今年六月、日本が誇る富士山が世界文化遺産に登録され、地元はもとより日本中が喜びに包まれました。懸案の三保の松原(静岡市清水区)も構成資産の一つとして登録されました。
あれ天人は羽衣の
舞いを舞い舞い帰り行く
風に袂がひらひらと
羽根に朝日がきらきらと
松原こえて大空の
霞に消えて昇り行く (唱歌羽衣)
駿河湾につき出た半島にある三保の松原は富士山の眺望の素晴らしさと伝説羽衣≠ナ広く知られた名勝です。今度の世界遺産登録で一番喜んだのも、松の枝に羽衣を掛けて磯遊びをしていた天女さんと、その隙に羽衣をチョット拝借しようとした浜の漁師さんではないでしょうか。
今から千年も昔の更級日記にも「ここらの国を過ぎるに駿河の清見が関(静岡市清水区)と逢坂の関(滋賀県)とばかりなり」とあり、この両所が東海道で一番心に残る美しさであったと記しています。父上と上総国(千葉県)より帰京する姫君は清見が関の対岸に連らなる三保の松原の美しさ感嘆し、左に聳える富士山の美しさを女性らしく大宮人のファッションにたとえています。
富士山は古代から信仰の山として崇められ、その中心は構成資産の一つ富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)です。元は富士山頂上に本殿があったのを千三百年前の大同年間に麓の現在地へ移し、富士山全体をご神体とし、山頂の宮を奥宮とし八合目以上を境内地としています。
富士山は万葉の昔より多くの歌人により、その崇高さ、雄大さ、清純さが詠まれている一方、庶民の歌には若い男女の恋歌として詠まれ「駿河なる富士の…」はその枕詞となっています。
今秋、世界文化遺産登録を記念して静岡県立美術館に於いて富士山の絵画展が開催され、室町時代(十六世紀)の富士三保の松原図屏風≠始め中世から近代に至るまでの高名な画家による富士山にまつわる日本画八十点程の展示がありました。そのしめは横山大観の群青富士≠ナした。富士山は文化国家日本の象徴としてその時代時代の文化芸術を生み出して行くと思います。
今日も富士山は八合目以上に白砂の雪を戴き初冬の空に聳えています。
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