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    立教169年(平成18年)12月25日発行 第230号
    11月18日大教会月次祭祭典講話

11月18日大教会月次祭祭典講話
大教会長様(要旨)

 10月26日は、本教における立教の元一日であり、これを祈念して秋季大祭が盛大に行われたが、真柱様は祭典講話において、
「確かな目標がないとなると、人間は我が欲望に走ったり安逸に流れがちなものである。その結果、自分でした事によって、自分が苦しむ事になるのである。真の目標を知り、天の理をわきまえ、心の定規を得てこそ、心の自由の意義が発揮されるのだと思う。それを教えて下されたのが教祖である。」とお話下された。
 目標とは、大きな目標として、いわゆる陽気ぐらしである。しかし、これはなかなか容易ではない。そこで、これを心に置きながら、神様から見れば小さな目標ではあるが、それぞれの人間にとって窮めたい高い目標を定める必要がある。
 次に、信仰して行く上で大切なものは、信仰の核を掴むという事である。形では一生懸命やっていても、何か心から喜べるものがないのは、身上、事情から入信した初代と、代々受け継いだ信仰とは違うのである。先人は無い命を助けられた報恩感謝の気持ちから、並々ならぬ苦労の道から御守護を頂いてきたわけであり、それをとても真似できないというものである。しかし、二代真柱様のご苦労によって発刊された稿本天理教教祖伝によって、これまでの先人の苦労話ではなく、本当の教祖の50年のひながたを学び通らせて頂けるようになり、ある月次祭の祭典中に教祖のお姿を拝させて戴くことができ、この時信仰の核ができたのである。みかぐらうたに「いつまでしんじんしたとても よふきづくめであるほどに」とあるように、生かされている喜びに感謝することである。
 もう一つの核は、おつとめである。おふでさきに、「みなそろてはやくつとめをするならば そばがいさめば神もいさむる」と仰せられる。信仰とは、口先ばかりではなく、一人ひとりがおつとめを通して初めて神様のお心がわかるのである。
 また「あしきはらい」の「おさづけ」も実行させて頂かなければならない。おふでさきに「わかるようむねのうちよりしあんせよ 人たすけたらわがみたすかる」と仰せになられているのである。但し、おさづけを取り次ぐにしても、日々の心使いが大事である。
 このおさづけの理を頂戴した時に戴く「おかきさげ」には、心という事について、「日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中にただ一つ自由という一つの理。自由という理はどこにあるとは思うなよ。ただめんめん精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つという。」と仰せられているのである。
 このような心で、みかぐらうたに、「なにかよろづのたすけあい むねのうちよりしあんせよ」とあるように、互い立て合い助け合う陽気ぐらしの世界を実現して行かなければならない。