ジャンヌ・ダルクという情報戦


1429年4月、ジャンヌはロワール川沿いの都市オルレアンに向けて出発した。
当時、オルレアンはイングランド軍に包囲されていた。ジャンヌはオルレアンの総司令官であった
「オルレアンの私生児」ジャン(後のデュノワ伯)、後に熱心な支持者となるアランソン公、
オルレアンの隊長「ラ・イール」、ジル・ド・レたちとともにイングランド軍と戦った。
ジャンヌは勇猛果敢に突撃したが左肩に矢を受けた。命に別状はない傷だったが、このときはまだ10代後半の
少女であるに過ぎず、不安のあまり泣き出す始末だった。
ジャンヌは人を殺したくないという理由から旗持ちを好んでいたが、仲間の兵隊たちを鼓舞する役目を堂々と果たし、
戦闘においては進んで危険な突撃を敢行した。むろん、ジャンヌの鼓舞により、オルレアンの兵隊たちの士気は
いやがうえにもあがった。翌月、イングランド軍は撤退しオルレアンは7ヶ月以上にわたる包囲網から解放された。
(以上wikiより)


<コメント>

しかし、もしジャンヌ・ダルクが存在していなかったとしたら…?というかぼくはジャンヌ・ダルクは存在しなかったと思う。
当時はノルマンディーがイギリスに占領されていて、フランス軍は劣勢だったので、士気を上げるために
ジャンヌ・ダルクという聖少女の情報をフランスの騎士団(諜報機関の祖)が創ったのではないかと思うのです。

実際にジャンヌ・ダルクがいたかどうかはぼくらも確認出来ないが、じつは当時の兵士たちも確認出来なかっただろう。
当時、実際にジャンヌを見たものがいるのかどうかも情報は無いので確認しようがないが。
とにかく、神の加護を受けた聖なる少女が自分達の味方であるという情報はフランス兵たちの願望そのものだったはずです。
苦境にたたされている人ほど信じたいことだけを信じ、夢を見たがります。
だから、そういう噂を流せばエサに群がる鯉の大群のようにあっという間に披露しきったフランス兵の間に広がり、
士気があがるのをフランス軍司令官たちは期待した。予想以上の反響があったことは歴史を見れば一目瞭然だが。

作者は諜報機関の祖である騎士団であり、フランス兵たちに吹聴させることでジャンヌ・ダルクを誕生させたのではないか。
実際に戦場にか弱い無防備な少女を連れて行くのは無謀な行為です。普通なら「ジャンヌが死んだらどうするんだ?」と
心配するトコでしょうけど、ハナから存在しないのなら戦場のド真ん中に連れて行ったって大丈夫なんです。
どんなに先頭にたたせて突撃させてもジャンヌが死ぬことは無い。戦死するなんてありえ無い。

だが、存在しないのならどうやってイギリス軍はジャンヌ・ダルクを処刑したのか?おもしろいですね。
ジル・ド・レ達もジャンヌがイギリス軍に捕まったということを聞いた時は驚いたはずです。
なぜなら、ジャンヌは存在しないのだから…

存在しない少女を存在させるには身代わりを立てればいいし、当時は誘拐し放題だったから
適当に近場から少女を拉致して身代わりにすればよかっただろう。

でもイギリス軍はそんなこともせず、ただジャンヌを処刑したという情報を流しただけでしょう。情報には情報を。
イギリス側にも騎士団がありましたが、英騎士団員がジャンヌの身辺を調査しにフランス軍内部に潜り込んだことも多々
あったはずだが、英騎士団員はそのたびに首をかしげたに違いない。
「何処を探してもジャンヌなんて少女はいない…いったいどういうことなんだ…??」と。

ということで、イギリスは「ジャンヌ」がフランス軍の士気を向上させるために「デッチあげられた情報」という
証拠をつかみジャンヌ逮捕・処刑という情報でフランス軍に対抗したと考えられます。
ジャンヌはハナからいないので、捕まえることも殺すことも簡単なのです。問題はどれだけ多くの人々がこの「ウソ」を
信じるかにかかっていますが、ほとんどのフランス兵はすぐに信じたようです。
こうなると、フランス側もどうすることも出来ません。例え「ウソ」であれ、多数が信じればそれが「真実」となります。
ジャンヌ処刑の情報が一旦流れればフランス兵たちの士気はガタ落ちし、反対に「神に守られた聖少女」を恐れていた
イギリス兵は意気揚々とし、イギリス軍が優勢になると英国騎士団と英国軍司令官たちは踏んだのです。

ジャンヌ・ダルクという情報戦で勝ったのはイギリス軍だったわけです。一枚上手だったんです。

※第一次十字軍のあとにテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団などの騎士団が次々に誕生しましたが、騎士団は諜報機関の祖です。
百年戦争当時、聖ラザロ騎士団が存在し、イギリス支部とフランス支部に分かれましたし、
あとイギリスにはガーター騎士団、フランスには金羊毛騎士団がありました。
彼らが百年戦争を操作し、ジャンヌ・ダルクを創ったり、少年連続猟奇殺人の犯人に仕立ててジル・ド・レを怒らせて
キリスト教会に殴りこませ、異端者として逮捕、過酷な拷問により自白を強要させ、処刑したと考えられます。

★「ジャンヌ・ダルク」の話には、その後の欧州の情報戦略のエッセンスがつまっています。