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    立教187年(令和6年)2月18日発行 第328号
    大教会春季大祭 祭典講話要旨

大教会春季大祭 祭典講話要旨
世話人 井筒梅夫先生
令和6年1月18日

 諭達第四号では、教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが、教祖の道具集としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖の年祭を務める意義である、と実にわかりやすくお述べ下さっています。50年のひながたの道では、この道に引き寄せ、おたすけをされ、お育てになられ、皆が成人の道をまっすぐに歩んでほしいとの親心から現身を隠されました。そして、存命の教祖は、今もこれからも私達をお守り続けて下さっています。この親心に感謝をして、三年千日と仕切って務めるのが年祭活動であります。
 ひながたの道を通らねばひながたいらん。ひながたの道より道はないで、とのおさしづがあり、水を飲めば水の味がする、節から目が出る、人たすけたら我が身たすかる、と三つの言葉が出てきます。
 そこで、今日の講話では、人を助けたら我が身たすかる、とのお言葉についてお話ししたいと思います。
人間がお互いに一列兄弟として支え合い、励まし合い、真の誠と教えられる人を助ける心を尽くすことであります。
 私は25歳で教会長に就任し、30代の中頃に存命の理を実感した出来事がありました。夫婦で大教会に熱心に参拝してくれる大教会直轄の若い信者へのおたすけであります。
 ある日の夜遅く携帯電話が鳴り、会長さん、たすけてくださいと、奥さんの絶叫にも近い声が聞こえ、主人がヤクザのトラブルに巻き込まれたとのことです。
 ご主人は顔が腫れ上がり、腕は布でつっていて、肋骨が数本折れていました。天理教の会長は信用があり、事情聴取の同席を、特別に許可して頂きました。結果としてこの件は刑事事件には当たらず、民事事件ということになったんです。警察は、原則民事不介入で双方で話し合うということになりました。
 私は天理教の教会長であり、今後のことは私が代わって話し合うので、うちの信者には絶対に接しないでほしいと、連絡先を教えて教会に戻りました。
 最初は勢いでこのおたすけに向かいましたが、教会に戻った途端にとんでもない恐怖心に襲われ、家族や大教会を巻き込んでしまったらと心配になり、一睡もできませんでした。どうか教祖お連れ通り下さいと、御存命の理にすがりつく日々が始まりました。後日相手方から私に電話ではあり、ついついカッとなってしまって、あなたの信者には申し訳ないことをしてしまったと謝罪があり、この事情は大きなことには発展せずに治めて頂きました。教祖はご存命でお働き下さったと、私の胸に強烈に刻み込まれたのであります。
 教祖伝逸話篇42番「人を救けたら」では、福井の男性で初めて道の信仰に触れた人が、何もわからないままに、「教祖は人を救けたら我が身が救かるのや」という教祖の仰せ通り素直におたすけを実行した話であり、42人の病人のおたすけをして、たすかったかどうかは問題ではなく、真剣に願い続けた誠の心を親神様がお受け取りくださって、娘さんの御守護頂いたということです。
 若いサラリーマンのよふぼくで、福岡から友人を助けたいと、友人のために新幹線で往復3万はかかる中を真実を尽くし、御守護頂きました。
 また、ある布教師ですが、がんの進行が進んで治る見込みがなく、家族も覚悟を決めていた方のおたすけにかかり、連日お願いづとめをし、おぢばまで歩いて足を運び、おたすけをしましたが、結局は出直されてしまいました。その時、布教師は私の真実が足りませんでしたと家族に泣いてお詫びをしたところ、家族の方々は、私達ですら諦めてたのに、毎日一生懸命お願いしに来てくれた真実が家族の心を揺り動かして、その家族が信仰にの道に入ってくれましたという話を聞かせてもらいました。
 教祖伝逸話篇33番「国の掛け橋」では、大阪の山本利三郎先生が生死をさ迷う状態でおぢばまで連れていかれて、生きては帰ってこられんやろうなと噂をしていた村の人々は、元気になって戻ってきた姿を見て驚き、この御守護が大阪の河内方面に道が伸び広がる契機になりました。
 3年前の春に、余命2ヶ月の末期がんの男性が修養科に入りましたが、病状が進んで歩行困難になって、3ヶ月目にはほとんど修養科に行けなくなりました。こんな大変な状態の中、笑顔を振りまく彼の姿に接しておたすけの渦が起こり、特例中の特例で終了証書を頂きました。この後、彼は出直しましたが、おぢばに帰れて本当に良かった、みんなと出会えて本当に良かった、本当にありがとう、と言っていました。寂しく息を引き取っていたかもしれないところを、修養科で周囲の人達の温かい心に囲まれて、彼の心はたすかり、悪因縁は切れたと思います。
 他にも、舌癌になって、その範囲が広くて、大手術になるところを、奥さんの連日のおさづけの取次ぎと教会への日参によって、不思議な御守護を頂きました。
 また、教祖130年祭のとき、19歳になる娘さんが、脳動脈解離となり、専門学校に入るための資金を全て御供し、おたすけにかかったところ、4日後に血管が元の状態に戻り、誠に鮮やかな御守護を頂きました。その母親も、教祖100年祭の年祭活動の最中、交通事故で頭蓋骨陥没、脳挫傷で命がないと言われていたところを、おたすけによって後遺症一つ残らない奇跡的な御守護を頂いていた方であります。
 年祭活動も2年目に入り、たすかり、成人できる旬でもあります。私達は今、とてつもなく嬉しい旬を迎えているのであります。こんな時にじっとしていたらもったいないです。
 教祖さえ見失わなければ、どんな中でも教祖が支えて下され、存命の理で間違いなく導いて下さるのであります。
 ご存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂けるように、一手一つに心を結んで、心明るく、心勇んで成人の道を進ませて頂きましょう。