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    立教186年(令和5年)2月18日発行 第324号
    本部巡教諭達講習会

本部巡教諭達講習会
令和4年12月18日
松村登美和巡教員

松村登美和巡教員
 
 来年1月から始まる教祖140年祭三年千日活動に対して、10月26日の秋季大祭には、真柱様から諭達第四号が発布され、各直属教会へ諭達巡教が行われることとなりました。
 年祭活動を進めていく上で、この度の講習を受けて、それをしっかり伝えていくことが大切であります。また、来年には、部内教会への諭達巡教を行い、全ての人が年祭活動を活発に行っていけるように努めて頂きたいと思います。
 その上で、二つお願いしたいこととして、一つ目は諭達の内容をしっかり把握してほしいことで、二つ目は、諭達の思いを伝え、導いてほしいことであります。
 それでは諭達の内容についてお話致します。
 最初の所で全教の心を一つにしたいとあるのは、親神様が人間の心を一つにしたいという思いと同じであります。教祖年祭は、10年ごとに勤めてきましたが、亡くなった方を偲んだり、称えたりするものとは違って、年祭ごとに成長して教祖に喜んで頂くことが意義となります。3年後の1月26日に参拝するだけでなく、それまでの、3年間の通り方が大切であります。
 教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具集としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義であります。
 教祖は、50年の長きにわたり、陽気ぐらしのひながたをお示し下されました。いかなる困難な中でも、常に陽気に勇んで通られましたが、おつとめについては、御年89歳の頃から、官憲の圧迫から教祖に監獄へのご苦労をけることになるため、おつとめを控えるようになりましたが、それに対し、教祖は激しくおつとめを急き込み、明治20年になると、さらに激しさを増し、初代真柱様を中心とした方々との押し問答の末、明治20年1月26日、取締があった時には命を捨てても教祖をお守りするという思いで、十二下りのおつとめをしましたところ、不思議に取り締まりはなく、おつとめをすることができました。その時、教祖は満足されましたが、現身をお隠しになられてしまいました。
 皆が嘆き悲しむ中、飯降伊蔵を通して神様のおさしづを伺うと、「子供可愛いゆえ、親の命を、25年先の命を縮めて、今からたすけするのやで」と仰せになりました。また、「これまで、子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。これからだんだんに理が渡そう。」と、おさづけの理を下さると仰せになりました。そこで、私達よふぼくは、この親心にお応えすべく、親神様、教祖の道具衆として勤めるわけです。
 また、「ひながたの道を通らねばひながた要らん」とありますが、教祖5年祭の前に仰せられたお言葉であり、「五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ、十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。」と仰せになり、教祖の50年は無理であっても、3年くらいは通ってほしいということであります。そうすれば、不自由することなく、必ず結構にして下さるということであります。
 その通り方は、三つのお言葉で、「水を飲めば水の味がする」「節から芽が出る」「人扶けたら我が身救かる」と仰せられています。
本部巡教諭達講習会
 ある東京の居酒屋で、コロナの影響から収入がなくなった時があったが、今は少し客足も増えてきて、とても有難く思っている、と聞いたが、その隣の同級生の居酒屋では、店を閉めてしまったのです。状況は同じでも、同級生がやめてしまった時、この教祖のお話をすれば、もしかしたら店を続けていたかもしれません。
 また、ウーバーイーツのことですが、配達を間違えた時、悪い評価をされて、腹いせにドアにカレーを塗りたくって捕まった事件がありましたが、世の中には、間違った考え方をしている人が多いのですが、神様の教えを伝えることで正していけると思います。
 教祖は、「商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで。」と言われていますが、自分の利益ばかり考えるのではなく、相手のことを思い、喜ばすことが、結果的には皆がたすかっていくことになるのです。
 諭達の最後には、「よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上、事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治まりを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。」とあり、「その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく」とありますが、具体的に通り方が示されています。
 以上、この諭達講習会を受けて、大教会では1月26日までに、具体的な目標を立てて頂き、さらには、部内教会においても、目標を決めて頂きたいと思います。
 教祖は、「山の頂上に登れば、結構なものを頂けるが、途中で険しいところがあるとそこから帰るから宝が頂けないのやで」と仰せになられています。山登りのように、信仰生活において、自分がどこまでやれるのか、3年後の目標をしっかり立てて頂きたいと思います。
 会長となって3回目の年祭となりますが、信者さんに、何かやれることを考えていた時、信者さんが癌のおたすけのお手伝いをして頂くことになり、二人でおさづけとお願いづとめをしたところ、見事にたすかり、信者でもたすけられることに感激していたとのことであります。誠真実こそが、たすけることができるのです。
 教会長一人では、たすけられる人は限られてきますが、信者さんもおたすけをすれば、もっと多くの人がたすかるのです。
 おさしづに、「治めてから定まるのやない。定めてから治まる。この理をよく聞き分けねばならん。」とあります。御守護頂いてから定めるのではなく、定めてから、御守護を頂戴できるのであります。
 どうか、三年間の目標をしっかり定め、それに向かって心定めて互いに勤めさせて頂けるようお願い致します。
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