静岡大教会創立130周年記念祭
令和4年6月18日執行
創立130周年記念講話
静岡大教会長 松浦一郎
本日は、お忙しい中、静岡大教会創立130周年記念祭に御参拝下さり、誠にありがとうございます。これ迄の2年間は、今迄経験したことのないコロナ禍での生活となりましたが、ようやく創立130周年を迎えたこの機会に、静岡大教会に繋がる人達が、これからの人生に夢と希望をもって通らせて頂き、さらには、大きな御守護を頂けるよう、務めさせて頂きたいと思いますので、これからも、どうかよろしくお願い致します。
さて、創立130周年に向けては、活動項目として、
一つ目は、おつとめをしっかり勤め、お手振り、鳴物の習得をさせて頂くことであります。本日のおつとめは、今まで生きてきた中で、一番陽気に勇んだ心で勤めて頂きたいと申し上げてきましたが、如何でしたでしょうか?
勤める前と、勤めた後で、心に変化があり、少しでも陽気になれたと感じられた方は、間違いなく、親神様がお喜びになってお受け取り下さり、今ここで、正に、親神様の御守護の体験することができたわけであります。
おつとめは、親神様が子供可愛い思いから、どんな人でも助けて頂ける尊いものであります。自分の心が、少しでも陽気になれることこそ親神様の御褒美であり、御守護であり、これから良い事があり、幸せに暮らせて頂けるのであります。
二つ目は、おたすけであります。身近な人に心を配り、身上で苦しんでいる方には、おさづけを取次ぎ、事情で悩んでいる方の力にならせて頂くことであります。
この2年間は、コロナ禍で表に出る機会が減り、身上事情があっても、一人思い悩んでいる方が増えました。これからも、身近なところから、おたすけをさせて頂き、信仰の喜びを伝えてさせて頂きたいと思います。
三つ目は、旬の種蒔きとしてのお尽くし、御供であります。種は、旬に蒔いてこそ芽が出て、良く育ち、花が咲き、実がなるのです。
皆さんは全員、親神様のお導きによって、静岡大教会に繋がる方なのです。その御守護の元はぢばであり、そのぢばからお許しいただいた静岡大教会であり、この度の130周年は、皆さんの旬なのです。これから先の楽しみとしての種を、これからも、しっかり蒔かせて頂きたと思います。
以上、この三つの活動を無駄にせず、成人の道を通らせて頂きたいと思います。
さて、本教は、天保9年10月26日に、ぢばから始まった道であり、親神様は教祖をやしろとして、たすけ一条の道をおつけ下さいました。
この親心から、よろづたすけの道として教えられたのが、おつとめであります。
親神様は、人間の親であり、自らが教祖に入り込み、人間をお産み下さったのであります。この人間元始まりの真実と、喜びを、形に表したものが、おつとめであります。
つまり、おつとめには親神様の究極の陽気に勇んだお心が込められており、その思いに添って、陽気に勇んで勤めれば、親神様と人間の心が一つとなり、新人和楽の陽気が実現され、自由自在の御守護が頂戴できるのです。
おつとめの大切さを知るものとして、教えの元となる原典があり、おふでさ、みかぐらうた、おさしづ、であります。
おふでさきは、教祖がご自身で執筆された1711首のおうたで、みかぐらうたは、今皆さんで勤めたおつとめであり、おさしづは、親神様から申されたことと、人間からお伺いしてお答え下されたものです。
その中で、今皆さんで勤めた、おつとめの中の、よろづよ八首は、おふでさき第1号の一番最初でも同じことが言われ、とても大切な思いであると悟れます。
よろづよ八首の中では、
かみがでてなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
せかい一れついさむなり
いちれつにはやくたすけをいそぐから
せかいの心もいさめかけ
と言われていますが、せかいの心もいさめかけ
「いさい」「いさむなり」「いさめかけ」には、勇みの手が付けられており、人間が生きる上で、一番大切なことは、勇みであると申されています。
また、おふでさき第一号の一番最初はよろづよ八首と同じであり、
かみがでてなにかいさいをとくならバ
せかい一れつ心いさむる (1号 7)
せかい一れつ心いさむる (1号 7)
いちれつにはやくたすけをいそぐから
せかいの心いさめかゝりて (1号 8)
とあり、同じように仰せられていますが、続いて、せかいの心いさめかゝりて (1号 8)
だん/\ と心いさんてくるならバ
せかいよのなかところはんじよ (1号 9)
せかいよのなかところはんじよ (1号 9)
このさきハかくらづとめのてをつけて
みんなそろふてつとめまつなり (1号 10)
みんなそろふてつとめまつなり (1号 10)
みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる (1号 11)
と仰せになり、人間が生きる上で、一番大切なことは、勇みであると申されており、どんな悪い中でも、おつとめを陽気に勇んですれば、心が変わり勇んできて、親神様もお勇みなり、世界中の人達がより豊かな生活ができる、新人和楽の陽気ぐらし世界が実現すると言われています。そばがいさめバ神もいさむる (1号 11)
皆さんは、天理教を信仰しながら、違う土地所で、いろいろな立場で生活されていますが、満足している方もあれば、不満な方もあると思います。今は結構であっても、先行きに不安を感じている方もあれば、今、不自由であっても、いずれ結構になれると信じて努力されている方もあると思います。
また、努力して成功できることもあれば、努力が報われないと思うこともあるでしょう。運命という言葉がありますが、天理教の教えでは、運命を決めるのは、自分のいんねんであると教えられています。いんねんが良ければ結構になりますが、悪ければ、不自由することになってしまいます。
人間は、赤ちゃんとして生まれてくる時、自分の好みで親を選ぶことは、何人たりともできません。自分の魂のいんねんによって、生まれてくるのです。そして、赤ちゃんとして生まれ、親に育てられ、物心がついた時、初めて我が身の立場を知るのです。親の職種も、数限りなくあり、好む、好まないに関わらず、それぞれの魂のいんねんから、生まれてくるのです。
これに対して、親は、生まれてくる子供の幸せを祈り、できれば、健康で、明るく、優しく育ってほしいものです。あまり欲を出して、頭が良く、運動神経が良く、さらには、イケメンでとか、将来、人より優れていることなどを望んでは、自分の徳分以上に願う欲となるでしょう。
子供は、親の魂のいんねんに応じて、それに相応しい魂のいんねんのある子供が授かると言われ、縁も所縁もない子供が授かるわけではありません。
そこで、健康な子供が授かり、さらには、立派に成長してもらうために、日頃から、親神様の思召しに添った通り方を心掛けて、心の汚れを洗い切り、徳積みをさせて頂き、しっかり心の成人に務めておくことが大切であります。
今、皆さんは、幸せに感じているなら、きっと、いんねんが良い方だと思います。また、昔は悪かったけれども、今、幸せを感じているなら、悪いんねんが切れた方だと思います。
逆に、悪くなっている方がいましたら、諦めることなく、たんのうの心を治めることが大切であります。
いかなることも親神様が自分の悪いところを治してたすけたいという親心と悟り、心を倒さずに反省し、喜び勇んで通らせて頂けば、これまでの人生に加えて、前生のいんねんも納消され、親から子へ、子から孫へ、幸せが続いていくわけであります。
私の魂のいんねんは、静岡大教会長という立場であります。信仰の元始まりとして、御先祖が教祖にお会いし、直接お手振りを教えて頂き、その後、代々静岡の地で教会長を勤めてきました。私も魂のいんねんから静岡大教会に生まれ育ち、本部教祖殿におきまして、教会長の理のお許し戴きました。
この度、静岡大教会は創立130周年を迎えましたが、元始まりからこれまでの道中は、先人先輩達からの艱難苦労によって、何とか道は続いてきましたが、教会は、おたすけをする場所であり、教会長は、常に求道の精神で通り、ぢばの理に添って人々を導いていかなければならないと思います。
これからも、年限の理に相応しい成人をさせて頂き、親神様、教祖に、お喜びいただけるよう努めていけば、必ず結構にお連れ通りいただけると信じております。
そこで、皆さんにお願いしたいのは、おつとめを一手一つに陽気に勇んで勤めることと、優しい心、癖性分をとること、たすける心を心掛け、日々心の反省としては、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん、にの八つの埃と、うそとついしょうです。また、どんな悪い中でも、たんのうさせて頂くよう心掛け、さらには、欲を忘れてひのきしんの精神で通って頂きたいです。
まず、自分自身の心を磨き、身近な人にお道の素晴らしさ、信仰の喜びを伝えて頂きたいと思います。
最後に、今年の教祖誕生祭のことですが、十二下りのおつとめ後、教祖殿にて大亮様が教祖にお誕生日のお祝を申し上げた後、一年に一度、私も教祖がおられる教祖殿の奥の間に入り、ご挨拶致します。その時、今回は130周年のお願いをさせて頂くと、不思議な感覚を覚えました。それは、教祖が「これまでよく頑張ってきたな」と仰せになられたように感じたのであります。何とも言えない陽気な気持ちになり、その後、教祖殿から中庭を眺めに行くと、そこには真柱様が車椅子でにこにことされており、私と同じようなお心でおられたのではないかと感じました。
この度の体験は、大変嬉しくも有難く思い、この時、130周年は、きっと素晴らしいものになると思いました。
どうかこれまでの努力を無駄にせず、今日よりも明日、明日よりも明後日と、一歩ずつでも、日々心の成人をさせて頂き、来年から始まる教祖140年祭活動には、勇んで通らせて頂きましょう。