ぎょっこうしゃ
玉匣社

(久保町)

らんりゅうかく
鑾留閣

(西町)

ひがしぐみ
東組

(東町)


とうりゅうしゃ
騰竜社

(七軒町)

 
めいかくけん
鳴鶴軒

(中町)


しぐみ
志組

(西新町)



しんせいしゃ
心誠社

(坂上町)
  

せっけいしゃ
石溪社

(石原町)


せいゆうしゃ
盛友社

(田町)


しんえいしゃ

新栄社

(栄町)



<200KB>

現役で活躍している中泉型二輪山車は東組(東町)龍社(七軒町)鳴鶴軒(中町)の3台である。
しかし、明治時代には
台の二輪山車が曳き廻されていた。
当時は9
町の祭組織で、全て二輪であった。
後に新道(栄町)が西町より分離し、田町(盛友社)の二輪山車を譲り受け、新栄社を結成し、大正4年に10ケ町組織となった。
 

玉匣社旧二輪山車<大正10年撮影>
 大正10年・玉匣社 

さて、現役三台以外の六台の山車はどうなったか?

盛友社(田町)・大正2年新栄社(栄町)へ旧二輪山車を譲渡、その年、中泉で初めての四輪山車新造。旧山車は昭和20年戦災で焼失。」

鑾留閣(西町)・大正8年豊田町池田へ売却され、その後、売却された先は不明である。大正9年四輪山車を掛塚町より購入(新造)」

志組(西新町)・大正10年に旧池田村中町へ売却、その後二輪山車を改造し、昭和34年老朽化のため解体処分されたが車輪は今も残されている。大正10年四輪山車を掛塚町より購入(新造)」

石溪社(石原町)・昭和9年旧池田村田中へ売却、同38年火災で一部損傷、修復し昭和68年大藤二区(貳組)へ売却、今も活躍中。昭和九年・掛塚町にて四輪山車新造」。

心誠社(坂之上町)・明治35年建造、昭和11年に豊田町池田に売却し、その後に菊川町四丁目へ売却され、今も活躍中。昭和12年・掛塚町にて四輪山車新造」

玉匣社(久保町)・旧二輪山車・平成9年老朽化のため、同町山車蔵に保存されている。平成10年四輪山車新造」。

 以上、明治、大正、昭和と活躍していた旧山車6台のゆくえを追ってみた。

 希望が叶うならば現存する旧山車を府八幡宮境内に集めて展示をしてみたいものだ。

心誠社旧二輪山車<昭和10年撮影>
昭和10年・心誠社


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