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    立教184年(令和3年)11月18日発行 第319号
    秋季大祭神殿講話
   「静岡大教会創立130周年記念祭について」

秋季大祭神殿講話
「静岡大教会創立130周年記念祭について」

令和3年10月18日    
    静岡大教会長 松浦一郎

 静岡大教会は、来年の6月18日に、創立130周年記念祭を執り行わせて頂きます。そこで、この旬に一手一つに進ませて頂く上で、その意義と活動についてお話し致します。
 旬の大切さは、おさしづに、
日々種を蒔く、一つ種を蒔く。旬々の理を見て蒔けば皆実がのる。旬を過ぎて蒔けばあちらへ流れ、遅れてどんならん(明治22・7・31)
とありますように、植物と同じく、親神様のお身体をお借りしている人間も同様に旬があり、旬の行いこそ、御守護の近道なのです。  そこでこの旬に、コロナ禍で大勢集まることが難しい中、何ができるのか思案させて頂きます。
 親神様は、教祖のお口を通して、
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。みきを神のやしろに貰い受けたい。」
と仰せられました。家人は、この思いがけないお言葉に、再三言葉を尽して辞退しましたが、親神様には何としても退いてもらえず、教祖が衰弱していったため、遂に、あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、天保9年10月26日にお受けすることになり、天理教が始まりました。
 また、人間の生きる目的は、おふでさきで、
  月日にわにんけんはじめかけたのわ
  よふきゆさんがみたいゆへから   (14号 25)
と仰せになられ、人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しみたいと思召されております。人間をお創り下さり、長の年月に渡りお育て下され、天保9年10月26日、教祖をやしろとして表に現れ、よろづいさいの真実を明かし、50年の長きに渡り、たすけ一条の道をおつけ下さいました。
 その道中は、一列人間を救けたいとの親心から、自らが貧のどん底に落ち切り、その中を陽気に勇んでお通りになり、物金の執着を去れば、心に明るさが生れ、陽気ぐらしへの道が開ける、と教えて下さいました。
 また、水を飲めば水の味がする、と諭され、親神様からお借りしている健康なお身体こそが御守護であることをお諭くださいました。
 さらには、をびや許し始めとし、疱瘡などの御守護もお見せ下さるなど、親神様の思いに添い切れば、必ずたすかる事をお教え下さいました。
 さらにまた、おつとめをお教え下さり、陽気ぐらし世界に向けて、さらなるお急き込みをなされました。
 しかしながら、教祖を慕う人達が増えるとともに、当時は、おつとめをするため人が集まる事を取り締まられるようになり、その中心にいた教祖は、獄舎への御苦労となってしまいました。  高齢となられた教祖を気遣い、おつとめを躊躇しましたが、教祖はさらにおつとめを急き込まれました。
 そこで、明治20年1月26日には、我が身どうなってもと思う者によっておつとめが勤められ、その時は、不思議にも取り締まりはなく、おつとめの手も不十分でありましたが、教祖は満足気にお聞きになり、御年90歳で現身をお隠しになられました。
 その後、おさしづがあり、
子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。(中略)これから先だん/\に理が渡そう。
と仰せになり、おさづけの理を下さることになったのです。
 その後、たすけられ、たすかった人達の白熱した信仰は、国々所々に伝わり、静岡大教会は、明治25年6月8日に設立されました。
 教祖の時代から戦後まで、自由に信仰できなかった中でも、信仰は脈々と受け継がれてきたことから思案すれば、今コロナ禍で不自由な中でも、おつとめと、おたすけは、しっかり勤めさせて頂かなければと強く思うのであります。
 まず、おつとめですが、個々で勤めることができます。また、教祖のひながたでは、当時、官憲の圧迫から大勢集まっておつとめをすることが難しかった中、たとえおつとめの人数が足りなくても、子供が勤めてでも、真実の心を定めておつとめをすれば、親神様はお受け取り下されています。
 また、身近な人の身上事情のおたすけはできます。
 自らがおさづけの理を頂戴した信仰の元一日の教えを学び、心を磨き、さらには、身上に苦しむ人達におさづけを取り次ぎ、事情で悩む人達に耳を傾け、人を導き、育てさせて頂く努力も必要でしょう。
 このおつとめと、おたすけを自らが実践していくことによって、自然とその信仰と喜びは伝わっていくものなのです。人それぞれに、生まれた環境や境遇、さらには現在の家庭環境や仕事など違いますので、人にお話しするのが難しいと思う方もあると思いますが、自分が有難く感じていることを、日頃から気軽にお話させて頂くことが大事であると思います。
 その日々の行いは、御恩報じの道としてのひのきしんであり、親神様に受け取っていただける誠真実となるのです。
 静岡の道も130年が経ち、この旬に、我が身を振り返り、更なる成人をさせて頂けるよう、真実の心を定めておつとめを行い、身近な人の身上事情のおたすけをさせて頂きましょう。
 何卒、皆様のご理解とご協力を賜り、一手一つに活動させて頂けますよう、心よりお願い申し上げます。