再審請求書(要旨)
提出日:平成20年4月25日
提出先:静岡地方裁判所
請求人:袴田ひで子(袴田巖の姉)
弁護人:西嶋勝彦外21名
第1 請求の趣旨
袴田巖に対する住居侵入・強盗殺人・放火被告事件に関し,有罪を言渡した静岡地方裁判所の判決(昭
和43年9月11日言渡・同55年11月19日上告棄却により確定)について,再審の開始を求める。
第2 請求の理由1(再審請求の理由)
1 本件の概要
(1) 事件の発生
昭和41年6月30日の深夜,旧清水市(現静岡市清水区)内の味噌製造会社専務宅で火災が発生し,
それが鎮火した後,一家4人が焼死体で発見された。また,その遺体には多数の切創が存在し,また,専務宅から金品が無くなったとされた事案であり,殺人・
放火事件としての捜査が開始された。
(2) 袴田巖の逮捕と自白調書の作成
同年7月4日以降,捜査機関は,味噌製造会社の従業員であり,専務宅の裏手の工場2階の寮に住んで
いた袴田巖が犯人であるとの見込で捜査を進め,同年8月18日に袴田巖を逮捕した。
袴田巖は無実を訴えていたが,捜査機関はこれを聞き入れずにきわめて過酷な取調を行い,逮捕から
20日目の9月6日に至って自白調書に署名・指印させ,その後合計45通の自白調書が作成された。なお,これらの自白調書では「犯行着衣はパジャマであ
る」と記述されていた。
(3) 第1審(静岡地方裁判所)の経過
① 昭和41年9月9日 : 起訴(犯行着衣はパジャマとされていた)
② 昭和42年8月31日: 「5点の衣類」発見
味噌工場の味噌タンクの底部から,麻袋に入れられた「5点の衣類」(ズボン,ステテコ,ブリーフ,
スポーツシャツ,半袖シャツ)が発見された。
その後,検察官は,犯行着衣は「5点の衣類」であると冒頭陳
述を変更した。
これは同時に,捜査機関が,違法な取調により「犯行着衣はパジャマ」との自白を袴田巖に強制したこ
とを明らかにするものであった。
③ 昭和43年9月11日: 死刑判決
袴田巖が,「5点の衣類」を着用して被害者方に侵入し,一家4名を殺害した上で金品を奪取し,その
後,寮に戻ってパジャマに着替え,再び被害者方に侵入して放火をしたとの認定であった。
(4) その後の経過
① 昭和51年5月18日 : 控訴棄却(東京高等裁判所)
② 昭和55年11月19日 : 上告棄却(最高裁判所)により死刑確定
③ 昭和56年4月20日 : 第1次再審請求(静岡地方裁判所)
④ 平成6年8月9日 : 請求棄却(同上)
⑤ 平成16年8月26日 : 即時抗告棄却(東京高等裁判所)
⑥ 平成20年3月24日 : 特別抗告棄却(最高裁判所)
2 確定判決の証拠構造
(1)
平成20年3月24日最高裁決定が述べた本件の証拠構造
袴田巖の犯人性は,自白を除いても,次のア~ウの証拠により優に認定可能である。
ア 「5点の衣類」は犯行着衣である。
多量の人血が付着していた等。
イ 「5点の衣類」は袴田巖のものである。
ズボンは,袴田巖の実家から押収された共布と一致し,袴田巖のものと断定可能であり,また,緑色ブ
リーフは袴田巖が類似のものを着用していた等。
なお,控訴審で,袴田巖がズボンを着用できなかった事実があるが,ズボンに縫いつけられた布片の
「寸法4」「型B」という記述等から味噌漬け前のウエストサイズは約80cmと認定され,袴田巖がはくことのできるサイズである。
ウ その他
袴田巖の肩や足に5点の衣類の損傷箇所と一致する傷があったことや,袴田巖にアリバイがないこと等
(2) 「5点の衣類」のねつ造の可能性について
ア 第1次再審請求での「5点の衣類」に関する新証拠
① 澤渡第1鑑定
→ 半袖シャツの右肩の損傷・血痕,スポーツシャツの右肩の損
傷,袴田巖の右肩の傷は整合しない。
② 澤渡第2鑑定
→ ズボンとステテコに付着した血痕は,通常の着用状態におい
て付着したものではなく,また,ステテコに付着した血液量は20cc以下と推定される。
③ 間壁鑑定
→ ズボンの本来のウエストサイズは,72.34~73.4㎝
である。
= これらは「5点の衣類」が犯行着衣であること,または,袴
田巖のものであることについて,客観的かつ合理的な疑問を提起するもの。
= 弁護団は,「5点の衣類」には,捜査機関等の第三者による
作為が加えられた「ねつ造」の可能性があると主張
イ 最高裁決定における評価
上記の各鑑定の内容に対し,個別の評価・言及は全くない。
他方で,以下の理由を以て,「ねつ造」の可能性に関する弁護人の主張は合理的でないと評価
① 「5点の衣類」は,その発見時の状態等に照らし長時間みそ
の中につけこまれたものであることが明らか。
② 事件直後の7月4日にみそタンクの捜索が実施されている
が,みそが残っていたから捜索時に発見されなかったとしても矛盾はないし,その後みそが仕込まれる7月20日までに隠匿することも可能。
ウ 最高裁決定の上記評価の問題
最高裁決定でも「5点の衣類」が最重要の証拠であると評価さ
れている。
他方で,「5点の衣類」には,上記の各鑑定が指摘する客観的な矛盾・疑問が現に存在する。
ところが,最高裁決定は,これらの矛盾・疑問を実質的に無視した。
この思考過程は,まずもって「ねつ造の可能性はない」=「犯行着衣である」という結論を先取りして
しまい,その結果,5点の衣類そのものが抱える矛盾・疑問は無視してよい,というに等しいもの(つまり,「よく分からないが,何かの事情でそうなったのだ
ろう」という思考停止)。
しかしながら,本件では,現に袴田巖に対して違法・不当な取調が実施され,第1審判決さえも「付
言」として捜査手法の批判に言及するなど,捜査機関の捜査手法が不適切であったことは明らか。
中心証拠である「5点の衣類」に存在する矛盾・疑問については,徹底的に検証されなければならな
い。
3 新証拠① - 澤渡第3鑑定
(1) 問題の所在
確定審および第1次再審請求審を通じ,ズボンの本来のウエストサイズが主要な争点とされていた。
① 確定控訴審で3回にわたり「5点の衣類」の装着実験が行わ
れ,袴田巖は3回ともズボンをはくことができなかった。
② 確定審で2度にわたり本来のウエストサイズに関する鑑定が
行われたが(鑑定人は同一。砺波鑑定),その結果自体も異なるものであった。
「72.34~73.4㎝」 ←→ 「74.5~76
㎝」
③ 第1次再審請求での間壁鑑定は,上記の内
「72.34~73.4㎝」というより小さい数値が正しいことを明らかにした。
④ 裁判所は,なぜかこれらの客観的鑑定を無視して,ズボンに
縫いつけられていた布片の記載(「寸法4」「型B」)と関係者の記憶という主観的な証拠のみに依拠して,本来のウエストサイズは約80㎝と認定した。
(2) 澤渡第3鑑定の内容
① 本件ズボンの布地の糸目を計測し,共布(味噌漬けにされて
いない)の糸密度・織密度と対比する方法により,本件ズボンの「わたり」(大腿最大囲の周径)と「大腿中央部」(わたりから20㎝下)の本来のサイズを推
定した。
→ 「わたり」の本来のサイズ 56.4~58.0㎝
→ 「大腿中央部」の本来のサイズ 43.7~44.9㎝
② 上記の結果を,次の二つの資料と対照した。
Ⅰ 袴田巖が事件発生当時に日常的に着用していたことに争いのないズボン
→ 「わたり」のサイズ 64㎝
→ 「大腿中央部」のサイズ 49.4㎝
Ⅱ 一般的な採寸方法に基づいて推定される袴田巖に適合するズ
ボンのサイズ
→ 「わたり」のサイズ 63.32㎝
③ 以上により,「5点の衣類」に含まれる本件ズボンの本来の
サイズは,その「わたり」や「大腿中央部」において,袴田巖が当時日常的に着用していたズボンと比較しても,一般的な採寸方法に基づく適合サイズのズボン
と比較しても,小さすぎるものであることが明らかにされた。
(3) 澤渡第3鑑定の意義
① 鑑定手法の正確性・客観性
サイズの推定は,砺波鑑定・間壁鑑定の双方で採用された正確
な手法。
第三者による検証も可能な客観的な手法。
② 対照資料の客観性
サイズの比較対照は,袴田巖が当時日常的に着用していたズボンのみならず,一般的な採寸方法に基づ
く標準サイズも含めており,客観性がある。
③ 新たな視点の提供
ウエストサイズについて,裁判所は何故か鑑定を無視し,「寸法4」「型B」との表示に依拠し続けた
が,ウエストサイズとは別の部位について客観的なサイズを明らかにしたことにより,上記の寸法表示(あくまで主観的なもの)に縛られない客観的な事実認定
を可能とする。
(4) 澤渡第3鑑定が明らかにした具体的事実
① 本件ズボンは,袴田巖のものではない。
② 「5点の衣類」(同一の麻袋に入れられていた)は,袴田巖
のものではない。
→ 袴田巖の無実を明らかにする新証拠である。
4 新証拠② - 味噌漬け実験報告書
(1) 「5点の衣類」の発見時の状態に対する裁判所の評価
既述のとおり,裁判所は,「5点の衣類は1年余りも味噌につかっていたものであることが明らかであ
るから,事件発生から仕込までのわずかな期間に,捜査機関等が作為を施す余地はない」とまず結論し,5点の衣類に存在する矛盾・疑問を実質的に無視してい
る。
その端的な例が,東京高裁の即時抗告棄却決定での「衣類が味噌タンクに1年余りも漬かっていたよう
な状態が一朝一夕にできるとも思われない」という説示である。
(2) 味噌漬け実験報告書の内容
ア 平成20年4月13日に支援団体「袴田厳さんを救援する清
水・静岡市民の会」が実施し弁護人2名が立ち合った
イ 概要
人血を付着させた衣類を麻袋に入れ,味噌と「たまり」(味噌製造過程に発生する浸出液)の混合液に
浸すと,ごく短時間で「5点の衣類」と同様の外観・状態を持つ衣類が,きわめて容易に作成できることを明らかにした。
ウ 第1実験
① 白色のメリヤス生地(約30㎝四方)に人血を付着させ,5
日間乾燥させた上で,味噌とたまりの混合液,または,たまりのみに浸した後に取り出して,その状態を比較する。
次の5種類の実験を行った。
Ⅰ 赤味噌600g+濃いたまり600mlに浸す(麻袋なし)。
Ⅱ 赤味噌600g+濃いたまり600mlに浸す(麻袋あり)。
Ⅲ メーカー味噌600g+濃いたまり600mlに浸す(麻袋あり)。
Ⅳ 赤味噌600g+薄いたまり600mlに浸す(麻袋あり)。
Ⅴ 薄いたまり600mlに浸す(麻袋あり)。
② 結果
いずれの場合にもごく短時間(1分程度)で生地を味噌漬けの状態にすることが可能であり,また,着
色の程度(色の濃さ)も,味噌やたまりの配合を変えることで様々に変化させられることが明らかになった。
エ 第2実験
① 「5点の衣類」とほぼ同サイズ・同種素材・同色の衣類5点
と麻袋を用意し,その内のステテコと半袖シャツに人血を付着させ,5日間乾燥させた上で,麻袋に入れた状態にして,味噌とたまりの混合液に浸した後に取り
出し,その状態を確認する。
混合液:赤味噌2400g+薄いたまり1200ml+濃いたまり2400ml
漬け込み時間:20分間(タライに入れて足で踏む)
② 結果
出来上がった衣類は,発見後間もない「5点の衣類」の外観(鑑定写真)と比べ,着色ムラやシワの状
態など,ほぼ同じ状態となった。
オ 参考実験
① 平成19年10月6日に,「5点の衣類」とほぼ同サイズ・
同種素材・同色のステテコに人血を付着させ,麻袋に入れた状態にしたものを,赤味噌(たまりを混ぜない状態)にそのまま漬け込んでいた。
約7か月を経過した平成20年4月12日にこれを取り出し,状態を確認した。
② 結果
約7か月間の長期にわたって味噌に漬けた衣類は,殆ど赤味噌と同色にまで一様に着色が進んでおり,
本件の「5点の衣類」の外観・状態とは著しく異なるものであった。
(3) 味噌漬け実験報告書の意義
カ 5点の衣類の発見時の外観や状態は,本実験のようにわずか
20分間余りの操作によって作り出すことができる。
キ 5点の衣類の発見時の外観や状態は,長期間にわたって味噌
に漬け込まれたものよりも,むしろ,短時間の操作で作り出されたものの外観・状態に一致するものである。
ク 5点の衣類の発見時の外観や状態に基づいて,それが「1年
以上の期間にわたって味噌漬けになっていたものである」と認定した各裁判所の判断の誤りを明らかにした。
ケ 5点の衣類の発見に近接した時期に作出された可能性を裏付
けるものであり,これまで裁判所が実質的に無視してしまっていた5点の衣類の矛盾・疑問が検証されなければならない。
5 結論
新証拠である澤渡第3鑑定と味噌漬け実験報告書は,袴田巖に対して無罪を言渡すべき明らかな証拠で
あるから,再審が開始されなければならない。
第3 請求の理由2(袴田ひで子が請求
人となる理由)
6 袴田巖は,昭和55年以降,精神に変調を来すようになっ
た。
とりわけ,平成6年(第1次再審請求の静岡地裁棄却決定)以後は,弁護人や親族との面会を長期間に
わたって拒絶することが繰り返され,また,ごくわずかに実現した面会の場面でも意味不明の発言に終始するようになった。
平成18年11月から同19年12月にかけて,面会が実現する時期が継続したが,依然として意味不
明の発言が繰り返されていた。
そして,平成19年12月11日の面会を最後に,再び面会の拒否が続く状態になっている。
7 袴田巖は,これまで一貫して真摯に無実を訴え続けていた者
であるが,その精神の失調により,第1次再審請求が最高裁でも排斥された事実すらも正しく認識・理解しえていない。
そして,自らの無実を証明する唯一の手段である再審請求についても,正常な判断能力に基づいて行う
能力を完全に喪失した状態にある。
よって,袴田巖は,刑事訴訟法第439条1項4号の「心神喪失」の状態にあるから,その姉である袴
田ひで子が,再審の請求を行う。
8 なお,袴田巖については,平成16年2月に,袴田ひで子に
より成年後見開始の申立がなされており,現在,東京家庭裁判所に係属して審理中である。また,この手続の中で,昨年中には袴田巖の精神鑑定が実施されてい
る。
しかしながら,同裁判所は,その鑑定結果の内容について,申立人やその代理人による閲覧を認めよう
とせず,また,申立に対する判断も遷延されている。
以 上