Web小説                   

  フェイドアウト           原作 周防 元水

第9話 鳥居

 弁天より赤鳥居を通して朝日の煌めく湖上のその彼方に果てしない海原が垣間見える。今切はこの位置から望むのが美しい。何故に鳥居は在るのか、唐突さ故に鳥居は在るべくして其処に在りそして人を惹きつける。今切より昇る朝日は湖上を照らしその鳥居の光背となり人をして手を合わせさせる。そして見えないものを描き出し創り出し我が身の拠り所とさせる。

 浜名湖に注ぐ新川のその支流の中川の源流に近い森深い処に社がある。拝殿内の多くの奉納絵の下に白装束の氏子たちの一団がいた。その白装束の氏子たちが微動だせず見据えた先には大きな本殿があった。本殿はお囃子が漏れ聞こえてくる境内の北に位置し更にその奥に奥の院を従えている。本殿に控える拝殿に居並ぶ村の長老の威厳のあることは衆目の頭を垂れる姿から察しが付く。その目前で舞う御子たちはただ踊ることによりその美の在りどころを指し示している。拝殿の側には奉納人形が置かれその手には榊が握られていて、闇夜にまぎれるようにひっそりとそこだけ静寂に包まれ、忘れられた異様さが際立っていた。榊が清める鎮守の森は若者が酒に勢いを借り乱舞する貌弱の舞台と化していて、普段人気の無い空間は今宵いよいよ降神の時を迎えていた。
 ナラの大木の下にある篝火が燃え盛り辺りを照らし出す。気になる人が居た。その男は、面長の顔を一人の御子に向けていた。その御子は一心に浦安の舞を奉納し乱れは無い。長い髪は切れ長の目と小さな肩を覆い一部は背で束ねられている。現世と神世とを隔てる玉砂利の上で私は生の原点を垣間見た。
 伝統と言えばそれで全てだった。悠久の生と向き合い初めて感じる宗教心は、若者の合理性の前に何の生産性も無い無価値なものとして映る。私は人の原点としての村の祭事はこれまで伝統としてのみ捉えてきた。賑やかさの中に自分を感じそして享楽の中に溺れ此処まできた。逝く先を見据えず今を生きることが与えられた使命とし生き長らえてきた。
 彼岸はかくあるのかと想わせる邪念に隙を見せない静寂さは、賑やかさと共に祭事の中に在る。氏神の織り込まれた意志を感じる真の氏子は氏上として祭りを司る老者のものだけであった。老者は素朴な皺の中に深い想いの重なりを滲み込ませている。無垢な清さとしての激しさと後悔さえ過ぎらぬ悲しさを乗り越えた深い深い静けさとで、辺りは丸い暗黒のドームに包まれた小宇宙と化して深い木立の中に宗教心は忽然と芽生える。人々が蠢く中で一切の音が絶え、御子に合った焦点がやがてぼやけていく。辺りの景色がすうっと闇に溶け込むように滲んでいくと男も姿を消していた。
 篝火の明かりが落とされるとマスクと白装束で身をくるんだ宮司は本宮で御神体を招く。うおーと神の降り立つ声がした。石返しされ清められた本宮内の闇夜に響くうお〜という低い唸り声は神かそれとも信者の畏敬の表れか。御神輿に移された御神体は白布で覆われ厳として人を寄せ付けはしない。

 世津。過ぎゆく時を知り過ぎるが故に私はこうして神の元に来た。

TOP フェイドアウト 前ページ 次ページ 先頭