大教会役員大塚治道庵原分教会長
平成20年6月12日お出直し
・遷霊祭 平成20年6月14日 午後6時 ・告別式 平成20年6月15日 午前10時30分 ・出 棺 平成20年6月15日 午後0時30分 ・十日祭 平成20年6月15日 午後3時 |
斎 主 副斎主 祓 師 後 取 装束師 伶 人 |
大教会長 松浦富幸 鈴木道治 増田時雄 清水一徳 清水栄治 清水道男 |
相原 清 鎌田静夫 |
大教会役員(庵原分教会長)
故大塚治道氏への弔辞
柴 美江(三保松原分教会長夫人)
「会長さん、ちょっと順番が違いますよ、間違っていますよ。会長さんが先に行っては困ります。」「ああ、そうそう、ごめん、ごめん順番を間違えたみたいだね」「そうですよ、間違えないでください、私達の方が先なんですから、ちゃんと決めたとうりして下さらないと…」
毎月の月次祭の時、冗談でも良いからこんな会話を交わしておけば良かった、しっかりと会長さんの心に、順番を間違えないように言っておけば良かった。あちらへ送っていただくはずの私達が、会長さんを先にお送りする事になろうとは、今更悔んでも悔みきれないこの胸の内、どうする術もございません。
会長さん聞こえますか、会長さん、いくら大きな声で呼んでも、何回呼びかけても返事はありません。梅雨空の下、色とりどりに咲いている紫陽花の花も目に入らないのです。会長さんとの永久の別れに溢れる涙でまわりの全ての物が目に入りません。
会長さんは昨年7月頃よりとみに体調すぐれず、とうとう、10月半ばすぎ、あの細いお体で手術を受けられました。少しずつ快方に向かわれておられたのですが、今年3月頃より再び体調が悪くなられて、とうとう先人の方々の元へと旅立たれました。私が教会へ嫁がせて頂いて40数年になります。会長さんと理の親子の宿縁を頂いて、今世同じ信仰と言うレールの上を歩ませていただいて参りました。おぢばで、大教会の月次祭で、庵原分教会の月次祭でと御一諸させて頂いた時間は、ほんのひと握りだったかもしれません。でも私は会長さんとお話させていただくことが、とても楽しみでした。月次祭のたび、昼食を頂きながらお説きくださる理のお話は分かりやすく、楽しい勉強の場でした。会長さんにほめられると、嬉しくなって心が勇んでくるのです。
毎月2日の日は直轄祭と言って、直轄の信者さん方のおつとめの日です。そう言う時など真実込めて、あるときは厳しく、あるときはやさしくいろいろな事を教えて下さったそうです。ビールを美味しくコップに注ぐ方法だったり、おさずけのお取次ぎの仕方をしっかりと教えて下さったり、特に会長さんのおつとめに込める信仰姿勢には厳しいものがあり、信者さん方も会長さんの会長さんたるゆえんを教えられたと言います。
「よし枝ちゃん、三年千日の日参だよ。おれの言う○○円の御供えで三年千日日参しな。」ひょうひょうと言う会長さんの声に「ハイ、会長さん頑張ります」と答えました。一昨年教祖百120年祭の年、6月12日の月次祭の日でした。あの日から2年が過ぎ、三年千日もあと1年となりました。親神様と会長さんにお約束したその成就する日を一諸に迎えてほしかった、残念でならないけれど会長さんがあちらで『もう、いいよ』と言って下さる日迄頑張りたいと思います。
5月30日会長さんの体調芳しくなくなり、信者さん始め私達も病院へ駆けつけ、必死におさずけのお取次ぎをさせていただきました。終わって思わず会長さんの手を握りしめると、か細いお声で『よし枝ちゃん、ありがとうな。支えに…な』あふれ出る涙をこらえて、思わずグーのサインを出し「大丈夫、大丈夫、まかせて…」と。
六月に入ってからご長男の慶一さんがおさずけの理を拝戴され、真新しいおさずけを会長さんにお取次ぎされました。その時の会長さんの喜びはいかばかりであったことでしょう。
お出直しをされた日は図らずも自教会の月次祭の日でした。慶一さんもおつとめ着をつけて、立派に十二下りをおつとめ下さいました。そのことは、月次祭の終わったあと、すぐにも病院に見舞われた方が、会長さんにお伝えいたしました。会長さんは目を大きくして、筆談で手を握れと言われ、ありがとうと言わんばかりに、何回も何回も握りあいました。これからは奥様を芯に慶一さん、信者さん、部内教会一同、みんな心をひとつに合わせて教会を盛り立てていきます。どうぞ、どうぞご安心くださいますように。
会長様どうぞ安らかに、ごゆっくりとお休みくださいますように。
最後に会長様のご身上以来 手厚い看護をなされた奥様、ご家族の皆様の労を心からおねぎらい申し上げ、拙いながら送別の言葉とさせて頂きます。
平成20年6月15日