「おねんねこさま」と申し上げ古記によれば、文武天皇の皇后御祈願成就・皇子(後の聖武天皇)御出産の霊験顕たかなお宮にて、古来より子授けの神として広く伝えられて居ります。四月の大祭二日目に、御神前及び渡御行列に供奉し、神輿お旅所の折、神子抱き祈願すれば子宝を授かるとして、近隣は勿論、東京、大阪、神戸等、各方面より多数の参拝をいただいて居ります。 詳しくはこちら>>>
大祭で神輿に供奉する山車(祢里)のお囃子が即ち三社祭礼囃子であります。このお囃子は亨保(西暦一七一六年~一七三五年)の始め横須賀十四代城主西 尾隠岐守忠尚(にしおおきのかみただなお)公が、幕府筆頭老中として江戸に在勤中、家臣が当時江戸で風靡していた江戸囃子に新手を加えた、御家人囃子を習 い当地横須賀に広めたのが始まりとされております。昭和三十年静岡県無形民族文化財第一号に指定されています。
木太刀や弓矢などの七つ道具を使い、7人の若者が謡いに合わせて舞踊り、大地の悪霊を払い清める儀式です。子授けの神事と並び、祭り本来の中核を成す神事で、かなり古くから行われています。
地固め舞と一連の神事で、美田を称え、豊作を祈り、農事の無事を祈ります。長久元年(1040年)の年号の入った鍬(くわ)などもある、古くからの伝統行 事で、世襲によって行われています。”めでためでたの若松さまよ”の唄に合わせ、若者が苗に見立てた松葉を投げ、田植えを表現します。