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19  vol.25 家康公四百年祭
2021.10.28 Thu.
 徳川家康公が亡くなり四百周年を迎えるにあたり静岡市では「徳川家康公顕彰四百年祭」が行われています。
 家康公は1616年4月17日75歳で亡くなるまでの三分の一に当る約25年間を駿府(静岡市)で過ごされました。今川義元の人質だった少年時代、豊臣秀吉から駿河他五か国を拝領し居城とした時期、将軍職を秀忠に譲り大御所政治の舞台となった晩年です。
 駿府は東海道に面し清水港を有する交通の要衝で幕府のある江戸を防衛する拠点でした。大御所時代の駿府城は戦よりも迎賓館的な役割を担い諸外国との外交の中心でした。安倍川の治水事業や「駿府九十六カ町」と呼ばれる町割の整備などのノウハウは後に江戸の町づくりにも活かされました。当時の駿府は江戸を凌ぐ政治・経済の中心だったと言われています。
 没後、遺言により埋葬された久能山の国宝「久能山東照宮」には現在もご遺体が眠っていると言われています。東照宮は西向きに建ち字の如く太陽が東から昇って世を照らし西国には睨みを効かせ、久能山と日光を結ぶ直線上には世界遺産の富士山がそびえ立ちます。
 当店所在の「金座町」は江戸時代には「上魚町」と呼ばれ魚座のあった台所町でした。家康時代は「金座」が置かれ小判の鋳造・鑑定を行っていた事に由来し昭和初めに「金座町」と改称しました。「金座」は後に江戸に移り現在跡地は日本銀行静岡支店他多くの銀行が立ち並びます。江戸の跡地はというともちろん日本銀行本店です。同時期に「銀座」も江戸に移りましたが、これが東京銀座のルーツになります。江戸には駿府と似ている地名が多くあるのです。
 「駿河雑志」によると家康公は駿府を「気候温暖で食べ物が美味しい、景観が素晴らしく交通の便も良い」と表し大変気に入っていたそうです。
 そして家康公が愛したモノの中に「お茶」があります。「お茶」を愛飲して戦乱の世を勝ち抜き当時としては75歳と長命でした。静岡県は男女共に健康寿命が全国トップです。これは日頃からたくさんお茶を飲んでいるからだと言われています。今年も白銀屋のおいしい新茶を飲んで元気でいきましょう。


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