由  緒




正確な創建年代は不詳であるものの、江戸時代の初期に波除け観音堂として堂宇が建てられたことに始まる。



 
のちに龍河山宗徳院の歴住隠居の地とされ、建物が整備されていった。
延宝年間(1673〜1680)に至って、本寺の宗徳院中興7世・田外重甫の法孫である石浪秀鉄座元から本寺得度の尼僧が監寺として入ることを例とした。


 
天明年間(1781〜1788)の火災によって建物・什物など総てを焼失する。このおり百体観音のみは井戸に投じて被害を免れている。その後、洞村(東町)の青年達が発起して堂宇を再建した。



 
昔から波除けの海岸庵として信仰され、安永年間(1772〜1780)から7年目毎の本尊開扉が始まった。
月の10日がその縁日となっている。


 
昭和17年の宗教法人施行にあたって、仏堂海岸庵を現在の山寺名に改めている。
8月10日には施食鬼会が行われる。

御本尊 阿弥陀如来(波除け如来)