大中寺の草創のいきさつ
現在の大中寺の地には、夢窓国師の開山以前に真言系のお寺があったと「大中寺沿革誌」は述べています。残念なことにその寺の名前等の詳しいことは伝わっていません。夢窓国師は正和2年〔1313〕に修禅の地を求め、甲州を出でて愛鷹山中に到りました。そのことにより禅宗との法縁が結ばれ、沢田山大中寺の草創に繋がったと〔川瀬一馬著・夢窓国師と庭園・講談社〕考えられています。天明8年〔1788〕には、鎌倉時代の作と思われる等身大の密教系の本尊・不動明王〔宝剣のみ現存〕が惜しくも、火災のために消失しました。しかし寛政8年〔1796〕には、沢門和尚により早くも現存の不動明王のお姿が作られ、本堂・客殿と共に開眼落成式を迎えました。寺中には真言宗を物語るものとして、古い板碑や宝きょう印塔そして五輪塔も散見されますし、近在には元真言宗という寺伝を持つお寺がいくつかあります。それらのことから考えて、元真言宗と言う「大中寺沿革誌」の記述にはうなづけるものがあります。
大中寺の歴代
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