社長だったことは後から聞いた。まあ、今になって思えば、1枚や2枚くらい手元に残して置くべきであったと後悔しているのであるが、とにかく言われるままにすべてを渡してしまったのである。

 それから少々時は流れ、ある時、有名な霊能者であるS師と知り合った、S氏は有名な元総理大臣のブレインの一人として月に何回か招かれて私邸に行っていた御仁である。その度に大臣の署名入りの色紙や書を持ち帰って来てまわりの人々にプレゼントとして渡していたのは何回か目にしている。

 そのS氏は時に応じていろいろな不思議な写真を持ってきて我々に見せていた、その中の何枚かに我々が上記実験の際に取った不思議な写真によく似ていたものがあった。それは祈りを込めて読経しているS師を背後からとった写真で、前に置かれた2本のろうそくの炎が極端に長く伸び、しかもあたり一面に不思議な光が現われている不可思議な写真であった。しかも背景はすべて薄いグレイと化しただ坐したS師の輪郭だけがぼんやりと浮き出ていたのである。

すべては全く同じような状態を見せているものである、一方は静電場の同調共鳴状態におけるものであり、もう一方は念力か読経の声のバイブレ―ションがもたらした共鳴による不可思議な映像写真と言うことである。

とにかく、すべてはまだ人間には理解不可能な同調振動により生じた共鳴現象の業なのである。

 その後ある時、書店である本を手に取り、パラパラとめくった、それはある霊能者の著書であり、その巻頭にはいろいろな神霊写真と称するものが掲載されていた。驚くことにそこにも何枚か同じような写真があった。やはり、そこには現代科学が夢にも思わない大いなる事実が潜んでいるようである。

これらは余りにも容易ならざるものであり、恐るべき真実の含まれているものである。少しでも誰かが先鞭をつけ、少しでも注意を喚起しない限り、ただ忘れ去られ調査されることもないであろう。

 これらの写真はとても常識では考えられない不思議な性質、どうあっても再現不能なものであるがゆえに世間では心霊写真として紹介されている。要するに、現代の科学知をもっては説明できない、再現しょうと思っても出来ないのでそのような名前をつけられているものである。

まあ、いずれかは科学のメスが入り事実関係がはっきりすることになるであろうが…。

ただ、私は言いたい…!、未知の静電磁場の共鳴現象が起こした純粋な科学現象なのであるが、ただ、人間サイドには今のところ、静電気に関する深い調査研究は何もなく、すべてが未知数の分野となっているのである。
 本来静電気は最も重要な自然界の本質エネルギ−であり、神のエネルギ−と呼ばれているものである。しかし、科学はそれさえも知らず、だれも踏み込もうとする者もいない。

現時点では静電気、および静電磁場は人間とっては何ら役にはたたないものであり、利益を生むものではないと言う常識がまかり通っている、それだから誰も手をつけようとはしない。第一、静電気のことをろくに知らない、殆ど専門研究資料がないと言う始末である。だから静電磁場現象が起きても、解らない、不明であるとしか言いようのないのである。しかし、本当の人間的な意識の向上を図るためには静電磁場現象をしっかり解明し、その答えを少しでも人間サイドにリターンして役立てることが必要不可欠なものである。これだけはどうしても言っておきたい…!!。

果たしてこれらの不可解な現象は何を囁いているものなのであろうか。すべては現代知では考えられないものであり、どうあがいても合理的な説明などは出来そうにもないものである。科学者たちは合理的な説明がつかないから今までそんなものはない、嘘であるとか、合成写真であると否定に走り、無視を決め込み問題にはしなかったのである。その度に事実と科学の間には大きな溝が出来、ますます科学は自然の真実から離れあらぬ方向へと向かっていったのである。

私の言いたい…、人間の目、すなわち視覚とはいい加減のものであり、ある一定以上の動き、すなわち、ある規準以上の高速移動に対しては完全な盲目状態にあると言うことである。しかし、写真機は高速であるゆえにそこに存在したものをしっかり捉え写し出す、それはまぎれもない事実である。

要するに、知覚範囲外の高速で移動をしているものは人間の網膜には写らない、したがって見えない、だから信じないと言うことであり、一時代前の考えから全然脱却していないものである。確かに人間の目よりも機械の目の方が確かであり、正確である。決して存在しなかったものを写しているわけではない。そのことを知らないいい加減な科学者はそんなものがあるはずがない、完全に科学常識を逸脱しているとのたまい、否定、あるいは無視を決め込んでいるのである。要するに、時代的な脱落者であり、旧態依然の考えの持ち主と言ってもいいであろう。

それは聴覚についても同じである、音とは空気の振動波である。自然界の音は1ヘルツから数百万ヘルツまでの音域が存在するが、一般的に人間の可聴域は20ヘルツから2万ヘルツくらいである。それ以上の超音波に対しては完全に認識不能であり、対処不能と言うことである。

要するに、視覚や聴覚、すなわち人間の認識可能な感覚と言うものは自然の持つ波動のほんの一部分だけであり、その大部分は感知不能なものである。それを知らぬ学者達は知覚不能な現象である電磁場的現象や共鳴現象に遭遇した場合、嘘だ、あり得ない等の言葉を連発して無視してしまうのである。
 そもそも、我々の視覚の範囲とは可視光線の領域のみであり、全体的から見れば恐らく数%と言うところであろう。我々はそのほんの限られた世界だけを見て毎日暮らし、人生を送りながら泣いたり、笑ったり、世迷言を並べたりして一生を終えているのである。

同じような人間的限界にあるようなものを見出して並べてみよう、人間の脳の約3%が解放されている部分、すなわち、使用されている域であり、またDNAもまた3%だけが解読され後は解読不能である、聴覚音域も多分3%くらいが視聴可能な域であろう。すると類比的に考えると、電磁波界も3%くらいが人間に解放されていると考えるのが妥当であろう…?。要するに、残りの97%は認識不能と言うことであり、我々の手の届かない領域に存在しているのである。何と、我々はまだ自然の存在に比べるとまだまだ揺籃期的な存在であると言うことである。

我々は電磁波界のたった3%くらいを享受し、それを「光」と呼んで最高の自然の恵みとして崇めているのである。そうすると、我々の祖達もその有難い存在を十分に知って太陽を偉大な神と崇め、「天照大神」とまで名付けて毎日拝遥し、手を合わせていたということもうなづけることである。確かに、太陽の光は生けとし生けるものの生化育成の根源のエネルギ−体であり、永久不変なエネルギ−とも言うべき有難い存在である。感謝をこめて拝むのは当然であり、少しの間違いもないと言うべきものである。

それはどの現代科学の目で見ても確かな事実であり、誰も否定することなどは出来ないものである。

要するに、見方の違いであろう。確かに西洋知にとっては聖書の中にもある言葉通り、自然とは征服するものであり、従属させてしかるべきものと考えて来たのは御存じであろう。しかし、日本では逆に昔より自然に従い、自然を敬って生きて来ているのである。まさに数千年の間、民族全体が自然をいただいて共存共歩の形で今日まできているのである。お天道様の「光」を神と讃えて神棚に祭り、有難い名前を付けて朝夕拝む行為、それは西洋知からみれば、まさに噴飯ものかも知れない、しかし、同じ観点から見ると西洋式の偶像崇拝も御同様であり、何も変わらないものである。まさに、目くそ、鼻くそ笑うの例えを図で行くものである。

いや、お天道様を拝する行為、その方が見事な科学的真実を語っているものであり、自然を崇めている最高の礼儀作法と言えるものである。このような知的で律儀な民族と言うものはめったにはいない、まさに、自然との共生を掲げている見事な日本式エコロジ−精神の原点と言ってもいいであろう。 

自然を崇め讃える風習、いや宗教でも構わない、すなわちこのような自然的な行事を世界中が見習えば宗教的な争い等はまったく無くなり、穏やかに相集まって何事も丸く納まるはずである。

今の世の中を見るがよい、何と、宗教間の争い、戦争が多いことか、すべては宗教をめぐって起こっていると言ってもいいくらいである。そのすべては人間を最高神に置いて、礼拝の対称としているものばかりであり、欲のむき出しそのものの争いである。その点、日本民族の礼拝対称としている「お天道様」は仏陀や、キリストなどの人格神を奉るよりもよほど高尚で、尊い所作と言ってもいいものであり、誰にも後ろ指等は指されることなどはない。また、欲に左右されることもない。あれそう言えば、聖書の最初の文句も「光あれ…」ではなかったのか…?!。

 

天道様を拝む、誰に遠慮がいるものか…!!。

何を躊躇し、何を恥じているのか、しっかりせんか…!!!。


  
ホイ、何時の間にか脱線してしまった、話を元にもどそう…。

 電磁波は御覧の通り長い波長から短い波長にかけて呼び名が変わる。


ラジオ波→マイクロ波→テラヘルツ波→赤外線→可視光線→紫外線→X線→ガンマ線
              <おそらく、この後にも不可知な電磁波続いているはずである>。

これらが電磁波の内容であり、我々が知覚出来るのはその中のほんの一部の可視光線だけなのである。するとその殆どは未知領域のものであり、人間の知覚ではまったく感知不能なものと言うことである。

要するに、現在の科学知ではあるべきものの3%内外くらいしか知ることが出来ないと言う事実を知ってもらいたいのである。だから、不可知な現象は山ほどあり、それらを追及することにより科学は新しい分野に突入できるのであり、まさにチヤンスと捉えるべきなのである。それにしては科学者はだらしがない、ただ否定するばかりである。
 科学者達よ奢るなかれ、そんなことはあり得ない、科学常識に反している等とばかり、否定や無視は己の無能、無知を世間にさらすだけであり、まことに愚かな行為と言わなければならない。

静電磁場帯、そこはまだ誰も足を踏み入れたことのない完全な処女地と言ってもいいものなのである。これらの不可解な現象、超能力、霊的現象、神の業、すべては静電磁場帯に立ち入ることにとよりその正体 が明らかになるのであり、不可解な謎はすべて解き明かされることになるはずである。

人間知、それは自然知から見るとまだまだ取るに足らないものであり、この先にある本筋に達しない限り、威張ることなどは到底叶わないものである。まさに、人間よ奢れるなかれである。

そのためにも、次回から私の経験した史上まれにみる不可思議な電磁波体験談を披露して、諸氏と共に考えを巡らして見たいと思う。すべては真実であり、同伴者と共に経験したことである。

                                                                    以上


「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No6
      ≪A true fact that nobody know in the world !!≫       電磁波編(5)                       
             (すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                                 
平成24年6月  謹上 


 さて、今回からは何回かにわたって私個人の経験談を掲げることにする。まず、最初に申し上げて置きたいのはすべては実話であり、私の目の前で起こったことである、決して私個人の見間違いとか、白昼夢などではない、それに関しては証人もしっかりいることを付け加えておく。

ただ言えるのはこれらは特殊な状況下で起こった奇妙な出来事、すなわち、すべては静電気が関係するものであり、静電磁波界と言う余り知られてはいない環境内で起こった不可思議な現象なのである。

  私の持っている静電気発生器と言うのは動電気を第一次コイルに通し、それを絶縁している第二次誘電コイルで静電気を発生させると言う甚だ簡単な構造をもつものである。ただし、そこには特殊な波形を発生させる装置があって我々の人体の波動と共鳴させているのではないかと推察されるものである。その器具を作り上げたのがかの有名な楢崎皐月氏であり、氏の著書(静電三法)にある「人体波健康法」と大いに関係があると思われる。

 とにかく、静電気に関する特殊な文献は現在、殆ど無いも同然であり、あるものと言えば一般的なもの、常識的な事柄ばかりが書かれているものばかりである。要するに、静電気に関しては今まであまり研究がなされていなかったと言うことである。そもそも静電気は「神」の持ち物であり、現代文明には余り利益をもたらさないものと考えられていた。それで今までだれも手をつけようとはしなかったのである。

 現代文明を維持しているものは電気であり、人間が作り上げた「動電気」と言うエネルギ−である。一方、静電気は「神」の創り上げた自然の中に存在し、自然を作り上げている大いなる「神」のエネルギ−とも言うべきものである。その力の大きさと言えば静電気の方がケタ違いに大きく、確かに、身近にあるが今のところ、人類の科学ではとても歯が立たないものである。

 宇宙船に乗って宇宙空間から見ると地球上には絶え間なく静電気の雷柱が立ち、地球全体を浄化して常に一定の状態に置いていることがよくわかる。また、地上に向かって走る雷光と同時に雲の上に向かってもすさましい雷光が走り、驚くべき電子の束を放出しているのが見える。これを称して科学者たちはスプライトと呼んでいる。
 恐らく、これは宇宙から降り注ぐ、一日何万個という隕石により激しく損傷している大気を修復する役目を果たしているのだろうと科学者たちは言う。

 一つ地上を見て見よう、地上にプラスイオンが充満し、あまりのひどさに生命ある動植物が悲鳴を上げれば、即、雷鳴が轟き、雨と共にマイナスイオンのシャワ−が降り注ぎ、すべてを中和してもとの状態に戻し正常化してくれる。まさに、これは(+)+(−)=0の数式である。それにより、我々人間はマイナス・イオンたっぷりの空気を吸い、心も体もリフレッシユして一息をつき、植物は勢いを盛り返してたわわな緑をしたたらせるのである。 また、落雷の度に川のシジミは大繁殖し、ホタルの幼虫は大きく育つと言われている。まさに、大量のマイナス・イオンを与えて水を活性化させることにより生命誕生に大きく寄与しているのである。

また、雷様(カミナリサマ)は空中の窒素を固定させて植物に栄養として与え、酸素を大量に吐き出させる役目も果たしている。しかし、誰もその恩恵を知らず、感謝もしない。ただ、雷鳴に眉をひそめるだけである。まさに鬼っ子であり、嫌われものではあるが、しかし、もし放電現象(雷)が無くなったら、人類や動物は生きてはいけないのである。なぜならば、オゾンの発生が減って、オゾン層もなくなって地球は死の星になってしまう可能性があるからである。そのあたりも考えると我々の生活環境を常に一定に保ってくれる静電気は大変有難い存在と考えなければならない。

確かに、今は昔と違って雷雨の発生は極端に少ない、昔は夏になると毎日のように雷が轟き、夕立と呼ぶ突然のシャワ−が降り注いだものである。今では夕立と言う言葉も聞かない、やはり、自然は死につつあるのか…?!。

 
 我々の体を見るがよい、常に静電気のネットワ−クが体全体を覆い、一定の状態にあるかどうかを常に監視している。それが要するに、「神」の目であり、妙なる体の有難い仕組みなのである。
 すなわち、それぞれの役割を持つ各部署の細胞波動は常に静電気による一定の監視下にあり、常に静電気と言う「神のエネルギ−」のネットワ−クによって波動チエックをされているのである。
 どこかの波動が少しでも狂うとすぐに異常が伝達され、修復のための活動の準備を始める。と同時に、脳は全体の細胞に対して警告を発しそのすべての活動を抑えてエネルギ−を修復に回そうとするのである。それが気分が悪い、休みたいと言う体の不具合の状態なのである。

 どうであろうか、我々の住む地球、それと我々の体はどことなく作用が似ているではないか。

何故なら両者共に「神の力(静電気)」により監視され、保護されている状態だからである。

それを知った者達は地球を「ガイア体」と名づけ、一個の生命体として扱おうとしているのである。それが地球はガイア体と言う最近の面白い学説である。私もまた同意見を持つ一人である。

 まさに人知を超えた素晴らしい業、それが静電気であり、「神」の手の業とも言うべきものである。今のところ、到底我々には及びもつかない偉大なる神の力が働いているものとして感謝の意を表すだけである。
 恐らく、昔から雷様(カミナリサマ)と敬語をつけて敬い、かつ恐れていたのは日本人だけであろう、その理由はまさに上記のとおりであり、あなたもうなずけることであろう。私なども「カミナリ」などと言うものなら、即、祖母に叱られたものである。

さて、私の体験した世にも驚くような事実を披露する時が来たようである。改めて言って置きたい、この事実を述べるにあたって一切の虚偽や偽りは無いことを「神」に誓って置きたい。

ただ、ありのままをその通りに述べるだけである。今更、人の心を撹乱して面白がるような年でもない、また、世の中に反抗してありもしない事実をでっち上げて世を騒がすような若さもない。ただ事実をそのまま、あるがままに述べて将来の人類の科学に少しでも寄与が出来ればと考えているだけであり、事実そのままを淡々と記し、粛々ととどめ置くだけである。

 
   
誰も知らない不思議な話

今から3〜4年前である、私の支持者である名古屋在住のある会社の社長T氏が来宅中に起こった出来事である。当時T氏は出版社をはじめ3、4ヶの会社を経営されていて、その関係で私のおぼつかない原稿等の校正及び編集を引き受けていただいていたのである。当時私の家には極楽電子風呂と称する特別な私専用の個人風呂があって、私はいつもそれに浸って毎日の疲れを癒すのが常であった。その日はちょうど名古屋からT氏が来宅されて、疲れているので電子風呂を所望したいと言うので、私はいそいそと風呂支度に立ち上がったのである。

その時の風呂は4日くらい前にある病人のために仕立てたものであり、その病人は二日間にわたって計4〜5回くらい連続して入っていたのであるが、水を抜かずそのまま放置していたものである。その風呂は電気絶縁されているので熱の保温力が抜群であり、24時間置いて3〜4度温度が下がるだけなので少々熱いお湯を継ぎ足すだけですぐに40度くらいに適温に戻るのである。要するにお湯は殆ど変えないで済むのである。

なぜ、そうするのかと言えば、水道水のお風呂に電子チヤジャ−という器具から放出された静電子をこの完全絶縁状態にある風呂に入れておくと約7〜8時間で水分子の鎖が切れて水のクラスタ−が小さくなるのであり、それが体によく吸収され新陳代謝がよくなって老廃物やガス等が沢山出ることになり体がリフレッシュするからである。ただ、その老廃物は12〜24時間くらい静電気(電子)) の放出下に置かなければ固形化せず、したがって見ることはできない。要するに、入った後の数時間はその老廃物の姿は全く見えないと言うことである。ただ、目のいい人は入浴中でも非常に細い綿毛状のものが細胞間から出てくるのが見えたり、肌から泡が出るのが見えるとは言はれている。

さあ、風呂場に入り、風呂の蓋を勢いよく開けた時、その下には水は無かった、そこにあったのは何と風呂全体に重なり合うようにして浮かぶ奇妙な一見、氷のような物体、いや、氷よりも柔らかな光を持つ見た事のない奇妙な物体であった。それが風呂の中で押しくら饅頭で一杯になっていたのである。しかも、その匂いときたら、まるで息が出来ないくらいの強烈なものであり、瞬間鼻が曲がりそうであった。たじろいで、一、二歩下がり、T氏を呼んで一緒に見てもらったのである。

何時まで見ていることも出来ないので思い切って風呂の中に手を入れて詮を抜いて水を放出し始めた、その時感じたのは、ちょうどクラゲか、それともゼリ−の中に手を突っ込んだ感じかなと瞬間に思ったのである。そう、冷たくはなく、どちらかと言えば生暖かい感じであり、何の抵抗もなく手はスルリと入り、突き抜けた感じであったのである。ただその時、匂いのために呼吸困難になり、大量の涙とくしゃみが次から次へと出て止まらなかったことはしっかり覚えてはいる。

次の瞬間、そのゼリ−状の物体はズルズルと排出され始め、全体が連続して排水穴からどっと出ていき、残ったのは水だけであった。ここで不思議なのはそのゼリ−状の物体は風呂一杯に広がって水の上に浮いていた状態にあったことである。要するに水より軽い物体であると言うことである。
 本来ならば、水が下にあるので水が当然最初に排出されなければならない、しかし、そうではなかった。今考えると辻褄が合わないことである。なぜ、水の上部に浮かぶ水より軽い物体が最初に排水穴から吸い込まれるように姿を消したのか…、それは今でも私にとっては大きな謎である。

それから、そのゼリ−状の半固体は別にどこからか迷い込んだものではない、すなわち、生命を持つものなどではないということである。当然人間の体から出て来たものであると断言が出来るものである。すると、人間の体から出ると言われている半物質状のエクトプラズムが静電気により固定化され物質状になったものなのであろうか…?。私には未だに見当がつかないし、皆目解らないものである。

 ただし、その病人はそれ以降奇跡的な回復を遂げて今は殆ど健康体にもどっていて常人とあまり変わりはない。

エクトプラズム、それは今から100年前あたりからいろいろな写真に写されている「あの世の物質」と言われているものである。公式な見解では「エクトプラズムは人間の体孔から出る流動性の物質であり、霊の姿を物質化、視覚化する際に出るものと言われている。それは唾液や爪や髪の毛に似た成分であり、誰でも持っている物ではあるが、ある程度の霊能力を持っている者だけが体外に出すことが出来る」と言われているものである。多くの写真がいろいろな形で存在するが、正体は未だに不明である。
 いろいろな写真を見てみると、なるほど不思議一杯のものばかりである。中にはエクトプラズムの中から多数の死んだ人たちの顔が覗いているような写真もある。人間の格好したエクトプラズムもある。

ただし、今の科学者たちは見向きもしないし、調査しようともしない。ただ無視するだけである。要するに、どうもがいても今の段階では歯が立たないことを彼らは知っているからであろう。

さあ、これで私の経験した事実の語りは以上であり、すべては静電磁場下における奇妙な現象である。出来れば、どなたかの熱いご意見を伺いたいと思う、これはどうあっても私個人の知識では判断が不能であり、このままでは何時までも引きずっていかなければならないのである。


 「霊」と「静電磁波」共に大変身近にあるが、誰も知らないものであり、誰も答をもたないものである。要するに、大いなる関心があっても誰も近づこうとはしないものと言うことである。
 
 これら二つの間には非常にクロスした密接な関係がある事実は「ちょっと号外版・bS」のアメリカのウイックランド博士の治療データーあたりからも十分に解るはずである。また、現在病院にいくと様々な素晴らしい高価な機械が多数見受けられるが、そのほとんどは体の発する静電気の波動や状態を計り、病気の有無、あるいは病気の程度を見ると言う補助的なものである。それはすなわち、我々人間の体を管理し、作り上げているものは静電気であり、静電気がすべてを司っていると言うことである。けっしてそれらの機械が病気を治したり、病気の処理等などの直接的な働きは出来ないことを知らなければならない。

要するに、体の静電磁場帯にじかに静電気でタッチして会話しながら直さない限り、体の不調(病気)を完全に克服し、元の健康体に戻すことなどは到底無理と言うことである。まあ、これから追々そうなるではあろうが…!!。

静電気、それはまさに「神の力」を持つものであり、今のところ、科学などで追縦出来るようなものではない。まだまだ力不足であり、体験不足でもある。しかし、考えようによってはここに新しい攻略すべきタ−ゲットが出現したと考えてはどうであろうか…、今までの私のもろもろの話はそのための準備指針、方向を示す羅針盤と考えてもらいたい。現在、世の中は進む方向さえ解らないまま慌てふためいているような状態である。

誰かが指針を与え、方向を示しさえすれば時間はかかるであろうが何時かはゴ−ルがみえてくるはずである。何せ、相手は現代科学を遥かに凌ぐ「見えない世界」の領分の学であり、「神」の区域である、考え方、現われ方や接し方、あるいは会話言葉などの点ですべては異なるものと考えるべきであり、そちらに主導権を任せる方がベタ−であろう。

 何時までも科学を盾に人知をふるっても問題解決しょうとしても無理なことは無理なのである。時には人知などは何の役にも立たないことを知るべきであり、人の力の弱さ、虚しさを知るべきである。

そろそろ「神」の存在を認め、改めてその力を讃え上げてもいい時期でもあろう。

ただ放置して置くだけでは決して問題解決には至らず、思い切って飛び込んで見るのも、これ、早期解決に結びつく妙案であり、「神」の知遇を受ける発端となることになるかも知れない。何せ、デカルトが「神の棚上げ」を決め込んで「神」を排除し始めてから最早400年以上になるのであり、そろそろ「神」と和解の道を模索すべき時期が来ているようにも思われるのであるが…!!。いかがかな…!!。

 どうも最先端の科学者たちはすでに「神」を認めているようである。

もっとも彼等は宗教の「神」という言葉に反発を感じているのか、「神」とは呼ばずに「宇宙の大いなる意識」、「宇宙の知性」、「グレイト・サムシング」、「大いなる存在」と呼んで讃え始めているようである。今までは「神の業」は手には負えない、だから「考えるな…!」と釘をさしておいたのが科学界であるが、ここにきて、「解らないから、神のせいにしょう」と考えはじめているのである。

「何かせこい」、「どこかおかしい」と考えるのは私だけであろうか…!!?。    …以上。

 

 

「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No7
          ≪A true fact that nobody know in the world !!≫     電磁波編()                       
                  (すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                      
             成24年7月  謹上 

 

今回も 私の経験した不可思議な話を申し上げるつもりである、これらの不思議な事実は現代の科学的な知識ではどうあがいても解き明かすことは不可能なものと言ってもいいものである。

 やはりこれも静電磁場に関してのことであり、自然のもつ不可解なフォースにまつわる現象の類の一つである。

静電気、それは宇宙自然にあまねく存在する自然の運動エネルギ−の最たるものであり、一般的には「神の力」、「神のエネルギ−」と言われてものである。それはなぜか人間の手には余るものである。

 「静電気」と「静電磁場」、この二つは何となく同じような感じがするのであるが、実はまったく異なるものである。なぜならば、この二つは同一体でありながら内容はまったく別なもの、すなわち、「陰」と「陽」と言う異なった顔をもっているからである。
 この「陰」と「陽」の関係とは同一体でありながら、内容は90度異なるものなのである。それは縦に対する横の関係であり、明に対する暗、下り運動に対する上り運動のようにである。例えて見てよく解るのは我々の体であろう、そこにある「陽」とは表面から見える部分であり、「陰」とは体の中の部分、すなわち、じかに表から見ることの出来ない内部の部分である。同じ人間の体であり、同じ細胞でありながら表と裏の見かけはまったく見かけも内容もまったく違う様相を持っているものである。

要するに、同じ位置、同一空間を占めながら持つ顔はまったく異なっていると言うことである。確かに同じものでありながら異なるものであり、異なるものでありながら同じものである。

 また、そのあたりから推して考えると「物質」と「意識」の違いであり、「この世」と「あの世」の違いでもある。要するに、物質は意識にタッチできない、同じように、「この世」は「あの世」にタッチすることは出来ないと言うことである。それが「陰」と「陽」の宿命と言うものである。
 確かに、「この世」と「あの世」は同じ場で、かつ同一位置を占めている存在であるが、しかし、顔(本質、基本構造)はまったく異なっているので相互の干渉は一切不能と言うものである。要するに、「静電気」と「静電磁場」も常に伴い合うと言う性質下にあるのであるが、まったくその二つは別世界の顔を持っていて、同一性でありながら相互間の干渉は無いものと思われる。

如何にせん、人類は「静電気」の世界に関しては完全に無知であり、「静電磁場」の世界については更に何も解ってはいないと言うのが実情である。恐らく、更なる半世紀以上を経ない限り、静電気の有効利用は無理であろう。なんせ、静電気は自然全般にわたる基本的なエネルギーであり、それが解明されない限り、大自然の仕組みや生命の不可思議な謎などは解き明かすことは出来ないのである。

 

       誰も知らない不思議な話

 またもや得体の知れない話であるとお叱りを受けるかもしれない、しかし、すべては事実であり、事実そのままをここに記したものである。それに関しては今でも私は鬱々として心が晴れることはない。
 なぜならば、すべてはあり得ないことであり、今の私の知では少しも解明が出来ないからである。

その現象が起きてから、最早20年くらいになるであろう。しかし、その間、ずっと私の心に残り、まったく解決を見てはいないのである。出来れば、誰か解決の糸口になるような物理学的な論遽を提供して戴ければまことに有難いとの気持ちで一杯である。

 私は元来「神」とか「霊」等の非科学的な話には無関心のほうであった、まあ、そう言うこともあるのかなと思い始めたのは多分、50歳すぎたあたりからであろう。それまでは生きるのに精一杯であり、そのようなことを考える余裕はまったく無かったと言うのが正直な話である。なんせ、それまではお墓に手を合わせることさえもなかった不信心な男であり、無神経極まりない者であったのである。本当に自分でも呆れるくらいのうつけ者であり、精神的な無精者であったのである。恐らく、あまり類は無い人間であろうと自分でも思っているのである。

別に、近い身内が亡くなっていないからと言う訳ではない、なんせ、昔は親兄弟併せて7人もいたのであるが、そのすべてはとうに鬼籍に入っている。その中の5人は65年前であり、一人は10年前くらいである。長男の私が今は僅かに残っている状態である。そこには余りにも長く悲しい物語があったので、神仏やお墓なんては一切無用であるとの極端な思い込みにとらわれて生きてきたのである。

それでも50歳あたりから不思議な現象に何回も遭遇したことにより、だんだんと固い気持ちも和らぎ、世の中には不可解なこともあると思い始めたのである。これが心の成長なのであろうか…?!。

 

それは突然、やってきた、「汝、これを学ぶべし」との大音声の響きと共に手が勝手に不明な「数の列」を描き出し始めたのである。しかし、それは余りにも面白味が無いものであった、ただどの数列をどのように加算してもすべては99999…が揃って出る数の仕組みであり、どのような形を持ってもすべては99999…になるものであったが、さっぱり意味が解らず、少しも面白さを感じることは無かった。多分、半年くらいは続けたが一向に面白味が感じられなかったのでいつの間にか止めてしまった。今でもその名残は探せばどこかにその頃の膨大な計算綴りや図表等があるはずである。
 恐らくそれらはまだ人間の世界には知られていないもののはずである。私もそれからは見てはいない。

そうこうしている中に同じ年の暮れあたりである、「次はこれである」との響き声と共に視界にあるもののすべて金色に輝き、あふれるばかりの金色の光を吐き出したのである、身の回りにあるもののすべてが金色に輝き始め、光り始めたのである。と同時に空中一杯に大きな金色の網がかかり、その一個、一個の網の目にきらめく数字がひっ掛って輝き始めたのである。それは光芒を発しながら列を作って動いていた、いや、揺れ動いて伸びていったと言うべきかも知れない。とにかく、めぐるましく動きに動いて何かを告げているように感じられたのである。そこには声は何も無くすべては静寂のみがあった。

 おかしいことに、それらの持つ内容のすべてはしっかり目に焼き付き、しばらくは離れなかったのである。それと同時に心にも体にもしっかり焼き付けられて決して消えることはなかったのである。

それは昼休みの後、トイレのドア−を開けようとした瞬間に突然始まったのであり、恐らく数十秒か、数分くらいは続いたと思われるが実際は不明であり、時間の観念は余りなかったような気もするのである。

とにかく、あれよあれよと驚き、我を忘れて狼狽しパニック状態になっていたのは覚えている。ただ余りの金色の光の乱舞に気も動転して己を失ない身動きが出来なかったことは確かである。その恐ろしさの余り、その後しばらくの間はまた同じことが起きるのではないかとビクビクして怖れていたのは今でもしっかり覚えている。今まで私は何事に対しても余り怖ろしいと思ったことは無いが、こればかりは今でも首がすくむような思いがするが、それも少々懐かしいような気もする今日この頃である。

 この時心に焼き付けられた奇妙なものが「数の物語」、すなわち現在の「神の数学」の諸般であり、その一切の仕組み業なのである。今の私は単にそれらをそのまま綴り、ただ纏めているだけなのである。
 ただ、その間、筆舌には表せない苦労は多かった、何と焼き付けられたものすべてを吐き出すのには10年以上もかかり、そのため一切の不用意な動きが出来ず、毎日机に向かう、それが連日の勤めであり、開けても暮れても休みなく続ける、まさに追いかけられるような毎日が日課だったのである。

なんせ、知る由もない、訳のまったく解らない「数の知」が次から次へと吐き出されて戸惑うばかりの毎日であったのである。それらを綴りながら検証し、また、検証するために関連した本を探して購入し、確かめた上でまた綴り上げる、その繰り返しの毎日であったのである。それも食うための仕事が終わってから毎晩夜中の1時までである。しかもそれは苦しいものではなく楽しいのであった、毎日、いそいそと机に向かう、それは本当に楽しいの一語に尽きるものであった。それも、すべてを合わせれば何と25年という長い年月を費やして現在に至っているのである。まったく自分でも呆れた所業と言わざるを得ないものである。

 確かに、それらのすべては一瞬で体に焼き付けられたのであり、時間の経過等はまったく感じない一瞬であったのである。しかもそれは体全体、すなわち五臓六腑までのすべてにわたって瞬間的に焼き付けられ感じであり、決して脳の中にのみ焼き付けられた感じではなかったような気がする。ただ、今の常識ではそんな不思議なことは考えられないのであるが…!?。本来は脳に焼き付けられたと言うべきであろうが、そうではなかった。それだけはたしかであり、間違いないことである。

 

更に、申し上げなければならない、私は小学校に通ったのはある事情によりたった1年か、多くても1年半くらいである。よく覚えてはいない、申し訳ないが。すべては戦時中の事情によるものである。
 そのような事情で自分の学歴のないことを長年恥ずかしく、残念に思っていたのであるが、ある時、女優の高峰秀子氏も事情があって学校に行ったのは小学校の2カ月であり、それでも50冊近くに著書を書いていることをたまたまテレビで伺って気を大きくした次第であり、それ以来一切のわだかまりはなくなったのである。

 今では、学歴うんぬん等はうたかたの飾りごとであり、学歴保持者のたわごと、お互いの見せつけあいであると考えている。両親にどれだけ派手で人目に付く衣装を着せてもらったのか、そしてそれがどれだけ人目につくのかが勝負と言う馬鹿げたものなのである。仲間うちではそれもよかろう、しかし、大切なのは中身、すなわち、人間の体や精神であり、体と精神のバランスなのである。最も肝心なことはあなたが一人で世の中に、あるいは誰もいないところに放り出された場合、どれだけ自分の力で生き抜けるのか、どれだけ生きるための技と気力を持っているか、それが本当に必要なものであり、生き、死にの勝負どころなのである。

それを忘れている人がまことに多い。まずは生きる業を身につけてから学に走るべきであり、そこで向き、不向きの学科をしっかり考えるべきである。私の知り合いのアメリカ人あたりにはそう言う人が多い、実社会に出てから、あるいは世界を放浪してから、改めて何を学ぶかを決めているのである。そのような人たちは精神的なバックボ−ンや生き方に自信をもっており、決して人を区別することなどは無い、そして常に快活であり、生きる希望に燃えている。相手にしても、いつも楽しい思いが残るのである。

 今の世の中はそんなことさえも忘れて男も女も小さい時から学歴獲得に向かって一斉に走り出し、挙句の果てには男も女も家庭や社会のことは何も出来ない人間失格者となっている。また、男は実社会と言う荒波世界に漕ぎだした途端、難破してすごすごと両親の下へ帰るか、はたまた、ノイロ−ゼになって病院のお世話になるか、そのような者が大変多いのである。どこかがおかしい、どこかがくるっているとしか言えない…。

 50代あたりまで殆ど、手紙すら書いたことの無いような文盲の私でも現にこのような漢字を書き、文章したためている、いや、厳密に言えば、書かされていると言った方が正しいのかも知れない、なぜならば、自分でもすべてはまったく考えられないことであり、不可思議極まりないことであるからである。

私はずうっとそう思ってきたし、これからも、恐らく同じであろう。今の私は時々、私であって私ではないような気がする時もある、何故なら、知るはずの無い言葉が次から次へと吐き出されてくるからである。
 何かに操られているのか…??。いや、わからない。

 

ほい、余り繰りごとが長すぎた、本来の「誰も知らない不思議な話」の筋に戻ろう。

 

 それは多分、15〜16年くらい前の話である、私はある人の勧めで特別な塩を購入して、それを家の北と南の2ヶ所(計4キロ)に配置した。一種の因縁よけ、神頼みのつもりであり、面白半分の気持ちでもあった。その後2年くらい経ったころ、ふと気がついて取り出して調べてみると、真っ白だった塩のすべてがグレイな色に変わっていたのである。そこである人(塩の製造者)に聞いた、すると太陽の下にしばらく晒しておくとまた綺麗な白い塩に戻ると返事があったので、そこで2日ばかり、強い太陽の日差しの下に置いて見たのである。しかし、何も変わらず、グレイのままであった。

そこで仕方がない、このまま捨ててしまおうと思ったのであるが、ままよ待て、それでは余りにも勿体ないと思い、それらをすぐさま、新しくお湯を張った風呂に一気に投げ入れたのである。

すると何と驚いたことに、入れると同時に風呂の透明な水はたちまち、真黒に変わり果てたのである。なぜ…、といぶかしがる間もなく、その真黒なものがどんどん水から浮き始め空中に浮かび始めたのである。そのびっくり現象に驚き、近くにいた家人を大声で呼んで二人で目を皿のようにして見ていたのである。 それは少しづつ、水面から離れ始め、次第々に空中へと昇り始めたのである。やがて空中に浮かんだそれは1ヶ所にかたまり、その様はまさに楕円形、いや円盤のように広がった黒い雲と言ってもいいものであった。おそらく、直径50〜60センチ、厚みは25〜30センチ、そのくらいであつた。

その黒い雲は約2メトルの高さに浮いたままで動かず、しばし、たたずみ停止状態にあったのである。が、やがて一方の部分がするすると細く伸びて近くにあった風呂の換気孔(25センチ×25センチ)から抜け出し始めたのである。と同時にあれよあれよと言う間に黒い雲は次第々に小さくなって視界から消え去ったのである。そこで我に帰り、ふとお風呂を見たのである、すると何と風呂の水全体が黄金色(琥珀色)の綺麗な色になって光輝いていたのである。まさに、黄金色そのものであった。

その黄金色に輝いていたお風呂には気持ち悪いと言って誰も入る者はいなかった、結局、意を決して私だけが入ったのである。でもなんでも無かった、何も起こらなかった。味を見たのであるが、何のことはない、ただ塩辛いだけであった。不思議なことを予期していたのであるが、それは何も起らなかった。

 

一つここで報告しておかなければならないことがある。それは塩とお風呂が特別仕立てのものであったと言うことである。

 

☆    塩……波動法製造(株)の「極楽塩」である。この塩は波動法と言う会社で作ったものであり、別名波動塩、あるいはエネルギ−塩とも呼ばれていて、病魔退散、邪気払い等にも多く使われている。

 

☆    当家の風呂……ステンレス製の極楽電子風呂(静電気使用による)で、超微細な振動を発している。

 

まあ、偶然であろう、両者には「極楽」という言葉が使われている。

話はこれだけである、しかしそこにある不可思議な現象を諸氏はどのように見るのであろうか、?。

 @   真っ白な塩がグレイ色に変わる。

 A   水が一瞬で真黒に変わったこと。ほんとに瞬間である。

B   黒い水から分離して黒い雲となったものが空中の昇ってしばらく停止していた。

  C まるで意識があるように一端が細くなって換気口を目指し、外部に逃げて行った。

  D 真黒な水から分離したモノが去ったあと、水はきれいな琥珀色に変わり強く輝いていた。

 

 残念ながら、私は解明のためのヒントはまったく手には無い。歯がゆいだけである、恥ずかしながら…。

 しかし、目の前で事実が起こったと言うことは、何か事実有根の原因があり、結果があるはずなのである。
 残念ながら、いくら考えても理が何も解らず、答らしきものを見出すことが出来ないのである。

要するに、これらのすべては尋常じゃない、すなわち、常識を超えた超現象であり、希有な出来ごとと言うべきものである。すべては科学常識外のものであり、まったく論理外の出来事なのである。

この@、A、B、C、D のすべてが科学の想定外の現象であり、科学上の論理ではどうあがいても説明が出来ないものである。Cに関しての疑念はあるであろう、換気扇が回っていたのであろうなどと。

しかし、我が家のお風呂は築40年の代物で、当時は換気扇等はまだ一般には普及してはいなかった。

 これらは決して白昼夢や夢の中の出来事などではない、なんせ、すべては白昼の2時あたりに起きたの出来事なのである。しかも大の大人二人の目の前で起こった現実の話なのである。

 確かな現実の話である。だから何か人知外の働きとしての原理があり、当然の結果理由がそこにはあるはずである。ただ、現代の科学知では解明できないだけである。
 我々は科学を過大視し過ぎている、科学はすべてをお見通しとばかり勢い込んでいるようであるが、ある学者によれば自然現象の3%くらいしかまだ解らず、あとの97%は皆目不明なものであると言っている。

今、机の上に1冊の本がある、その題名は「宇宙96%の謎」と題されているものである。そのサブタイトルは「我々はたった4%の物質の中で生きている」である。著者は日本を代表する宇宙物理学者、佐藤勝彦氏(東京大学教授)という偉い先生である。まさに我を得たりであり、さもあらんとの心境でもある。


 深く探求すればするほど知らなくてはならないことが見つかる。人間の命が続く限り、常にそうであろうと私は思う。……アルバ−ト・アインシタイン
                                                                以上


「神の数学」の考えてほしい問題(
ちょっと号外版) No8

        ≪A true fact that nobody know in the world !!≫                                         (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                      
平成24年8月  謹上 

 

 今、大変気がかりなことがある、それはこれから起こると予想されている大地震についてである。

巷の噂は数限りない、しかし、地震に関する専門家達は一切口をつぐみ何も語ろうとはしない。数十年前、あれほど自信ありげに地震を予知は可能と語って国家予算を分捕っていた地震の権威者達はどこへ行ってしまったのであるか。この世界一と言われる地震国で人々の生命、財産を守るのが我々の役目であると熱く語っていたあの情熱は一体どこへ消えてしまったのであろうか…!?。

 まったく、いやになるほど彼ら地震専門家達の動きはない。まだ日本にはいると思うのであるが。

 数日前、ふらっと立ち寄った古本屋で面白い本を見つけた、題名は「ジュセリーノの予言」となっていた。パラパラとめくると恐ろしい予言が目に飛び込んできた。何と2008年日本でマグニチュウド9,1の大地震が起こる、それはと共に30メトルの津波が来襲し100万人が被害を受けると書かれてあった。買って帰り、更に詳しく調べて見るとそこには次のようなことが書かれてあった。

  私はアジアの国の街角に立っていた、そこは海から遠いところでは無く、人通りも決して少なくなく、比較的人口は多いように見える。だが高層ビル等はあまり見えない、やや低層ビルの多い街だ。その時、足元から突き上げられるような衝撃を感じた。一瞬 私の脳裏には「マグニチュード9,1」と言う文字が浮かんだ。

地面を揺るがす轟音と人々の絶叫がこだまして、この世の終わりと思えるような時間が続いた。

多くの建物に被害が広がっている、完全に倒壊したもの、今にも崩れ落ちそうなもの、土台は無事だが、上層階が下の階をおしつぶしているもの、豪華に見えるビルでも大きく被害を受けているものもある。

その時、私の立っている場所から離れた海の方で大きな波が立つ映像が私の目に入った。津波だろうか、ハッキリとは分からない、だが10階建のビル位の高さがあった。おそらく、30メートル以上はあるだろう。

A 私はこの大地震の夢を何度か見ている。1990年に見た時は中国語の会話が聞こえて来た、だが、2007年の夢ではそれが日本語になっていたのだ。私は迷った、この予知夢は中国ではなく日本なのであろうかと。 だが、いずれにしても夢の内容は一緒だ。

要するに、2008年、日本でマグニチュード9,1の大地震が起きて、数多くの犠牲者がでるであろうと夢は叫んでいるのである。

B これが日本で起きるのなら 東海地方の愛知県の岡崎市あたりであろう、だが私の映像の中には震源地から東京に向けて一直線に衝撃が走っていく光景があった。

私はこのことを日本をはじめアジア各国の政府関係者に伝え、何度も警告を出しておいた…!。

 これは日付は少々異なるがまさに東日本の大震災の予言と言ってもいいものである。太線で示しているキーワードを見てほしい、普通の予言者とは異なり、非常に真実味があるように思えるのであるが…、私の思いすごしであろうか…!?。当時はマグニチュード9,1の地震はあり得ないと言われていた。

 しかし、調べて見ると、これ以外にも気になる予言が出されているのである。

2007年の10月と12月の間には、大阪で地震が置きますが、それほど強くはありません。しかし、2012年にはマグニチュ−ド8,9の大地震があり、多くの人が死ぬかも知れません。
 これが間違いであることを祈ります。 これは検討に値する予言言葉ではないのか…!?。

 
 【この2007年の地震に関しては11月6日にマグニチュ−ド4,0の地震があって一部電車の遅延があった程度でおさまっている。しかし、次の2012年にはマグニチュ−ド8,9の大地震はどう解釈すべきであろうか…??。】。

 
 「ワ−ルド・トレ−ドセンタ−に2機の飛行機が激突する。ビルは崩壊し1000人以上の人々が亡くなるでしょう。それが起こるのは2001年9月11日。」……1989年に予言

 【これはまだ記憶には新しいはずである。確かに2001年9月11日に予言は現実に起こった事実である。ジユセリーノの予言記録から拾って見ると、1989年にアメリカ大統領のジョ−ジ・ブッシュに宛てて出されたことになっている。何と、事件の起こる12年前に予言は出されているのである】。

 

「2004年に南アジヤを直撃する大きな地震の夢を見た、それは12月26日朝の7時に起こる。マグ二チュ−ドは8、9。これにより10メ−トルの津波が発生し、インドネシァのアチェ州からインド、マレ−シャ、スリランカ、タイ、モルティブ、そしてミヤンマ−、モ−リシャスまで広がる。間違いなく1万人以上の人の命が失われるでしょう。どうぞ私の言うことを信じて、この日は人々を安全な場所を探して避難するように伝えて下さい。」……1997年予知

モルティブ大統領やに警告文発送、2003年にブラジリァのインド大使館、更には2004年ブラジリァのタイ大使館へ送った日付入りの郵便局証明書がある。このようにその日時と内容を記したものは証拠文書として誌上に発表されているのである】。

これは2004年に起きたスマトラ沖地震はマグニュド9,0であり、津波の被害は大きく上記の国々全体では20万人と言われる死者が出ている。この記憶はまだわれわれの心には新しいはずである。

 

このジユセリーノと言う人物はブラジル人であり、夢の中に出て来た光景をそのまま書き綴って各国の政府や関係要人に送っている。しかも送る場合にはその警告文の原本を登記所に持っていって登記し、保存を頼んでいるのである。すなわち間違いないことを証明するために日日印を押してもらいマイクロフィルムに納めてそれを保管してもらっていると言うことである。まあ、証拠保存法としては最高のものであり、同時に発送した証明として郵便局の日付というダブル証明もあるようである。

上記に示した彼の予言を見てほしい。そこにはまさに戦慄が走るような予言が記されている。

 まずは日本に関する予言である、それが正しいのか、それともいい加減なものかは我々素人でも十分に判断がつく、すなわち、過去の事実を調べて対比すればいいのであり、結果はすぐ解るはずである。

 なぜか、今、彼は裁判沙汰の渦中であり、自由を束縛されているとニュ−スは伝えている。要するに、余りにも目立ち過ぎたのでお灸を据えられているのであり、世間を余りにも騒がせたことによる騒乱罪あたりの適用であろう。余りにも彼は目立ち過ぎた、騒がれ過ぎたその結果と言うことであろう。有名になればありがちなことである。

歴史にもあるではないか、常識に反する言動を唱えたり、あるいは権威者に盾ついたりすれば、反乱罪、あるいは騒乱罪で罰せられ、反省の色が無ければ投獄され、悔悛するまで捨て置かれるようなケ−スが…、いわゆる魔女裁判と言うものである。それは正義や真実とはまったく関係のないものである。

あなたの知っている有名なギリシャの哲学者であったソクラテスも同じである。彼は民衆と意見が合わずに投獄され死刑になったと言われている。今から2500年前の出来事である。

彼には「肉体や金銭よりも、魂の優劣を考えるようにならなければならない」の言葉がある。

また、地動説を唱えて異端審問裁判で有罪とされ、死ぬまで軟禁状態にあったガリレオ・ガリレイなども有名である。彼は正しいことを言った為に法王に睨まれて身を滅ぼしたのである。

なんせ、昔も今も同じである、常識に逆らう、あるいはその時の権威者の気持ちに逆らえば、いやも応もなく裁判で有罪にされ罪におとされることになるのである。今も昔も世には正義はない。あるのは正義もどきであり、仮の正義面(づら)した仮面があるだけである。

裁判沙汰になれば、罪になっても、ならなくても一般大衆の心は一気に引き始めて興味を失ってしまうのである。これを扇動しているのがマスコミにやマスメデアに始まる報道であり、裏にいる権威者達である。要するに、我々大衆は真実を知らないまま誘導され、いいように使われているのである。しかし、それを知る者はほんの一部だけであり、大衆は何も知らないのである。

考えて見ると、最近起こった政治家小沢氏の裁判沙汰も面白いものであり、考えさせられるものであった。何処に行っても器量が大き過ぎ型からはみ出るので、処遇に困り果てた政治家や経済界の大物達は最後には罪人に仕立て上げて葬り去ろうとしたようであるが、裁判沙汰では無罪になり、ほとほと困った者達は今度は推定有罪と言う耳慣れない言葉を作り、世論が有罪と言っているのだから有罪の疑いがあると再び裁判沙汰にしたのである。が、裁判では再び無罪になったのであるが、今度は告訴した方がガタガタになってしまっているのである。すべてにわたって何かがおかしい、きな臭い事件と言えるものである。我々素人にはまったく解せない話であり、何が何だか分からない政治の暗闘事件の一節のようにも思われる事件でもある。

何か、最近日本の政治は足取りがおかしい、我々が頭を下げたいような本当の政治家がいないのである。

何か、国のための政治をするのではなく、個人の名誉、肩書をつけるために政治家になっているような連中ばかりである。考えているのは、あわよくば相手を蹴散らし、栄誉を何とかして手にいれたい、そのような胡散臭い議員が一杯である。本当の見識ある政治家なんてはまったく見当たらない。このままでは一体日本はどうなってしまうのであろうか。同盟国のアメリカには見くびられ、中国からは馬鹿にされ、韓国からは金をむしり取られるだけ、これらの原因はすべて政治が悪いのであり、政治家がしっかりしないからである。ああ、本当の政治家はいないのであろうか…!!?。

今のように金のある政治家は悪であると決めつけていたのでは、日本はますます世界から馬鹿にされ孤立していくだけである。なぜならば、カネの無い政治家は支持仲間がいなくなってどんどん小粒になるだけであり、それになるに従って仲間割れ、足の引っ張り合いが多くなって混乱し、まとまりはつかなくなるだけである。それはこの10年あたりを見れば一目了然であろう。 おまけに、入れ替わり、立ち替わり、素人裸足の防衛大臣が次々と誕生し、それと共に有事の際の対応も危なくなってきているのは誰の目にもあきらかである。せめて、国の存亡を左右する総理大臣、及び防衛大臣くらいはすくなくとも10年以上は在籍し、専門知を身につけて働いてもらいたいものである。もし、本当に日本の未来を案じる気持ちがあればである。今が、戦後最大の日本外交の正念場であり、国家的な危機の最中にいることは忘れないでいてほしい。それとも余りにも、国民が安閑とし過ぎていて、世界の情勢を読むことが出来ないのであろうか…?!。

まさに、いまは、世界的に睨みをきかすような優れた防衛大臣が必要な時であり、日本の未来を託すことの出来る頭脳明晰な総理大臣とがっちりスクラムを組んで頑張る人が望まれる時である。

ハイ、筆が悪乗りしてゆく道を間違え、裏道へ入ってしまった、ここらで引き返そう。

予言者ジュセリーノの更に気になる予言がある、一つそれを取り上げて諸氏と共に考えてみよう。それは日本列島が消滅の危険性をはらむ超大地震についての予言である。それが、いわゆる東海大地震についての予言と言われるもので、何と、マグ二チュ−ドは10、1と予言されているもので、今、最も懸念されるものである。

彼は予言する、「2018年6月に日本の東海ではスマトラ地震を遥かに上回る巨大地震が発生する。それはドミノ倒しのように次々と起きます。史上最悪な地震になるでしよう」と…。

【恐らくこれは日本の地質学者の言う東海、南海、東東海(東京,千葉)等の連鎖して起きるとされている巨大地震のことであろう。最近の地質調査により過去においてもそれが周期的に何回も起きていることが確認されている】。

学者達はこの地震の起きる確率は「30年以内に50%の確率であるとか、70%であるとか言うが、我々には少しも解らない、外れてもいいからもっと対応が可能なことを言ってもらいたい。30年以内に50%と言うことは30年以内に起きるかも知れないし、起きないかも知れないと言うことであり、我々にはまったく対応が不可能なものである。要するに、一つの言葉の誤魔化しであり、まさに無能をさらけ出している言葉と考えてもいいであろう。

すると我々には最早地震に対する手立てはまったく残されてはいないのであろうか、しかし、それは必ず来るものと覚悟はしなければならないものでもある。まさにそれは生き地獄の毎日の感であり、もはや、耐えがたいものである。

そうすると最後の手段は神頼みであり、最早、予言者ジュセリーノの言葉あたりを信じるしかないと言うことであろうか…?!。それにしても、長年地震の研究にいそしみ、予想は可能であると世界に豪語してきた地震国家の面目はまる潰れと言うことであり、長年、税金で碌を食(は)んで来た地震学者達は税金泥棒とも言われかねないのである。

一つ、意地を見せて今回起こるであろう東海、東南海地震の予測をもっとはっきりした形で教えてもらいたいものである。それが国民に対する地震学者の義務であり、責任と言うものであろう。

最近では今まで誰も手のつけたことの無い電離層のイオンの変化や電子の異常発生等から十分に予想可能であるとする学者もいるようであるが、彼等と手を組むことは出来ないのか…。こうなったなら、最早、体面とか、意地の張り合い等は二の次と考えてほしい。フランスあたりでは人工衛星を利用して宇宙から電離層の観察を始め、予測を少しでも正確にしようと努めている。また、ギリシャでは地中の電磁波の異常を調べることにより予知可能になり、先般起きたM6,7の地震の際には前日中に皆を避難させたために死者は一人も出なかったそうである。日本にも、何か皆の耳目をあつめるような新しい予知法が誕生はしないであろうか…!。ひょっとすると、その中に外国の地震学者あたりから何月何日何時に日本で大地震が起こるなどの警告が出され、テレビで流されるかもしれない、その時は日本の地震学者は国民の前で土下座して詫びても追いつかないと考えてもらいたい。 何か、それが現実的に起こりそうな予感がするのであるが、…!。

余り学問派閥や意地にはこだわらず、国のため、日本国民のためにもせめて数日か数週間以内に地震が起きそうだくらいの予報は出してもらいたいものである。それが国民の願いであり、世界に冠たる地震国の務めでもあろう。

東海地震を予測するために、何十年前か前にあれだけ膨大な検出するための機材を東海沖の海の中に投入したのである、今でも有効に動いているのであろうか…、それとも今では旧式と化したので、無用とばかり無残な姿を海底にさらしているだけなのであろうか。その成果等についてはまったく聞かれない今日この頃である。

殆ど毎日、日本中は地震で揺れ動いているのが現在である。それにつれて何らかの自然の発する見えない形の情報も発射されていることは疑いない、それをキャッチすることが地震予報なのであるが、それが出来ない限り、いつまでたっても今のままである。地震とは巨大な岩盤が大きく変化し、揺れ動くことである。そのかなり前には必ず大きな静電気の発生、あるいはイオンに変化が起きてシグナルとして飛ぶはずである。それが予兆と言うものであり、必ずあるものである。

要するに、現在のところ、地震は毎日のように起こっているので実験材料には不足してはいないはずであるが、それを見事に予知する情報材料がまったく掴むことが出来ないのである。それはすなわち、努力が足りないと言うことであり、新しい目をもって探してはいない証拠でもある。探せば必ず何かが見つかるはずである、もっと死に物狂いで頑張ってほしい。
 こうなったなら、古い地震概念などを持つ老学者などでは駄目である、新しい目を持った若い地震学者にバトンタッチして新しい予知方法を考え出すことの方ががベタ−であろう。それも一日でも早い方がいいのである。
 今はまさに、乾坤一擲、国家の一大事の瀬戸際を迎えているのであり、一時もうかうか出来ない状態なのである。

せめて、二日前にでも警報が出れば、学校は休み、新幹線はのろのろ運転、道路もある程度規制、家族全員屋外退避、私的、公的な炊き出しまで用意することにより、余り混乱は起こらないはずである。たとえ、外れたとしても有事の際の予行演習として大切なこと思えば文句言う人もいなかろう。いや、かえって、人と人とのコミユニヶションの機会となってすべてにわたり円滑さが増すかもしれない。やって見るべきである、今の世の中、余りにも人と人の間は過疎が広がり過ぎているから…。

どうしても予想は不可能と言うなら、あなた方地震学者が軽蔑している地震雲や井戸水の変化、あるいは動物達の異常行動にまで範囲を広げ、それに学者を動員すべきではないのか、ド素人の言うことなんか何の役にも立たないと言うのは余りにも無残な広言であり、己の立場を考えてはいない証拠である。そのような口をきくならあなた方にも同じ言葉を返したい、あなた方も同じ50歩100歩ではないのか、いや訂正、今の時点では正確に言えば同じ50歩、50歩の状態と言ってもいいものであろう。

最近の新聞には地震情報は沢山載っているが、肝心の地震学者達のコメントがさっぱり無いのも気がかりである。そんなに自信をなくしてしまったのであろうか…??!。政府も政府である何も目立った地震対策もう打てないでいる、この際思い切って国家戦略の一環として地震予知のための人工衛星の一つや、二つ打ち上げて地震に対する予知デモンストレ−ションでも見せて国民に勢いをみせらどうであろう…!!。それにより、マンネリ化した地震予知も改めて活気づくかもしれない。
 何もアメリカに追従してメダカやカエルを宇宙に連れていくよりも、よほど国民の信頼を勝ち得ることではないのか…。

今の中に一つ、活を入れて置きたい、地震が起きてからのあれこれの言い訳ほど見苦しいものはない。そんなものはがんぜない子供や女人でもなかなかしないもののである。そのことを肝に銘じて毎日予知に向けて体を張って頑張ってもらいたい。あなた方は国民の期待を全面に背負っている身であることをお忘れなく…!!。  (完)  

 

 
 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No9
          
         ≪A true fact that nobody know in the world !!≫   マイナス・イオン編(1)                                              (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                      平成24年9月  謹上 

 

   私には未だ解らないことがある、それは大変我々の健康や環境問題とは関係あるのであるが、学者達も結論を出せずに意見はまちまちなのである。要するに、学者によっては180度反対の意見を出している方々も多くまさにばらばらなのである。実際、私もそれに興味をもって携わり始めてから数十年になる、しかし、明快な結論と言うものが恥ずかしいながらまだ出せない。いや、今までは無理に出しても社会的な混乱が起きる可能性もあるので余分なことは言わず、黙っていた方がいいと考えていたのも確かである。
 
 しかし、最近余りに種々の難病が多発傾向にあって日本の国を悩ませている。何と、それは今年も医療関係の年間費用は40兆円に達しようとしていると新聞は報じているのである。それは国家予算の50%に近い恐るべき数値であり、常識で判断してもその異常さは誰にでも解るはずである。これを何とかしない限り、国全体、国民全体が共倒れになる危険性が数年の中に起こる可能性がある、が、政治家を初め、誰もそのことを指摘する者はいない、ただ皆で怖れおののいているだけである。

 最近になってハタと思い起こすことがある、ただし、私個人についての出来事であり、体験談である。追加試験は未だしてはいない。なんせ、再び、それを個人で行うのは今のところ少々人的、財政的に無理があるのである。
 要するに、一言で言えば未病のうちに個人の生活環境を整え、なるべく病気の発生を防ごうとする努力が必要であると言うことである。当たり前のことではあるが、誰も率先して行おうとする者はいない。
 それが病気にならないための最大の秘策なのであるが、誰も知らない、信じないのである。いや、逆に馬鹿にされ、ナンセンスと言われ兼ねないものである。そのような馬鹿なことを実践している私は病気知らずであり、風邪ひとつ引かない。ところが、ナンセンスと馬鹿にした常識派の仲間の殆どは病気持ちで、薬を常用しているのである。何かおかしい、すごく変である。何か根本的な所で間違っているような気がする。

この私の体験が事実であることが立証できれば、それは恐らく人類にとっては大いなる福音となり、延命長寿、あるいは無病息災に励みがつくものになるであろう。そして、何よりも国のためになると言う大きな功績になるものである。
 しかし、医学界や薬関係の業者は大変なピンチに陥るので、当然、業界挙げて大反発が起こり、騒然となるはずである。 それにまた、心ない政治家も加わり、打ち消しに必死になるであろう。何と言っても、資本主義においては国民よりもお金儲けが優先するからである。要するに、資本主義体質と言うものはそのようなものであることを覚えていてほしい。
 
 また、それは単なる個人の幻想であり、老人特有の希望的観測に過ぎないと御用学者先生達に断じられたりすれば、すべては不発に終わり、人々はまた粛々と病人の道に戻っていくことになるであろう。 
 しかし、私は敢えて言いたい、病気になって医者先生の手を煩わせ、大金をふんだくられ、挙句の果てに国が滅ぶよりも、生きている間に病気にならないための方策を少しでも考えて実践すべきであると…!。それが自分のため、家族のため、そして国のための最良の方法と言うものである。

まずは心ある人だけでいい、ぜひ、聞いてもらいたい。ひょっとすると貴方の身にも大いなる変化が現われて心身共に甦るかも知れない、がそれもある程度の時間経過が必要であり、即、答が出ると言うものではないのである。
しかし、それを信じて、懸命に学び、、そしてしずしずとその健康法を実践している人達も、恐ら日本中には数十万人はいるはずである。


 私がマイナス・イオンに興味を魅かれたのは約二十数年前あたりである、当時は異端物理学者であった楢崎皐月氏の静電気理論に夢中になり、氏の「静電三法」を手に仲間と連絡を取りながらいろいろな議論に花を咲かせて興じ合った時代であった。その中でも最も興味を感じたのは「炭埋」という手法である。それは地中に穴を掘り、炭を埋めて土地をイヤシロ地化すると言うまことに単純極まりない方法でありながら、その効果はまさに抜群なものと言われている。

その方法とは出来るだけ細かい炭素質のものを土中に埋設するのが効果的なものであり、それにより地面の電位を高め半永久的に安定的な誘電効果を図ろうとするものである。それは何十回と実験を重ねるうちに、植物の生育に有効であるばかりではなく、人間や動物の健康にも大変良い結果をもたらすと「カタカムナ」の楢崎氏は強く断言している。

イヤシロ地と言う場はマイナス・イオンが多く、また、その反対のケガレ地とはプラス・イオンの多い土地であると書物には記されている。それで我々は理論や実測等はそっちのけでイヤシロ地を作ろうとお互いに炭埋に走り、効果向上に一喜一憂していたものである。何せ、当時は大気イオン計測機等は高嶺の花で誰も持っている者はいなく、お互いに感覚を研ぎ澄まして地磁場がいいとか悪いなどと言いあってマイナス・イオンの多少を体で判じ合っていたのである。

 当時は大気イオン計測機はあるにはあったのであるが余りにも高根の花で手が届かず眺めているだけであった、たしか当時、神戸電波で出していた大型の計測器は数百万円と言われ、大学や研究所あたりが持っていただけである。大阪在住の仲間の学者が小型なものを持っていたので拝み倒して借りてきて各家を回り、その結果に一喜一憂して慰め合っていたものである。しかし、性能は確かに良かった。例えば、人が近づくだけでプラス・イオンの値がピンピンと言う音と共にどんどん跳ね上がっていくのである。面白いのは病人や老人、または便秘のはげしい人はプラス・イオン値が高く、若者や健常者は低い値を示していたことである。それを見ながらやはり人間の体表のイオン値が健康度のバロメ−タ−になることを確信したのである。しかし今の医者や学者達はそんな些細なことが解らず、ただ検査するためだけに数千万、数億と言う高価な機械を敢えて購入し、検査にうつつを抜かしているだけである。要するに、それが医療費高騰の理由であること知らずに…。

 ただし、今流行りの簡易計測器では駄目である、余り敏感ではない上に、余りにも簡潔すぎるからである。

なんせ、楢崎皐月氏の説によればイヤシロ地とはマイナス・イオンが多いので植物は繁茂し元気がよい土地であり、そこに住んでいる家族全員は甚だ健康で病人等は見られないと述べている。逆に、ケガレ地にはプラス・イオンが多く、作物は育たなく、住んでる人々には病気の発生や不幸が多いと述べている。ところが、そのケガレ地に炭埋を施すとイヤシロ地と同様な効果をもたらし、病人や不幸に対して著しい効果を上げる、その絶大な効果とは、すなわち、人間の心身が健康になるだけではなく、設置直後から植物に著しい変化が起き、長年花がさかなかった庭木に花や実がつき始め、病虫害がなくなると言うのである。。また商家なら店が繁盛しはじめ、家族や近隣の人間関係が大変円満になると言っている。要するに、住んでいる土地にはイヤシロ地と同じ効果が生まれ、かつそれが長年(数百年から数千年)にわたって持続する、その上、そこにある建物などにも損傷等は見られないと氏は結んでいるのである。
 それを信じて私達は懸命に自宅地の改善にいそしみ、そのイヤシロ効果に期待を寄せていたのである

  また、当時の医学健康書にもマイナス・イオンは体によく、健康を増進するものとされ、逆にプラス・イオンは健康を阻害し、病気を発生させる元凶となるものであると記されていた。そこで我々は懸命にマイナス・イオンを求めて専門科学書を読み、難しい議論に花を咲かせていたのである。要するに、水と空気の中のマイナス・イオンの多少が健康を決めると言われていたからである。その中でも、特に西ドイツのアルトマン博士の述べた理論には心惹かれたものである。
それは「人体の血液中にプラス・イオンが多いと細胞の新陳代謝が低下して不健康になり、逆にマイナス・イオンが多いと新陳代謝が活発化して健康になる」と言う一文である。

いろいろと試行錯誤の結果、何とか出来上がったものが今私の書斎である。今では狭いながらも私のお気に入りの場所である。なんせ、ここにいると心が休まり、深い無我の境地、あるいは心ゆくまでの真剣味のある考察状態に入ることが出来るのである。例えば、読書すれば飽きることなく何冊でも読み込むことが出来たり、深い考察状態に入れば次々と知らない言葉、あるいは忘れ去ったような言葉等が頭に浮かびまことに重宝な場所なのである。確かに、この場所にいる限り精神状態は常にやる気満々で心はバラ色であり、何時でも意識を一点に集中出来る上に、体がだるいとか疲れる等は一切ない。 とにかくマイナス・イオンに関しては何時も万単位で計測されて、一般地とは完全に異なる相を見せているものである。

おまけに、老年になっても内蔵関係の健康状態も最高であり、体調の可不足等も一切起こらない有難い状態である。老人にありがちな睡眠障害などはまったく無い、布団に入ればそれで終わりである。ただ、困るのは少々物忘れが始まったこと、足腰が少々弱り始めていることである。それからもう一つ老眼鏡が必要になったことである。残念ながら、今のところこればかりはどうにもならない。考えてみればこれはいいチャンスであり、己の体を実験台にして一つ様々な試みを一つためして見ようと思っているところである。まあ、老人の冷や水と言われるかもしれないが、一つ頑張ってみよう。

この後半あたりで、私の調べたマイナス・イオンの正体、およびその諸効果についての見解を述べたいと思うが、ひよっとすると記述しきれなく来月にまたがってしまうかもしれない。また、私の実証結果は学者達とは大いに異なるので、あなたがたを迷わる可能性があるかもしれない。
 その場合には彼ら学者達の調査研究を第一義に受け取り、私の見解は参考程度に納めてもらうのがベタ−である。何せ、にわか作りの学究態勢であり、素人が簡易イオン計測器を片手に調べ上げたマイナス・イオンの研究調査デ−タ−である。単なる一個人の見解であり、思い込みや偏見などが混じり、必ず正しいもの、間違いの無いものとは言えず、あくまで個人意識の体験的な考察であり、独断的な素人研究者の判断によるものと考えてもらいたい。

中には、科学者達の言い分や研究結果とは180度異なる見解や、とんでもないミスティ−キングな結論を導き出すようなものもあるであろう。また、思わず吹き出してしまうようなものもあるかも知れない。でも、なるべく暖かい心で見守って戴きたい。

何せ、現在、専門学者である大学教授でさえもハッキリした正体を掴むことの叶わず、日々喧々諤々と論争に明け暮れている状態である。しかし、彼等は余り長い期間の実地検証等は行わず、机上、あるいは研究室内での実験デ−タ−によるだけである。それも極めて短期間のデ−タを揃えてあれこれ詮議して了としているだけなのである。それに加えて民間大手の専門機器会社等がマイナス・イオン関係の器具を売るためにいろいろなデ−タ−を独自に作り効果宣伝のために大わらわである。それに輪を賭けて小うるさく、騒々しいのはこの分野を徘徊している素人研究家であり、批判家達である。彼等はあちこちで発表されている研究論説をハイエナのように漁りまくり、専門家そこのけで論議に大わらわである。まあ、私もその一人と言われても仕方がないが……。

今のところ、なぜ空気中にマイナス・イオンやプラス・イオンが自然的、同時的に発生するのかについてはハッキリ解ってはいないようである。しかも、マイナス・イオンとプラス・イオンの割合はほぼ同一な状態で発生すると言われているが、それもある程度確かである。しかし、その場所、あるいは時によっては大きな差が見られる不可解さがある、それが問題なのであり、大変重要なことなのである。

そしてマイナス・イオンがなぜ体に発生する痛みを和らげてくれるのか、またなぜ気分を高揚させてくれるのか等は科学的には未だ解明されていない、それも確かな現実でもある。それは痛みを訴える老人や、怪我をした子供たちにマイナス・イオンを含んだ水をその部分に吹きかけると一瞬で痛みが無くなることからもその効用はの明らかである。

皆さんも御承知であろう、緑の多い森林地帯に行ったり、川や湖の近くに行くと、何となく気分が良くなり、気が晴れ晴れとすることを…。そのような場所はマイナス・イオンが多いと言われている場であり、プラス・イオンが大変少ないと言われている場所である。要するに、場所によってどう言う訳か、その両者の相対数には大きく差が出て来る不思議があるのである。

昔から言われているではないか、病気の回復がはかばかしくなかったら、転地療養が一番であると…!。当然そこは温泉地であり、有名な森林地帯や水辺などのマイナス・イオンが一杯の所である。
 また、各地の言い伝えにも注目すべきであろう、それは「炭屋には病人が出ない、出ても簡単に治ってしまう」と全国的に言われていることである。ちなみに、木炭はマイナスイオンを大量に発生させているものの一つである。

 一般的に、マイナス・イオンを治療目的に用いた場合、どのくらいのイオン量が必要なのであろうか、専門家の研究によれば、大体1000〜50,000(個/p3)と言われている。人によっては多ければ多いほど効果が上がるとも言う方々もいる。

また、私達の周りの空気に含まれている大気のマイナス・イオンは大体、300〜400ヶと大変微量なものであり、例えば、雷光が激しい時には数千個に一気に増大し、落雷の時には数万ヶ〜数十万ヶの数字を記録する時もあるようである。すると、その昔、秦の始皇帝が落雷した場所の水を献上させて飲んだと言う話もまんざらではない。それほど落雷地の水はマイナス・イオンを多量に含んでいて、昔から大変貴重な存在として知られていたのである。

学者のように難しい理論とか難解な言葉等を余り私は知らない、なるべく使わないで、出来る限り平易な言葉でマイナス・イオンの諸現象を日常的な考察実証、及び民間的な風聞を出来る限り集めて易しい私流の解説を試みることにしたい。

専門学者達のマイナス・イオンに関するご高説を聞いている限りではば何も生まれては来ない、なぜならば、彼等の研究理論は実際に即した検証は少なく、ほとんどが机上の空論や概念に近いものだからである。要するに理論と理論の交わし合いなのであり、最後には個人と個人の戦いとしか思えないようなす呆れた様相を示していることもあるのである。

 まずは現実的な検証の結果を述べて見よう、要するに、私の周りの自然の空気中にあるマイナス・イオンとプラス・イオンの関係などの一般通説について述べておきたい。

@   マイナス・イオンとプラス・イオンの両者は常に同時発生的なものであり、大体大気中にはそれぞれ同じくらいの数(個/p3)が存在するのが普通である。

A   マイナス・イオンとは放出可能な電子を持つ分子、すなわち他に簡単に電子を与えることが可能な性質を持ち、プラス・イオンとはその逆、すなわち他のものから電子を奪おうとする一つの分子態である。

B   人間の病気や痛みとはプラス・イオンが大量に発生蓄積するからであり、そこにマイナス・イオンが近付ければ、そのマイナス電子がプラス・イオンと自然結合して中和状態になり痛みはキレイに消えてしまう。要するに、そこにマイナス・イオンを与えて過剰なプラス・イオンを取り除くと痛みは即消えてしまうのである。まさに、不思議の一言に尽きる。

  大気が高温で不快に感じるような時、それはプラス・イオンが非常に多い時である、そのような時には突然の夕立があってマイナス・イオンのシャワ−が大量に降り注ぎ、体調は一気にスカッとしたものである。最近は突然の夕立などはまったく見られないのが残念である。

D   大気が低気圧になると気配に敏感な御婦人達は気分がすぐれないと言い、頭が重いと訴える。また体の弱い老人達は体の節々が痛んでくるとも言う。その時は大体プラス・イオンが多く、マイナス・イオンは少ない場合である。

E   また、稲妻が走り雷音がとどろくと田んぼの稲はピンと先が立って勢いがよくなり、稲は大豊作状態になる。恐らくは雷光により大気中のマイナス・イオンがリッチになって稲の生育が促進されたのであろう。また、落雷のあった山地のキノコ類は大豊作になると言われている。

F   夜半に雷光のみが走り、雷鳴が無い時もある。あれは大気のバランスを調整して平常に戻そうとする自然の浄化作用である。その後、空気の匂いをしっかりと嗅ぐがよい、人によってはオゾンの匂いもすると言う人もいるが大変すがすがしい。また、その後はしっとりとして良い睡眠をとることが出来る。これも大気中にはマイナス・イオンが大量にばら撒かれた結果である。

  一つ、学術的な目でこれらの状態を調べてみよう、科学的な見地からのダイジエストである。

    (1) 真空間は勿論、質量は0(ゼロ)であるが、それは陽電子と陰電子(電子)が等量であるから、プラスのマイナス の質量が均衡しているからである。その均衡が崩れた状態が、陰電子(電子)の発生であり、その逆が陽電子の発生である。つまりそこに磁界が発生すると言うことである。陰電子(電子)がマイナスの質量を持ち、陽電子がプラスの質量を持つ。真空間ではその二つが対をなしているのであり、したがって質量が0(ゼロ)となるのである。

    (2)マイナスイオンは細胞の活性化を促進し精神を安定させ疲労回復効果すなわち自己治癒力 が高まる。また   有効生物・微生物は自然治癒力を高めると言われている。人間の身体の場合、血液中にプラスイオンが多くなると血液 のペーハーが酸性に近づき、細胞の新陳代謝が低下して健康に悪い影響を及ぼすといわれる。反対にマイナスイオンが多くなると血液 のペーハーは弱アルカリ性に傾き新陳代謝が活発化して健康な身体を維持することができるのである。

(3)平均脈拍の高い患者ほどマイナスイオンによる脈拍の減少効果が高く現れていると言える。概ね6割以上の者に血圧の降下が認められ、更年期の患者に至っては9割以上にも及ぶと言われている。現代の大気のプラス・イオン化が我々の老化に拍車をかけているのである。今の時代、余りにも大気のプラス・イオン化が進んでいるのであり、それに気がつかない人々が余りにも多い、しかし、誰も警鐘はは鳴らさない…!。

 要するに、マイナス・イオンを十分に与えることにより、我々の体は健康を取り戻すことが出来るのである。

(4)一般に、悪臭や化学物質は、全てプラスイオンによる帯電であり、そこにマイナスイオンを吹き付けると悪臭や接着剤などの揮発性有害物質は、マイナスイオンを吸着して、中和状態になると考えられている。即ち、帯電が消失した物質や揮発性で分子量の小さな物質はプラスイオン化した床等に誘引される。すなわち、家中のいやな匂いはすべて落下して中和状態になり匂いは無くなるのである。予防医学の大家は言っているではないか「予防医学の原点は良い空気と良い水を飲むことであると…!。

(5) 地震前に地中のイオンや大気イオンに異常が現れると言う人もいるようである。私もその説を支持する。深い地中に大きな変化が現れる場合には、まず静電気が発生し、それがイオンの異常値となって瞬時に地上に伝わるのである。魚や動物が異常を感じ騒ぐのはそのせいなのであろう。すると、地震の前にはなまずが大騒ぎすると言うのもあながち、嘘とはいえないものである。

    今は一時ほどマイナス・イオンについては話題にはならない、すっかり忘れ去っているようである。そもそも学者先     生と言う者はけしからん、外国の学者が右と言えば、こぞって右の学説を唱えて大騒ぎをする。また別の外国の有     名学者 がいや左であると言えば、こぞって右を捨てて、左に支持を変える。まったく自主性が無いのも甚だしい。     それに輪を賭けてマスコミが持ちあげる。まさに最大の被害者は国民である。その度に心身共に休まらず右往左往    している現状である。もはや体験的に我々は体で知っているのである。いいものはいい、わるいものは悪いと言うこ    とを…。

   今回は一般的なマイナス・イオンについての一般常識や専門研究家達の通説概念を見て見たが、次回は私の個    人的な、そして自己流で実証したマイナス・イオンの効果の真実を見てみることにしたい。果たしてどのような、興味深    い話や破天荒な話が飛び出し、諸氏を面喰わせるのであろうか…!?。まさに話は尽きることを知らない。 以上      次回へ続く…。
                                         

 
  

「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No10

        ≪A true fact that nobody know in the world !!≫   マイナス・イオン編(2)                   (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                      
平成24年10月  謹上 

 

 我々の身の周りにふんだんにあるもので木炭ほど謎を秘めているものは無いであろう。

 しかし、余りにもありふれ過ぎて誰も見向きもしない、注意も払おうとはしない。勿体ない話である。

 確かに、数十年前には木炭は貧乏でダサいものの代名詞であり、金持ちは触ることも嫌がっていたものであった。恐らく、現在でも余り真実を知らない方々は同じ思いを抱いているはずである。
 若し、そうであれば、大きなミスを犯していることになる、いや、現代人のすべては余り基本的な真実と言うものを知らない、知ろうともしないと言うべきかもしれない。

 その点、古代人の方が遥かに物知りであり、経験知においては遥かに優れていたことがわかる。彼等はすべてにおいて数千年という長い経験知から割り出したものを日常生活に応用していたのであり、その効果も十分に知っていたと考えられる。恐らく、現代人より遥かに本質知を知りつくし、自在に扱っていたのであろう。現代人はただただ西洋科学知に憧れ、その姿を追い続けているようであるが、そこには形態知はあるけど本質知はまったく無いことを知るべきである。

要するに、現代西洋科学知は「学問もどき」であって「真の学問」ではない。なぜならば、今のところ「見える世界(物質世界)」を追うだけの「学」であり、あるべきもう一つの「見えない世界(意識世界)」と言う世界の追及はまったく為されてはいないのである。口を開けば二元という「物質」と「意識」が自然の両輪であると言い、原則論では自然は形而上世界及び形而下世界の存在により成り立っていると広言し、建て前としているのであるが…!。

今の科学は余りにも細分化し過ぎてマクロ的な視野を持って全体像を見ることが出来ない、したがって本来在るべき本当の大自然の仕組みを見ることが叶わないのであろう。

本来は大宇宙は意識が統一し、意識がすべてを開花させて森羅万象を創り上げているのである。

その基本となるものは電磁波であり、その波動である。電磁波がエネルギ−形態を生み、そのエネルギ−の濃淡が大自然を形成し、いろいろな波動を生み出しているのである。アインシタインも言っているではないか「エネルギ−の集中したものが物質である、つまり、エネルギ−と物質は同じものである」と…。要するに、エネルギ−の濃淡、すなわち、その密度の濃いところが「物質」であり、薄いところが「意識」なのである。言葉を変えて言えば、エネルギ−の密度の薄く繊細で神妙なところが「形而上世界」であり、濃く少々荒いところが「形而下の世界」なのである。

難しい話は止そう、ハッキリ言えば物質世界の探究のみに明け暮れている現代西洋科学ではいくら頑張っても本当の大自然の正体は掴めない、理解することが出来ないと言うことである。
 現代物理学がいくら人類の最終理論と言う大統一理論を展開しても、「見える世界(物質)」と「見えない世界(意識)」をまたがって通用するものでない限り意味がないのであり、完成された理論とは言えないのである。

何を根拠に素人が、とあなた方はいぶかり、場合によっては反撃もあるかもしれない。が、それはあなた方は余りにも未来にだけ目が行き、現在や、過去には余り関心が無いことを自白しているようなものである。未来と同様に大いなる過去にも目を向け、過去と現在を結ぶことにより未来はその線上にあることを知ることが出来るのである。今や、それが完全に断ち切られ現代は現代、過去は過去として処理されて完全な断絶状態にあり、見通すことはまったく出来ないのである。

それらのことはいろいろな古代の発掘遺跡の語る知などからハッキリと判って来るのである。

我々は余りにも西洋科学知に信頼を置きす、東洋的な古代知を見下してきたのである。その証拠に今になって西洋科学は東洋的な知、すなわち東洋の神秘学に目をつけ調べ始め、その結果、現代物理学の最終的な流れと東洋の神秘学は極めて共通項が多いのにびっくりし、改めて学び始めようとしているのである。
 要するに、二千五百年前の東洋の神秘哲学の語る世界と現代物理の量子学の生み出す世界観は殆ど同じであることに改めて驚き、見直しを始めているのである。そのあたりを一応頭に入れて以下の文を読むと余り抵抗感がなく、なるほどの感じで無理なく理解ができるはずと思う。

ただし、余程アンテナを高く掲げ、真実の目を持ってしっかり考察しない限り、これらの真実を理解することは難しいのは言うまでもない。今の学者達は余りにも誇りが高くそれが出来ないのである。

果たしてあなたはそれが可能であろうか…?!。

古代から連綿と続いている有名な神社や観光スポット地にある由緒ある建物は殆どイヤシロ地に建てられている。イヤシロ地とは住むと健康になったり、動物が集まったり、植物・農作物が良く育つ土地であり、その逆に住人が不健康だったり、動植物が何となく弱い々しく力が無くなった状態になり、建物の老朽化が進んだりする土地がケガレチと呼ばれて敬遠されてきたのである。

 一般にイヤシロチは「癒しの地」、ケガレチは「穢れた地」と解されていますが、イヤシロチの語源は「弥盛地」、すなわち、「生命力が盛んになる地」という意味であり、ケガレチは「気枯地」、すなわち、で「気が枯れた土地」を意味するものである。  例えば、ケガレチなどに店を構えた場合、決して繁盛することは無い。半年もせずに、店は看板を下ろし、次の人がまた看板を上げる、その連続である。誰がやっても駄目なのである。その例となるものがこの近くにある。
 大体10年間に十数人が入れ替わっている、誰がやっても駄目、何の商売でも駄目なのである。要するに、お客さんが全く来ないのである。でも、そんなことは誰も問題にはしない、次々に店舗は貸され、次々に住人が変わっていくだけである。げにも恐ろしきはイヤシロ地でありケガレ地である。 でも、誰もそのことを知る者はいない…!!。

そのあたりに関する話を少々拾い集めて並べて見ることにしよう。なかなか、興味深い話であり、今までのように笑い飛ばすことの出来ないシリアスな意味を多分に持っているものである。ゆっくり読んでほしい。理解が出来、納得がいけばあなたは大いなる過去に未来を見ることが出来ることになるのである。


(1)


 有名な話として、1972年中国の湖南省で発掘された「馬王堆の古墳」から女性に遺体が発見された。この遺体は死後2000年以上経っているにも関わらず、まるで死んだばかりと言ってもいいような状態であった。しかも、内蔵関係なども古さは見られず、新鮮そのものであり生前に心臓病、肺病、胆結石などの病歴があり、死因は狭心症にかかって啖がつかえたために死んだことも判る状態であった。胃袋の中には死ぬ何時間か前に食べたアマウリの種が176粒残っていて、しかも種を播いたら発芽したのである。
 その姿は余りにも常識では考えにくいほど新鮮な状態で、担当した学者達は調査の結果、「死後、4日の驚くべき状態を保っている」と発表した。この驚くべき理由については、密閉された棺桶の周りを5トンにも及ぶ木炭の層が覆い、除湿や その他の効果があったものと思われると報じている。
 また、遺体は約 80 リットルの無色透明の液体に浸っていたが、出土後ほどなく液体はチョコレート色に変色したそうである。私の経験と推察では間違いなくそれは木酢油であろう、しかも精選された完全透明なものである。同じもの作って少し置くとだんだん透明が焦げ茶色に変わるのは実験済みである。恐らく、空気中のプラス・イオン等を吸収して不純化するからであろう。

この事実はまったく我々の耳目を驚かせるものであり、肉体と健康の極み、その保持の在り方をいろいろ教えてくれるものである。なんせ、2000年経っても肉体は4日間の経過しか示していないとは何と素晴らしく、ミラクルな出来事なのであろうか…!!。今や、人類全体がその秘密に関心を持ち、それが解明されるのを待っているのである。
 また、その事実はそれに数十年先だって為された「カタカムナ」の楢崎皐月氏の「炭の効用」と炭埋効果の素晴らしさを立証し、改めてその効果を再確認させてくるものである。

(2)

日本国内でも、発掘された古代墳墓の多くに大量の木炭が使われていることを御存じであろうか。例えば、平泉中尊寺の奥州藤原氏三代のミイラなど、遺体の保存に木炭が使われていた例等があるのである。また、日本最古の木造建築である法隆寺や伊勢神宮下には大量の炭が埋め込まれていると言われている。それが長く建物を保存するための最高の秘訣であると言われて来たのであるが、数千年経った今になって見れば、まさにその通り、言い伝え通りであったのである。 

 『温故知新』…、まさに「古きを尋ねて、新しきを知る」の言葉が生きているのである。

(3)

これもまた実際の話である。家屋敷地内に炭埋した結果、即、家中のあらゆる場所、すなわち、土の中を含む家のあらゆる部分から悪臭が出て、家の中にはいられず2〜3日外泊を余儀なくされたとの事例がある。その家は数十年前に古い厠(かわや)をそのまま埋め戻してその上に新しい便所を設置した家である。本来なら、長年にわたって匂いが浸み込んだその場所の土を大きく深くえぐり掘って土を入れ替えなければならないのであるが、当時はそこまで考は及ばなかったのである。

驚いたことに、炭埋後は家屋内の空気は全くすがすがしくなり、まったく家の雰囲気が変わったと家人は言う。その影響は家屋だけにとどまらず、そこに居住する人々の体内の中まで及び、体内のガスや排出物にも大きく作用し健康生活に多大な貢献を果たしていたのである。何故なら、そのような人々の体は割合に無臭であり、病気と言うものを生涯知らないからである。それはすなわち、体の中まで浄化され、体も心も清浄な気に満ち々していたと言うことである。
 私の知り合いにもいる、93歳になるお婆さんが縁側で裁縫していたが、しばらくして家人が覗いたら針をもったまま安らかな顔で亡くなっていたのである。まさにこれがピンピン・コロリの極楽往生であり、私もそうありたいと願っているものである。

専門家は言う、体の中に大量発生しているガスや活性酸素にマイナスイオンの持つ電子を与えればすべてはただの酸素や水になり、恐ろしい体の内部の酸化や炎症、潰瘍などの発生を取り除くことが出来ると…。それはまさに、健康な体、病気にならない体をを作るための最良の方策であり、予防医学の最先端の方法と言うものであろう…!!。

 

まあ、ここまでは信じられる話であり、当たり前の話と理解はされる。しかし、私にも解らないのは炭埋して土地をイヤシロ地化したその後、電気料金が大幅に減ったという面白い報告が結構あることである。中には半分になったと言うある工場からの報告もあったのであるが、まさかと思って誰も本気で調査する者はいなかった。しかし、そこには今の科学では説明の出来ない何らかの理由が潜んでいるはずである、一体それは何だろうか…!?。

なんせ、木炭は遠赤外線やマイナスイオンを放出し、しかも電磁波、あるいは放射能を防ぐ働きがあるそうである。
そこには未だ人間の知らない大きな自然の秘密があることは間違いないことである。それだから人間の知り得ぬハプニングも起こることは十分に予想される。我々の理解出来ない不可思議なことがあっても当然と考えるのが普通であろう。

         <これらの報告は電子物性総合研究所の機関紙より転載…。本筋はHPの「時空船ガイヤ」を御参照あれ>

(4)

日本古来の製鉄法「タタラ」は砂鉄と木炭で作られる、すなわち、高温にすることにより、砂鉄から酸素を奪い、代わりに木炭の炭素をくっつけるのである。その結果、出来あがった鉄は不純物が非常に少なく、強靭性に優れ、粘ッこくて、折れず、曲がらず、欠けず、しかも200年、300年経っても腐食はなかなか進まないと言われるものである。それが世界に名高い日本の名刀であり、その由縁由来である。現在では「浸炭焼き入れ法」と名を変えて金属に炭素を添加して硬度を上げ、十分な耐摩耗性を持たせることが可能な焼き入れ技術として日本の近代工業発展に多大な貢献を果たしている。

また、現代ではあちこちで炭素がもてもての状態である。超電導、宇宙船、飛行機、果てには自動車や電車まで炭素を練り込んだ繊維材料が巾広く使われようとしているのである。その強さは何と鋼鉄よりも遥かに強いと言うのだからまさに驚きである。強くて軽い、伸びない、変形しない、腐食に強く錆びない、耐熱性があり、燃えることも無い、まさに完全無欠な性質を持つ完全素材と言えよう。まさに、究極の材料であり、未来に駆ける夢の材料である。

(5)

これは余談であり、私にも信じられないことなのであるが、一応記しておきたい。

大量の木炭を埋設した家屋にはどう言う訳か大地震の際に被害が出ず、家屋の損傷がないと言われている。要するに地震が避けて通ると言われているのである。同じようなことを新潟県の大変古くて由緒ある有名な古民家でも観光旅行に行った際聞いたことがある。その有名な豪農の館は観光の名所として知られており、百数十年前の建築の際、大量の木炭を地面に埋めた。その結果、大きな地震が何度も襲来しても一度たりとも被害を受けたことが無いそうである。

(6)

更に一つ、木炭を微粉末にして食物と一緒に食べてしまう、しかも大変食べ物がおいしくなる事実を貴方は知っているであろうか、これは決して眉唾ものなどではなく、私自身でも実証済みなものである。

ある東海の地方都市の新興住宅地に名も無い食堂がある。それはまるでどこにでもあるような普通の家であり、その付近の何処にもその店の看板などは何も無い、店には「店の名前」も掲げてもいない。 しかし、驚くことに店は何時でも超満員なのである。噂が噂を呼びお客は常に行列をなしている状態である。そこはスパゲッティがメインであり、しかも真黒いスパゲッティが評判を呼んでいるのである。
 何とそこでは微細炭、木炭を特殊な方法で超微細カ−ボンとしてスパゲッティの中に練り込んでいるのである。それがまことにうまいので大人気を呼んでいると言う訳である。

もう一つその同じ都市に、大変おいしい大福饅頭を作っている店がある。その饅頭のアンコにはやはり超微細カ−ボンが添加され、味を引きしめているのである。私もその昔、15年くらい前に恐るおそるその両方の店にお邪魔して味わったのであるが、確かにずば抜けておいしいと思った。バスで同行した仲間たちも同じ意見であった。しかも、食べた後には大変気持ちよく、心が安らぎ、満足感が広がるのである、何だろう…!?。一体何があると言うのであろう…!?。

(7)

 更に一つ付け加えて置きたい、栃木県の足利市には「足利フラワ−パ−ク」と言う花の名所がある。そこには有名な藤の大木、恐らく樹齢数百年くらい経ったものが沢山ある。毎年素晴らしく綺麗な花を咲かせるので大変有名な場所である。
 いまでは世界から絶賛され、その美しさを誇っている。恐らく、藤に関しては世界一であろう。
 実はこの土地は有名な荒れ地であって植物等は育たたず、農地としては甚だ不適当な場所であったのである。このような土地に観光の場を作り藤の大木を移植しょうとしたのであるが、植物園関係者や造園業者は無理である、出来ない相談であると大反対したのである。そこで土地全体を改良しょうと言うことになり、案を公募したのである。そこで我々のグル−プが炭埋してイヤシロ地化するのが最良であると申し出、了承を得たのである。そこですぐさま、300トン近くの炭埋用の木炭粉が運び込まれ、法則に従って広い土地に炭埋が施され土地全体をイヤシロ地化し、藤の大木をすべて移植したのである。         

その結果どうであろう、全国から運び込まれた藤の大木は一本も枯れることなく見事に成長し花を咲かせているのである。今では、日本一、いや世界一の藤の花の名所となり人々の目を楽しませているようである。私たちも関係者としてバスを仕立ててその3〜4年後に見学に行ったが、事情を知る職員達には大変感謝されて面目を施した次第である。
 そこはまさにイヤシロ地として完成された場であり、十分なエネルギ−を持つビックリするような土地に化していたのである。  まあ、当時の苦労も今では懐かしい思い出である。

炭にはこのような大きな威力があり、重要な効力があることを誰も知らない、ただ、知っているのは風水による吉、凶の噂だけであり、聞きかじりのちょい知だけである。それは玄関あるいは部屋にほんの少しの木炭を飾ってよしとしている姿であり、単なる儀式、見せかけにすぎないものである。恐らく、一時的な流行りものの類に過ぎないものと言えよう。

もっと本質的な理を知らない限り、それらは意味のない遊びに過ぎないことを知ってほしい…!!。

考えてみれば、何となく面白いではないか…!、「炭」と「ダイヤモンド」、更には「甘い砂糖類」の間には完全な共通点があるのであるが、お解りであろうか。 その3ヶは皆カ−ボン、すなわち炭素から成り立っているものであり、見た目はまったく違うけれど紛れもないカ−ボン兄弟であり、基本波動はまったく同じものなのである。 そう考えると人間だってまったく同じであることが判る、 なぜならば、人間もカ−ボン体であり、基本構造要素は炭素で構成されているからである。SF的な宇宙サイエンス用語では人類のことをカ−ボン ユニット、すなわち、炭素構造体と呼ぶそうな。

類は類を呼ぶ、朱と交われば赤くなる、波動の同じものは互いに引きあうのはこれ当然である。考えて見ると、人間は本来、「甘いもの」には目がない、現代人は「ダイヤモンド」が大好き、また古代人は「木炭」を大切にして、常に身近に置いて用いていたと言うのも大変面白い。 やはり、同一波動を持つので好みに合う、気が合うと言うことなのであろうか…?!!。  

果たして、この中で最も大切なのは何だろう、意外にもそれは炭である。もし、私が無人島で一人ぼっちで生活する場合、この中で最も必要とするものとしては炭を選ぶであろう、何故なら最も利用価値の高く、必要性が高いからである。「ダイヤモンド」はお金を呼び、「甘いもの」は知を呼び、「炭」は健康を呼ぶものである。果たして、あなた方はどれを選ぶのであろうか…!?。

             以上



「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No11

             ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と空気の切実な話 @)
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成24年11月  謹上 
                                                
 

 あなたは気づいているであろうか、体に変調が起きたり、気分がわるくなったりするのは大体において細胞自体が栄養や酸素が足りなくなり老廃物(プラス・イオン)が増加して細胞が弱ってきた結果であることを…。その対処療法とは回復するまで暫時マイナス・イオンの場に身を置くこと、それがベストであり、身を救うことになるのである。 そんなことは誰も知らない、ただ薬を飲むか、医者に行くかであろう。
 自分の体のことを誰も知ろうとはしない、自分で体を自分でケア−することなどは誰も考えてはいない…!!。

 今は恐ろしい時代である、生きるためには最も必要であり、欠くべからざる大要素である大気や水の中にプラス・イオンが大増加して体の細胞の力を削ぎ、健康状態をどんどん悪化させているのであるが、誰もその事実を知らない、誰もその事実を認めようともしない。プラス・イオンが溜まるとは身体の細胞に免疫低下を招き、血液の酸性化を増大させることである。

 最早ぐずぐずなどは出来ない差し迫った状況であり、大変な危険状態が迫っていることを国民全体が認識するべきである。しかし、誰も言わない、誰も警告を発しない。なぜなのであろう…?!。

 確か、去年あたりの医療関係の費用は40兆円に近い、それは国家予算の半分に近いもので、一年間の税金の総収入とほぼ同一と言うことであり、まことに肝を冷やすような恐るべき数値なのである。これを何とかしない限り、これだけで国全体、国民全体が共倒れになる危険性が十分にあることは明白である。それに今後の大量のガンの発生予想は二人に一人とまで言われ、倍々ゲ−ムのように増えていく状態が加わるのである。 一体これからどうなるのであろうか…??!!。

 しかし、誰もそんなことには気がつかないし、考えようともしない。まさに、極楽トンボそのものである。国民の誰も騒がない、気にしない。医療関係者だけがほくそ笑んでいるだけである…!!。

 私は敢えて言いたい、出来るだけ自分で正しい知識を身につけ、自分の家族は自分で守ることが大切であると…。そして、それに気付いた者だけが無事にこれからも生き延びることが出来るのであると…!!。

 私は訝しく思う、なぜ政府関係者は騒がないのであろうか、対策を練ろうとはしないのであろうか…?!。余り世事に長けていない私でも気が気じゃないのであるが…?!!。政府関係者や鋭敏な頭脳を持つと言われる学者、役人達の誰も警告を発する者もいないのも不思議である。すると、私一人だけが苦労性であり、余分な気をもんでいるのであろうか…?!。
 それとも、現状から見て、ガンになったら最早助からないという事実が我々を落胆の極みに落とし込み、すべてを諦め、なるようになれと自暴自棄になっているのであろうか…??!。
 それとも、何か口出しすればわが身に返ってきて村八分にされるのが恐ろしいのであろうか。 さて、はて…!?。

 なぜ、こんな易しく、簡単な事実に誰も気がつかないのか、まさに不可解千万であり、ミステリ−な話である。

 あなた方は諦めればそれでいいかもしれない、しかしその後の子孫達のことを考えたことがあるであろうか、もっとひどい憂き目を彼等は見て塗炭の苦しみを味わうことは必須なのである。それを避けるべく、なるべく、我々の世代が出かしたことは我々で責任を取るべきであり、決して後世に憂いを残すようなことがあってはならないのである。

 それとも噂にあるように医学会と薬学会はガンの特効薬が出来ることを非常に警戒し、決して許さない、新しい薬が出来ればすぐに手を打ち、世には出さないようにしていると言う噂は本当なのであろうか…?。なぜならば、ガンを完全に克服する薬が開発されると病院や医者は立ちいかなくなって路頭に迷うからと言われているようであるが…!?。
 まさか、それほど愚かではないはずである。

 それも今回、岡山大学で発見された「テロメライシン」というガンの特効薬が世に出るか出ないかによりはっきりするであろう。なんせ、投与後ガン細胞はキレイに姿を消し、なんと60日後には元の健康体に完全に戻っていると言うのだから…!!。しかも一切の副作用は無いそうである。何と言う奇蹟なことであり、喜ばしいニュ−スではないか…!!。
 その臨床試験が数年前から世界中でおこなわれているので、もう結果が出て来るはずである。

 それが認められると医学界はガン特効薬の誕生を決して許さないというのは単なる噂に過ぎなかったと笑い話として終わるであろう、その代わり、うやむやになった場合には噂は本当であったと言うことになり、天下の一大事に発展する可能性が出てくるかも知れない。 
 それもあと3年もすれば解ることであろう。この3年は日本人にとっては大変長い3年であるが待つことにしょう。

 これが実現の暁には、まさに人類に貢献するきわめて尊い功績と讃えられ、日本の誇りと大きく胸を張れることになるのである。その上、世界中から感謝されて永遠に歴史の中で語り継がれていくことになるのである。

 しかしである、その前に我々の手でしなければならないことがある。それは恐らく誰でも知ってはいるが、口には出せないと言うものである。なぜなら、問題は余りにも大きく、口に出しても、なかなか手に負えるような代物ではないからである。
 それは恐らくは国家的なプロジェクトとして遂行しなければ実現不能なものと思われる。しかし、そうだからと言っても我々個人々はその根幹をしっかり知り、糺さなければ遂行は不可能なものである。もし、これらをなおざりにすれば、恐らく、我々にはもはや未来は無いと考えてもいいであろう。
 一言で言えば、愚かにも我々は自分で自分達の未来を消しつつあると言うことである。 何てこった…!!。


≪その1≫

 例えば、大気を見てみよう、ただただ、恐ろしいの一言に尽きる。それほど事情は切羽詰まっているのである。しかし、誰も話さない、誰も聞こうとはしない、お互いに知っていながら黙りこくっているだけである。
 道路を見るがよい、溢れるばかりの車がプラス・イオンを極限まで吐き出し、朝から夜中まで走り回っているではないか…。街路樹を見るがよい、すべてが黄色くなって気息えんえんの状態である。しかも、そこは人間様の住んでいる街の中である、街路樹だけが影響を受け、人間は無事であると思っているのがおかしいのである。そんなことには関係なく、各自動車の会社は他社には負けじとばかり毎年増産を企てているのである。 どこかおかしい…?!。なにか変である…?!。

 空を見るがよい、大型の飛行機が飛び交っているではないか、総重量は100トンを超す鉄の塊である。それが飛び上がる度に燃料はドラム缶何十本も必要なのである。飛行場に行って見るがよい、5分から10分に一機が飛び上がっているのである。日本全体では恐らく50万回以上の飛行機の離陸が一年間に行われているはずである。ただし、これは日本だけの数字である。その度に大気の汚染により気分が悪くなると言う病人がどんどん増えていくのであるが、御存じであろうか…!。

 あなた方は知らないであろう、アメリカあたりまで飛ぶには燃料が片道ドラム缶一千本位が費やされることを…。その遠距離飛行は世界中でどのくらい年間に行われているのであろうか、だれか教えてほしい。私が言いたいのは地上の大気汚染と同じくらいの大気汚染が上空でも発生し、成層圏気流に乗って世界中に拡散し、空気を汚染していると言う事実の存在である。何時か自然のしっぺ返しが来ると思わなければならない。

  ≪その2≫

 いや、そればかりではない、我々生命の母である海を見るがよい、巨大なタンカ−が目白押しになって走っている、無数の漁船が海を埋め尽くしている、フェリ−が同じ場所を一日何回も往復している、何万、何十万トンという貨物船や観光船が世界を巡って走り回っている。それらは重油、すなわち、ガソリンや軽油を取り出した残滓油を燃料としているので、大量に海を汚し、かつ大気も汚しているのであるが、誰も頓着もしない、気にもしないのである。
 例えば、一隻の1万トンクラスのフェリが東京〜九州まで行くにはどのくらいの燃料を消費するのかご存じであろうか、驚くなかれ、片道ドラム缶で800本の重油を必要とするのである。

 なんてこった…?、すべては生活上必要ないことをして自分自身の命を脅かし未来を捨てているのである。何て愚かなこと、なんて知の無い生きものなのであろうか…??!!。

 これら、陸上と海上、それに空中と言う地上全場において、現在、大気はひどく汚染され、健康や生活にまで重大な影響を及ぼしているのである。それは人間の生活ばかりではなく動植物にも多大な悪影響を与えていることを我々は改めて知らなければならない。これらの大気の汚染物質とは、窒素酸化物(NOX)や粒子状浮遊物質(SPN)、二酸化炭素(CO2)、などの塩素化合物の総称である。特に農薬などに含まれ最強の毒性をもつものはダイオキシンと呼ばれる強力なプラス・イオン体であり、自然の手では消化や吸収は一切出来ないものである。

 今や、これらは地球温暖化を始め、酸性雨、光化学スモッグなどの発生原因になって我々の体を静かに蝕み、思いもよらぬ重大な病気を誘発、死に至らしめているものであり、とんでもない代物と言うべきものなのである。

 確かに最初(20年前)は新聞、テレビで大騒ぎをした、しかし今では慣れてしまいダイオキシンの強毒性などについては誰も気にするものはいない、その言葉さえも忘れているようである。

 これらのプラス・イオンを含んだ大量の汚染物質は発がん性物質であるだけでなく、人間の神経系統と頭脳、精神にもダメージを与え異常をもたらしているのであるが、しかし、誰も追跡調査する者もいない、騒ぎたてる人もいない…!!。何てこった…!!。

我々は大気がそれほどまで汚染されていることを知るべきである、世界の住民の一人として…!!。


  ≪その3≫

 次は水である、空気と同様に水はすべてのいけとし生けるものの体の70〜90%を占める最重要な基本構成物質である。空気がなければ一瞬にして死に至り、同様に水が無ければ1週間とは生きられないのである。世に中で最も大切なものは空気と水なのであるが、それらは共に一番粗末にされているものである。 あなたは知っているであろうか…!!。

 恐ろしいことに、その水も今や人間の手で故意に汚染され殺されようとしているのであるから何をか言わんやである。しかもその事実を水を扱っている役所は知りながら行っていると言うのであるからまさに空恐ろしい。一つの犯罪である。

 しかし、そのことを一般人は誰も知らない、誰も非難する者もいない、なんてこった…!?。


 日本の国では法律によりわざわざ水を汚染している事実があることをあなたは知っているであろうか…?。

 そして汚染されている水は飲んでもいいが、汚染されてはいない水は飲めない、飲んではいけないと言うことが法律により定められ、それが広くまかり通っているのである。あなたは耳を疑うであろう、そんな馬鹿なことがあるはずはないと…。しかし、私は事実を申し上げているだけであり、誰も否定できない現実のことを申し上げているだけである。

 現に今、川の水、湖の水、地下水などの自然水を一般家庭では使用したり、飲んではいけないことになっている、なぜならば、自然水は汚染されている恐れがあるので法律でそう定められているからと言うのである。あなたは知っているであろうか…?。  とにかく、水道水以外は使用してはならないと言うのである。何だろう、 何かおかしい、どこか変である…??。

 現在、生活排水はある程度は垂れ流し状態である。まあ、役所によってはしっかり管理して環境汚染物質を取り除いていると言っているが、それもある程度であり、100%完全とは言えないであろう。
 特に最近、トイレ、お風呂、台所で強力な洗剤、あるいはシャンプ−がが使用されているようであるが、それらは100%成分除去が可能なのであろうか…??、それらは汚水処理により完全に無害化されているのであろうか、…??。

 それらの洗剤の中に含まれる界面活性剤は強力な毒性を持ち、皮膚から浸透して血液の中にまで溶け込むと言われている。なぜ、そんな毒性の強いものが市販されているのであろうか…?。その理由は化学的に大量生産が出来、コストが安く企業が儲かるからである。そして、さしあたり人間には優しく、使っても異常はないとのテレビの宣伝文句で流して国民を信用させているからである。しかし、長年の使用により体にどのような影響を与えるかは誰も考えてはいない、誰も知らないのである…!!。 何と、20年先、30年先の国民の健康にどう影響を及ぶすかなどは誰も考えてはいないのである。
 まさに、国民不在であり、ただただ、これから先の時代に生きるのが恐ろしいの一言に尽きるのである…!!。

 有機質なものなら自然が分解して無害にしてくれるが、人工的無機質なものは分解不能であり、永遠に水の中に残り、時間と共に増加の一途を辿ってどんどん蓄積され濃度を増すだけである。何てこった…!!?。

 現在、し尿と呼ばれる雑排水は全体の30%、台所、お風呂、洗濯水の雑排水は70%くらいと言われている。まあ、し尿の方はすべて有機物なので自然のバクテリヤ類が処理してくれると思われるが、問題は台所、お風呂、洗濯水の雑排水の70%の方である。そこには人間が開発した人工的な無機物である洗剤材料が大量に含まれているので自然による分解処理は不能であり、時間と共に環境的な負荷がどんどん高まっているのである。それこそ、数十年もすれば自然の水は完全に姿を消し、人類の手にする水はすべて還元不能な環境汚染水だけと言う事態になることになるのである。
 要するに、水道水に用いるための原水、川やダムの水がすべて洗剤で高濃度に汚染されて最早、再使用不能になると言うことであり、それは同時に人類は最早生存不能と言うことでもあるのである。 今のままでは早晩そうなるのは確実であろう。

 現在、国民の95%以上は水道水に頼っている、しかもその水道水は殺菌と言う名目で強制的に塩素を混入して国民の健康を守るということが建て前として謳っている。しかし、塩素は水中の有機物(鉄、マンガン、アンモニア、プランクトン)と反応して強力なトリハロメタンと言う発ガン性物質を生み出しているのであるが、その事実は完全に放置され無視されているのである。今の主婦達にトリハロメタンと言っても何も知らないであろう。現在、大量発生しているのガンの患者の大部分はトリハロメタンが原因になっているのかもしれないのに…!!?。

  何てこった…!!、何かおかしい、どこか変である…??。

 本来、細菌による伝染病、食中毒等を抑えるために法律では水道水1リットルあたり0,1ミリグラム以上の塩素を添加することと定められている、それが法律と言う網である。
 ただし、困ったことにわが国では上限は定められてはいない、それは0,1ミリグラム以上であればいくら多くても構わないとのお上のお達しである。もっとはっきり言えば、滅多にない病原菌による病気の発生を防ぐために塩素を水道水の中に添加したのであるが、それは同時に水道水の中の有機物と塩素が反応してトリハロメタンと言う強力な発ガン性物質が副次的に大量発生させてしまうことになるのである。それを確実に防ぐ方法は今のところ無い。発生存在しても止むを得ない、構わない、防ぐ手立てが無いと言うことで放置したままである。何かおかしい、どこか変である…??。でも、誰も騒がない…。

  まさに国民不在のものであり、国民の健康無視のものである。

 これが日本の法律であり、優秀と言われている日本の学者が定めた世界に類の無いものである。そこには上限は無く、下限があるだけである。 素人が考えても、それはおかしい、どこかが狂っていると言えるものでは無いのか…!!。

 それは欧米諸国の水道事情を見ればすぐに解ることである。なぜならば、日本を除く多くの国々ではしっかりと上限も決めて、上下に巾があり、それをしっかり守っているのである。もし、違反したら犯罪者の烙印を押されられかねないものである。

 しかし、それが日本にはそれが無いのである、塩素を入れたくばいくら入れてもいいのである。

 何と、アメリカあたりでは余りにも健康上の問題点が多いので今では塩素は使用されてはいないと言はれている。
 それにしても日本は確かに異常である。何かおかしい、何かが変である…??!。しかし、誰も騒がない…!!。

 たしかに、一昔前の日本の水道は飲んでおいしかった、それは自然の力を利用した浄水濾過方式と言うゆっくりと砂や木炭を濾過して水道水としたものだからである。ところが1960年以降「急速濾過方式と言われる塩素の力による殺菌方式に変わり、大量の塩素投入が始まり、それが今も続いているのである。

 なんせ、上限はないのである、東京、大阪、神奈川等の大都市では地域により1.0〜1.5ppm、すなわち、法律で定められた下限の10倍から15倍くらいの数値はは今でも投入されていると言われている。それらは諸外国よりも10倍以上多いと言われる空恐ろしい塩素の投入量の存在が日本にあることを物語っているものである。 何と言うこと…。信じられない…!!。

 それは必然的に、トリハロメタンも外国の水道の10倍から15倍以上の大量発生がそこにはあると推察されるものである。そんな単純な計算が今の日本人には判らないんであろうか…!!。

 また、塩素投入と同時に、アトピ−性皮膚炎、動脈硬化、脳梗塞、心臓発作、ガンなどが多発し始め、しかも、現在でその発生はどんどん進行中であり、現在でも年々増え続けている。 さあ、この事態をあなた方は何と考えるのか…!!。

 これらの病気の多発と塩素の消費量のグラフラインは見事に一致していると言う報告もあるが、誰も気にしない、誰も考えようとはしない…!!??。 さて、さて、はて、はて…!!?。

 そのあたりは次のもの言わぬ事情あたりから自ら判断し、自ら結論を出してもらいたい…!!。

 
 @  芝生や庭木に水道水をかけ続けると、塩素枯れを起こす。

 A  ゴルフ場などでは芝生に水道水をそのままかけるような馬鹿なことは絶対にしない。

 B 水道水に魚を入れると死んでしまう、金魚鉢に水道を入れるとすぐに弱ってくる。それは水道水の中の塩素が魚のエラの細胞を破壊してしまうからである。

 C  最近は少子化が進んできているのであるがその原因は一体何であろうか…??。体の中で最も塩素の吸収率が高いのは陰嚢であり、ほぼ100%である。すると陰嚢の中の単細胞の精子は…??!。

 D  更に、塩素は血管障害や心臓病、脳卒中の原因となり、アトピ−や花粉症、あるいは民族滅亡病と言われるガンの発生源になっているとも噂されている。近い将来、二人に一人ガンで亡くなると言われているようであるが…?!。

 E  現在、日本でも100%近くの家庭ではシャワ−が使用されているが、シャワ−の害については何も知らない。噂にもならない。

 1986 年の米国化学学会では、シヤワーを浴びたりお風呂に入ると呼吸ならぴに皮膚吸収により塩素が体内に取り込まれ、その摂取量は水道水を飲んだ場合のそれと比較すると、6 〜 100倍と高く、人体への影響は無視できないとしている。要するに、塩素は気化しやすいため(25℃でガス化)、シャワ−を浴びる過程でガス化した塩素は狭い浴室では100倍にも増え、それを吸引することになりかねないのである。アメリカはシャワ−文化の国である、そのあたりを考えて今では塩素は全く使用することも無く、シャワ−も安全となっているのである。

 そんなことは日本人の誰も知らない、学者達も調べようとはしない、何と言うこと…!!?。

 賢明なあなた方にはお解りであろう、何処の公的水道施設でも何か有事が起こった際、責任を取らされるのを避けるために既定の数倍という量の塩素を平気で投げ込んでいると言うのである。なぜならば、塩素は水の中の物質と結びついて強力な毒性を持つことになると言う事実を知らないからである。しかし、考えてみると彼等も被害者である。なぜならば、そのような事実を何も教えられてはいない、知らされてはいないからである…!。いったい、誰が悪いのか…!!。誰に責任があるのであろうか…?!。

 要するに、現段階で水道が原因で何人かの細菌感染による死病者が出たら大問題になり、大騒ぎになる、それでは困るのである。それよりも10年後、15年後に発がん性物質であるトリハロメタンの蓄積により数万人、数十万人死んでも構わないと言う端的な責任逃れの口実がそこにはあるのである。そこにはまさに日本の役所根性が丸見えであり、役人特有の責任逃れが伺えるものである。我々俗人の常識にはとても考えられないことであるが、彼らにはそれが普段の常識であり、身を守る常識知なのである。

 いや、笑っている場合ではない、空気と水の限界は一気に来て、対策とて無くすべては一瞬でジ・エンドになるのである。その中になど言っていてはすぐ手遅れになり、後悔することになるのである。

 せめて、そうならないための手立てくらいは自分の頭で考え、実践すべきではないのか…

 少々お金がかかるなどと逡巡していたら一家全員が何らかの形で体に不具合が生じ、病院の御世話になり、挙句の果てには命さえも失うことになりかねないのである。それでは本人はもとより一家の大不幸を招くことになるのである。
 少しずつでいい、まずは見識を広め対策を考えるべきであろう。自分で考え、自分で実行に移す、一家を構えているなら、そのくらいの力量と実行力が無くてはどうするのか…!!。

 道はあるのである、ただあなた方は知ろうとはしないだけであり、信じようとはしないだけである。しかし、ことは自分の体に関することであり、家族の健康を守ることである。そのためには不退転の心構えが必要であり、それが無ければいい結果を結ぶことは出来ないと考えるべきである。一家を守るのが男の務めなのであり、少々の経済的な出費は止むを得ないと考えるべきであろう、

 
 初めて水道水の中のトリハロメタンと大気中のダイオキシンが騒がれはじめた平成の初めの頃であったと記憶は伝えている。とにかく、その頃は新聞でも、テレビでも大騒ぎの真っ最中であった。主婦達も口から泡を飛ばしながらその発生についていたるところで激論を交わしていたものである。ところが今ではそれらの言葉さえも誰も知らない、覚えてもいないと言う有様であり、完全に思考停止の状態をきたしている状態なのである。 なんてこった…??!!。

 
 私は20年くらい前に家族を守ることを第一義に、長年憧れていた新車の購入を諦めて中古車で間に合わせたのである。 その差額で楢崎皐月氏の考案したとされる静電気誘導器具を買い生活の中で使い始めたのである。機械は至ってシンプルで頑丈なので恐らく故障などはまったく無く一生使えるものである。今のところ電気代以外は一切出費ゼロである。

 いつも、静電気を誘導してマイナス・イオンを発生させていい水(酸化還元電位200くらい)を作り、米や野菜などの中のガスや農薬を中和しておいしく保ち、お風呂に誘導して体のガスを抜き、塩素を無害化(トリハロメタンなどは0)して安らぎのお風呂、すなわち「極楽電子風呂」と言う名前のお風呂を楽しんでいる。 
 ついでに、同じエレクトロン・チヤジャ−機を用いて部屋全体に静電気を誘導してマイナス・イオンを満杯にしている。
 これは私自身の独創品であり、誰もおこなってはいないものである。
 そのあたりの事柄については不日申し上げて見たいと思う。 ただし、気が向いたらである…!!!
   <水の酸化還元電位200とは病気の予防レベルの還元された水を指す、また水の酸化還元電位100以下であれば病気を改善すると 言われている>.
 *   <トリハロメタンの発生率0は()日本食品分析センタ−の電子水分析データーによる>


 まことに有難い存在である。電気料金も恐らく1ヶ月100円か200円くらいであろう。そう言えば、大阪から来た電気工学の権威はこんなに周波数が高い状態にある状態はとても常識では考えられず、大変不思議なことである。恐らく、宇宙エネルギ−と同調して宇宙エネルギ−を呼び込んでいるのだろう、だから電気代もかからず安いのであると言っていたことを、今思い出した。 
 私もさもあらんと思う、いや確かにそうであると思いたい。  

                                                   以上…、11月の号外(完)

  

「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No12

             ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と空気の切実な話 A)
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成24年12月  謹上 
                                                
 

 考えてみると、水と空気は生命維持には欠くべからずのものでありながら、在るのが当たり前のような気持ちで誰にも無視され粗末に扱われている。それは何処にでも同じような状態で遍在し、誰でも同じように手に入れられるので誰も感謝はしない。まさに、大きな矛盾である。我々も余程のことが無い限り、気にはしないし、有難く思うことも無いのである。まあ、敢えて大げさに言えばそれらは「神」と同じものである。日頃、思い出すことも無く、また特に感謝の念も無く観念上在って当たり前のものとして、まったく無視の状態である。

同様に「神」もあらゆる所に偏在しているが我々は余程のことが無い限り思いだすことも無く、助けてほしいなどと願うことも無い。そう考えると「空気」も「水」も同様であり、本来我々にとっては神の権現とも思ってもいいものである…!!?。
                               ※   <権現=神が姿を変えてこの世に現れたもの、いわゆる神の化身の姿>

とにかく、それらは間違いなく有難い存在であり、生命維持の基本にかかわるものである。
                              
 特に空気は存在感がまったく無く、存在はするがその実感は全く無い。しかし、生きていくためには無くてはならない貴重な存在であることは間違いない。こもごもな見地から改めて検証すると、見えない、透明感が高いと言う微細な振動レベルほど我々の生命を維持するためには更に重要なものであり、神的存在に近いものであると言えるものである。

見えない、透明感が高いと言うことは科学的にはハィレベルな波動を持つ存在と言ってもいいものであろう。物理学者は言う、高レベルなバイブレ−ションを持つ存在ほど透明感が強く、不可視であり、絶対と言う「神」の波動に近いものであると…!。

そうすると、まず……、

《第三位》 水である。無くても2、3日は生きられる。透明ではあるが物質的な性質はもとより視覚的にも顕在性は十分に感じられる。物質的には少々荒い波動を持つと言うことが出来る。そして、細胞の中にあって生命活動を助け、細胞の外では細胞から出された老廃物を溶かしながら体外に排出している。脳は90%、体全体としては60%以上が水で出来ているのである。驚くことに、脳は1分間に0,7リットルの水(血液)が流れているのである。だから私はいい水を飲むと脳の活動が非常に活発になると申し上げているのである。それはまた、概して水は体内にあって生命の維持をつかさどっているものである。また、それは自然界においては限られた部分的な存在であり、制限された存在である。いわば一種の「神の作用」的な性質を持つと言ってもいいものであろう。

我々は水に関しての個々の調査はしてはいない、ただ「水」の一言で済ましている。

それにしても今の日本の水は悪すぎる、かっての日本は世界でも有名な「いい水」の産出国で合った、横浜や神戸に入港した船は争って日本の水を汲んで持っていったものである。神戸などではわざわざ下船して六甲山の麓まで行って天然水を求めて帰ったそうである。ところが、現在の日本の水、すなわち水道水は世界でも最も危険な水に変わってしまっている。
 それは消毒のためにカルキ(次亜塩素酸カルシウム)が大量に混入されているからである。ただ我々はその恐ろしさを知らないのであり、知ろうとはしないだけである。

 そもそも法律上、塩素殺菌処理により生成されるトリハロメタンの量は0,1ppm以下でなければならないと定められているが、実際に東京、大阪で検出されたものは驚くべき数値を持つものであった。何と東京の金町浄水場では95ppm、大阪の村野浄水場では63,1ppmの発がん性の物質が検出されていたのである。塩素の投入量が並はずれて多いと言うことであり、驚くべき量の投入を示す数値である。何と片や千倍であり、もう片方は630倍の数値である。それでは現在のガン患者の大幅な増加もそのあたりに起因していると考えても何ら不思議はない。改めて調べて見て驚きのあまり腰を抜かした…。
 何と恐ろしいことであろうか…!!。しかし誰も騒がない、これもまた不思議なことである。

当時、日本の水質の悪さを嘆いていた武者宗一郎博士は次のように言っていた、「水道水の怖さは想像以上に深刻である、毎日3リットルの水を飲む人間に蓄積される有害物質により、将来人間の8割が死ぬであろう。警告にも耳を貸そうとしない日本の行政とは、一体何であろうか」…と?。その事態は今でも改善されてはいない、今では博士の予言通りに四人に一人の割合でガン患者が発生し、近い将来には二人に一人の割合になるであろうと言われている。恐ろしいの一言である。

誰か偉い人が一言と言えば済むことである、投入塩素の量を守れと…!!。恐らく世界中日本だけであろう、塩素投入量の下限値はあっても上限値が無い国は…。何とお寒い文明国なのであろうか、おお、桑原、桑原…!!。


 そうである、今から数十年前あたりに我々にとって恐ろしいのはコレラ、チフス、赤痢、などのさい細菌性感染病、すなわち伝染病であったのである。当時はガン、痴呆症、花粉症、アトピ−などの病気は余り無く伝染病予防が当面の目的であったのである。ところが、水道水にカルキを付加するようになってからガン、痴呆症やアトピ−、ぜんそく、花粉症などのアレルギ−性疾患が時をおいて徐々に始まって来ているのである。そこにある因果関係、どうしてそうなるのかが医者には判らずおたおたしているだけである。要するに、伝染病予防のために添加したカルキ(塩素化合物)が今度はとんでもない病をじわじわと年数を掛けながら引き起こし多くの人を死に追いやっているのである。何て言うことことであろうか…!!。
 まさに、あちらを立ててば、こちらが立たずである、何かいい知恵がないものであろうか…!!?。

《第二位》 空気である、水より透明度が高く物質的な感じは薄いが生命活動には欠くべからざるものである。不足すれば僅か2,3分で死に至る。そして、水より存在感が感じられない、すなわち、有るのか、無いのか一見して判らないような存在である。

しかし、空気が無ければ我々の体は一瞬にして死を迎えるのである。なぜならば、空気中の酸素は常に血液(水)により全身の細胞に運ばれてエネルギ−を作り、細胞を新しく作るのに使われるからである。それは常に、我々の体外と体内に有って生命の維持に努めているものである。それは自然界においては水のように部分的な存在ではなく、全体的な存在であり、自然界全体に影響を及す普遍的なものである。まさにそれは我々の知ることの出来ない「神の作用」である。

 そこから類察的に考えるのである、すると第一位は何であろうかと…、空気より遥かに完全透明であり、絶対に存在は感じられないものであり、無ければ水や空気よりも早く死に通じるものである。いや、生と言う誕生さえも無くなるものと考えていいものかも知れない。 また、それは更に大きな「神の作用」を持って大自然界の上、すなわち、宇宙全体に君臨しているもの考えるべきものである。

そのあたりは上記の水と空気の存在のリアリテイ、及び性質から類比的に推察することにより、明らかになるはずである。 さあ、考えて戴こう。

《第一位》 それは「神」であり、まさしく「神」である。われわれの目には見えない、感じない、意識しても見えない、存在推察もまったく不能である。水は視覚で感じられる、また、空気は意識により存在が感じられるが、「神」は意識しても一切何も感じられない、ただ第6感にのみ感じられるものである。また、存在的には大宇宙内のすべてにくまなく作用して存在を助け、あらゆるものを見守っている偉大なる存在と言ってもいいものであろう。恐らく、それは0(ゼロ)に近い絶対神妙で超微細な高波動を持っているので我々人間の荒い波動等ではとても感知不能なものであり、絶対性的な波動とも言うべきものであろう。

「神」、それはすべての中と外にあり、すべてと通じ合い、すべてをコントロールしているものである。また、それは体内、体外、心のすべてにわたり生命維持に強く関連しているものである。要するに、それは更に大きな普遍的な存在としてすべての中に浸透し、すべてを支える作用を行い、すべてに於いて最後の帳尻を合わせているものである。
 現代の学者達はそんなものはない、と一喝の下に否定しているがそれは余りにも傲慢であり、まったく自然を知らない愚かな態度と言ってもいいものである。

ここに来て思いだした、そう言えば同じ論理から言えば、もう一つの人間にとって必要欠くべからざるものがあることを…?!。それを第4位に据えて置く必要がありそうである。いや、必ず据え置くべきものである。

それは神や空気や水と同じように人間の生命維持には絶対的には必要なものであり、それが無ければ恐らく3日も生きてはいられないであろう。しかも、それは「神」や「空気」、「水」と同じように誰にも感謝されることも無く、また、話題になることも無い。いや、かえって一般的な人間様から蛇蝎のごとく嫌われ、あわよくば消え去って貰いたいと思われているものである。 しかし、悲しいことに、それはすべては人間サイドの間違った思いこみによるものであり、判断ミスがそうさせているのである。 要するに、本当のことは何も知らないと言うことである。

それはやはり目には見えない、しかし、機械装置を用いて拡大すれば簡単に見えるものである。波動的には人間と同等、あるいは高いものかもしれない。またそれは体の一部のみの限定された存在である。

さて、それは何だろうか…?!。

まあ、その答えは誰も答えられないもの、まさにアッと吃驚する天外奇想のものである。今まで余り話題にならず、悪い面だけが強調して伝えられているものである。それで特に本当の事情も知らない御婦人達には悪ざまに言われ、罵られているものである。

しかし、それが無ければ、人間はおろか、大自然さえも大困りに困るものであり、天与のものと言ってもいいものである。

 何故なら、大自然において最も必要不可欠なものであり、空気や水と同様にリサイクル的な部門を受け持っている重要なものである。それは自然と同様に同様に人間の体においても同じ働きを持っているものであり、無くてはならない必要不可欠なものである。さて、はて…??。

その答えは思いもよらないもの、すなわち細菌である。我々の体は約100兆の細胞から成り立ち、体内にはその10倍、すなわち、100兆×10倍の細菌が活躍して生命活動を助けているのである。本来は細菌サマサマと敬語をつけて感謝すべきなのである。なぜならば、我々の健康は細菌が無ければ決して成り立つことはなく、生命の維持もまったく不可能になるからである。しかし、その存在と作用は余りにも知られてはいないし、その大切さを説く者などは誰もいやしない…!!。

細菌の体内における作用とは腸内ではビタミン類やたんぱく質の合成や消化を助け、鉄やカルシュムなどのミネラルを吸収しやすくするなど重要な役割を果たすことである。また、腸内では食物を分解し、栄養の消化吸収作用に寄与しているまさに不可欠な大切なものである。いや、それどころか、腸内細菌は健康ばかりか、思考や気分などにも影響を及ぼしていると言われ、我々の日常生活、健康生活には大変関係が深いものなのである。すなわち、今では人間と細菌は一体化して互いに助け合う関係、すなわち、相利共生の状態をもってお互いに助け合って生きているのであり、生きていくには無くてはならないものなのである。
 本来、細菌がいなければ我々は一刻も存在出来ないのであり、空気、水と共に我々の生命を維持を司るリサイクル機構の大半を担って生命活動を助けているのである。まさに細菌様々と言うべきものである。

しかるに残念なことに、誤った先入観がもとで、一部の人達はこれらの細菌を目の敵にして強力な洗剤や殺菌液をあたりかまわず振りまいて、その結果、自分自身や家族全体の健康を損ねて平然としているのである。それが清潔好きと称すご婦人達である。
 彼女達はテレビのコマ−シャル等で「ナノレベルまでの細菌をすべて殺す」などの文句につられて強力な殺菌剤を購入してあちこちに撒いて子供達の健康を必死で守ろうとしているのである。

何という馬鹿げたことなのであろうか…!、彼女達はすべての細菌を殺戮し無菌の状態に変えようとしているのである。その結果が家族とわが身を死に追いやる愚かな行為になることも知らずにである。

何と、浅はかなこと…!!。その行為はまさに自殺行為なのであるが、そんなことは何にも知らずに懸命に殺菌消毒液を振りまいて満足して微笑んでいるのである。何と悲しいことであり、哀れなことであろうか…!!?。

その結果、体の中の細菌類をも弱らせてしまい、それはやがては幼子達を生命力の弱い子にし、一生を台無しの状態にしてしまうことになるのである。

もっとハッキリ言えば、彼女達は体の中に数多の細菌が人間の生命活動に携わっていると言う初歩的なことも知らないのである。細菌の存在を許さないことが世界の平和と幸福につながると考えて懸命に細菌撲滅に力を注いでいるのである。何と言う哀れで無邪気な行為であろうか…!!。

見るがいい…!、概してそのような清潔好きの家庭では子供は虚弱体質になり、やがてはアレルギ−性疾患、喘息、花粉症、アトピ−等の現代の医学では対処できない突発的なアレルギ−病に見舞われる事態になるのである……!!。余りの清潔好きというのも考えものなのである…!!。

それらの病は比較的リッチな家庭において見られるもので、私のように貧乏育ちの者には余り見られない。もっとはっきり言えば、何ごとも強力な洗剤などを好む傾向にあり、入浴するにも出来るだけ強力な(汚れの落ちる)シャンプ−やリンス、果てにはトリ−トメントと訳の解らないものを使ってせっせと洗い、細菌退治に努めているのである。私なんぞは、この年まで石鹸以外には使ったこともない、それらのすべての役割は1ヶの石鹸で十分に果たしてくれるのである。

自分で検証して見るがよい、石鹸使った後に皮膚をこするとキュッキュッと健康な音を立てるが、シャンプ−の場合、いくら体を洗ってもヌルヌルとする不気味な手触りが残るだけである。

だから今度はそのヌルヌルを取るためにリンスやトリ−トメントを使うのである。

要するに先端的カッコよさを売り物にしている洗剤メ−カ−の餌食となっているだけであり、コマ−シャルに踊らされていると言うことである。清潔こそ健康の源とばかりあたりかまわず殺菌剤をまき散らし、あたりの細菌を退治して悦になっているが、それと同時に子供の体はどんどん抵抗力が無くなって弱体化し、健康状態が不安定になって来るのを知らないのである。

カッコよさなどは何もならん、それより実利を考え実を取るべきである。それが本当の大人の証と言うものである。

お陰さまで、私はそんな病気などはまったく知らないし、気にしたことも無い、まったく無関係な毎日を過ごしている。今は花粉症が大流行りで国民の何分の1かは罹っていると言われ、ますます増える傾向にあるものである。

まことに不思議である、私なんぞは子供の頃に杉の実鉄砲の弾を取るために、杉の木に登り、体中を黄色く染めていたものである。しかし、仲間の誰一人そんな奇病にかかった者はいない。
 杉花粉が主原因ではなく、恐らく、空気中か水道水の汚染物質との複合汚染が生じた結果ではないのか…!!。とにかく、ハッキリした原因究明が急がれる。最早一刻の猶予も出来ない迷惑病であり大変な国民病と呼んでもいいものである。

それでも、最近はそのあたりの事情をだんだん学者達も判るようになって来ているようである。
 私達人類は発生以来何百万年もの間、細菌と共に生活し、いわばお互いに共生関係にあるのである。要するに、お互いに無くてはならないパトナ−的な存在となっているのである。何せ、細菌が無くなれば、その宿主である人間は死に至り、同時に共生関係にある体内の細菌もすべて死滅するのである。

だから、細菌を無くしてはいけない、無理にまわりから細菌を無くすべきではないのである。

要するに昔から言われているではないか、「細菌まみれの子どもほど病気にはならない、病気に強い子に育つ」と…。確かに、真実をついた生きている言葉である。

もっとハッキリ言えば「子供を畑にでも連れ出し、裸足で泥んこ遊びをさせなさい」と言うことである。

生の自然と付き合えば、自然に子供は健康になり、病気にもかからない強い子に育つのである。
 ところが最近の母親達は子供が裸足になることさえも極端に嫌う、非衛生的と言うのである。それが子供を弱くしているのにまったく気がつかないのである…、何と言うこと…!。

最近のアメリカの研究書の中にも同じようなものがあるのは注目すべきであろう。
 「幼少期に細菌にさらされることにより、花粉症、喘息、呼吸障害など、または難病の炎症性腸疾患に至るアレルギ−症状や自己免疫疾患にかかりにくくなる」と結論づけていることである。

それに呼応するように、「妊娠中にペットを飼うと子供のアレルギ−リスクは低下する」、「一歳までに犬と接触した子供は風邪や中耳炎にかかりにくい」、などの報告もある。要するに、幼少期の細菌暴露により免疫系には有益に働くと言うことである。我々も一考すべきであろう。 お母さん達、聞いているであろうか…!!。

あれ、何処かで脱線したようである、本来の話に戻すことにしょう。

要するに、水も、空気も、細菌も、すべて我々の生命を司っている大切なものであり、すべては我々の生存には欠かせないものである。ただ、我々にはその認識眼が欠けているのであり、本当のことは何も知らない頭でっかちの奇形的現代知の持ち主であることを物語っているものである。 奇形的現代知とは自然の法則をまとわない知であり、自然を無視した「あやま知」である。

我々は今まで、水は大量に存在するので有難いとも思わず、平気で利用し、平気で汚していた。同様に、空気も何処にでも存在するので少しも有難がらず平気で汚染しても気にならなかった。
 なんせ、それは風に乗って散らばって何処ともなく消えていく、水は汚しても自然が浄化してくれるというエゴな考えに基づくものであったのである。ところが、科学文明が発展するにつけ、それはだんだんに通用しなくなっているのである。それは今の世の中をよく見ればあなたにもよくお解りのはずである。

いい水やいい空気の存在、それが今では金銭には変えられないほど尊い時代になって来ている。国際間を見るがよい、水と空気を求めて紛争が絶えず、国と国が争っているではないか…!!。特にヨ−ロッパの国々はは地続きなので互いにクレ−ムの応酬となり、水を汚すな、空気を汚染するなが合言葉となり、水の汚染が病気を呼び、命をちじめていると叫ばれ始めているのである。だからいい水を求めて人々は右往左往し、何処にでも出かけているこの頃である。
 例えば、いい水の代表であるドイツのノルデナウの水は10リットル詰めで、何と数十万円するそうである。何と…!!。

あなた方も新聞等で知っているであろう、季節により大量の科学汚染物質を含んだ大気が中国から流れて来て、日本の上空を黒く染めていることを、今では諦め果てたのか二ユ−スにもならない。現実には未だ続いているのである。
 また、春先は大量の黄砂が大陸から飛来し空気を黄色に染めていることを……!!。
 この黄砂を何とか防いでもらうために日本はODAとか言う名目で中国の数十兆円のお金を払って来ているのである。防風林を作ってもらうためにである。それは一体どうなっているのであろうか…!!。それらは空気が主役なのである。

まあ、それでも人間が少なく、水も空気も自然が懸命に分解、浄化してくれる間はよかった。
 しかし自然にも限界があり、許容度があるのである、それはせいぜい人口が30億〜40億人程度までの話である。現在のように、70億人を超えた場合にはこれまた話は別である。それも、後30年も経てば地球の人口は100億人を越すというのだからたまったものではない。

獣や、魚、鳥、などは常に節度を守り、限度を超えた場合には自然淘汰が待っている。それに当てはめると人間の場合にも何らかの同じような自然の決まりが待っていると考えるべきであろう。人類だけが特別に自然の決まりから逃れる等と傲慢で利己的な考えは捨てるべきである。本来、自然の前にはすべては平等であり、平等な運命が待っていると考えなければならないのである。それがどのような形で訪れるのであろうか…!。今それを早急に考えなければならない。

総人口70億人を越そうとする現在、そのあたりを世界一の性能を持つ日本のスパ−・コンピユタ−を使って調べるべきであろう、とにかく、将来を予測してに備えておく、それが何よりも大切なことなのである。

なんせ、使用出来る淡水は地球全体の水の2〜3%くらいであり、あとは海水である。空気に至っては地球の直径を1メ−トルに例えれば、その周囲にある僅か1ミリの薄い層、それが大気の量なのである。どちらも相対的には僅かであり、それを我々は無限のものと勘違いしているから汚しても平然と構えていられるのである。その実態や真実を今や人類全体が知るべきであり、教科書あたりでも教えるべきである。

なぜそのように教科書あたりで教えないのであろうか、それとも愚かにも教育者達はその事実等を知らないのであろうか…!??。 さて、ハテ…?。

とにかく、「空気」と「水」と「細菌」は神の一族、神のしもべと考えてもいいものではないのか…、なぜなら、それらの一つでも無くなれば我々人間やすべての生物は即生命が絶たれ、死が訪れるからである。ウ−ン、確かに、「神」の一族であり、その化身と言うべき有難いものと考えてもいいものである。

その上に太極的に位するものが『太陽』であり、まさに『絶対神』の位に有るものと言えるものである。それゆえに、我々の祖達は『太陽』を神と崇め、神棚に置いて拝んでいたのであろう。要するに我々が今になって理解したことを数千年前の日本民族は誰でも知っていたということなのである。

まあ、信じるのもよし、信じないのもよい、すべては心の問題であり、その人の魂の響き如何(いかん)に関わるものである。要するに、余り真剣になってもどうすることも出来ない自然の仕組みではあるが、それだからと言って決しておろそかにしてはいけないものでもある。「おろそかにすると、てき面に罰が下る」、親達の言葉はまさに本当のことであったのである。

要するに、自然とは何百万年、何千万年の時の中で出来あがった精巧緻密な神の手になる一つの完成品なのである。それを勝手に人間は汚したり、傷を付けてはならないのであり、傷をつければ自己修復作用が起るのは当たり前なのである。しかし、敢えて、現代文明はそれを行って来たのである。自然のしっぺ返しがその中に起こることも知らずに……!。

今までも、何度も大文明が興ったが、その度に自然とのいさかいに敗れ、否応なしに、亡び去っているのである。そのあたりは「竹内古文書」に記されている通りである。すなわち、「超古代の祭祀の乱れが何度も万国泥の海を招いたと記されていることである。すなわち、「『神』をないがしろにしたことが天変地異を招くことになった」と述べているのである。

要するに、超古代の高度な文明は度重なる天変地異と言う大災害によって亡び去った、それは自然を敬わなかったからであると言っているのである。まさにそれは今のアメリカや日本と言う文明先進国に起きている天変地異を彷彿させるものではないのか…!!!。共に世界の科学基地ではあるが、大地震やハリケ−ンの前には手も足も出ず、なされるままである。まさに、大自然は偉大であり、盾を突くことなどは叶わないものと承知すべきであろう。

もって肝に銘じ、自然を大切にして自然とは決して争わないことを学ばなければならない。

要するに、自然とは何百万年、何千万年の時の中で出来あがった精巧緻密な完成品であり、それを勝手に人間は汚したり、傷を付けたりするのは完全なタブ−行為であり、行ってはならない行為なのである。
 それを敢えて、タブ−を冒し、空気を汚染させ、水を汚し、農薬を撒いて大地から細菌を駆逐し始めたので、今、その反動が起き、天候異変、大地の大変動が起きて人類は大いなる大騒乱期を迎えようとしているのである。今はまだ前哨戦である、本格的ない自然の変動はこれからであろう。

要するに、大きな揺り返しが起きて自然を元の姿に戻そうと活動を始めたと言うことである。

 どっち道、神の一族である空気、水、細菌が危機に瀕しているのである、我々が痛めつけたのであり、我々がその原因をつくり、そう仕向けたのである。我々がその責めを負わなければならないのである。最早、どうにもならないのであり、あとは我々は運命に従って滅びを待つだけなのであろうか、それとも何か天啓の妙案が授かることになるのであろうか…!!。

以上



 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No13

             ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と空気の切実な話 B)
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成251月  謹上 



 よく考えてみると、もうすでに人類にとっての最も大切な最終資源(水、空気)をめぐっての争奪前哨戦と言うものは始まっていると考えるべきであろう。世界の水事情をよく見るがよい…!、すると今のあなたにもそのあたりの事情がよく分かって来るはずである。

特に今は、水を巡っての争いが一触即発の危機を迎えようとしている時であり、その前夜あたりと見るべきであろう。恐らく、10年後あたりからは現実問題としての騒ぎが始まるであろう。恐らくそれは水汚染のひどい国から始まり、その中に水をめぐって争いが頻発して騒乱状態になるであろう。何せ、生きていくためには水は最も必要なものだからである。

 今や、知らない中に日本もそのタ−ゲットにされつつあるのであることを知っているであろうか。確か、何年か前の新聞の片隅に日本のきれいな水を持つ土地を中国が買い漁っていると報じられていた。しかも広大な土地をである。これも一つに水をめぐる前哨線と考えるべきであろう。

それほど今や外国人は将来の水不足を敏感に感じ取り、行く末を考えているのであり、それが当然、水のが豊富で、素晴らしい水質を有する日本がタ-ゲットにされつつある理由なのである。そのあたりを見抜けない日本人は高い値段さえ出してくれるなら外国人でも構わないと金に目がくらんで売り払い、大喜びしているのである。無理もない、政府や役人でさえこれからの5年、10年後の先が見えないのであるから…!!。まさに、ご用心、ご用心の瀬戸際の時である…!!!。

今、小利口な中国人は国を見捨てて外国に移住しつつある。軍人でも役人でも悪いことをしてでも金をつくり、身の危険をおかしてでも家族を外国に送り出そうとしている。彼等は決して国の政策に反対して飛び出しているのではない。動物的な本能と直感で近い将来に起きる身の危険を察して飛び出しているのである。その身の危険とは水の汚染とそれによって生じる食物汚染、そしてそれによるに重大な疾病の発生であり、彼等は命の危険を感じ始めてそうせざるを得ないのである。

要するに、度重なる王朝交代によって危険に対する動物的直感が日本人より遥かに敏感であり、敏な目を持っていると言うことであろう。例えば、彼等にとっては土地は財産としてはまったく意味が無い、なぜなら、万一の場合、持って逃げることは出来ないからである。だから土地はいらない、持たない、そこですべての土地は国が維持管理しているのである。それよりも金や銀、宝石あたりが財産としての価値が十分にあると考え、買い漁って身の近くに置いていることの理由である。
 要するに、それらは何時でも何処ででも即換金が可能で、生き抜くためには最も役立つと考えていると言うことである。

それは無理もないことである、今まで何千年と言う間、直感と本能に導かれて生死をさ迷いつづけてきたのである。なんせ、今まで何十回となく異民族に支配され、その度に命からがらあっちこっちと逃げまわりつづけたのである。何故なら、今までは王朝が変わると言うことは支配する民族が変わると言うことであり、そこにいれば問答無用で追い出されるか、殺されてしまうかのどっちかであったからである。何せ、中国の歴史の中で漢民族の建てた王朝と言うのは二つか、三つくらいしかないのである。要するに、調べると解るはずであるが、歴史の殆どは北方系民族やトルコ系民族が作り上げたものである。
 ただそれを知らない勉強不足の日本のマスコミだけが、中国4000年の歴史と持ち上げているだけである。
 
 今の中国でさえ、満州の北辺の民族達が作り上げた外来王朝であり、本来の主であるはずの漢民族は命からがら大陸から逃げ出し、台湾を分捕って王朝を構えているのである。その時は台湾民族の要人、知識人達が3万人〜5万人も殺されているのである。
 そんなことさえ今の日本のマスコミは知らない、いや、歴史家さえも知らない本当の歴史的事実なのである。
 もし、疑わしいなら台湾の古老に聞いて見るがよい、私のように…!。今ならまだ知っている人が大勢いるはずである。
 時は1950年、今から僅か60年前のことである。しかし、日本人は誰も知らない…!!、誰も知ろうとはしない…!!。
 
 本当の歴史を知るがよい、おっと、これは中国の政治家が日本に対してr常々言っている言葉である。
 しかし、われわれは改めてこの言葉を中国に返さなければならない。もっと自国の歴史をしっかり見て、、その上で他国の歴史を誹謗しなさいと…。

 

今や、中国の大河である揚子江などの7大河川の水は工場から流れ出す廃液等により赤く染まり、また主要都市の地下水は重金属等に汚染されているとニュ−スでは報じられている。また地方では農薬や化学肥料の浸透により地下水は完全に汚染されて飲むことは出来ないとも言われている。そのあたりから考えると最早中国には未来は無いと思わなければならない。彼等は本能的にそれを感じているのである。

だから将来に見切りをつけ多くの富裕層が命を的に優先的に子供を留学させ、それを口実に家族を外国に送り出しながら財産を少しづつ国外に移している、それが現状なのである。

見るがよい、近い将来(恐らく20〜30年後)、水を求めての民族間の大きな争い、そしてその後水を求めて民族の大移動があると思われるが、究極にあるそのターゲットは水の豊富な日本ではないのか…!?。
 そのあたりを今の中にしっかり見極めておくべきであろう。

とにかく、日本は天然の水が豊富でしかも良質な水の宝庫であり、世界的にも垂線の的なのである。

要するに、汚染された水で命を落とすか、それとも国を捨てるかの二者択一の選択にせまられているのが中国の実情であり、今の現実なのである。

しかし、残念ながら、今の日本の上水道は戴けないのは世界中に知れわたっている。それほど殺菌のために添加されている塩素(カルキ)に汚染され発がん物質であるトリハロメタンが大量に発生し、ガンをはじめいろいろ疾病が多発しているということである。一昔前までは日本の水は世界でも有名であった、何せ横浜や神戸に入港した外国船は争って日本の水を汲んでいったと言われている。神戸ではわざわざ下船して六甲の水を大量に持って行ったそうである。

それほど日本の水は世界中の人々からもてはやされていたのである。

ところが、いまでは伝染病防止のために、大量の塩素(カルキ)を水道水の中に投入している。それも法で決められた量の何倍もである。なんせ投入量の下限はあるが上限は無いというデタラメな基準がまかり通っているので、現場では基準の何倍も投入してよしとしている現状である。

国民はあまりその事実を知らないし、別に騒ぎ出すことも無い、まことにあっけらからんである。

何せ、水道水がガンの元凶であるとは夢にも思わず、純良な水であると信じているのである。

 ただガン患者が年々増え続けるだけであり、ガン病棟が常に満員になるだけである。

 

国の検査機関では大量に水を飲まない限りは健康には影響は無いと言っているが、それは極短期期間における検査結果であって、20年、30年などの時間の経過を待って出した答などではない。
 要するに、塩素(カルキ)は人体には甚だ有害であることは世界中の大勢の科学者達は認め、騒いでいるのであるが、わが国では何の手も打たず、なるようになれと放りっぱなしの状態なのである。

調べて見ると、水道水にカルキが添加され始まったのは昭和40年あたりである、そしてガンやアレルギー性疾患で苦しむ人が出始まったのは同じく昭和40年以降であり、その二つのカ−ブ線は完全に一致しているのである。
 確か、最初は一時的には騒がれもしたが今ではすっかり忘れられている。何と忘れっぽい民族なのであろうか…!!。

とにかく、ガンは1980年代あたりから日本人の死因の第1位となり、現在に至っているのである。それは事実である。

何てこった、日本人の100%が飲んでいる水道水が国民病といわれる様々な疾病の発生源であったとは…!。最近はますます増えている花粉病などの発生も同様であり、この頃では70歳を越えた老人達も犠牲になり始めているようである。私の仲間達も突然マスク姿で現れて驚かされる今日この頃である。今、杉花粉が花粉症の元凶であると目の敵にされているが、それだけではないはずである。恐らく、原因となるものはカルキ添加の水道水及び洗剤であるシャンプ−等の何らかの成分、そして杉花粉による相乗作用などによる複合的な結果の表れであろう。
 しかし、関係機関はどう言う訳か、杉花粉のみをもって犯人に仕立てている。そこにある訳とは…?!。

面白いことを教えよう、、シャンプ−を使わずに石鹸だけを使用している我々の仲間には花粉病がまったく見当たらないのである。シャンプ−というものは汚れを落とすために合成界面活性剤という強力な物質(薬剤)が含まれている。この合成界面活性剤は皮膚を通過し、細胞などにも浸透し、更には血流に乗って体中に入り込み、臓器(男性は肝臓、女性は子宮)などを破壊すると言われている。まことに強力は石油合成洗剤なのである。研究者によってはそれによりガンの発生率は大幅に増加しているとも言われているのであるが…!?。

これらを知った賢明なあなた方はこれから当然石鹸派となり、石鹸を愛用することになるであろう、まことに結構な事である。要するに、ガンもアレルギ−性疾患の無かった数十年前に戻るということである。せめて家族もろとも5年間くらいは石鹸のみの使用にとどめて欲しい。少しくらい体に汚れが付いていても気にすることなどは無い。命を落とすよりもましと割り切るべきである。 そして、その結果を報告してほしい、大勢の皆さんが待っていると言うことをお忘れなく…。

しかし、それだけで安心するのはまだ早い、なぜなら、もう一つの有力なガンの発生源とされる水が依然として残っているからである。もしこれも気になるのなら、水を自分で浄化し、トリハロメタンを取り除くことである。やる気になれば、割合簡単に出来るのである。

私は電子水生製造装置を用いてにしている。なんせ、日本で最高の食品の検査機関である日本食品分析センタ−によるデ−タ−ではトリハロメタンは完全に0と記されているのである。

この電子水生製造装置とは強力な静電磁場を発生させて8時間以上にわたり水に微振動を与えて水を活性化させることにより、水は還元状態になる(マイナス・イオン化する)のである。

当時(約、30年前)のうたい文句は「体の細胞や血液にマイナス・電子を与えて、体を活性化させる」であった。まだ、壮年であった私はそんなものかなと軽い気持ちで機器を導入して「健康生活」に入ったのである。しかし、当時にあっては誰もそのうたい文句を実証するだけの方法とて無く、ただ大学の偉い先生が言っているので信用しようとの気持ちであったのである。

しかし、30年経った今は違う、確信をもって体に電子を入れるとにより健康が保てると言えるのである。なぜなら、今の医学界を見るがよい、医者達は同じ事を言い始めているのである。

「病気を引き起こすのは体の中の余分な活性酸素(+の酸素)であり、それを除去するためには(−)の活性水素を取り入れて(+)(−)で0にしてただの水として排出すればよい。その活性水素は強い磁場の中に水を置くことにより生成される」と…。

何とそれは偉大な物理学者であった楢崎皐月の電子水理論そのものとまったく同じものであり、ただ用語が時代的なもの変わり、何となく最新味を帯びているように聞こえるだけである。 ただ、それだけである。

水が汚染される前の日本にはアレルギ−病などの言葉はなかったのである。病院を見るがよい、昭和40年以前にはあまり病院には何々科と言う名前は少なかった、せいぜい内科、外科、眼科、精神科くらいしかなかったのである、ところが今は多岐にわたり診療科が増えて、初めての者にはまったく見当がつかない状態である。要するに、いろいろな病気が新しく出て来たからであり、別に医学の発達により細分化されたものではない。逆である、余りの病気の種類が増えて来たので対応が追い付かない、手の打ちようがなくなって来ているのである。慌てふためいて新しい科目を開いているだけなのである。あなた方はそのあたりを医学の進歩と思ってはいけない、医者はそう言うがそれに騙されてはいけないのである。

解るのはどの診療科の前には多くの人々が並んで待っていると言うことであり、ほとんどの人々が生気を失くして、病人の顔相をそのままに沈みかえっているのである。
 要するに、これは何か異常が起きて日本人の体がどんどん弱体化しているとしか考えられない。しかも子供達まで同様である。一昔前のはつらつとして目のくりっとして利発そうな子供達は一体何処に行ってしまったのであろうか…?!。あの元気な腕白小僧共は一体何処に行ってしまったのであろうか…!!。第一、顔や声に生気が無くエネルギ−がまったく感じられない。いわば、オ−ラ−が弱々しく、微かなのであり、生命力に陰りが出てきている証拠である。

このような原因をつくったものは何であろうか、何かそこには原因があるはずである。

それを探し出して少しでも歯止めを賭けなければ日本の国の運命は間もなく尽きることになるのである。

 それでも朗報はある。

今、一部ではあるが塩素(カルキ)の害を案じた専門家の人々により、水道水の見直しが始まっているようである。遠かからず、その結果が明らかになるのは間違いないと思われる。何らかの妨害や邪魔が入らなければである。例えば、塩素を供給している会社、あるいはそこに天下っている役人等の横やりが無ければと言うことである。

今、東京の金町浄水場などではオゾン、活性炭の使用が始まり、塩素の投入量を少なくする方法が考えられているようであり、地方によっては「緩速濾過方式」を復活させて、微生物やバクテリヤの浄化作用を利用しようとする新しい浄水場が現れ始めていることを知って欲しい。

私の住んでいる町の上水道は高い山から湧きだす湧水を利用している、本来、水の汚染などは決してあり得ないのであるが、ご多分に洩れず大量のカルキを投入しているもようである。役人の頭が愚直のせいか、中央の言うことをそのまま実行し、定められた量以上のカルキを入れて得々として、それが役目であり住民のためにはよいことであると信じているのであろう。要するに、担当役人には何も教えてはいない、役人は余計なことは知るべからずがまかり通っているのである。
 
 なぜそれが解ったのかについては面白い話がある。

私の個人風呂は極楽電子風呂であり、静電気を用いて微振動を起こしているので体の皮膚脂肪や体内のガスが面白いように抜けてしまう。ただし、冬は余り利用せず、近所の温泉場で済ましている。何て言っても、60歳以上の町民は無料と言うので有難く利用させてもらっている。

その理由は冬季に拙宅の極楽電子風呂に入るとものすごく体は温まり、汗が出るのであるが、それも2〜3時間経つと今後は体の中を寒さが突き抜けて行く感じがするのである。本当にすうすうと風が抜ける感じが一日中するのである。それもだんだん年を取るに従ってその感じが強くなるのである。要するに、体の皮膚から脂分が抜けてそこから風が入ると言うような感じなのである。  信じられないであろうが…!!。

 おっと、話が滑った、水道水のカルキの話であった。

その私の風呂の壁は自分で考えて塗り上げたものである、その材料は壁面に粉炭を5センチの厚さに塗り、その上に改めて粉炭とトルマリンの粉を樹脂で練り上げて塗ってあるものである。恐らく何処にもないものであろう。水道工事も自分で行ったのであるが、素人の悲しさ、壁の中の水道金具のジョイントあたりから少々水が漏れだしていたのである。それを一日後見つけたので早速修理したのであるが、見て驚いたその場所の壁面が真っ白く膨れ上がっていたのである。

舐めて見たら塩辛い、すなわち水道水の中の塩素が固形化して盛り上がっていたのである。その事実から見て大分塩素の大量投入があると思った次第である。いまもそれはしっかり残っている。まさか、このような山の中の湧水の水道まで塩素は投入されてはいないだろうとする読みは甘かった、とにかく田舎の役人は中央の命令にはまことに忠実なのである。
 まことに悲しいことに…。

私の言いたいのは湧水を用いている極めて純良無垢な水にさえ思わぬ大量の塩素が投入され人工的な水道水毒化が日常的に行われているということである、すなわち、すべての地方都市は東京の汚染された水の基準に当てはめて塩素消毒を行っているという愚がまかり通っているのである。本来はその地方にある水の鮮度を基準に塩素投入を決めるべきであろう。東京の水道水の基準をそのまま当てはめ、それが全国の自治体にまかり通っている等とは愚の愚の骨頂である。

何と言う考え無しなのであろうか…!!。汚染水で命がゆがめられようとしている大都会と水のきれいな田舎の都市も水の危険度がまったく同じと言うのはおかしな構図であり、その中に世界の笑いものとなるのは必然であろう。とにかく、毎日必要としている水の中に毒物を混入させると言うのは最大の悲劇であり、無垢な国民に対する一つの犯罪であろう。

確かに一理は在ある、それは伝染性病気から国民を守ると言う大義名分の下で塩素を投入して水を消毒していることである。それからもう半世紀以上も経っているのである。科学は発達し、衛生的な知も格段の進歩もあったはずである。
 また、その間には日本は世界でも有数な知的国家として名声を馳せて来ているのである。ところが国民の健康を守ると言う大義的な分野では世界の最貧国となってしまっているのである。
 その真実の結果を見るがいい、それが数多の病院に群がる大勢の病人の群である。一体この様子をどのように見たらいいのであろうか…!!。考えて見ると全国には数え切れないほどの国の出先である保健所が存在して大勢の専門家がいるはずである、そこは一体何をする機関なのであろうか…?。国民の健康を守るための機関ではないのか…!!。

 日本人は頭脳優秀と言われているが、反面考え足らずの面があり、間が抜けていると言うことであろうか…、

それとも国の行政機関には見る目のある優秀な人がいないと言うことなのであろうか…!!。

かくして時は過ぎ、日本全体の水はますます汚れて、ガンや血管に由来する動脈硬化、アレルギ−性疾患の発生率はそれに比例するようにどんどん高くなっていくのである。何と言うことか…!。

一昔前は塩素の注入は概して、腸チフス、赤痢。コレラなどの伝染病を防ぐために夏場のプールなどで用いられていたが、今ではそれが平常化して水道水の消毒に用いられているのである。

水道水は多量の塩素投入と比例するように大量のトリハロメタンが発生し、それによるガンやアレルギ−性疾患の発生にますます増加の途にあると言われている。今ではガン患者は四人に一人、今後は至っては二人に一人の割合で発生するであろうと予測されているのもうなずける。

なぜそうなったのかは誰も判らない、諸意見の合致を見る限り、犯人は水道水の中に投入される塩素であり、水道水の中の有機物と反応してトリハロメタンが発生するからであろうと指摘されている。しかもそれらは外国の学者達の指摘が主であり、日本の学者はどう言う訳か、頑なに沈黙を守っているのである。

何てこった…!、自国民を見殺しにして、我関せずとうそぶくことは、やがては我が身に同じ運命が廻って来ると言うことである。少々考えればそれは解りそうなものであるが…!!。

我々は水道水の中に金魚を入れるとすぐに死んでしまうことを知っている。細胞レベルでは人間も金魚も同じものである。人間は金魚と違って体格的には大きいから時間にずれがあるだけである。恐らく、金魚の30分、40分は人間で言えば30年〜40年に相当するものかも知れない。

すると水道水に塩素を添加し始めてから30〜40年過ぎている。要するに人間が金魚と同じく腫瘍が出来て死んでいく時期がやって来たということである。金魚の腫瘍は人間で言えばガンであろう。そうすると今後、二人に一人はガンで亡くなると言う予想もうなずけことである。

 暗い話になった、話題を変えよう、しかし主題はあくまでも水についてであり、そこは変わらない。

最近、私は酸化還元電位メ−タ−を用いて体にいい水を探している。私の体験と推察からでは体にいい水とは酸化されていない水、すなわち、生命力に活力を与える還元水と呼ばれるマイナスイオンを大量に含む水のことである。

もっとハッキリ言えば汚染度の少ない新鮮な水であり、人体には必要な酸化されていない本物の水ということである。その水の良しあしの尺度を計る単位が酸化還元度であり、それを計るモノサシが酸化還元度計という計測器である。酸化とは(+)イオンを持つと言うことであり、還元とは水が(−)イオン化するということである。

私の諸々の調査結果や伝聞による大体の目安は次にようになるようである。酸化還元度が200くらいの水は健康体を作る。要するに、常に飲むことにより病気に対しては抵抗力のある強い体が作られるということである。そして、酸化還元度が100以下の水は恐らく病気から回復させるような効果を秘めているのではないかと思われる。

大体に置いて、大都会の河川は余りにも汚染が進み、飲用には適しない感じである。その大汚染された河の水を塩素消毒して伝染病の原因となる病原菌を一掃することにより、今度は見えない第2次汚染を引き起こ大勢の人々の命を失う羽目になっているのである。酸化還元電位メ−タ−を用いて水道水を計測して見ると大体おしなべて酸化還元電位は600〜700くらいあるようである。要するに、大都会に行けばいくほど汚染度は甚だ数値は高いのである。

見えない第2次汚染とは塩素を添加することにより起る大量のトリハロメタンの発生であり、それによるガン、各種腫瘍、アレルギー性疾患、血管梗塞などの重大な病気である。まさにこれらの病気は日本の国を席巻しているのであるが、誰も騒がない、問題視する者もいない、しかし、現実を見るがよい、全国の病院、リハビリ施設は満員で体の不具合な老若男女で溢れ返っているのである。何としたことであろうか、まさに次はわが身である。

しかし誰もそんなことには目を向けない、他人のこととして見ない、知らないふりである。

まあ、何と日本人は危機感に欠けているのであろうか、本当はまさに国の一大事である。

調べて見て驚いた、日本の総医療費は40兆円になんらんとする数字であり、それは国の一年の税収分に近いのである。要するに、国民が払う税金と同じ金額が病院の支払いにまわっているということである。何と驚くべきものであろうか…何と…!!。しかし、誰も騒ぎ立てもしない、変にも思わない。
 関係者達は言う、「世界の平均度から見ればまだいいほうである」と…、本当のことなのであろうか…!?。、

しかし、時が進めば、病人だけはますます増え続けるだけであり、その5年後、10年後の予想さえもグラフ化されて出回っている。しかし、誰も気にしない、誰も騒がない…!!。 至極当然と受け取っているのである、何てこった…!!!。

      (…悲鳴は来月に続く…)

 
「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版14

             ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と空気の切実な話C)
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成25月  謹上 


 先日の新聞記事によると中国のある都会では空気の汚染が余りにもひどく、当局は外出禁止令を出したと報じている。 何と表を歩けないほど大気が茶色に染まり、死者も出たそうである。

しかし、その状態では室内にとどまったとしてもただの気休めにすぎず、意味のないものであろう。何せ、相手は空気と言う何処にでも侵入出来るものである、とても防ぐことなどはできない。
 そのひどい空気の汚染状態を称して中国人は、まるで「トンヤンキー(日本人)」が毒ガスを放ったようだと言っているそうである。何と手前勝手なことを言っているのであろうか。

風が内陸に吹き込めばいいが、その反対だったらそれは日本にもやって来ることになる、だから、対岸の火事などと思ってはいけない。何せ風は常に西から東に向かって吹いているのである。成層圏偏西風(50m/s)に乗ってくればまたたく間に日本上空に達してしまうのは確かである。しかも、その時は拡散してしまい目には見えない状態になって降ってくるので対処の方法が無いのである。

例えば、それが降下した場合にはそこにとどまり、永遠に飛び去ることはないものである。

そのことは春になれば、中国から飛び来る大量の黄砂の例を見ればよく解るであろう。とにかく、あの重い砂でさえ遥々中国から飛んで来て日本を黄色く染めて人々を驚かすのである。

 ひょっとすると、この頃盛んに発生している老人性熱中症なんかも中国から飛来した大気中の汚染物質が太陽の光を浴びてとんでもない物質に変化し、それが体の中に入り眩暈(めまい)等を引き起こしている可能性もある。なぜならば、最近では太陽光に関係なく、家の中で倒れている老人が多いからである。とにかく、年齢を重ねれば体のセンサ−は危険と言うことに対しては敏感になって少しの変化に対しても体は即対応してしまうのである。要するに、大気の変化には極めて敏感であると言うことであり、外界に起こっているエネルギ−の変化や、環境の悪化には即体は反応すると言うことである。
 要するに年を取れば防御本能が敏感になり、弱くなった体を少しでも守ろうとするのである。

 

そう言えば、最近中国は日本に攻勢をしかけるために、軍事力を増強していると言われている。

中国の首脳達も日本と戦争になる可能性が高いと民衆にハッパをかけ気持ちの引き締めを図っている。もし、本当に日中戦争が勃発すれば初戦で日本は負けることは明らかである。恐らく、今は人間対人間の野戦というものはないであろう、すべては小さなミサイル兵器だけで大勢は決してしまうのである。

現在のような状態で戦争を始めたら、それこそ相手の思う壺である。3日も経たずに日本は壊滅してしまうことを知るべきである。いくら人間の気質が勝っていても、いくら戦術的に優れていても、いくら戦略兵器に勝っていても今のような状態では日本は完全に潰されてしまうのは火を見るより明らかなのである。要するに、今のところ地の理は完全に向こうに握られていると言うことであり、自然の流れは完全に中国に味方していると言うことである。

このような時は余り行動に走らず、まずは全体を見通す見る目を養うことが第一である。

 今、中国との争いに走ることが不利な理由の第一には余りにも日本には原発が多すぎることである。何せ、アメリカ、フランスに次いで日本は世界で3番目に多い原子力発電所を持っているのである。そこをミサイルで攻撃されれば日本全体が放射能で完膚なきまで汚染され住民は数ヶ月で姿を消してしまうのは確実である。その結果、すべては中国の領土と化し、世界で6番目に広い日本の海もすべて中国の領海となってしまい、全世界に睨みが効く本当の超大国となってしまうのである。

まさに今の中国にとっては戦争は望む所であり、対日戦争万々歳と言うところであろう。決して乗せられるべきではない。彼等には日本の少しばかりの国土なんかは人が住めなくなってもいい、これ以上の土地は別に持つ必要はない、欲しいのは大きな海であり、自由自在に太平洋に出入りが出来る大きな海である、膨大な資源を好きなだけ取れる世界有数の大きな海が目の前にあるのである。それがどうしても欲しい、日本と戦争が始まれば一気に押し潰し、すべてを手に入ると言う構図が既に出来ているのである。それが向こうの本音なのである。

本来なら、彼等にとっては尖閣諸島等はどうでもいいものであり、それを取り巻く大きな海が欲しいのである。それが中国の目論みなのである。しかし、日本人は誰も気がつかない、誰もそこまで考えようともしない…!!。

ただ、尖閣諸島にばかり目を奪われているだけで裏に潜む中国の目論みを見破れないのである。まことに愚かである。

今、中国は沖縄でさえも中国の領土であるとか、ハワイから西は中国の海とし、東はアメリカが管轄する海にしようと持ちかけてアメリカを愕然とさせているのが何よりの証拠と言えよう。
 何かそこには陰謀的なきな臭さを感じるのは私だけであろうか、陰謀…?、それは十分にあり得る話である。

日本政府は日本のバックにはアメリカがいる以上、そんなことはあり得ないと高をくくっているが、果たしてそれでいいのであろうか。よく考えて見るがよい、果たしてアメリカは日本を最後まで支援するであろうか、恐らくは日中間の戦争を最も望んでいるのがアメリカであり、戦争のきっかけを作るような何かを画策しているような気がするのであるが…?。
 とにかく、今、最も戦争が起きることを望んでいるのがアメリカであり、アメリカの政治家達である。気をつけるべきである。

なぜならば、日中間に大規模な戦争が勃発すれば、アメリカの経済は一気に立て直すことが出来、再び世界をリ−ドすることが可能になるからである。また、同時に多すぎて困っている世界の人口を一気に減らすことが出来るので、まさに、一石二鳥の収穫を上げることが出来ると言うことである。この増えすぎた人口問題が今のところ世界の指導者達の悩みの種であることは諸氏もよくご存じであろう。

その証拠に日本と中国が対立し始めると、瞬時にオスプレイと言う怪鳥が数十機も日本に飛んで来て、無理やり日本に座り込んでいるではないか。とにかく、最も戦争が始まることを待ち望んでいるのはアメリカであることの証拠である。

なんせ、イエロウ−モンキ−どもが勝手に自滅してくれるならばこんないいことは無いと内心では思っているのは間違いない。何故なら、最早日本のお金は殆ど食いつくし、後は日本の持つアメリカ国債(約600兆円)がタダになることをひたすら願っているからである。

いや、ひょっとすると、中国とアメリカの間には何らかの密約が生じているかも知れない、なぜならば、日本を潰せばこの2国には莫大な利益が転がり込んでお互いの夢が実現することになるのである。今がその大いなるビック・チャンスであり、千載一遇の好機であることには間違いは無い。

あなた方日本人には思いも及ばないであろうが、国際間の紛争には非情、裏切り、謀略、思いもよらぬ計略が渦巻いているのは当たり前のことである、何せ。国の運命、国民の浮沈がかかっているのである。昔から、どんな理不尽なことをしても勝者になれば歴史さえ有利になるようにどのようにでも書き換えることが出来るのである。大国になればなるほどそれは激しく、常に獲物を狙って動いているのである。正邪なんかはあとからどうにでも理由が付けられるのである。
 この前の戦争を見るがいい、原子爆弾を投下して数十万人を殺しても、アメリカは英雄であり、歴史もそう伝えている…!!。 日本の丸腰の軍人を六十万人シベリヤに騙して連れ去り、二十万人を殺したソ連を誰もとがめない、それらが勝者の作る汚れた歴史であり、世界の人々が読む歴史なのなのである。日本人も同じ歴史を読まされているのであり、それゆえにそのような事実を知らずに世に中に出て来ているのが今の若者達である。だから国の本分も知らずのほほんとしているのである。、    
  
 とかく、今は油断は禁物であり、常に先を制して裏を読むことが必要な時代である。

心ない日本人達は言うであろう、日本の原発がミサイル攻撃を受ければ、日本だって黙ってはいない、即向こうの原発を攻撃して同じ目に遭わせてやると…。それは愚者の台詞というものである、よく考えて見てほしい。日本が仕返しとして中国の原発を破壊した場合には放射能は殆ど中国に拡散せずすべては日本の国に降り注ぐことを知っているのであろうか。何故なら日本と中国の間には常に西から東に向かって吹いている風があるからである。 あなた方は中国から日本、すなわち、西から東に向かって吹いている風が常に存在していることを忘れているのである。もう一度地図等で確認すべきであろう。

それが低く海面を吹くのが貿易風であり、上空に流れる風は偏西風と言われるものである。また、海も同じである、原爆汚染物質が海に流れ出した場合、その放射能は対馬海流に乗って日本海の沿岸を激しく洗い、更には強大な黒潮として太平洋の沿岸部の殆どを強く汚染してしまうのである。

要するに、今までの日本の利点はすべて今度は裏目に出てしまう、低空の風、上空の風、日本の沿岸を洗う海流などの自然はまったく味方してはくれないのであり、すべては裏目に出ると言う困った状態にあるのが現実なのである。

とにかく、自然が味方をしないような戦争は出来る限り避けることである、自然に刃向かえば勝てる戦いにでも簡単に負けてしまうことを我々は知らなければならないのである。なんなら過去の戦争の例を見るがよい…!!。

これ一つの教訓であり、天の忠告でもある…!!。

 

日本には原発は50数基あるが、中国には今のところ十基少々である。しかも2050年までには200基以上を沿岸に配置する予定であると言っている。どっち道、日本にとっては困ったことであり、至極迷惑千万なことなのである。例え平和時であっても事故が起きた場合、必ず、被災者は日本国であり、日本の国民なのである。しかし、その危険性を誰も叫ぼうとはしまい、政治家達でさえも一切口にすることも無い。そこで我々国民が声をあげ無ければならないのである…!!!。

要するに、それだから今は何事にもじっと耐え、ならぬ堪忍、するが堪忍とばかり耐え忍ぶことが肝心なのである。それが今のところ日本の国を存続させる唯一の道と言うものである。
 そのためには出来るだけ早く、原発に代わる自然エネルギ−を見出して電気力を生みだすことを考えるべきである。費用はかからず、自然に優しい画期的な方法、世界中にすぐに普及するような優れたものを…!!。
 必ず何かあるはずであり、日本人なら何らかの方法を考え出すことが出来るはずである。今はそれに対して一丸となって突き進み、完成した暁には本気で全世界に広げることが必要なのである。なぜなら、それが稼働すれば原発は最早必要がなくなり、自然に消滅状態になっていくからである。そのためには、今や、一瞬の猶予も無い状態なのである。

 

例えば、洋上風力発電である、技術者の話では原発100基分の発電エネルギ−くらいは洋上風力発電で十分にまかなえるそうである。特に、日本でお目見えしたリング付きの風車(風レンズ)を用いた場合は普通の風車と比べ、2〜3倍の発電量が期待できるという驚くべき高性能な能力を持っているものであり、世界に先駆けて日本で原理が整えられ、今や実用化されようとしている時である。要点を少々説明しよう、一つは固定式と異なり、風見鶏効果があって風向きに追従出来ることである、更に、回転面積がコンパクトなので騒音源となるブレ−ド先端の空気の渦を抑制するので大変静寂性を保つことが出来るのである。

また、自然風と言うものは日本の沿岸で潜在的に多く、無理なく常に利用が出来るものである。その上、日本には場所には不自由しないと言う大きな海があり、即、制作可能と言う大きな技術力も備わっているのである。三位一体となる好条件のすべては最早そろっている状態である、まさにこの事実は天祐であり、神の思し召しと言うものである。

風は将来の自然エネルギーの本命と言うべきものであり、エネルギ−源は無尽蔵、使用後すぐに自然に返すことが出来、自然には優しく自然汚染は一切無いものである。また、その土地々で生産可能で遠くまで運ぶ必要も無い、また、レンズ風車は風見鶏機能を持ち、常に風向を追いかけて止まないのであり、更にはブレードの回転面積がコンパクトで翼のつくりだす風の渦を抑制するので静さは抜群と言われているものである。 まさに、100%クリ−ンな究極のエネルギ−として大変期待していいものである。今、世界ではさすがは日本と評判になっているものである。

そのような素晴らしい技術が日本で開発されたのはまことに誇るべきことであり、人類にとっては大きな朗報である。

 しかし、残念ながら政府が全面的にバック・アップする必要がある、さもなければ頓挫する可能性が大なのである。

なぜならば、大企業にとっては原子力発電よりもうま味が薄いからである。原発なら設備投資あたりで何十兆の金が一気に動くのであるが、洋上風力発電の場合はその数分の1でこと足りてしまうのである。本来なら、喜ばしいのであるが利益を追求して止まない大企業にとっては余り歓迎出来ないものである。なぜならば、今までに原発開発に膨大な元手を投じ、これから諸外国の原発設備を請け負ってそれを回収しようとする大切な時であるが、その目論見が完全に消えてしまうからである。要するに、国のため、世界のためなどと言う大義名分よりも、お金になるかならないかが問題なのである。それが
企業の命を左右するものであり、資本主義の利潤追求と言うモット−なのである。
 しかし、大企業の思惑などは私達には関係ない、とにかく、原発の危険性を0にすることが当面の先決問題である。それがある限り何時までも外国の意のまま、思いのままに脅かされ、むしりとられるのである。そのあたりを是非知って欲しい。


 話の道筋は変わってはしまったが、これらすべては空気に関する国家的レベルの重大事項であり、民族の将来を決するものである。我々一人々がそのことを常に心に置いて日本をめぐるアジァの歩みに関心を持ってその一挙一動を見守ってゆかなければならない。

ここから本来の個人的レベルの小さい話、日常の生活に関することに切り替えて諸氏の高ぶった気持ちを落ちつけたい。

 イギリスの生命科学者ルパ−ト・シェルドレイク博士は次のように述べている「すべての物質には同じ種類のもの同士を結ぶ見えないネットワ−クのような繋がりを持っている」と。かって液体であるグリセリンを固体化する方法が見つからず長い間大変困っていたのであるが、苦労の末、ある程度まで固まる技術を見出した瞬間に、部屋中に置いてあったグリセリンがお互いに呼びかけ合ったように全部が固まりだしたのである。つまり、一つのグリセリンが固形化の仕方を覚えた時にそれが見えないネットワ−クを通じて他のグリセリンに伝えられて同じ行動パタ−ンをとったと言うことである。

無機物的な物質でさえ見えないネットワ−クを通じて同じ行動をとっているのである、ましてや、その見えないネットワ−クが生物界に存在するのは至極当然なことと考えるべきであろう。

日本の言葉にも有るではないか、以心伝心、朱に交われば赤くなるなどである。つまり、目の動きを見るとか、心の気配を察するなどの雰囲気がそれであり、日本人に特有な言葉であり、外国人にはあまり見られないものである。
 誰も知らないが、すべてはいい水の同調作用が醸し出した共鳴作用の働きによる鋭敏な感覚のなせる業と言うものである。

それは同種の物質間に働く一つの共鳴作用であり、その中でも最も強く、最も繊細な共鳴状態を醸し出すものが、すなわち汚染の無いいい水であり、我々生命体にとっては欠かせないものなのである。考えて見るがよい、人間は水の中から誕生し、陸上に上がった生物であり、今でも体の60%以上は水で構成され塩分が必要成分である。生まれたばかりの赤ちゃんの70%は水分と言われている。しかも我々の脳の90%が水で構成されているのであり、水の塊と同様と言ってもいいものである。ただし、そこに微妙な塩基、ミネラル、イオンがからまって初めて不可思議な生命作用が生まれるのである。

要するに人間同士の脳は水を媒体とする一つの共鳴作用、すなわち、見えないネットワ−クで結ばれているのであるが、誰もまだその事実を知らないだけである。要するに、我々は水の共鳴同調作用により互いに情報を交換し合い、知を学習して脳にプリントして貯蔵し毎日それを取り出しながら一生を過ごしているのである。

いい水、汚染されていない還元性の強い水が体に有れば、自ずから繊細な響きを発して見えない共鳴と言うネットワ−クを通じて他人の脳と共鳴して同調状態に入るのである。それが気配を察するとか、気が合う、以心伝心、あるいはツウ、カ−と言われる言葉の由縁なのである。要するに、昔から、日本は水紫山明の水の都と言われていたように綺麗な水の宝庫であったのである。綺麗な水とは汚染されていない水であり、自然特有の還元性の大変強い水のことである。

還元性の強い水とはマイナス・イオンを多く含んだ水であり、体から発生するプラス・イオンを中和する水である。要するに、疲れた、体が痛い、病気であるとの体の不具合症状は体の中にプラス・イオンを大量に発生させているのであるが、そのプラス・イオンを中和して痛みや不具合症状を一掃するのがこのマイナス・イオンを多く含んだ水なのである。

現在、食物、空気中、水の中の異常なプラス・イオンの異常な増加が現代病と言われるアトピ−、喘息、気管支炎、癌、近視、体力不足、すぐカッ−として根気の無い子供、判断力の無い子供など、子供の体の異変の一つの原因であると学者達は指摘しているが、その事実を誰も探ろうとはせず、問題にもしない、また誰も何も言わない…!!。

例えば、長い間浮上しない潜水艦の中では頭痛や不定愁訴、原因不明の喧嘩、スピ−ドや深度の判断がつかなくなって事故につながると言う普段ならあり得ないことが頻繁に起っていたのであるが、マイナス・イオンを空気中に流すことにより、すべては順調に回復したのである。今ではそれを防ぐためにマイナス・イオンの生成装置を必ず装備していることがすべてを物語っている。

今、日本中の水は汚染され、酸性化している。いまではすでに忘れられているが酸性雨(プラス・イオンを多く含む)と言う言葉が飛び交った時代があった。現在では余り聞かぬ言葉なので遠い過去の出来ごとのように思えるが、現在でも相変わらず降り続いているのである。ただ、飽きてしまってマスコミが余り使わないだけである。決して過去の出来ごとなどではない。

特に今は中国の工業地帯から風に持って飛んで来る強力な有害物質が雨と共に降って来るのでなおさらの注意が必要であり、その注意を喚起することが必要である。確か数年前に、静岡でPH2〜3と言う恐るべき酸性雨が降ったことがある、その強酸性の雨の威力は朝顔の花の色を完全に脱色させ、数万人もの人々が目に痛みを訴えたほどの死の雨であった。

今、世界中でマイナス・イオンを多く含んでいる奇跡の水が評判になっている、有名なのがメキシコのテラコテと言う村の水である。試みに医者がエイズ患者に飲ませたところ1ヶ月足らずで100%の患者のエイズの進行が止まったというのである。いまや通算800万人の人々がテラコテを訪れたそうである。

 また同じような奇跡の水がドイツの片田舎のノルデナウに湧き出ている。多くの病気の人々が1年間に50万人ほどここを訪れているそうである。まあ、日本のいろんな方々が行っているようであるが、効果を教えてもらいたいものである。

私も数年前からいい自然水を求めてあちこちと近くを尋ね歩っている。常に携帯するのは酸化還元電位計であり、それで水の還元度を計っているのである。私の求めている水とは酸化還元度が0に近い水で、浸透力の強い水である。例えば、怪我等で出血した場合にその部分を水に浸けると血は水には溶けず、水とは分離した状態で底部に溜まり、またその部分の痛みが瞬時に止まると言う恐るべき水である。

また、目が白内障になった場合、毎日目薬代りに目にさすとおよそ1カ月くらいで完全に視力は復活するのである。その他、歯槽膿漏等も強引に歯を磨き、完全に古い血を出し切ったあとで酸化還元度の高い水で歯磨きを繰り返す、するといつの間にか歯茎がピンクに輝いてしゃきりとなるのである。これらすべては私の実際に体験したことであり、嘘や偽りの無いものである。ただし、我が家の水は酸化還元電位100くらいの水で、0までには程遠い水である。

つくずく考えて見ると、本当の健康とは自分でコツコツと少しづつ体調を管理しながら作り上げていくものである。健康には悪いとされるものは遠のけ、いいものを取り入れることである。
 年をとってからの暴飲暴食は最も悪い、なんせ、体調が完全に元通りになるまでには2〜3日はかかるのである。この年になってそれがよく解ったのである。出来るだけ欲望には負けず、腹6分目が最も気分が良く、脳も活発に動いてくれるのである。その上、直感がものすごく働くのである、これは若い時には無かったことであると老人達と話をしている。

 例えば温泉についてである、私のよく行く温泉には片道50キロ〜60キロの遠距離をものともせずに通って来る老夫婦がいる、年齢は86歳とのことである。途中には有名な温泉地が二っも三っもあるが そこを無視してつまらない鄙びた温泉を目指し2時間近くかけて週に2回通って来ているのである。

聞いて驚いた、この温泉は体に一番効くと言い、体の痛みが即無くなると言っている。しかもそれが持続するそうである。数年前に手術した時などは数日間で傷口がふさがり、かさぶたが出来て動くことが出来たと言っていた。
 これを聞いて私はハタと手を打ち理解した。要するにこれがマイナス・イオン効果に間違いないと。
 何故なら、ひょんなことから私独自に温泉の効能を調べあげたデ−タ−を持っていたからである。そのデ−タ−とは各地の温泉のマイナス・イオンの多い少ないを私流の調べ方で表にしたものである。ただし、これはマル秘情報であり、教えるわけにはいかない、何故ならこれは温泉地の浮沈にかかわるものであるからである。

でも名前を出さず概要を報告して置きたい、何故なら一口に温泉と言ってもいろいろあることを知って十分に活用して貰いたいからである。

私の通う鄙びた温泉のマイナスイオン値は800であり付近にはこれに匹敵する温泉はない。群馬県の恋の病で有名な温泉は1000である。東北の仙台の奥座敷と言われる温泉は1200である。日本の三大名湯と言われる神戸の某温泉は2100であり、私の知る限りでは最高値を誇っている温泉である。概して各地の有名な温泉は500〜600くらいで効能も十分と言えるものであり、300以下などの温泉には余り老人は行かないようである。何故なら彼等は体で温泉の良し悪しが判別できるからである。例えば、あそこの温泉に午前中に入ると体の温かさは夕方までであるが、こちらの温泉は朝方まで体が温かいなどと語っていることがその効果の一つである。かれらはまことにそのあたりのことをよく知っている。
 老人の経験知と言うものであり、体を大切にしなければならないと言う思いからであろう。

但し、これは私の訪れた限りのものであり、調べた手法も私流のものであることは承知して貰いたい。                                                                         <来月に続く>

 

 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No1

             ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と空気の切実な話D)
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成25月  謹上 

 

 生きるためには必要欠くべからざるもの、それは水である。何せ、体の70%近くは水で構成されり、脳に至っては90%以上が水で占められているのである。要するに、我々の脳は水で出来ているものと言ってもいいのである。

 要するに、我々は水を通して会話を交わし、水を用いてものを考えているのであるが、誰もそんなことは知らない。誰も水は有機的な性質を持ち、何らかの知的な機能性を有している事などはまったく知らない。要するに、今の人間知は自然知の3%くらいしか解明が出来てはいないのであり、いわば、まだ揺籃期にある知の状態であると言ってもいいものである。

 恐らく、100年も経たないうちに最終的な人間の持つコンピュタ−は水が機能し、水が記憶する水コンピュタ−と言うものになり、過去の大いなる歴史の答なども水が出してくれるはずである。なぜならば水は全てを知っている存在だからである。

 水には過去を記憶し、それを保持している何らかの機能が備わっているのであり、現在でもそれが正常に時を超えて働いているはずである。その証拠に、あなたの脳を見るがよい、脳全体は水なのである、その水があなたの生まれてからの全ての記憶を保持し、すべての思考や推測等を行ない、コンピュ−タ−を駆使しながら全世界をにらんでいる現実があるではないか…。すべては水の為せる業であり、水の超能力、超々能力と言ってもいいものである。

現在、一部の人々は言っている、すなわち、この宇宙にはアカシックレコードと言われる記憶機能庫があり、現在・過去 にわたるあらゆる出来事が記録され、保存されていると…!!。
 しかし、それは大いなる誤りである、それが記録されているものは正しくは宇宙ではなく、地球上にある水なのである。水こそが正しい記憶を刻み込んだ万能のデ−タ−バンクであり、そのソフトべ−スなのである。

 この事実はまだ誰も知らない、要するにそれに気がつくのはこの後、50〜60年くらい経った時点あたりであろう。

 

それでお解りであろう、我々の脳は90%が水である、だから水で出来ている我々の脳は情報の端末的な役割を持っものであることが…。その情報の母体的存在、すなわちデ−タ−の保管庫は水であり、水に刷り込まれた状態で何万年、何十万年の間そこにとどまっているのである。その水こそが地球上のピュア−な自然水、汚染の少ない自然の純な水である。

要するに、我々の脳が求めようとしている情報は波動情報として自然水に伝わり、その情報を受けた自然水は直ちに自分の持つ情報の中から選んで送り出していると言うことである。

地球上の自然の水は地球の誕生と共に宇宙から氷彗星と共に飛来して来たのである、だから自然水は地球の初めからのすべての歴史を知っているのであり、いや、そればかりか、全宇宙の情報や、更には我々個々の人間の生涯、その前世、前々世のことまで熟知していると言っても決して過言ではない。

いや、遥か未来に更に研究が進めばそればかりではない、水は宇宙から飛来したものならば、宇宙の始まりや、物質の本質、あるいは時間の生いたちあたりまで教えてくれるかもしれない。今は判らないが、その中判ることになるであろう。

要するに、タイムマシンを作って過去に行く必要等はまったく無いのである。

なぜならば、正しい過去の事実を調べたければ、水に尋ねるだけで直ちに真実が判明するからである。

こんなバカなことを言った脳天気丸出しは今まで誰もいなかった、恐らく私が初めてであろう、だからまた、顔を合わせる度に学者達に笑われ、からかわれるのがおちなのであろう…!!?。

それでもいいや…、別に気にするような年でもない。

多分、この事実はあと50〜60年も経てば公然の常識として囁かれることになるであろう。

馬鹿らしい、アホらしい、何を考えているのだ、とのたまう方も多分いるであろう、でも現実を見るがよい、例えば、人と人の関係、これがカ−と言えばツ−と答える、顔を見たとたん言いたいことが判る、相手を嫌いと思えば、自然に相手も嫌ってくる、好きだと思えば、相手の顔も自然にほころんで来ると言ういろいろな事実、それらすべては水と水との見えない会話の為せる業であり、波動と言う場のエネルギ−の共鳴交換による働きであり、無言の囁きのせる業なのである。

脳と脳の会話、それは水と水による波動の囁きであり、水の共鳴が交わす見えない会話なのである。それが本当のあるべき自然の会話であり、本来のコミユニケ−ションと言うものである。我々の考え等はダイレクトに水に伝わるのである。
 今の学者達はどうもそのことには気がつかない、余りにも目先のことに心が動くだけであり、常識そのものだけを追いかけている有様である。それではせっかくの学問も泣くというものであり、新しい発見などは出来ないのも当たり前である。

 

太古の純粋な人間は余り会話などはいらなかった、研ぎ澄まされた感性で天地の会話、自然の動き、人間同士の感情の動きなどすべてを感じとっていたからである。ただ時代を経て来ると次第に水が純粋性を失って汚れ出すにつれて、人間もだんだん言葉と言う会話手法が必要となり、言葉が当たり前の会話手段になったのである。要するに、一つの退化の始まりと言うものであろう。

空を呼ぶ野生の鳥の群れを見るがいい、声も出すことなく一斉に見事な方向転換や降下を始めているではないか…、地を走る動物の群を見るがいい、全体が一つの群となって自由自在に方向を転換しているではないか、そこには声による会話等は一切無い。あるのは無言の会話であり、水を媒体とした声無き会話があるだけである。

 

 ただ、現代の豊学の人々は水は何処まで行ってもただ水であり、水以外のものとは成りえないとして、一般の無機質の物質と同様に扱って平然としている。しかし、本来は我々の生命と同様に貴重この上ない価値を持つものであり、決しておろそかにしてはいけないものなのである。

本当の水の価値、その素晴らしい能力と言うものを残念ながら現代人はまったく知らないのである…!!。

 水には人類の知らない驚くべき能力があり、大きな秘密を内蔵しているのであるが誰も知らない。地球は青い水の惑星と言われているが、水は海水を含めて地球の重さの僅か0,02%に過ぎない、しかし、水は地球の表面全体を支配し、地球内部の活動にさえも大きく関与しているものである。

また、我々人間が水を支配しているのではなく、逆に地球上の全生命は水に支配されていることを知らなければならない。それは全ての生命は海から生まれて来たことから見ても当然のことである。海の水はわれわれの母体なのであり、水が我々の体を構成し操っているている本体であり、我々の心の主と言ってもいいものである。

いや、そればかりではない、また、水は全ての物質を抱擁して自分の中に取り込むことが出来るのである。海を見るがよい、海は全ての金属類や無機質物質をイオン化して溶かし込み自らと一体化しているのである。金、銀、マンガン、ニッケル、モリブデン等あらゆる貴金属が海水中には豊富に存在しているのである。しかも無限にである。
 だから、私は海は我々の母体であり、生命さえも作り上げた万能の有機体であると叫んでいるのである。
 
 ガイヤと呼ばれる生命的な地球体は我々の父ならば、海は我々を生み出した母体と言ってもいいものである。

 

また、最近は水を活性化させることにより、水のクラスタ−が小さくなるにつれて磁気テ−プと同じ性質が生まれ、外部からの情報の記録が可能であり、また記録されている情報が発信出来ると言われ始めている。

ただ、これら水の性質を解明して完全に理解するまでにはまだまだ時間がかかるであろう。

何故なら、水は余りにも奇妙な性質を持つ不可思議千万な物質であり、余りにも謎が多いからである。恐らく、今の科学では歯が立たず、本当の解明は更なる未来に持ち越すことになるであろう。

 

我々は水が無ければ、即、死に至る事を知っている。しかし誰も水を大切にはしない、なぜならば、水は今のところ日本には豊富にあるからであり、一切不足していないからである。

それはあなた方の心がそう思っているだけであり、ただの思い込みに過ぎない。

なぜならば、我々の利用出来る水は地球全体の水の僅か2,5%に過ぎず、本当に一握りの量と言ってもいいものである。そのたった一握りの貴重な水に今大変な変化が起きているのである。
 それをこのままほおって置けば必ず近い将来に大きな禍根を残すことになり、場合によっては最も有力な人間の滅亡の種子になるものとなるものかも知れないものである。

 

少々目を転じて、外国を見るがよい、まさに水不足でてんやわんやと大騒ぎが始まっているではないか…!!。ある国では有害物質で水は完全に汚染され、大きな河は赤く染まって流れていると二ユ−スでは報じられている。それはすなわち、地下水までが完全に汚染されている事を意味するものであり、近い将来、人々の生命、しいては国の存続にかかわることになることは間違いない。多分、その中に人々は争って国外へ逃げ出すことになるであろう…!!!。

しかし、日本人は他の国のこととして誰も無関心であり、知らん顔である。

ひょっとすると、他山の石などと言う古い言葉は今の辞書には無いのかも知れない…!!。

 

一旦汚れた水は永久に元には戻らない、その汚れた状態を永久に保持しながら水蒸気になって空を舞い、雲となり雨となって再び地面に戻る、永久にその循環を繰り返して決して止むことはない。本来は、水が循環を繰り返すことにより水はよりピュァ−になり、純水として大地に蓄えられながら、地上のあらゆることを知って自分の中に蓄え、知として保持していく性質がある。その知は波動として記録保持され、決して絶対に失われることはない。それは大いなる自然の歴史と共に手を取り合って存在し永遠に存続していくものである。

それはホメオパシ−の理論からも十分に立証出来るものである、ホメオパシ−の理論とは一つの波動的な条件を水に与えれば、何千倍、何万倍に水を希釈しても決してその特性は失われることは無く、何時までもその特性を保持し続けると言う最近有名になった理論である。

すなはち、一旦汚れた水は永遠に元に戻らず、何時までもその特性を持ち続けるのである。要するに、世界の水は同一同根であり、世界中のすべての水は繋がっていることを知ることが必要なのである。いや、絶対に知るべきである。

 

 ここで翻って日本の水を見て見よう、果たして無関心でいられるだろうか…??。一見、水は透明性を誇り、見かけでは汚染とは無関係に見えるかもしれない。しかし、深く煎じつめて調べて見ると水道水の水源となる河には400〜500種類の化学物質が含まれ、更には浄化後の水でも200種類以上の人工的な科学物質が残留して人々の体内に入るのである。その中の10分の1、すなわち、20種類は発ガン性を持つ科学物質であるとも言われている…!!。何てこった…!!。
 隣の国の赤い水も、我々の国の透明な水も見かけが違うだけで、何ら変わらないと言うことである…!!!???。

 

いや、実際はそれ以上であり、更には驚くべき事実がそれに加算されて更に汚染度が進んでいる状態である。

 それは水道水として浄化のために用いられているカルキ(塩素)により新たな有害物質であるトリハロメタンが大発生して我々の体を蝕んでいる事実が明らかになって来ているのである。

その結果、治療不能の病であるガンが年月を追うようにして年々増えている、その驚くべき兆しを最近のデ−タ−は告げているのである。

また、ガン以外にも、中枢神経にダメージを与えてアトピーやアレルギー、喘息などの原因にもなっているものがトリハロメタンであると言われていることも知るべきであろう。

ひょっとすると花粉症もその所為(せい)かも…!??。学者達はこぞって杉花粉を犯人に仕立てているようであるが、水道水にカルキ投入以前、あるいは強力な合成洗剤が使われるまではそんなものはまったく見られなかったのである。恐らく犯人の片棒はカルキか、それとも強力な活性洗剤あたりではないのか、一つの複合汚染、あるいは多重汚染の結果として出て来た症状なのではないのか…!??。とにかく、疑わしいものはどんどん罰し、取り除くべきである。疑わしいものは罰しないと言うのが法律であるが、健康に関してはそれでは遅すぎるのである…!!!。

 

まあ、巷で囁かれているのは今後10年もすれば二人に1人の割合でガン患者が発生するであろうと予測されているようである。まさに、亡国の兆しは始まっていると見るべきであろう。

しかし、誰も真実を調べようとはしない、原因を追及しょうともしない、なぜなのか…!??。

ただ、国家予算の半分近くに迫ろうとしている医療費だけが真実を告げようとしているのであるが、そんなものは誰も見ない、考えようともしない。はて、さて…??!!。

 

 何回も言っているのであるが、何せ、日本では水道水に投げ込むカルキの量は下限は設定されているが上限はないのである。そこが外国と違う所である、なぜ足並みを揃えようとはしないのか…?。

要するに、その日の気分次第でいくら投げ込んでもいいのである。だから、水質検査すると大都会では時によっては数十倍と言う濃度の高いカルキがデ−タ−に引っかかって来るのである。

 

また、それにも優る重大な事実が存在していることを告げなければならない。それは水道水事件よりも更に重大な兆しを迎えているものである。上記の国による水道水汚染よりももっともっと大量の水汚染がこの数十年間にわたって静かに発生しているのであるがあなたは知っているであろうか…。

それはまさに歴史を揺るがす重大事件なのである。しかもその犯人はあなた自身なのである。

何と日本は合成洗剤の一人あたりの使用量世界一を誇っていることを知っているであろうか。その裏を返せば、日本の家庭から排出される水は完全な汚染水であることを物語るものである。

要するに、見かけだけは綺麗そうに見えるが、実際はとんでもない水に変身していると言う事実が存在しているのである。

合成洗剤はあなた方御婦人にとっては物を手早く綺麗にして、時間を節約する救世主のように見えるであろうが、実際はとんでもない悪魔なのである。それは水に溶けて見えない形で病を引き起こし、挙句の果てにはあなたの命や家族の命さえも奪うことにもなるものである。

 

 今の御婦人方は余りにも洗剤を頼りにして物を洗う手を休め過ぎる、出来るだけ宣伝には踊らされず、有機質系の洗剤を使うように努めて貰いたい。市販の洗剤はほとんどが石油系であり、無機質系のものである。有機質の洗剤はほっておいても自然が分解して無害化してくれる、しかし、石油系に始まる今の洗剤などには自然はそっぽ向いて放り出すだけであり、何時まで経っても分解されることも無く水中に残留するのである。その証拠に、原料の石油は数万年、数十万年の間、少しも分解されることは無く、自然の嫌われ物として現代まで残っていることからも判るであろう。

そればかりか、更には人間の手で化学的に合成した自然にはまったく無い新しい物質に作り変えられて有期系と名乗っているのである。恐らく、50年でも100年、いやそれ以上の間、分解されず水の中に残留するだけであり、何時までも繰り返し水道水として使うことになるものである。その結果は年々濃度がどんどん濃くなり、最後にはとんでもない悲惨な決末が待っていると言うことになるのである。

調査によると、水道水の水源である川の汚染の原因としては、70%が家庭からの生活排水によると報じられている。その中で最もやっかいなのが気軽に使われている合成洗剤であり、その中に含まれている合成界面活性剤なのである。この合成界面活性剤は水道の浄水場に入る時も出る時もその濃度は変わらず、ただ通過するだけと言われているものである。だから分解されるまで膨大な時間がかかるので、数十年か、数百年の間、健康に大きな影響を及ぼすことになるのである。

現在の川の水をよく見て見るがよい、微かではあるが粘着性が認められる、それは泡を見ればよく分かる、川の水面(みなも)に浮かぶ泡はなかなか消えてはいかない、ただ漂うだけである。

それは要するに、川も海も洗剤まみれで、泡まみれであり、もはや復元不能になって来ていると言う兆しである。何とか、今の中に解決策を見つけない限り、手遅れと言う状態となるのである。

まさに、待った無しの焦眉の急と言うべき大問題であり、人類の存亡にかかわると言ってもいいものである。

その解決策とは簡単なものである、要するに合成界面活性剤そのものを作ることを禁止することである。ただ我々国民が声を上げればいいだけであり、そんなものは使わないと御婦人達が立ち上がればいいだけである。最早、国を当てにするには遅すぎる状態であり、当てにするには頼りなさすぎる状態でもある。

 

また、驚くべきことに、合成界面活性剤はそれ自体が有害なだけでなく、他の化学物質と一緒に体内に侵入するとその化学物質の毒性を強くする性質があると言われているのも見逃すべきではない。それが恐らく、アトピーやアレルギー、喘息などを引き起こす原因の一端であり、水道水の中のトリハロメタンと複合して症状を発生することになるのであろう、何回も言うようであるが、そんなものが存在しなかった一昔前にはまったく無かった症状であり、水が汚れて来るに従って、ますます増えて来ている体の異変なのである。最近のデ−タ−では約子供の30%くらいがアトピ−、喘息、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎などの症状があるとのことである。

これでは恐ろしくて子供が産めない、ますます人口は減る一方となり、国家は滅亡におびえるだけである。その水質汚染の元凶が合成界面活性剤使用している洗濯洗剤、台所洗剤であり、シャンプー、リンス、ボディソープなどである。覚えて置くべきである。それらの人体に対する害の有無の検査機関は恐らく生産工場の研究所だけであろう、すると公式な専門検査研究機関は無いと言うことであり、垂れ流しを阻止したり、警報を発する公の場はまったく無いと言うことである。いわば、マッチポンプの状態が長い間続いて来ていると言うことであり、今まで誰もその害を警告するものはいなかったと言うことである。ただあるのは、間断なく流れる生産会社のコマ−シャルだけである。使え、使え、もっと使えとばかりに…!!。
  何かおかしい、何か変である…!!???。

 本来、あなたの命を守るために用いているものが、実際はあなたの命を奪い、家族に塗炭の苦しみを与えているのである。そのことをしっかり知るべきである。今その現実的な害がが起り始め、年々若年化の様相を示し始めているのである。
 しかし、誰も気がつかない、誰も信じようとはしない、何たること…!!。

 

医者は言う、子供のアトピ−素因は両親から受け継がれる遺伝子によって決まり、母親がアレルギ−疾患を持っておられる場合に子供にアトピ−素因が受け継がれる確率は高くなると…。

本当であろうか、私にはどうしても親に納得させるための口実にしか思えないのであるが、要するに、今の医学では治せない、親に責任があるのだから仕方ない、諦めなさいと言っているように聞こえて仕方がないのである。私達の時代にはそんなものは無かったことから見ると甚だおかしい台詞であり、納得のいかないものである。一応疑ってかかるべきであろう。

 

数年前である、ある青年が親と共に私を尋ねて来た、見ると顔は赤くただれ、目と口は腫れ上がってとんでもない方向に向いている、まさに典型的な重症アトピ−症状である。見るにもむごたらしい青年であった。年を尋ねると26歳で、名古屋のトヨタ自動車で働いていると言っていた。

余りのひどさに職場にいたたまれなく急遽休職して実家に帰って来たと言っていた。

 

話は前後するが、私の家の近くに座禅堂があり、堂主が阿部常正と言う有名な禅の先生であった。

どのくらい世界では有名であったかと言えば、氏はロ−マ−法王と謁見を許され握手までしたそうでその写真が常に部屋に飾られていた。氏は「瞬間調身法」を得意とされ本もいろいろと著している大変「もの知り」の人物であった。

彼、安陪常正氏は晩年には世界中の鉱石を尋ね歩いて、とうとうオーストリアのバートガシュタイン温泉で凄い波動を出す鉱石を発見し、数十トンの石を日本に持って帰り座禅堂に安置して病気で心の病む人々を救済していたのである。常に多くの人々が訪れていた。中には誰でも知っている有名なスポ−ツ選手やかっての総理大臣、その他有名なお寺の住職達が何時も群をなして出入りしていた。北は北海道から南は沖縄まで、いやアメリカから、ヨロッパの人々まで来ていたのである。

 私も縁を得て、常々出入りしていたものである。私も興味本位で一時、その鉱石、すなわちバートガシュタイン鉱石(安部鉱石)の一般的な性質検査に立ち合ったりしたものである。

それによると、ラドンの放射強度は7000(単位?)を示し、氏は玉川温泉の北投石よりも遥かに強いと常に自慢していた。また、マイナスイオンの量は一番強いものでは13万くらいで、他の石は10万の単位を示していた。また鉱石から10メ−トル離れていても夏場は顔に熱が感じられるくらい強力な遠赤外線を発していたのである。

 その安部師に前述のアトピ−の青年を託し、面倒を見てほしいと頼んだのである。

その3〜4月後、見知らぬ青年が私を尋ねて来た、名前を尋ねると何とかのアトピ−の青年であった。顔や体の様子にはかってのアトピ−の青年の面影はまったく無かった、顔は見事に綺麗になり、目は生き生きとして輝き渡っていた。その後、職場に復帰して、結婚までしたと聞いている。

現代医学では重度のアトピ−はなかなか治らないと聞いてはいたので、まさに吃驚現象であった。

 師、いわく、洗剤は完全に遠のけ、薬は一切用いない、食事は制限し、玄米を主に野菜だけであり、砂糖の類は用いず、薄い塩味の糠づけ等だけである、それにバートガシュタイン石の上に数時間寝て、バートガシュタイン石を入れた風呂に入るだけであると言っていた。

  残念ながら、師は数年前に亡くなられてしまった。生前、常に語っていたのはこのままでは日本はガンに蝕まれ遠からず国が滅びることになるが、政府や医学界はまったく無策である、何とかしなければと識者を尋ねて東奔西走し、時間が足りないとこぼしていたのが今も目に焼き付いている。

 最近はやたらに若い人のガン死や脳梗塞患者が目立つ、当家の近くでも若い方がたのガン死が数件あった、何か、安部師の生前言っていたことが現実になって来ているようで空恐ろしいものを覚える。 困ったものである…!!!!!。

                                                              (今月は以上)


  「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No16

        ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と空気の切実な話E)
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成25月  謹上 

  最近おける中国の「水」と「空気」のすざまじい汚染にはまことに呆れかえる、それが今滔々と日本に流れ着いて来ている現状であるが、恐らく、これに対する予防策と言うのはないであろう。

 まあ、しばらくは様子を見ることである。我々日本人が押し寄せて来た汚染空気で本当に大変な被害をこうむる事態に陥って大騒ぎする頃には、当然中国と言う国は最早勢いは無いはずである。

なぜならば、我々よりも数十倍の汚染物質が体に入るので、当然体に異常をきたし気息延々の状態、死者続出の状態に陥っているのは間違いないからである。

要するに、近いうちに中国全体に生命を損なうばかりの重大な病気が蔓延し、民衆は蜂起して政府に対して攻撃を加え、挙句には内乱状態に陥って国家としての体制は最早失われていると言うことである。そうなれば当然、軍隊などもあっても無いも同然であろう。もはや、尖閣列島なんぞには関わってはいられない状態になっているはずである。
 どうであろう、後3年後か、それとも5年後か…!!??。

このことは今までの中国の歴史から見ればよく分かるであろう。何せ今まで再三再四そのような民衆の蜂起による内乱状態により行き詰まった挙句、国が潰れているからである。
 まさに、歴史は繰り返すと言う諺通りである。歴史を見るがよい、今までには何回同じ事が起ったことやら…!?。

 先日の二ユ−スによると目の前の空気中で閃光が走ったと書かれて有ったが、それは大気などの気体中に小さい可燃性の粒子が集まると自然引火により爆発する現象であろう。しかし、それにしては恐ろしい濃度であり、とても、とても考えられないことである。本当なのであろうか…!!?。

 今後、恐らく、すべては日本人が来て中国でものを作り始めたので空気汚染が始まったのであり、すべては日本人のせいであるとトンチンカンな言い訳をして民衆をなだめ、納得させようとするであろう。 

 もはや、その兆候は出始めている、中国の論説者達は「30年前から労働力を求めて中国に工場進出して来た多数の日系企業に環境汚染の責任がある」とか、「日本は原発事故後に火力発電所や被災ゴミの焼却施設からの有害排気ガスが増えたので、それが中国に流れて空気汚染を生んでいる」と言い始めている。
 まあ、開いた口も塞がらないというのはこのことであろう。

 

 恐らく、これらの空気汚染、水汚染は民衆に恐怖を与え、知識層の心を震いあがらせるはずである。と同時に、収束不能を悟った者達は命からがら次々と国外に逃げ出し、国内は騒然となるであろう。
 また、残された者達は政府を攻撃することになり、挙句の果てにはあちこちで内乱状態が勃発するであろう。

 今回は歴史上かって無かった激しいものとなり、恐らく、治まることはなかなか難しいであろう。

政府はただただ日本に民衆の矛先を向けるために、日本が悪い、日本に責任がありとありとあらゆるキャンペ−ンをマスコミを通じて流し、日本を非難し、日本に全ての責任を負わせるように誘導するであろう。まあ、何時もの手であるが…。

なんせ、誰かを悪者にして民衆の目を逸らさない限り、自分達が槍玉に挙げられるからである。

そこで生贄にされるのがおとなしく、従順な日本である。日本をタ−ゲットに今度は国家を挙げて非難を始めるはずである。そこには最早常識とか、社会通念などは何も存在しない。何せ、民衆の矛先を変えない限り、自分達が命を落とすことになるのである。とにかく、民衆を煽り立てて日本攻撃に懸命にさせ、反乱のエネルギ−を日本に向けさせようとするのは間違いないことである。

 それが効を奏し、民衆は矛先を政府から日本に向けて立ち上がり、日本人や日本の関係会社や工場を襲撃し、すべてを奪い取ってしまうであろう。まあ、そのあたりは見え見えである。

まあ、背に腹は代えられぬとばかり、その行為を政府は黙認し、取り締まることはしないであろう。

 要するに、政府は民衆の矛先を日本に向けようとして煽り立て、民衆はこれ幸いと日本の工場や店を襲い、金品を強奪して満足するのである。いわば、合意の上の詐欺合戦がはじまると言うことである。

 それに対して、政府や警察も見て見ぬ振りをするであろう。要するにカッパライ得と言うやつが横行するが誰も罪にはならないのである。要するに、これでガス抜きは完了すると見ているのであろう。

 

 まあその前には何かしらのサインがあるであろう。日本人サイドがそれを見逃したら万事休すであり、永遠に日本の土地は踏めないと覚悟すべきである。なんせ、日本人と見たら丸裸にされ、列車にも乗せてくれないことは覚悟しているがよい。 その際、どうしても乗せて貰うには金品の賄賂をつかう、するとことはスム−スに行くことを覚えていてほしい。これらはかっては私も経験したことがあるからから申し上げているのである。まことに有効なものであり、即効き目があるものである。
 とてもとても、日本式の常識や一般通念などは通じないと心得るべきである。

まあ、そのような気配に気が付いたら一刻も早くすべてを捨てて日本に向かって一目散に逃げ出すべきである。命が惜しければである。その場合には日本の政府などは当てにしてはならない、自分の直感だけが当てになると心得てほしい。そのあたりのことを最もよく知っているのが当の中国人達である。

彼等は予兆を感じたら、荷物1ヶ(金、貴金属類)を持って即座に逃げ出す、とにかく、逃げ足は早い、日本人には真似が出来ない、地位とか名誉、面子等は一切気にはしないのである。

かって戦時中に南京大虐殺事件があり、日本軍は住民30万人を虐殺したと言われている、まだ今でもその真,贋の論争は日本人の間では続いているようであるが、その中では肝心の中国人の気質が完全に無視され、すべては日本人流にアレンジされて議論され、結果づけている、まことに嘆かわしい。

私も終戦後その話は聞いた。たしか、当時の話では南京市に逃げずに残っていたのは10万人もいなかったと聞いていた、ところが今では恐ろしいことに日本にあっては当時の南京市の人口は50万人位有ったと話は増えているのである。要するに、50万くらい人口があれば30万人を殺すことが可能だと言うとんでもない話になっているのである。要するに、議論のための幽霊数の作成が平気でまかり通り、その真実を確かめようともせずにただ論議に入っているのである。
 すなわち、どうしても日本を悪者にしたい日本人がいると言うことであり、それは非常に恐ろしいことである。

確か、終戦当時の中国側の発表では2〜3万人であり、それに対する日本側の発表では数千人くらい、それは当時の外国の従軍記者達も同意していたこと覚えている。なんせ、彼等、当時の外国の現地記者達も何万人にも及ぶ虐殺なんかは聞いたことも無く、まったく知らないと答えているのである。

確か、南京入場の際、20〜30人くらいの外国の報道員達も兵隊と共に南京市に入ったはずである。

今でも何人か存命のはずである。彼等に宣誓させて、改めて真実を証言させることである。それにより、すべては決着がつくはずである。

とにかく、10年、20年と時が経つにつれて倍々と人口が増え、10万人が20万人になり、更には50万人になり、今では実際に当時の人口を調べたえ様子も無く、ただ妄想と計算値を振りかざして頭の中で可能値を計算して結論づけているのである。しかも、すべてが日本人の手によってである。

おそらく、中国から大量の賄賂が流れ込んでいるのであろう。事情が事情だけにそれしか考えられない。

ただ全ての人は実際値、当時の中国人の気質というものを考えてはいないのである@その気質とは中国人は逃げ足が速い、逃げ去ることに関しては天下一品であると言うことである。そこが日本人とは全然違うところなのである。決して、1ヶ所に固まって敵を迎え撃つなんかはあり得ないことである。

要するに、残忍な日本軍が南京を包囲すると聞いてすべての人々は逃げ去り、そこに残ったのは最早、逃げ場を失った足腰の弱い老人や子供達だけのはずである。恐らく兵士の姿も無く、少々の便衣隊の者が民衆に紛れていたくらいであろう。

恐らく、散発戦はあったろうが殆ど無血入場に近いものであったであろう。中国人は日本人と異なってその場に残って数倍の兵士と刺し違えるなどの勇気などは一切無い、そのことはここでしっかり断言したい。

今の論争は年寄り、子供まで入れた10万人の南京市民が日本軍と勇敢にも相対して、30万人の人々が殺害されたと言うまったくおかしな説を唱えて政治問題にまで発展しているのである。

当時の新聞の見出しや、そこに掲載されている写真を見るがよい。何と、そこには南京陥落直後の記事と写真が数多あるはずである。それによると、陥落して日本軍が占領するとすぐさま人口が復元して、人々は普段の生活を始めていると報じている。それらの写真も多数あるではないか…!。

よく考えて見るがよい、A 30万人の累々と重なって血を流した場所ですぐまた生活なんか出来るものであろうか、いくら中国人でも…!? とにかく、常識を持って考えて見ることである。

 

確か、名古屋の河村市長が南京事件なかった、30万人殺害等は無かったとぶちあげてから、大騒ぎになっている。いや、そんなことはない、30万人大虐殺は間違いなくあったのだと反発しているのが驚くことに日本人であり、政治家なのである。そんな恥知らずの人間が政治家をやっているのである、まことにおぞましい政治家根性の限りである。国の恥じ等と言う認識は無いのであろうか。

当時、B南京市外にいた外国人の記者達もそんなひどいことがあったとは聞いてはいないと否定し、逆に驚いている実情である。

何処からそのような数字を持って来たのであろうか…??。、ところが、この数字を作ったのが驚くことに日本人であり、政治家なのである。それに中国政府が乗って30万人大虐殺と言い張っているだけである。 何てこった…!!。

疑う方は、南京大虐殺事件が表面化した終戦当時あたりの資料を見るがいい、中国の言い分にもそのような大それた数字は無く、片や日本側は数千人、対する中国側は2〜3万と言う誇張された一桁代の数字が並んでいただけである。

この数字を膨らました日本人を探し出し、詰問すればいいのである。しかし、この政治家はもういない、かれは当時の与党を困らせるためにこのような数字をでっち上げて、詰問しただけである。それが今ではその説だけが一人歩きして国家を困らせているのである。何てこった…!!。

今なら、まだ真実を突き止める方法がある、今ならまだ間に合う。当時南京市内に住んでいた人々に聞いて見ることである。現在ならまだ存命なはずである。彼等20〜30人にその30万人の死体の埋葬場所を聞いてみるのである。全員が同じ場所を指し示すならば恐らく本当にあった事件であり、まちまちであれば事件は無かった言うことである。国の名誉を守るためならばそのくらいの費用は国が十分に負担してもいいはずである。我々国民の国際間の重いつけ、歴史の不名誉が無くなるのなら、安いものではないか。

  

ホイ、また、余計なことに首を突っ込んでしまった、陳謝、陳謝…!!。

どっち道、中国の国家体制は5年とは持たないであろう、だから、尖閣諸島に関してのいざこざは無理に解決をしょうとはせずに今の睨みあった状態のままでいいのである。

日本の企業あたりが空気問題、水問題を解決してやろうと欲をかいてシャシャリ出ることは止した方がいい。ますます舐められ、いいように扱われて最後には礼も言わずに丸裸で追い出されるだけである。

最近の日本の動向も少々気にかかる。報道によれば、中国の汚染水や汚染空気対策に日本が乗り出し、無償で技術提供しようなどとふざけたことを言っているようである。これではますます、舐められ、ばかにされて手がつけられなくなる。これまでにも国民はどれだけ涙を飲み、悔し涙を流したことか…!!。政治家達はかっこいいところを見せようとの目論みであろうが、、どっこい国民はそんなことは百も承知である。その行為はただ自分の墓穴を掘るだけと知ってほしい。
 そもそも、これらの原因はすべて政治家に気力不足が播いたものであり、手腕不足によるものではなかったのか…!!。

我々国民だって馬鹿ではない、そのあたりの様子は十分に知っているつもりである。

 とにかく、当分の間、放っておけばいいのである、その中に泣きついて来るはずである。その時応じればいいのである。
 わざわざ、日本国民の血税を使ってまで、タダで面倒見てやる必要なんかは何処にもないのである。

 今まで、散々バカにされ、見下されて来た日本が動けば、今後ますます図に乗って来るのは見え見えである。なぜ、政治家はこのように中国に対しては卑屈になっているのであろうか…!?。何かひけ目、負い目があるのであろうか…!。

日本の政治家よ、少しくらいはプライドを持つべきであろう。あなた方は我々国民の代表ではないのか、国民の気に染まぬことはやるべきではない、それでもやると言うなら、裏には何かいいことがあるはずと我々国民は勘ぐるだけであり、白い目で見るだけである。

 もし、これらの問題の解決を頭を低くして頼まれた場合に改めて日本政府が出て行くべきである。

政府が頭になって企業を引き連れて問題解決に向かうのである。そのような場合には企業は決してお金の取りっぱぐれは無い、どうしても駄目な場合には日本政府がしっかり払ってくれるからである。

何て言っても、水と空気の汚染の問題に関しては日本が一番進んでいるのは確かである。

中国の出方、脅かし方を見て、明日、明後日はどうなるであろうかなどの焦燥感を持つ必要などはさらさらない、もっと先を見てしっかり中国の状態を読み込んでから行動すればいいのである。

 なにも、焦ることは無い。ただ中国がj日に日に自壊していくのを横目で眺めていればいいのである。

 一切の介入は不要である、ただ黙って放っておけばいいのであり、見ていればいいのである。

 何て言っても、水や空気の汚染が同時期に一気に蔓延したことが中国の命取りになったのである。これは一朝一夕には治まらないものであり、長引くものである。いや、対策を講じようにも時間は限られていて、余り長い時間国民を放って置けば反乱が始まる、それとて自国の技術が何もない、どうあっても日本に頼るしか方法はないのは明らかである。

 恐らく、これらの汚染に対しての完全な技術を持っているのは世界中で日本だけであり、恐らくは2顧、3顧の礼をもって日本に頼み込むことしかないはずである。なぜならば、最早甘言を用いて政治家をたらしこむ等は最早無理だからである。

とにかく、ここまで国と国との関係が悪化した今、今までのように脅せば何とかなる、政治家に流し眼を送ればなびいて来るなどは一切通用しない、そのことは今では中国も知っているはずである。

常々中国の指導者達は言っているではないか、中国に対しての内政干渉は一切許さないと…!!。

だから余計なことは一切無用である。よって放って置けばいいのである。要するに、水や空気の汚染は中国内部の問題である、それに対し余計な口出しをすることは内政干渉になり、相手の面目を潰すことになるはずと考えるのである。

また、政治家がよく口にする人道的な観点からなどと言うまやかしは最早通用しないと心得るべきである。なぜなら、その裏には目に見えぬ大欲が潜んで,利をむさぼろうとしているのは誰の目にも明らかになっているからである。

人道的な観点からとの大義を持ちだすなら、まずは当面、東北大震災の被害者達を救うべきであろう。まさにそれは人道的な道筋に通じるものとして、大拍手をもって迎えられることは間違いない。

他国に無償の施しをする前に、己の国を顧みることである、そこにはまだまだ問題が山積しているではないか…!!。国民の気持ちを逆なでしてまで他国に援助することは国民は決して許さないことを知るべきである。
 最近、政治家で被災地のために身を粉にして働いているとか、私財の一切を投げうって被災者の面倒を見ているとかの話は一向に聞かないが、そのあたりはどうなんであろうか、教えてほしいものである。

いまはまだ、空気が汚染されようが、水が不足しようが、中国にたいして助けてやろうなどの余計なことを決して言わないことである。ただ、放っておけばいいのである。ただ、それだけでいいのである。それが将来の日本の国のためになるのである…!!!。

              (今月完)

 

 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No17

        ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と健康&幸せの切実な話 @
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成25月  謹上 

 私は終戦と共に住む地を追われ、流浪の途中で親兄弟とは死別し、2歳半の弟を背負ってただ一人広い満州の大地をあちこち放浪し、やっと日本に辿りついたのは10歳半あたりでそれこそ骨と皮ばかりであった。舞鶴上陸と共に「森の家」と言う施設に入り、やっと食事にありつくことが出来た。その感激は今でも忘れてはいない。それから67年今でも当時の後遺症、すなわち、わずか1年少々の間に経験した体験は今でもまだ消えずに残っている。要するに、これは子供の時の体験は何時までも一つのトラウマとなって残り、一生付きまとって消えることはないと言う貴重な実例としてを述べて見たい。

 その時の体験は一つの習慣となって決して消えること無く80歳近い今でも残っているのである。

まずは温かい御飯やミソ汁は苦手で、冷たい御飯がいい、今でも私は冷たい御飯があれば、それを自分の口に運び、飼っている犬には温かい御飯を与えて家人には笑われている次第である。
 それがいわゆる世間で言う冷や飯喰らいと同じもので最低レベルの人間の行為と見られるであろうが、別に気にすることではないし、気にもしてはいない。

また、今でも食は基本的に一日2食である。またお腹一杯食べたらあとは3日くらい食わなくても何ともない、これも当時の習慣の名残なのであろう。

要するに、私の言いたいことは「三つ子の魂百まで」とか「雀百までお踊りを忘れず」言う諺はまさに真実であることの証言であり、生きている言葉である。昔の人はいいことを言ったものだ…!!。

そう言えば、十数年前に東京で安藤さんと言う方に会った、氏は戦時中は陸軍参謀として外地にいたそうである。確か、当時は87歳であったがとにかく全てにおいてかくしゃくとして年齢を感じさせなかった。背筋はピンと張り、頭の後ろの剃り上げ等は丸で高校生のように黒々として羨ましい限りであった。それがリックを肩に背負い、東京の街を走り回っていたのである。確か氏も終戦以来2食主義を貫いて来たといっておられた。なんでも、戦争中大勢の部下達を餓死させたので贖罪の意味を兼ねて2食生活に入ったと話してくれたのを今でも覚えている。

 
  
聞いてもらいたい話 〔1〕


 これらから導き出される教訓は非常に重要なものである、すなわち、子供の時の体験は非常に大切である、幼い時の躾、すなわち子供の時にこそ、心の躾、人格の形成を行うことが望ましいと言うことである。

要するに、子供の頃の習慣、すなわちその時の躾がその後死ぬまで一生ついて廻るということである。

今の親達は子供の幼児期に余りにも子供を大切にして躾を忘れているようであるが、その結果、子供が中学生あたりになった時にアワを食う羽目になっているようなケ−スが非常に多い。

考えて見るがよい、わがまま放題な躾の悪い子供が、いざ学校に行って共同生活を送ろうとしても出来る筈が無く、仲間との協調は無く、先生の話を大人しく聞くようなことは中々できない。

それを糺すために先生がしつけようとして言葉でたしなめたり、少々手荒な行為をするのであるが、どっこい今度は親が口を出す、すぐ教育委員に一方的に電話する、何と言う不見識、非常識な親が多いのであろうか…!??。
 それも自分の躾の足らなさ、配慮のなさが招いたこととも知らずにである。

何と質の悪い親の多いことか…??。昔は考えられなかったことである。しかし、そうやって学校を責めるだけで、自らは何も反省はしない。しかし、その結果再び悪夢はその中にやってくるのである。しかも最終的な局面を持って…!!。

一人前の社会人になって社会に出ても、今度は大人が相手である、思うようにはいかないのは当たり前である。上司、先輩から指導される度、あるいは悪しざまに罵られる度に今度は身の置きどころが無く、ただただ仕事もせずに半分空虚な状態になって塞ぎ込んでしまい、出社もままならない状態に陥ってしまうのである。

最早今までのように防波堤となって支えてくれる親もいない、その結果、半年もたたずにノイローゼになって親の元で引きこもり状態になる、それも一生そのままの状態で過ごすことが多いのである。 何てこった…??!!。

馬鹿を見るのが懸命に育てた親であり、子供のためによかれと思ってやって来た行為がすべて裏目に出て親子の一生が台無しになって悔やむ羽目になるのである。

しかし、考えて見るとその種をまいたのは親自身であり、もはや誰も責めること等は出来ない、まさに哀れである。 

 

本来は自分の躾不足そのものを先生が補ってくれていることに感謝すべきなのである。それを忘れて先生を攻撃し、学校から追い出す、それでは先生達もたまったものではない。まさに責任転嫁のいい見本であると言いたい。

そもそも、中学生になって躾けよう、先生に躾けて貰おうとしても、もう手遅れであり、余程強固に躾ない限り、直らないことを知るべきである。それが当り前なのであるが、今の親はそれを知らない。

躾とは強制的な言葉、あるいは行動による教育である、反抗期の場合優しい言葉等ではとても躾は出来ないと心得るべきである、せめて反抗期を迎える前に親が躾をしっかりと教えるべきである、しかもなるべく幼く、頑是ないうちにである。
 しかし、今の親は可愛さのあまりそれが出来ない。恐らく、鉄は熱いうちに打てなどの言葉があることも知らないのであろう。
 自然界を見るがよい、ライオンは生き抜くための教育法として我が子を千尋の谷底えと突き落とすではないか…!!。
 それが本当の教育なのであり、生きていくための身につけるべき大切な躾であり、生きた教育なのなのである。
それが出来ない限り生き残ることは出来ず、何時かは敗残兵となって親ともども世の片隅に埋もれるだけである。

今の親はそのあたりが判らないようである。幼児期に形成された躾、習慣はとにかく一生ついて回る事をこの際しっかり覚えてほしいものである。その理屈が今の日本にはまったく欠けているのであり、誰も言わない。
 その躾がどれほど大切なものであるが子供可愛さに夢中になっている今の親にはまったく判らない、それは悲しいことであり、悔しいことでもある。高等教育を受け、知も十分に有ると自慢している筈なのに…!?。 恥ずかしい限りである。

 

 話は飛ぶが、これも是非聞いて貰いたい話である。

  聞いてもらいたい話 〔2〕

あなた方、60歳を越えたらそろそろ平生の食生活を考えて見るべきである。そこには大きな不合理が見え隠れしている事を見逃してはいけない。特に定年退職して、家にいるような方々に申し上げたい。

我々は3食を平生の食としてとっている、子供の頃からずう−っとであり、完全に習慣化していると言ってもいいものである。

 人々は言う、3食取ることが健康の源であり、病におかされることも無く無事に老期を迎えられる秘訣であると。

しかし、ここでよく考えて見てほしい、子供のころは体の発育もあるので3食は必要であろう、また青年期、壮年期は仕事で体を使うのでやはり3食は必要としてもいいであろう。

 問題は定年退職を迎えてからである、健康を保つため、病気にならないためと称して、大部分の人は相変わらず、3食を常に取っているのであり、医者もまたそう勧めて当たり前のような顔をしている。

果たして、そうなのであろうか、誰も疑問等は持たず平然と構えている。

しかし何か変である、考えて見るがよい、食はエネルギ−であり、=で結んで食=エネルギ−となるはずである。しかし、大部分の人は老人になればそんなにエネルギ−は使わない、不用なのである。

また体の消化器官もかっての活発さはなく、体と同様に弱って来ているのも否めない。しかし、それにもかかわらず3食を普通に取って当たり前の顔をしている。それではまったく計算が合わないような気がするのは私だけなのであろうか…!!?。

要するに食べたものは消化器官が弱くなっているので消化もされず体内に残ってしまうのである、それが時間と共に腸内で次々と腐敗して異臭を放つ、その結果、思いもよらぬ老化現象が起り、それが重なって揚句、重大な病を引き起こす羽目になるのである。何と、不合理極まりないものであろうか…!!。これが生活習慣病と言われている老人の病である。
 要するに自己管理の意識が乏しかったと言うことである。

私は言いたい、老人には3食は不用であり、2食をもって平生の食事とすることを旨とすべきであると…!!。

それが自然的な生き方であり、長生きの秘訣と言うものであろう。

 あなた方は一つ重大な事実を忘れているのである。そのことは是非とも知って欲しい…!!。


 そこには医者達も言わない大変な事実が存在しているのである。それはすなわち、我々の体の基本を作り上げているものは何であるかと言う事である。細胞が活躍するため一番必要なものは水分であり、水分がいろいろなミネラルや栄養素を運ぶ機能を持って活躍しているのである。それが生命活動と言われるものである。とにかく水が基本である。

  さて、次はその体を廻る水は何処から来るのか、それが一番の問題である。さあ、考えて戴こう。

 

大部分の人は飲んだ水が胃で濾されて、それが血液となり体の中を循環すると考えているである。しかし、それは完全な誤りである。胃に送られた食べ物は胃液と水で混ぜ合わされドロドロの消化されやすい形にされるだけである。またそこで使用された水は腸で初めて濾過されるのであり、それが血液や体の細胞の維持に廻されて体の中をめぐっているのである。また、ミネラルや栄養素の吸収等は大体小腸の仕事であり、水の絞り出しはあくまで腸の仕事なのである。

大腸のおもな機能は、水を腸外に絞り出すことと電解質の吸収、それと糞便の貯留などが主な仕事なのである。

要するに、体に廻る水分は殆ど腸から絞り出された水分であり、その水分が絞り出された残りの固形物が残留物として腸内溜まり、それらが時間と共に次々と発酵・腐敗し、その際大量のガスが発生し全体的に匂いが充満すると言うことである。

すなわち、腸で絞り出された水分そのものは大変汚なく、その汚れた臭い水分が血液となり、細胞に廻って行くと言うことである。それで当然、血液も大変汚れたものとなり、その汚れた血液を受ける細胞も自然と勢いが無く弱ってしまうと言うことである。それが毎日であれば当然重大な病気が発生することは言うまでもない。

誰も言わないが、それが病気の本当の原因であり、体の老化を早めている大きな原因なのである。

ところが、老人の細胞は力不足なので水分不足を脳に伝達出来ないのである。だから老人は水を飲まない、欲しがらないのである。そこでまた細胞は弱り、どんどん老成化し挙句の果てに脳は水分の不足が原因でボケが始まるのである。

 

あなた方の体調が不具合になればなるほど、相乗的に次から次へと体の水の汚れは倍加するのであり、それと共に汚れた水が次々と体に廻るのでてますます体は不健康になって臭みが増すと言う恐ろしい悪循環が何処までも続くのである。

その典型が老人であり、老人になればなるほど便は大変臭い、鼻をつまむほど臭いと言われる由縁なのである。要するに、年を取ればどんどん腸は汚れ、堆積した食べ物がどんどんガスを発生させるのである。また、その汚れた水分が血液の中に流れ込んで細胞を更に弱らせる、抵抗力がますますなくなり病を呼び寄せるのである。

その証拠に、難病と言われる肝炎や肝臓障害などは肝臓自体に問題があるのではなく、腸内の腐敗ガスが原因なのである。一般に病人の便は大変臭く、末期になればなるほど耐えがたく鼻をつまみたくなるほどであると言われている、すべては食べ過ぎによる結果であり、それが病につながって行くのである。そのことだけは是非とも知って欲しい。
 一般的にはガンの病人の便は大変臭く、末期になればなるほど耐えがたく鼻をつまみたくなるほどであると言われていることである。すべては食べ過ぎによる結果なのである。

大体、あなた方はおかしいのである。日頃表面は身だしなみと言って綺麗に飾って得意気な顔をしているが、実際は何も体のことは知らない、体の中の状態に関しては我関せずで自ら顧みることはしないのである。それでは知的には片輪な状態であり、半端者と言われても仕方がないと思うのであるが…!!。

本来、飾ってしかるべきもの、心してかからなければならないものは心の状態であり、自分の体の外ではなく内側の状態なのである。心を平穏に保ち、体内を綺麗に保って置けば決して病気にはならず、老人になるのも遅くなるものである。そのような人は大体、年をとっても若い人には負けず心にはわだかまりが無く、体もカクシャクとしたしているようである。

 ところがそこまで達観している方はなかなかいない。外面ばかりに気を取られ内側に関しては一顧もしないのが普通である。やれ、お化粧だ、いい洋服、おいしい食べ物とかには大変気が廻るが、誰一人として体の内部、すなわち、内蔵の状態については何も気にしてはいない。要するに、体の中にはもう一つの別世界があり、それが体の基本であること等はまったく知らないのである。

 大体、表向きを綺麗にしても体の内部には全く関係ない、しかし体の内部を綺麗にすれば自然に表にも影響が出て顔なども綺麗になるのである。要するに、自然界では「見えない世界」が主であり、「見える世界」が従なのであることを心得るべきである。

 

 最後に甚だ尾籠な話、臭い話と気分を害するであろうが、もう少し聞いて貰いたい。

もし、あなたが健康を望み、病気などには関わりたくないと思うならばである…!!。

  聞いてもらいたい話 〔3〕


 私は言いたい、あなた方の何人が便の自己管理に注意を払っているであろうか、恐らく皆無であろう。

それで健康で長生きをしたいとは少々虫が良すぎる、大いに自らを省みる必要があるはずである。

  

あなた方は自分の便をしげしげと見たことがあるであろうか、自分の顔は鏡で毎日見ているであろうが、自分の便の様子などにはまったく無関心であろう…!。便は病気のバロメ−タ−であり、体の調子の良し悪しを教えてくれる唯一のものを言はないメ−ル便である。そのことだけはしっかり知って欲しい。

しかるに、誰も読み方等を知らない自然からのこよないメッセ−ジであり、体からの親展メ−ル便ともいうものである。
 まことに有難いものであるが誰もそのことを知らない、ただ見もせずに立ち去るだけ、顔をそむけて逃げ出すだけである。

何と無知蒙昧な呆れた態度であり、不可解極まりない人間達の心なのであろうか…!!?。

 
 
私はよく人に聞く、なぜ自分の便をみないのかと…?。答はいわく、はしたないし、臭いからいやだと…!!。

 便は正直である、健康状態がいいか、悪いかを告げ、今日食べたものが体にいいか、悪いとかをしっかり教えてくれるものである。それは生命をつなぎながら明日へ向かうための唯一の健康バロメ−タ−であり、神が与えたこよない裏世界からの便りなのである。それは まさに無事を知らせる体内からの有難いメッセ−ジなのであるが、今まで誰も読もうとはしないのである。 その罰としての現れが病であり、体の不都合を教える痛みなのである。

我々はそれ(便)に従って食べるものを決め、健康を図って行くことにより、大過なく人生を送ることが出来ると言うものである。しかし、今までは誰も気がつかない、考えて見ようともしなかったのである。まさに千慮の一失と言うものである。

しかし、あなた方はそんなことは考えない、ただ口の言うことを聞いて口がおいしいとと言うものを毎日たらふく食べているだけであり、その結果どうなったかを見ようとはしない、思いもしない。そこにある変化に気づくこともしないのである。。

まったくおかしな人間の性(さが)であり、何と無知極まりない人間達の生きざまなのである。愚かな生き物と言うべきか、大胆な痴れものと呼ぶべきなのか…!?。

せめて三日に一回くらいは便と会話を交わし健康状態を教えて貰うべきであろう。それが病気の予防につながり、重大な病気の発生を阻止するための最大の防御法と言うものであろう。

まことに簡単で誰にでも出来る易しい方法であり、最高の健康管理の仕方、極め方なのである。

しかし、誰もそのことを知らない、知ろうともしない…。

 もし、あなたが健康で長生きしたいと考えるならば、是非とも明日から実行して貰いたい。

すると必ずあなたは神が定めた時まで健康で長生き出来ることになるはずである。中途で終わる等は決して無いはずである。

 出来れば、次の事実くらいは何時も頭に置いていて健康管理に努めて貰いたいものである。

  @  腸に長時間停滞すればするほど食物の腐敗が進行し、ますますオナラは臭くなる。

   A 体が弱れば弱るほどそれに比例するように内蔵や消化機能の働きも不活発になり、それにつれて食べ物の腸内      残留も多くなり臭いガスの発生につながっていく。 

   B 便が褐色、あるいは黒っぽい色の場合は要注意であり、ころころと固形化した場合には更に注意を要する。最も望    ましいのは赤ん坊のような淡い黄色の便であり、軟らか目のものである。

 

 あなた方はオナラを毛嫌いしているようではあるが、オナラこそ健康状態をそのまま教えてくれるものと気づくべきである。臭いものには蓋が今までの流儀であったが、これからはもっとオ−プンに考えるべきであり、臭いから関心を持つと言うことが必要になる時代がこれから来るはずである。

 

 これからは是非とも自分の腸内の環境状態に留意することが大切である。するとあなたは腸内美人となって体全体が綺麗になり、お化粧なんかは一切必要ないことに気がつくであろう。もっといいことは人には好かれることである。

 そんなことも知らずに「臭い」、「恥ずかしい」などと言い、出来れば隠したいと思っているのであり、旦那が放屁すれば「はしたない」「下品である」と罵り、罵倒するのが当たり前の現在である。

そんなことをのたまうより一家の大黒柱である旦那の健康状態を察するバロメ−タ−として重用すべきであろうし、しばし、経験を積むことにより健康状態もだんだん分かって来て、病気などの苦労も少なくなって来るのである。
 また、それに応じて旦那に出す食事も決められるのである。その食べ物が体にはいいのか悪いのかが段々に判るようになり、大切な旦那の健康管理に大いに役立つと言うことである。言って見れば、旦那の面倒を見ている奥さん料理次第で、旦那の臭いガスの発生が軽減されると言うことである。奥さんの腕次第で医者いらずが実現すると言うことである。
 いや、言い過ぎたかな、でも少なくとも半分くらいは奥さんにその責任は有るはずと思うが、如何かな…!。

  これからは21世紀である、20世紀の健康知識や医療法はだんだんと改めていくことが必要となるであろう。

 20世紀が病気治療の先駆けの時代であるならば、21世紀は予防医学の知識を持って出来るだけ病気にならないように対処する時代である。それにより重大な医療費問題は大きく様変わりすることになるはずである。

それは医者には茨の時代かも知れないが、家族や地域社会、大きく言えば国家にとっても大変結構なことであり、個人の体も心も大いに祝福されてしかるべき時の到来と言ってもいいであろう。

 

試みに、日本の医療費を見るがいい、殆ど国民の納める税金の全額と同じであると言う恐ろしい事実が判るはずである。我々国民が営々と骨身を削って働いて納めた税金の全てが病気治療に使われている、まさに身の毛も逆立つ思いがする奇怪な現象である。何かがおかしい、何かが狂っている…??!。

 しかし、誰も騒がないし、誰も変とも思ってはいないようである。

 このままでは医者や製薬会社の思う壺であり、彼等の策略に乗せられて国民は塗炭の苦しみを味わうだけである。それでも彼等はみいりが少ないとこぼし、大量の病人患者の発生を願って狂奔しているのである。何かがおかしい…!?、何かが変である…!!。

 我々はそれに乗せられてはならない、そのためにも一人々が毎日便と睨めっこして体の調、不調を見分けて病気と対決して行こうと言う決意が必要であり、そのための実行心がどうしても必要なのである。

それは誰にでも出来る最も簡単にして確実な方法であり、誰もが否と言えない真実を披露して止まないものである。

要するに便の臭みを調べ、便の色を見極めることが必要であると言うのである。そうすることにより、食べ物を選択が出来、アンチ病気の強い体を作り上げることが出来ようと言うものである。

 とにかく、病気にならない生き方が肝心であり、一生幸せに過ごすための最良の方法である。

 さあ、ここでそのためのとっておきの秘訣をあなた方に教えよう。

その第一歩はまず毎日2回はトイレに通うことである、その中の一回はせめて放屁だけでもいいのである。
 放屁一発かませば、その日の健康は保障され、長い目で見れば余命が一日延びると考えればいいのである。
 しかもそれは当たらずと言っても遠からずであり、懸命に実践すれば必ず大きな健康福が舞い込んで一家にとっては幸せの瑞兆となるはずである。

良い習慣、体の内部を見つめる習慣、それを継続させることが大きな結果を生むことにつながるのであり、強いては家庭の平和と幸せをもたらし、大きくは国家の財政破綻を救うことになるのである。是非それを知って欲しい。

 

放屁万歳…!!、健康万歳…!!、幸せ万歳…!!。わが身よ果てるまで健やかであれ…!!!。国家よ、国民と共に裕福で永久に栄えることを祈る…!!!。

 

ハ、ハ、ハ…人から見ればまさに馬鹿の骨頂であり、馬鹿の見本に見えることであろう。しかし、医者のなまじっかな健康談議やまやかし風の薬よりも余程効き目があり、効果抜群であるものである。是非試みるがよかろう。

 この魅力は何て言っても金がかからないことであり、貧乏人にはもってこいの福音と思ってもらいたい…!!。

                  (今月、5月は以上)。


 

「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外)No18

        ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と健康&幸せの切実な話 A
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成25月  謹上 

 つくづく考えて見ると今健康を維持するために行っている皆さんの食事や水分補給などは果たして体のためにいいと言えるものであろうか。また、医者が体のためにはいいとか薬屋が飲んだ方がいいと勧めてくれるものは果たして本当に体のためにはいいものなのであろうか…??!。 

 今の世の中を眺めると、いわゆる健康お宅と言う方々がは沢山いる。また、老人でも毎日体を鍛えて、いろいろな漢方薬やサプリメントを飲んで健康だと豪語して来た連中も大勢いる。しかし、最近の様子を見るとどうも余りぱっとしない。何と無く見つめる視線に力がなく、顔にも生気が無いのである。 その上全体的な生命感が薄く感じられて仕方がないのである。。

その証拠に、声に張りが無く、妙に弱よわしい。それに何と無くなげやりな口調である。

聞いて見ると、健康の状態を確認するために病院でいろいろ検査してもらうとあちらこちらに異常が見つかったと言うのである。血糖値が高い、血圧が高いとか、心臓に異常が見られると言われ、その度にいろいろと薬を山ほど貰って飲む羽目になっていると言うのである。 考えて見ると、病気なんて言うのは字の示す通り、半分は気持ち次第と考えてもいいもんであろう。ただし、大き病気以外はである。

 そのあたりについてもう一度考えて見たい。健康体の者にとっては医者の思わぬ言葉は大変心に残り、悔しいものである。医者にとっては親切に言葉をかけたつもりではあろう、しかし、その親切な心が却って健康と信じている者にとって仇言葉になってしまうのである。昨日までの元気は何処へやら、一気に元気を失い、思いこむことになり、重いストレスとなって逆に体を蝕むことになるのである。

 まあ、考えて見れば、病院、薬、運動といろいろな方がいろいろな健康法を用いて健康の維持に気をつけているようであるが、如何にせん、これと言う王道は無いような気がする。

 私の王道は医者にはかからないと言うことである。まあ、逆説的なことであろうが今のところこれで良いと思っている。だから、私は血圧がいくらかも知らないし、血糖値もいくらあるのかもまったく知らない。

 それで自分では健康体であるとして十分に満足している、今までも常にそうであったのである。

 

考えて見るがよい、20代の若者と6,70代の老人を走らせた場合にはどちらが早いのか…!??。

 答は決まっている。だから競技も年代別に分けて行っている、それが常識であり、普通であろう。

 同じように血圧も老人になればなるほど高くなって来るのが当たり前なのであるが、最近はそれが通じないような気がする。確か昔は自分の年齢に90を足すのが標準値であると聞いたことがある。すると私なんかは170近い値で正常と言うことになる。

しかし、病院に行ってその値が出ていれば恐らく危険と診断され、薬を飲むことを強要されるはずである。何って言っても、標準になっているのは20代〜30代の若者の数値なのであるから…!!。

何かおかしい…??!、どこかが変である…??!。

 また、血糖値の高さにも疑問がある。現在血糖値の高い御仁には食事療法や血糖値を下げる薬での処方が勧められる。しかし、最近では血糖値はストレスにより高くなることが多いと言われ始めている。
 要するに、現代社会の生活がストレスを生み出し、それが原因で血圧が高くなり、血糖値も高い状態を生み出しているのである。それにも関わらず、医者は薬を出し、飲みなさいと言っている。何か少々変である。

  とにかく、血糖値が高いと言うことは即、糖尿病であると判断されるのである。それにしては、医者達は糖尿病は医学や薬では治らないと常々言っているのも大変気にかかる…、何か変である。…??!。

 

その昔、糖尿病は王様の持病であると言われていたのである。要するに、おいしいものを腹一杯食べ、寝ていて運動もしない、それが日常であったので王様は皆糖尿病になったのである。

 それから学ぶ教訓はその逆を行えば健康体で過ごせると言うことである。粗末な食事、十分な運動、そして適度な仲間話しでストレス発散、それが健康な体を作り、丸い心をつくることが、ストレスを発散させるることになるのである。
 要するに、医者や薬頼みなどはせずに自分で治すことが可能なことに気がつくべきである。

 そもそも健康の基本は水と食べ物にあることを知らなければならない、ところがその食べ物に関しての現代常識には大きな誤りがあるようである。要するに、医者や栄養士、看護婦などもまったく本当のことは知らずに、いい加減なことを患者達に指導しているのが現在の社会の実情である。

私はいままでそのあたりの不可思議さに不審を抱いていた、要するに、本当の実践的健康指導家と一般の医者の言うことにミスマッチが多々あるのである。それでが長い間、ず−っと私の頭を悩ませ、苦しめ続けて来たのである。

 この稿を書いている途中で面白い本を見つけた、有名なアメリカ在住の日本人の医者が書いた本である。彼は自ら発見した特殊な技法でおよそ30万人の腸内の内視鏡検査を行い、腸の内部を知りつくし、この分野における世界的な権威者と言われている大変な方であり、また、同時に前進的な医療研究家の二つの顔を持つお医者さんでもある。

この本の中には私の知りたかった食物と体の内部の関係などがいろいろと記してあった。それらを読んで私の長年の悩みも泡沫の泡のように消えてしまい、まさに我が意を得たりの感をもったのである。

まことに貴重な一冊である。彼の名は新谷弘実氏、胃腸内視鏡学のパイオニァとして世界的にも有名な医者である。

 その著書、「病気にならない生き方」の中で氏は私たちの常識がどれだけ間違っているのかを指摘している。更には食の常識を信じていると命が危ないとまで言っている。まさに我が意を得たりであり、夢から覚めた気持である。 そのあたりを少々抜粋して見ることにする、あなた方も一つ考えて見るべきである。

 

    腸のために毎日ヨ−グルトを食べている。  NO……、駄目である。

●ヨ−グルトを常食していると腸相がどんどん悪くなる、これは30万例の臨床結果から自信を持って言える。更には、便やオナラの匂いがどんどん強くなって来る。これは腸内環境が悪化している証拠である。要するに腸内で毒素が大量発生し血液や細胞を痛めつけている大いなる証拠である。ヨ−グルト神話とはヨ−グルトメ−カ−達がつくった宣伝文句だったのであろうか…??。  ……「病気にならない生き方」…新谷弘美(アメリカでもっとも有名な医者)著より

 

    カルシュウム不足にならないように毎日牛乳を飲んでいる NO……、駄目である。

●牛乳を飲み過ぎると骨が弱くなる、要するに骨ソソウ症になると言うことである。また妊娠中の母親が牛乳を飲むと子供にアトピ−が出やすい、要するに、牛乳や乳製品の摂取はアレルギ−体質を作る可能性が大きいと言うことである。その証拠に牛乳を毎日飲んでいるアメリカやスエ−デン、デンマ−クなどでは股間節骨折や骨ソソウ症が大変多いのである。日本を見るがいい、牛乳を飲む習慣が無かった時代には骨ソソウ症はまったく無かったのである。また、子牛に市販の牛乳を飲ませると、その子牛は4,5日で死んでしまう、それほど体にはよくないといって言っている。また、氏は言う、氏の子供の二人はアトピーの発症があった時、すぐ牛乳と乳製品をカットしたら即座にアトピ−がおさまったと言っている事にも十分に注目すべきであろう。   ……「病気にならない生き方」…新谷弘美(アメリカでもっとも有名な医者)著より

 

   水分はカテキンの豊富な日本茶で取るようにしている NO……、駄目である。

●お茶を沢山飲む人は胃がんになりやすい、また、お茶に含まれているカテキンは細胞のDNAに損傷を与える。とにかくお茶を沢山飲む人の胃相は非常に悪いことは確かである。要するに、お茶も余裕を持って適度にたしなみ、決して飲み過ぎないことである。 ……「病気にならない生き方」…新谷弘美(アメリカでもっとも有名な医者)著より

 

 ● 肉類は健康増進のためには必要である。   NO……、駄目である。

● 肉は若者の体の成長には役立つが、老人にとっては肉体の成長とは老化を意味するものである。それは同時に子宮筋腫、高血圧、動脈硬化、心臓病、肥満、乳ガン、前立線ガン、糖尿病、等の生活習慣病を引き起こす原因ともなっていると著書の中で警告している。 彼の言う、成長を早める動物食は別の言い方をすれば老化を早める食べ物であるという言葉は我々老人にとっては貴重な警告と受け取るべきである。
 要するに、食べ過ぎないこと、老人は適度に…!!。 ……「病気にならない生き方」…新谷弘美(アメリカでもっとも有名な医者)著より

 

何と我々の健康のためにはいいと言う常識は全て駄目であると言っているのである、すると今までの医者や栄養学者達は一体何をやって来たのであろうか、ただ今までの先人の言葉を信じて自らは考えようとはしなかったと言うことの何よりの明らかな証拠と言うものではないのか…!!。 何と…、何と呆れた話であろうか…!??。

 更に著者は「多くの病気の原因は間違った食生活にある」と結論づけている。更には、氏のように腸の中を知りつくしてしまうと体の表面の変化よりも中の変化の方がよほど気になると言っているのである。

なぜならば、その変化が健康状態に直結しているからであり、更には健康状態は食べ物と水に由来するものだからである。私たちはこの言葉を見逃さず、しっかり直視していかなければならない。

人々は体の表面の変化には比較的敏感に反応する。例えば、髪の毛が抜けたり、顔に異常が現れた場合には大騒ぎでお金も時間もかけて対処する。しかし、自分では見えない腸の中の変化となると驚くほどいい加減に済ます。その結果大病を引き起こすことになり、あとでしきりに後悔するのである。 何てこった…!?。

 

1970年代、アメリカ国民の多くガンや心臓病になり、国家財政を脅かすことになった。そこで政府は研究委員会を設立して原因究明に走った。それがかの有名なマクガバン・レポ−トである。

そこで判ったのが「間違った食生活」であるとして当時のアメリカ人の食の常識を真っ向から否定したのである。

彼が理想的な食事と誉めあげたのは、何と元禄時代以前の日本人の食事であった。

精白しない米(玄米)と、季節の野菜や海藻類、それに動物性タンパク質として少々の小さな魚介類、それで十分だったのである。なんせ、ガンや心臓疾患なんかは一切発生しなかったと言われている時代である。

近年、日本食が健康食として世界中で持て囃されているのはこれがきっかけであると氏は著書のなかで述べている、確かにそうであろう。それを知らずにアメリカ食をむさぼって食べているのが我々我々日本人なのである。 何てこった…!?。焼き肉、ハンバ−グ、などは考えものである。

 

それと同じことを言っていた御仁がいる。伊豆在住の沼田勇医学博士である、氏は日本有数の玄米食の大家であり、玄米食を実践しながら夫婦ともども90歳を越えるまでカクシャクとして患者を診ておられた。私なんかも大分玄米に関するいろいろな蘊蓄を散々聞かされ、心が動いた一人である。

考えて見ると、我々老人の体は正直である。なぜならば、体に不必要なもの対しては段々と好みが変わって、最後には厭悪感さえ感じてしまう。10年前にはあれほど好きだった肉類にさえも…!?。

特に高タンパク質、高脂肪の動物性タンパク質のもの、すなわち、ステ−キ、ハンバ−グ、フライドチキンなどは見ただけで結構であると感じる。しかし、世の中にはひねくれ者がいて、体の意思などは一向に気にせず、健康維持のため肉類を沢山食べようと努めていると豪語する老人も大勢いる。しかし、惑わされてはいけない…!!。

 その結果食べ過ぎたと言って今度は胃薬を服用する、要するに、消化するために出過ぎた胃酸を今度は抑えようとするのである。食べた肉を消化するためには大量の胃酸が必要なのであるが、今度はそれで気持ちが悪くなると言うおかしな場面である。一気にそんなマッチポンプ的なことをするのは世界でも我々日本人だけなそうである。何かおかしい…!!?。

 この胃薬をすぐ飲むと言う行為は胃を更に悪化させる行為に繋がり、挙句の果てにはガンの発生につながることになるのである。何故なら、胃酸を薬で抑えてしまうと胃粘膜は収縮する、その収縮が進めば胃はだんだん固くなって胃ガンに発展するからであると氏は言う。。

 更に新谷氏は続ける。

日本人はとても気軽に「薬」を服用するが、「薬」は基本的には体にとっては「毒」であることを覚えていてほしい。化学薬品を嫌う人でも漢方薬なら副作用も無く、体には害はないと信じている人もいるが大きな間違いである。「薬」というものはすべて体には毒であることには変わりは無いのである。

 また、効果が早く現れる薬ほど毒性も強いことを知るべきである。薬を選ぶ際には効果の早く現れる薬、即効性のある薬はそれだけ体には害になると言うことを覚えていてほしいと…。

 

食べ物や水の質が悪いとそれを取り入れる胃や腸が真っ先にダメ−ジを受ける、その上、吸収されたものは血管と言うパイプラインで全身の細胞に送られる。それを送られた細胞達はいくら材料が悪くてもその材料を使って新しい細胞(病的な細胞)を作り上げる。その繰り返しが結果的に体を弱め、病気に対しての抵抗性をなくしてしまうのである。

要するに、食べ物と水の良し悪しが全身に即反映されるのである。それを知っていれば、食べ物の良し悪し、水の良し悪しは自分の全神経を使って判断することが大切と考えなければならないのである。

要するに、食べてうまい、飲んでおいしいと言うことを自分の舌でしっかりと判断することである。それも一つの家庭を守る主婦の大切な役目と考えるべきであり、料理をおいしくさせる最良の業と知るべきである。 そもそも料理の腕がいいとはそのことであり、心の配慮がある、無しが最後にはものを言うのである。

 そのためには常日頃化学調味料や刺激性の強いものを口にしない、更には農薬や食品添加物の入っていないものを選ぶ際に神経を敏感に働かせることが肝心である。 そのように心がけて神経を磨けば「毒」の気配がすると体は敏感に反応することを知ってほしい。例えば、野菜を生で口に入れて奥歯で噛むと厭な苦い味がしたり、安い市販の塩を舐めると味覚神経がピリッと反応し麻痺状態になるなどである。白い砂糖も同じである、舐めるとキ−ンと歯神経に触り顔がゆがむことは御承知であろう。それらは一種の嫌悪反応と考えるべきである。

 まさに、これらは一つの拒否反応であり、「毒」であるとの体の警告、お知らせと考えるべきである。

 水に関しても同じである。水道水を飲むと有る程度までは飲めるが、それ以上は体が寄せ付けない。しかし、いい水を飲むとぐいぐいといくらでも入って行く、そしてさわやかな満足感があり、体と心が浮き浮きとするのである。

また、すぐに尿意を催すことにもなる。要するに、それだけスム−スに流れ、循環が早いと言うことである。

まあ、若いうちは息もつかず、ぐいぐいと水を飲むことが出来るだろう。 しかしある程度年齢になったならぐいぐいは止した方がいい。一口、一口丁寧に飲むことが肝心である。出来れば口の中で2〜3回転がして唾液を混ぜながら飲んでほしいものである。特に65歳あたりを過ぎたならシッカリ考えてほしい。
 何故なら、それで唾液の中の酵素が水に混じって胃には優しい水と化すからである。これが一番大切なことである、覚えていてほしい。

 

 あなた方は体にいい水とはどんな水かと問うであろう。
 答を申し上げよう。我々の体の約60〜70%が水である。また、脳に至っては90%以上が水で出来ていると言われている。また、赤ん坊の80%は水で占められているのである。その上、我々の体内の水の55%は細胞内にあり、残りの45%は細胞同士の外側や、血液として存在しているのである。
 それだけでも水の重要度がよく解り、水の大切さがひしひしと身にしみて解って来るはずである。

 要するに、水が不足すれば体全体が力を失うのであり、エネルギ−の補給さえもままならないと言うことである。特に、老人は水分不足により、皮膚の老化が著しく進むことになるり、いわゆる老人性の風貌になるのである。

 要するに、水の良し悪しが健康を決めてしまうのであり、その日の気分さえも変えてしまうものと考えていい。
 いい水を体に入れることにより血液はサラサラになり、細胞は活発になるのである。要するに、常に健康で元気でいられるのであり、年もとらないと言うことである。それだけ水は重要なものではあるが、医者もまったく気にはしていない。水は水、水道の水でも市販の水でも変わりはしないとうそぶいている。要するに、水が健康を左右するなどとはまったくナンセンス、とんでもないことであると思っているのである。

しかし、彼等は水道の水を飲むなんてことはしない、何故なら水道水にはガンを誘発するトリハロメタンが大量に含まれていることを知っているからである。

まず我々は、ガンの発生を呼ぶ水道水の問題を十分に知らなければならない。知った上で対処法を考えなければならないのである。まあ、今のところ広域性のあるものであり、公共的なものであるからで個人ではどうにもならない問題であり、考えてもどうにもならないのは確かである。しかし、水を使わない訳にはいかない、なんせ、水は命のもとであり、必要なものだからである。

 そこでしっかり考えるのである、すると水道水からトリハロメタンを除去すればいいのであると言う答が出てくる…。すると問題は割合簡単に解決することになる。

 要するに、いい水とはトリハロメタン類を一切含まず、マイナス・イオンを大量に持っている水である。マイナス・イオンを大量に含む水は体の中に入ると体の中にある有害な活性酸素(+)と結合して単なる水となって排出され、すべては丸く納まるのである。マイナス・イオンを含んでいる水を酸化還元電位計で測ると大変数値が低い、それだけ還元度が大きいということであり、体にはいい水と言うことである。

まず、参考に数値を上げて見ると、東京や大阪の水の酸化還元度は700〜800、それに対していい水は200以下であり、場合によっては100に近いものもある。
 そう言えば、近くに天城深層水と言う名の名水がある、毎日県内や関東地区から水を求める人々で大わらわの混雑である。 酸化還元電位計で測つて見たら酸化還元電位は162を示していた.。確かに稀にみるいい水と言える。....

また、いい水かどうかは植物に聞いて見ればよく解る。葉や花が生き生きとしてくる、生け花は倍くらい長持ちする。動物に与えれば喜んで飲み、もはや水道水には見向きもしない。動物の匂いなんかもまったくなくなるのである。

要するに、人間が一番感覚が鈍感であり、完全に麻痺していると言ってもいい、すなわち、すべてにおいて自然性が完全に失われていると言うことである。 大変に悲しい事ではあるが…!!。

 

 さあ、それなら、我われはまず自分の身の不始末を糺すことから始めようではないか、自分の身の整理もせずに、やれ薬だ、医者だと騒ぎ立ててもそれは一過性の問題解決であって長い目で見ればまさに労多くして利少なしのである。
 要するに、根本的な解決法ではないと言うことであり、何時かわまた再発することになると考えるべきである。

 わが身の整理とは自分の身を自然的に正しい姿に置くことである。3食戴くと言う脳の指示なんかは受けずにお腹が空いたら食べる、すなわち腸の言い分に従うことが大切なのである。

 脳はコンピュ−タ−と同じで常にインプットされたことを指令する、御飯は朝、昼、晩と3回食べなさい、それが現代の生活モラルであると…!!。それが365日、いや一生休みなく続くのである。身体はそれをこなすために懸命である。

考えて見るがよい、人間は生きているものであり機械ではない。しかも、60兆個の細胞が昼夜休むこともなく活動しているのである。何時かは何処かに不具合が生じるのもこれ当たり前ではないのか。是非、そのあたりを考えてほしい…!!。

一週間に一回か、10日に一回は食事をせずに胃や腸を休めてやるのもいいのではないか…。

 すると次の食事はまったく新鮮で、味もひとしお違うように感じられて心も生き生きとなるのである。

 しかし、脳はそんなことにはとんじゃくない、時間が来たら食べるべしと盛んにせき立てるだけである。

 一方、腸は人間のパ−ツ部分にデリケ−トな不具合があれば即察し、食欲不振となって知らせてくれる。
 食欲不振とは食べるなと言う腸の合図である、出来れば我慢して2,3日食べないことである。しかし、そんなことは誰も知らない。ただ薬を飲んで腸の合図を無視するだけである。まことに文化人は愚かである。犬や猫なら承知して2,3日縁の下にもぐっていれば治って出てくる。人間より余程利口である。
 そう言えば、最近の学者達も体を大切にしたければ脳ではなく、腸の言うことを聞けとのたまっているようである。まさにその通りであると大声で叫びたい。そのあたりを是非考えようではないか…!!!。

 とにかく、健康で長生きするためには外観の声に惑わされずに、体の中から聞こえてくる声に真摯に耳を傾けるべきであろう…!!!。

 そもそも自然というものの本質は「表」ではなく、「裏」にあるものである。裏がまことの真実なのである。覚えていてほしい。

                                                              6月の声(完)

 

 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No19

        ≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (水と健康&幸せの切実な話 B)
                                          
 
                 
                    (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                                平成25月  謹上 



 今月も先月に引き続き人間の最も大切な腸の話を聞いてもらいたい…!!。

今までは誰も腸の大切さを説いた者もいなかったのであるが、ここに来て欧米の医学研究者あたりから腸は最大の免疫器官であり、腸が健全なら決して病気にかかることはないとか、健康の基本は腸にあり等の今まで無かったような言葉が聞かれ始めるようになったのである。それに釣られて、最近になって日本の医学者あたりも腸に関しての色々な事実に目を向け始めたのである。まあ喜ばしいことである。

それにしても余りにも長い間、腸についての研究を放っておいたので、今更腸についての論議を始めようとしても医者達は表面的なことしか知らずたじたじの態である。せいぜい知っているのは腸の位置とか腸の役目などの表面的なことだけであり、あるべき腸の本来の仕事などはまったく知らない状態である。

今更、脳は腸の付属器官であり、腸の汚染が脳のボケの原因であり、病気などの体の不調などはもとを糺せば腸の管理の悪さが原因であると言っても、今の日本の医者達たじろぐだけである。彼等はただ診察器械を通して腸を見るだけが仕事であり、後は薬を出すだけが仕事なのであるから…。。

 

今から60年前、故千島博士は腸造血説を唱えて、仲間から村八分された。要するに、それまで世界の骨髄造血説は誤りであり、実際は腸の繊毛で造られると言う学説を発表して大反発を浴びたのである。

博士はいわく、ガンをはじめあらゆる病気を治すには、腸内を綺麗にして良い血液を作ればいいのであると言っていたのである。要するに、腸が元気であれば血液が綺麗になり、血管を詰まらせるなどの老人特有の様々な病気を引き起こすことはないと述べていたのである。

 

しかし、千島博の説は余り認められることはなく大部分の医者達は西洋の学説である「血液は骨髄で造られる」を信じてそれに従っていたのである。それ故に腸は単なる消化器官として認識にとどまり、余り重きを置かれることも無く現在に至っているのである。しかし、今でも決定的な証拠はどちらにも無い有様であり、その真実は不明の状態のままである。

要するに、大切な血液が体の何処で造られるのかは医学の発達した今でも解らないと言う状態である。

何と、医者は血液が体内の何処で造られるのかも解らずに、血液を採取したり、輸血をしたりしているのであり、大量の血液に関する論文さえ書かれているのである。何かおかしい…!??。

血液、それは命の雫であり、太古からのメッセ−ジが籠められている偉大な神の贈り物である。また、あなた方の健康を支え、毎日を健やかに生きていくための情報の砦と言ってもいいものである。

 

臓器や脳などの重要組織が、もともとは腸から発達したものだということが判明したことから、栄養を運ぶ血液は腸に由来するものと言えることである。だから、腸を汚れが溜まると血液も汚れる、血液が悪くなると自然的に細胞も弱って来る。すべては関連していると言うことである。考えて見れば極く当たり前の話である。

その当たり前の話が世間では通じないのである。誰も腸のことなど気にはかけない、腸がどうなっていようが誰も考えない、知ろうともしないのである。何と、腸を整えることにより万病を防ぐことが出来るなどは誰も知らないのである。

 

そもそも血液を悪くする最大の原因は食品添加物や農薬、化学肥料、抗生物質などの体になじまない物質の摂取であり、それらの人工的な薬物を体内に次々と取り入れることが最大の原因なのである。それらの人工薬物は異物なので胃や腸では消化吸収されずに腎臓や肝臓に送られどんどん貯められて行くのである。

学者達の試算によるとそれらの量は年間では3〜5キログラムに達するそうである。まあ、話半分でも、病気になるのはこれ当然至極であり、当たり前のことである。 しかし、誰も気にはしない…!!、考えようともしない…!!。

 

あなたは常日頃気をつけているので、食品添加物や農薬、化学肥料、抗生物質などは摂取していないと言い張るであろう。ではお伺いしたい、あなたは肉やソウセ−ジ、あるいはパンや、パスタ、お菓子それに市販のおにぎりや飲みものなどを決して口にはしないであろうか…??。

そこには食品をおいしく見せたり、新鮮この上無いように見せる「食品着色料」「発色剤」、また、甘味を本来以上い際立たせる「合成甘身味料」、あるいは長い間、食品を保存させる「保存料」、腐敗や雑菌汚染などを防ぐ「防腐剤」「消毒剤」等々の食品添加物がふんだんに使われているのであるが、あなたはそれを知っているであろうか…!?。

 

ある有名なパンの会社の社長があるホテルに泊まったので、ホテルの従業員が気をきかせてその会社のパンを買ってきて朝食に出したら、おれを殺す気かと怒鳴り出したのは有名な話である。

また、ある有名なハム会社の社長夫人は決して自社の製品は購入しない、彼女が購入するのは場末の小さな個人経営の名も無い店のハムやソウセ−ジだけである。このことは一体何を意味するのか、考えて見てほしい。

 

もし、あなたが食しているパンが2〜3日でカビが生えたら喜ぶべきである、なぜなら、正直なパン職人が作った素晴らしいパンであることのまたと無い証明だからである。逆に、パンが何日間もきれいな状態ならば防腐剤や保存料でガ−ドされているものと判断して二度と買うべきではない。

ところが今はその逆が行われているのである、高学歴、インテリと自負している方ほどその傾向が強いようである。何と嘆かわしい世の中なのであろうか…!!。

 

また、青々とした野菜も大量の残留農薬や人工肥料で汚染され、あなたの好きな卵も餌に混ぜられた抗生物質や成長剤やホルモン剤が沢山含まれているのであるが、あなたはそれを知っているであろうか…!?。

むしろ、それらよりも虫が食い、穴のあいているような野菜が安全の証明書と考えるべきなのである、何故なら、虫が好むと言うことは農薬散布が余り無かったと言うことの最大の証明であり、食しても安全であるとの証なのである。

大根やニンジン、サトイモ類もなるべく汚れているものを選んだほうがいい、何故なら、余りきれいに磨かれたものは洗う際に強力な洗剤を用いて洗浄されている可能性が高く、それが残留している危険性があるからである。

 

インスタント食品やジュ−スなどを好んで良く食べる子供はすぐにカッとして切れてしまい、根気が無くなり、暴力的になることをあなたは知っているであろうか…!?。

最近の子供達はよくキレると言われるが、原因はそのあたりにあるのである。

アメリカの例であるが、一九八〇年代に少年院入所者8000人の食事からお菓子や炭酸飲料を省き、代わりに野菜、果物、胚芽、胚乳のすべてを粉にした全粒粉で作ったパンを与えたところ、所内での喧嘩、暴行などは半減したそうである。

あなたが主婦ならば、料理を作る以前の材料、あるいは飲みものにまで気を回すべきである。そこまでやって初めて良妻賢母と言えるのであり、一家の主婦として責任を全うすることになるのである。

持てる直感を駆使して考察を巡らすべきであり、決して軽々しい判断をすべきではないのである

なんせ、あなたの手に一家の運命が握られているのであり、心がけ一つで重大な病が避けられることが多いからである。

現在、事はあなた方が予想しているよりも遥かに深刻であり、最早、一刻の猶予もならない事態である。ただ、これらの事実についてはあなた方は何も知らないだけなのである。が裏の業者達は誰でも知っている常識と言うものなのである。

話は少々脱線したが、要は腸が悲鳴をあげるような汚れた食品や飲みものは極力控え、なるべく購入しないのがいい。要するに、余り宣伝文句などには惑わされるなと言うことである。

よく考えて見ると、昔の醤油や味噌は少し置くと白いカビが出ていた、しかし、今の製品は何カ月置いてもカビなどは何も出ない。それ故に、あなた方は信頼のおけるものとして嬉々としているようであるが、何かがおかしい…、何かが変である…!?。

 要するに、あなた方の持つ常識と言うものが間違っているのである。あなた方の常識は業者やマスコミの宣伝によって造られたエセ常識であり、それをあなた金科玉条と感じて自分達の生活則の中に取り入れているのである。
 考えて見るがよい、遥々遠くまで運ばれて消費者の手に渡った製品が開封して僅か1週間や10日でカビが生えたなら、必ずクレ−ムがついて返品沙汰になるのは間違いない。

それでは商売にはならない、だから、前もって大量の防腐剤を配合しておくのであり、前もって広告などで言葉巧みに予備的な刷り込みや洗脳を行って一切の疑問等の発生を封じているのである。それが大手の常套手段なのである。

例えば、「当社の製品は何カ月置いてもカビなどは一切発生しません、それだけ技術的に優秀なのですとコマ−シャルで流せば、それで消費者もそうかと思い安心するのである。いわゆる洗脳であり、刷り込みと言う方法なのである。

しかし、それらも裏を返して考えれば誰でもおかしいと思うようなものなのであるが…???。

最も今では防腐剤と言うと何となく工業用製品と紛らしく感じられるので保存料と名を変えている。

要するに、消費者のあなた方は何事に置いても後手々に回り、いいように利用されていると言うことである。

 

これからはあなた方も知識を豊富にして業者に対抗すべきなのである。例えば、何時までも青々として水々しい野菜は警戒すべきであり、それよりも、すぐしんなりとして生気が無くなる野菜を手に入れるべきなのである。なぜならば、前者の青々とした野菜は豊富な人工肥料や農薬で育ったか、それとも出荷する前に野菜の水分蒸発を防ぐためにスプレ−で薬をふりかけたものの可能性が大だからである。

また、味噌、醤油にしても何カ月も放置してもカビが生えないことを問題にして抗議するのが本当の筋なのである。カビが生えないと言うことは防腐剤や保存料が使用されている何よりの証拠なのであるから。本来の自然性のあるものはある期間が経てばカビが生えるのは当たり前であり、自然の証拠としての貴重なものと言ってもいいものなのである。

 そもそも、味噌、醤油、酒などはカビが作り上げた優秀な食品なのであり、だから体にはいいと当の業者達は言っているではないか…。カビが悪玉であると言うのはカビを逆手に取った悪玉業者のコマ−シャルなのである。あなた達はコマ−シャルべ−スに乗せられて嬉々として購入しているのである。

それほどカビに対して敏感なあなたが、なぜカビの塊であるチ−ズを喜んで食べるのであろうか…?。 なぜ、そのあたりの矛盾に気がつかないのであろうか…!?。

 例えば、肉の場合,ショウケ−スの照明の下では余り綺麗な色のものは遠慮すべきである。何故なら、綺麗に見せるために発色剤をふりかけている場合いが多々あるからである。

 その場面をテレビでも放送したことがあるのを覚えている方もいるであろう、店主は日が経って肉が腐り始めると発色剤を振りかける、すると見事に綺麗な新鮮な肉に生まれ変わる、まさに魔法である。

 あなた方も、機会があれば、一度くらいは本当の自然の肉の色くらいは覚えて置くべきである。

 出来たての肉の色はあんなに綺麗な色をしてはいないことを知って置くべきである。そうすると買う時にも心が囁いてくれるはずである。それが生きた知識であり、生きた知識は身を救うと言うことである。

 

特に最近の鶏肉は固くてまずい、昔のものはものすごく味があり、肉もジュウシ−であった。要するに、自然の中で育てられた自然の味と言う何とも言えない風味があったのである。これだけは今の人達には解らないだろう。何せ、生まれた時から今の味に慣れているのであるから。

今の鶏は狭いケ−ジ内で飼われて一切の運動は出来ない、その上、病気にならないように抗生物質をふんだんに与えられている、また飼料は大工場で作られた成長ホルモン入りと言う筋金入りの餌と言うものである。何と言うことなのであろうか…!??。消費者のことなどは誰も考えてはいないのであり、忘れているのである。

要するに、鶏肉ばかりか、卵だって同じことが言えるである。 何か寒気がして来た、桑原、桑原…!!??。

 

要するに、今の時代、よほどシッカリ考え、世の中の理屈の構成を知らない限り、家族を守って行くことは甚だ困難なのである。確かに、食中毒などはカビのもたらす一種の病気である、確かに集団的に発生して世間を騒がせている。しかし、死ぬなんてことは極めてまれであり、病院で手当てをすれば大体は2〜3日でけろっとしている。しかし、世間は大騒ぎでカビはけしからんとばかり非難し、カビは敵だとばかり大騒ぎをしている。 何かおかしい、何か変である…!!?。

しかし、考えてほしい、特定の悪玉菌が病気の犯人のはずであるが、あなた方はそうは見ず、全ての菌をせん滅させんと意気揚々として構えているのである。

 

あなたは知っているであろうか…??、腸の中の菌こそがあなたの生命を保持し、体調の良し悪しを司っている主人公であることを…!!。あなたの体の中には何十兆と言う菌が住みついて食べ物、あるいは排泄物の管理を行っているのである。その事実をあなた方は忘れているようである。

本来、あなたの体の持ち主は菌であり、菌が毎日の体の調、不調を管理運営していると言っても過言ではない。あなたの方が単なる宿り主であり、ただ体を借りて生きている存在と考えるべきである。あなた方は何千億、何百兆と言う腸内の菌が生存していくために働らかされている一種の生き物であり、そのために生かされている一種の生体ロボットかもしれないのである。そのように発想を転換して考えれば菌を滅ぼそうとする行為はすなわち自分自身を滅ぼさんとする行為であることに気がつくはずである。 生物と菌、これらは互いには無くてはならない共生関係にあるものである。
 一方が滅びると他方も共に亡び去るのである。

 

要するに逆説めいてるかも知れないが、数十人、数百人の命を奪ったからと言って菌を片っ端から殲滅させる行為はやがては人類全体を滅ぼすことにもなりかねない当たり前のことなのである。

それを忘れないでほしい…!!。

 

 あなたは台所を強力な洗剤で泡だらけにして、息をきらして悦に入っているかも知れない、しかし、それと同時にあなたの体の中には空気と共に大量の殺菌剤が入り、体の中の菌を片っ端から殺し廻っているのである。いわば、一生懸命体のために働いている菌を問答無用とばかり殲滅しているのである。

 恐らく、その後はからだが疲れて一休みする羽目になっているであろう、それは体の中の働き蜂ならぬ働き菌がいなくなったので体が一時的に不調になったのが原因と考えるべきである。

 今の洗剤はものをキレイにする洗浄するばかりではなく、殺菌作用も強いと思ってほしい。コマ−シャルにもあるではないか、洗剤で不快な菌をやっつけて万歳している場面が…。

  私の言いたいのは、できるだけ強力な洗剤は止して、なるべくマイルドな洗剤を使うべきであろう。

のためには自然にはやさしいもの、自然に由来するものを選ぶべきである。要するに、自然系のものは余り強力なものは無く、従って体には優しいものであると言うことを知るべきなのである。

 今まで一回こすると汚れが取れたのであるが、3回や4回こすって汚れを落とせばいいではないか。

 時間なんてはそう違いはしないし、多くこすることにより愛着も湧き、ものを大切にする心が生まれるのである。また、懸命にこすれば運動不足も解消すると考えればいいではないか…!!。

  おっと、言いたい腸の話は何処かに行ってしまった、ハイ、軌道修正…!!!。

要するに、食品添加物や防腐剤、農薬や消毒剤、あるいは成長ホルモン剤や抗生物質、などの腸が撥ねつけた反自然物質類は自然排泄されることなく、特定の臓器の中に濃縮されて溜まっていくのである。

さあ、それがどのような結末になるのかについては医学はただ黙っているだけである。恐らく、数十年経たなければ一切の経過は解らず、今のところ、どのような経過になるのか模様を見ている最中なのであろう。

要するに、現在の我々は体の変化を観察されている途中のモルモットと言うことであり、検査途中の生きている試料と考えられているのなのであろう…!?。

 

一方、世の中を見ると、本来あるべきではない病気が氾濫している。ガン、脳梗塞、高血圧、血管障害、心臓病、などは成人病と名づけられているものである。 最近ではこの成人病は日頃の生活習慣にかかわりがあるとして生活習慣病と呼ばれ始めているようである。それは本人が作り上げた病気であるから自業自得の病と言い始めているように聞こえてしょうが無い。年寄りのひがみなのであろうか。

最近の医者を見ると、直す気が無いのか、それとも打つ手がないのか、検査と薬だけに頼っているように見えて仕方がない。朝から晩まで検査、検査で病院中をたらい回しにして、帰りには馬に食わせるほど大量の薬を手土産代りに渡してくれる。どのようにしたら病気が治るのかとか、日頃、何に気をつけるべきかについての説明などは一言も無い。

 さあ、これからは余程褌を締めてかからなければ我々は天寿をまっとうすることは出来ないと考えるべきであろう。そのためには自分の直感でシッカリと考えることであり、しっかり自分の目で見て考えることが大切である。

 

今は右を向いても左を向いても、食べるものは汚染だらけである、何か、早く死ね、早くあの世に行ってくれ、そうしなければ国は駄目になる(年金が不足して)、人類全体も増えすぎて食料が保たない(人口の増えすぎで)、これは世界政府の方針である、是非したがってほしい、ただし国民には内緒でと言っているように感じてしょうがないのである。

 やはり、年寄りのひがみ根性なのであろうか…!???。                      (7月の語り 完) 

 

 

「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No20
       ≪A true fact that nobody know in the world !!≫   (水と健康&幸せの切実な話 C                        

       (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                      
              平成25月  謹上

  確かに、現代科学は目ざましい発展を遂げ、人類は文明の絶頂期を迎えてまさに鼻高々の感じである。しかし、一歩振り返って見るとそのお粗末さが目につくのであり、これ以上は無いみじめな環境に置かれているような状態に遭遇しているのである。

次々と襲い来る自然災害にはまったく無力であり、歴史上最高の高齢社会を勝ち取ったと言う割には、老人の大半は力なく病の床に伏し、迫りくる死の予感におののきながら毎日を送っている有様である。また、元気な働き手達もガンや心臓疾患、あるいは国民病と言われる糖尿病、花粉症、アレルギ−などを病むことにより、否応なしに孤立化して、孤独にさいなまされているのである。 それが現代社会の有様である。

一体、その原因は何なのであろうか、多くの学者達や知識人達は考えに考え抜いて入るのであるが、如何にせん、今のところまったく思い当たることも無いと言うだけである。

いや、恐らくはおぼろげに感じてはいるが、それをハッキリとは口には出せないと言うことであろう。

なぜならば、今の国民病と言われるものは短期間で病気になったと言う訳ではなく、その根は深く長いと言うことである。  恐らく、10年〜20年以上と言う時間のスパンの間を縫って体の不調子が高じて病と言う形で発現して来たものであろう。
 それが糖尿病、花粉症、アレルギ−などの医者でも薬でも治らない病気なのである。あなた方も調べて見るがいい、これらは病気というより体の動きの不具合、臓器の働きの不活発と言う形で発生したものであることが判るはずである。

 

これらの病気は商業主義、利益主義を何にも増して優先させた結果発生した一種の人為的な病、すなわち、一種の薬物が原因なのではあるまいか…??。なぜならば、今から4〜50年以前にはそのような病の姿は無かったからである。

 

要するに、農薬や食品添加物、化学肥料、抗生物質などの体になじまない物質の摂取が原因であり、それらの人工的な薬物を長年にわたり知らず知らずに体内に取り入れた結果、ここに来て体に異常が起きているのであると言ってもあまり外れてはいないと思う。 とにかく疑問点が多すぎるのである。

確かに、短期間の卓上的な実験等では人体に対しての害は見られず、問題化するには至らなかった。しかし、それが長年にわたり人体に摂取され、内蔵に蓄積され続けた場合、臓器に何らかの異常が起るのは当然と考えてもいいであろう。
 ただ、今のところ、そレをハッキリ示すようなデ−タ−がまだ無いので有識者達は断言を避けているのではないのか…??。。 それをサジエスとするようなインタ−ネット上の書き込みが大変多い、最早無視は出来ない程である

それに加えて更にもう一つの原因が考えられるのである。それが色々な科学物質、例えば、知らずに使っている生活上の重宝している環境悪化物質、すなわち、よかれと信じて使っている洗剤、シャンプ−等、更にはトイレに用いられている洗浄剤の類の体に与える害、それにこれらが混ざり合って複合的に働いた場合の結果は果たしてどうなるのか…??。
 まだまだ未知の部分が多すぎるのである。 とにかく、要は人体に与える影響、更には人類の未来に対する影響、そのあたりを早急に考える、それが学者達の急務と言うものであろう。一般の主婦はそのあたりのことは何も考えずにコマシャルに踊らされてホイホイと使っているのであるから…。それらを作っている大会社の宣伝に我々人類の未来を任せることは絶対に避けなければならない、彼等は人類の未来などは考えはしない、考えるのは利益を上げることだけである…!!。

 恐らく、そんなことは絶対に無い、100%無いと言い切れる学者はいないはずである。


 また、洗剤で綺麗にすると言うことは、逆に言えば、その行為は水を汚すことそのものを意味することなのである。
 なぜならば、それら洗剤のほとんどが自然界の掃除屋であるバクテリャでは分解出来ない無機的な石油製品に由来するものだからである。洗剤を使えば使うほど、どんどん水の中に洗剤が溜まりただ濃縮されて行くことになのである。

確かに、一時は自然に優しい自然から作り出した有機的な洗剤をと言う時代もあったが、洗剤業界に押し切られてしまい、今は余り見かけることもない、すべては大手洗剤会社の言うままであり、なすがままである。悲しいkとではあるが…?!。
 それはすなわち、ハッキリ言えば使用者が愚かだと言うことになるのである。 失礼…!!。

 

見るがいい、過去にはまったく無かった病気が現実に大量に発生して、国民皆病の兆候が発現している事実を…!!。
 何かしらが起きていることは確かである、ただ、急激ではないので国民は気がつかない、騒がないだけである。
 とにかく、いまや、国民全般に広がりを見せ、次々と病院に送りこまれているのはあなたがたも知っての通りである。

 それを厚かましくも政府は国民病と名付け、責任を国民に押し付けているのである。この現実から見ても、何かが起きているのは確かなのであるが、誰も知ろうとはしない、誰も糺そうとはしない、ただ黙視しているだけである。

脅す訳ではないが、今や我々日本人は生か死か、存続か滅亡かの岐路に立っていると言ってもいい時であり、歴史上最も微妙で困難な時期に差し掛かっていると言っても決して言い過ぎではない。そろそろ目を覚ます時である。

ひょっとすると、現代の我々は人工薬物の有害か、無害化を見極めるためのテストピ−スと考えられているのかも知れない、その実験用の人間モルモットとして今、歴史の中に立たされているのかも知れない。または、多すぎる世界の人口を少しでも減らすためにはちょうどいい機会であるとして、問題にはしないことになっているのかも知れない…!?。

こればかりは歴史が時を刻んだ後にならなければ判らない。要するに、後代の学者達が歴史の事実に則(のっと)って判断を下してくれると言うことである。

そのあたりを考慮しながら、我々はもう少し利口にならなければ与えられた人生を棒に振るような事態にると言うことである。

 

今、推測されるのは、この数十年続いた色々な工業製品である無機的な人工薬剤が何らかの形で病気を誘発させているのではないか、そして、その思わぬ結果が今表面化し始まっているのが現在なのではないかと言う一つの疑念である。

ひょっとすると、、そのあまりの予測もしなかった由々しき結果の到来に製薬会社の面々も驚いている状態なのではないであろうか。何せ、よかれと思って作り出した製品が数十年経った今、思わぬ結果となって人類に塗炭の苦しみを与えている現実が出て来ているのであるから…。

それと同時に、もう一つの大きな疑念も浮かび上って来ている、それがすなわち、水道水の問題である。


 水道水に伝染病予防のためにカルキを投入し始めたのは大体40〜50年くらい前と記憶は伝えている。最初は病原性細菌やウイルスなどによる伝染病から人々を守ると言う名目で大量の塩素(カルキ)投入を始めたのであるが、その後の研究で投入したカルキは水中の有機物と反応して大量の発ガン物質であるトリハロメタンを発生させていることが判明したのである。

しかし、この数十年間は伝染病の発生の方にばかり目が向き、トリハロメタンと言う大量殺人物質の発生には余り関心が行かなかったようである。何故なら、伝染病や食中毒などの即発的な病気には世間が大騒ぎするのですぐに対応するが、トリハロメタンのように長い期間をかけて徐々に体を蝕んでいくようなものには誰も騒がない、だから、手をつけようともしない。 これが日本の役所の常識であり、いつもの常套的な持論であることは、あなた方も知っているはずである。

 

要するに、食中毒で10人の患者が出た場合、新聞やマスコミで大騒ぎする、だから対応も素早い。しかし、30年〜40年と言う長い間の水道水の摂取により何十万人〜何百万人がガンにかかり命を落としても誰も騒が無い、原因究明にも走らない、だから国も関知しょうとはしない。 国が問題にしなqければ、役所も知らん顔でほっかぶりするだけである。

前者、すなわち、伝染病や食中毒の場合、二〜三日の入院で回復し、殆ど命を落とすようなことは殆ど無い。

しかし、後者の場合は何十万人、何百万人の死者が出る結果を迎える。それが現代のガン、動脈硬化、高血圧、糖尿病などの生活習慣病と呼ばれているもので、これからもどんどん増えて行くと予想されている。それにしても生活習慣病とはよく名付けたと感心する。要するに第三者は関係ない、自分が引き起こした病気であると言っているのである。
 ただあきれるだけであり、臭いものには蓋をするやり方である。
 今までは確か国民病と言っていた、それが今では生活習慣病と名を変えている。何かますます個人の生活に起因する病気であると印象づけているような気がするのであるが、それは私の考え過ぎなのであろうか。

まだ不思議な事がある、医者達は言う、塩分を取り過ぎてはいけないと…、そしてなるべき毎日水を飲みなさいと…。
 すると、水道水には塩素と言う毒が大量に入っていることを忘れているのであろうか…?!。それを大量に飲みなさいとはまさに、ふざけたことである。 なにかおかしい、何か変な気がするのであるが…。

今日もお役所は何も考えずにカルキの大量投入に専念しているだけである。その結果として、トリハロメタンの大量発生を生んで、ガン患者を製造することに大わらわである。

しかも、諸外国と共に日本も塩素の濃度の基準値の下限は0,1ppmであるがその後がいけない、外国は上限は0,2ppmと下限、上限の値を厳しく定めているのであるが、日本はその上限は無いのである。何と言うことであろうか…!!?。

要するに、作業者の気分次第、または直属の上司の命令次第でいくら塩素を多く投入してもかまわないと言うまさにお粗末な事実が毎日まかり通っているのである。その証拠に東京や大阪では15倍とか20倍のカルキの濃度が確認されているとの報告があるのをご存じであろうか。

それら諸々の結果が重なって、今ある成人の二人に一人とか三人に一人と言う恐ろしいガン患者の発生が始まっているとマスコミは伝えている。この数字は10年前あたりから予想されていたのであるが、国民は誰も信じようとはしない、誰も騒ぐこともなかったのである。その結果、今でもそのまま塩素投入が続行され、今でも毎日ガン患者の製造に懸命なのである。しかし、末端の作業者たちはそんな事態に至っているとは誰も知らないのである。

見るがいい、国や役所では誰も問題視はしてはいない、もし、問題視する者がいれば即、国家反逆罪としてすぐに飛ばされることになるのである。何せ、国がそう基準を決めているからであるから…!!?。

これはまさに人類史上最大の悲劇であり、後世の人々の笑い者となるのは必須なことであろう。

 ここであなた方の間違いを一つ、シッカリ指摘して置くので、その上で改めてよく考えて貰いたい。

塩素は殺菌剤、すなわち、細菌を駆除するために用いられている一種の強い薬品であり、大変な毒性と腐食性を持っているものである。その事だけは知って欲しい。塩素は体には大変有害なものである。 それはまた扱うにも大変な知識が必要なのである。あなた方も知っているであろう、年に何回かはトイレ掃除の際に扱いを誤って大変なことになっていることを。

あなた方は間違って覚えているのである。体に必要なものは塩である、だから塩素も塩の類であるから余り害は無いはずであると…!。

ところが我々の食している塩は塩素とナトリュムが結合して安定な状態になったものであり、体にはまったく無害なのである。一方、塩素は第一次世界大戦には化学兵器として使われていたこともあるように大変毒性の強いものであり、人命でさえも簡単に失われる恐ろしいものである。ちなみに、ベトナム戦争で使用されて悪名高枯れ葉剤も塩素系の毒薬である。

 もう一つ、ここで糺して置きたい事がある。

あなた方は知っているであろうか…??。我々は細菌により生命を保ちながら毎日無事に生活を送っている事実を…!!。細菌こそが我々の生命を維持するためには必要不可欠なものである…。

細菌が体から無くなれば我々は一瞬も生きては行かれないのである。我々は細菌を必要としているのであり、細菌も我々の体が無ければ即死滅してしまうのである。要するに我々と細菌は運命共同体なのである。
 いや、我々は細菌によって生かされ、細菌によって毎日を無事に過ごしていると言うことである。

細菌こそが神様である。細菌こそが我々生命体を維持管理してくれている有難いものである…!!。

 

その事実も知らず、細菌を悪者扱いにして意気揚々としているのが日本の主婦達である。折を見つけて台所で殺菌剤をまき散らして意気揚々としているのである。その度に、口や鼻から殺菌剤を吸い込み体の中の細菌を殲滅しまくっているのであり、更には殺菌剤が食器に残り、それが家族全体の体に入り、結果として健康を損ねていることにまったく気がつかないのである。

製薬会社は次々と強力な殺菌剤を作りコマ−シャルで衛生的で手間いらずと主婦を誘い、主婦は先端を行こうとせっせと大量の洗剤のばら撒きを行い、結果としては何時かは家人は不健康体になり、やがては病院を訪れるような事態になるのであるが…。そんなことは誰も知らない、誰も気がつかないのである…。ただコマ−シャルに乗せられて得々としているだけである。何とも哀れな…!!。学歴なんかはただの飾なのであろうか…!!?。

そればかりではない、使用済みの殺菌剤は自然に還ることはなく、水をますます汚染して環境悪化はどんどん進んで行くのである。無機的な化学薬品は自然のバクテリャには歯が立たず分解不能なのであり、その結果、何時までも水中に残りどんどん濃度が増えて行くだけである。 

 

海から蒸発しても、雨になって降り注いでも、決して濃度は薄まる事は無いのである、要するに、自然が浄化するには長い年月がかかり、その間、どんどん水の中に溜まり高濃度になり、生命体を脅かすだけである。

これらの行為が今後も続くならば、恐らく、50年後か100年後には地上にはもはや人間の姿は無いと言うことになり、かっては人間が存在したと言う証拠としての廃墟だけが残っているだけであろう。 これだけは確かなことである。

 

これらに対して日本の偉い人達は何も感じない、誰も積極的に国民の生命や健康を守ろうともしない、学者達も人類の未来などは考えようとはしない…。要するに、そのような意思や推察力を誰も持ってはいないと言うところである。何と悲しいことであろうか…!!。それを我々一般国民が考えなければならないとは、何と言うことであろうか…!!?。

 

私は単に脅している訳ではない、ある程度の対処法を知っているから申し上げているのである。

言うことだけを言って、それでお終いならば並みいる評論家の歴々と同じである。

ただ脅してそれで終わりでは余りにも無情過ぎ、人をこ馬鹿にしていると言われても仕方ない。

 

あらかじめ言って置きたい。この問題はどう見ても政府や役所に期待してもちょっとやそっとでは腰を上げることなどはない、当分は無理であると言うものであろう。

まあ、出来れば個人で対策を立てることを考えた方がいいであろう。

もし、あなたが家族を大切にし、家族の健康を大事にしたいと思うならばである。

まずは現在行われている簡単な水道水のカルキを抜く方法を紹介しよう。次のようなものである。

 

半日くらい日光に当てて無害化する。

ある程度の時間沸騰させて気化させる。

活性炭を通して吸着させる。

水道の蛇口に浄化装置をつけて強制的に吸着させる。

 

しかし、どれも100%とはいかないあやふやなものであり、その度に不安がよぎるものである。

それにこれを実施するとなれば大変な労力がいるはずである。

 

 そこで私が行っている100%確実な方法を伝授するので、考えてほしい。

 

それは静電気を利用して塩素(カルキ)を完全に消滅させる方法である。これは別に私が考えたものではなく、もう40〜50年前から一部の人達により密かに伝承されてきているものである。恐らく、その所帯数は何十万単位であろう。

その起源はあの有名な異端の物理学者であった楢崎皐月氏の考え出した誘電装置であり、マイナス・イオンの発生装置と言うものである。通常、エレクトロン・チャ−ジャ−と呼ばれている。

タンクに100リットルか200リットルの水を入れて一晩くらい高圧の静電気をチャ−ジして塩素を0にする方法である。要するに静電気により水は見えない速度で強く撹拌され、塩素を外部に放逐してしまうのである。その結果、水自体も強い振動で小さく砕かれ活性化され還元水となるのである。要するに、水に雷を連続的に落とした状態を作り出すのである。

それは、その昔、歴代の中国の皇帝が雷の落ちた水を好み、家臣たちに命じて献上させたと言う水であり、雷水と呼ばれていたものである。

それについての明細な報告、あるいは現象の次第を次回に改めて報告したい。その驚くべき効用についてはシッカリと調査して皆さんの前に改めて提出する積りである。

8月の声(完)




 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No21
       ≪A true fact that nobody know in the world !!≫   (水と健康&幸せの切実な話 D                        

       (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                      
              平成25月  謹上



 だいぶ前から感じていたことであり、心に引っかかっていたことを申し上げたい。

 恐らく、気象学者の誰かがその中に気がついて言い出すであろうと心待ちしていたのであるがとうとう誰も口にすることは無かった.いや,あまりテレビとか週刊誌には目が届かないので知らないのは私だけなのかも知れない。なんせ、世間の雑話には余り関心の無い年頃を迎えているもので。

 

最近の異常気象について一言申し上げたい。日本のあちらこちらで異常とも言えるばかりの局部的な大雨が降って混乱の極みが始まっているようである。しかし、誰も大雨の理由については言及してはいない。何故であろうか、ひょっとして、日本中が騒乱の巷になる可能性があるので口をつぐんでいるのかもしれない。

今、日本を取り巻く海の表面温度がどんどん高くなり、真っ赤な状態になっているとテレビは報じている。また、その結果として、蒸発する水分が非常に多くなって来ていると言うことである。当然なことであるが…!!。

要するに、大気中の水蒸気が多くなり、今までには見られなかった非常に分厚い雲が形成されているのである。その分厚い雲は積乱雲とか、入道雲とか呼ばれるもので、昔は夏の定番であった。

それは水蒸気の飽和状態にあるもので、今はちょっとしたきっかけがあれば大量の雨と化し地上に降ってくるのである。昔は遥かに規模は小さく、親しみを込めて夕立と呼んで歓迎していたものであり、我々の年代にとっては大変懐かしいものである。当時の入道雲はせいぜい3000メ−トルくらいの高さであった。

ところが、現在ではそれが巨大化してとんでもない規模となっているのであり、積乱雲の高さは10キロまで及んでいるそうである。それだけの積乱雲が雨に変化するのは、まさに天から水が落下すると言ってもいいものである。何せ、1時間に100ミリを超える大雨がドサッと一部地区に降り注ぐのである、一気にすべては混乱し、とどまることも知らない状態の土砂降りが始まるのである。考えれば、無理もない話である。

 

恐らくは、これらの現象は地球温暖化による異常気象が原因であり、今後はますますその傾向が強まって来るであろう。年々それが進むようであれば、我々はその前に非常時宣言を出して常に備え置くことが必要であり、改めて居住する場所を選定して移住することも必要であろう。

なぜならば、大雨の頻度はまだまだ激しさを増し、これからは生命、財産さえも脅かすことになることが十分に予想されるからである。要するに、被害を受ける場所は何時も決まった所なので、そこを避ける必要があると言うことである。

 

改めて考えて見ると、この数年は世界的に見ても、とんでもない巨大竜巻やハリケ−ンの発生が多くなってきているようである。また、旱魃と大雨が地区によっては完全に分かれることになり、それが頻度を増せば、今度は食糧問題にまで発展することは必定と考え無ければならない。

それでなくても現在の世界の食糧事情は人口過多によりひっ迫している状態が続いているのに…!!。

恐らく、今後の5年先、10年先の食糧事情の見通しは多難そのものであると予想しなければならないであろう。
 もはや、うかうかしていては世界的な民族の飛散移動、あるいは、民族滅亡と言う事態を迎えることも十分にあり得ることになるはずである。ここで必要なのは先見の目であり、巨大コンピュタ−の活用である。日頃、世界一の性能と威張っていても生活に役立たなければ何も意味が無いことになる。今や、計算の速さなんかを競っている時ではない、円周率が何万桁まで行こうが、一秒間に数字を何万個はじき出そうが、今の我々にはまったく関係の無いことであり、単なる遊びに過ぎないものとしか目には映らないのである。

その地球温暖化に発した災害事実の拡大は後5年もすれば計算的にも明白となって来るであろうし、世界は混乱の坩堝と化して大騒ぎとなるのは間違いないであろう。せめて、今のうちに心の準備して置くためのも、巨大コンピュタ−を用いて、そのあたりの計算を行って貰いたいものである。それが生きた使い方と言うものであろう。

 

さあ、余談はこのくらいにして先月の話の続きに戻ることにしょう。

 

それはすなわち、先月書き残した異端の物理学者楢崎皐月氏の理論を汲む電子水製造装置(エレクトロン・チャジャ−)の不可思議な威力について申し上げることである。

 
 〔T〕

 それは水道水に高圧静電磁場を8時間以上与えることにより、水道水に付加されているカルキ(塩素)が見事に0の値を示すことである。恐らく、水に高振動を長時間与えることにより、カルキは空気中に発散してしまうと思われる。この事実は(財団法人)日本食品分析センタ−によるデ−タ−により完全に証明されているものである。

本来なら、カルキ入りの有毒水道水を飲まされている国民にとっては朗報のはずであるが、誰も信じようとはしない、なぜならば、誰も有毒水道水(カルキ水道水)の存在さえもあまり知らないからである。今では誰もカルキ水道水の事などは問題にはしてはいない。今の世の中、有毒水道水(カルキ水道水)が大量のトリハロメタンを発生させ、その結果、ガン患者が大量に発生している現状であるが、誰も水道水については語ろうとはしない。もはや、諦め顔である。何と言うことであろうか。

 

〔U〕

 更に不思議な事実を申し上げる。それは怪我した場合、この電子水に怪我の部分に浸すと瞬時に痛みが止まることである。例えば子供が転んで擦り傷を負い、出血して痛い、痛いと泣き叫ぶ時に電子水をその部分にかけてやると不思議にも痛みは直ちに止まり、痛みを忘れて遊び出すのである。普通は傷口を水に浸けた場合には痛みが2倍も3倍にもなるのはあなた方の誰もが知っているであろう。まことに不思議な現象である。、

大分以前であるが私の知人が機械で指がもぎれるくらいの怪我したが、すぐにバケツに電子水を入れて浸し、そのままの状態で病院に直行したのであるが、医者が診察のために水から出した時には痛い、痛いと叫んで医者を手こずらせた事がある。それまでは余り痛みは感じなかったそうである。このような例は日常茶飯事に起こっていることであり、我々の仲間では常識である。

恥ずかしいことではあるが、私も何度か指に怪我をしたことがある、その度にコップに電子水を入れて興味半分に眺めていたことがある。流れ出した血は水とは混ざらずに直線的にコップの底に溜まり、何時までも赤みを失うことは無く、水とも交わることもなかった。まことに不思議なことである。


〔V〕

一晩かけて作った水は「電子水」と呼ばれて、大変重宝されているものである。この水を用いて御飯を炊き上げるとおいしさは一入(ひとしお)であり、おにぎりなどにするとタマラナイおいしさである。一晩で100リットルの電子水を作った後は、器械を遊ばせずに、少々電圧を下げて市販の食品材料の全てにハィパ−バイブレ−ション(超振動)をかけるのである。要するに、大きな専用の絶縁ボックスに入れて高静電磁場をかけて超振動させるのである。

 

すると食品に含まれている一切の食品添加物や残留農薬等はすべて超振動により分解中和されて毒性が無くなると言われている。例えば、市販のパンなども入れてあるビニ−ル袋がパンパンに膨れ上がり、袋を破るといやなにおいが一気に飛び出すほどである。日本酒やワインなどを処理すると味が一段と変わり、一級も二級もグレイドが上がると言われている。ただし、ビ−ル缶は駄目なそうである。なぜならば、気が抜けてしまいおいしくは無いそうである。そのあたりの本当のことは私には判らない、なぜならば、私はアルコ−ル類は一切だめだからである。

 

ただし、私は特技がある、それは食べ物に含まれている残留農薬の程度が瞬間に判るということである。それは生の野菜を食べたすぐ後で、電子水を口の中に2〜3適たらすのである。

 するとその瞬間、舌の奥の部分にいやな苦味が残るのである。その苦味の強弱により農薬の強さがわかると言うことである。ひどいものは吐きだした後でも、舌がビリビリ痙攣することもある。

 特に、カレ−の固形ル−などは駄目である、恐らく大量の防腐剤が入っていると考えられるのであるが…。

 元来、カレ−ライスは目が無いくらい大好きな食べ物なのである、まあ、出来たての場合には、まあ、何とか食べられるのであるが、次の日はもう苦くて苦くて食べることは完全に出来ないのである。

ただし、言って置きたい、私は貧乏性なので安いル−やインスタントカレ−しか食べてはいない。でも、ある時店先で太陽に照らされたまま何日も放置してあるインスタントカレ−袋の姿を見たその日から買うのを止めてしまった。何か危険なものを感じたからである。もう、何年も前のことである。

 それからは市販のカレ−粉とメリケン粉を用いた昔風のライス・カレ−を自分で作り、堪能している。また、この場合は何日も連続して食べても決して飽きないのである。一体、この違いは何であろう…?!。

 要するに、電子水を愛飲していれば、誰でもそのような超味覚的な舌感覚を持つことが出来ると言うことであり、食の危険を回避出来ると言うことである。ただし、これも個人主観であり、私だけに備わっている個人の味覚感覚なのかもしれない。

 

 〔W〕

これも私の体験談の一つである。もう7〜8年前になるであろう、私は生来の甘党なのが災いして、歯周病になり、歯がガタガタになったことがある。歯医者に相談しても手の打ちようが無いと言われたので、考えに考えた末に電子水を用いて朝晩歯を磨いた、その際に歯磨き類は一切用いず、ただ電子水で磨いたのである。最初はどす黒い血がものすごく出たが気にせずにそれらが全部出るまで痛いのも忘れて朝晩歯磨きを敢行したのである。

するとどうであろう、梅干し色の歯茎がだんだん色褪せて、次第々に歯茎がピンクになり、それがまた白くなって輝き始めたのである。それと同時に出血も影をひそめ歯のガタも無くなってしまったのである。恐らく、3ヶ月もかからなかったと思う。これは誰も知らない私だけの秘事である。

 

〔X〕

人によっては電子水を飲み込んでいくと、体に発疹が現れてかゆみを伴い苦労することがある。しかし、あまり気に病むことは無い、それは体内に溜まった毒素が体外に放出される時の一般的な現象であるからである。我々の仲間ではお目出度いことであるとして赤飯を炊いて祝う習慣がある。

私の場合には頭部に出て大分かゆみを覚えていたが、1年もせずして現象は消え失せてしまった。

ただし、私の場合にはその場所だけが真黒い毛が生えて来て周りの白髪とのコントラストの関係で困っていたのを覚えている。面白いことに、電子水を牛に与えている牧場に行くと大部分の子牛達は背中か、お尻あたりに凄いカサブタが出来て何重にも重なっているのが見られるが、それも3ヶ月もすると自然に綺麗になってしまうと言われている。

要するに、子牛の親達が長年にわたってとり続けた水や飼料の毒物が子牛の体にも入ってしまったということである。その証拠に、もし、その親牛達が電子水で育っていた場合の子牛には、そのような症状は一切見られないからである。この一事だけ見ても、我々は考えさせられることが大変多い。詳しく知りたい方はHP「時空船ガイヤ」を調べるがよい、昔懐かしい素晴らしい情報がまだ残っているようである。ただし、この会社は10年くらい前に潰れているはずなのであるが、誰かがその後を継いでいるのであろうか…!??。

 

〔Y〕

 一つ面白ことがある、それもご報告申し上げよう。この話も10年以上も前の話である。

私はある時超安い半生昆布を一把買ってきて、それを御飯代りに食べようとしたことがある。まずはステンレスのお風呂を綺麗に洗い、熱いお湯を入れて一晩電子をチャ−ジして高振動を加えてから昆布を柔らかくして食べようとしたのである。

ところが昆布は何倍にも膨れ上がってしまい、風呂一杯になり、始末に困ったので、そのまま次のお風呂に入れようと水を切って取って置き、使用済みの風呂水は何時もの通り栓を抜いて流したのである。

 その時、昆布がつまり一気には流れず風呂場全体に2〜3センチ溜まり、それから水は序々に抜けて行ったのである。

 たしか、その繰り返しが4〜5回続いたと思う、が別に異変は感じなかった。

 ところが、一週間くらいして気がつくと、あったはずのタイルのメジが見事に溶けてしまい、深い溝だけが残っていたのである。何と昆布水によりメジ(石灰カルシュムが主成分)が見事に全部溶け果ててしまい何も残ってはいなかったのである。
 その結果、風呂場を全部作り直したと言う苦い事実を最近になって思い出したのである。

 

 話は少々変わる、今、水道水や地下水に含まれているカルシュウムが話題となっている。何と、長年、飲んでいる間にはそれが血管壁にこびりつき、固くなって血管をボロボロにすると聞く。要するに、血管が駄目になる最大の原因と言われているものである。 それは非常に固く破壊することは困難であり、老人性の疾患として多いものであると聞いている。

 

そこで、それを昨年思い出し、早速、昆布を時間をかけて電子水で湯出して、何本かのペットボトルに入れて冷蔵庫で保管し、毎日10日くらいの間飲んで見たのである。そうすると冬にも関わらず、だんだんと足先まで暖かくなって気持ちも何となく若返り、思考力も増したような感じであった。

 要するに飲んだ昆布水が血管を固くしていたカルシュウム壁を見事に解化し去ったと言うことではないのか、しかし、ハッキリ断言はできない。一度限りの気まぐれな試みであったからである。まあ、これも納得のいく私の独り言と思ってほしい。

 あなた方もやってみても決して損は無いはずである、ひょっとすると、僅かな費用で長寿を確保出来るかも知れないのである。そう言えば、昆布を沢山食べる県は長寿者が多いと聞いたことがある。するとやはり、何か関係がありそうである。
 まずは昆布水を作り、それを飲むことから始めてほしい、何か、それにひと工夫を加え、玉ねぎ昆布水などもよいではないか。 効果があればまさに素晴らしい福音であり、日本人の平均寿命を更に延ばすことになるかもしれない。

 志と暇がある方は何回か試し、その結果を教えてほしい。せめて、冬の一シ−ズンくらいの期間は追跡調査する必要があると思う。私の10日間くらいでは大きなことは言えない、何人かのデ−タがほしい。

 

 最近気になることが多い、例えば、水道水を沸かした場合、ヤカンの底に白い石灰分が残り、削つても中々とれない。これは水に含まれているカルシュウムが固形化してひっついたものである。

 それを取り去るには何か強力な薬品が必要であろう、しかしその薬品も健康に害を与えるものではいけない。それも誰が保証することが出来るのか…!??。

しかし、少量の昆布を買ってきて一,二回お湯を沸かせばいいのである。それで終わりである。

やってみても損はないはずである。ヤカンの底の白いもやもやが消えたならば大成功と言えよう。

それが無くなる、間違い無く消滅したとなればこれは大変な革命的なことである。

 恐らく、世界的な話題となって健康保持、無病息災に大きく貢献することになるのは間違いない。

 まだまだまだ信じられない驚くべき不思議な事があるのであるが、それらはまた何時か話すことにしよう。                                                 
                                          
9月の声(完)

 

 
  「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版) No22
     ≪A true fact that nobody know in the world !!≫   (水と健康&幸せの切実な話E)                        

       (すべては嘘のようなほんとうの話である)
                                      
              平成2510月  謹上

 

  私は時々思う、我々日本人は余りにも西洋科学思想を追い求め過ぎ、自信不在の兆侯に陥っているような気がすると…!!。今までの学者や研究者達は確かに、西洋学者達の発表した学説や論文の後を追い、その業績を讃えるだけで世人の注目を浴びることにより、生活が出来て来た。要するに、高学歴があればエセ学者でも金を稼げ、名声を保つことが出来たのである。でも、これからはそのようなエセ学者は冷たい視線にぶつかり戸惑うだけであろう。

 なぜなら、ここに来て西洋科学は限界と言う壁にぶつかり、終焉かとも言われ始めているからである。最早、彼等エセ学者の居場所はもう無くなって来ていると言うことであり、世間の目も厳しくjなって来ているのである。

何と、そのあたりの事を私よりも先に日本の予言書は言っているではないか…!!。

 

●「今世の科学言うのも技術言うのも9分9厘「あやま知」に奉仕する業にて御座るのぞ。奉仕する度に、真釣りを外して世を荒らす、響きとなるのが判らぬか、………アタマを使うのに「身欲」を基になされては汝が滅ぶと申しているにじゃ。

●学の鼻高さんは何も出来んことになるぞ、学の世は済みたぞ、学者は閉口するぞ。

 

今の世の中を見てみるがいい、人々を歓喜させるような凄い発見、あるいは病を完全に治す方法などは何も見出されてはいない、ただ今までのものの小手先をいじり回しているだけであり、少々変化させて新しいテクノロジ−として世の中に出しているだけである。まさに「あやま知」、すなわち、「アイヤマ―知」である。

 要するに、世界を見渡しても、目を見張るような新しい理論や研究論文等は何も生まれてはいないのであり、直に我々の生活の助けになるような先端的なものは何も生まれては来ない。ただ目先の変化だけであり、目くらましのテクノロジ−の類だけが世の中を席巻しているのである。

 
 ただ日本だけは少々違う、なぜならば、世界に貢献するような知恵や技術が割合に多く生まれているようであり、懸命に気を吐きながら頑張っているような気がするのであるが…!!。

しかし、それは今のところ、ハ−ド(機械)的なものであり、お金のかかるものである。

要するに、企業が利益追求のためにつくり出しているものばかりと言うことである。

しかも、それらはあまり我々の生活からかけ離れているものであり、気軽に求めたり、利用したりすることは中々出来ないものばかりである。

願わくば、何かもっとダイレクトに我々の生活に直結するもの、直ちに生活に応用できるようなものは生まれては来ないのであろうか…?!。しかも、それは金持ちも貧乏人でも同じように簡単に手に入れることが出来るものでなければならない。

 それが世の中に対する本当の意味の貢献と言うものであり、人間に平等な至福を与えることが出来る「神の贈り物」と言うものである。

 
 例えば、病気を克服するような食品であり、何処にでも有って誰でも手に入るものである。または人間の寿命を一気に10年も延ばし、心も体も健やかにのびのびとなるようなもの、それはすなわち、世の中に大きく貢献し、誰にでも感謝されるものと言うことである。あるいは、病気にしろ、怪我にしろ病院に行かずとも簡単に治り、すぐに元に戻るような方法はないのであろうか。今は、病院に行っても何も革新的な治療法などはまったく無く、ただ検査機械と薬だけが華々しく登場し、これ見よがしに患者にアピ−ルをしてお金をふんだくろうとしているだけである。しかも、それが世の中の常識なので、誰も変とは感じないのである。

 

肝心の患者の方は病院で次々と死んでゆく段取りになっているのであるが、誰も文句はいわない、いや、文句が言えないような仕組みがとうに準備されているのである。

老人たちはなけなしの貯金を後生大事に扱い、無駄遣いもせずに懸命に生きているのであるが、それも最後には医療費、あるいは老人施設の看護料、あるい葬式代として身ぐるみ引っ剥がされて無一文で終わってしまうのである。

要するに、我々は最後には誰かに面倒見て貰うためにお金をせっせと貯めなければならないのである。そのためにはほそぼそと生き、食べ物を削っても一生懸命にお金を残さなければならないのである。
 まあ、無で生まれて来て、再び無で還るのであるから、当然と言えば当然ではあるが、余りにも淋しさびしすぎる。…!。

何かおかしいような気がしないでもないが…、まあ、、それとも当たり前なのであろうか…??。

 

このあたりで、世知辛い話は止して、もっと希望にあふれる楽しく、しかもためになる話をしよう。

 
 これから語ろうとするのが、あの日本人に好まれているありふれた食品であり、何処でも手に入るものである。しかし、その効果たるやまさにビック二ュ−スであり、夢にまで見た健康に関する大トピックスと言ってもいいものである。
 ひょっとすると、場合によっては、国民病と言われる諸々の不治の病と言うものが姿を消してしまうかも…!!。

本来なら、まさに世界的な規模で広がるようなビックニュ−スと言うものであり、国を挙げてお祝いしてもいいような最高の日本が生みだした世界的な食品と呼んでもいいものである。

それこそ、国民栄誉賞を二つも三つも与えても、まだおつりが来てもいいものである。また、それと同時に、全世界から日本人はますます賞賛され、親しまれて常に感謝されることは間違いないものである。さあ、あなたにはその食品の名前がお解りであろうか…!!?。 そんなものは有る筈が無いなどとは言わずに、一つ考えて見てほしい。

そのような素晴らしい健康食品が古くから日本にあるのであるが、誰も見むこうともしない、注意を払う者もいない。いや、信じようともしないと言うのである。何と不埒な話であqり、罰あたりなことなのであろうか。

むしろ外国の方がその素晴らしい性質に目を付けて実用化して用いようとしているようである。恐らく、世界中がこれから目をつけ、生産に入ることであろう。それほど魅力に富んだ素晴らしい日本の食べ物なのである。
 
 例えば、第二次世界大戦でヒットラ−がその原料を30万トンくらい日本から買い付けて燻製加工して最前線の兵士に食料として配ったと言う事実も語られているのであり、最近ではロシァで宇宙食として利用されて好評を博しているなどもあるのである。さて、その名は一体何であろうか…??!。 答えて戴こう。

 

その名はあの日本の納豆である…!!!。

 

納豆、それは最近はアメリカでも健康食として大変な大ブ−ムを呼んでいるようである。

また、明るいトピックスとして一人の日系の納豆坊やの存在が話題になっていると二ュ−スは伝えている。まさに、世界をまたにかけた納豆の大活躍がすでに始まっているのである。

彼はギネス・ブック記録を一人で3ヶも打ち立てた超人的なレコ−ド・ホルダ−と言われている少年である。まずは6歳で世界最年少高校卒業記録を作り、そのまま6歳で大学に入学して10歳で卒業したそうである。しかも大学はほとんどオ−ルAの成績で卒業したと言うのである。何とも驚いた坊やなのであろうか…!!。

一時はアメリカの大統領以上の注目を集めていたと二ュ−スは伝えている。

その坊やは記者にその理由を聞かれた時、毎日、納豆かけ御飯を食べているからと答えたそうである。ちなみに彼の母親も妊娠中に毎日納豆は欠かさなかったそうである。

ここで機敏な者は直感にピンと来るものがあるはずであるが、如何であろう、何かヒラメイたであろうかか…!?。


 彼の知能指数(IQ)は200を超えていたそうで、ただただ驚きである。ちなみに、アインシタインの知能指数は170くらいである。もう一つ、知って貰いたいことがある。日本人とユダヤ人は共に平均知能指数は115であり、白人は104なそうである。

 

それにつけても、本家本元の日本人はどうであろう、納豆のスバラシい話しを聞いても上の空でそんな貧乏食なんて食えるかと啖呵を切り、焼き肉とかハンバ−グ、あるいはフライドチキンなどの最早本家のアメリカ人が見放した不健康食の塊に夢中になっているのである。哀れにもその結果、ただただ病気を作ってお医者さん詣でするだけである…!!。

まさに、自業自得の極みであり、呆れかえった罰あたりの所業の結果であると言わざるを得ない。

 

確かに、納豆の素晴らしい働きを知っても誰も大騒ぎもしない、国も役人も本来なら、率先して取り上げるべき話題なのであるが、知らんそぶりである。その結果、国民は40兆円と言う無駄な大金を当たり前のような顔をして医療機関に払っているのである。本来は、国主導の下、心がけ一つでどうにでもなろうと言うものであろうが…!!。

まあ、最終的に悪いのは高学歴を誇りながら、その知識を日常生活に少しも生かせない国民達である。要するに、それは持っている知識を生活上に生かせるようなスキルを教えられてはいないと言う現実教育の欠陥の現われなのでもある。

 それはすなわち、○か×の教育方針に問題があるのであり、応用的なセンス(心)などは完全に無視している学校教育のゆがみがこんなところにも現れていると言うことであろう。

 

どうだろう、この悲惨で嘆かわしい有様は…!!。世界でも有数な高学歴を自慢していると言うのに、なぜ誰一人としてこの重大事に気がつく者はいないのであろうか…!!。何かおかしい…!!、どこか変である…!!

 

日本は世界でも有名なほどの高齢者を抱えてのたうちまわっている文明国と言われている。なぜその解消方法の発見事実に対して、誰も感謝もせずに、ただ捨て置くだけなのであろうか…。誰もコメントしょうともせず、誰も賞賛もしない…!!。
 余りにもありふれているものなので、事実の発見者に対して感謝の念が湧かないのであろうか。それとも昔からあるものなので、今更、吃驚することは恥ずかしいのであろうか…!!。余り、食べ慣れているので信じることも出来ないのであろうか…!!。 ちょうど、それは空気や水のように簡単に手に入るので…!!。 ならば、実践した者が勝ちである。

ちなみに、医者達は話題にする事さえも避けているようにも見えるのであるが…。なぜならば、なみいる病院を擁護して、その存続に力を貸して自分達の安泰を計ろうとしているからではないのか…!!。 なぜならば、、高価な薬のはずが、実際はその100分の1の値段で患者は手に入ることになるからである。 要するに、自分達の収入がガタ減りするからである。
 いや、そう見えるのは私の卑しいひが目根性ゆえなのであろう…!?。

それとも、すべては国民は病院の管轄の下で平等に並び、抜け駆けは許さないとでも言うのであろうか…。要するに、誰にでも手に入るようなもので病気を治されては病院の面目は丸潰れであり、医者は干上がってしまうからと言う論理が先行するからである。 いや、これこそまさに思い過ごしと言うものであろり、愚者の勘ぐりと言うものであろう。、陳謝、陳謝…!!。

つらつら考えて見るに、本来はまさに国難を救う救世主とも言ってもいいものであり、国が率先して納豆食を励行しなければならないものである。国民の命を守り、国の財政に寄与するものと考えるならば…!!!。
 まさに、これは数百年に一度の大朗報と言うべきものであろう…。しかし、誰も気がつく者はいない不思議がそこにあるのである。誰も知らん顔であり、騒ぐ者もいない、、私一人がわめいているだけである。

私のような無頼無学な者でも、これを知った時には赤飯を炊いてお祝いしたいような気持で、即実践と相成ったのであるが、今のところ世間一般の評価はまだまだのようである。

 

オットット、肝心の説明もしないで先走ってしまった、やはり年であり、頭がいかれ始めたのであろうか、堪忍、堪忍。

 大分もったいぶって蘊蓄を並べてしまった、さて、さて、明日からボケを直すことに専念しなければならないようである…!!。

 まあ、明日から納豆に専念し、力一杯食べて、食べて、食べまくって、その御加護があらんことを祈るだけである。 

 

それは《解明された納豆パワ−の秘密》「納豆は効く」と題する一冊の本から始まった。

著者は医学博士と言う立派な肩書きを持つ大学の先生である。名前は須見洋行と言う方であり、納豆の研究に関しては日本一と言われる御仁である。納豆に関して日本一と言うことは、すなわち、そのまま世界一で通ると言うことである。
 
 なぜならば、納豆は日本が本場であり、日本独特のものだからである。

そんなことを言えばまた一言家がシャシャリ出て、いや、納豆の発祥の地はインドであるとか中国であるとか愚にもない講釈を述べて、場をしらけさせるのである。要するに、そのようなヤカラを称して、昔の人は小人と何とかは度し難しと言ったが、まさに今も相変わらず、その通りの荒唐無稽な連中が様々な形で横行しているのである。

 

今回はその要点だけを抜粋して紹介して見よう。これは必ずや、あなた方の命を守る貴重な材料資料となり、これから世界に向かって発信することが必要になるものである。

 

おそらく、あなた方は耳を疑い、本気にはしないかも知れない。なぜならば、我々日本人の最も身近にあるあの納豆が血液を浄化し、今話題の脳梗塞や高血圧、それに老化防止のためには大変に有効であると言うのであるから…。
 要するにもっと端的に言えば、それはまさに、日本の老人を救う救世主であり、人命を病から守る最大の特効薬となるものである。まさに悩んでいる老人達の救世主と言ってもいいものである、

要するに、それが納豆の持つ素晴らしい効用の発見であり、その実用性と言うものである。そのあたりの事を紹介しよう。

博士は言う、納豆の血栓溶解度は予想を遥かに超えたものであり、その効果は医者の用いている血栓溶解薬の力よりも何倍も強いパ−ワ−を持っていると…!!。まことに驚いたパワ−の持ち主であり、その意外性には驚くだけである。

 その納豆効果を申し上げよう、それは血栓を溶かすために医者が使う薬(ウロキナ−ゼ)は値段が二十万円もするのに対し、納豆は僅かの100円以下であり、一パックで済むと言っているのである。まさに驚き木であり、桃の木であり、灯台下暗しであったのである。それはまさに、現代の日本を救う目出度しの朗報と言うものであり、まことに有難いことである。

しかもである。その血液中に作用する時間、すなわち、医師の用いる薬(ウロキナ−ゼ)が血栓を溶解する時間は僅か4分〜20分であるのに対して、納豆に含まれるナット−キナ−ゼの有効時間は短くて4時間、長い場合には8〜12時間と言う驚異的な時間効果を持っていると言うのである。何と言う、奇蹟なのであろうか…。 ふたたび、感謝あるのみである。

しかも薬よりも強力に血栓を溶かし去るという驚くべき離れ業を見せていると言うのである。それはまさに、西洋医学の効果よりも遥か大きなパワ−をもって作用することが判明しているのである。あ、あ、有難や、有難や…!!。
 まさに、病人にとっては大きな朗報であり、福音でもある…!!!。

 

しかもその上、ナット−キナ−ゼ自体は強い酸性を持っているので胃の中をそのまま通過し、アルカリ性の腸に届いてもまったく活性は失われてはいない菌なのである。 要するに、腸の中の悪玉菌を殲滅する能力が有り余るほど十分にあると言っているのである。 まさに、ああ、有難や、有難やの三拝九拝であり、狂気の乱舞の舞い踊りの始まりである
る。

この事実は世界広しといえども納豆以外には見当たらないと博士は絶賛するのも当然である。

まさに、神の祝福を受けた日本発の希代の自然食品であり、激化する成人病対策のこよない助け人、神が使わした偉大なる妙薬の一つと言ってもいいものである。昔から言っているではないか、国難が起きれば、必ず、神風が吹くと…!!。
 今の国内の有様を見ると、国民皆既の病人もどきのあり様であり、その名前さえも国民病と命名されているくらいである。
 まさに国難の一大事であり、国家存亡の危機を迎えている時である。それは誰もそう思っているはずである。

今までは余りにも当たり前すぎる食品であったので誰も注意を払わず、研究の対象として見ることもなかったものである。 余りにも値段が安いので、誰も目を向ける者もいなく、半分馬鹿にして信じる者もいなかった代物である。
 何と、それが国民を救い、国を守ろうとしているのである。 何と、健気な姿なのであろうか…!!。

 

納豆、それは好きな人は好きであり、嫌いな人はあくまで嫌いである。しかし、このような絶大な効果が見られるならば好きとか嫌いとかの贅沢は言ってはいられない…!!。 納豆を食べることにより、血液がサラサラになり、脳梗塞や心筋梗塞、あるいは老人性ボケが改善されるのなら、何をか言うわんやである。食べて、食べて、食べまくるべきである。

要するに、脳梗塞や心筋梗塞、あるいは老人性痴呆症などの病気のほとんどが細い血管に血栓が詰まって起るものであり、常時、納豆を食べていれば全身の細い血管でも血栓の発生を十分に防ぐことが出来ると言うのである。
 あなた方は知らないであろうが、人間の細い血管をつなぎ合わせると地球の周りを2周するそうである。
 考えて見るがよい、それだけ長い血管が80年以上の長い間、一度も詰まることが無いと言うのも一つの奇蹟である。
 要するに、時々血管が詰まることが当たり前なのである。長生きすれば当然起ってしかるべきなのである。
老人大国の今、問題になっているのも別に不思議では無く、当たり前なのである。だから、私は老人は納豆を食うべしと騒いでいるのである。 まさに、絶妙なタイミングで現われた「神の妙薬」であり、神の思し召しと言うべきものであろう。

博士は誉め讃えている、血管内に出来た血栓を溶かすことが出来るのは、現在のところ納豆が世界で唯一のものであり、副作用がまったく無い世界一優秀な自然食品であると…。 この言葉を日本人である我々は信じようではないか…!!。

 

最近は世界的に日本食が大ブ−ムとなっている。その一端を担っているのが豆腐や納豆と言った大豆製品である。彼等外国人も直感的に体でその良さ、すなわち、肥満とかの成人病の予防には最適であり、まさに天然の「薬用食品」であることを知っているのである。

今思えば少々心当たりがある、確か、昭和40年代の初頭あたりであった、アメリカから来日した30代の夫婦と知り合い、2年ばかり色々と交際していたことがある。
 その旦那のほうは見るからに、肥満であり、歩くのも難儀そうであった。しばらくしてから、彼はおいしい食べ物を見つけた、それを体が食べなさいと言っているので是非とも食べたいと言いだしたのである。それが田舎の名も無い個人が作っている豆腐であり、納豆であった。当時は豆腐はそれぞれの地元の豆腐屋が作り、そこで売っているのが普通であった。

 

当時の私は若かったので、何をいい加減な事を言っているのかと思い、気にもしなかった。その中に、あそこの豆腐は美味しい、ここの豆腐はまずいと言いだして私を困らせたものである。何故なら、そのおいしい豆腐屋は我が家から10キロくらい離れた場所にあり、豆腐がきれる度に、車に彼を乗せて豆腐を買いに行かなければならなかったからである。

そう、たしか、半年くらい過ぎた頃である、あれほど歩くたびに息を荒くしていた彼が、妙にさっさと歩くことに気がついた、よく見たら大分体重が減り、スマ−トになっていることに気がついたのである。しかも、喘息気味だったのがすっかり喘息は影をひそめ、その代わりにおしゃべりが一段と饒舌になって、うるさいくらいであった。 

当時は別に何とも思わなかったが、いま、この納豆の原稿をしたためながら思い出し、一人で苦が笑をしている。

確かに2年後帰国する時にはまあ、外人特有のスマ−トないでたちをしていたのであり、声自体も若返っていたことを改めて思い出している。要するに、それが豆腐効果であり、納豆効果であったのである。当時、納豆は一般に貧乏人の食べ物として、時々、食するくらいであり、金持ち連中は見向きもしなかったと言うそんなおおらかな時代であった。

 

現在の研究では、豆腐や納豆は世界に冠たる優良薬効食品であり、中でも納豆が作り出すナット−キナ−ゼは成人病の予防には最強の効果があり、かつ納豆が作り出すビタミンk2の働きは体が吸収したカルシュ−ムをしっかりと骨に付着させて固定させることが実験で証明されている。今までは誰もそのことには気がつず、ただ、医者の言う通りに牛乳をガブ飲みして体のカルシュウーム不足に対応しょうとしていたのである。恐らく、大部分の老人は何も知らずに、今でもそうである。

 

また、厄介な事にはビタミンk2は人体の腸内にある細菌が作り出すものであり、普段の食事からは一切摂取出来ないものなのである。ところが、何と、納豆菌は腸内細胞の作る量の7倍にもなるビタミンk2を腸内で作り出すことが判って来たのである。何と願ったり、叶ったりの有難い食べ物なのであろうか…!!。 ただ感謝有るのみである。

確か、今までは沢山牛乳を飲んでも骨ソソウ症になる老人たちが多かったのも、これで合点がいくのである。何と老人達の大半は体にカルシュウムを摂取しても、骨に固定するための要素が不足していたのである。牛乳メ−カが骨を作るために牛乳を沢山飲みましょうと言う言葉は半分は正しくても、半分は正しいものではなかったのである。
 医者達もそのことをまったく知らなかったのである。

なぜならば、いくら牛乳を飲んでもビタミンk2が無ければカルシュ−ムただ体を素通りするだけで何も意味がなかったからである。何と無駄なことをしていたのであろうか…!!。しかも、医者の言うことを懸命に信じてである。

 願わくば、牛乳を飲む5〜6時間前に納豆を食し、それからなるべくゆっくりと唾液と混ぜるようにしながら、牛乳を飲むことに心掛けてもらいたいものである。何でも唾液と十分に交ぜ合わせて食べる、それが健康に生きる最大のコツである。

 

また同時に須見博士は次のようにも言っている、「納豆には肝臓の働きを助けるビタミンB2、それに貧血を防ぐB12老化防止に役立つビタミンEなどのビタミン類を豊富に含む事を知って欲しいと…。
 とりわけ、納豆菌が大量に作り出すビタミンK260歳を超す年齢の女性には欠かせないものである。なぜならば、このビタミンK2こそが女性の半数がかかると言われている骨ソソウ症を予防する最重要な因子であることが証明されたからであると。なんと言う素晴らしい食品なのであろうか…!!。ただ、ただ感謝、感激が有るのみである。

要するに、常に納豆を食べてビタミンk2を腸内に持ってることが必要と言うことなのである。しかし、そのあたりのことを知っている人はまだ少数である。頑張って人々に教えていくことが必要である。なぜならば、それが人々の幸せに繋がり、強いては国家に貢献することになるからである。このような知識は一人占めすべきではない。是非大勢に教えてほしい。

さあ、これで日本からは骨ソソウ症患者が減少して老人たちは安堵することであろう。そのためには、毎日せつせと納豆を食べることである。それが家族を安心させ、しいては国を救うことになるのである。老人が国を救う、何と素晴らしいことであろうか。

 

須見博士は更に言う、ビタミンk1は海藻や野菜から摂取出来るが、ビタミンkだけは腸内細菌か納豆菌のような微生物だけしか作り出すことが出来ないものであると…。

更に、博士は言う、日本人に多い痔の患者にもいいはずであると、痔の引き金は血栓であり、血栓が解消すれば痔は自然に消えてしまうのであると…。

試みにある人が納豆を用いて早速トライしてみたそうである。まあ、尾籠な話ではあるがそこは一つ堪忍して貰いたい。

彼は排便後患部を綺麗に洗い、納豆のネバネバを塗って大きい絆創膏を貼っておいたそうである。するとしばらくすると、出血は止まり、脱肛も影をひそめだんだん正常になったそうである。一つ困っている御仁は是非試みる価値があるはずと思うのであるが…。

恥ずかしながら、私も一つ秘密を告白したい。今、私は鼻の下の口髭を蓄えている。

それは一つの実験のためである。それは80歳に近いので全ての毛髪は真白であり、鏡を見ると頭の上部は毛が無く禿げている状態であった。それが今では口髭の半分近くは黒くなり、頭の上には部には黒っぽい毛が揺れているのである。これは今、原稿を書きながら2枚の鏡を使って確かめているので間違いは無い、まさに確かなものである。
 何と不思議な、本来は年齢が増すにつれ白毛の度はどんどん進んでいるはずであるが。

 

その理由は簡単である、納豆その他(秘密)を使ってこの半年〜1年くらいひそかに試みていることがある。合計で10〜20回くらいも試みたであろうか、しかも、面白半分、手慰み半分であり、思いだした時だけであった。しかし、気がついた今は今後、当分の間一生懸命やって、あわよくば皆を驚かせてやろうと思っている。

ここに納豆その他(秘密)としてあるが、それは余りにも簡単で馬鹿馬鹿しいものであり、言葉に出してもただ馬鹿にされるのが落ちだからと言う理由によるものである。別に他意は無い。それにしても、一体、何だろう、この納豆の持つ不思議な性質は…!?。

 

 納豆菌、それは何と不可思議な生き物であろうか…!!。ただため息がでるだけである。

 

あなた方は知っているではあろうか、この納豆菌が汚い水を浄化して、綺麗な水に変えてしまう事を…!!。甚だ記憶は曖昧ではあるが、確か、九州にある会社が納豆菌を武器に水を浄化しているはずである。中国、マレ−シャ、インド、ブラジル、アメリカ、カナダなどで安全性が確認されて国家プロジェクトとして採用されていると聞いている。

何と素晴らしい、技術の応用ではないか、要するに、ブロックに生きたまま埋め込まれた納豆菌が河川や湖、沼などの汚染物、あるいは悪臭の原因となる有機物を分解して食べ、どんどん増殖してどんどん水を浄化していくと言うシステムであり、その技術を確立して、世界に貢献しているそうである。まことに日本発の素晴らしい技術ではないか…!!。

 

 まあ、いろいろと自分で考え、自分で実験して見ることである。別に実験室もいらない、費用もかからないものである。おそらく、誰も気づかないような場面に着目するとまだまだ面白い結果が生まれて我々を驚かすことであろう。まさに納豆菌様々である。さあ、皆でトライしようではないか…、健康一杯の未来を夢見て…!!。

         平成25年10月の稿(完)  

 
 大分、資料を詰め込んダので、パソコンが大分重たくなった。少し掲示板は休んで衣替えすることにしたい。
その中にまたお会いすることを楽しみに暫時休むことにする。 わがままではあるが、一つ宜しく御頼み申す。