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20  vol.24 甘味救世主伝説
2021.10.28 Thu.
 江戸時代中期、宇治の永谷宗円(永谷園の先祖)が考案した製茶方法「青製煎茶製法」や江戸の山本嘉兵衛(山本山の先祖)の販売努力により煎茶が庶民の間にも普及するようになりました。
 お茶が流行ればお茶請けです。お茶請けといえば甘味。甘味といえば砂糖ですが、砂糖は当時不老長寿の仙薬として薬屋で売られる大変高価な貴重品だったそうです。
 砂糖は中国・台湾・東南アジアから輸入されていましたが、日本国内の金銀の流出は深刻で財政を揺るがすほどだったため、八代将軍徳川吉宗は国産の砂糖の開発を盛んに奨励しました。この事業を取り仕切ったのが江戸時代の発明王「平賀源内」です。故郷の讃岐(香川県)にサトウキビを栽培して従来品よりも格段に高品質の白糖を精製し事業は大成功しました。現在も香川県は高級和菓子用の極上砂糖「和三盆」の産地として有名です。
 砂糖の普及で和菓子の製造も盛んになり、お茶に甘味を添えてお茶請けとするようになりました。中でも最高級のおもてなし菓子は「羊羹」でした。羊羹は字のごとく羊の肉や内臓の羹(スープ)でした。当時の日本は仏教一色で獣肉は禁忌だったため、赤小豆の粉に小麦粉・葛粉・すった山芋を合わせて似せて作りました。後に砂糖と結びつき竿羊羹が誕生します。室町時代末期創業の京都伏見の「駿河屋」が豊臣秀吉の聚楽第の茶会のために考案した「古代伏見羊羹」が日本最初の羊羹とされています。あの有名な「とらや」もこの頃の創業です。
 羊羹といえば大納言(小豆の大粒品種)。大納言といえば小倉あん(粒あん)です。粒あんはこしあんに皮を切らないように蜜煮した小豆を混ぜたもので鹿の斑紋に似ています。鹿といえば紅葉。紅葉といえば京都は嵯峨の小倉山が有名ということで小倉あんと呼ばれるそうです。
 いよいよ今年もお茶のおいしい季節となりました。お気に入りのお茶請けとご一緒に白銀屋の銘茶で至福のひと時をどうぞお楽しみ下さい。


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