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  フェイドアウト           原作 周防 元水

第10話 湖底

 神事が滞り無く執り行われ居並ぶ長老や村長たちが退去すると、程なく鉄砲の合図と共に競い合うが如く大太鼓の乱打が始まる。何処からか小太鼓が拍子を取り笛の音が囃す。居並ぶ屋台は大きな舵を全てたたみそこに空間を生み出し、頭上を輝く神の稲穂となして人を寄せ照らし際立たせる。円陣が組まれ若衆の奉納舞が酒宴と共に執り行われると先程までの静寂さはその熱気の中に飲み込まれていく。

 懐かしい。音と空間に埋もれ私の心はすうっと離れ天に昇っていく。

 無礼講とも言える儀式が暫く続きそして一段落すると、小宇宙から抜け出るが如くに屋台は巧みに輝く稲穂を枝から避け群衆と共に境内から下っていった。木々が音を吸い取り徐々に静けさが訪れる。人気が無い境内を一周すると鳥居まで下り其処に鎮座し誰もいなくなった段上を見詰める。幟旗ははためかず時の流れが止まった如くに全てが静寂の中にあった。裸電球と灯籠でうっすらと浮き上がる境内、その円形の空間は私を深く捉え長い時を流させる。湖底はかくあるのかと思わせる隔絶され邪音のない余りにも静かな世界。時折の唸りの声は、私を暗黒界から白の世界へと引き揚げ抜け出させる誘いの声か。瞬きも忘れ取り憑かれた様に境内へと昇ると、神事の後に残された信仰の証が目に入ってきた。若衆が身を清める水垢離の為の灘参りは社殿の前に浜砂の小山を二つ築かせていた。砂山は社殿を清め守りそして何よりも信者の信仰の証として其処に在る。半月は掛けて創られたであろう円錐の砂山は宗教的象徴物の御砂として、あの雑踏の中、自身に誰一人足を踏み込ませてはいなかった。

 彼方に果てしない海原が垣間見える赤鳥居は私の生きる象徴であった。鳥居は希望の象徴としてそして平易に顕されるが為に存在しなければならない。朝日が照らす鳥居のその湖上を美しく流れていく海鳥の様に私の生きる姿はかく在りたいとそう願っていた。賑やかさの中に自分を感じそして享楽の中に幸せが在ると信じていた。しかし現世にのみ生きる者の願は叶わず無情に時が流され、そしてその願はやがて訪れた暗夜の湖上で彼岸の彼方に消え去り再び元に戻れぬ悲哀が私たち二人に与えられた。穏やかに時の流れる日は遂に訪れず、現世と未来への望みとは相容れない虚脱感の中で生き長らえてきた。そして絶望と孤立の縁で初めて人として大切なものに気付きそれに身を任せこうして此処まで来た。世津、過ぎゆく時を知り過ぎるが故に、今、私はこうして神の元に来た。二人の因縁の彼方には仕組まれた意志が在り、人為の及ばない外界の星の光の様にそれは与えられている。全てを知り尽くしその想いを受け入れ見守っていたのだ。私は認めなくてはならない。二人の定められた運命とは、残酷にも無慈悲にもやがて波間に消える切ない湖上の恋であったと。付かず離れず現れた漁師はその情の表出であった。

 私は初めて暗夜の本宮内へと神の手により導き入れられる。低く遠かった唸り声が耳元で次第に大きくなると私は横臥し天を仰いだ。神の庇護の下、私は暮らしこうして今、全てを捧げている。

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