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  フェイドアウト           原作 周防 元水                           

第3話 花火

     

 あんなに心酔ったことはなかった。暗夜に火の花が咲き拡声器は提供者を繰り返し流し続ける。あれ程心躍ったことはなかった。オレンジの火の雨の中に人が乱舞し神事が繰り広げられる。その広場は縄で囲まれ世人を拒む。と、その縄に火が付けられ飛び散る火炎は四角に空を駆け、ある一点に向け突き進む。そこには選ばれた若者が身動きもせず巨大な筒に覆い被さりその火炎を待ち続けている。何という光景だろう。気が付けば周りには御神竹が捧げてありそれはまるで生贄の如く時を待っている。振り下ろされた斧に何千という観衆は低い唸り声をあげ静かになった。

 かつて私は似た光景を湖上に見たことがある。半円形の火の玉の傘は美しく湖上を覆い赤く染めた。恐らく何万という観衆は不思議な歓声を上げた後、静まり返った。ほんの数秒、百発近くの炸裂は地上で起きていた。余りの美しさはこの世のものではなかった。そこはほんの数分前まで火の花の姿に、賑やかな談議が繰り広げられ、その珍しい色や形に掛け声や拍手さえ沸き起こっていた。

 中心の赤い鳥居の周りには何百という小船・屋形船が陣取りを繰り広げ、航路を隔てた湖畔は浴衣や団扇で涼をとる人々が群れる。夜店はこの時とばかり軒を連ね高ぶった雰囲気を作り出す。次第に規制され近付けない多くの民衆は辺りの路端に腰を下ろし場を固めていた。その最中の出来事なのである。数十年前にも暗夜に浮かぶ街の火の傘は美しく見えたという。

 かつて湖上に見たその光景は、目前の仕組まれた光景と重なり、私を酔わせ思考の世界に引き込みあの出来事を蘇らせる。何の疑いも抱かない無垢なその若者は、本当に間一髪身を翻し檀下へ消えた。一本の巨大な火柱が神子を呼び集め覆い尽くし身を焼き俗事を流す。高揚し再び辺りに数本の火の雨が立ち昇ると空間全てがオレンジ色の中に見境をなくす。

「あの若者は」

 一瞬の美ほど人を酔わすものはない。愛すべき者が目前に消えその無を悟った時、その美しさは瞬時に脳裏に蘇る。馬鹿な事だが、人は気付かない。いや、美の短命さに気付いているからこそ酔いしれるのかもしれない。引き上げる人々を背に山静かに収まるまで一人湖上を見つめ漂う。かつてここに世津はいたのだ。声が聞こえたような気がして私は、ふわりと立ち身動きもせず暗夜に呑み込まれていく。

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