ヴァイキングはキリスト教を用いて世界初の人間植民地化・心の植民地化を実現
諸悪の根源:キリスト教
天罰を作るキリスト教徒をぼくらは集団ストーカーと呼んでいる
集団ストーカーを行う者達は第三者である加害行為に参加しない信者の目を意識している
集団ストーカーは舶来品なのでキリスト教史・西欧史・ザビエル以降の日本史を勉強しないといけない
日本においてはザビエル来日以後から導入されている
島原の乱・明治維新・226事件は白人が糸を引く日本人キリスト教徒による謀略
ヴァイキングがキリスト教に改宗して以来 代々の最高権力者がキリスト教を操っている
奴隷を奴隷と呼ばず 「キリストの兵士」「神のしもべ」と呼ぶことで奴隷の反乱を廃止、自覚の無い奴隷は反逆しないのだ
例え敵地であっても、そこにキリスト教徒がいればそこは白人の領土である
「民主主義」「グローバリズム」「世間の常識」はすべてキリスト教が下敷き だから人々は不幸
旧来の領土争いと新規の領土争いの相違
千年生きる巨大な龍
悪が次のステップに移行
ユダヤ人が発明した神と宗教
透明人間の帝国を討て
透明人間の帝国で禁止されている事柄
媒体としての人類史
民主主義の皇帝とは?
優性遺伝子の淘汰
集団ストーカーと魔女狩りの相違点
幸福な人々を救うことは不可能
ひきこもりを作れ「謀略と宗教」
文明の利器「盗聴器」
民族と歴史の廃止
集団ストーカーシステム発展史年代表
8世紀後半 | ヴァイキング欧州襲撃: ノルマン人/デーン人/スゥエード人 | ・ノルマン人(現ノルウェー出身) ・スゥエード人(現スゥエーデン出身) ・デーン人(現デンマーク出身) |
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839年〜1066年 | ノルマン人西方ルート/南方ルート: 現代イギリス・フランス・アイルランド・バチカン市国の礎 | ・(839年〜900年代初頭)オークニー諸島・ヘブリディーズ諸島・スコットランド北岸 アイルランド東岸にオークニー伯爵領 ・(892年)ノルマン人がイングランドを襲撃 ・(911年)ノルマン人によるノルマンディー分与 ・(1061年)シチリアを掌握。シチリアと南イタリアから成るシチリア王国を成立 ・(1066年)ノルマンディー出身のノルマン人がイギリスを征服、ノルマン王朝を成立 ・(1084年)ローマ市を陥落 |
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838年〜1035年 | デーン人南方ルート: 現代イギリス・フランス・北部ドイツの礎 | ・(838年〜)イギリス東部を襲撃、フランス来襲 ・(870年代)イギリス中部にデーンローと呼ばれる植民地を得る ・(892年)ノルマン人がイングランドを襲撃した際、デーンローのデーン人がノルマン人に加勢 ・(1016年〜1035年)イギリスほぼ全域、デンマーク、ノルウェーから成る 海上帝国、クヌード帝国を建設 |
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862年〜1036年 | スゥエード人東方ルート: 現代ロシア・ウクライナの礎 | ・(9世紀初頭)レニングラードを流れるネヴァ河を通り、ラドガ湖に入ったスウェード人は ラドガ湖南岸にアルディギャボルィ(旧ラドガ)と呼ばれる植民地を建設 ・(862年)ロシアの建国者、リューリクがスウェード人の傭兵を招いてノヴゴロドを支配 ・(864年)キー、シチュック、コリヴの3兄弟によってキエフは建設されたが、彼らの死後、 リューリクの臣下だったアスコールドとデイルというワリアギ(ヴァイキング)に占領された ・(882年)キエフがワリアギの首都になった ・(944年)キエフ公国の大公でリューリクの子にあたるイーゴリ一世がコンスタンチノープルを 二度も襲撃して貢納を条件に和を結ぶ ・(966年)キエフは周辺の領域をも征服、当時最も大きいハザール汗国を撃退、キエフ公国となる ・(980年)ウラジミールはスウェーデン本土からの助けをもとにキエフを攻略して キエフの大公となり、東部スラヴ部族他を征服し、ロシア大公となる ・(1028年)ウラジミールの息子、ヤロスラフ一世はキエフの発展に最も尽力した。同時期に 西方ではクヌード王が海上帝国を支配していた。キエフはヤロスラフ大公のもとに最も栄えた ・(1036年)ヤロスラフ一世はロシア全土を支配した |
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10世紀前後 | ヴァイキングキリスト教に改宗: 諸悪の根源 | ・ノルマン人は911年に改宗(カトリック) ・スゥエード人は980年に改宗(カトリック) ・デーン人は1028年に改宗(カトリック) |
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11世紀頃 | 「糞の街パリ」 欧州の新しい支配者であるヴァイキングを祖とするノルマン人貴族は 偉大な先人、ローマ人が帝国時代に建設した下水設備を廃れるにまかせ パリなどの市民は窓から糞尿を捨て、公道で排泄を行うようになる。 結果、パリは「糞の街」と呼ばれトイレ事情は19世紀になるまで 向上することは無かった。この惨状はイギリス、スペイン、ドイツなどでも 同様であり、疫病の温床となった。 |
異邦の地での略奪行為に明け暮れたノルマン人は領内では自分の利得に反する 行動、言動をする者に対し、異端審判による排除を繰り返した。それはのちに魔女狩りに発展するが、 排水設備等の必要性に気づく知性を持つ有用な人々を抹殺したのが原因で 窓からうんこを投げる行為は19世紀までやむことがなかった。 すべてはノルマン人の貪欲なまでの強欲に端を発しているが、有用な 人々の淘汰は優勢な人々の淘汰でもあり、結果バカだけが残った ことがこの悲惨な結果を招いているといえる。 |
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1054年 | 東西教会の分裂: ヴァイキング同士の領土の線引き | 西方教会(カトリック)と東方教会(正教会)に分離 これはある意味、ヴァイキング同士、ノルマン人・デーン人(イギリス・フランス・イタリア)と スゥエード人(ロシア・ウクライナ・ビザンツ帝国)による縄張りの線引きだといえる |
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1081年 | ノルマン人のギリシャ遠征 | この時、単独ではビザンツ帝国(スゥエード人の領土)にかなわなかったノルマン人が 従順な奴隷であるカトリックのキリスト教徒を使ってビザンツ帝国侵略 イスラム圏掠奪を思いついたと思われる(十字軍) |
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1095年 | クレルモン公会議の十字軍宣言 | ノルマン人貴族が自分達の意志を「神の意志」と称し、ライバルのスゥエード人の領土を 自分たちのものにせんと、またイスラムの冨を自分たちのものにせんと 配下のローマ法皇を操り人形のように操作し、大勢の奴隷をキリストの兵士と呼び、 ここに史上初のキリスト教による神の名の下による残虐行為行脚、百鬼夜行が開始されることになる |
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1095年〜1333年 | 十字軍 | 初期の十字軍では、裏にヴァイキングの子孫であるノルマン系フランス人貴族・ノルマン系 南イタリア人貴族とビザンツ帝国に傭兵として雇われていたスゥエード人がおり、 正教会(スゥエード人) 対 カトリック(ノルマン人・デーン人)の構図があった |
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1098年〜1291年 | 十字軍国家 | ・エデッサ国(1098年〜1146年) ・アンチオキア国(1098年〜1263年)ボヘモンド候(ノルマン系南イタリア人) ・トリポリ国(1102年〜1289年) ・エルサレム王国(1099年〜1187年/1229年〜1244年) ・外ヨルダン領(1118年〜1147年) |
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1113年 | 聖ヨハネ騎士修道会公認 | 支配者直々の命を実行するための謀略専門部隊、現在のCIAみたいなもん | |
1128年 | テンプル騎士修道会公認 | 上に同 | |
1140年 | 南フランスにカタリ派出現 | ノルマン人貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、自分の権利・領土を 主張・確立したい何者かがカタリ派を作ったと思われる |
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1202年 | 第四回十字軍がコンスタンチノープルを占領、ラテン帝国を建国 | 西欧カトリック(ノルマン人貴族)が東欧正教会(スゥエード人貴族)に勝利 | |
1233年〜 | 異端審判(集団ストーカーの原型が作られる) | カタリ派等の異端を撲滅するために異端審問が始まる 当初は、南フランスで自分の権利を主張した者に対する制裁の面もあった |
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1337年〜1453年 | 百年戦争 | ||
1384年 | ジョン・ウィクリフ処刑 | 彼は武力でではなく、数百年に渡るカトリックの支配を断ち切れば イングランドもフランスに勝てると考えたのです。 「例えイングランド国内であれ、カトリック教徒がいればそこはフランスの領土」です。 ウィクリフは、国内にノルマン人貴族の意志を宿すカトリック教徒がいれば いつまでたってもフランスには勝てないということを理解したんです。 カトリックによるウィクリフの処刑はそれが原因です。 |
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1397年 | カルマル同盟成立 | 数百年前に異郷の地に乗り出し、欧州各地(イギリス・フランス・アイルランド・イタリア・ロシア・ ウクライナetc)で貴族・諸侯・王族・聖職者として成功したヴァイキングたち。 その子孫たちの貪欲さに畏怖の念を抱き故国であるデンマーク・ノルウェー・ スゥエーデン3国がカルマル同盟を結成する |
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1431年 | ジャンヌ・ダルク処刑 | しかし、もしジャンヌ・ダルクが存在していなかったとしたら…? というかぼくはジャンヌ・ダルクは存在しなかったと思う。 当時はノルマンディーがイギリスに占領されていて、フランス軍は劣勢だったので、 士気を上げるためにジャンヌ・ダルクという聖少女の情報をフランスの騎士団(諜報機関の祖)が創ったのではないかと思うのです。 |
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1440年 | ジル・ド・レ処刑 | 英軍が前年にブルターニュ侵攻に失敗したのが引き金となり、ブルターニュの領主であった ジル・ド・レを風評により少年殺しの殺人鬼に仕立てあげ、 ジルを怒らせてキリスト教会に殴りこませ逮捕、その後、残酷な拷問により証言をでっち上げ、 カタチだけの裁判で有罪として処刑、排除、二年後、英軍は改めてブルターニュに侵攻する |
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1484年〜1791年 | 魔女狩り(200年の間に集団ストーカーの前身としてシステムがほぼ完成) | ||
1492年〜 | コロンブスアメリカ大陸発見 | スペインの北南米における掠奪・蹂躙・虐殺・侵略開始 | |
1494年 | トルデシリャス条約 | 教皇アレクサンドル6世が教書を出してアフリカの西岸ヴェルデ岬諸島の西方の西経45度の 子午線を基準に西方をスペイン、東方をポルトガルの進出範囲とした キリスト教皇のお墨付きで決定されたものである |
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1498年 | バスコ・ダ・ガマ東回り航路発見 | ポルトガルのアジア・アフリカでの掠奪・蹂躙・侵略開始 | |
15世紀〜19世紀 | 大西洋の三角貿易 | ・南米の原住民が減少し、白人はアフリカから奴隷を補充する ・黒人を捉えるのはキリスト教徒の黒人であり、白人は寝て待つだけであった ・同胞を売ることでナイジェアやベナンは王国として栄えた ・概算1500万の黒人が奴隷として北南米へ連れて行かれたが、1人を連れて行くのに 5人が途中で死んだので都合一億人がアフリカから連れて行かれたことになる |
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1514年 | ラス・カサスの内部告発 | 6回に渡り大西洋を横断し、インディアスの自由と生存権を守る運動の中心的役割を はたした |
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1519年 | コルテス: アステカ帝国征服 | ||
1531年〜1558年 | イングランドの宗教改革: イギリスを支配する者の領土確立 | 聖公会の誕生: ノルマン系貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、 何者かがイギリス支配の権利を主張・確立させた |
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1520年 | ルターの宗教改革: スカンジナビア・北部ドイツを支配する者の領土確立 | ルター派の誕生: ノルマン系貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、 何者かが北欧支配の権利を主張・確立させた |
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1536年 | カルヴァンの宗教改革: オランダを支配する者の領土確立 | 改革派・長老派の誕生: ノルマン系貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、 何者かがオランダ支配の権利を主張・確立させた |
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1570年 | インカ帝国完全滅亡 | ・1492年に1億1000万人いた原住民の人口が1000万人にまで減少 ・白人とキリスト教徒は自分達の悪行を正当化するために原住民は人喰いの習慣があり、 生贄の習慣もあったなど、血なまぐさい原始的なイメージをデッチあげ 惨殺されても仕方ない民族だったというウソを歴史上の事実として定着させた |
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1588年 | イギリスがスペインの無敵艦隊を撃破 | ||
1600年 | イギリスの東インド会社設立 | エリザベス女王の特許状で設立 | |
1602年 | オランダ東インド会社をジャワに設立(集団ストーカーに携わる人材が決定される) | 1・原住民を文盲のまま放置し土候を使って間接統治 2・キリスト教に改宗した者は優遇して警察官や軍人に登用 3・オランダとインドネシアの混血児を中流階級として使用、民族の分断を図る 4・社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア人の不満と憎悪を 華僑に集中させる 5・一切の集会や団体行動を禁止する 6・全国各地で用いられていた320の部族語をそのままにして標準語にまとめる企てを禁止する |
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1609年 | バプテスト教会設立(米南部) | アメリカを実質支配する者(特に南部)が自分の領土・権利を主張・確立するべくイギリスと袂を分かつ イギリス聖公会から分離したバプテストをジョン・スマイスによって設立させる |
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1648年 | ウェストファリア条約 | 1612年にオランダが事実上の独立を達成。ウェストファリア条約で 国際的にも独立を承認された キリスト教的にも改革派・長老派としてカトリックから脱却。ある意味、ノルマン人貴族の 支配を完全に脱したことになる |
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1650年 | クエーカー教会(米中西部・英) | バプテストの所持者と相反し、独自にアメリカでの領土・権利を主張・確立したい者が 創設者ジョージ・フォックスを操ってクエーカーを設立させた |
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1652年 | イギリスが英蘭戦争に勝利しオランダの海上権を奪う | ||
17世紀後半 | ユニテリアンユニヴァーサリスト(米北東部米中西部・米西海岸・ハンガリー・ルーマニア) | アリウス主義者、ソッツイーニ主義者、ビドル主義者とも呼ばれた | |
1760年 | イギリスで産業革命 | ||
1762年 | ジャン・ジャック・ルソー「社会契約論」発表 | ルソーは世界初の集団ストーカー被害者である | |
同年 | ジャン・ジャック・ルソー「エミール」発表 | パリ大学の神学部(キリスト教)に断罪され禁書扱いされる | |
1770年 | キャプテンクックがオーストラリアに到来 | ||
1776年 | アダム・ヴァイスハウプトがイルミナティ創設 | バイエルン王国のバヴァリアで設立された政治的秘密結社 | |
同年 | アメリカ合衆国独立 | ||
1778年 | ジャン・ジャック・ルソー死去 | ルソーは魔女狩りが完全に終息するちょっと前からキリスト教の新しい断罪システム 「集団ストーカー」の被害者であった 分析・被害状況など18世紀の集団ストーカーの全貌がルソーの著書 「孤独な散歩者の夢想」で明らかになっている |
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1782年 | アドルフ・ファン・クニッゲ男爵がイルミナティに参加 | ||
1782年頃 | 魔女狩り終息 | 集団ストーカーは魔女狩りと共通する点が非常に多いのですが 唯一の相違点が 魔女狩りは公けになっている、そして集団ストーカーは公けになっていないという点です。 ぼくはここに支配者の工夫を感じるのです。隠すことでさまざまな利点も産まれます。 魔女狩りは公けであったためにキリスト教や国が批判され悪行もすべて 記録に残されてしまった。そこで支配者は考えたのだと思います。 「魔女狩りを隠そう!」と。そのおかげで集団ストーカーのことで キリスト教や国は批判されず、 記録にも残らないわけです。 ゆえに精神病や妄想などのメンヘラ呼ばわりが成立してしまうという弊害が生まれてしまう |
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1786年 | 英仏通商条約 | フランスの産業に大打撃 | |
1788年 | イギリスが流刑囚1473名を乗せてオーストラリアへ | 流刑囚がアボリジニーの女性を強姦、男性を人間狩りの対象にし 100年でアボリジニーが67000人に減少 |
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18世紀後半 | マルキ・ド・サド「ソドム百二十日」執筆 | パートナーの女性をサド行為により殺してしまうというガセネタにハメられ バスチーユ監獄に収監されるが、獄内で隠れて執筆 |
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1787年 | フランス革命 | ある種、旧勢力(ノルマン人貴族のキリスト教による収奪)と 新勢力(ブルジョワ出自の商人の資本主義による収奪)の奴隷獲得合戦であった |
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1789年 | 聖職者の財産の国有化を決定(フランス) | ||
1790年 | 聖職者市民化法(フランス) | 聖職者身分の廃止に伴い聖職者を国家から俸給を受ける公務員にする法令で これに反対する聖職者の一部は反革命派になる |
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1795年 | メソジスト教会発足(米中西部) | イギリス聖公会司祭ジョン・ウェスリーを中心にオックスフォード大学の宗教クラブの メンバーがメソジスト教会という名をグループ名に採用 アメリカで新たに力をつけた者が領土・権利の主張・確立させた |
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1802年 | ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン「ハイリゲンシュタットの遺書」を認める | ベートーヴェンは悪く言われているので集団ストーカーされていただろう | |
1804年 | ナポレオンが皇帝になる | 旧勢力(ノルマン貴族のキリスト教による収奪システム)の勝利 | |
1817年 | 福音派、ファンダメンタリスト誕生(米) | キリスト教の中で表向きの悪役を演じる組織 | |
1823年 | モンロー大統領がモンロー宣言を発表 | 欧州大陸とアメリカ大陸の相互不干渉を唱えるモンロー宣言 | |
同年 | ジョセフ・スミス・ジュニアがモルモン書を発見 | ジョセフ・スミス・ジュニアが神に命令されて掘り起こした土の中からモルモン書を発見 | |
1846年〜48年 | アラモ砦: アメリカがメキシコと戦争 | アメリカが味方のアラモ砦を囮にして相手を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃させ 味方に相当の被害を出させた上で「リメンバーアラモ」を合言葉に戦争を正当化し 国民を鼓舞して反撃に移った この方法にはヴァイキングの1000年の伝統が息づいている |
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1857年 | マウンテン・メドウの大虐殺 | ユタを通過・滞在中の開拓民140人余の中にジョセフ・スミス 暗殺犯がいるとの流言に煽動された信者たちが開拓民を襲撃。 女性や子どもを含む全員を殺害 |
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同年 | ユタ戦争(モルモン戦争) | 上が引き金となりユタにアメリカ陸軍を差し向ける | |
1865年 | 救世軍誕生(英国領) | ヴィクトリア朝のロンドンに誕生 | |
1872年 | ルーミスが無線通信の特許取得(盗聴器の親戚) | 同時に諜報活動・集団ストーカー・嫌がらせに欠かせない盗聴システムが 誕生した年とも思われる |
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1876年 | グレアム・ベル「電話」発明(盗聴器の親戚) | 同時に諜報活動・集団ストーカー・嫌がらせに欠かせない盗聴器が誕生した年とも思われる というか、盗聴器製作目的ありきで、その過程で電話機が生まれたとも考えられる |
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1887年11月13日 | 血の日曜日事件(トラファルガー広場で市民がデモ) | 社会主義者と失業者から成る数万人の群衆がロンドンのトラファルガー広場に集結し、 政府に対してデモを行いました。 市警察長官サー・チャールズ・ウォーレンは武装した兵士と2000名の警察官に 処理を命じたが、暴動が発生し数百人の負傷者と2人の死亡者が発生。 この事件は「血の日曜日」事件と名づけられました |
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1887年12月〜1891年 | ロンドンにて連続殺人鬼のパイオニア、切り裂きジャックが活動を開始 | トラファルガー広場でのデモの翌月に切り裂きジャックの最初の被害者と思われる 女性の惨殺遺体が発見される ぼくの考えでは、これが切り裂きジャック創作の一番の目的じゃないかと思うのです… つまり、切り裂きジャック捜査目的と称して警察が強制家宅捜査、強制連行など、 政府に対する異分子の疑いがある人物や反政府組織のリーダー等の排除を 公然と行うことが出来るのです |
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1888年 | フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ「反キリスト者」発表 | ニーチェも悪く言われているので集団ストーカーされていただろう | |
1890年 | フィンセント・ヴァン・ゴッホ自殺 | ゴッホは集団ストーカーされ、精神病扱いされた 10年前に子供の頃にゴッホを見たことがある長寿の記録を持つ女性がTVで 「あの人は気持ち悪かった」とまだゴッホのことを悪く言っていたw 集団ストーカーの癖は抜けないんだなw |
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1898年 | アメリカがスペインに宣戦布告 | アメリカはハバナ表敬訪問中の自国戦艦メーンを自ら爆沈させ2060人の乗員を犠牲にし すべてスペインがやったことにして「メーン号を忘れるな」を合言葉に国民を戦争に駆り立て スペインに宣戦布告 |
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1906年 | ペンテコステ派(米南部) | アメリカのペテル聖書学校の大晦日祈祷会において数名の学生が異言を語りだした ことに端を発する アメリカで新たに力をつけた者が領土・権利の主張・確立させた |
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1915年 | フランツ・カフカ「審判」を著す | 「審判」は集団ストーカーの要素が多い、カフカも被害者だ カフカの死後1925年に発表された |
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1919年〜1933年 | ヴァイマール共和制(ドイツ) | ||
1921年 | ヴェルサイユ条約(ドイツ) | 合国によるロンドン会議において1320億金マルクという巨額の賠償金が定められた上、 オーバーシュレジエン地方の帰属をめぐる住民投票において、地下資源が豊富な地域が ポーランドに割譲されることになりドイツ国民のヴェルサイユ体制への反感が高まった |
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1921年〜1924年 | ゲオルグ・カール・グロスマン ’21年逮捕 フリッツ・ハールマン逮捕 ’21年逮捕 カール・デンケ逮捕 ’24年逮捕 |
少年・ホームレス・女性などをひき肉にして売っていたドイツ人が3人捕まる あきらかにヴェルサイユ条約に連動したドイツ国民の不満の矛先を別のところへ向けたい 連合国側の情報操作劇 |
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1922年 | フランツ・カフカ「城」を著す | 「城」にも多分に数段ストーカーの要素を見ることが出来る カフカの死後1926年に発表された |
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1930年 | ルイス・ブニュエル監督「黄金時代」発表 | ||
1931年 | フリッツ・ラング監督「M」発表 | ||
1940年 | チャールズ・チャップリン監督「独裁者」発表 | ||
? | 骨伝導音声送信システム完成 | アメリカ空軍が開発、なぜかわからないが、いつ頃完成されたかについての正確な記述が見つからない これ以降、幻聴などの誤誘導が可能になっているはず |
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1941年 | オーソン・ウエルズ監督「市民ケーン」発表 | ||
1945年 | バミューダ魔の三角海域: アメリカ海軍第19飛行小隊失踪 | この年の前後、ジェット戦闘機開発が激化しておりその性能とパイロットの実戦訓練を 兼ねてアメリカ海軍第19飛行小隊は何も知らされずに攻撃され空に散ったと思われる この場合、標的は生かして帰さないことが前提となる |
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1955年 | ジェームズ・ディーン事故死 | 実際はハリウッド上層部による暗殺 | |
1957年 | アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督「スパイ」発表 | ||
同年10月 | スプートニク打ち上げ成功(ソ連) | ||
同年11月 | 倒錯殺人犯エド・ゲイン逮捕 | ソ連のスプートニク打ち上げと連動している | |
1960年 | ミケランジェロ・アントニオーニ監督「情事」発表 | 人類の知性が次のステップに移った瞬間 集団ストーカーやその監督者のようなバカには決して分からない世界 |
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1968年 | スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」発表 | 知性とは何かを知っていいただきたい 本物の芸術家、頭の良い人たちはあなたの味方です |
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1970年 | アレハンドロ・ホドロフスキー監督「エル・トポ」発表 | ジョン・レノンが鑑賞後に全米興行を買って出、ウォーホルが絶賛し、 日本では寺山修司が絶賛した |
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同年 | ジミ・ヘンドリックス変死 ジャニス・ジョプリン変死 |
実際はアメリカの国家機関による暗殺 ジミヘンやジャニスのような影響力の大きい人が平和、平和とうるさいと アメリカが黙っていないという例 |
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1971年 | ドアーズのジム・モリスン変死 | 実際はアメリカの国家機関による暗殺 ジムも平和とベトナム戦争反対を訴えていた |
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1974年 | ロマン・ポランスキー監督「チャイナタウン」発表 | ||
1975年 | ピエル・パオロ・パゾリーニ監督「ソドムの市」発表 | 上映してしばらくしてホモの若者に撲殺される しかし実際は作品の内容を快く思わなかった支配者層による謀殺だと言われている |
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1976年 | フィル・オクス自殺 | 実際はアメリカの国家機関による暗殺 | |
1978年 | 世界初のAIDS患者発見 | ||
同年 | ●リチャードトレントンチェイス:1月28日、サクラメントの吸血鬼と呼ばれたチェイスが逮捕。 6人を殺害。被害者の血液と内臓をミキサーにかけて飲んでいた。 ●テッドバンディ:2月15日、脱獄したバンディが捕まる。30人の女性を殺害。 ●UNAボマー:5月25日、ノースウェスタン大学の警備室で爆弾が爆発。 UNAボマーの最初の犯行。 ●デビッドバーコウィッツ:6月12日、禁固25年の刑が下される。70年代後半、カーセックス中 のカップルを銃で射撃。6人を殺害し数十人もの人を負傷させた「サムの息子」と呼ばれたバーコウィッツは77年8月に逮捕された。 ●ジムジョーンズ:11月18日、ギアナにて人民寺院の信者、270人の子供を含む約1000人が青酸カリを飲み集団自殺。 ●ジョンウェインゲイシー:12月22日、30人以上もの少年を殺害したことを自供。 |
AIDSと連動して作られた事件の数々 | |
1980年 | ポール・シュレーダー監督「アメリカン・ジゴロ」発表 | ||
同年 | ビートルズのジョン・レノン暗殺 | 実際は狂った個人ではなく、アメリカ政府の国家機関による暗殺 | |
1986年 | チェルノブイリ原発事故 | 実際はアメリカによる攻撃 この出来事と対になっているのがアンドレイ・チカチロの出現 目的はソ連社会主義体制解体とロシアの資本主義化 |
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1991年 | ジョエル・コーエン監督「バートン・フィンク」発表 | ||
1994年 | ニルヴァーナのカート・コバーン自殺 | 実際はアメリカの国家機関による暗殺 | |
1996年 | ジョン・ベネ殺害事件 | 実際は湾岸シンドロームは劣化ウラン弾が原因ではないと言う大統領諮問委員会の報告と その報告に対する被害者家族の反応をマスコミ上からかき消すために作られた事件 現に報告の直後にジョンベネは殺されている |
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1997年 | ジャンヌ・カルマン死去 122歳 | ゴッホの百年記念の際、直接会った人としてインタビューを受けた時に、 ゴッホの事を「汚くて、格好も性格も悪い人」だったと語った。 集団ストーカーの癖は100歳超えても抜けないんですw |
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1998年 | ピーター・ウィアー監督「トゥルーマン・ショー」発表 脚本はアンドリュー・ニコル |
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1999年 | コロンバイン高校銃乱射事件 | ||
1999年 | スタンリー・キューブリック監督「アイズ・ワイド・シャット」発表 同時に完成直前にキューブリック変死 |
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2001年 | アメリカ同時多発テロ事件 | ||
2005年頃 | Googleマップサービス開始 | 数十年も前から既に、Googeマップ以上の精度の高いシステムを使用し先進国各国政府は目立つ市民(敵)を監視し続けてきた | |
2008年 | Googleストリートビューサービス開始 | アメリカで裁判沙汰になっているがGoogleは「現代では完全なプライバシーなど存在しない(ゆえに許される行為だ)」と反論した |
日本・中国・アジアにおけるキリスト教と集団ストーカーの発展史