人類史上最大の災厄




ヴァイキングはキリスト教を用いて世界初の人間植民地化・心の植民地化を実現



諸悪の根源:キリスト教





天罰を作るキリスト教徒をぼくらは集団ストーカーと呼んでいる

集団ストーカーを行う者達は第三者である加害行為に参加しない信者の目を意識している

集団ストーカーは舶来品なのでキリスト教史・西欧史・ザビエル以降の日本史を勉強しないといけない

日本においてはザビエル来日以後から導入されている

島原の乱・明治維新・226事件は白人が糸を引く日本人キリスト教徒による謀略






ヴァイキングがキリスト教に改宗して以来 代々の最高権力者がキリスト教を操っている

奴隷を奴隷と呼ばず 「キリストの兵士」「神のしもべ」と呼ぶことで奴隷の反乱を廃止、自覚の無い奴隷は反逆しないのだ

例え敵地であっても、そこにキリスト教徒がいればそこは白人の領土である

「民主主義」「グローバリズム」「世間の常識」はすべてキリスト教が下敷き だから人々は不幸



旧来の領土争いと新規の領土争いの相違
千年生きる巨大な龍
悪が次のステップに移行
ユダヤ人が発明した神と宗教
透明人間の帝国を討て
透明人間の帝国で禁止されている事柄
媒体としての人類史
民主主義の皇帝とは?
優性遺伝子の淘汰
集団ストーカーと魔女狩りの相違点
幸福な人々を救うことは不可能
ひきこもりを作れ「謀略と宗教」
文明の利器「盗聴器」
民族と歴史の廃止


集団ストーカーシステム発展史年代表

8世紀後半 ヴァイキング欧州襲撃: ノルマン人/デーン人/スゥエード人 ・ノルマン人(現ノルウェー出身)
・スゥエード人(現スゥエーデン出身)
・デーン人(現デンマーク出身)
839年〜1066年 ノルマン人西方ルート/南方ルート: 現代イギリス・フランス・アイルランド・バチカン市国の礎 ・(839年〜900年代初頭)オークニー諸島・ヘブリディーズ諸島・スコットランド北岸
アイルランド東岸にオークニー伯爵領
・(892年)ノルマン人がイングランドを襲撃
・(911年)ノルマン人によるノルマンディー分与
・(1061年)シチリアを掌握。シチリアと南イタリアから成るシチリア王国を成立
・(1066年)ノルマンディー出身のノルマン人がイギリスを征服、ノルマン王朝を成立
・(1084年)ローマ市を陥落
838年〜1035年 デーン人南方ルート: 現代イギリス・フランス・北部ドイツの礎 ・(838年〜)イギリス東部を襲撃、フランス来襲
・(870年代)イギリス中部にデーンローと呼ばれる植民地を得る
・(892年)ノルマン人がイングランドを襲撃した際、デーンローのデーン人がノルマン人に加勢
・(1016年〜1035年)イギリスほぼ全域、デンマーク、ノルウェーから成る
海上帝国、クヌード帝国を建設
862年〜1036年 スゥエード人東方ルート: 現代ロシア・ウクライナの礎 ・(9世紀初頭)レニングラードを流れるネヴァ河を通り、ラドガ湖に入ったスウェード人は
ラドガ湖南岸にアルディギャボルィ(旧ラドガ)と呼ばれる植民地を建設
・(862年)ロシアの建国者、リューリクがスウェード人の傭兵を招いてノヴゴロドを支配
・(864年)キー、シチュック、コリヴの3兄弟によってキエフは建設されたが、彼らの死後、
リューリクの臣下だったアスコールドとデイルというワリアギ(ヴァイキング)に占領された
・(882年)キエフがワリアギの首都になった
・(944年)キエフ公国の大公でリューリクの子にあたるイーゴリ一世がコンスタンチノープルを
二度も襲撃して貢納を条件に和を結ぶ
・(966年)キエフは周辺の領域をも征服、当時最も大きいハザール汗国を撃退、キエフ公国となる
・(980年)ウラジミールはスウェーデン本土からの助けをもとにキエフを攻略して
キエフの大公となり、東部スラヴ部族他を征服し、ロシア大公となる
・(1028年)ウラジミールの息子、ヤロスラフ一世はキエフの発展に最も尽力した。同時期に
西方ではクヌード王が海上帝国を支配していた。キエフはヤロスラフ大公のもとに最も栄えた
・(1036年)ヤロスラフ一世はロシア全土を支配した
10世紀前後 ヴァイキングキリスト教に改宗: 諸悪の根源 ・ノルマン人は911年に改宗(カトリック)
・スゥエード人は980年に改宗(カトリック)
・デーン人は1028年に改宗(カトリック)
11世紀頃 「糞の街パリ」
欧州の新しい支配者であるヴァイキングを祖とするノルマン人貴族は
偉大な先人、ローマ人が帝国時代に建設した下水設備を廃れるにまかせ
パリなどの市民は窓から糞尿を捨て、公道で排泄を行うようになる。
結果、パリは「糞の街」と呼ばれトイレ事情は19世紀になるまで
向上することは無かった。この惨状はイギリス、スペイン、ドイツなどでも
同様であり、疫病の温床となった。
異邦の地での略奪行為に明け暮れたノルマン人は領内では自分の利得に反する
行動、言動をする者に対し、異端審判による排除を繰り返した。それはのちに魔女狩りに発展するが、
排水設備等の必要性に気づく知性を持つ有用な人々を抹殺したのが原因で
窓からうんこを投げる行為は19世紀までやむことがなかった。
すべてはノルマン人の貪欲なまでの強欲に端を発しているが、有用な
人々の淘汰は優勢な人々の淘汰でもあり、結果バカだけが残った
ことがこの悲惨な結果を招いているといえる。
1054年 東西教会の分裂: ヴァイキング同士の領土の線引き 西方教会(カトリック)と東方教会(正教会)に分離
これはある意味、ヴァイキング同士、ノルマン人・デーン人(イギリス・フランス・イタリア)と
スゥエード人(ロシア・ウクライナ・ビザンツ帝国)による縄張りの線引きだといえる
1081年 ノルマン人のギリシャ遠征 この時、単独ではビザンツ帝国(スゥエード人の領土)にかなわなかったノルマン人が
従順な奴隷であるカトリックのキリスト教徒を使ってビザンツ帝国侵略
イスラム圏掠奪を思いついたと思われる(十字軍)
1095年 クレルモン公会議の十字軍宣言 ノルマン人貴族が自分達の意志を「神の意志」と称し、ライバルのスゥエード人の領土を
自分たちのものにせんと、またイスラムの冨を自分たちのものにせんと
配下のローマ法皇を操り人形のように操作し、大勢の奴隷をキリストの兵士と呼び、
ここに史上初のキリスト教による神の名の下による残虐行為行脚、百鬼夜行が開始されることになる
1095年〜1333年 十字軍 初期の十字軍では、裏にヴァイキングの子孫であるノルマン系フランス人貴族・ノルマン系
南イタリア人貴族とビザンツ帝国に傭兵として雇われていたスゥエード人がおり、
正教会(スゥエード人) 対 カトリック(ノルマン人・デーン人)の構図があった
1098年〜1291年 十字軍国家 ・エデッサ国(1098年〜1146年)
・アンチオキア国(1098年〜1263年)ボヘモンド候(ノルマン系南イタリア人)
・トリポリ国(1102年〜1289年)
・エルサレム王国(1099年〜1187年/1229年〜1244年)
・外ヨルダン領(1118年〜1147年)
1113年 聖ヨハネ騎士修道会公認 支配者直々の命を実行するための謀略専門部隊、現在のCIAみたいなもん
1128年 テンプル騎士修道会公認 上に同
1140年 南フランスにカタリ派出現 ノルマン人貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、自分の権利・領土を
主張・確立したい何者かがカタリ派を作ったと思われる
1202年 第四回十字軍がコンスタンチノープルを占領、ラテン帝国を建国 西欧カトリック(ノルマン人貴族)が東欧正教会(スゥエード人貴族)に勝利
1233年〜 異端審判(集団ストーカーの原型が作られる) カタリ派等の異端を撲滅するために異端審問が始まる
当初は、南フランスで自分の権利を主張した者に対する制裁の面もあった
1337年〜1453年 百年戦争
1384年 ジョン・ウィクリフ処刑 彼は武力でではなく、数百年に渡るカトリックの支配を断ち切れば
イングランドもフランスに勝てると考えたのです。
「例えイングランド国内であれ、カトリック教徒がいればそこはフランスの領土」です。
ウィクリフは、国内にノルマン人貴族の意志を宿すカトリック教徒がいれば
いつまでたってもフランスには勝てないということを理解したんです。
カトリックによるウィクリフの処刑はそれが原因です。
1397年 カルマル同盟成立 数百年前に異郷の地に乗り出し、欧州各地(イギリス・フランス・アイルランド・イタリア・ロシア・
ウクライナetc)で貴族・諸侯・王族・聖職者として成功したヴァイキングたち。
その子孫たちの貪欲さに畏怖の念を抱き故国であるデンマーク・ノルウェー・
スゥエーデン3国がカルマル同盟を結成する
1431年 ジャンヌ・ダルク処刑 しかし、もしジャンヌ・ダルクが存在していなかったとしたら…?
というかぼくはジャンヌ・ダルクは存在しなかったと思う。
当時はノルマンディーがイギリスに占領されていて、フランス軍は劣勢だったので、
士気を上げるためにジャンヌ・ダルクという聖少女の情報をフランスの騎士団(諜報機関の祖)が創ったのではないかと思うのです。
1440年 ジル・ド・レ処刑 英軍が前年にブルターニュ侵攻に失敗したのが引き金となり、ブルターニュの領主であった
ジル・ド・レを風評により少年殺しの殺人鬼に仕立てあげ、
ジルを怒らせてキリスト教会に殴りこませ逮捕、その後、残酷な拷問により証言をでっち上げ、
カタチだけの裁判で有罪として処刑、排除、二年後、英軍は改めてブルターニュに侵攻する
1484年〜1791年 魔女狩り(200年の間に集団ストーカーの前身としてシステムがほぼ完成)
1492年〜 コロンブスアメリカ大陸発見 スペインの北南米における掠奪・蹂躙・虐殺・侵略開始
1494年 トルデシリャス条約 教皇アレクサンドル6世が教書を出してアフリカの西岸ヴェルデ岬諸島の西方の西経45度の
子午線を基準に西方をスペイン、東方をポルトガルの進出範囲とした
キリスト教皇のお墨付きで決定されたものである
1498年 バスコ・ダ・ガマ東回り航路発見 ポルトガルのアジア・アフリカでの掠奪・蹂躙・侵略開始
15世紀〜19世紀 大西洋の三角貿易 ・南米の原住民が減少し、白人はアフリカから奴隷を補充する
・黒人を捉えるのはキリスト教徒の黒人であり、白人は寝て待つだけであった
・同胞を売ることでナイジェアやベナンは王国として栄えた
・概算1500万の黒人が奴隷として北南米へ連れて行かれたが、1人を連れて行くのに
5人が途中で死んだので都合一億人がアフリカから連れて行かれたことになる
1514年 ラス・カサスの内部告発 6回に渡り大西洋を横断し、インディアスの自由と生存権を守る運動の中心的役割を
はたした
1519年 コルテス: アステカ帝国征服
1531年〜1558年 イングランドの宗教改革: イギリスを支配する者の領土確立 聖公会の誕生: ノルマン系貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、
何者かがイギリス支配の権利を主張・確立させた
1520年 ルターの宗教改革: スカンジナビア・北部ドイツを支配する者の領土確立 ルター派の誕生: ノルマン系貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、
何者かが北欧支配の権利を主張・確立させた
1536年 カルヴァンの宗教改革: オランダを支配する者の領土確立 改革派・長老派の誕生: ノルマン系貴族が裏で糸を引くカトリックと袂を分かち、
何者かがオランダ支配の権利を主張・確立させた
1570年 インカ帝国完全滅亡 ・1492年に1億1000万人いた原住民の人口が1000万人にまで減少
・白人とキリスト教徒は自分達の悪行を正当化するために原住民は人喰いの習慣があり、
生贄の習慣もあったなど、血なまぐさい原始的なイメージをデッチあげ
惨殺されても仕方ない民族だったというウソを歴史上の事実として定着させた
1588年 イギリスがスペインの無敵艦隊を撃破
1600年 イギリスの東インド会社設立 エリザベス女王の特許状で設立
1602年 オランダ東インド会社をジャワに設立(集団ストーカーに携わる人材が決定される) 1・原住民を文盲のまま放置し土候を使って間接統治
2・キリスト教に改宗した者は優遇して警察官や軍人に登用
3・オランダとインドネシアの混血児を中流階級として使用、民族の分断を図る
4・社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア人の不満と憎悪を
華僑に集中させる

5・一切の集会や団体行動を禁止する
6・全国各地で用いられていた320の部族語をそのままにして標準語にまとめる企てを禁止する
1609年 バプテスト教会設立(米南部) アメリカを実質支配する者(特に南部)が自分の領土・権利を主張・確立するべくイギリスと袂を分かつ
イギリス聖公会から分離したバプテストをジョン・スマイスによって設立させる
1648年 ウェストファリア条約 1612年にオランダが事実上の独立を達成。ウェストファリア条約で
国際的にも独立を承認された
キリスト教的にも改革派・長老派としてカトリックから脱却。ある意味、ノルマン人貴族の
支配を完全に脱したことになる
1650年 クエーカー教会(米中西部・英) バプテストの所持者と相反し、独自にアメリカでの領土・権利を主張・確立したい者が
創設者ジョージ・フォックスを操ってクエーカーを設立させた
1652年 イギリスが英蘭戦争に勝利しオランダの海上権を奪う
17世紀後半 ユニテリアンユニヴァーサリスト(米北東部米中西部・米西海岸・ハンガリー・ルーマニア) アリウス主義者、ソッツイーニ主義者、ビドル主義者とも呼ばれた
1760年 イギリスで産業革命
1762年 ジャン・ジャック・ルソー「社会契約論」発表 ルソーは世界初の集団ストーカー被害者である
同年 ジャン・ジャック・ルソー「エミール」発表 パリ大学の神学部(キリスト教)に断罪され禁書扱いされる
1770年 キャプテンクックがオーストラリアに到来
1776年 アダム・ヴァイスハウプトがイルミナティ創設 バイエルン王国のバヴァリアで設立された政治的秘密結社
同年 アメリカ合衆国独立
1778年 ジャン・ジャック・ルソー死去 ルソーは魔女狩りが完全に終息するちょっと前からキリスト教の新しい断罪システム
「集団ストーカー」の被害者であった
分析・被害状況など18世紀の集団ストーカーの全貌がルソーの著書
「孤独な散歩者の夢想」で明らかになっている
1782年 アドルフ・ファン・クニッゲ男爵がイルミナティに参加
1782年頃 魔女狩り終息 集団ストーカーは魔女狩りと共通する点が非常に多いのですが 唯一の相違点が
魔女狩りは公けになっている、そして集団ストーカーは公けになっていないという点です。
ぼくはここに支配者の工夫を感じるのです。隠すことでさまざまな利点も産まれます。
魔女狩りは公けであったためにキリスト教や国が批判され悪行もすべて
記録に残されてしまった。そこで支配者は考えたのだと思います。
「魔女狩りを隠そう!」と。そのおかげで集団ストーカーのことで キリスト教や国は批判されず、
記録にも残らないわけです。
ゆえに精神病や妄想などのメンヘラ呼ばわりが成立してしまうという弊害が生まれてしまう
1786年 英仏通商条約 フランスの産業に大打撃
1788年 イギリスが流刑囚1473名を乗せてオーストラリアへ 流刑囚がアボリジニーの女性を強姦、男性を人間狩りの対象にし
100年でアボリジニーが67000人に減少
18世紀後半 マルキ・ド・サド「ソドム百二十日」執筆 パートナーの女性をサド行為により殺してしまうというガセネタにハメられ
バスチーユ監獄に収監されるが、獄内で隠れて執筆
1787年 フランス革命 ある種、旧勢力(ノルマン人貴族のキリスト教による収奪)と
新勢力(ブルジョワ出自の商人の資本主義による収奪)の奴隷獲得合戦であった
1789年 聖職者の財産の国有化を決定(フランス)
1790年 聖職者市民化法(フランス) 聖職者身分の廃止に伴い聖職者を国家から俸給を受ける公務員にする法令で
これに反対する聖職者の一部は反革命派になる
1795年 メソジスト教会発足(米中西部) イギリス聖公会司祭ジョン・ウェスリーを中心にオックスフォード大学の宗教クラブの
メンバーがメソジスト教会という名をグループ名に採用
アメリカで新たに力をつけた者が領土・権利の主張・確立させた
1802年 ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン「ハイリゲンシュタットの遺書」を認める ベートーヴェンは悪く言われているので集団ストーカーされていただろう
1804年 ナポレオンが皇帝になる 旧勢力(ノルマン貴族のキリスト教による収奪システム)の勝利
1817年 福音派、ファンダメンタリスト誕生(米) キリスト教の中で表向きの悪役を演じる組織
1823年 モンロー大統領がモンロー宣言を発表 欧州大陸とアメリカ大陸の相互不干渉を唱えるモンロー宣言
同年 ジョセフ・スミス・ジュニアがモルモン書を発見 ジョセフ・スミス・ジュニアが神に命令されて掘り起こした土の中からモルモン書を発見
1846年〜48年 アラモ砦: アメリカがメキシコと戦争 アメリカが味方のアラモ砦を囮にして相手を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃させ
味方に相当の被害を出させた上で「リメンバーアラモ」を合言葉に戦争を正当化し
国民を鼓舞して反撃に移った
この方法にはヴァイキングの1000年の伝統が息づいている
1857年 マウンテン・メドウの大虐殺 ユタを通過・滞在中の開拓民140人余の中にジョセフ・スミス
暗殺犯がいるとの流言に煽動された信者たちが開拓民を襲撃。
女性や子どもを含む全員を殺害
同年 ユタ戦争(モルモン戦争) 上が引き金となりユタにアメリカ陸軍を差し向ける
1865年 救世軍誕生(英国領) ヴィクトリア朝のロンドンに誕生
1872年 ルーミスが無線通信の特許取得(盗聴器の親戚) 同時に諜報活動・集団ストーカー・嫌がらせに欠かせない盗聴システムが
誕生した年とも思われる
1876年 グレアム・ベル「電話」発明(盗聴器の親戚) 同時に諜報活動・集団ストーカー・嫌がらせに欠かせない盗聴器が誕生した年とも思われる
というか、盗聴器製作目的ありきで、その過程で電話機が生まれたとも考えられる
1887年11月13日 血の日曜日事件(トラファルガー広場で市民がデモ) 社会主義者と失業者から成る数万人の群衆がロンドンのトラファルガー広場に集結し、
政府に対してデモを行いました。
市警察長官サー・チャールズ・ウォーレンは武装した兵士と2000名の警察官に
処理を命じたが、暴動が発生し数百人の負傷者と2人の死亡者が発生。
この事件は「血の日曜日」事件と名づけられました
1887年12月〜1891年 ロンドンにて連続殺人鬼のパイオニア、切り裂きジャックが活動を開始 トラファルガー広場でのデモの翌月に切り裂きジャックの最初の被害者と思われる
女性の惨殺遺体が発見される
ぼくの考えでは、これが切り裂きジャック創作の一番の目的じゃないかと思うのです…
つまり、切り裂きジャック捜査目的と称して警察が強制家宅捜査、強制連行など、
政府に対する異分子の疑いがある人物や反政府組織のリーダー等の排除を
公然と行うことが出来るのです
1888年 フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ「反キリスト者」発表 ニーチェも悪く言われているので集団ストーカーされていただろう
1890年 フィンセント・ヴァン・ゴッホ自殺 ゴッホは集団ストーカーされ、精神病扱いされた
10年前に子供の頃にゴッホを見たことがある長寿の記録を持つ女性がTVで
「あの人は気持ち悪かった」とまだゴッホのことを悪く言っていたw 
集団ストーカーの癖は抜けないんだなw
1898年 アメリカがスペインに宣戦布告 アメリカはハバナ表敬訪問中の自国戦艦メーンを自ら爆沈させ2060人の乗員を犠牲にし
すべてスペインがやったことにして「メーン号を忘れるな」を合言葉に国民を戦争に駆り立て
スペインに宣戦布告
1906年 ペンテコステ派(米南部) アメリカのペテル聖書学校の大晦日祈祷会において数名の学生が異言を語りだした
ことに端を発する
アメリカで新たに力をつけた者が領土・権利の主張・確立させた
1915年 フランツ・カフカ「審判」を著す 「審判」は集団ストーカーの要素が多い、カフカも被害者だ
カフカの死後1925年に発表された
1919年〜1933年 ヴァイマール共和制(ドイツ)
1921年 ヴェルサイユ条約(ドイツ) 合国によるロンドン会議において1320億金マルクという巨額の賠償金が定められた上、
オーバーシュレジエン地方の帰属をめぐる住民投票において、地下資源が豊富な地域が
ポーランドに割譲されることになりドイツ国民のヴェルサイユ体制への反感が高まった
1921年〜1924年 ゲオルグ・カール・グロスマン ’21年逮捕
フリッツ・ハールマン逮捕 ’21年逮捕
カール・デンケ逮捕 ’24年逮捕
少年・ホームレス・女性などをひき肉にして売っていたドイツ人が3人捕まる
あきらかにヴェルサイユ条約に連動したドイツ国民の不満の矛先を別のところへ向けたい
連合国側の情報操作劇
1922年 フランツ・カフカ「城」を著す 「城」にも多分に数段ストーカーの要素を見ることが出来る
カフカの死後1926年に発表された
1930年 ルイス・ブニュエル監督「黄金時代」発表
1931年 フリッツ・ラング監督「M」発表
1940年 チャールズ・チャップリン監督「独裁者」発表
骨伝導音声送信システム完成 アメリカ空軍が開発、なぜかわからないが、いつ頃完成されたかについての正確な記述が見つからない
これ以降、幻聴などの誤誘導が可能になっているはず
1941年 オーソン・ウエルズ監督「市民ケーン」発表
1945年 バミューダ魔の三角海域: アメリカ海軍第19飛行小隊失踪 この年の前後、ジェット戦闘機開発が激化しておりその性能とパイロットの実戦訓練を
兼ねてアメリカ海軍第19飛行小隊は何も知らされずに攻撃され空に散ったと思われる
この場合、標的は生かして帰さないことが前提となる
1955年 ジェームズ・ディーン事故死 実際はハリウッド上層部による暗殺
1957年 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督「スパイ」発表
同年10月 スプートニク打ち上げ成功(ソ連)
同年11月 倒錯殺人犯エド・ゲイン逮捕 ソ連のスプートニク打ち上げと連動している
1960年 ミケランジェロ・アントニオーニ監督「情事」発表 人類の知性が次のステップに移った瞬間
集団ストーカーやその監督者のようなバカには決して分からない世界
1968年 スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」発表 知性とは何かを知っていいただきたい
本物の芸術家、頭の良い人たちはあなたの味方です
1970年 アレハンドロ・ホドロフスキー監督「エル・トポ」発表 ジョン・レノンが鑑賞後に全米興行を買って出、ウォーホルが絶賛し、
日本では寺山修司が絶賛した
同年 ジミ・ヘンドリックス変死
ジャニス・ジョプリン変死
実際はアメリカの国家機関による暗殺
ジミヘンやジャニスのような影響力の大きい人が平和、平和とうるさいと
アメリカが黙っていないという例
1971年 ドアーズのジム・モリスン変死 実際はアメリカの国家機関による暗殺
ジムも平和とベトナム戦争反対を訴えていた
1974年 ロマン・ポランスキー監督「チャイナタウン」発表
1975年 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督「ソドムの市」発表 上映してしばらくしてホモの若者に撲殺される
しかし実際は作品の内容を快く思わなかった支配者層による謀殺だと言われている
1976年 フィル・オクス自殺 実際はアメリカの国家機関による暗殺
1978年 世界初のAIDS患者発見
同年 ●リチャードトレントンチェイス:1月28日、サクラメントの吸血鬼と呼ばれたチェイスが逮捕。
6人を殺害。被害者の血液と内臓をミキサーにかけて飲んでいた。
●テッドバンディ:2月15日、脱獄したバンディが捕まる。30人の女性を殺害。
●UNAボマー:5月25日、ノースウェスタン大学の警備室で爆弾が爆発。
UNAボマーの最初の犯行。
●デビッドバーコウィッツ:6月12日、禁固25年の刑が下される。70年代後半、カーセックス中
のカップルを銃で射撃。6人を殺害し数十人もの人を負傷させた「サムの息子」と呼ばれたバーコウィッツは77年8月に逮捕された。
●ジムジョーンズ:11月18日、ギアナにて人民寺院の信者、270人の子供を含む約1000人が青酸カリを飲み集団自殺。
●ジョンウェインゲイシー:12月22日、30人以上もの少年を殺害したことを自供。
AIDSと連動して作られた事件の数々
1980年 ポール・シュレーダー監督「アメリカン・ジゴロ」発表
同年 ビートルズのジョン・レノン暗殺 実際は狂った個人ではなく、アメリカ政府の国家機関による暗殺
1986年 チェルノブイリ原発事故 実際はアメリカによる攻撃
この出来事と対になっているのがアンドレイ・チカチロの出現
目的はソ連社会主義体制解体とロシアの資本主義化
1991年 ジョエル・コーエン監督「バートン・フィンク」発表
1994年 ニルヴァーナのカート・コバーン自殺 実際はアメリカの国家機関による暗殺
1996年 ジョン・ベネ殺害事件 実際は湾岸シンドロームは劣化ウラン弾が原因ではないと言う大統領諮問委員会の報告と
その報告に対する被害者家族の反応をマスコミ上からかき消すために作られた事件
現に報告の直後にジョンベネは殺されている
1997年 ジャンヌ・カルマン死去 122歳 ゴッホの百年記念の際、直接会った人としてインタビューを受けた時に、
ゴッホの事を「汚くて、格好も性格も悪い人」だったと語った。
集団ストーカーの癖は100歳超えても抜けないんですw
1998年 ピーター・ウィアー監督「トゥルーマン・ショー」発表
脚本はアンドリュー・ニコル
1999年 コロンバイン高校銃乱射事件
1999年 スタンリー・キューブリック監督「アイズ・ワイド・シャット」発表
同時に完成直前にキューブリック変死
2001年 アメリカ同時多発テロ事件
2005年頃 Googleマップサービス開始 数十年も前から既に、Googeマップ以上の精度の高いシステムを使用し先進国各国政府は目立つ市民(敵)を監視し続けてきた
2008年 Googleストリートビューサービス開始 アメリカで裁判沙汰になっているがGoogleは「現代では完全なプライバシーなど存在しない(ゆえに許される行為だ)」と反論した







日本・中国・アジアにおけるキリスト教と集団ストーカーの発展史

1513年 ポルトガル人がマカオに来航(明)
1514年 ポルトガル人が香港に来航(明)
1549年 ザビエル来日(人類史上最大の災厄キリスト教伝来) ザビエルの遺骸には早く腐敗させるために石炭が蒔かれたが、死後数ヶ月経っても全く腐敗しなかったという
遺骸は上川島で一度埋葬された後、マラッカを経てゴアに移され
現在はボン・ジェズ教会に安置されているが、体の一部は、ローマ・ジェズ教会に移された…
(なんちゅう大ウソw こんなヨタ信じるのはバカしかいない。すべてのカルトがこういうやり方を踏襲している
キリスト教徒がバカばっかなのはこんなヨタ信じるやつらばっかだからなw)
1549年〜1551年 セミナリョ(神学校): 九州と近畿各地に建設
コレジオ(宣教師養成学校): 九州と近畿各地に建設
山口県に大道寺建立(日本最古のキリシタン寺院)
教会堂: 西日本各地(主に九州・近畿)に建設
宣教師駐在要地: 岡山・三重に確保
アフリカ・南北アメリカ・東南アジア・太平洋の島々の原住民に見せた残酷な素顔を日本では隠しつつ
善意を装った白人の侵略計画が着々と進みつつあった…
1582年 天正少年使節団 伊東マンショ、千々石ミゲル
同年 マテオ・リッチによってカトリックがもたらされる(明)
1584年 スペイン・ポルトガル商船が平戸に来航
1587年 豊臣秀吉/博多で禁教令(バテレン追放令)
1592年〜96年 文禄の役 秀吉は白人と付き合ううちに白人の強欲な素顔を知り、前線基地にならないように朝鮮に出兵
1596年 サン・フェリペ号事件
同年 豊臣秀吉/禁教令
1597年〜98年 慶長の役
1597年 長崎で日本26聖人殉教
1607年 豊臣秀吉/奴隷購買者破門令
1612年 徳川家康/天領に禁教令
1623年 イギリスが平戸商館を閉鎖し退去
1636年 徳川家光/ポルトガル人の子孫、混血児を海外追放
1637年〜1638年 島原の乱 日本人キリシタンを使った白人の謀略
目撃談の乏しい天草四郎は存在しなかったとも、赤毛の毛唐であったとも伝えられている
1639年 ポルトガル船の来航を禁止
1699年 イギリス東インド会社が来航(清)
江戸時代 狐憑き(集団ストーカー被害者は精神病扱いを
受けるが江戸時代ではそれが狐憑きではなかったか?)
事例: 享保9年(1724年)

御代田村の与衛門は中間に抱えられていた。11月4日、所用の為江戸に上る途中、ある宿でたまたま
仙台者2人と同宿した。翌日は喜連川(栃木県矢板の近く)に泊まったがまたしても同じ仙台者2人と同宿だった。
その夜、4ツ時分(10時頃)与衛門は脇差しを懐中に勝手に行き、ちょうど居合わせた旅籠の主人の
伯父・祐監という坊主に湯をくれと言った。
祐監は印籠から薬を取り出しながら与衛門に湯を差し出した。すると突然、与衛門は脇差しを抜き祐監に
斬りかかった。驚いた祐監が騒ぎ立てたところ、与衛門は自害しようと深々と自分の首に刀を食い込ませながら
表に飛び出し「われは守山飛脚の者だ。仙台者につけこまれ、そのうえ御用状箱を引き散らされては
身が立たない。誰か殺してくれ!」と、わめいた。
抱きかかえ、町奉行に連絡し、医者を呼んだが与衛門は深手の為息絶えた。
守山及び江戸から役人が出張り調査した結果、「乱心にて自滅致し候うに相極まり、その通り取り計らい」となった
1784年 キリスト教伝来(李氏朝鮮)
1791年 辛亥邪獄(李氏朝鮮) 朝鮮で最初のカトリック弾圧事件
1795年 中国人神父の密入国事件(李氏朝鮮)
1801年 辛酉邪獄(李氏朝鮮) 王朝を守るためとの理由でカトリックの弾圧を強化
1816年 イギリス海軍アルセスト号、ライラ号の来航(琉球王国)
1837年 モリソン号事件 アメリカが漂流民7名を伴い通商を要求
アメリカの得意な茶番ですねw
1838年 天理教誕生 神道を模した隠れキリシタンの巣窟カルト、オランダの手先か?
1839年 蛮社の獄 渡辺崋山、高野長英ら鎖国を批判、処罰される
1840年〜42年 アヘン戦争(清)
1842年 南京条約(清) 1: 香港島割譲
2: 賠償金として銀2100万両を四年分割で支払
3: 広州、福州、アモイ、寧波、上海の5港を開港する
4: 公行の廃止
1843年 中英五口通商章程、虎門寨追加条約(清)
1845年 イギリスの軍艦が済州島付近の海域に侵入(李氏朝鮮)
1846年 フランス海軍によるカトリック弾圧に対する抗議(李氏朝鮮)
同年 イギリス人宣教師ベッテルハイムの来琉(琉球王国)
1851年〜64年 太平天国の乱(清) 白人が裏で糸を引く中国人キリスト教とによる謀略
1853年 ペリー来航
1856年 アロー号事件(清) 清の官憲がイギリス船アロー号の水夫を逮捕
キリスト教徒の中国人がイギリスと結んでアローアロー戦争の口実を作る
1857年 アロー戦争(清)
1858年 天津条約(清) イギリスは公使の北京駐在、キリスト教布教の承認・内地河川の商船の航行の承認
英仏に対する賠償金、アヘンの輸入公認などを清に認めさせる
1860年 北京条約(清) 天津等.、ら11港の開港、イギリスに対し九竜半島の割譲、中国人の海外への渡航許可を清に認めさせる
幕末 尊皇攘夷論 実際に尊皇攘夷を信じていた人もいただろうが、尊皇攘夷を装って白人の利益に貢献しようと
画策していたキリシタン武士も大勢いただろうと推測される
1862年 生麦事件 薩摩藩のキリシタン武士が英国と結び、捨て駒の白人を斬り殺し、薩英戦争の口実を作る
1863年 薩英戦争 薩摩(鹿児島)のキリシタンが英国と結び、茶番を演じ、幕府に多額の賠償金を払わせる
1863年〜1864年 下関戦争 長州(山口)のキリシタンが白人と結び、茶番を演じ、幕府に多額の賠償金を払わせる…
以上の3つの事件を見て分かるとおり、例え敵地であってもそこにキリスト教徒がいればそこは
白人の領土なのだ
1866年 薩長盟約 裏には白人がいる
第二の島原の乱の準備万端
同年 ジェネラルシャーマン号事件(李氏朝鮮) アメリカ商船ジェネラル・シャーマン号が通商を求めたが、地元の軍と衝突し、商船は沈没させられてしまう
1866年〜1872年 丙寅教獄(李氏朝鮮) フランス人神父殺害の報復としてフランス軍極東艦隊司令官のローズ提督は戦力のほぼ全てを投入して
(軍艦7隻、兵約1300名)して江華島の一部を占領し、再度の侵攻で江華城を占領する
しかし首都漢城へ進軍中に発生した2つの戦闘で立て続けに敗北したフランス軍は
漢城への到達を諦め1ヶ月ほどで江華島からの撤退を余儀なくされる
1868年 明治維新 ある意味第二の島原の乱
1871年 辛未洋擾(李氏朝鮮) アメリカはジェネラルサマン号事件を機に朝鮮へ通商と損害賠償を求め、軍船5隻を率いて交渉に赴いた
この交渉が朝鮮側の奇襲攻撃によって拒絶されるとアメリカ軍は江華島を占領し、通商を迫った
しかし大院君の強硬な開国拒絶により、アメリカ軍は1ヶ月で交渉を諦め撤退する
1875年 マーガリー事件(清) イギリス雲南探検隊の通訳マーガリー(当時上海領事)が中国人に殺害された事件
たぶんマーガリー氏は仲間のイギリス人に殺害されたのだろう。そして中国人に罪を着せた。
あるいは犯人の中国人は白人に飼われていた可能性もある。まあこれが白人のいつもの手なのです
1876年 芝罘条約(清) マーガリー事件を機に、イギリスは事件の審理・賠償から天津条約の改訂に発展させることに成功
同年 幻の狙撃者出現(清) 中国は南京の通りでパニックが起こった。目に見えない悪魔が徘徊し、弁髪を次から次へと
切り取ってしまったのだ。
人々は安全のため、両手で髪を握って歩くようになった。この恐慌はやがて上海にまで広がり、
それから他の町に飛び火し、そして別のパニックが持ち上がった。
『圧殺狂』つまり、眠っている間に体を押し潰されるという恐怖がそれである。この『髪切り魔』の跳梁は
3年近く続いた。それ以後も何度か同じ事件が起きておりこの現象には長い歴史があるわけだ…
しかしこの一連の不思議な事件は実際には清国国民の芝罘条約に対する不満をそらす目的で作られたものだ
1900年 夏目漱石/文部省の命でイギリス留学
1901年 夏目、精神を病む 実際には、漱石はイギリスで集団ストーカーされており精神病扱いをされた
1911年 辛亥革命(中華民国) キリスト教徒である孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱を起こす
1927年 芥川龍之介自殺 自覚していないようだが、芥川も日記に集団ストーカー被害を記している
1936年 2・26事件勃発 陸軍の皇道派は壊滅し日本を第二次世界大戦(白人列強の罠)へと導いた売国キリスト教徒東條英機ら
統制派の政治的発言力がますます強くなりました
ある意味、第三の島原の乱ということができます
同年4月17日〜5月31日 向島少女連続殺人 2・26事件に連動している創作事件
5月18日 阿部定事件 2・26事件と連動している創作事件
1938年 国家総動員法施行
同年5月21日 津山30人殺し 事実はこうだと思います、政府の工作員数十人が村に来て30人を惨殺、目撃者を脅しで口封じ
精神病患者の都井睦男を殺し、犯人に仕立て上げ、遺書を創作
もとより文書の登場する事件は完全に政府主導の創作劇と決まっていますが、この事件の企画と目的は
国家総動員法施行と深く関連しています
1941年 日本軍真珠湾攻撃 裏ではアメリカ政府に操られた日本人キリスト教徒が暗躍
日本が負けるように工面する
1945年 広島、長崎に原爆投下
1950年 黒澤明監督「羅生門」発表 橋本忍が脚本家デビュー
日本の知性が多くの白人芸術家にインスピレーションを与えた
1953年 小津安二郎監督「東京物語」発表 小津は人間には目が2つしかないということを忘れさせるほど観察力に長けている
交通機関の発達は遠くの者どうしを近づけることが出来た、しかし近くにいる者を遠ざけてはいないか?
自分の好きな時に好きなとこへ行ける、しかしそれは一方で自分の周囲が
知らない人であふれるということではないのか?母親を殺したのは文明だ…
1954年 東宝「怪獣王ゴジラ」発表 ゴジラは当時の日本人の心の奥底に隠されたアメリカに対する怒りであった
ゆえにゴジラは死ななくてはならなかったのだ
1960年 黒澤明監督「悪い奴らほどよく眠る」発表
1966年 文化大革命(中華人民共和国) 例え敵地であれ、そこにキリスト教徒がいればそこは白人の領土である。
というわけで、中国国内の中国人キリスト教徒を抹殺するために始まったと推測。
中国の国土を守るためには武力ではなく、強制的な宗教や思想で国民から意志を奪い
代わりに毛沢東が自分の意志を宿さなくてはならない。この場合、社会主義思想。
白人の意志を宿したキリスト教徒は中国にとって清時代から目の上のたんこぶだった。
1968年 手塚治虫「グランドール」発表
同年 つげ義春「ねじ式」「ゲンセンカン主人」発表
1970年 三島由紀夫自決
1983年 宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」発表
同年 「笑っていいとも」発、「ネクラ」が流行語 日本中の集団ストーカー被害者に向けたほのめかし
九州・山口出身の芸能人はみな隠れキリシタンの家系でカルトに属する
1986年 岡田有希子自殺
1989年 宮崎勤幼女連続殺害事件 リクルート事件と連動している、幼女を殺すのは公安、子供殺しは公務員の業務
1992年 尾崎豊変死 尾崎を聴くことは創価等のカルトやキリスト教徒の間では禁止されている
同年 伊丹十三監督「ミンボーの女」発表
1998年 hide自殺
ねこぢる自殺
hideを聴いたりねこぢるの著作を読むことはカルトやキリスト教徒の間では禁止されている
1999年10月5日 自自公連立により、小渕2次改造内閣が発足 9月8日:池袋通り魔殺人事件
9月29日:下関通り魔殺人事件
9月30日:東海村JCO臨界事故発生
9月:神奈川県警の不祥事が相次いで発覚、全国の警察に波及
1999年頃 「ひきこもり」現象認知 幼少時に目立つ生徒が創価信者・キリスト教徒の共謀により罪を着せられ、その罪を
責められ続けることで対人恐怖体質に変貌
文字通り、「小さい内に芽を摘め」が見えないところで実行されています。
2001年8月 小泉首相が靖国参拝
中国・韓国など激しく反発
白人の意志を宿した日本、中国、韓国のキリスト教徒たちが演じた芝居
白人の意志とは、東アジア団結の阻害
2008年 アキバ通り魔殺人 人権擁護法案と共謀罪を成立させたい白人の悪意による創作劇

























































































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