春季大祭講話(要旨)
諸井慶一郎先生(平成19年1月18日)
天理王命と唱えるのは、人間身の内の目に温み、皮繋ぎ、真の骨、飲み食い出入り、息、これ六台神様からの借り物である。更に切って引き出し、種、苗代のお働き、十柱の神のお働きとして、これを諸共に念じさせて頂く上から天理王命と称する。これを立てて念じさせて頂く事が、南無天理王命である。
奉る(たてまつる)という事は、素直な心で奉らせてもらうのであり、素直にならせて頂く事が大切である。心通りで心を直せば治る。貸し物という上から心を直せば神が治す。しかし、直す上から南無天理王命と唱えるだけでは治らない。そこで教祖は、69才から「あしきはらいたすけたまえ天理王命」と祈念する道をお付け下された。このお歌は始め二拍子であったが、鳴物入れての四拍子では歌いにくいこともあり、明治15年頃から今日の「あしきをはろうてたすけたまえ天理王命」となったと思われる。
ところで、心は直す方が治るよりも簡単である。急場では、すぐにできる事として、素直になる、素直にする事はできるが、心が緩めば元に戻る。本当の所は、治るのが大切である。
では、治るために必要な事を挙げさせて頂く。
一、自らの努力
二、人助け
三、朝夕のおつとめでは、我身より他人の願い
(第一に家族から)
四、病気は医者、薬で治す。
薬が効かぬのは病気でなく、神の御意見である。
天理に叶わぬかっての心、八つの埃をはらう。
つまり、心直しの御意見であるから
「あしきはらいたすけたまえ天理王命」と唱える。
さて、人間は素直になり、心を一つにさせて頂く事が大切である。
人間の手は、両手を合わせるとぴたっと合う。このように素直に心一つになればよいが、心が離れると手も離れ、合わせるとぴしゃっと鳴るように心もぶつかり合う。
また、南無とは口の発音のところ、「あ」開く「うん」閉じるという「あうん」の呼吸の事であり、息が合う、一つになるという、天地抱き合わせの月日の心にならせて頂く事である。月日一体のお働きは、地上で言えば火と水の事である。人間で言えば、温みと潤いの御守護、夫婦の事である。
ところで、徳とは、字のごとく素直な心の行いの事であり、天地の働き、天の恵みは天徳、神徳とも言う。天の恵み、徳分はめいめいの分の応じて働き、素直な心になればなる程働く。それが人徳である。
教祖の時代の、二ノ宮尊徳の例え話では、「風呂の湯は、押せば返るが、寄せれば逃げる」とある。つまり、天の恵みに報いれば皆返ってくるという神恩報謝(報恩感謝)が大切である。
かしもの、かりものの理では、身の内が一番であるが、天の恵み、天徳では、火、水、風のお働きの中での衣食住である。切って引き出しあと繋ぎの働きの中からの、切り繋ぎの一番万能の物は金銭である。
これに対し、不徳の原因は、まず、いただき過ぎがある。慎み、必要以外は出させてもらう。即ち「あしきをはろうて」である。
次に、不足が多い事である。人に対する不足がほとんど。人の金銭の出し入れ、飲み食いに関してである。不足とは足元が整わない事であるため、足元を固めさせてもらう。即ち「たすけたまえ」である。
最後に、尽くし足りない事である。順序に従って尽くさせて頂く。天の働きと、人の働きに対して、お礼を申し上げる。即ち「天理王命」である。
このようにして、心を直す道によって働くものは「ふしぎ」であり、「ふしぎ」は神である。どうか心を直すも治るも、手の平がぴたっと合うがごとく素直にならせて頂きたい。