媒体としての人類史




もともと宗教は、王の意志を宿すための媒体として人類に意志・主張・感受性を放棄させるツールとして発明されました。
そして、その中でも特にその要素が強いキリスト教を強烈かつ純粋な媒体作りのツールとして究極に発展させたのが中世の覇者ヴァイキングでした。
彼らはキリスト教を用いることで奴隷の反逆を廃止することを覚えました。自覚のない奴隷は反逆しないことを知るのです。
つまり、彼らは奴隷を奴隷と呼ばずに「キリストの兵士」「神のしもべ」と呼んだのです。
コレで奴隷の反逆が完全に廃止されました。

信者は媒体ですので意志が存在しません。なので、悪を行っても悪意は無いのです。
信者(媒体)が誰かを惨殺してもそれはあくまで媒体を操る者の悪意なのです。
つまり、彼ら(媒体)を改心させることは不可能なのです。
コレこそが、ヴァイキングと組んだキリスト教が生んだ人類史上の災厄です。
この世の王は、媒体に自分の意志を宿すことで透明になれます。
しかし、透明人間になれば良いことをしよう、世の役に立つことをしようと言う人はいません。
のび太君を見てくださいw

ぼくらは透明人間の帝国で民主主義という夢を演じさせられています。
集団ストーカーのことを解決したいならば民主主義を信じないことです。
キリスト教を下敷きにした民主主義は単なる絵空事なのです。
彼らと戦う時、何がベストかと言えば、まず、透明人間を可視化することです。
透明人間に力があるのは見えないからです。
つまり、透明人間は見えるようになると無力化します。
しかし、どうしたら見えないモノが見えるようになると思いますか?
彼らが禁止しているものにヒントがあります。