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  フェイドアウト             原作 周防 元水

第6話 鉄橋

 陽の傾く中、灯りの無い病室で私は自身を取り戻した。人気も無く辺りは何もかもが謙虚に存在し静かに時が過ぎていく。自身の風体は過ぎ去った時の長さを、目前に置かれたサンダルは私の失望の大きさを表すかの様に生気が無くそして無造作に置かれている。経験の無い時の過ぎ方は私を海へと追いやるのにさ程時間をかけなかった。浜風に促されるように北方を眺めると波静かな浜名湖が眩しく光を放っている。ちぎれ雲は巧みに形を変え、脳裏にまずめ時のあの幸せの原点の風景を呼び覚ましていく。世津の名を呼び鉄橋へと駆けると世界は大きく一変し間断無き車音と時折の列車音が繋がらない想いの間隙を埋め始めた。

 忍び脚の白鷺は小蟹に狙いを定めている。捨て石は哀しみを巧みに選り分け、潮流はその残骸を瞬く間に押し流し手の届かないものにしていく。橋脚は淀みのない世界に綸として建っていて次元の違う世界に掛かる一筋の光ともなる。繋がらない記憶はいつしか私をこの鉄橋へと向かわせ、吸い込ませるように懐かしい想い出を眼前にさらしてはその行方を追わせていく。かつて世津と私は風を避け鉄橋間でまどろむ時を過ごした。寒風は遙か沖を流れ身を寄せる小舟には暖かな日差しが注ぐ。準備されたにぎりは共に口にし時を過ごした。しかし皮相とは裏腹に届かない想いが二人を支配した。小蟹は藍の色の中へと消え去り、白鷺はいつしか姿を変え湖上にいる。
 辺りの景色が焦点を失うと萎えた気は体からすうっと離れ空に昇っていく。頭上に敷かれた様に広がるオレンジの空が私を迎え入れる。鳥瞰された湖が眼下に見える。浜名湖を彩る一つ一つが私を覆い尽くす。懐かしい想いと不思議な安堵感が私を包み込むと、見えなかったもの見付けられなかったものを湖上に描いていく。村櫛半島・湖西の山々そして遙か南に小さな鉄橋の浮かぶのが見えた。その中程に小さく銀に光る処があった。一点の光は小宇宙へと連なりかつ現世を忘却させる。全ての存在の在処とも想えるその光は息づいている。誘われるように銀に瞬く中瀬のその位置に私の心は舞い降りていく…。未踏の楽園。景色全てがこの上なく自然で美しく、手の届く処に全ての幸せがあった。赤い蟹が、フナムシが潮騒と共に群れ動く。眼前の海原は全てを包み込むように広がっている……世津がそこにいた。

 幻影を見つめ長い時が流れると、うっすらと白け始めた東の空に星が現れ激しく瞬き始めた。釣り人により忘れ去られた上着の様に橋の欄干は一人の人を受け止めている。星は全てを知り尽くしその想いを受け入れ見守る。車音と共に忍び寄る厭世の予感は人をいつしか幻の中に自身を生かし始めていく。

 世津が呼んでいる。

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