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    立教182年(平成31年)3月18日発行 第308号
    大教会春季大祭井筒梅夫先生祭典講話要旨

大教会春季大祭
井筒梅夫先生祭典講話要旨

平成31年1月18日

 今回のお話では、最初に最近の天候不順についてお話があり、
 おふでさきに、
  かみなりもぢしんをふかぜ水つきも
  これわ月日のざねんりいふく    (8号 58)
と言われていることを説明されました。
 雷、地震、台風、水害、などの天災は、大きな意味で、人間に対して、文明が発達し、世の中が結構になった反面、親神様の思召に添わない心使いや行いがされてくることを、残念、立腹といった言葉を使い、私達人間に教えられているのです。
 しかし、解釈として間違えてはならないのは、阪神大震災や東日本大震災、さらには台風や豪雨による災害など、実際に被害を受けられた人達の心使いが悪いという意味ではありません。
 おふでさきでは、
  たん/\となに事にてもこのよふわ
  神のからだやしやんしてみよ   (3号 40, 135)
と言われるように、私達人間は、とても広い世界の中で大勢生活しており、全員神様のふところ住まいなのです。このような中、天災地変は、神様のおからだに異変が起きているのです。人間も、自分自身のからだに異変が起きることは嫌な事であり、自分自身の苦しみなのです。神様も、人間が間違った通り方をしているのを放っておけない程とても苦しい胸の内から、神様のおからだ、つまり地球に異変が起きてしまうのです。
 それも、地球温暖化となれば、豊かさを求めるゆえ人間が蒔いた悪い種が、今生えてきているのです。必要以上に自然を破壊し、いわば、親神様のおからだを傷つけてしまっているのです。
 これに対して、本教では、陽気ぐらし世界を建設するため、よふぼく一同、いろいろと活動をさせて頂いております。
 例えば、天理教災害救援隊、いわゆる災救隊は、全国各地で活躍しております。
 この活動は、国会でも取り上げられ、テレビ中継もされました。
 また、天理教災救隊は、一般的なボランティアとは違って、被災地の方に全く手を借りず、全ての道具、食糧、住居にいたるまで、自分たちで用意して活動する、言わば自己完結型のひのきしんであります。
 さらには、ひのきしんを終えて、逆に「ありがとうございました」と言って帰るのが、とても好感を持たれたとのことです。
 余談ですが、阪神大震災の時は、神戸市長田区で火災が起き、ほぼ全焼してしまった時、暴走族が一生懸命救援活動をしてくれました。芦津詰所の交差点では、暴走族がうるさくてたまらないですが、いざという時は、人間には互い手を取りたすけあう元のいんねんがあるからです。
 これからも、我々よふぼく一同、一手一つになって、陽気ぐらし世界建設に努力しましょう。
 話しは変わりますが、春の大祭と秋の大祭は、始めた理と治まりた理と、理は一つであります。
 天理教教典第三章では、

「元始まりにおいて、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなぎのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場に三年三月留り、やがて、七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた。」

 とあります。立教の10月26日からの三年三月は、1月26日でもあります。
 また、立教の時、教祖の腰、夫善兵衛様の目、秀司様の足に起きた身上と、親神様の思召を納得するための押し問答があり、教祖が現し身を隠されるまでの押し問答がありました。いずれも、教祖の身上に異常を見せて、人間が自分達の意志で、納得して受け入れることを望まれました。  それは、親神様の仰せに従い、たすけ一条の道を通る心定めが必要であり、かしもの、かりものの意味を納得し、人たすけたら我が身たすかる、という事を実践するものでした。
 この事の対しての、井筒先生の体験談ですが、40歳から47歳まで、ふらふらして歩けないという身上を7年苦しんだということです。
 本部や大教会の御用ができない苦しみを長い間味わい、巡教も、ひのきしんもできなかったのです。今は、御守護いただきましたが、その時の苦しみは決して忘れないそうです。今は普通に歩ける事が、とてもありがたく思っているとのことです。
 御守護いただくには、親一条でなければならないのであり、親に喜んでいただく事が大事であります。
 教祖は、親神様を自分の親と思って、親孝行する気持ちで信仰しなさいと仰っています。
 また、成人とは、親の思いに近づく事であると仰せられています。ご恩報じとはそのように実践することであります。
 どうか我さえよくば、今さえよくばという心を反省し、親神様、教祖がお喜び下さるように、我々よふぼくが親神様の子供である自覚を持ち、互い手を取り助け合う陽気暮らしを実現するように努力してほしいと思います。特に教会長夫妻は、心を一つにして、大教会部内、一手一つになって、通っていただきたいと締めくくられました。