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    立教184年(令和3年)5月18日発行 第317号
    4月13日神殿講話(要旨)

4月13日神殿講話(要旨)

 コロナ禍において、大勢の人が集まって行事などができない中、この1年の通った道を振り返り、これからの通り方を思案させて頂きます。
 真柱様は、2年前に脳内出血により、おつとめが勤められなくなり、さらには、おさづけの取り次ぎも、ほとんどできない状態が続いておられました。
 そのような中、追い討ちをかけるように、世界中に新型コロナウイルスの感染拡大が起こり、世界中の人が不自由な生活となってしまいました。
 教祖の時代は、ほとんどの人が大変貧しい生活をしており、食べるに食べられない日々を過ごしており、さらには、おつとめをする事さえ許させませんでした。
 教祖が現身を隠されてから後も、激動の世の中となり、戦争が繰り返され、第二次世界大戦が終わるまで、本教は大変な不自由を強いられました。
 戦後は民主主義となり、自由に信仰できる時代となったわけですが、真柱様は、親神様が少しだけ昔の不自由な時代を体験させて下さっているのではないかと悟られ、先人先輩方が、不自由な中でもお道の教えを実践してこられたように、コロナや地球温暖化の問題はあっても、今できる事をさせて頂きたいとお考えになりました。
 その時気持ちの変化が起こり、ご自身ができることは、一人でも多くの方に、おさづけの取り次ぎをさせて頂くことと考え、リハビリを一生懸命しておられるとの事です。
 今では、薄紙を剥ぐごとく、少しずつご回復され、おさづけの取り次ぎが増えてきております。
 また、コロナの終息と、コロナで苦しんでいる人のご回復を、全教会が一手一つの心で、月1回日を定めて、年末までお願いづとめをして頂きたい、とお言葉がありました。
 そこで、静岡大教会としても、それぞれの教会や、皆さんが今できる事を思案すると、来年の6月18日に創立130周年記念祭を勤めさせて頂く上から、この旬に、静岡の道を振り返り先人先輩方の通り方を思い起こし、親神様にお喜び頂ける成人をさせて頂きたいと思います。
 私のご先祖は、上級、山名、名京を築いた元始まりの家庭に生まれ、諸井家、木村家、松浦家は親戚関係にあり、静岡では、最も古い信仰であります。
 山名は、初代会長の諸井国三郎先生、副会長の木村林蔵先生は昵懇の間柄であり、林蔵先生の実弟である清麿先生は、国三郎先生の養子となり、山名二代会長となられました。
 私の高祖父である林蔵先生は、奥様が松浦家から嫁入りしており、松浦家も入信していた上から、松浦幸蔵先生は、幼少の頃から叔父叔母夫妻に身を寄せていたため、林蔵先生の長女とみ様と夫婦となりました。
 また、林蔵先生は、教祖から直接お手振りを教えていただき、みかぐらうた本を書き上げました。それは、教祖から直接ご教示されたみかぐらうた本の中で、唯一お手振りが書かれた物であり、現在本部に保存されています。
 教祖は、諸井国三郎先生に、「諸井さん、東の方は、あんたにまかすで」と仰せになっため、国三郎先生は、東国布教に全力を尽くし、中でも静岡の県庁所在地に山名直轄教会を設立したいという思いがありました。この思いから、明治25年6月8日には、静岡に影山清七初代会長としてお許しをいただき、実子がなかったため、幸蔵先生が養子となり静岡の道を築きました。
 国三郎先生は本部員となり、おちばで勤める中、幸蔵先生も青年として一緒に過ごしておりましたが、初代真柱様より、布教師養成のための学校を設立したいとお言葉があり、幸蔵先生は、初代真柱様と、教祖高弟子弟達と共に校舎設営ひのきしんをし、完成後、三年制の天理教校本科とし、初代真柱様が校長となり、幸蔵先生も入学し、卒業後、教師として勤めました。
 幸蔵先生は、初代真柱様と過ごした日々により、教祖のお言葉を聞かせ頂き、出直すまで、初代真柱様に親心をお掛け頂き、数々の直筆の書などを頂戴し、子供達には、幸雄、清寿、茂、正幸と、命名もして頂きました。
 幸蔵先生が静岡の会長となってから、おちばで初代真柱様や教祖高弟から直接お仕込み頂いていた間違いない真実の教えは、静岡布教に大きな影響を与え、庵原初代を始め、部内初代は、普通では聞けないお話に感銘し、とても喜び勇み、布教に邁進したとのことであります。  当時は、内務省訓令が発令されたり、時代が軍国主義となって、布教する事が大変厳しい世の中でありましたが、幸蔵先生の親である林蔵先生が、教祖から直接お手振りを教わり、みかぐらうた本を執筆されたことは、幸蔵先生にとっても誇りであり、そのお手振りは、限りなく教祖そのままである事から、おつとめによって、多くの方が御守護頂き、おたすけにおいて、おさづけの効能も鮮やかにお見せ下さり、道は伸び栄え、後に、二代真柱様のお声から直接の理の親とする大教会に昇級したのであります。
 尚、私が青年時代に、当時山名会長である諸井慶一郎先生のお声から、天理教校本科に入学し、真柱様にもお声を掛けて頂き、布教の家や、本部の御用をさせて頂いたことを思案する時、我が身のいんねんを感じます。
 このように、教祖の声に応えるべく、親一条に先人先輩方が通られ、今があることを思案する時、静岡大教会としてコロナ禍でやるべきことは、おつとめとおたすけであると悟れます。  おつとめは、教祖の現身をお隠しになられた明治二十年一月二十六日には、官憲の取締りから人が集まれず、おつとめの人数は足りなかったわけでありますが、教祖は、真実の心を受け取り、お喜びになられたのです。
 今、コロナで人が集まるのが難しくても、おつとめは、場所や人数に関わらず、真実の心で、日々つとめることが大事であります。
 また、私自身のことですが、不自由なコロナ禍においてのおたすけでも、変わらず身上事情の御守護を頂戴し、鮮やかなおさづけの効能もお見せ戴いております。楽々な中でなく、不自由な中でこそ、尊い真実と受け取って頂けるのです。
 どうか、コロナ禍ではありますが、よふぼくとしての使命を忘れず、心勇んで通らせて頂きましょう。

静岡大教会長 松浦一郎