1654年、中国(清)の福建省より渡来し「いんげん豆」、「明朝体」など多くの文物を日本に伝えた隠元禅師という僧侶がいます。宇治の黄檗宗萬福寺の開祖で普茶料理など飲茶を通じて禅宗の心を伝えました。特筆すべきは煎茶器(朱泥急須)と煎茶(釜炒り茶)を伝えたことです。
茶を鉄釜で炒ってから揉んで乾燥させ、これを急須に入れてお茶の成分だけを出す(煎じる)という飲み方です。当時の日本(江戸時代初期)飲まれていたのは抹茶(上流階級)の他は、そのまま太陽で乾かした日乾番茶などで長時間沸騰させないと味も香りもしませんでした。ところが隠元禅師が伝えたお茶は手間をかけずに美味しく淹れる事が出来たのです。
お茶を揉む目的は茶葉に力を加えて内部の細胞組織を壊して内容成分の溶出を容易にするためで、外観を整えて商品としての価値を高めることも出来ます。また乾燥させることで容量は五分の一ほどのコンパクトになり、水分含有量も3%位で保存性も良くなります。
蒸してから揉まずに乾燥させる抹茶(日本)と釜で炒って揉む釜炒り茶(中国)を合体させて蒸して揉んでから乾燥させる蒸製煎茶の製茶法を生み出したのが永谷宗円(永谷園の祖先)です。鮮緑で風味もよく従来品とは格段のの品質の日本独自の新しい煎茶(日本茶)が誕生し広く庶民に飲まれるようになりました。(江戸時代中期)
尊敬すべきはこの大発明の新製法を私(特許)することなく公開したことです。
抹茶(茶道)は精神文化を重要視するあまり大衆文化にまで広がりませんでした。日本の飲茶文化の広がりは煎茶の登場によるもので、その生産は北海道を除く日本全土に普及しました。これを伝えた隠元禅師の功績は極めて大きいものなのです。
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