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第2次再審請求の申立と現状


         第2次再審請求の申立と現状
袴田事件弁護団
 
1 2008(平成 20)年3月24日、最高裁は、袴田再審請求事件について、弁護人による特別抗告を棄却した。27年を要した第1次再審請求が終わったのである。
2 しかし、袴田さんは確定死刑囚である。いつ、刑が執行されるかわからない。だから、私たちは、直ちに第2次再審請求を申立なければならなかった。
  ただ、申立に は、2つの問題があった。まず、袴田さんが、弁護人選任届を書いてくれないことである。袴田さんは、拘禁症のため、自分が確定死刑囚であることの自覚すら ないからである。
  二つ目は、再審 申立に必要となる新証拠をどうするか、ということである。

3 第1の問題は、 以前より検討していたことであったが、私たちは、袴田さんが、「心神喪失の状態」なのであるから、刑事訴訟法439条1項4号によって親族による申立が認 められるとの主張を展開した。
  袴田さんは、起 訴されて以降、死刑判決を受けても、再審請求が静岡地裁で棄却されるまでは、一貫して無実を主張してきた。これが、袴田さんの意思であるはずである。とこ ろが、いまでは自らが再審請求人であったことも、再審請求ができる立場であることの認識もないのである。
  そうであれば、 自らの判断と意思でもって新たな再審請求をすることはできない状態なのであるから、再審請求に関しては、「心神喪失の状態」と言ってよいのではないか。こ れが、私たちの理屈であった。
  これを裏付ける ため、精神科医の中島直医師が、袴田さんと面会した上で、きわめて詳細な精神鑑定書を作成していただいた。さらに、刑事訴訟法学者の新屋達之教授には、法 律論を構築していただき、教授の意見書を提出した。
  こうして、私た ちは、親族たる姉ひで子さんによる、再審請求を申し立てることにした。

4 次に、新証拠を どうするのかが問題であった。私たちにとって、最終意見書を提出したばかりであったこともあり、この段階での最高裁の棄却決定は、想定していなかった。だ から、新証拠を用意してはいなかったのである。
  ただ、新証拠を 短期間に用意することに、さほど心配してはいなかった。袴田事件は、45通もの自白調書はあるが、実際には、5点の衣類やその他の膨大な物証によって有罪 とされたものである。そして、袴田さんが無実であるということは、それらの証拠は、突き詰めていけば、すべてが必ず崩れてしまうという確信があったからだ。
  ただ、中心証拠 は、5点の衣類であることは、第一次再審請求において、裁判所自身が認めていた。だから、それを崩すための新証拠がもっとも効果的である。
  そこで、最高裁 の特別抗告棄却決定をみると、「5点の衣類及び麻袋は,その発見時の状懇等に照らし長期間みその中につけ込 まれていたものであることが明らか」と判断しているところがあった。
  ここで「発見時の状態」というのは、麻袋に入って味噌タンクの中から発見された5点の衣類が、味噌によって、茶色に 染まっていたことを言っていることは明らかである。しかし、味噌の色が付いているからといって、直ちに「長期間」つけ込まれていたなどと言えるはずがな い。味噌の中につかっていた麻袋入りの衣類が、茶色に染まるためには、どのくらいの期間が必要であるのか、そんな実験をした人など、誰もいない。だから、 裁判官にも、絶対にわかるわけがない。
  まして、確定判決の認定では、つかっていたのは1年2ヶ月間というのである。茶色に色づいた状態から、味噌につかっ ていたことはわかっても、その期間が、1年2ヶ月であったのか数日であったのか、どうしてわかるのであろうか。にもかかわらず、最高裁が「長期間」である ことが「明らか」などと言ったのは、判断できないことを判断してしまったと言ってよい。
  こうして、実際 に、血痕を付着させた類似の衣類を麻袋に入れて、味噌づけにする実験をすることになった。

5 まず、短時間 で、このような味噌づけ状態にするためには、どうしたらよいか。
  味噌の醸造して いると、「たまり」と言われる大量の水分が浮き上がってくる。たまりは、醤油の原料になるなど、食品としての価値があり、事件当時の工場内にも、たまりは 必ずあったはずである。そこで、私たちは、たまりと味噌をつかうことにした。その中に、麻袋入りの衣類をつけたのである。
  そうすると、わ ずか20分で、「本物」以上に茶色に染まった衣類ができあがった。実に簡単なことであった。つまり、衣類の色だけで、長期間味噌につかっていたとは言えな いことがはっきりしたのである。
  こうして、新証 拠を用意することができた。
  この「味噌漬け 実験報告書」の外に、第1次再審請求のときに、最高裁で提出したため、何ら判断が示されなかった澤渡第3鑑定も、新証拠として提出した。これは、5点の衣 類のうち、ズボンの太股のサイズが、袴田さんのはいていたズボンのサイズよりもはるかに小さく、それが、袴田さんがはくことができなかった理由であること を明らかにしたものである。

6 こうして、最高 裁が棄却してから1ヶ月後の2008(平成20)年4月25日、私たちは、ひで子さんを再審請求人として、静岡地裁に、第二次再審請求を申し立てることが できた。
  ところが、検察 官は、当初、私たちの再審請求をまったく認めようとしなかった。袴田さんは、心神喪失とは言えないから、ひで子さんによる再審請求は許されないというので ある。しかも、検察官は、まったく不当な対応に出た。検察官が保管している袴田事件の確定記録すら、裁判所に渡そうとしなかったのである。
  そのため、1年 間、裁判所での審理は、まったく進まなくなってしまった。
  この問題は、私 たちが申し立てていたひで子さんを成年後見人に選任するように求めた家事事件において、家庭裁判所が、ひで子さんを保佐人に選任したことによって解決し た。保佐人は、刑事訴訟法439条1項3号により、再審請求権者とされているからである。
  さらに、その 間、別の味噌づけ実験も完成した。赤味噌に1年2ヶ月間もつけておくと、衣類の色も付着させた血痕の色も、こんどは、ほとんど真っ黒になってしまい、「本 物の」5点の衣類とは似ても似つかないものになってしまった。これは、味噌の発酵が進むことでその色がどんどん濃色になってしまうからであった。
  この実験によっ て、最高裁の認定とは反対に、1年2ヶ月間も、味噌につかっていたとはいえないことが明らかになったのである。

7 第二次再審請求 で、弁護団は、証拠開示も強く求めている。
  これまで、再審 事件の証拠開示については、個々の事件によって、裁判所も検察庁も、対応がばらばらであった。例えば、布川事件などは、検察官が証拠開示に応じ、それが再 審開始に大きな力になった。これに対して、袴田事件においては、第一次再審のときから、証拠開示を請求してきたが、裁判所は何ら積極的な対応をせず、検察 庁は、開示する必要はないとの回答に終始していた。
  しかし、裁判員 制度とそれに伴う公判前整理手続の制度の導入で、少し状況が変化したように思う。再審請求においても、証拠開示を認めるべきであるという議論が、現役の裁 判官からも出てきたからである。
  そのためか、こ の事件でも、検察官が、任意に未提出記録の証拠開示を検討すると約束しているところである。この点は、大いに期待したい。

8 布川事件は、平 成21年9月、最高裁が検察官の特別抗告を棄却して再審開始が確定し、平成22年7月から、水戸地裁土浦支部で再審公判が始まる。足利事件は、本年3月 26日、宇都宮地裁が無罪判決を言い渡し、裁判官が謝罪をした。名張事件も、本年4月、再審開始を取り消した名古屋高裁の決定を取り消して、高裁に差し戻 した。
  平成22年4月 22日、国会議員によって、袴田巌死刑囚救援議員連盟(代表牧野聖修衆議院議員)が4月22日設立され、5月には、映画「BOX袴田事件」が公開された。
  こうした動き は、袴田事件の再審請求にも、よい影響を与えていることは間違いない。
  ただ、袴田さん は、現在74歳である。残された時間は限られている。
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