道の将来を担う人材の育成
本部秋季大祭(令和元年10月26日)
大祭では、大勢の道の子供達が参拝する中、療養中である真柱様に代わり、継承者である大亮様が祭主として祭文奏上が行われ、引き続きかぐらづとめでは、北のくにとこたち命を大亮様が勤め、南は真柱様の奥様がお勤めになられました。
祭典講話は、宮森与一郎内統領が勤められ、冒頭に、台風によって被害を受けられた方へ、お見舞いを申し上げ、一日でも早い復興をお祈り申し上げられました。
また、天理教災害救援ひのきしん隊の出動に加えて、天理教災害救援募金もさせて頂くので、皆様のお力添えをお願いしたいとお話がありました。
この後、天保9年から明治8年までの三つの大きな節目の年についてお話下さいました。
まず一つ目は、嘉永6年の教祖の夫、善兵衛様のお出直しがあり、母屋を手放し、貧のどん底に向かわれましたが、この節から、こかん様に浪速布教に行かせ、おはる様のをびや許しを始められています。
二つ目は、元治元年の大和神社の節では、不足を言うのではない。後々の話の台であるほどに。そして「ふしから芽が出る」と仰せれれ、慶応2年には、「あしきはらいたすけたまへ てんりわうのみこと」を教え、明治8年までに全てのおつとめを教えて下さっています。
三つ目は、明7年の山村御殿の節の後、同年12月に赤着を召され、翌8年には、ぢば定めをされています。
教祖は、このような大節の中でも、いつも勇んだ姿でお通りになり、どのような艱難苦労の中でも、親神様にもたれて通るならば、必ず結構になることを教えて下さっているので、自らが陽気におつとめを勤め、案じる心なく勇み、人を勇ませて、おたすけさせて頂きたいというお話でした。
真柱様が御身上という大節に、真柱様が仰せられた、人を育てるという心を持って、勇んで勤めさせて頂きましょう。
立教182年(令和元年)11月18日
静岡大教会長 松浦一郎