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  フェイドアウト              原作 周防 元水       

第2話 星空

 駆り立てられるように仕事に就いた私は、懐かしい物音の中で暮らしていた。やはりこの生活が望ましいと想っていた。真夜中に一人受け持つ巨大な機械群。油圧ポンプの甲高い連続音とエアーバルブの低い破裂音。辺りを蒸し風呂にする金属溶融炉。30秒間隔で作り出されるアルミ合金製のカバー。それらは正確に数を増していく。渡された伝票には処理を終えた部品の数が記録されていく。飛び抜けて高い屋根はもう完全に私の存在を消していた。音と空間に埋もれ私は十分満足していた。あの事が真に自分の目前で起きた出来事であることを忘れていた。

 誰に言うことなく作業は終わり、伝票は所定の場所に留められ一勤へと引き渡される。振り返れば機械は定められたプログラムで稼働し続けている。そんな機械に未練を残して重い鉄の扉を開け、深い眠りについている街の中へ出て行く。天を見上げると決まって星が瞬き、私は疲れた肉体を驚くほど背伸びさせそれを迎え入れる。萎えた気はそれに応じて体からすうっと離れ天に昇っていく。よくそんな感覚を私は味わった。私は何処かでこんな仕草をした人を覚えている。幾度となく想いを巡らし、そしていつしかその人を諦めていた。この心地よさ、邪悪な自分を脱ぎ捨て大自然の中に吸い込まれていく。ふっと周りの物が回転を始め私をぐるぐると取り巻く。頭上にはいつもあの時と同じ強く光る星があった。時の過ぎるのを忘れる。気が付けば家々の屋根が概容を見せ始め明けの訪れを告げる。その日の出来事を反芻しながら街の路地を走り抜けて行く。この生活が私には合っていると想っていた。

 膝から腹部そして二の腕が気を付けていても油で真っ黒になる。「油と共に」上司がよく使った言葉である。笑えないがこの言葉で私に話し掛け短い休み時間を共にした。時に、話の終わりに次の三勤の打診をした。深夜労働はもう慣れていた。いや、私にはそれが望みだった。ただ「人の温かさ」、工場の持つ「生産」の空気、私にはそれが辛かった。三勤への誘いは下を向いては断ることなくいつも全て承諾した。

 耳をつんざくサンドブラスト。操作盤の手元まで勢いよく飛び跳ねた小鋼球は、行き場を失い私の周りに散らばってくる。無機質だが私には悲しく辛さを訴える何かの影と見える。喉の奥まで飛び込まれた気がしてよく咳をした。回転類の機械はひどく恐ろしかった。巨大なスクロールチャックは勢いよく回り無遠慮に周りの物を威嚇する。巻き込まれ潰れていく自分が想像され、いつでも皮の手袋を用心深くしていた。

 気が付けば人のいない処だけ歩いてきた。世津、私は忘れた筈なのに。私はこうして1年を過ごしてきた。

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