エッセー


考えや感じたことを形式にとらわれないで書いたものです。

そして《 素直な気持ちで観察すると素直な発想が湧きます! 》



目 次
14-05/12 卒 業
12-12/15
10-12/26 まわり道
10-12/10 思いやり
10-04/01 人生の壁
09-05/21 寿命
09-05/01 人間の心
09-03/13 心の余裕
08/02/27 座右の銘
'08/02/14 カレンダー
'07-07/17 車の話
'07-07/10 年金の問題
'07-04/30 拳 銃
'07-04/17 欲 望
'07-03/05 捨てる
'07-02/26 躾について
'07-01/23 健康に感謝
'06-05/30 我(が)
'06-04/14 感謝の心
'05-10/10 幸せと不幸せ

< 喜寿の誕生日 > 

● 3年間もエッセーを書いていなかった。そうしている内に喜寿の誕生日を迎えた。
七を縦に2つ重ねた字で七七(77歳)で喜寿と思っていたが今はこの字は出てこない。

この3年間エッセーを書こうとする気にならなかったという事なのか?
いろんな面で意欲が無くなってきたのも事実だし、体力と気力の衰えが影響しているのは
間違いない。

無理をせず継続出来る何かを見つける事が大切だと思う。
19-03/01

< 季節の移り変わり > 

● 今日は彼岸の中日。白木蓮の花が満開になり、一部の花びらが落ち始めている。
今が見ごろだ。これからは日に日に花びらが落ちて減っていく。

そして次には本格的な春の花が咲き始めるだろう。
そしてまた次の季節へと移っていく。今を満喫して少しずつ次の季節へと移っていく・・ 

この繰り返しがまた何とも言えなく自然を感じる。 四季を繰り返す自然って良いなー。
16-03/21

< 一時的記憶喪失 > 

● 深酒(特に3種混合)をすると記憶喪失になることがある。
先日のグラウンドゴルフ大会後に参加した慰労会でビール・日本酒・焼酎と3種混合をやってしまった。

慰労会の終わりころからの記憶が途切れた。
帰り道稲刈りが終わった田んぼに着地して袖が冷たく一時的に記憶が戻ったが、その後家に帰って
着替えをした記憶が無いのだ。座ってテレビを見ているところから記憶が戻った。

足元はおぼつかないが記憶はとにかく戻った。
次の日になって足のくるぶしの上に擦り傷が・・・痛みまで喪失。
ここまで飲んではだめですね。反省・・・

15-09/28

< 続・古希の手習い > 

● 「かなづち解消」の水泳教室に通い始めて一年、一回45分・週一回 半分遊びの様な歩行、
ストレッチも含みクロールを主体にした泳ぎ方を教わりながら一年が経過した。

水中ウォーキングをしている人が言う。「ゆったりした綺麗なフォームで泳げていいですね」と。
えっ、と周りを見るが誰もいない。私の事だった。

30mも泳ぐと行き絶え絶えの状態なのに・・・他人から見ると形が付いているようだ。
ちょっとうれしくなった。

最初はバタバタしていただけだった自分が、一年続けた成果なのかな?自分ではよく分からない。
14-11/14

< 卒 業 > 

● 何年くらい続いたのだろう?現役で仕事をしている頃からやっていたインディアカを、
今年の4月いっぱいで引退(卒業)することにした。

理由は、これ(インディアカ)に付随するいろいろなことに意欲が無くなってきたというのが
本音だ。 運動としてやるのは良いのだが・・・。面倒が億劫になった。

当番制で、予定された日は雨の日・風の日・暑さ・寒さに関係なく体育館のカギを借り、
コートを作り、終ったら片づけて清掃をしてカギを返すまでが当番の役。

振り返って考えて見ると20年以上は続けてやって来た様な気がする。
そのお蔭で健康な生活が過ごせたのではないかとも思われる。

リーグ戦の大会や遠征試合も今は楽しい思い出になりました。健康をありがとう。
14-05/12

< 古希(70歳)の手習い > 

● ある時、古希になると「県や市のいろいろなスポーツ施設が無料で利用することができる」
と市の広報でお知らせがあった。県武道館のアスレチック施設や、市営の温水プールなどなど。

これらの施設を開放して高齢者が病院にかかる割合を減らそうという考えだそうだ。
後期高齢者というレッテルを貼られた年代だが、無料で利用させてもらって病院の混雑と、
医療費の低減に協力することにした。

昨年の10月、早速温水プールの利用カードを作ってもらい通うことにした。
しかしただプールに入っているのもつまらないので「かなづち解消」だったかな?水泳教室で
週一回のワンコインレッスンを受けることにした。

自慢ではないがほとんど泳げない実力なので、少しでも上達したいなと思いながら「古希の手習い」
を始めました。
14-02/06

< 選挙権・投票率・権利と義務 > 

● 2013年6月16日静岡県知事選が行われた。投票率は49.49%だったという。
不在投票とか、投票時間の延長とかで投票しやすい環境を作っているにも関わらず、
有権者のほぼ半分は投票に行っていない。

この少し前、成年後見制度が摘要されている人は選挙権がないのはおかしいと、
裁判を起こして勝訴した。そして選挙権を勝ち取った。

全国での対象者はおよそ13万6千人だという。この方たちは必ず選挙に行くという。

与えられていなかった権利を勝ち取った人と自動的に与えられた人の考え方の違いが
この投票率に表れているのではないかと思う。

権利があるということは義務もあるということ。

「何回か投票しなかった人は選挙権剥奪」または「罰金うん万円」という位の事を
やってみたらどうだろうか?
13-06/17

< 何もしない休日 > 

● 朝ご飯を食べ、何することなく(実際には新聞を読み、パソコンをいじって)
過ごすともう昼の時間だ。食事の用意をし、食べて片付け、また座る。

テレビを見ながらウトウトすることしばし。
目覚めて洗濯物を取り込んで片付けると、もう夕方になっている。

あ〜ァこれでもう休日の一日が過ぎて行く。
また夕御飯を用意する時間が来る。何もしない休日がこうして過ぎてゆく。
13-04/25

< 夢 > 

● 今までにどの位多くの夢を見たのだろう。
と言っても寝ていて見る夢ではない。起きているときの夢である。

つまり自分が目標とすることに向かうこと。

振り返ってみても、いつか見た夢も思い出すこともほとんどない。
先を見渡して見ても、これから向かう夢もそう多くはないが、
夢を持たない人生も味気ない。

これからの人生、大きな夢は要らない。小さな夢を持ちながら送りたい。
12-12/15

<生きて行くということ> 

● 生きて行くことって人生の事なのだろう。
生活する中でいろいろな事の積み重ねが人生でもある。

喜びがあり、悲しみがあり、楽しみがあり、怒りもある。
生きて行く上でいろいろな事が付いて回る。

喜びだけや、悲しみだけ、楽しみだけ、怒ってばかりの平坦な人生は無い。
喜怒哀楽が適当に混ざっているから人生なのだ。生きているのだ。

悲しみは無い方が良いが、避けては通れない。
これからの人生も喜怒哀楽が繰り返されて生きて行くのだろう。
11-10/27

<失敗から学ぶこと> 

● 大勢の中には稀に、失敗する前に向上し上達する人もいるが、凡人の私はたびたび失敗を
繰り返す、と言うより失敗しないと上達しない様な気がしてならない。

失敗する事によって同じ失敗をしない様に努力する事で前進する。と言う繰り返しで
全ての事が少しずつ上達してきた様に思う。

失敗をするのは当たり前。少し遠周りをするが、失敗から学びそれで少し前進すれば
いいじゃないかと思えば気も楽だ。

これからの人生もいろいろな失敗を繰り返すだろう。
失敗から学んでも上達は見込めないかも知れないが、同じ失敗はしない様にして行きたいと思う。
11-07/04

<嘆かわしい短縮言葉> 

● いつ頃から始まったのだろう。何でも適当に省略して短い言葉にしてしまう。
その言葉を知らないのは時代遅れだと言わぬばかりにメディアも煽る。
ちゃんとした言葉で話す人がいなくなって行くように感じる。

私でも知っている短縮言葉、ミスド メアド ヤフオク メルマガ 私のエッセーを
読んで頂いている皆さんも当然ご存じのはず・・・

どうしてミスタードーナツ メールアドレス ヤフーオークション メールマガジンと
言わないのか?何でも短くすれば現代的とでも思っているのでしょうか?

世界的には通じない言葉になって行く様な気がしてならない。
マツケン、プレステ、デキコン あ〜ァ、見聞きするたび嘆かわしい。
11-05/28

<原子力発電所の功罪> 

● 安全だと言われてきた原子力発電所が、地震と津波で大災害を引き起こしている。
原因は「想定外の出来事」であるという。絶対に安全だと言ってきたのは何だったのだろう。

電源が切れる事は無い(補助電源がある)・原子炉は爆発する事は無い(自動で停止する)・
放射能漏れの中で作業する事は無い(原子炉から放射能は漏れない)と言う「・・はない」
の様な「危機管理の想定」が甘かったと言う他ないのではないか。

通常は放射性物質が僅かに増えてもピリピリしていたのが、はるかに多い放射性物質が含まれ
ていても「緊急事態」だとして空中や海に放出してしまう。

国民も緊急事態だから仕方ないと思ってしまう。
原子力発電所を建設して発電した利益や功績と事故後の補償や、汚染された場所の後始末の
費用を考えた時「罪」の方がはるかに多いように感じるのは私だけではないと思う。
11-04/19

<東日本大震災から一カ月> 

● 3/10に発生した大地震は「東日本大震災」と命名された。死者・行方不明者の合計が
28,000名を超えそうだ。

地震直後の津波で家屋流出・福島第一原発の爆発事故により放射能漏れが発生し、原発から
30km以内は避難指示が出る等、寒さ・地震・過去最大の20mを超える様な大津波に襲わ
れた上に、原発の爆発による放射能漏れと四重苦に見舞われている。

日本をはじめ全世界から一千億円を超える義援金や様々な義援物資が集まったようだ。

こういう助け合いの心とは裏腹の行為も発生している様だ。
四重苦に遭い避難している留守の家屋から窃盗をする人がいること、ほとけ心など全く無い人
もいる事は確かだ。
11-04/10

<満タンで・・・> 

● 満タンになると落ち着いていられるのはマイカー。(これで暫く安心だ)

満タンになると落ち着いていられないのが私の体。(トイレ トイレ・・)

11-03/24

<日本史上最大の地震が発生・・・> 

● 東北・三陸沖でM9.0(当初発表はM8.6だった)の地震が発生し、東北3県
(福島県・宮城県・岩手県)と茨城県・千葉県にも大津波が押し寄せ甚大な被害をもたらした。

特に東北3県は10mを超える津波で被害がひどく、死者・行方不明者は1万人を超えると
報道されている。今後の調査でさらに増えると予想される。
当地はゆっくりした横揺れが長く続いたが被害は無かった。
11-03/11 14:46

<人の振り見て・・> 

● 自分の悪い所は他人の方がよく知っている。他人の悪い所は自分が知っている。
影口は言っても自分の悪い所を指摘してくれる人はいない。
他人の悪い所を指摘する自分もいない。

他人の悪い所を見たら自分の事として反省しよう。
そうすれば周りの人から陰口を言われなくなるだろうし、自分も丸い人間になる様な気がする。
「人の振り見てわが振り直せ」と言う格言に行きつく。
11-02/15

<当たり前の事に心が動かされる・・・> 

● 「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」

昼のラジオで放送されていた言葉だが、なぜか心に残った。当たり前の内容で、至極
当然の事だ。

良く噛み砕いて見ると「今日から(今から)そういう気持ちを持てば自分は変えられる」
と言うことなのだが、悲しい事に凡人の私にはなかなかこれが出来ない。
11-01/25

<まわり道・・・> 

● 真っすぐな道は、歩いていると予想がつけられるし見通しも良いが、先が見えている
分単純で変化も無くつまらない。

逆に、曲がった道は見通しもつかないし先も見えない。
しかしその先が見えた時には今までとは違った、変化に富んだ情景が見えてくる。

私の人生を重ねて見た時、どっちの道を長く歩いて来たのだろう。
順調で悩みのない時は真っすぐな道を歩き、落ち込んだり悩んだ時はまわり道をし、
分かれ道では選択を間違えたかも知れない道のりは、やはりまわり道の方がはるかに
多かった様だ。

まわり道でも、一本の道を歩き続けている自分がここに居て、これからも命ある限りは
先の見えない変化に富んだまわり道を歩いて行かなければならないのだろう。
10-12/26

<思いやり・・・・> 

● 広辞苑によると、思いやりとは(実は複数の意味があるが・・)
「相手の立場や気持ちを理解しようとする心」 「自分の身に比べて、人の身について
思うこと」・・とある。

純粋に考えると何となくほのぼのする暖かい言葉だが、行動はなかなか難しい。
立場の違う人に対しての「思いやり」は同じ様には行かない。
困っている人や助けを求めている人に対しては思いやる心を持ちたい。

日本には「思いやり予算(在日米軍駐留経費の日本側負担)」という言葉があり、
2010年の思いやり予算は1881億円だそうだ。

米国関係者は「日本防衛予算」と呼ぶようだが、駐留しているだけで何事もなくても毎年
これだけ払っているのです。

気が遠くなる様な借金を抱えている国が、誰を思いやっているのでしょうね。
日本国民なのでしょうか?
10-12/10

<水の有難さ・・・> 

● 我が家の水は、井戸を掘りポンプで揚水した、夏は冷たく冬は暖かい年中一定の
温度(5℃位)の地下水を利用しているので水道料は掛かりませんが停電したり、
配管が破損すると水は使えません。

普段何気なく使っている水は蛇口をひねれば出てくるのは当たり前と思っている
ので、「もし止まったら・・」等と考える事はまずない。

水が止まったら先ず困るのは3度の食事の支度や後片付けができない、トイレが
使えない、歯も磨けない、風呂も洗濯も・・・。何もかも出来ないのです。

生活のためには、一寸した水漏れや配管の破損くらいは修理位出来るように心掛
け、また長時間の停電には発電機の用意も・・等と考える時もあるのです。
10-11/20

<健康とは・・・> 

● 友人や周りの人が健康を害して病院通いをしていると聞く事が多くなった。
人間、年を取るとどこかしら悪い所が出てくるのは仕方がないが、自分がその立場に
立った時に初めて健康の有難さを感じるのだ。

健康でいる時は健康の有難さを感じない、健康であるのが当たり前と思っているから。
今は私もその部類にある。なるべくなら病院通いはしたくないと思い、普段の節制に
努め体は動かしているがこれも限度がある。

いつまで続くか今の健康が・・・
10-09/05

<感謝の気持ちは言葉で表そう> 

● 独り静かに座るところにあるカレンダーに、「口には出さないけれど、心の中では
いつも感謝しているんだよ」と言う言葉が書かれている。

が、私はやはり感謝の言葉は言葉で表し、伝える方が良いと思っている。
感謝している気持を素直にそのまま言葉として表現する方が気持ちが通じるし、聞いた
方も「喜んでもらえた」事が実感できると思うからです。

感謝の気持ちはその場で、言葉で素直に表そうと思う。
10-05/16

<人生の壁> 

● 今までに過ごしてきた人生の中でいろんな壁に突き当たり乗り越えてきたと思うが、
どんな壁があったのだろう? と考えてみた。

寝返りが打てずにもがいている幼児(孫)に、ちょっと支えてやると起き上がるのを見て
いるとこれが最初の壁(当然記憶はないが)なのかと思い、自分で動き出すハイハイ、立
ち上がり、一歩の歩きだし等々その都度本人にとっては大きな壁を乗り越えて行くのだと
感じる。

 「今までできなかった事が出来るようになる」これが一つの壁を乗り越えたことを意味
するのだ。この幼い子供も数え切れない程多くの壁を乗り越えて、立派に成長して行って
欲しいと思う。
10-04/01

<今年の○○と日本の行方> 

● 今年の流行語大賞が決まった。
「政権交代」だそうだ。去る8月の衆議院選挙で、50年以上続いた「自民党政権」から
「民主・社民・国民新党の連携政権」へ変わった結果だ。

「今年の漢字」と云うのもあり、12月の初旬に『新』と発表された。
どちらもメディアが一年の行事として面白おかしく報道しているが、失業者が5%を超え、
賃金は下がり、物が売れないというデフレスパイラルと言われている昨今、こんな事で浮
かれていてこれからのこの国は大丈夫なのだろうか。

これからこの国を背負っていく若者・子供達の行く先が見えないのが心配で仕方が無い。
09-12/17

<新型インフルエンザ・・> 

● 普通ならインフルエンザの時期ではない今年の夏頃だったか、海外で新型インフルが
発生した時は厚生労働省の発表でメディアが大々的に報道した。

カナダで何人感染・・とか、感染すると死亡する伝染病のように・・・。
暫くして海外渡航者が空港到着時に全員検査・・。続いて感染の疑いがある人は検査結果
が判明するまで隔離・・・となり、一人の発生でメディアが報道するたびに「感染したら
死ぬかも知れない」様な大騒ぎをしていた。

その内に、渡航歴のない人が感染し「その感染ルートが不明(特定できない)」とされ、
その後は日が経つにつれて感染者の数は勢いを増しきた。

10月には全国で1日に1000人以上が感染して、地元でも学級や学年の閉鎖が続いて
いる状況だ。感染した風邪が原因で亡くなった人が出たという報道はない。

逆に予防接種をした後に(別の疾患が原因か?)無くなった事例はある。
何十年か前に大流行した「スペイン風邪」の時の犠牲者の方が多かったのでは・・。
あの大騒ぎは一体何だったのか?
09-11/16

<自転車タイヤの取換え> 

● 3年間乗り続けた私のシティー車、かわいそうに両輪ともひび割れした上に後ろのタイヤ
はつるつるになっていた。

交換してやろうと思い、ホームセンターを見て回り購入してきた。
以前に、別の自転車でタイヤ交換した時に、部品をつけ忘れて手間がかかった記憶があった
ので慎重にやった。

車体のフォークの間にはブレーキ・内装の変速機・スタンドや泥除け・荷台の支持部があり、
何の意識もなく分解してしまうと後で悲惨な目に逢うこと間違いなしだから・・
タイヤも最初に外す時に大変だが後は大したことはない。

リムから外す方向を間違えるとブレーキワイヤが邪魔して取り出せない。
最初に外す方向から考えないと・・・・。タイヤを取り出すのが知恵の輪をやる要領でないと
外れないのだ。分解しないと外れない所だけを選び、分解個所を最小限にしないと後の調整
に手間取ってしまう。

準備万端で進めたためか2時間弱と思ったよりも順調に出来上がった。
「これからまたしばらくお世話になります」と、全体を磨いてやったら自転車も喜んでいる様
に見えた。
09-10/23

<衆議院選挙の結果> 

● 8月30日に実施された衆議院選挙は、報道機関の予想通り民主党の圧勝に終わった。
民主党:308議席、自民党:119議席で、一党の議席として308議席は過去にないと言う
ほどの圧勝ということだ。

民主党のマニフェストに記載されたことが実行されると世の中は変わって行くのだろうと想像される。

50年あまりの長きにわたり支配してきた自民党の悪習を一掃できるか、大いに期待して見守りたい。
09-08/31

<歩くと良く分かる> 

● 自分の住んでいる所でも知らないところが沢山ある。
普段車を使っていると周りの状況をゆっくり見ることがない。案内板があることは知っていて
も、なかなかその機会がない。

その気になって歩いてみると有名な史跡がこんな所にあったの?と改めて認識することに
なる。

ウォーキングをする時、いろいろな所を歩いてみると常に新しい発見がある。
こんな所にこんな店があったの、この道はここへ出てくるんだとか、今回のように昔の史跡
「千貫堤」をゆっくり見ることができるのは歩いて探訪したからです。

千貫の費用(今ではどの位に相当するのか?)を費やして作られたという堤の一部が保存
されている。これからも少し遠いところは自転車で走りながら探訪してみたい。

蛇足:1000文で一貫、4貫で一両だそうですので、ざっと250両です。 一両は何円位になるのかな?
09-08/24

<富士山静岡空港> 

● 静岡空港が開港した。今までは羽田空港、中部国際空港(セントレア)まで行って
目的地までのフライトだったが、これからは車で20分も走れば利用できる様になった。

年に何回利用するのかを考えると本当に便利になったと喜んで良いのだろうか?

騒音、空気の汚染や交通の渋滞などマイナスの面を考慮するとどちらが良かったのか疑問の
方が強くなる。勝手なものだ人間の考え方は・・・・・。
09-05/21

<寿 命> 

● 生きている時間とでも言うのか、これが分かる人はいない。

もし寿命が尽きる時が分かっていたらどうなるのだろう。
その瞬間は避けて通れない。が、何とかその瞬間を避けることを考えるか?

最後の晩餐の様に、身の回りを綺麗に片づけて迎える事ができるか?
いずれにしても、寿命が近付くにつれて落着いた暮しは出来ないだろう。
人間誰しも死への恐怖心は持っていると思う。

「知らぬが花」と言う言葉がまさに適当だ。
いつか分からない寿命が来るまでは趣味に励み、ゆっくりした生活が楽しめれば最高!
09-05/21

<人間の心> 

● 名言集の中に、「人の心には、菩薩(善)と悪魔(悪)がいる」と言うのがある。
一日のうちに何度も菩薩になったり悪魔になったりすると言う。

孤独な場所に座っている時考えてみた。

● 菩薩になる時とは・・・褒められたり、嬉しい事があったり、人に親切な事ができたり、心が平穏で動揺 がない時は心も菩薩(善)になれるような気がする。

● 逆に悪魔になりそうな時とは・・・

言い争いをした後や、イライラしていて気持ちが荒立っている時等で、心が動揺している時などは悪魔が 顔を出しそうだ。

自分が菩薩でいる時には、相手も菩薩になってくれそうな気がする。
自分が悪魔でいる時には、相手も悪魔に変わって来る。

皆が菩薩になってもらえるためには少なくとも自分が菩薩でいることが必要だ。
09-04/20

<出来るなら腹は立てないでいたい> 

● 腹が立つことを若者言葉で言うなら「ムカつく」と言うのだろう。
格言でも「腹は立てず」と言うが、人間誰しも腹を立てる。

そして腹が立っている時に何か言われると必ず愚痴が出る(私も例外ではない)。
言わなくても良い事(愚痴)を言ってしまい、おかしい雰囲気になってしまう事も多い。

心は丸く・マイペースを崩さず・少なくともその場では他人の言う事に逆らわず (やりたいようにやってもらい)うるさいと思っても「そうだね」と受け流す程度ではとても対応できない 程人間の精神は不安定なのですね!
09-04/20

<心の余裕> 

● 「余裕」・・と言う言葉を辞書で引いてみた。
〔精神的・経済的・物理的に〕必要以上に有り余っている部分。ゆとり。・・・とでていた。

私に今余裕があるのか?と考えてみた。
必要以上に有り余っているもの・・・

一番余裕のあるものは衣替えの時に感じる「着るもの」はまさに余裕である。
入れ替えても着ないまままたしまうほどですから・・

経済的とはどこまでを必要と判断するのかの線引きが非常に難しく、余裕が有るのか無いのか
(有ると言えば有るし、無いと言えば無い)考えるほど良く分からない。

精神的にはもっと分からない! あまり無理に考えない方がいいかも知れない。
09-03/13

<世も末か> 

● 自治体の裏金、れっきとした会社の脱税・産地偽装・詐欺行為、挙句の果ては振り込め詐欺、 果ては僅かの金を得るために殺人までして強盗ををはたらく。

挙げて見てもきりがない程の乱れぶりです。
まず最初に「金有りき」の様相です。何がこうさせているのでしょうか? さみしい世の中になりました。 金になれば何をしても構わないという感じがします。

働くところが無いからでしょうか? 楽して金を稼ぎたいからでしょうか?
一般の人はどうやって防衛すればいいのでしょう。
外食・外出をしない。出来合いのものは買わない。地産地消など考え付くあらゆることをしてもとても 防衛はできない。一番弱いのは我々一般市民・消費者なのです。

他人を助けるなどと言う事には及びもつかない人間が増殖して、世も末かと感じる。
09/02/26

<事故米の疑問> 

● 輸入米でカビが発生したり、残留農薬が含まれていて食用にできないコメのことを「事故米」と 呼んでいる。この事故米が公然と食料用に販売されていたという。

農水省の管理は一体どうなっているのだろう? ろくなチェックなしに払い下げをして、その後何に 使われているのか確認もしようとしない担当者はいなくても同じだ・・

扱う業者も、会社を経営しているというコンプライアンス(法令順守)の意識や、企業倫理など全くない と言っても良い。

「如何にして多くの金に換えるか」を考える詐欺集団のような顔をして・・・
どうせなら、業者も農水省(霞が関全体)の食堂用に卸して官僚・役人に食べさせてやれば国民も 少しは腹の虫が治まるかもしれない。
08/09/08

<なにが幸せ?・・・> 

● この問に返ってくる答えは十人十色だろう。
健康な体があれば幸せだという人。お金があれば幸せだという人。権力があれば幸せだという人。

人それぞれの境遇によって変ってくる「幸せ」とは? あなたなら何と答えますか?

もし私に聞かれたら、私は、「平凡なのが幸せ」と答える。・・・
08/06/22

<喉元過ぎれば・・> 

● 日本人にはこの言葉がよく当てはまる。
ご多分に洩れず私もそうだが、諦めが早いのか忘れるのが早いのか・・・

意に反した事で論争をして、意に反した結果になってしまっても、「自分ひとりではどうにもならない」 と思えばそれで諦め、忘れてしまう。

いつまでも思っていると恨みになるが、余り大切でないことは適当に諦めるから人生もあると言える。
全部の事を覚えていたら考えすぎてノイローゼになるかも知れない。

これからも「適当に諦める」人生が続くのだろう。
08/03/13

<座右の銘> 

● 私がこの言葉を意識したのは18〜9歳の頃だったと記憶している。
何がきっかけだったかは定かではない。「常に心にとめて自分の戒めとする言葉」とは自分にとってなんだろう?  と考えた事があった。

人生は順調で有り続ける事は無い。躓いたとき・行詰ったとき・岐路に立ったときは「初心に戻って見なさい」 と言われた事があった。 その時以来この言葉が私の「座右の銘」となったのです。

何事も決意をもって始めるが、挫折する事の方が多い。岐路に立ち・行き詰まり・躓いたときに「初心に 返って見る事が必要だ」と私はつくずく思っています。

人から聞かれる事もないが、もし「あなたの座右の銘は?」と聞かれたら考えることなく「初心に返れ」 と答えるだろう。

躓きながらも還暦を迎えた人生も何度「初心に戻ったか?」数えた事は無い。
が、そこから道を切り拓いてきた事は確かだ。
08/02/27

<カレンダー> 

● 1月は往く。2月は逃げる。3月は去る。と言い、あっという間に過ぎ去る例えだ。 大雑把な計算でカレンダーを見て見るとなかなか面白い。

1日過ぎれば1/365。1週間過ぎれば1/52(2週間で1/26。4週間で1/13)。
1ヶ月で1/12。2ヶ月で1/6。3か月で1/4。4ヶ月で1/3。6ヶ月で1/2。 8ヶ月で2/3。
9ヶ月で3/4。10ヶ月で5/6が過ぎた計算になる。

こんな事でもトイレでカレンダーを眺めつつ毎日やっていると結構脳を鍛えるカンフル剤になって いるのかも知れない。
08/02/14

<子供の頃の記憶> 

● 子供の頃は○○をして遊んだ。木の上に秘密の家を作った。
桑の実、ばらイチゴ、ぐみアケビなど、野生の果実をとって食べた。などなど細かい些細な ことまでしっかり思い出すことが出来る。

ところが最近は、昨日何をしたのか。夕べの夕食は何だったのか。○○はどこへしまい込んだのか。
果ては、行動をし始めてから、あれ?何をしに来たんだっけ?となることがある。こんな時は、 夫婦でお互いに「ボケてきたね」と言い合う。

幼い頃の記憶はいつまで経ってもしっかりしているが、最近の記憶は覚えたと言っても少し時間が 経つと簡単に消えて行ってしまう。

これも仕方が無い事だが、忘れても思い出すように繰り返し、脳に刺激を与えて「忘れても再び記憶 する」を繰り返してみようと思っている。毎日のパソコンは、忘れる前に繰り返していれば覚えてい られる良い刺激剤だと思う。
08-02/04

<重税に押し潰されそうだ> 

● 今年の4月に住民税の通知が来た。何かの間違いではないのか?と思うほどの上がりように昨年 の通知と比べてみたところ、市民税が175%になり県民税は178%に上がっていた。それにつれて 健康保険料も130%ほどになった。

事前の説明では国から県への税源委譲により所得税の減税と住民税の増税で従来と変らないと聞いて いたが、酷いものである。

言ってみても始まらない事は分かっていたが、市役所の納税課へ行って一言言ってきた。
職員曰く「低所得層に厳しく高所得層に優しい税制改革」だそうだ。

「ひどい人は3倍になっている人もある」と、私の場合はまだいい方だと言わぬばかりだ。おおよそ は知っていたが説明してもらった。

弱者が何を言っても始まらないので身も入らない。窓口の担当者に、「格差社会 弱者圧政の仕事を しないで・・」と言い残して、ぼやきながら市役所を後にしたが虚しい思いが残っただけだ。

また7/20付けで国民健康保険納付通知が来たが(介護保険と分離された関係か?)こちらは83% ほどになっていたが、特別徴収税額は年金額から強制的に引かれてくるので一見さがった様な錯覚を するだけ。

とにかく行政は、分かりにくいシステムにして取っていくやり方が巧いんです。
07-07/25

<車の話> 

● 今までの車は11年目を迎え、車検の時期が来た。何年あるのか分からない後の人生を今の車で 通そうか、それとも最後の車になるであろう新車に買換えようか迷った揚句買い換える事にした。

理由はいろいろあるが、今回を逃したら多分新しい車には乗れないだろうと言う気持ちがあったからだ。
事前に検討していたフィットか、ラクティスに絞り検討したが、前者はモデルチェンジが近く、車検 に間に合わないので必然的に後者に決定した。

7月14日、台風4号が来る一日前に納車された車は、一度も乗らないまま台風に見舞われたのでした。

これから暫くは新しい家族の一員として頑張ってもらえるのではないかと思っています。
私か車かどちらかがリタイアするまでの付き合いになるでしょう。
07-7/17

<年金問題> 

● 国が管理している制度でこれほどいい加減なことが罷り通っていたとは。

一般の国民が、デモをやるほど怒っていないのが不思議だ。問題点が次々に表面化して来たつい最近 まで、「社会保険庁改革を解体して100年先でも安心できる制度にする」と口先だけとしか思われない 改革を示して繕って来た。

年金の積立金を際限なく無駄に使い、沢山の報酬や退職金をもらい、天下りして財産を蓄えた代々の 管理職や職員も含め、横領にも匹敵する。が、今のところお咎めは無さそうな状況ですね。

考えるだけで憂うつになってしまう。不明な5000万件、入力されていない2000万件の対象者は悲劇だ。
救済措置とか、5年間に限りさかのぼって支払うとか

自分達の怠慢を差置いて、「領収書や証拠がなければ支給出来ない」って言うのは役人の態度である。
社会保険庁が証明する義務がある。

この国会で5年間と言う期限は撤廃される法律が可決されたが先行きはどうなるのかよく分からない。
07-07/10

<いのち(命)> 

● 最近毎日のように殺人事件が起き尊い命が失われていく。親が、子が、夫婦が、他人同士が、何ら かの理由で人の命を奪っていく。

人を殺しても、加害者は4〜5年の刑期で我々の知らないうちに社会に戻ってくる。
場合によっては加害者が少年で何の処罰もされず違う名前で日本のどこかで生活していると事実もある。

「命は何ものにもかえ難く重い」といっても他人の命が4〜5年で償えるとはなんとも軽くは無いのか?

私は考える。基本的に「人を殺したら死を持って償う(死刑)」のが妥当であると。
そしてそこに減刑の根拠となる情状、酌量という減刑を取り入れるべきだと。

また被害者の人権よりも、加害者の人権を擁護する今の気風は何ともおかしい。加害者(犯人)の弁護 をして軽い求刑を得ると、腕のある弁護士と言われる。裁判長の判決が悪いのか、加害者を軽い刑に導く 弁護士が悪いのか、何かが・どこかがおかしい世の中だ。

裁判員制度が2009年5月までに実施されるそうですが、何か少しでも良い方向へ変っていって欲しいと 思う方も多いのではないでしょうか?
07-06/12

<拳 銃> 

● 最近銃を使った事件が多発している。米国の大学では銃の乱射で32名が、また長崎県では市長が 犠牲になった。拳銃など本来は不要なものなのに、不要なものがあるからこの様な事件が起きるのだ。

銃は何のためにあるのか?銃社会では「目には目を歯には歯を」という自己保身の思想で、侵入者に 対する防衛のためという理屈があるが、例え銃があっても常に携帯しているわけではない。

銃を構えて侵入した者への防衛にはならないと思うのだが・・。
例え防衛のためといっても人を殺傷する道具であるから、結果的に拳銃があるところでは人は死ぬのである。

それでも必要とする米国ではいつまでもこういう悲劇が繰返される可能性は大きい。
日本は銃社会ではないが相当数の拳銃があると予想されているが実態は分からない。
「銃は人を殺す道具である。他の役には立たない」 
07-04/30

<欲 望> 

● 人間の欲望は奥深い。生きていくための基本的な欲・食欲、子孫を残すための欲・性欲、権力欲、 金銭欲、物欲(と言うのが有るかは分からないが・・)等々、揚げて見るとキリがない。

「人間は欲望の固まり」だといった人が居るが、よくよく考えてみると全くその通りだ。欲望が大き い人(集団に)損得が絡むと争いになる。一番大きい争いが戦争だろう。
戦争は対立する国の人を殺して自分(達)の欲望を果たす。

そして一番小さな争いが喧嘩だろう。昔から今日まで争いは後を絶たないが、損得を考えない欲望で あれば争い事は減るのではないかと感じる。

欲望を持つ事は何も悪い事ではなく普通なのだ。欲望を持つ事でいろいろな面で努力し、進歩・前進も する。例えて言うなら便利にしたいという欲望は新製品を生み出し、欲しいものがあればそれを買うため の努力をする。

「生きている限りは欲望を持ち続ける」のが人生だが、損得に拘らない欲望でありたいと念じつつ。
そして、欲が無くなる時は人生が終わるときだと思える様になった。
07-04/17

<捨てる> 

● 私達年代が過してきた半生は、物不足の時代であった。どんな物でもほとんどの物は壊れてもその まま捨てることはしなかった。

新しいものを買ったり修理に出したりする費用はないし、そんなに難しい構造のものもなかったので、 壊れても何とか使えるように何度も自分で補修(修理)して使えなくなるまで使って、修理が出来なく なってはじめて捨てたものだ。

従って、何とかして使えるように工夫した。その工夫が知恵を生み、手先もある程度器用になったよう に思う。今でもその癖が染み付いているのか壊れた物は分解して修理に挑戦してみているのである。

メカニックなものであれば今でも何とかなるが、いくら器用でも品物の知識がないICの様なものは 開けて分解しても分からないし、当然修理などできない。
性能のよいものが次々に開発されて発売されるので確かに便利になってくる。

今では新しいものを買うより修理費の方が高いと言われる。(修理をして長く使わないで新しい商品を 買ってくれということだろう)
こうしてどんどん捨てていくとゴミの山が出来て環境問題になる。これを処理するために費用が掛り これを消費者が負担をしなければならないが、これも仕方がないのか。

最先端の技術が詰まった製品に囲まれて生活するのは快適だろうが、多少の不便に囲まれてもどうという ことはない。「直して使う」精神を持ち続け、どうしても駄目になったら財布と相談しながら買換える事 で、少しはごみの減量に役立つかもしれない。
'07-03/05

<躾について> 

● 最近躾について考えさせられる事が多くて何が原因なのかを考えてみた。
辞書によると躾とは、「日常の礼儀作法を教えて身につけさせること」とある。

「義務教育だから」と小学生の子どもをもつ経済的に何の問題もないのに給食費を払わない親、信号を 無視して相手に迷惑を掛ける学生、自分達の思いどおりにならないと大人にくってかかる小学生、運転 しながら携帯電話で話しに夢中になっている輩。

どうしてこんな世の中になってしまったのだろう。私たちが子供の頃には親が・先生が・近所の人が教 えてくれた。良い事をすれば褒めてくれ、悪い事をすれば勿論怒られ、叩かれ、罰を受けた記憶が残り、 戒めになって現在の私があるように思う。

この頃は、周りを見ても権利は主張するが義務は果たさない人が増えてきている。
「自分がよければ他の事は知らん」 「自分の勝手でしょ」 「自由じゃないか」というように言葉の 端々に出る。人のことまでは・・と言うことか? 

「自由」とは何でも自由だと、はき違えているとしか思われない。
他人にも気を配り、決められた事を守って初めて「何をやっても自由」なのだということが躾けられて いないのではないか。

親も親なら子供も子供という愚痴も出てくる。小さなうちに厳しく躾けをしなかった付けだろうが、皆 が皆こういう人ばかりではない。躾けがしっかり身についた人も大勢いることだけは間違いない。

これからどんな世の中になっていくのか知る由もないが、私が生きているうちに良くなることはないの だろうか。
'07-02/26

<健康に感謝> 

● 運動が出来る、食事が美味しい、普通に眠れる、そして時々旅にも出られる。
インディアカ、グラウンドゴルフ、そして時々ソフトバレーに、と体を動かし、アルコールも食事も制限 されず美味しく食べられ、年に2〜3回は旅にも行ける。

しかも夫婦2人で出来るのは嬉しいことだ。
これも健康だからこそできることだと感謝している。

私自身も悪いところが無い訳ではないが、全てが完全な人はいないであろう。
血圧が高いとか、血液成分の正常範囲から外れているとかについてチョッとくらいのことであまり神経質 に考えない方が良い様だ。

血圧などは常に上下しているし、高血圧でも長生きしている人は大勢いる。また血液成分も食事によって 変動すると聞いているし、すぐに健康に影響が出るわけでもない。

「無視せず」 「気にせず」を心がけ 運動が出来る、食事が美味しい、普通に眠れる、そして時々旅に も出られる現状に大いに満足し、健康に感謝しているところです。
'07-01/23

<我が人生に悔いはなし> 

● ♪・・鏡に映る我が〜顔に〜♪ グラスを上げて乾杯を〜・・・
私は裕次郎のこの歌が大好きなのだ。
   ・・・・・♪長かろうと短かろうと〜 我が人生に悔いはない〜♪

我が人生を振り返ってみて「こうしたかった」と悔いて見てもどうなるものでもない。こんなに良いこと があった。こうならなくて良かった。と思いながら振り返ってみると、良い伴侶と子供達にも恵まれ、 なかなかの(そこそこの)人生を過してきたと感じる。

何から何まで非の打ち所が無い人生を送って来たと自負できる人や、どうしようもない悪い事だらけの 人生だったと言う人は絶対にないであろう。またあったとしたら逆につまらない人生のような気がする。

これから先どうなるか予測は出来ないが、そう長くはない残る人生も「我が人生に悔いはなし」と言える ように過そうと思う。
'06-07/27

< 我(が) > 

● MLに入会して多くの会員のいろんな意見を読んでいると、考え方の多様性と反対意見の論争が巻き 起こる。
我(が)を通す人は歳を取った証拠(我が道を行く、自分の意見は曲げない、協調性がなくなる、偏屈 になる)とも言われるが、その集まりだから仕方のない事かも知れない。

入会はしたものの書き込みをすると反論されるのが嫌でROMしている方も中にはいるでしょう。
私は以前にエッセー的な意見を述べた事がある。「反論は亀レスにしよう」と。

私も感情を持っているから腹が立つ時もある。カッとした時に直ぐ反応するから過激になって行く。
腹が立つ事を聞いても時間とか日が経つにつれてだんだん薄らいで来るし、言いたい事も忘れて行く。 だから「反論は亀レス」が良いと。

名言集に以下の言葉がある。
人に小言を言われたとき腹を立てるな 腹の立ったとき小言を言うな(新島 襄)
小言をいわれても素直に受入れよう。腹の立ったときは、理性を失っているから言わずにおこう。
いずれも結果は自分自身のためだから。

これから先、そう長くはない人生だから穏やかに過したいものです。
'06-05/30

< 感謝の心 > 

● 1969-4/27から、あと2週間ほどで37回目の記念日を迎える。
その日は第2の人生と言われる出発点でした。 あの日から35年目の珊瑚婚式を超えて40年目のルビー 婚式に向かっているところです。

振り返ってみると、子供の誕生、成長するごとに喜怒哀楽を重ねながら積み重ねてきた人生であった。
傍にはいつも妻がいて何から何まで良くやってくれた。それが当り前の生活であった。

子供達もそれぞれ独立して二人だけの生活になって、「気持ちの衝突もあったけれどここまで元気で来ら れたのは君のお陰だ 本当にありがとう」という感謝の言葉を贈ります。これからの人生もいろいろある と思うけれども、健康を保ちながら今まで出来なかった事をやっていきたいね!
'06-04/14

< 「もったいない」と言う国際語! > 

● 団塊の世代(1950年代の誕生)以前の人は当り前のこととしていた「もったいない」という意識 はどこへ行ってしまったのだろう。
私は何でも工夫して最後まで使う意識で実践してきたと自負しているのだが・・。

物資の少ない時代だったからこそ物は、直して使い、悪いところを入れ替えて使い、機能を果たさなく なった部品を除き使える部品を他に再利用する気持ちで、最後まで工夫をして使うのが当り前であり、 「物の寿命も尽きた」と実感できたのである。

ところが直して使うより買換えた方が安いという多量生産・多量消費・多量廃棄をする時代になり、経済 的にも裕福になってきてからこの「もったいない」という言葉も影が薄くなってきたようだ。

ノーベル平和賞受賞者で南米ケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさんという方が、日本には 「もったいない」と言う素晴らしい言葉があると紹介してこの言葉が国際語になっている。しかも英語に 該当する言葉がないという。「MOTTAINAI」

マータイさんが世界に広げてくれるということは、世界のゴミの減量、資源の節約にも繋がる壮大な結果 をもたらす気がする。少なくとも今までどおり「もったいない」と言う気持ちを忘れずに持ち続けたいものだ。
'06-04/06

< 慣れるということ > 

● トイレの暖かい便座に座って考えた。
毎日快便はありがたい。使用後にボタンを押すと温水が出てお尻を洗浄してくれる。
清潔で気持ちよく、毎朝使っているとそれが当り前なのである。

発展途上国では飲料水がなく、衛生状態の良くない川の水や溜まった水を飲んでいる人々もいるというのに。

喰い放題、飲み放題の宴会が当り前になりつつある。皆さんも感じている方は多いのではないでしょうか、 宴会の後の残り物の多いことを・・・。

彼の国のように食べ物がなく、幼い子供が死んでいる現実を・・・
今から底辺の生活には戻れないが、このような現実を見つめて、ありがたいと言う気持ちを持続けて行き たい。
'06-01/07

< 楽に慣れるのは早い > 

● 楽に慣れるのは早いものである。自動車、エレベーター、テレビのリモコン、どれもこの上なく便利 なものである。
便利だからすぐそれに順応して慣れるのにも早く、すぐに身について当り前である。

今まで動かしていた体は当然動きが減ってくるのでエネルギーも使わない。
結果はど〜なるか推測できますね 皆さん!

どこにも支障のない(と見える)元気な方が1階の上り下りにエレベーターを利用しているのを見ると、 楽に慣れた生活をしていいいのかと思える。
ちなみに私は、8階位までなら階段を利用しており、それ以上でも歩くときもある。

楽に慣れたらその分、他の事で体を動かしましょう。元気な余生の為に。
'05-11/16

< 我が儘(わがまま) > 

● 小さい子には旅をさせろ。 苦労は買ってでもしろ。とは昔からの言い伝えである。
人に情けを掛けすぎると我が儘になる。

これは私が感じている事である。

これを証明する事がある。普段は我が儘とは感じない人でも入院していると我が儘になってくる。
これは皆がやさしく接し、情けを掛けすぎるためだと思う。

入院している人に対して情を掛けすぎない接し方は大変に難しい。
元の生活に戻れば我が儘も次第に少なくなっていくのだろうが・・・
'05-10/30

< 幸せと不幸せ > 

● 幸せと不幸せとは何を基準に区分されるのか考えてみた。
苦労を続けて生きてきて人は、現状に幸せを感じることが多い。
ほとんど苦労を知らない人がちょっと躓くと不幸だと感じる。

山道に迷って雨に降られ、苦労して無事に帰り付いたときはホッとする。
急の雨でずぶぬれになったら、なんてツキがないと感じる。

自分ばかりこんな苦労をしなければならないのは不幸だと思う人。
自分よりもっと苦労をしている人がいるからこの位は我慢しなければと思う人。

同じように雨に降られても、同じように苦労をしても、また病気をしても、自分より上を見ている人は 自分を不幸だと感じ、自分より下を見ている人は幸せだと感じる。
同じ事でも状況によって感じ方が違うのだ。

平凡な現状を幸せだと感じ、生きてきた過去に不満を持たなければ、「わが人生は幸せなり」である。
上を見たらキリがない、下を見てもキリがない、考え方一つで変ると言うことです。
'05-10/10

< つもりちがい > 

● 昨日女房が旅行から帰ってきて、信州・飯田市の元善光寺でもらったという紙を見せてくれました。
その一つ まことに「云いえて妙」な文でした。

○ つもりちがい十ヶ条

 高いつもりで低いのが教養
 低いつもりで高いのが気位

 深いつもりで浅いのが知識
 浅いつもりで深いのが欲望

 厚いつもりで薄いのが人情
 薄いつもりで厚いのが面の皮

 強いつもりで弱いのが根性
 弱いつもりで強いのが自我

 多いつもりで少ないのが分別
 少ないつもりで多いのが無駄

内容を読んでみて、人間の心の核心を得ている絶妙な表現ですね。頭に入っていれば、少しは反対の方向 へ傾ける事ができるでしょうか?

”もつもりちがい”を逆にするには、相当努力しても私には”無駄なこと”でしょうか?。努力も長くは 続かないでしょう。

でもこれを書いた方はどうなんでしょう。きっと近づけるように日々努力しているのでしょう。
(元に戻らないための努力もね!)
'04-11/28

< 蕨(わらび)の季節は? > 

● 皆さんご存知のように蕨は春の旬の食材ですよね? 
 9月の28日に女房と近くの「蓮華寺池(れんげじいけ)」の周りの山を散策しているときに、春の 旬の食材「蕨」を見つけたのです。

今ごろ蕨が出ているのか? と疑ってみたのですが、まさしく蕨そのものでした。 両手の手のひらに山に なるほど摘んで帰り、早速夕食の一品になりました。ちょっとほろ苦かったけれど、秋になって春の旬の 味覚を味わいました。

以前からあったことかも知れませんが、今までに年に2度も旬の味を体験した事がなかったので、何か新鮮 な体験をし、得をした一日でした。今までの概念を覆すことがもっと沢山あるような気がしてきました。
'04-09/29

< 訪問介護員の資格 > 

● 7月から9月初めにかけて行われた講習会に21名(うち男性3名)が参加し、講習、調理実習、演習、 そして在宅介護の同行訪問実習(1日に2軒)、介護施設での介護実習(3日)を体験して訪問介護員 (ホームヘルパー2級)の資格を得た。正式には「介護保険法施行令第3条第1項第2号に揚げる研修の2級 課程の修了」ということになります。

 講習内容についてはさておき、講習会が始まって2週間が経過して調理実習の日が来た。5〜6名の班に なって、班ごとにシメジご飯、空也蒸し、胡瓜の酢の物、キャロットゼリーを作る。講師の栄養士の先生に 出来栄えを批評してもらいながらそれを食べた。(女性の方が多かったので助かりました) 

演習では寝・衣具の脱着介護、シーツ交換、ベッドメーキングから始まり、食事の援助、体位・姿勢の変換、 移動の援助、清潔の援助(身だしなみ、洗髪、入浴)、排泄の援助(オムツ交換、トイレの利用)、車椅子 利用時の介助法、緊急対応法、等について受講者を相手に、動けない介護者を想定して行われた。

 演習の時、最初は照れもあってなかなか講師の説明通りに出来ず「本当に最後まで続けられるのかな?」 と言う不安な気持ちでいっぱいでした。
1ヶ月も過ぎる頃には受講者同士も、だんだん連帯意識が出てきたのか、介護に対する意識が出てきたのか 以外にスムースに対応できるようになって来た。

 介護の必要な方への対応はまず声掛け(対話)が大切。痴呆症(現在は認知症という)やいろいろな障害 によって動けない方(動作が遅い方)、一人として同じ症状の人はいない。

相手に合わせた行動が大切。相手の言うことに否定しない。次の行動を伝えてから行う。
   多少おかしな話でも相手に合わせれば普通の話しはできる。痴呆症の方でも話をしていれば表情は比較的 明るい。

施設での介護実習は気が抜けないし、やはり誠意を持って対応しないと気持ちが離れていくような気が する。仕事とはいえ、職員は本当に良く続けられると感心した次第です。

 これから仕事や私生活で、もし介護をする立場に直面しても、この講習で学んだ事が必ず役に立つと 思っている。
'04-9/9


< イラク戦争終結か? > 

● イラクのサダム フセイン元大統領(66)が、イラク北部のティクリットにある地下壕の中で生存した まま米軍に拘束された。髪や髭は伸び放題でイラク戦争前の面影はない。

よく考えてみると国を治めている者同士が、損か得か、安全か危険か、などを巡って争い一般国民を戦わせ ているのだ。ほとんどの国民は平和を望んでいるのに!
'03-12/15(日)

< 夜に鳴く蝉? > 

● 只今午後10時30分、窓を開けてパソコンに向かっていたら「つくつくほ〜し、つくつくほ〜し ・・・」蝉の鳴き声がする。

テレビから聞こえてくるのかなと思いボリュームを絞ってみたが、鳴きやんでは鳴き、結局4回ほどこの 暗い夜にしっかりと鳴いていた。これも、鳴きたくても鳴く機会がなかった異常気象の影響でしょうか? これも人間が地球上に撒き散らして温暖化を進めた結果なのかもしれません。
('03-8/28)

< 「NEW!!わかふじ国体」 > 

● 平成15年、今年は「NEW!!わかふじ国体」夏季大会が9月に、秋季大会が10月にかけて、静岡県で 開催されます。

県内の各市町村で、それぞれの競技が行われ各県の選手たちが熱戦を繰り広げることでしょう。
私たちの藤枝市では9月に「成年男子のサッカー」、10月に「剣道」、「ライフル射撃」の競技が行われ ることになっており、「民泊協力会、愛称"茶っきり亭"」という組織をつくり、市を揚げて各県の選手団を お世話するために、準備を始めています。

総務班、調理班、歓迎美化班、宿泊班で組織され、藤枝市と宿泊チーム、宿泊提供者の人選をはじめ、活動 を始めています。

仕事の方も3月いっぱいでリタイアすることが知れていたのか、「国体歓迎美化班」という役に選任されて おりました。

清掃美化、歓迎装飾、飾花プランター、歓迎会・送別会、応援の協力・観戦をスケジュールに沿って班単位 に実施する役目です。
県の行事であり、全市・自治会の協力を必要とする行事ですので住民として応援するつもりです。

皆さんの県からも知人が藤枝市に見えられるかも知れませんね。応援と共に歓迎したいと思います。  
'03-3/25

< 減るのは年金だけ? > 

● 年金の受取額が減る。2005年から毎年1%づつ受取額が減っていくという。
皆さん、議員年金というのが有るのをご存知でしょう?

厚生年金や国民年金は所得から強制的に控除され、受給年齢は段階的に引き上げられていき、少ないながら も、さ〜もらえるぞという時期になると減額がはじまるんですね。

議員年金も同じなんでしょうか?(自分たちの得になることだけを考えている方々だから) 多分議員の所得から控除されることはないでしょう。そして当然減額もないでしょう。

腹が立つから調べたくもない、と思ったけれど調べてしまいました。

「議員年金優遇くっきり 厚生年金平均の2倍強」(下記HPの最後の方に記載されています) http://www2.cc22.ne.jp/~hiro_ko/2-4nenkin.html
'03年1月

< 歯のはなし > 

● 皆さん8020運動って聞いたことがあると思います。そうですね〜。
80歳で自分の歯を20本残そうと言う運動ですね。

ところで自分の歯はいったい何本あるのでしょう。先日会社の検診があり、歯の講習を受けた際に聞かれ ましたが、忘れていて答えられませんでした。

講師の説明では、普通の人で28本、八重歯・アッ違った、親知らずが全部生えた人で34本もあるそう です。おかげ様で私は普通の人でした。

その際自分の歯を勘定しながら観察しました(こんなにじっくり観察したことはなかったです)が、歯は 大分減って先端部は尖って高さは低くなっていました。

ちなみに何回くらい噛合せをしたのか計算してみました。1回1秒、食事の時間が1回10分、1日3回 として×1年×60年、間食、歯軋り、等等を加えると4500万〜5000万回位噛合せている計算に なります。

靴の底でもあんなに減るんだからこの回数では、歯も減る訳だア。
そういうわけで2ヶ所ほど銀を詰めてあります。その詰め物が1年ほどで取れてしまったので、保険証も 診察券も持っていなかったけれど、歯医者へいってきました。

取れた金属を接着する治療を終えて診察室から出てくるとすぐに会計になり、「保険証がないので今日は 10割負担で○○円になります。保険証をお持ち頂いた時に8割をお返しします」ということでしたので、 次の日に清算してもらいました。結局費用は760円でした。

私の場合は抜けて無くなるより、磨り減ってなくなりそうで心配です。
歯に限らず、お医者さんには出来るだけかからない様に気をつけたい、と実感しました。

8020、皆さんの歯は、いかがでしょうか?
まだまだ大丈夫だよと言う方も多いと思いますが、中には入れ歯になった方も居られるでしょうネ
('02-12/8)









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