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    立教170年(平成19年)3月18日発行 第231号
    春季大祭講話(要旨)

春季大祭講話(要旨)
諸井慶一郎先生(平成19年1月18日)

 天理教といわれるようになったのは、明治18年頃の事であり、その由来は南無天理王命からである。
 天理王命と唱えるのは、人間身の内の目に温み、皮繋ぎ、真の骨、飲み食い出入り、息、これ六台神様からの借り物である。更に切って引き出し、種、苗代のお働き、十柱の神のお働きとして、これを諸共に念じさせて頂く上から天理王命と称する。これを立てて念じさせて頂く事が、南無天理王命である。
 奉る(たてまつる)という事は、素直な心で奉らせてもらうのであり、素直にならせて頂く事が大切である。心通りで心を直せば治る。貸し物という上から心を直せば神が治す。しかし、直す上から南無天理王命と唱えるだけでは治らない。そこで教祖は、69才から「あしきはらいたすけたまえ天理王命」と祈念する道をお付け下された。このお歌は始め二拍子であったが、鳴物入れての四拍子では歌いにくいこともあり、明治15年頃から今日の「あしきをはろうてたすけたまえ天理王命」となったと思われる。
 ところで、心は直す方が治るよりも簡単である。急場では、すぐにできる事として、素直になる、素直にする事はできるが、心が緩めば元に戻る。本当の所は、治るのが大切である。
 では、治るために必要な事を挙げさせて頂く。

一、自らの努力

二、人助け

三、朝夕のおつとめでは、我身より他人の願い
  (第一に家族から)

四、病気は医者、薬で治す。
  薬が効かぬのは病気でなく、神の御意見である。
  天理に叶わぬかっての心、八つの埃をはらう。
  つまり、心直しの御意見であるから
  「あしきはらいたすけたまえ天理王命」と唱える。

 これが真に助かる道である。
 さて、人間は素直になり、心を一つにさせて頂く事が大切である。
 人間の手は、両手を合わせるとぴたっと合う。このように素直に心一つになればよいが、心が離れると手も離れ、合わせるとぴしゃっと鳴るように心もぶつかり合う。
 また、南無とは口の発音のところ、「あ」開く「うん」閉じるという「あうん」の呼吸の事であり、息が合う、一つになるという、天地抱き合わせの月日の心にならせて頂く事である。月日一体のお働きは、地上で言えば火と水の事である。人間で言えば、温みと潤いの御守護、夫婦の事である。
 ところで、徳とは、字のごとく素直な心の行いの事であり、天地の働き、天の恵みは天徳、神徳とも言う。天の恵み、徳分はめいめいの分の応じて働き、素直な心になればなる程働く。それが人徳である。
 教祖の時代の、二ノ宮尊徳の例え話では、「風呂の湯は、押せば返るが、寄せれば逃げる」とある。つまり、天の恵みに報いれば皆返ってくるという神恩報謝(報恩感謝)が大切である。
 かしもの、かりものの理では、身の内が一番であるが、天の恵み、天徳では、火、水、風のお働きの中での衣食住である。切って引き出しあと繋ぎの働きの中からの、切り繋ぎの一番万能の物は金銭である。
 これに対し、不徳の原因は、まず、いただき過ぎがある。慎み、必要以外は出させてもらう。即ち「あしきをはろうて」である。
 次に、不足が多い事である。人に対する不足がほとんど。人の金銭の出し入れ、飲み食いに関してである。不足とは足元が整わない事であるため、足元を固めさせてもらう。即ち「たすけたまえ」である。
 最後に、尽くし足りない事である。順序に従って尽くさせて頂く。天の働きと、人の働きに対して、お礼を申し上げる。即ち「天理王命」である。
 このようにして、心を直す道によって働くものは「ふしぎ」であり、「ふしぎ」は神である。どうか心を直すも治るも、手の平がぴたっと合うがごとく素直にならせて頂きたい。