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  フェイドアウト            原作 周防 元水

第7話 魚心

 人は人の為に生きそれ故自らの全てを投げ打っても悔やまない。それが人としての姿であり幸せの源ともなる。この否定しようも無い性の中、それでも現世の人は人を否定し偽りの中に身を置いて生き、人への想いを裁ち切ることによって人として生きようとしている。それが為何が救われ何を忘れることが出来たのか、人は想いを巡らすことなどもう長い間しようとはせずこうして繁忙の中に自身を預け浮かべ流されてきた。人はそうして年を重ね後悔の中に崩れそして落ちていく。無情にも人として大切なものは崩れ落ちていくその時初めて暗示され慚愧と共に人に与えられる。そうして人は人として覚醒すると現世と隔たる幻の中に自身を生かし始め見えなかったもの見付けられなかったものを眼前に描いていく。


 私は渚園で忘れられない人と出逢った。
 久し振りに訪れた園は人影もまばらで私にまどろむ時を与えていた。簡素で謙虚な空間が疲れ果てソファーに身を預ける私の心を癒していく。ドーム型水槽の下で長い時を過ごすと私はその人と出逢った。
 耳元に心地好い刺激音が届き伝わり始めると私の魂は水槽の遥か遠方へと送られていく。吹き込まれていたエアーは潮の流れを創り出し小さな澪となり血流の如くに脈打ち始め、バブルの絶え間ない響きは潮騒となり体に届き響き伝わってくる。遙か彼方は見事な程深遠の色に染まり、美しく且つ身震いする緊張感の生まれる源となる。辺りは平たい世界から立体的で広がる世界へと変幻し、混沌と異なる新鮮で原始的エネルギーの脈打つ処となる。そこは母なる潮となり安らぎの源となって私の身を癒し心を癒し見えなかったものを浮き上がらせる様に表出させていく。辺りは青の世界。そこにはあらゆる風景が、生き物が、溶け込むように周りを行き交う。
 幸福感に包まれる中、私は人の存在に気付いた。水色の服に長い髪を携えその人は目前の青の世界と重なる様に存在し例えようも無い美しさで映え私の心を捉えていた。

 ドームの内に在る母なる潮とその人と例えようも無いもので結ばれた時、そこに私の居るべき在処を指し示す道標の様な灯りを感じた。人は自身の在処を決して見ようとはしない。現実の世に喘ぎ見えない別の世界に心は及ばない。心は現世にさまよい、それを認めない偽りの中に身を置き、それ故人は人を否定し生きながらえて終わろうとする。それは現世以外に何物かを持たない。拠り所となる大切なものは人を育み培ってきた超現実の中に在る。残酷にも絶望と孤立の縁で人は初めて人として大切なものに気付きそしてそれに身を任せていく。 

 想い出の中で私はいつしか見境を無くし幻の中に自身を生かし始めていく。宿命はまもなくやってきた。吸い込まれる様に落ちていく。世界を隔てる壁が壊れ音が遠くで聞こえ橋の下へと伝わる。遠離る意識の中、何処か覚えのある安堵感が身を包むと私は幼子の様に身を屈め潮の流れに身を任す。私の在処を求め世津の世界へと蘇り魚心の如く自由に湖の中心へと流れていく。

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