2010年 12月

2010年12月31日 金曜日
 遂に大晦日。今年は10月から自宅待機の時間が増えたので、時間に拘束されていないためか、今日が何日なのかわからなくなってしまう。時々かみさんに「今日は何日?」、「今日は何曜日?」という質問をするらしい。そのような状態なので、もう正月なのかという感覚だ。
 我が家は正月を迎えると言っても、普段と何も変わらないので、何もすることはない。正月三ヶ日と言っても買い物は出来るので、特別な正月料理は作る必要がない。鍋料理の材料があればいい。

 日本列島は寒波で覆われ暴風、大雪警報が出ているようなので、今年の正月は自宅でジッとしておればいい。


2010年12月30日 木曜日
 トップページの写真は、昨日撮影したハヤブサタイプのFloat Kite。これは凧と言うよりグライダーに似た飛びをするために本物の鳥が飛んでいるように見える。私の一番好きなKiteだ。
 ハヤブサkiteは、風が無いときにでも、釣竿を操作して凧をコントロールすればどんどん糸は伸ばせるが、10mくらいが一番面白いようだ。しかし頭上で自分の周りを飛ぶので、暫く遊んでいると眩暈がするようになり、気持ちが悪くなる。無風から弱い風に遊べる凧と言えるが、風が強く渦を巻いているような時にも、かなり安定して飛ぶようになった。
 
 風の強さによって色々なKite(マンタ、ステルス、カラス、鳩、フエニックス、ツバメ、ハヤブサ)を選択すれば、強風下でも凧揚げを楽しめるようになってきた。Float Kiteは飛行機の飛びをするからと飛行機の型を作ったが、これは飛ばしていても面白くないので、一時中断している。来年は、UFOタイプを作って、その中にケミカルライトを仕込んで、夜中に淀川河川敷で飛ばしたいと考えている。いよいよもって、狂っていると思われるだろう。
 
 丁度、二年前の12月14日に凧作りを初めて、12月26日に第一号完成して以来、二年間は狂ったように凧作りとそのテストに没頭した。第1号を強風の中で飛ばし始めて
10分程経過すると糸が切れ葦原に飛んで行ってしまった。10日もかけて苦労して作ったのに、その時の悔しかったこと。
 二度と同じような悔しさは味わいう事が無いようにと、風を逃が凧、簡単に作れる凧、軽い凧で飛行機のように飛ぶ凧に方向転換した。すなわち「風に浮く凧」を作ることに熱中し始めた。数個のフクロウ型を作ったが、なかなか思うようには飛ばないので、もっとも簡単に作れそうな(ゲイラカイトの物まねはしたくないので)マンタ型のKiteを試行し始めた。これは20個ほど試行錯誤しながら完全してようやくものになった。

 いろいろな形のものをサイズを変えながら、合計200個以上も作り、時間があれば凧揚げをやっていた。型紙から凧紙を作り、市販の1.8m径の竹ひごを更に細く削り、それを接着剤で凧紙に貼り付けて完成させていくが、簡単な構造になったとはいえ、ハヤブサタイプの完成までに3時間位かかってしまう。出社に及ばない国家公務員には打って付けの仕事だ。安価で省エネで健康的な遊びだった。

 お蔭でいろいろな人と知り合いになり、ブルーテントに住む人にも声をかけられるようになった。


2010年12月29日 水曜日
 年末大移動の時期になったが、今年の年末年始は北日本と東、西日本にかけての日本海側は大荒れの天気になる見通しらしい。大移動する人は、覚悟する必要があろう。
 北陸での大雪は、私が金沢に住んでいた時の「38年豪雪」。たしか金沢市内で215pの積雪があったと記憶している。一か月間公共交通機関がストップしたので、毎日歩いて学校へ通った。
 最近では2004年2月2日から2月10日までの間、福井県の田舎に閉じ込められた時。ノーマルタイヤで遠出してきたことが災いした。(缶詰になっていたのは12月22日の写真に載せた中学校の近く)
 
 大阪市内ではほとんど雪は降らない。この6年間で一番積もったのは5pぐらい。時々雪が舞うことはあるが、一面に白くなるのはめったにない。


2010年12月28日 火曜日
 電気店に行くと、地デジが見れるパソコンが展示してある。中には外接の地デジチューナーが付いて売られているノートパソコンもあるようだが、パソコンで地デジは極普通の話になりつつある。
 私は「フルセグ」が見れるチューナー(7,000円)をノートパソコンに接続して地デジ放送を見ている。しかし、アンテナが室内用のチャチな物なので、自宅あるいは勤務先の事務所では電波状態があまり良くない時には「ゼンセグ状態」で見れないときがあり、その時は「ワンセグ」での映像で我慢しなければならないときがあった。

 先日自宅に来ているケーブルテレビからの電波をパソコンに取り入れてみたら、ばっちり。朝4時頃起床しても、BGM代わりに、徒然日記を書きながらもう一台のパソコンでTV放送を聞くことが出来るようになった。


2010年12月27日 月曜日
 フィギュアスケートの全日本選手権を見TV観戦した。日本のフィギュアスケートのレベルは男女ともに世界のトップレベルと思うと、見ていても楽しい。しかし動きが速すぎて、アクセル・ルッツ等々のジャンプの名前に加えて何回転したのかなど解説されるが、年寄の目にはその違いが判らなかった。わかるのは「仰山回転したようや」ということと「転ばんかった」ということ位や。そして、日本人の体形も素晴らしくなり、欧米人にも引けはとらないと言うこと。

 ワイは解説書を見ながら見ることにしているが、やはりTVを見ながら解説書に目を通す暇はないので、印刷した意味がないこともわかってきた。
 結局、理屈はどうでもいい。きれいなものは綺麗だと感動すればいいのだ。


2010年12月26日 日曜日
 戦後65年も過ぎているのに、まだまだ戦争は終わっていない。

 硫黄島では旧日本軍約2万2000人が戦死したとされ、国内戦地では最大となる約1万3000柱の遺骨がいまも収容されていない。政府は8月に阿久津幸彦内閣府政務官をリーダーとする特命チームを発足させ、4回にわたり厚労省や防衛省職員らによる調査団を派遣。島内2か所で米国の公文書に記された計2200人規模の集団埋葬地を確認し、今年度はこれまでに351柱(過去5年平均49・6柱)の遺骨を収容した。
 そのため、来年度予算案では、硫黄島の遺骨収容事業費として13億1900万円を計上、今年度の1億3600万円から大きく積み増した。今年度は日本遺族会や小笠原村在住硫黄島旧島民の会などボランティアは延べ約60人だったが、11年度は延べ約600人に大幅拡大し、少なくとも4割は公募する方針だ。期間ごとに派遣していた厚生労働省の職員も交代で1人を常駐させるらしい。

 また、それに関連して、次のような面白い記事を見つけた。
 菅直人首相が14日、太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)を訪れ、遺骨の収集を行った。中国のインターネットユーザーはさまざまな見方を示した。国家の指導者として「すべきこと」と評価した上で、「わが国には欠落している姿勢」と自国批判に結びつける意見が多い。
 ニュースサイト「鳳凰網」に寄せられたコメントには「戦争の目的が同であれ、国家は軍人を尊敬すべきだ。われわれにはこの点が非常に欠落している」、「中国の抗日軍人の遺骨は、その辺に放り投げられている」、「日本に感服する。感服」、「これこそ、民族の魂」など、菅首相の遺骨収集を評価すべきとの書き込みが比較的多い。

 中国には、未だに、旧日本軍が遺棄した化学兵器等が野ざらしになって放置されていると言う。それらの処置のためのプロゼクトが始まったばかりだ。中国河北省でフジタ社員が拘束された事件があったが、彼らは旧日本軍による遺棄兵器処理事業の建設予定地を視察中の時だったらしい。なぜ、フジタ社員の拘束を含めて、それを堂々と公開していないのかわからない。情報が隠されているのは中国国内だけでなく、日本国内も同じだ。

 第二次大戦による負の遺産の処理を先送りし続けて来て、今になって処理しようとしている。今は金がないからと、借金をするので、今度は「借金のつけ」を後世に残そうとしている。今年は、年末派遣村を設立しないようだが、その代わり「硫黄島出稼ぎ隊」を編成すればいい。失業対策も兼ねれるので一石三鳥ぐらいの効果がありまっせ。


2010年12月25日 土曜日
  政府の外交もなっとらん。
 12月10日、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の南小島に石垣市議2人が上陸したことに対して、中国外務省報道官は「中国の領土と主権を著しく侵犯する行為だ」と非難したらしい、これに対し馬淵澄夫国土交通大臣は14日の記者会見で「上陸を企てているとの情報は入っていなかった。不測の事態だった」と述べ、自国領への上陸が後ろめたい行為であるかの反応をしたらしい。こんな対応をしてるから、中国に付け込まれる。「日本の領土に日本人が上陸してなんで悪い」と言わなかった馬淵さんは直ちに更迭されるべきや。

 日本政府が河野雅治・駐ロシア大使を更迭する方針を固めたことについて、メドベージェフ露大統領は24日、「私が事実上、彼の政治キャリアの中断を助長することになったのは本当に残念だ。彼がこの先、何をするのかは知らない。意図したことではなかった」と述べた。政府系テレビ3局が一斉放映したインタビュー生番組で語ったらしい。メドベージェフ露大統領には馬鹿にされている。メドちゃんにとって、ロシア事情の分からない、情報収集力のない、無能な大使がロシア大使でいた方が良いことは当たり前や。


2010年12月24日 金曜日
 マニュフェストを実現するのは結構だが、益々借金が増えるのはたまらんなぁ。そのうち我が寿命が消えるから、借金問題の行方がどうなるのかはわからへんけど、これ以上の負の遺産を末代に残さないようにしたいと思っている。
 今は、「政権を獲る」というポスターに騙されたのではないかと思っている。しかしながら、ワイの出来ることは何もない。出来るのは「選挙で一票を投じること」ぐらいだ。


2010年12月23日 木曜日
 トップページの「世界の地震情報」では、12/21現在の件数は215だったのに、12/22 には276件となっている。勿論父島近海の地震も含まれているが、最近の環太平洋地域では地震が増えているのではないかと心配している。地球の気候にも異常な状態が出ているが、地球内部もおかしくなっているのではないだろうか。
 皆さんのPCにも、URLをセーブしておいて、時々確認してみて下さい。


2010年12月22日 水曜日
  宮崎中学校の全景 (観音山頂から)

 福井県の学童の運動能力が全国一という。私は高校卒業まで福井県に住んでいたので誇らしい気持ちになっている。
 学力体力共にトップクラスを維持しているのはなぜだろうかと考えると、いろいろ理由が挙げられる。

 福井県は緑が多い。空気が綺麗だ。水が綺麗だ。白米が美味い。魚も美味い。自動車が少ない。等々。人が住める環境がありまっせ。だから、人は温和だ。雪がふること以外は良いことばかりだ。大阪とは大違いだ。

 私が卒業した小学校中学校を訪問して驚いた。勿論校舎は更新されて新しくなっているが、きれいなこと。広いこと。学童が少ないから余計にそれが目立つ。日本一住みやすいと言われる村の中学校は、まるでハイジの世界のように見える。学童が学んだり運動する気になるのは当たり前だ。

 私の高校時代の同級生の多くは、福井県に残って先生になった者が多い。私が田舎に帰って彼らと会うと、決まって、同級生の誰々の子供が、その子供がという話が出る。何世代もの歴史が積み重ねられているように思えて仕方がない。善悪は別として、横のつながりは極めて強い。学童にとっては、村中の人たちに見守られているように思えるだろう。

 福井県も大阪府も、学校で教えることに変わりがないだろうが、家庭も学校も環境が違うのではないだろうか。
 大阪では、選挙の投票日以外には学校に入ったことはない。学校の周りが高い塀で囲まれているので、その中で何が行われているのかわからない。
通学途中の学童や学校の周辺を走っている学童は何時も見かける。宮崎村の学童と大きな違いがあるのは明白。制服をきちんと着ているものは少ない。挨拶されたことがない。道を譲られたことは少ない。同じ年代の学童とは思えない。

 大阪府の先生方の多くは、黙って、福井県へ視察に行ったらどうなんや。福井県の一般家庭にホームステーしながら、小中学校でやっている教育を見学したらどうやねん

2010年12月21日 火曜日
 北朝鮮は面白いことを言う。韓国の延坪島での海上射撃訓練を「全面的な統治危機に直面した李明博政権と低落した軍部の対面を取り戻すための宣伝行為」と言い、そして「幼稚な火遊びにいちいち対応する一顧の価値も感じなかった」と強調したらしい。

 北朝鮮は、間違っても韓国側から先制攻撃がないと確信しているだろうし、今回の訓練も、韓国は北朝鮮を刺激しないように着弾点を南北境界線である北方限界線よりも10Km以上も南に設定しているから、北朝鮮にとっては間違いなく「火遊び」としか映らないだろう。

 もし、日本が韓国の立場だったら、どうするのだろう。
 もし、日本本土に北朝鮮のミサイルが飛んできたらどうするのだろうか。現実的に、そのようなことを想定しているのだろうか。
 もし、危機が発生した時には、どのように対応するのかを、誰が・どのように決めるのだろうか。
 
 自分は、平和ボケしており、北朝鮮からミサイルが飛んで来ないと信じているし、米国が守ってくれていると確信しているから、何もすることがないと思っている。


2010年12月20日
月曜日
四川省テーマパークのガンダム


 中国でまたまたパクリをしたようだ。北京オリンピックと上海万博が無事に終わったのに、依然として恥も外聞もないようなことを平然とやっている。
 日本の国民的アニメ「機動戦士ガンダム」の主役機に酷似したロボットの巨大立像が、中国四川省成都市の遊園地に登場した。白い本物と違い、なぜか金色だが、姿形はそっくり。
 どう見てもガンダムの像は、同市郊外の遊園地「国色天郷楽園」に建つ。色以外は本家そっくりで、肩には所属を示す「WB(ホワイトベース)」「EFSF(地球連邦宇宙軍)」の文字も。昨夏、東京・台場に展示された実物大像が同じデザインで、字の意味が分からなかったのか丸々コピーしてしまったようだ。本家実物大は鉄骨と強化プラスチック製だが、中国版は、クリスマスに夜間に内部からライトアップするためもあり、金属枠にナイロン布を張っており、チープさが漂う。

 遊園地側は「まねではなく、自分たちでデザインを考えた」と強弁するが、ホームページ(HP)には中国語でガンダムを指す「高達」と明示し、紹介しているらしい。

 

 歌や飾り物の物まねならまだいいけど、何でもかんでも、人のものを自分のものとしてもいいとするのはいかん。

2010年12月19日 日曜日
 黄海の韓国・於青島沖の排他的経済水域で韓国の警備艦が中国漁船を拿捕しようとしたとき、小型ボートで海洋警察官が漁船に乗り込もうとしたとき、漁船員が鉄パイプで殴りかかり警察官に重軽傷を負わせ、そして、中国漁船が警備艇に突っ込んで沈没したそうだ。
 韓国外交通商省は、在韓中国大使館に対し、電話で「人命が失われる結果となったのを遺憾に思う」と伝えたが、中国側は、行方不明者の捜索などの面で協力していく」と応じ、抗議はなかった。中国漁船は50隻が違法操業をしていたらしい。【読売新聞】

 この記事は、昨夜ネットニュースで見つけたので、お気に入りに登録しておいた。今朝になりそれを読み返してみると、その記事が大幅に変更されているではないか。韓国の中国漁船拿捕が過去200件以上(期間の表示があったが忘れてしまった)もあると言うことが消えているのだ。(12月20日のニュースでは昨年だけで300件もの拿捕があったと報道された)

 日本領土の尖閣海域では、海上保安庁の巡視船では対応に手が回らず、違法操業の漁船を見つけてた場合は、警告し、退去を求める対応だけだった。事件当日は、日本領海に30隻の中国漁船が侵入していたらしい。巡視艇は体当たりされたのに、漁船も船長も中国に返してしまった。

 なぜ、ネットニュースが書き換えられたのだろうか。
 なぜ、尖閣沖の当て逃げ証拠ビデオがSengoku38さんがリークするまでの長い期間、公開されずにいたのだろうか。Sengoku38さんは、昨日辞職届を提出したらしい。彼の懲戒処分は免責、停職、減給、戒告のいずれかだろうが、海上保安庁はどのような処分にする積りか。政治家はビデオ公開事件をどう考えているのだろうか。政治家の責任はないのだろうか。まさかとかげのしっぽ切りだけではあるまい。


 ずっと昔のことであるが、何かの事件で大幅にネット記事が書き直されたことを書いたことがあるので、それを見つけようと徒然日記を読み返してみたが、見つからなかった。


2010年12月18日 土曜日
 菅首相と中井沖縄県知事との会談はすれ違いで終わったらしい。当たり前やんか。今更合意なんか出来るわけがない。

 最低でも県外と沖縄県民に期待を持たせた鳩山元首相は、半年たったらそれを撤回したことから始まり、沖縄県民の意志を無視して、日米で普天間基地移転を、自民党時代の原案に近いところで、再合意をしてしまった。

 つい先日、仙石官房長官が沖縄県民は合意案を甘受(甘んじて受け入れる・快く受け入れる)して欲しいと言ったり、一度袖にした社民党福島オバはんと再び手を組もうとしたり、そして菅首相が沖縄を訪問して「辺野古はベストではないが、ベターな選択肢」と口にしたらしい。

 民主政権が誕生して一年以上経過したのに、普天間基地問題はどんどん悪い方向に進んでいる。しかしながら、沖縄の基地の重要性は益々高まってきた。


2010年12月17日 金曜日
 かみさんから昼寝ばかりしていると「ボケてしまう」と脅かされているので、昼寝の時間を減らそうと、この数か月間、肩こりでマッサージに通いながら、パソコンのデータを整理していた。トップページの写真は何処の境内で撮影したのか記憶がないが、かえってボケを進めるのではないかと思われるような歌詞である。

 時々、ラップトップのデータを固定ハードディスクに(マスターデータとして)バックアップしていたが、いい加減なやり方だったので、ラップトップのハードディスク、携帯ハードデスクと固定ハードディスクの中にデータが重複して保管されていた。しかも、フォルダー名やファイル名がいい加減なので、何が新しく何が古いのかわからなくなっていた。

 将来使うチャンスがあると思われる「鉄道車両生産と検査に関する技術資料」のデータを整理し、合計1.7Gbの資料にまとめることが出来た。よくもまあ作った/集めた/整理したものだと、我ながら感心している。このデータの古いものは30年以上も前に一太郎・ロータスで作ったものを、暇な時にワード・エクセルに書き直したものもあり、世界で唯一と自負している理屈(実験式)もある。最新版は、会社から送られてきた「世界の鉄道プロゼクトと日本の海外展開戦略」 これらの資料には、国内・外の鉄道車両メーカーで見聞きした情報もあり、そして、それらの幾つかは「秘守義務」を前提に得た情報や写真も入っているので、他の人には見せれないものもある。私の技術のすべてであり、人生でもある。宝ものと思っている。

 今整理しつつあるのは、写真集。ハードディスク等に収納してあるものを集めると10Gb以上もある。ハードディスクに収納するときに、一枚ずつ整理せず、また思いつくままフォルダーのタイトルを付けたので、ずいぶん要らない写真がありそうだから、時間をかけて整理すれば1/5以下になるだろう。
 これらの写真を見ていると、撮影時期がずいぶん古いのに、シャッターを押す瞬間を思い出すものがあるから不思議だ。現段階ではトルコで撮影した写真やイスタンブールのシルケージ駅に到着したオリエント急行の写真一式が行方不明になっているので、何をさておいても探さなければならない。
 
 このようなことをやっていると、いよいよ「人生の整理の時期」に入りかけているのかと思わないでもないが、新しく仕事を始めるための資料整理をしていると考えるようにしている。


2010年12月16日 木曜日
 12月5日に購入したWin7機は何とか使えるようになった。しかし時々何故か誤動作する。
 一番困るのは、デスクトップにドラッグしてきたフォルダーの中身が一時消えてしまうこと。次に困るのは、消去したファイルが何時までも消えないこと。しかししばらくすると、或いはパソコンの電源を落とし、再度立ち上げると正常に戻っている。
 ディスプレーの表示もおかしい。これはワイド画面のために、私の使い方が悪いのかもわからない。このパソコンは32ビットと64ビットの選択肢があったが、Vistaとwin7の選択があれば、もちろんVistaとするだろう。


2010年12月15日 水曜日
 知人のパソコンを買うために、我が家の近くの家電量販店(ジョウシン)に行った。
 他の店で9万円位のノートパソコンが「当品限り」との限定で5万円を切る価格で販売されていた。安いので冷やかしてみようと、近くにいた赤いチョッキを着た店員を呼び止め、「この当品と言う意味は展示してあるデモ機と言うことでっか・デモ機と言っても故障することはないやろなぁ」と聞くと、彼は「このデモ機でも一年ぐらいはもつと思います。だから一年間の保障書が付いています」と答えたのだ。

 「エッ、たとえデモ機と言えども寿命が一年とはおかしいでぇ。パソコンの寿命が一年とは初めて聞いた。隣に展示してある東芝のパソコンも台湾製のパソコンも寿命が同じ一年と言うのでっか、ワイはどんなパソコンを買っても三年以上は使ってるでぇ」。 彼は言うのだ。「どのメーカーのパソコンも寿命は一年と言われてますぅ。お客さん、そんなに長く使ってんですか」。「お宅は一年で壊れるパソコンを販売してんでっか、おかしいでっせ」と言うと、彼は「パソコン業界では寿命一年ちゅうのは常識ですぅ」。彼にワイは常識が無いと言われてしまったのだ。
 自分の常識(=OSが古くなることと液晶画面が暗くなることを我慢すれば5年以上の寿命があると信じている)を否定されているのだから、ワイの常識を確かめるために当店の責任者を呼んで貰うこととした。

 かなり時間がかかった後、連れて来られたのは20歳くらいのかわいい御嬢さん。彼女に、責任者でっかと聞くと違いますと言う。少し不満だったが、私の常識が間違っているのかどうかは確認できると思い、彼女に「彼から当店のパソコンは寿命一年」と聞いたが本当ですかと聞くと、彼女は、一年で壊れることは殆どありませんし、同じパソコンを10年も使っている人もおられますと言う。彼女の話は、我が常識と完全に一致する。そして、彼女も彼の説明が間違っていると明言した。
 
 すると先の店員は、一年の寿命と言ったのは"個人的見解です"と言い始めたではないか。更に加えて、"個人的見解"ですから、店の説明とは関係ないと弁明し始めたのだ。その説明がおかしいとクレームを付けられると、今度は個人の見解を説明したのだから聞かなかったことにしてくれと言っているのだ。パソコンを買いに来たお客に対して二度に渡ってバカにしたことになる。

 正義感が強いと自負している自分は、どうしても当店の責任者に会って、当店のために言いたくなった。今度はすぐに責任者が見えたので「この店の店員には接客が出来ない人が居まっせ、今日は二度と当店に買い物に来たくないという気持ちにさせられました」と今までのいきさつを説明すると、責任者は我が言い分を十分に理解してくれた。後で赤いチョッキを着た店員は、量販店の雇用者ではなく、地デジ関係の派遣技術者ということがわかった。

 結局、デモ機は買わず、その隣に展示してあったノートパソコンを購入してしまった。どんどん性能が向上しているにも関わらず価格が下がっているので、金持ちにとっては「寿命が一年」という言い方は正しい表現かも知れないと思わないでもない。


2010年12月14日 火曜日
 市川海老蔵さんは「まぎれもなくアルコール依存症」だ。従ってその治療を受けないといけない。にもかかわらず、マスメディアはそのようなことは言わずに、泥酔した状態での喧嘩に対して「加害者」と「被害者」を推論し、また「公人としての海老蔵」さんの罪をニュース・特番で流し続けている。
 次第に明らかになってきたのは、海老蔵さんが一方的な被害者ではなさそうだと言うこと。一時間半もの長い記者会見はなんだったのかと思えてきた。

 彼が「公人」でなかったら、誰も興味を示さないから、三面記事にも載らなかった事件ではある。マスメディアは、事件の報道を通じて「アルコール依存症という病気」についても言及するようになって欲しいものだ。

 いよいよクリスマス・年末にかけて、飲む機会が増えると思われるが、「アルコール依存症と言う病気にかかっているかどうか、或いは治療が必要かどうかのチェックリスト」を示しますので、ご自分でご確認ください。たとえアルコール依存症という診断結果となっても心配はいりません。日本では何千万人もの人が依存症にかかっていると診断されていますから、同病の仲間は大勢おるからです。。詳細は【アルコール依存症からの回復のために】というサイトに記載されています。

最近6ヶ月の間に次のようなことがありましたか?
1.酒が原因で、大切な人(家族や友人)との人間関係にひびがはいったことがある
2.せめて今日だけは酒を飲むまいと思っても,つい飲んでしまうことが多い
3.周囲の人(家族や友人上司など)から大酒飲みと非難されたことがある
4.適量でやめようと思っても、つい酔いつぶれるまで飲んでしまう
5.酒を飲んだ翌朝に、前夜のことをところどころ思い出せないことがしばしばある
6.休日には、ほとんどいつも朝から飲む
7.二日酔いで仕事を休んだり、大事な約束を守らなかったりしたことが時々ある
8.糖尿病、肝臓病または心臓病と診断されたり、その治療を受けたことがある
9.酒がきれた時に、汗が出たり、手がふるえたり、いらいらや不眠など苦しいことがある
10.商売や仕事上に必要で飲む
11.酒を飲まないと寝つけないことが多い
12.ほとんど毎日、3合以上の晩しゃく(ウイスキーなら1/4本以上、ビールなら大瓶3本以上)をしている
13.酒の上の失敗で警察のやっかいになったことがある
14.酔うといつも怒りっぽくなる


 日本には、治療が必要な依存症者が何百万人もおるらしい。私は、幸いにして酒が飲めない体質なので、アルコール依存症にはならなかったが、その代わり、「パチンコやマージャン依存症」になったり、「仕事依存症」になったり、「釣りキチ」になったり、「小屋作り」に没頭したり、そして、最近は「凧依存」になっている。
 ある依存症回復支援組織のリーダーに【父ちゃんも依存症者だから安心した】と言われたが、【そうやなぁ、酒が飲めたらアルコールで肝臓がやられて、ここに通ってるだろうなぁ】と答えた。


2010年12月13日 月曜日
 2005年4月に発生したJR西福知山線の脱線現場において、ATS(自動列車停止装置)設置以降、速度超過によって何度も停止装置が作動していたようだ。
 「事故につながる問題でもなく、また公表するとなると運転手に制裁的なものとして萎縮的効果を与えてしまい、自主的な報告を妨げる恐れがある」から公開しなかったと言っているらしい。
 JR西は、脱線事故発生時の速度は120Km、ATS作動は71Km、制限速度は60Kmだから、「ATS作動速度は絶対安全だ・スピードを出し過ぎることがあるからATSを設置してあるのに、ATSが作動してなぜ悪い・ATSが正常に作動して列車を止めたのだから問題ないやんか」と考えていたようだ。
 JR西の本音もわからないではないが、「公表が運転手の制裁となり、そのために自主的な報告を妨げることになるから公表しなかった」と言うのはおかしいのではないだろうか。
 そんな感覚で電車の運転をしている運転手が今なお存在するのではないか/隠ぺい体質から抜け出していないのではないかと思うと、JRの電車には安心して乗れないと思ってしまう。

 ワイが自分一人、或いは身内を載せて運転してるとき、制限速度は目安だ/制限速度を10Km/hを超えたぐらいでは事故の可能性はそれほど増すとは考えれへん/パトカーにもつかまらへんから違反してもええと言っていたけど、電車の運転手は「電車の運転」が仕事や・それで給料貰ってんやから、運転規則は何が何でもまもらんといかん。


2010年12月12日 日曜日
「OSAKA光のルネッサンス2010」と「御堂筋イルミネーション」がいよいよ始まった。昨年は12月9日に見に行ったようだが、それはずいぶん昔のことだったように思える。記憶にあるのは結構寒かったということ。
 その前後の身の回りの出来事を思い出そうと徒然日記を読むと、少しずつその当時のことが思い出されてくる。しかし、自分の考えいてることは変わっていないなぁとあきれてもいる。
 12月16日に凧紙20枚を注文したとあるが、今年は既に二度注文している。時には、小型のものとして6個/枚も作れるほどのものに挑戦しているので、今年もずいぶん作ったことになる。昨年の今時分は天候が悪かったようで、凧揚げが出来なかったとも書いてあるが、今年は天気が良くても「無風状態」なので凧揚げが出来ない。


2010年12月11日 土曜日
 尖閣諸島に石垣市の市会議員が上陸したとのニュース。たった40分の滞在だったらしい。本来だったら日本の領土だから騒ぐことないのに、上陸が禁止されているとのこと。おかしな話や。政府が立ち入り禁止にしたのは何時からだろうか。米軍が射撃訓練の場所に使って以来か。あるいは中国が自分の領土と言い始めた時からか。

 sengoku38さんのやったビデオ投稿は、政府が躊躇していることに業を煮やしての個人の行動や。結果的には非難できないどころか、国益になる行動となった。今回の尖閣諸島上陸も同じや。非難されることは何もない。高速艇で行けばあっという間に到着する。そこで尖閣諸島で釣りをすれば入れ食いだろう。

 今、関西テレビの番組「西川きよしのご縁です」で、愛知・鳳来寺特集をやっている。大家族(四世代)の魅力と奥三河の自然の美しさが紹介されていた。出てくる風景はよく見た所。自然豊かなところで生活できる人たちは幸せだ。


2010年12月10日 金曜日
「防衛計画大綱」を見直して、中国の軍事力の増強や海洋進出を進めることに対して「地域や国際社会の懸案事項」となっていると明記し、自衛隊配置を南西地域へシフトする方針らしい。
 それに対して日本の先生方は、中国をいたずらに刺激するだけで中国の軍事力拡大と海洋進出の理由を作るだけだと言っているようだが、責任をとらない先生方の言い分を聞いてきた政府は、中国の言いなりになって何もしなかったから、どんどん中国の軍事力の増強し海洋進出して来たのではないか。それだけならまだ我慢が出来るが、尖閣諸島まで中国の領土と言い始めたではないか。そのうち沖縄も九州も中国のものだと言い始めるでえ。Sengoku38さんは英雄だ。

 今回の北朝鮮による延坪島砲撃事件の結果として、米空母が黄海に入ったのにもかかわらず中国は強い非難は出来なかった。日米安保の重要性も理解できた。日・韓・米の合同演習も話題になってきた。日本の世論も変わりつつある。今が国防を考えるチャンスや。


2010年12月9日 木曜日
 「ハヤブサ」の成果に続いて、日本初の金星探査機「あかつき」の金星周回軌道投入が成功にすると期待していたのに失敗。残念。6年後の再トライでの成功に期待しよう。ハヤブサは何度も何度も苦難を克服し、無事帰還した実績がある。

 淀橋カメラに行って驚いた。天体観測用の望遠鏡が広いスペースをとって展示されている。しかも、三十年前の価格の1/3位で。ハヤブサの成功が、宇宙に興味をわかしたのだろう。
 
 私は、100mmの反射望遠鏡を購入し、天体観測に凝っていたのは30年も前の話だ。月、金星、木星、土星はもちろん白鳥座やアンドロメダ星雲等々、真冬に震えながら何時間も星を眺めていた。結構楽しんだ。真面目に200mmの反射望遠鏡や天体観測用の簡易ドームまで作ろうかとも考えたこともある。
 
 東の水平線を望遠鏡で眺めると、小さい赤い光の粒がいくつも視界のなかに入ることが時々あった。後でわかったことであるが、自衛隊機の夜間飛行訓練だったらしい。
 もう一つの異常観測はショックだった。スバルの近くの星を探していると、視界いっぱいに何百もの飛行物体が映るではないか。空を飛ぶ艦隊が画面一杯に入ってきたのだ。
 驚いたでぇ。ありえないことなのに、それを自分でもそんなものは見えるはずがないと理解しているはずにもかかわらず、見えるか見えないかの大きさの戦艦が画面いっぱいに浮かんでいるのが見えるのだ。怖くなってその日は観測を止めてしまったが、翌日になって、もう一度見ると、またまた同じような飛行物体が見える。誰かにそれを伝えたいが、有り得ないことなのでバカにされると思い、二日目も「黙って」観測を止めてしまった。

 三日目に観測すると、飛行艦隊はどこかに飛び去ったようだ。今思うと宇宙戦艦ヤマトに出てくるような艦隊が、自分の妄想で、自分の望遠鏡に映し出されたようなことであろうが、望遠鏡で星を探すことが怖くなり、それ以来、観測を止めてしまった。ずっと後になって読んだ「銀河英雄伝説」にも、その時の艦隊そのものの画面が出てきた。
 望遠鏡は屋根裏に収納してそのままだ。


2010年12月8日 水曜日
 12月5日に購入したWindows7には手を焼いている。
 最初の躓きは、OSのタイプ(32ビット版と64ビット版)の選択。前者は"使い慣れたソフトや周辺機器が活用できる、但しインストールするには二時間〜二時間半"とあり、後者は"対応しているアプリケーションを使えばより高いパーフォーマンスが発揮できる、本体には64ビット版がプリインストールされている"となっていたが、訳もわからず64ビット版を選択してしてしまったこと。
 いろいろなソフトのインストールをし始めてわかったことは、10年以上も前からアップテートしながら使っている使い慣れたソフトはインストールできないこと。仕方ないので32ビット版を、時間をかけて再インストール。古いソフトが使えなくなるのはWinXPからVistaに変えた時とまったく同じだ。
 
 次に、メールソフトのMicrosoft office outlook 2007やWindows mailがプリインストールされていないではないか。それに代わるのはMicrosoft office outlook 2010 とWindows Liveメールらしい。それらを開いてみると、両方共に、前のものとは根本的に様子が違うではないか。色々新しい機能が追加されているようだが、私には使えそうにない。一番困ったのが、メールアドレスが一括してインポート出来ないこと。一人ずつだったら出来るようだが200人ものアドレスを一人一人インポートするのはたまらない。一日かけてトライした結果、面白い方法を見つかったが、それでも一人ひとりインストールしていくことには変わりない。

 今日は、マイクロソフト社に電話して、Windows7のOSでOutlook2007等が使えるかどうか確認しよう。今更新しい形式のOutlook2010に変えれば十分使いこなせるためには何年もかかってしまいそうだから、出来れば前のソフトを使い続けたい。電話で確認すると、Outlook2010と2007は共存出来ないので2010を削除する必要があるという。
 どうせ時間があるのだから、好きなようにトライしてみよう。ダメだったら始めからやり直せばいい。半日もあれば、再インストール出来る。

新しいOSが出るたびに、行列を作ってそれを購入する人があるようだが、その理由は「暇だから・立上げに時間を費やせる」からと思えてきた。


2010年12月7日 火曜日
 このところの数日間は無風だ。昨日の午後から寒くなると言われていたのに、淀川の土手では暑過ぎるので橋の下の日陰に退避したくらいだ。
 橋の下は少し風があったので、Bird Kiteを一時間ほど楽しんだが、釣竿を振り回さないといけないので疲れた。橋の幅は30m、橋桁の高さは7~8mもあるので十分に凧あげを楽しめる。凧作りを初めてそろそろ丸二年になるので、新しいコンセプトの凧を考えている。

 私の凧はYahooの検索画面で「Float Kite」とインプットすればページにアクセスできるようです。


2010年12月6日 月曜日
 今はウィキリークスによるマル秘情報のネット公開の話ばかりだが、そして、丸秘情報の公開による被害を心配しているようだが。今更公開されてしまったものを云々しても始まらない。
 Sengoku38さんのビデオ流出問題はどこかに行ってしまい。何一つ報道されなくなってしまった。彼の罪はさておき、政治家の皆さんは「正式に公開されたビデオ」を見たのだろうか。Uチューブで見てしまったから、「もういい」として見なかったのだろうか。
 Sengoku38さんがビデオをリークしても、中国は何も言わなかったし、改めて対抗処置を追加することもなかった。逆に態度は軟化したように思える。
 
 中国の漁船と乗組員を何も罪を問わないまま、うやむやな状態のまま中国にもどし、ビデオを流出させたSengoku38さんの罪も明らかにせず、そして大物関係者の罪も問わない。ビデオを公開しなかった罪や公開せよと強く主張しなかった罪もある。検察庁あるいは政府がとっていたことは、何だったのだろうか。

 今になって、次のようなリークがあったようだ。「今日、釈放されます」。臨時国会召集を1週間後に控えた9月24日午前、仙谷由人官房長官から在日中国大使館の孔鉉佑公使に電話で連絡が入った。沖縄県・尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船の船長釈放を那覇地検が発表したのは同日午後2時半。釈放決定は首相官邸中枢から中国側に事前通報されていた。当時の政府の説明では、仙谷氏は官邸で柳田稔法相(当時)と協議中の午後0時半、法務省から連絡を受けた滝野欣弥官房副長官から検察の釈放判断を知らされたことになっていた。官邸は「検察判断」を強調していたが、実際には周到に仕組まれた政治判断だったことが、複数の関係者の証言から次第に明らかになってきた。【毎日新聞】

 ウィキリークスの公開記事では、日本のマル秘事項として、過去の時代に、核保有について検討したことがあったということらしいが、私は、これは隠す必要があるとは思わない。堂々と公開されるべきと思っている。検討した結果「核を持たない」と決断したのならば、それで良いのではないか。国民が納得するのではないか。
 麻生元総理大臣が「核の検討」を言った途端、日本では総スカン、米国では好評と言われたことがあったが、「検討」することと「保有する」ことは別の話だから、検討することを拒否するのはおかしいのではないかと言うのが、私の考えだ。検討した結果で戦略を練ればいい。

 憲法も、日本の安全保障も、自衛隊も、そして沖縄の基地も同じだ。どうするのか議論をする前から、賛成・反対という論議になってしまっているのではないか。論議することを拒否している輩ばかりだから、ずっと第二次大戦での無条件降伏の時から、あまり進展していない。日本人は論議が下手だと言われているが、下手なのではなく論議することそのものが嫌いなのだ。


2010年12月5日 日曜日
 今使っているLet's Note(ウインドウズ・ビスタ)がくたびれて始めて、液晶が少し暗くなってきたので、何時まで使えるか心配だ。しかし、今使っているものの性能は、すなわちスピード等はすごく良く、何一つストレスは感じないし、バードディスクも60%も空いている。液晶以外は、私の寿命よりも長生きしそうだ。

 最近、無性に新しいラップトップが欲しいと考えるようになった。その理由は、ウインドウズ7に変えた人が、使い方が変わって苦労していると聞いたからである。いずれ、それほど長い先でなく、今使っているLet's Noteの寿命が終わるだろうから、更新したときに新しいOSで苦労するのは大変だろう/今だったら新しいOSも使いこなせるようになるのではないか、どうせ新しいラップトップを購入するのならば、早い方が良いではないか等々を考えると、更新のチャンスは今しかないと思うようになったのだ。取りあえずサブ機用として購入するが、緊急の場合はメイン機としてでも使える程度のものをと考えると、画面サイズが12インチ以上で重さ1.5Kg以下のPCということになる。
 電気屋さんにはいろいろなPCがある。軽量で高性能でそして安価なものを探すが、そんなものあるわけがない。欲しいと思うものは、私が考えている予算の二倍近くだ。欲しいのは、やはりPanasonicの今使っているものの後継機になってしまう。

 特別価格で販売していると表示のあるDynabook R730を、パソコンにはエコポイント制度がないのかなどと馬鹿げたことを言いながら、更に値引きして購入した。思ったよりも安く買えたような気がするが、家に帰ってから、安い買い物だったのか、或いは高い買い物だったのかと悩んでいる。私の寿命とパソコンの寿命を天秤にかけると、少しパソコン代が安すぎたようにも思えし、将来的に使う仕事があるのだろうか、無ければ高い買い物だと思えるからである。


2010年12月4日 土曜日
 第176臨時国会が閉幕した。今回の国会はNHKのTV中継を観る機会が多かったが、国会での審議内容は思い出されない。小沢・鳩山さんの政治資金問題、尖閣諸島への中国漁船の不法侵入事件から始まるそのビデオ流出と政府の対応問題、APEC、菅大臣の中国要人との会合問題、等々しか思い出されない。しかし、知らない内に補正予算は決まったらしい。
 法案を審議しないで、国会の延長もしないで閉会するのはおかしいでんな。一般企業で言えば、企業が赤字で決算が出来ない状態なのに従業員を整理することもなく、給料も減らさず、そして無償残業も公休出勤もすることもなく「自分は悪くない・あいつが悪い」と言い続け、「神風」を待っているようなものだ。政治家は法を定めるのが仕事なのだから、法案成立率が37.8%という責任をどのようにして獲るのだろうか。ワイの言う【自責・他責】の考え方からすれば与党も野党も同罪だ。

 今の日本にとって、朝鮮の暴発はGood Timingだったように思えて仕方がない。平和ボケしている日本は北朝鮮に感謝しないといけないのではないか。
 すなわち、日本の防衛は今のままではいけない/見直す必要があるのではないかという風潮が出て来たではないか。そして沖縄の安全上の地理的重要性が認識されてきた。日本も韓国も「米軍の力」を借りずして防衛が成り立たないことを痛感したこと、日米安保の確かさを確認できたこと、中国の強い非難が出ないままに米国の空母が黄海の入り口にまで入り込み米韓合同演習が出来たこと、そして引き続いて日米の合同訓練が出来たことなどは、北朝鮮の暴発があってこそ、堂々と出来たことではないか。
 
 私は、国の防衛は自分でやるべきだと思っている。米国頼みにしながら米国の基地反対はおかしいと思っている。


2010年12月3日 金曜日
 天気予報が的中し、昨夜9時頃から雨が降り続いている。欧州は異常寒波に見舞われているというのに、予定では今日午前中に雨があがるらしいから、大阪はまだ温かいようなので久しぶりに凧揚げをやろう。
 2018年と22年のサッカーワールドカップ(W杯)開催地を決める投票では、18年の開催地にはロシア、22年の開催地にカタールが選ばれ、日本は落選したとある。まあそれも仕方ない。

 大阪駅前のサッカースタジアム構想はどうなるのだろう。約5ヘクタールの土地購入と建設に計約1千億円が必要/屋根に太陽光発電パネルを設置、壁面は緑化/常設で約3万8千人を収容、W杯開催時は客席を増設して約8万人を収容できる/周囲には「梅田の森」を造成し、普段は天然芝のフィールドも開放して都心のオアシスを目指す予定だったらしい。
 わざわざ、梅田のど真ん中に人集めのための巨大施設を作らなくとも、大阪南港にはずいぶん空き地があるやんか。そこを開発する方が安上がりや。梅田に人集めするのではなく、梅田の混雑をどうやったら分散できるか検討すべきではないのかと思います。

 大阪駅前の再開発が進められているが、あの混雑は何とかなるのだろうか。迷路のような地下はすっきりさせれるのだろうか。道幅が広くなったり狭くなったり、通路の真ん中に柱があったり、床面には段差があったり。道案内の表示が無くなったり。大阪に何年も住んでいるが、今でも時々迷子になってしまう。

 サッカースタジアムを作る前に、梅田の混雑と迷路を改善しないと、ワールドカップは誘致出けまへんでぇ。


2010年12月2日 木曜日
 貧乏人は何時までも楽にならず、貧乏が続くらしい。医療費の窓口負担が一定額を超えた場合に払い戻す高額療養費制度で、低所得世帯の負担上限額の引き下げを、2011年度は見送る方針を固めたという。

 高額療養費制度の見直しとして、厚労省は70歳未満の年間所得約300万円以下の世帯(住民税非課税世帯は除く)を対象に、現行の月額約8万円を半分程度に引き下げる方向で協議していたが、引き下げには新たな財源約2600億円が必要で、厚労省は高所得世帯の上限を引き上げて負担を増やし、それを財源に充てる案を軸に調整を進めていた。

 しかし、年収約800万〜1000万円世帯の負担上限を月3万円上げて18万円程度とし、年収1000万円以上は月10万円上げて25万円程度とした場合でも、捻出できるのは400億円程度で、制度改革による財源確保は難しいとの結論に至り、高所得世帯の負担増も見送られることになったという。

 にもかかわらず、三歳未満の子供の手当てが、引き当てる財源の目途が無いままに、そして所得制限なく増額されたとのこと。

 高額医療費の引き下げられる対象と負担額が増える対象の年収を考えると、またまたおかしな感覚になってしまう。
 年金だけで生活してる人の殆んどは年収300万円未満ではおまへんか。年金だけでは「食べるだけで精いっぱい」でっせ。栄養失調で病院に行きたくても、医療費が高すぎて行けへん。
 それに対して、年収800万円もある人は、マグロを食べたり、通販でネットショッピングしたり、エコ製品を買ったり、車に乗ったり、等々。贅沢な生活をしすぎて、病気にになったからと病院に通う羽目になってる人も多いやろなぁ。多くの人は、美味いものを食い過ぎてメタボになり、高価なサプリメントを購入してるのではないやろか。そのような人には少しぐらい税金を増やしたって、応えへんでっしゃろなぁ。
 
 もう一つ、800万円もの年収を得てる人、1000万円以上の人の割合が問題なんや。何%おるのだろう。これも、数年前の生活支援金や児童手当の所得制限と同じや。極わずかのお金持ちの人たちに「貧乏人のために協力してやって」とお願いしても良いのではないか。協力する気持ちにさせるのが「政治」やでぇ。


2010年12月1日 水曜日
 もう12月。あっという間に師走に入ってしまった。今朝は下弦の月が綺麗に見える。快晴のようだ。

 夜眠れない菅首相が勝負をかけるという記事の書き出しに、菅首相は夜中に目が覚め、寝付けないとあった。菅首相が国会討論中に寝ぼけた顔をしたり、寝ぼけた発言をしてるのは、前夜に飲んだ睡眠薬が勤務時間中に効いていたんだろうと勘ぐっている。

 菅直人首相の、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の開催時に、中国の胡錦濤(こきんとう)国家主席との会談時の失態(メモの棒読み)は、中川財務大臣の酩酊状態での記者会見を思い出し、菅さんの失態の方が国益に反することと思っていたけど、菅さんは睡眠薬を飲んでもうろうとした状態だったのか。

 夜寝れんのはワイも同じや。ワイの場合は、寝ぼけたことを言っているのはこの10年変わっていないはずやし、たわごとを言っても誰にも迷惑はかけてへんでぇ。
 ワイの場合は、寝不足をカバーするために、毎日二時間ほどの昼寝が日課にしている。それでも寝たりないときには、夜八時頃から寝るようにしてしてるんや。その代り、朝三時ごろになると目覚めてしまい、そのまま起床することになる。日頃、寝たい時には何時でもどこでも寝れるように訓練してるからこそ、外国に行っても時差ボケはあらへんし、言うこと・なすことは、寝てても起きてても変わらへん。何時も平常心で居れる。

 朝三時ごろ目覚めるのはこの時期寒いからや。今冬から少し厚い寝袋(5℃対応から0℃対応のものに格上げ)したので、夜中に暑くなりすぎて無意識に寝袋のジッパーを足元まで開けてしまい、寒くなるからや。もう少し寒くなると朝までぐっすり寝れるやろなぁ。