静岡大教会六代会長就任奉告祭
立教171年(平成20年)2月17日
大教会長様あいさつ
真柱様へお礼の言葉
約3年前の平成16年10月17日には、もったいなくも真柱様のお入り込みを賜り、盛大に「神殿落成奉告際」をつとめさせて頂き、その喜びを持って今日まで通らせて頂いておりますが、振り返りますと、静岡大教会も真柱様のお言葉どおり、幾重の大節を先人先輩方の御苦労によって乗りこえ、そして今日のように、形も整った大教会をお見せいただけたと思わせて頂いております。「理は末代」といいましても、今日になるまで先人先輩方の艱難苦労の道を通られたことを、私自身が肝に銘じそれを忘れず、そのために常に教祖のおひながたを心の目標として、教会長、信者、ようぼくと常に談じ合い、心を一つにし、皆が喜び勇んで通らせて頂ける教会にさせて頂きたいと思います。
どうか届きませんが、これからもお導きの程を宜しくお願い致します。
本日は誠に有難うございました。
参拝者へのお礼の言葉
ご参拝の皆様方、本日はお寒い中誠に有難うございました。振り返りますと約3年前、真柱様のお入り込みを頂き、この新しい神殿に於いて「神殿落成奉告祭」を執り行わせて頂き、今日この新しい神殿に於いて、真柱様、奥様のお入り込みを賜り、「会長就任奉告祭」を執り行わせて頂けることは、本当に有難く思います。今日を『一生の宝』とし、この一日を忘れず、これから「たすけ一条の道」に邁進させて頂く所存であります。
静岡の道は、明治25年6月8日に始まりました。そのとき、静岡支教会として名称の理のお許しを頂き、今、116年経ちます。
その間に皆様もご承知の通り、幾重の大節を通らせて頂いております。この境内地も三分の一に縮小され、それを三代会長時代には、不自由の中を通り、今の境内地に挽回したのであります。さらには、四代会長の時には二代真柱様が幾度もこちらの教会にお立ち寄りになり、静岡県の県庁所在地に何とか本部直轄の大教会を、というお声に四代会長は粉骨砕身に勤めきり、そして、見事、昭和38年1月26日には、静岡大教会昇級というお許しを頂いたのであります。
その間にも幾重の節があり、戦争によって焼けた神殿が、皆様の真心で、少しづつ少しづつ建築され、神殿も完成し大教会に昇級させて頂いたわけでありますが、約3年前までその神殿を使わせて頂きながら、前会長である五代会長時代には、詰所のふしん、又は、こちらの大教会のふしんと、皆様に真心を頂戴し、今ここで、このような形の整った静岡大教会の会長としてつとめさせて頂けるわけであります。
『形のふしん、心のふしん』というお言葉がありますが、まさに、今までは形のふしんの連続であったと思います。ところが、これからは、形ではなく、本当の意味で、心のふしんにつとめさせて頂けます。今真柱様からお言葉の中にも、会長自身も常に心を磨いていかなければならないことをお聞かせ頂きました。 確かに「理」は末代であり、信者さんから見れば代わっても会長という理は変わらないものでありますが、それをつとめる会長の心が成人しなくては、親神様のご期待に応えられないと思います。その意味で、今、形の整った静岡大教会に於いて、本当の意味で心のふしんをこれからはさせて頂きたい。これは、皆様方にもどうかご協力を願いたいと、ここでもう一度お願い申し上げたいと思います。
本日の為に、前々から関係者の方が準備に遅くまで取り掛かって頂き、そして皆様を、お寒い中ではありましたがお迎えできたこと、これは、本当に有難く思います。私も届きませんが、何とか、皆様の真心にもお応えして、先程真柱様にも申し上げましたが、皆さんのお心、一人ひとりの声をお聞かせ頂き、皆さんと談じ合い、そして、心を一つにして、皆さんが喜び勇んで「たすけ一条」の道を通れるような教会にさせて頂きたいと思います。これは私自身の決意であります。
どうかこれからも、皆さんの真心をお寄せ頂きたいと思います。
本日は、お寒い中、本当に有難うございました。