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 の木

原作 周防 元水   
第7話

 治水に長けた基久は密かに力を付け始めていく。高畠のどの氏上も蒲生基久の右に出る者などいない。
 基久は倶厳知義に荘官として仕える傍ら、知義の家人ともなって、本家の藤原保家の館まで調を運び届けた。往路だけで四十日にも及ぶ供の食は全て基久が工面をする。膨大な出費を重ね家人として知義の命に沿うのは、基久の深い考えがあってのことだった。
 有力貴族に近付く機会は過酷な任の陰に在る。基久は野望を抱き都との繋がりを模索していたのだ。

 都に入ると、飢えで苦しむ人々がうずくまっている。淳仁天皇より救命のための勅令が出たとは言え、都は貴族等の反乱が立て続けに起こっていて、農民の救済どころではない。野垂れ死にする者が後を絶たない。
 藤原保家の館に辿り着いた。館内に入ると貴族の暮らしが眼前に広がり、様相が一変する。奥の一室には調が山積みされその一部は庭にまで出ている。銘を見た基久は口元を緩めた。
 基久は保家に調を納めてきた。知義との違いを印象付けることには腐心し、領家を越えて高畠の産物を都に送り続けていたのだ。基久が保家の懐中人となるのにさして時を要しなかった所以である。

 高畠里荘官から多賀郡荘官となった基久は、倶厳氏を領家とする荘園の大半を任されることとなった。蒲生一族が各地の荘に配され取り仕切る。得意の治水はたちまち効果を現し、その生産力は著しく向上していった。余剰の産物は基久の供の者によって巧み隠され、領家である倶厳氏の目の届かない処で保家に還元されていった。
 荘園は実質に於いて基久の手の中となる。
 蒲生氏は更に陸前に支配を広げようと策していく。倶厳氏にたびたび労役を出し多賀北方の荒れ地の開墾を促した。倶厳氏を利用することで自らの力の源としようとしたのである。開墾地には蒲生一族の名が頻繁に使われ名田として自らを主張し始めていく。

 地に根を張って生きている蒲生一族は、こうして、職集団としての地域貴族を凌駕し大豪族と化していった。
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