諸井慶一郎先生
1月18日 春季大祭講話
諸井慶一郎先生 1月18日春季大祭講話
人間には、九つの道具があり、それに心を添えて十分である。
第一に、二つ一つの道具、拍子木とちゃんぽん。拍子木は本心であり目、ちゃんぽんは耳。息は風をおこし吹き分けるから笛。息をする呼吸をするから胡弓。左は善、右は悪というお諭しがあり、また、左は男の理、右は女の理といわてれる。右手足は女、大きいのが右足で琴、小さいのが右手で三味線。左手足は男、大きいのが左足で太鼓、小さいのが左足ですり金。鼓は慎みの理で一の道具。
このように、思案すればすぐにわかるから教祖は言われなかったのではないか。
- 胡弓は呼吸の鼻や、つく息ひく息一手の呼吸
- 笛は言葉一つで徳が増える(大事である)
- ちゃんぽんはちゃんと聞いて本(当)になる
- 拍子木は心の標識、真の心の目
- 琴は事を運ぶ理
- 鼓は慎み
- 三味線は三の味が湧き出る泉
- すり金(鉦鼓)は裏手の働きが誠の証拠
元始まりの道具
月日様と八種の道具で十種となる。この中で、いざなぎといざなみは少々意味合いが違うので外して考える。
月日様と八種の道具で十種となる。この中で、いざなぎといざなみは少々意味合いが違うので外して考える。
- 月よみとくにさづちは鼓
- くにとこたちは目、本心(芯)であり拍子木
- をもたりは琴、十二弦に一弦で十三弦、
十二支の理合いの頭を持つ大蛇一匹、一年は
十二ヶ月、一日は十二とび、日々運びの理合い - くにさづちはちゃんぽん、
ちゃん(金)ぽん(鼓)手びら金ともいう - くもよみは三味線、斜めに傾けて弾くから
水の流れ、流れる水の御守護 - たいしょく天は胡弓、立てて弾く姿が、
海底に沈んでいるふぐ、小鼻の形 - をふとのべはすり金、
真っ黒な穴の中に、目が二つの黒ぐつな - かしこねは風、息吹き分けの笛
胡弓は、鳴りにくい場合、弓の手入れが大事であり、松やにパウダーを弓の弦につけ、沸騰した湯気であぶると解け、弓が立つくらいになり、良く鳴る。また、弦が切れないように上手に弓で弾く。切って切り過ぎない、そっと切る事が大事。また、鼻はいつも嗅いでいるため、悪い臭いだけ敏感に嗅げるようにできており、下へ向いているのは、口元と股座を嗅いで身を改める。人の臭いを嗅いで相手を切らない。たいしょく天は、七かける三の二十一回の三回だけ切る。
おつとめは、人間の身の内かりものの姿を再現して、その理を立てて御恩報じするという事を示されたものである。
おてふりと鳴物
おてふりの六人が、八足六台の身の内六台となり、真中から月様と日様、二番目が月よみとくにさづち、外側がいざなぎといざなみとなる。月よみとくにさづちが、いざなぎといざなみにし込まれ、月様と日様が入込み、人間をお始めになられた。
いざなぎのぎは気、気を集中してさせてもらう。目に力がこもる、精神に力を授けてもらう。
いざなみのみは身、身の御守護。身を尽くす、真心を尽くす。
九つの鳴物は、身の上の道具。自分の心と体が、目で見る時、耳で聞く時、手足がバラバラでは話にならない。変わらぬが誠であり、一つ心でさせて頂く。九つの道具に心を一つ添えて十分となる。
だからこそ、我々はおつとめにて、その学びと習いをしっかりさせて頂かなければならないのである。
おてふりの六人が、八足六台の身の内六台となり、真中から月様と日様、二番目が月よみとくにさづち、外側がいざなぎといざなみとなる。月よみとくにさづちが、いざなぎといざなみにし込まれ、月様と日様が入込み、人間をお始めになられた。
いざなぎのぎは気、気を集中してさせてもらう。目に力がこもる、精神に力を授けてもらう。
いざなみのみは身、身の御守護。身を尽くす、真心を尽くす。
九つの鳴物は、身の上の道具。自分の心と体が、目で見る時、耳で聞く時、手足がバラバラでは話にならない。変わらぬが誠であり、一つ心でさせて頂く。九つの道具に心を一つ添えて十分となる。
だからこそ、我々はおつとめにて、その学びと習いをしっかりさせて頂かなければならないのである。