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 の木

原作 周防 元水   
第5話

 参道の入り口には巨石が備え置かれている。陸前多賀倶厳天満宮造知義、そしてその下に蒲生基久と同等に刻み込まれている。蒲生基久の文字はまだ新しい。知義とは倶厳知義のことで天満宮を奉る氏上である。知義の妻は正三位藤原保家の又従兄弟である。血筋が薄く朝廷の儀式には一切顔を出していない。都では忘れかけている知義の名の下に、新たな名が刻まれている。
 傍らの村人に訪ねた。
「蒲生基久とは」
 社を築いたのは、元々は蒲生一族だと言う。蒲生一族は熊野岳を崇める地集団であって、ここに祠を築いたのも彼らである。やがて造営され社となって神祇を執り行う倶厳の集団が生まれ、それが後にこの社とともに蒲生氏さえも取り込んだのだと言う。
「何故、その蒲生氏の名がここに」
 神山を前にして、その神々しさに比して合わない宮の造作の話である。寛和は戸惑った振りをして、都での基久の評判と村人の話を突き合わせていく。

 蒲生一族氏上の基久はもう長く高畠里荘官として領家の倶厳氏に仕えている。知義の命で一族を率いてはよく都参りも行っていた。東進して倶厳天満宮のある塩竈に入りその後南進し都までその足を延ばすのである。領家の意とは言え、命を懸けた過酷な旅は、基久を荘官から家人へと突き落とすのに似ている。
 家人とは公民の持ち物であり、主人に指図され働く者を指す。基久は戸籍に登録されない賤民と同等となるのだが、専ら自分の任と心得ていると見えて、何ら異を唱えることはしなかった。

「麦を蒔く時期までには戻れ」
 都参りという命懸けの任は領家の務めとされている。本家より荘官として任ぜられた倶厳氏は、何十とある小豪族を巧みに操り、自らの任を果たすため似非家人を仕立てていく。力を出し始めたその芽を潰し以て自らの勢力を確固たるものにしていく手法なのだ。地方に於いても強大な領家の出現を見ることとなるのは、こうしたことによる。
 基久の居ない秋が何度かあった。秋には、多くの年貢米が陸前各地から多賀の倶厳天満宮へと集まってくる。 
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