沿   革


寛永13年12月1日
(1636)
朝鮮通信使の一行が立ち寄る
(紫峰が扁額を揮毫)
寛保3年2月吉日
(1743)
境内に如意輪観音の石像を建立する
 
宝暦12年3月吉日
(1762)
村内檀徒の与左衛門・伝兵衛・権右衛門・七郎次の母
などが、西国33ヶ所の供養塔を建立
安永3年10月吉日
(1774)
秩父・板東・西国観音霊場巡拝の石碑を建立
 
天明年間
(1781〜1788)
火災により堂宇を焼失、青年たちが発起して再建される
 
文化5年8月14日
(1808)
西国33ヶ所の供養塔を建立
 
弘化4年
(1847)
山林を購求し、百体観音の修理をする。
(太応尼)
明治35年
(1902)
春、中村松蔵が鏝絵で「龍と吉祥天女」を描き、
石額として奉納
明治43年
(1910)
庫裡及び玄関を改築(祖鳳尼)
 
大正初年
(1914)
半鐘を鋳造(祖道尼)
 
昭和17年12月
(1942)
太平洋戦争に際し、梵鐘を供出献納(重量51キロ)
 
昭和34年6月14日
(1959)
歌人の法月吐志楼(72歳)が来寺して、歌を残す
 
昭和49年7月7日
(1974)
七夕豪雨で被害を受ける