【国分寺】
昭和26年の発掘調査により、七重の塔をはじめとする奈良東大寺様式の配置が確認され、翌年、国の特別史跡となりました。
金堂を中心に、北側に講堂、南側に中門が配置され、金堂と中門は回廊で結ばれていました。伽藍の範囲は東西約180m、南北約250mにも及び、築地壁によって囲まれていました。壮大な国分寺の伽藍も、中世にはほとんど消滅してしまいました。
その後、国分寺跡の一角に堂が建てられ、国分寺の名を受け継いだ小寺が興されました。寛政2年(1790年)の絵図には仮本堂や閻魔堂などが記載されています。
現在は、春には梅や桜が美しい史跡公園となっていますが、塔の礎石が残っており、当時をしのばせています。
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