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漢学院の新楼

第3章 西安外国語学院(外院)


授業開始までの数日

8月29日(日曜) 夕方 学園へ到着,入寮
8月30日(月曜) 漢学院6F事務室で学費納入,中国銀行で両替,寮費納入,西安市内漫歩
8月31日(火曜) 学園内見物,陜西歴史博物館見学,市内バスにも乗る
9月01日(水曜) 分班考試(クラス分けの為の簡易テスト),生活説明会日本料理店探訪
9月02日(木曜) 授業開始

[西安第1日(Aug.29< Sun.>,1999)]

咸陽国際機場には二人が出迎えてくれていた。 一人は学院の事務担当の先生で楊浩亮氏,低音の美声,達者な日本語を話す。 もう一人は,旅行から帰ったばかりで,急遽駆り出されて来たといっていた日本人留学生のLZ君。 彼は鈴鹿国際大学の2年生,休学して一年間の留学予定で,すでに半年当地で生活している。 バスケットボール愛好家で,体力のある愉快な若者。 車中,彼から必要最低限の生活用予備知識を教わり,随分と参考になった。 彼は持ち前の明るい性格から国籍に関係なく友達が多く,また先生方からも好かれていた。
今から入学する所は西安外国語学院・漢学院(第4章)という。 正確な身分を言うと"非学歴教育班" の"漢語進修班"に属する。 西安外国語学院は縮めて "外院(wai yuan)" という。バス停の表示も "外院" とあり,後日タクシーに乗ってもそれで通じた。

外院全体の概要は第4章脚注−付属資料1:[西安外国語学院 XFLU (Xi'an Foreign Language University) HPより]−を参照。

約1時間で学園に到着,新楼の1Fフロントの小姐の案内に従い入居する。 先にフロントで"押金ya jin"50元を支払う。 中国の国体のような全国体育大会が九月に西安で開催されるため,出場選手を宿泊させる予定なので,部屋が"緊張"(詰まっている)とのことで,相部屋になった。 一人部屋を希望するなら,フロントの小姐へ予め申請しておけば,余裕が生まれた時,声を掛けてもらえる。 新楼といっても,教室と事務室と宿泊室が同じ棟の中に上下に分かれて同居していて,宿泊室は古いビジネスホテルのツイン客室のようなもの。 後日分かったが,別棟の旧楼のほうは,古くて冷房もないが,新楼より少し広くて,部屋代も少し安いのでそちらを好む学生が多い。 実は MYCOMの説明書には男女は階で分かれていると書いてあったが,当初はそういう設定であったかもしれないが,男女の人数の変動や頻繁な部屋替えの関係から有名無実のルールになったと思われる。

さて部屋へ入ると,先客がいた。 灯りを消してベッドで寝ていたらしく,暗い中から薄黒い顔がぬっとが現れたので,少し驚いた。 英語で挨拶を交わす。 これが以後半年間 "室友(or 同屋)room mate"として暮らすことになる,パキスタン人の20歳の青年 HS君である。 彼のことは項を改め,第6章で紹介する。 chaofan.jpg この日の夕食はLZ君がお気に入りのチャーハンのうまい食堂 厦門軒菜館(南北炒菜・經濟快餐)[写真左]でおごってもらう。 ここは店員がいつも笑顔で迎えてくれる,親しみを感じる店なり。

☆西安外国語学院 略図を参照 (すみません,開くのに大変重たくて時間がかかります)


[西安第2日(Aug.30< Mon.>,1999)]

部屋の様子や調度品について書く。 実はこの棟の中で後日1回引越ししたが,仕様は全く同じである。
衛生間 (洗面室兼水洗トイレ兼シャワールーム)あり,但しその床はコンクリートの打ちっぱなし。 この衛生間には蓋付きバケツとごみ箱(用途は追々分かってくる)がある。
ベッドが二つ,作り付けで奥行きのないクローセット2基,本棚と電気スタンドが組み込まれた勉強机と椅子各2,小さい床置きの木製収納ボックス,電話器,クーラー(部屋によってはない。 多分壊れて撤去したままか,資金不足で未完なのか),冬はスチームが入る。 部屋の床は所謂リノリウム張りであるが,日本人や韓国人の中には入口で靴を脱ぎ,中ではスリッパで暮らすという方式にしている人もいる。
お湯を入れる古典的な大きな魔法瓶1個,湯呑み茶碗2セット,備え付けの浴室用サンダル,などが備品の全て。壊したりなくしたりすると物か金で弁償要。 テレビは一日当たり2元のレンタルであるが,各室に行き渡るほどの台数はない。そしてここでも押金(yajin 保証金)が顔を出す。500元なり。 レンタル契約を中止するとき返ってくるが,壊れるとこれも恐ろしいことに修理代が自己負担になるから,その修理代がここから差し引かれる。

各階に共同の洗いもの用シンク電気冷蔵庫電気湯沸かしボイラーが設置してある部屋がある。 当初はガスも使えたのではないかと思われる節がある。電気冷蔵庫は一台だけだから先輩が使っていると新人が使う余地は殆ど残っていない。 電気洗濯機は1階に三四台集中して置かれていて,確か使用料が4元/回。 ただし誰も真面目には払っていないと容易に想像できる。 私自身は手で洗濯したので,使ったことがない。
日中は各階 (約16室/階)の廊下にその階担当の女性服務員が机を置いて,勤務している。 シーツの交換は一週間に1回自分でやらなければならない。 適当な時に彼女たちに申し出て受け取る。 コミ゛箱に敷く黒いビニール袋も同様。
彼女達の仕事は,見たところ,学生が共用洗い場室(正式名称は知らない)に持ち込むゴミ袋の片づけと一日数回のモップによる廊下と共同区域の拭き掃除とシーツ交換の手配である。 あとはトイレの詰まり,電灯の球切れなど故障の訴えを聞いて,担当営繕部署へ伝達することくらい。 部屋の掃除は学生自身の仕事なり。

ここ中国で,喉が渇くときは,けっこう白湯でもおいしいということを発見した。 電気湯沸かし器は買わなかったので,毎朝の水汲みならぬお湯運びが日課になった。
部屋で調理することは火災のおそれがあるのでルール上はできないことになっている。 しかし実態は電気製品を持ち込んで簡単な食事を作る人が少なくない。 特に韓國人は数人集まって食事を作って部屋で食べるのを好むようだ。 これは経済的な理由もあるのであろう。

電話の使い方もなかなか慣れるまでに日日がかかった。 201カード(201 er ling yaohanzi_ka.gif)という学内電話カードを使用する。 100元と200元の二種類あり。 掛ける時は受話器を取り上げて,201とキーインしてから,自動音声の指示にしたがい,hanzi_ka.gif号(カード番号),編号,密碼 mima(暗証番号)をキーインして外線に通じてから相手の番号を回すという手順。

この新楼は1〜4Fが宿舎,5Fが教室,6Fが事務室(職員室)・会議室・教室・その他となっている。
八月三十日の朝事務室へ行き楊浩亮氏と型通りのパスポートによる身分確認手続きのあと,女性事務員の薛雁(Xue Yan)さんに学費900$(7470元)を元で全納した。 通貨はドルでも日本円でも元でもよい。 彼女は一通りの日本語を話す。 自分では「せつ・がん」です,と名乗ってくれた。 彼女が『"薛"という姓は韓国にもあります』と言うので,『ソル(sl)と言うんでしょう』と応ずると,その通りというように笑った。 九月一日に語学テストと生活説明会があると教えてくれた。 部屋代の支払先はここではなく,「外事服務中心財務室」だと教えてくれた。 名前はいかめしいが,実際はこの「漢学院」つまり中国語研修センター,別名を「国際交流センター」ゾーンの保安人員(門衛)詰め所の一角にある小部屋である。 馬さん(呼ぶ時は馬老師という)という気の強そうな女史ともう一人の女性職員が勤務している。

房費(部屋代)は双人間(二人部屋)の場合 新楼は一日当たり4ドル(短期なら6ドル),旧楼は確か3ドルであるが,單人間(一人部屋)の場合 新楼は一日当たり7ドルになる。 支払いは月々分納してもよいし,全額前納してもよい。 8.3を掛けて元に換算したものを払う。 テレビのレンタル料もここで扱う。

同日,中国銀行で換錢(両替え)を行う。 大通り長安南路を少し北へ上がると右手に海星超級市場というスーパーがある。 その北隣に同銀行の小さな分店がある。 行員は三四人のみ。 面白いと思ったのは,多分警備上の配慮からだと思うが,窓口の頑丈な内外仕切りの真下はフラットでなくて,下へ向かって半円弧状にえぐられていて,そのトンネルを通してお金や伝票や旅券をやりとりするのである。
後日訪れた市の中心 鐘楼から東へ行ったところにある中国銀行西安支店は,いかにも大きな銀行らしい建物の中にあり,日本円から元への過去の交換領収書があれば,その範囲内で元から日本円に交換してくれる。 特に理由は聞かれなかった。 但しこの逆交換は確か紙幣から紙幣への交換のみに限定され,端数は元のまま返ってくる。


[西安第3日(Aug.31< Tues.>,1999)]

ここで,付近の地理上の特色とバス停について触れる。 よく利用した近くの長安南路上のバス停は二つ,一つは北門を出て西へ歩くと「外院wai yuan」,もう一つは正門を出て師大路 (師範大学路という意味)を西に行き,次いで少し南に下ると「呉家墳wu jia fen」,尤も実際には簡体字で 「wujiafen.gif」と書く。 昔はお墓があったところから付いた地名だそうだが,今は少し南に陜西師範大学の正門がある。 この師大路が唐代の長安城の南限であったらしい。 というのは長安南路を渡って更に1ブロック西へ行ったところに明コ門という地区がある。 この明コ門は長安の中央を南北に走る大路の南の門の名称である。 因みに朱雀門というのは日本流に言えば内裏つまり王宮の南門である。 往時朱雀門と明コ門を結ぶ大路が朱雀大路であった。 これは今もそのままの名前で残っている, 今の西安城壁は明代のもので,唐代に比べ遥かに狭い。 現在の南門の1ブロック西の門をやはり朱雀門と呼ぶ。

さてこの日は,新学年開始が近づき,学園の校内を歩きまわる中国人学生の数が一段と増えた。荷物を自動車で持ちこむ新入生とか,父兄や弟妹と一緒に来たらしい新入生たちも散見される。
この日は何もない日なので,有名な陜西歴史博物館へ見学に行く。 入場料25元。 鞄の類の荷物は一時預けに預けなければならない。 入場券を買い求め,そのまま中へ入ろうとしたら,"請hanzi_nin.gif(nin) 把包存起來" と呼び止められた。 流石に優れた展示品が豊富で感銘したといいたいところだが,不思議にここのことは余り覚えていない。 なぜならば,緊張の上に食事に慣れないこともあって当日お腹の調子が最悪だったから,気もそぞろであったためである。 この腹下し症候群にはその後も周期的に取り付かれて悩まされた。 年を取ると異質な味に馴染めない,というよりも個人的な問題であろう。 尚ここは数百元出せば,通常展示物以外の貴重なものを特別に見せてもらうことができると聞いた。


[西安第4日(Sept.1< Wed.>,1999)]

通知:“新同学請于9月1日上午8:30 参加分班考試,考試結束後(10:00)召開 "新生生活説明会"。 全体同学于9月2日起正式上課”

午前08:30〜10:00 分班考試(クラス分けテスト)を受ける。この成績によって所属クラスが決められ,翌日朝発表される。 2〜3日はそのクラスのままで,他のクラスに勝手に移らないようにとの注意あり。その後自分の実力と合致しないと思えば,より上のクラスやより下のクラスへ移っていいとのことである。後日分かったが,科目によってクラスを変わる人が少なくない。
教室は,6班(全くの初心者のクラス) から 1班(最上級のクラス)まで 順に並ぶ。


午前10:30〜12:00 生活説明会
新入生を対象にした当説明会は中国語と英語と日本語とで行われた。 約四割を占める韓国人学生の一人が,なぜ韓国語を話せる人がいないのかという苦情を述べた。 以前から留学中のリーダー格の金仁浩が特別に出席して韓国語への翻訳を担当していた。
生活上の注意事項の例を一部示すと,
  1. 生水は飲んではいけない。
  2. シーツ・ベッドカバーの交換は週1回自分で行う。
  3. 軽い病気ならば学園内のクリニックへ行ってください。 重い場合は大きい病院へ送り込みます。
  4. シャワーで熱いお湯が出る時間帯は 6:00〜8:00 am と7〜8 pmのみ。
  5. 当国際交流センターの門(スライド伸縮式金属製フェンス)は 6;30am〜11:30 pmの間 開ける。
  6. 夜帰りが遅くなるときは事前にフロントデスクの受付へ届けておくこと。
  7. 事務室のパソコンでE-Mailができるが,学園業務優先のため,空いている時しか発信は許されない。 (旅行に行く場合は事務室へ事前に申告のこと。 昨年西北大学で日本人学生が行方不明になったことがある)。
  8. 飛行機や汽車の切符は各自手配のこと。 汽車の切符は西安駅の售票廰2楼(切符売場の2階)で外国人向け売場がある。
  9. 5Fの掲示板に通知を張り出すのでよく見てください。(これが唯一の広報手段です)
等等。

同時に事務方の先生方の自己紹介も行われたので,ここにお名前を紹介しておく。
役職 or 担当 姓 名 備 考
漢学院 院長 孟(Meng4)長勇
院長
  
教育グループ
リーダー
 蒋(Jiang3)粛敏
老師
 司会者,闊達で磊落な6尺の偉丈夫。 後日聞くところによると学院の党書記。 院長よりも偉そう,「院長の話は覚えなくてよろしい」などと言う。 上海生れだが幼い時に西安に来た人,英語も堪能。 学園研修旅行にはリーダーとして随行。 ( 粛の字は実際には竹冠がつく )
生活関連責任者 王(Wang2)
老師
 国際交流センター(foreign yard)の先生。
副院長・教育統括責任者 董(Dong3)
老師
 小柄,まじめで堅そうな女史。
教育グループ
リーダー
 沈(Shen3)
主任
 映画女優水野久美に似た美人。 声量あり,発音も明晰。
VISA関連担当 楊(Yang2)浩亮
老師
 前述。 中肉中背,低音の美声。 日本人・韓国人の担当。
彼はまもなく鈴鹿国際大学へ留学した。
後任は張さんという投擲競技の選手経験のある娘さん。 福井大学留学経験あり。司馬遷の故郷韓城の出身。
生活方面担当・西北地区HSK責任者 白(Bai2)Jin Xiang
老師
 小柄,色浅黒し。 英語堪能。 英語説明役。 英語は中国式発音
学費・学生証
担当
 薛(Xue1)雁
老師
 前述。 小柄でおとなしい人。 日本語が話せる。
見出し教材担当・手紙仕分け 学?(Xue2)
老師
 年配のおばさん,通称ママ。
財務室担当 馬(Ma3)
老師
 気の強いおばさん
住居・食堂などの苦情受付 □□ 老師 女性,英語を話す。


昼食をまた厦軒門菜館(南北炒菜・經濟快餐)でとってから,603路バス(
※市内バス路線のことはここをクリック)で繁華街の鐘楼へ行き街を漫歩,デパートで電気製品などを見て廻る。 大型テレビやウォークマンなどは円に直してみて,余り日本と大差がないことに気づく。 それから,"懐かしき日本の味"を求めて日本料理店「惠里(huili )」を探し出す。
入口の左側に「酒屋・食屋」,右側に「日本料理店 惠里」の看板とちょうちんがある。 店は建物の2階にある。 室内の造りはまあまあである。 中途半端な時間だったので,さけ茶漬け(18元)だけを食して,ほっと一息ついた。 ここへは延べ3回行った。 文字どおり「えり」と呼べばよい。 私の娘と同じ名前である。 値段は,現地の中華料理と比較すればどうしても無茶苦茶高いという感じは否めないが,それでも無論日本の価格よりはるかに安い。 夜は結構中国人の客で賑わう。 タクシーに乗って「料理店」と言ったら, 日本料理 という意味が通じたのが面白かった。 料理(liao li)は中国語では本来 "処理する","始末する","切り盛りする" という意味しかない。
当時日本料理店としては,ほかに鐘楼の老舗「安倍」と東大街の新しい 回転すしの店 くらいであった。
→ ☆「鐘楼」付近の地図<別紙> を参照 )

huili_01.jpg huili_03.jpg
「惠里」の1F入口。 少し分かりにくい。2階へ上がる。 2階の「惠里」の中はこんな様子。



[西安第4日(Sept.2< Thurs.>,1999)]

朝5階の掲示板を見ると3班の欄に私の名前があった。 [ 以下 第4章(NEXT)へ ]


一口メモ

1999年は9月24日が中秋節でした。 学院から我々留学生に月餅(yue bing)が配られました。 この日は陰暦で言う8月15日です。 日本では太陽暦の8月15日にお盆をするようになっています。 中国では清明節(春分から15日目,陽暦4月5日頃)に墓参りをする習慣ですが, 韓國では陰暦8月15日を秋夕(チュソク)といい,都市に住む人たちが一斉に故郷へ墓参りに帰ります。 帰省ラッシュもひどく、道路は駐車場状態、汽車のチケットもなかなか取れない状態で苦行だとのことです。 むろんその前後が休日,時期により四連休にもなるので,最近は海外旅行に出る人も少なくないとか。 この日に食べるのがソンピョン(松−),餡の入ったうるち米のお餅です。 松の葉を敷いて蒸すのでこの名がついたようです。
ページトップの漢学院新楼の写真は 「西方見聞禄」中の一頁(<高倉さん撮影> http://www5a.biglobe.ne.jp/~uruchi/Frame-1.htm)から拝借しました。  高倉さんの新しいホームページは "西安の穴ぼこ"です。



付属資料: 市内バス路線

一番よく利用したのが603(liu ling san)路。 2階建てバス(double deck),火車站(西安駅)と呉家墳を往復する。便数も多いので鐘楼や西安駅方面へ行くには最も便利。 料金は終点まで1元。
同じコースを走る空調付きバス3路バスは2元。
トロリーバス(無軌道電車)は余り走っていないが,料金は0.5元(5角)と格安。 車両は2台連結,ただし相当老朽化している。

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  1. 呉家墳,外院を通るバス路線の例:
    車次
    (路線名)
     車型 始發站 /経 由/終到站
    603 double-deck 呉家墳 /小寨/南門/鐘楼 /火車站
    3 空調 呉家墳 /小寨/南門/鐘楼 /火車站
    215   韋曲 /小寨/南門
    239   067基地 南門//鐘楼/火車站
    19 旧式 呉家墳 /小寨/歴史博物館/大雁塔/冶金中專/青龍寺緯什街
    527   呉家墳 /歴史博物館/大雁塔/陜汽総厂(厰)

  2. 火車站から出ているバス路線の例:
    --当時バス停の範囲が解放路上に目茶苦茶広範囲に分布していたから捜索に難儀した--
    車次
    (路線名)
     車型 始發站 /経 由/終到站
    610   火車站 /八路軍辧事處/鼓楼/小雁塔/歴史博物館/大雁塔/秦王宮
    5   火車站 /歴史博物館/医学院
    105 トロリーバス 火車站 五路口/康復路/半坡/延河機械厂(厰)
    42   火車站 五路口/半坡/唐都医院
    103   火車站 /北大街/玉祥門/労動路/桃園路/漢城路
    611   火車站 /鐘楼/西稍門/団結南路/大慶路
    (※ 611,103の終点は殆ど同じ地点。 ここから咸陽行きの59路バスが出ている)

  3. 火車站のすぐ南の五路口で乗れる半坡方面行きバス路線の例:
    車次
    (路線名)
     車型 始發站 /経 由/終到站
    105 トロリーバス 火車站 五路口/康復路/半坡/延河機械厂(厰)
    11   鐘楼 /五路口/康復路/半坡/國綿五厂(厰)
    31   三橋 /五路口/康復路/半坡/霸橋

  4. 青龍寺を通るバス路線の例:
    車次
    (路線名)
     車型 始發站 /経 由/ 終到站
    19 旧式 呉家墳 外院/小寨/歴史博物館/大雁塔/冶金中專/青龍寺緯什街
    41   火車站 /大雁塔/省冶金中專/ 偉達集団
    (※ 青龍寺への道は バス停「冶金中專」と「青龍寺」の大体中間にある)

  5. 興慶宮公園正門を通るバス路線の例:
    車次
    (路線名)
     車型 始發站 /経 由/ 終到站
    402   陜汽総厂(厰) /南門/小南門/辺家村/ 高新区管会
    7   陜汽総厂(厰) /建国門/ 東大街(大差市)

  6. 金花路の胡家廟から西京医院を通り師範大学東側の植物園に至るバス路線:
    車次
    (路線名)
     車型 始發站 /経 由/ 終到站
    27   胡家廟 /西京医院/動物園/長樂門/大差市/大雁塔/歴史博物館/ 植物園

bus_piao.jpg 西安市内バスの切符 -----(上) 5角(0.5元) と (下) 1元-----

紙厚は必要最低限の厚さになっている。 1元は壹圓と印刷してある。 元は英字でも \ で表す。 日本でも昔は,例えば十円紙幣には拾圓と印刷していた。 韓國のウォンも漢字で書けば元である。日本は円という文字を教育漢字に採用しているが,中国では円はなく圓しか使用しない。 圓も元も発音は同じ yuanである。 つまり三国ともお同じ呼称を使っているのである。 ついでに,園という字は中国の簡体字ではhanzi_yuan1.gif と書くが, 袁も発音は元と同じ"yuan"であるからだ。


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