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    立教180年(平成29年)5月18日発行 第297号
    4月13日 月次祭講話要旨

4月13日 月次祭講話要旨
静岡大教会世話人 井筒梅夫先生

 井筒先生は、去る1月18日の大祭に巡教される事になっていたが、インフルエンザにかかってしまったため、この度に巡教される事になった。
 先生は、まず始めに、今の本教における中心となる活動は、真柱様の思いを受けて、やはり人材育成であることを仰せになり、教会子弟育成プロジェクトや、後継者講習会には、積極的に参加して頂けるよう、これからもしっかり努めて頂きたいとお話があった。
 次に、自らの身上体験として、若い時左腕に大やけどをしたことがあるが、それを通して、自らが育てられた事を具体的にお話し下さった。
 井筒先生が本部青年をしていた時の話であるが、大阪の花園にある布教実習所に派遣され、寮生活をしていた時、風呂を炊き過ぎ、焦って火を止めようとしたところ、足を滑らし、煮えたぎった湯船に左腕が入ってしまったのである。
 今と違って、温度センサーなど付いておらず、かまど炊きとなっているため、放っておけば沸騰してしまうのである。
 やけどの状態は、腕の皮が全てめくり上がり、皮のブレスレットみたいな物ができたそうである。その激痛に、夜も眠れない日々が続いたそうであるが、これといった治療はせず、ガーゼを取り替えるだけであったそうである。
 そのような中、何故一生懸命布教しているのに、このような身上を頂くのかと、とても不足してしまったという。今でこそ、本部員であり、また、大教会長という立場をお与え頂いているが、当時は、若さ故か、とても身上を受け入れる事は難しかったそうである。
 ところが、ある時先輩先生がお諭しをして下さり、それがきっかけで改心できたという。
 そのお悟しは、右手でなくて良かったな。天理教の教会長は、多少不自由でも、おさづけが取り次げれば十分である。おたすけができればいいのである、というものである。
 その時、自分自身の立場やつとめが、やっと自覚できたという。今までラグビーをやってきたため、人より多少は体に自信があったが、その時不自由を味わい、結構であることが当たり前ではなく、くにさづちの命の理であるつなぐ心を忘れず、しっかり神様や、人に心をつなぎ、身上事情で苦しむ人達に、しっかりおたすけをさせて頂こうと心定めをされたそうである。
 その後、不思議にも痛みが和らぎ、更には、やけどの跡も、ほとんど分からないくらいに御守護頂いたとのことである。
 このように、身上体験から、育てていただいた訳であり、皆さんも、このような身上や事情に苦しんでいる方がおられた場合、育てるチャンスと心得て頂きたい。
 何事も、人材を育成していく上での思召であり、どうか積極的に努めて頂きたいとお話があった。