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戦国時代あれこれ
家臣団
数寄者・傾奇者
石高
戦国時代と茶道
戦国時代の馬
●家臣団(かしんだん)
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信など、天下に名を轟かした戦国大名には有能な家臣が多く従っていた。その中でも特に活躍した家臣たちは、のちに三傑、四天王などと呼ばれるようになる。ここでは、そのいくつかを紹介。
赤海雨三将・・・近江浅井家で活躍した3人。
赤尾清綱 海北綱親 雨森弥兵衛(清貞)
蘆名四天・・・会津蘆名家で権勢を誇った四家(紹介する武将はその家を代表する当主)。
佐瀬種常 富田氏実 平田舜範 松本氏輔
上杉四天王・・・上杉謙信のもとで活躍した4人。
直江景綱 宇佐美定満 甘粕景持 柿崎景家
大坂城五人衆・・・大阪の陣で豊臣秀頼の呼びかけに応じた浪人家臣。
真田幸村 後藤又兵衛 毛利勝永 明石全登 長宗我部盛親
織田家の双璧・・・織田信長の筆頭家老と次席家老。
柴田勝家 丹羽長秀
織田四天王・・・織田信長のもとで活躍した4人。
柴田勝家 丹羽長秀 滝川一益 明智光秀
織田五大将・・・織田四天王に羽柴秀吉が加わったもの。
柴田勝家 丹羽長秀 滝川一益 明智光秀 羽柴秀吉(豊臣秀吉)
黒田八虎・・・黒田(官兵衛)孝高のもとで活躍した8人。
黒田利高 黒田利則 黒田直之 栗山善助 井上九郎右衛門
母里太兵衛 後藤又兵衛 黒田一成
武田四名臣・・・武田信玄のもとで活躍した4人。
馬場信春 山県昌景 高坂昌信 内藤昌豊
甲陽五名臣・・・武田信虎、信玄の時代にかけて武田家を支えた5人。
原虎胤 小幡虎盛 横田高松 多田満頼 山本(勘助)晴幸
三弾正・・・武田信玄に仕えた弾正忠を名乗った3人。
逃げ弾正・高坂昌信 槍弾正・保科正俊 攻め弾正・真田幸隆
賤ヶ岳七本槍・・・賤ヶ岳の戦いで活躍した豊臣秀吉子飼いの家臣。
福島正則 加藤清正 加藤嘉明 片桐且元 平野長泰 脇坂安治 糟屋武則
立花双璧・・・立花宗茂を支えた2人。
由布惟信 小野鎮幸
伊達三傑・・・伊達政宗のもとで活躍した3人。
伊達成実 片倉景綱 鬼庭(茂庭)綱元
徳川三傑・・・徳川幕府の創設に貢献した3人。
本多忠勝 榊原康政 井伊直政
徳川四天王・・・徳川家康のもとで活躍した4人。
酒井忠次 本多忠勝 榊原康政 井伊直政
秀吉の二兵衛・・・羽柴(豊臣)秀吉に仕えた二人の軍師。
竹中半兵衛(重治) 黒田官兵衛(孝高)
(武断派)七将・・・豊臣恩顧の武断派7人。
福島正則 加藤清正 加藤嘉明 黒田長政 細川忠興 池田輝政 浅野幸長
北条五色備・・・色別に分けられた後北条家の備(部隊)を率いた武将。
黄備・・・北条綱成 赤備・・・北条綱高 白備・・・笠原康勝 青備・・・富永直勝 黒備・・・多目元忠
美濃三人衆・・・美濃斎藤家に仕えた3人の有力家臣。
稲葉良通 氏家直元 安藤守就
毛利の両川・・・毛利輝元を支えた2人の叔父。
吉川元春 小早川隆景
毛利四人衆・・・毛利元就の死後、若き輝元を支えた4人の宿老。
吉川元春 小早川隆景 口羽通良 福原貞俊
龍造寺四天王・・・龍造寺隆信のもとで活躍した4人。
成松信勝 百武賢兼 江里口信常 円城寺信胤または木下昌直
●数寄者・傾奇者(すきしゃ・かぶきもの)
数寄者は、「好き者」の当て字で、戦国時代においては、本業とは別に茶の湯に没頭し、名物茶器を収集していた者をさす。「茶室」のことを「数寄屋」とも呼んでいた。戦国武将では、細川忠興、古田織部が有名。
傾奇者は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。数寄者より数寄に傾いた者をさす。派手な出で立ち、言動、行動を好み、信義を重んじた。戦国武将では前田慶次が有名。風流人で武勇にも優れた慶次のように羨望の的となる者がいる一方で、乱暴、狼藉を働く者もおり、あまり好まれていない者も多くいた。類似の呼び方に「婆娑羅(ばさら)」や伊達政宗に語源を発する「伊達者」がある。
女性芸能者で知られる出雲阿国は、傾奇者の風俗から「かぶき踊り」を創始し、これが後に歌舞伎に発展していったといわれる。
●石高(こくだか)
豊臣秀吉によって行われた太閤検地以降に定められた土地の評価単位。大人一人が1年間で食する米を1石とした。大名や武士の所領の価値を表す単位に用いられ、徳川家康が江戸に幕府を開いたのちも採用された。大名は幕府の命令に応じて1万石あたり2百人程度の軍役を課せられていた。石高制以前は貫高制が用いられていた。
関ヶ原の戦い後の有力大名石高
大名 | 石高(万石) | 所領 |
徳川家康 | 400 | 武蔵・江戸 |
前田利長 | 120 | 加賀・金沢 |
豊臣秀頼 | 65 | 摂津・大坂 |
伊達政宗 | 62 | 陸奥・岩出山 |
最上義光 | 57 | 出羽・山形 |
島津忠恒 | 61 | 薩摩・鹿児島 |
加藤清正 | 52 | 肥後・熊本 |
黒田長政 | 52 | 筑前・名島 |
池田輝政 | 52 | 播磨・姫路 |
小早川秀秋 | 52 | 備前・岡山 |
福島正則 | 50 | 安芸・広島 |
浅野幸長 | 50 | 紀伊・和歌山 |
細川忠興 | 37 | 豊前・小倉 |
毛利輝元 | 37 | 長門・萩 |
鍋島直茂 | 36 | 備前・佐賀 |
田中吉政 | 32 | 筑後・柳川 |
上杉景勝 | 30 | 出羽・米沢 |
堀尾忠氏 | 24 | 出雲・松江 |
加藤嘉明 | 20 | 伊代・松山 |
藤堂高虎 | 20 | 伊代・今治 |
佐竹義宣 | 20 | 出羽・秋田 |
山内一豊 | 20 | 土佐・浦戸 |
●戦国時代と茶道
戦国時代、武将たちにとっての褒美は土地であった。しかし、褒美を与え続けるためには領土を拡大し続けなければならず限界がある。そこで織田信長は茶道と茶道具に目をつけた。茶道は教養と社交性を磨く場として武将たちに人気があり、名物と呼ばれる茶道具は国一つに値するといわれるものまであった。信長は名物を集めることで、その価値をさらに高め、茶会を開くのも許可制とし、それらを褒美として利用した。その思惑がうまくいっていたことは、甲州征伐で軍監として活躍した滝川一益が、その褒美として名物茶入「珠光小茄子」を所望した際、上野国一国と信濃国の一部という広大な領地を拝領したにもかかわらず、茶入はもらえず落胆したという逸話でもわかる。
豊臣秀吉によって天下統一がほぼ成されると、秀吉の茶の湯好きと、それに伴う千利休の台頭もあって、さらに人気に拍車がかかり、蒲生氏郷、細川三斎、古田織部など、武将でありながら茶人としても天下に名を轟かす者も出てきた。彼らの師匠である利休は、のちに秀吉の権勢にせまる勢いを見せたため、切腹させられたともいわれる。秀吉の死後も茶道は、武将の間でしばらく流行ったが、鷹狩が趣味だった徳川家康は、天下人として一定の作法は身につけたものの、興味をあまり示さなかった。そのためか茶道は大名たちの礼儀作法として定着するが、次第にその人気は落ち着いていった。
●戦国時代の馬
戦国時代の馬と言えば、武田の騎馬軍団に代表される戦の花形。ドラマなどではサラブレッドが使用されているが、戦国時代にサラブレッドはいなかったため、木曽馬などに代表される在来和種が使われていた。体高(肩までの高さ)は、サラブレッドが160㎝~170㎝に対して約130㎝と低く、体つきもずんぐりとしておりポニーに分類される。
走るスピードは、約40キロとサラブレッドに比べて20キロぐらい遅いが、体が丈夫で怪我が少なく、消化器官の発達により粗食でも育つ。また、蹄が固いため蹄鉄も必要としなかった。最近では、宣教師・ルイス・フロイスの残した文献などから、馬は単なる移動や物資の運搬に使用されただけで、武将(兵士)は戦闘が始まると、下馬して戦っていたという説が有力になってきている(馬上槍は相当難しい)。
それでも、1581年に織田信長が京都で馬揃えを行った際、所有の名馬を披露した話も伝わっており、実戦に使われたかどうかはともかく、武将たちにとって名馬を所有することは一種のステータスであったことは確かだといえる。
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木曽馬 | サラブレッド |
戦国時代の名馬
鬼鹿毛 おにかげ・・・武田信虎の愛馬。信虎の子・信玄が所望したが断られ、親子仲が険悪になったといわれる。
大鹿毛 おおかげ・・・武田勝頼の愛馬。のちに織田信忠が所有した。明智秀満を乗せて琵琶湖を渡ったという馬も同名。
小雲雀 こひばり・・・織田信長の愛馬。のちに蒲生氏郷が拝領した。
白石鹿毛 しろいしかげ・・・奥州一の名馬といわれ、伊達輝宗が織田信長に献上した。
鏡栗毛 かがみくりげ・・・山内一豊の愛馬。一豊の妻・千代の機転で手に入れた馬で、信長にも絶賛された。
帝釈栗毛 たいしゃくくりげ・・・加藤清正の愛馬。体高が六尺三寸(約2m)と伝わる名馬。
内記黒 ないきぐろ・・・長宗我部元親が、豊臣秀吉から拝領した名馬。戸次川の戦いで乗っていたといわれる。
奥州驪 おうしゅうぐろ・・・中国大返しで、羽柴秀吉が最初に乗っていた名馬。
百段 ひゃくだん・・・森長可の愛馬。金山城の100段の石段を登るほどの名馬と伝わる。
放生月毛 ほうしょうつきげ・・・上杉謙信の愛馬。第4回・川中島の戦いで、武田信玄との一騎打ちの際に乗っていたという馬。
白石 しろいし・・・徳川家康の愛馬。名前に反して、黒毛だったという。
太平楽 たいへいらく・・・豊臣秀頼の愛馬。天下一の名馬といわれたが、大坂の陣で乗られることはなかった。
真田栗毛 さなだくりげ・・・真田幸村が大坂の陣で乗っていたいう名馬。幸村討死後は松平忠直が所有した。
松風 まつかぜ・・・前田(慶次)利益の愛馬。前田家を出奔した際に奪ったと伝わる。
三国黒 みくにぐろ・・・本多忠勝の愛馬。関ヶ原の戦いで亡くなった。
膝突栗毛 ひざつきくりげ・・・島津義弘の愛馬。木崎原の戦いで、膝を折り曲げて義弘の危機を救ったといわれる名馬。